ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

月別: 2021年12月 Page 2 of 3

舞台のセットや空間デザインを手がける方 2/10

【2回目レポート】

まず、1回目から2回目までの間の身体の感覚として。。
マッサージなどは施術後は身体が楽になるものの翌日にはもとに戻ってしまっているという感じですが、ロルフィングは施術後も身体が変化したままのように感じていました。具体的に、・呼吸が浅くならない!!お腹まで空気が入って出ていく呼吸ができている!!!・足の裏をぺったりつけて歩く感覚がある・頭が首の上に乗っている(後ろに行っていない)
その感覚は、2回目の施術前に撮影していただいた写真でも確認でき、「戻ってしまわない」ことがとても嬉しかったです。

施術は、今回は前回よりも短い時間で「身体がふわふわする」(雲の上に寝ている)感覚になりました。(緊張がとけて緩むのが早くなったということかな?と思いました。)
けれども面白かったのは、今回はふわふわしたままで最後までいくのではなく、施術が進むにつれて、「ベッドに寝ている」ことを感じ始めました。といっても、1回目の最初のような「硬いベッドにねているのを感じる」のとは全く違い、今回は「身体が緩んで背中がベッドにぺったりと着いたことでベッドを感じた」気がします。まず施術していただいた左側がベッドを感じ、(その時右側はまだ雲の上の感覚)、続いて右側を施術していただくと、背中全体でベッドを感じるようになりました。雲の上に寝ているよりも、「身体がしっかりと存在している」感じがしました。

また、呼吸も1回目からさらに変化しました。1回目でお腹まで深く息が入るようになったと感じましたが、それは「深呼吸のような深い呼吸」で、「吸って吐いている」を意識で感じていました。今回2回目の施術をうけながら、それが「意識しない呼吸」(意識しなくてもお腹まで空気が入る呼吸)になったと感じました。1回目より、より自然な呼吸、負担のない呼吸になったように感じました。
施術後の写真を拝見して驚いたのは、背中の広がりでした。肩甲骨の位置が下がった??のか、もともとは肩からつながって背中が上にキュっと縮んでいたのが、今回下に自然に降りていて、背中の緊張が取れているのが見てわかりました。
施術後、自宅で毎日驚いたのは、常に「肩がちゃんと下がっている」ことです。今までは常に肩が上がっていて、鏡を見て意識しておろしていました。(ので、一時的に降りるだけですぐに戻っていました。)鎖骨は両サイドが上がっている、斜めの状態でした。しかし、2回目の施術からずっと、鎖骨はほぼ水平に近く、肩をそれ以上下げようとしてみても、ほとんど下がりません。これは本当に「本来あるべき身体のかたち」になっていってるのだと実感しました。
また、2回目のロルフィングの効果か自分ではさだかではないのですが、首の右側に、話す時や笑う時などによく強く筋がうきでていたのですが、それが出ないようになっていることに気づきました。これも緩んだことによる効果だろうか?と思います。

終わった後に歩いてみて、「なんだか歩きやすくなった」、と感じました。足がスッスッと前に出る感じで、出そうと思って出さなくてもパッと出る、ようなことなのですが、、、以前、歩き方の講師の方と立ち話をした時に、後ろから腰のあたりを押されながら歩いたらすごく「簡単に進む」という感覚があって驚いたのですが、その感覚を思い出しました。今回は、誰からも腰を押されてはいないけど、自然に前の方に重心がいって足が出る、というような感じでした。

舞台のセットや空間デザインを手がける方 1/10

【1回目レポート】

ロルフィングというものについてほとんど知識ゼロで伺いました。ロルフィングのサイトの施術写真などから勝手に想像していたのは「ソフトなストレッチ」という感じでしたが、実際に受けてみると全く違いました。田畑さんが実際に手を触れられるのはとてもささやかなのに、どんどん体が変化していくことへの驚き。終わった後の感想はただただ、「とっっっても面白く、とっっっっっても楽しく、とっっっっっても摩訶不思議」という感じでした。
施術中に感じていた変化は、自分の体が存在している場所のイメージがどんどん変わるということ。最初はベッドの上に寝ていると感じていましたが、田畑さんにまず整えてもらった左側だけ、まるで芝生か草原の上にねているかのようにふわふわと感じてきました。(右側は変わらずベッドの上、と感じているのに!)やがて、草原でもなく、水の上にぷかぷかと浮いているように感じました。(もはやベッドの硬さなどは感じず。)身体と重力の関係というのは整った状態だとこれほどまでに心地よく、軽やかなものかと、驚きましたし、いかに普段、身体が重く、力が入っているのかを実感しました。

また、田畑さんは施術に空間を使う、とだけお聞きしていて、その言葉にとても興味を持って施術をうけました。施術中はその意味がわかりませんでしたが、後でお話を聞いてとても納得しました。人が2人いたら、身体は勝手に警戒や安心によって空間の捉え方を変えている。(感情に体が反応して、空間の感じ方が変わる?)それを実感として感じたのは初めての経験でした。人(田畑さん)が右にいらっしゃった時は明確に「岩がある」と感じ、左にいらっしゃる時は空気が通っていた。(岩はなかった)それが時間がたつにつれ岩の存在も消えていき、、、。「警戒」や「安心」を体の反応として注意してみたのは初めてだったのでとても面白い発見でした。これは私の仕事(舞台エンタメ)の上でもちょっと意識してみたいと思いました。

また、体調の変化ですが、施術後に感じた大きな変化は以下のようなものでした。
・頭が正しい位置になった(後ろに行っていたのが、ちゃんと首の上に乗った)・真っ直ぐ前を見ている感覚。(視点が定まる感覚)・首が回るようになった・視野が広がった(サイドの角度がひろがった。)・立ったり歩く時、足の裏がついている・呼吸を、施術前は鎖骨あたりでしていたように感じていたのが、施術後お腹まで空気が入ってきていると感じる
1週間たつうちにこれらの変化は戻ってしまうのだろうかどうだろうかと思っていましたが、1週間の間、この感覚が続いていると感じられたのは嬉しかったです。とくに呼吸については、疲れたり、夜には大抵とても浅くなっていたのですが、それがなく、ずっとお腹で息をしていると感じられました。

2回目の施術ではどのような変化が起こってくるか、とても楽しみです。

心身を根本から見直す必要を感じて (10シリーズとその後)Mさん

モニターでお申し込み頂いたMさんは、関西から通って頂きました。両者で丁度いい間合いの位置を見つけると、自発動による自己調整が開始して、ほとんどシリーズを通して、触れることなくセッションが進行しました。10シリーズ後は写真データが示すとおり、身体構造が統合されました。

また、B-Digital O-Ring Test協会のORT認定医の先生に写真から酸化ストレスマーカーのレベルを測定して頂いた結果、そのレベルの低下が示唆されました。


以下、ご本人の体験レポートです。

関西から通って頂いたロルフィング10シリーズの体験


心身を根本から見直す必要を感じて セッション13 (Mさん)

遠隔セッション後の変化についてお話したあと、仰向けの状態からスタート。

セッション13回目

‐開始直後に、どんな感じかのお尋ねがあり、その時、擬音語でいうと、スパッ、とか、シュッ、シャキッ、みたいな白と青の映像が浮かんでいて、口をついて出た言葉が、「自立する」であった。そのあと、腕をぐるぐると回しながら浮かんでいた映像は、オレンジ味の強い赤色で、エネルギーに満ちた何かが、腕の動きと同じくしてくるくる回っている絵。その力に支えられて自分の足で立って歩んでいくようなイメージが浮かんでいた。

‐その後すぐに、なぜかじんわりと涙が滲んできた。今回、記憶がとても曖昧なのだが、身体を丸くして胎児になったり、また、手を軽く握って肘から折り返し、新生児になったような体感が頻繁にあった。涙は、最後に大きな声で笑ってしまうまで、セッションを通して、ずっとこぼれたままであった。

‐先日訪れた三千院にある阿弥陀様に迎えられる。そのあと、木々に覆われた山の姿が現れ、その緑の中に白いものとなって吸い込まれていく。そのあと、叩かれて強さを増していく熱い鉄のような、また、焼きしめられて、堅く丈夫になっていくレンガのような、赤茶色のもののイメージが浮かび、そんなふうにして自分が鍛えられていくのだ、という気持ちが沸き起こった。同時に、両手と、頭のあたりがじんじんとしびれているのを感じた。

‐そのあと、三千院から京都駅に向かうバスで出会った赤ちゃん~そのお子さんは、内から放つ光が強烈で、エネルギーの塊、と感じた~の顔が大写しになって、私は、見事にその赤ちゃんに自分をオーバーラップさせ、嬉しくてしょうがない気持ちでいっぱいになる。

そして、口に手をあてて、笑いを止めることができなかった。

‐セッション後、田畑さんに歩いてみるように促されたが、その子が現れた嬉しさを止めることができず、私はスキップをしてしまう。セッション直後でも、両手のしびれている感じがずっと続いていた。

新幹線から降りた時、身体全体が、ちょっと、きゅっとまとまって凝っているような感じがした。そして、家にたどり着いてみると、何故か、今日のセッションが、ずっと前のことのように思われて仕方がなかった。東京に出かけたのは本当に今日だったのだろうか、とちょっと疑ってしまうみたいな心持ちであった。セッションの時は、いつもの日常の次元とは違うところで田畑さんにお会いしている感は常にあるのだが、それとはまた違って、ちょっと遠い日の記憶、みたいな感じがとても強かった。

‐セッション翌日、起き抜けに感じたことは、のびやかな気分、うまい具合に生きる力が身体にいきわたっている感じ。程度の差はあるけれども、セッション10回目の後に感じた、弾力のある、躍動するような身体の一体感。首から上は上方に伸び、肩から下は、下方に向かう感じがある。とても生きやすい感じがしている。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション12.5-遠隔 (Mさん)

前日の夜から、左足側面が久しぶりにひどくつってしまったり、その週は、急に左耳が詰まったようになって、聞こえが悪く、ステロイドを服用されたりと、左側に変化が多くおこっているとのことでした。急に左の肩の後ろあたりの痛みがおさまらず、ご予約頂いた当日ご本人曰く、朝起きたら、動かせる状態になくなってしまっていたとのことで、キャンセル をご希望されたのですが、ご予約頂いていた24時間以内での取消にはキャンセル料がかかってしまうため、リモートでのセッションをご提案させて頂きました。

遠隔セッション

セッション予定日前夜から左肩の後ろ側になんとなく痛みを感じ始めた。一晩寝れば治るかな、と思ったが、一夜明けてみると、痛みは治まるどころか酷さを増しており、ピリピリとした痛さとなって左肩後ろを広く覆っていた。少しでも動かすと痛くて、横になってじっとしていないといられない状態であった。

有難いことに、田畑さんが遠隔セッションをお申し出くださり、喜んでお願いすることにした。

‐横になって、ご指示に従って身体のおさまりの良い場所を探すことから始まった。体の向きを決めたあと、10分程度の角度で移動して、よりおさまりの良い場所を探すように、とのご指示だった。自分から心地良い場所を探すことは初めてだったし、肩は少しでも動かすと痛いし、うまくいくかなぁ、とちょっと不安な気持ちであった。痛みのために、10分の角度を一気に動かすことはできなくて、3分づつくらいだっただろうか、おそるおそる動いてみた。1回目、2回目の3分では体感になにか変化があるようには感じられなかったが、3回目の3分で、ん、なにか感じる、と思い、その感覚があっているのかどうか確認したくて、もう一度初めの場所に戻って、最初の3分、次の3分の場所に身体を戻してみた。やはり最初の2回では何も感じることがなく、3回目の場所でなにかをとらえることができて、やっぱりここだ、と確信し、そこにとどまっていると、身体の右側に温かさが感じられだし、続いて、なにかに包まれてほっとするような感じが生じてきた。田畑さんに位置が決まったことをお伝えすると、どんな感じかとのお尋ねがあり、「安心な感じがする」とお答えした。

‐セッションが始まって、身体は自然と動き出したのだが、開始直後はとにかく肩の痛さが先にたち、どんな動きをしているのか感じ取ることが全くできなかった。動きがあるたびに、痛っ、痛っ、と小さく声がでてしまっていたが、セッションが深まっていくにつれて、意識が落ちたままで動いていたのか、痛さは感じることがなくなった。

‐途中、田畑さんに、どんな感じかと何度かお声をかけていただいたときに、はっと意識が戻って動きを体感し、それをお伝えする、という感じだった。一番印象に残っているのは、うつぶせになったまま、左足のももの付け根が痛いにも関わらず、身体はその足を震わせようとしていたことであった。セッション後半は、意識はしっかりとありながらいろんな動きを続けていた。例えば、うつぶせになったまま両手を上に伸ばし、両足は思いっきり開脚などしていたのを覚えているが、その時には痛みはまったく感じていなかった。

‐最後、左足をぐるぐると回したままでセッション終了となった。Zoomが切れたあともしばらく回し続けていたのは覚えているが、その流れのまま眠ってしまっていた。はっとして目覚めたときには、ずいぶん深い眠りに落ちていたなぁ、と感じた。

‐ありがたいことに、翌日午後には肩の痛さはほとんど感じなくなっていた。痛みが治まったあとに感じていた肩のおさまりの悪さも、数日後には居場所を見つけて、ガクッとした感触とともにしっかりとあるべきところに落ち着いてくれてほっとした。

‐同じ時期、右を下にして寝ていると、左の臀部から下にかけて、なにか違和感を感じたので、探ってみると、左肩に感じていたのと同じ質の痛み、でもその程度は肩を100とすると、5とかそのくらいのもの、があって、それが2日ほど続き、痛みがなくなると、右脚内側にしっかりとした支えができているとともに、右側骨盤上の背骨に沿ったあたりに広がりができていた。

‐同じ頃、実兄を強く詰っている夢をみる。兄は表情を変えることなくただただ私に言われるがままでいた。実際、いろいろと言いたいことがないわけではないが、ここまで強い気持ちを抱えているとは正直思ってもいなかった。自分のことではあるが、今後、自分はこの気持ちにどんな形で折り合いをつけていくのか、興味深く思っている。

‐その後、右首の側面がひどく痛くなり、3日くらい寝たままだった。痛さが落ち着いてきたなと思ったころ、立ち上がったら、右腹あたりにとても大きく広がりができた感があり、息を吐いたときに、右側に身体が傾いてしまうと感じるほどだった。そして、3日間、気分が悪くて水分以外、ほぼ摂取していなかったのに、たまっていたものを一気に吐き出すかのように、おもいっきり嘔吐した。呼吸をすると、いつまでも息を吸っていられるかのようで、右のお腹から背中にかけて酸素がどんどんと取り込まれている感じがした。その感覚は今でも変わらずにある。また、右側の視覚が大きく開けて、ものの色が何時にも増して鮮やかに感じられた。

初めての遠隔セッション、自分から心地よい場所を見つける作業がとても新鮮で、ほんのわずかな位置の違いでも、全く異なる体感が生じてくることが本当に不思議だった。セッションの楽しさ、という意味ではもちろん対面に軍配があがるが、変化が着々と、しかもずばっと起きていく、という点で、対面とはまた違った面白さが味わえた。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション12 (Mさん)

セッション12回目

往路、新幹線の冷房が効きすぎていてそれにうまく順応できず、東京に到着したときには体がふわふわとして、足取りがおぼつかないような体感のままセッションに入ることとなってしまった。

‐両足をセッション台に立てた状態でスタート。就寝中に右耳が痛くなるほど右あごを強く噛みしめていたことが数日つづいたことも関係するのか、歯が欠けてしまったことをお話しすると、最初に口の中を施術してくださる。指示に従って田畑さんの指に力を委ねていったのち、口から手を離された瞬間、酸素がぶわっと一気に体に流れ込んでくる。ちょっとふらふらした気分だったこともあり、ひたすらにその酸素をむさぼるように吸い込む。私はMRIが苦手で、以前検査のときに酸素ボンベのお世話になったことがあるが、その時吸った酸素と同じだ、という感覚が呼び起され、ああ、生き返った、助かった、という気持ちになった。右腕の落ち着き具合がいまひとつ、というお話をセッション前にさせていただいていて、「右腕の様子はどうですか?」というお尋ねがあったが、身体は、今はとにかく酸素を吸い込みたい、の一択で、言葉を発する余裕がまるでなかった。

このあと、右腕をぐるぐると回すなどしたのち、お尻のあたりから両脚にかけて一気に脱力する。その時の力の抜け具合は、いままでの11回のセッション中、いちばんだ、と感じたほどで、お尻から下が、まるでスライムになってセッション台に広がっていったかのような感覚があった。続いて、左腕の助けをかりて思いっきり首を右側に向ける動き、そのあと、体を丸めていると、ぶるぶるとした震えがきた。

しばらくして浮かんできた情景。うすいピンク色、柔らかい黄色、透明感のある水色が、光に溶けて空間を彩っている。そしてそこには、茎からのびた蓮の花。花は咲ききって、台座のような形をしており、その花びら一枚一枚は、柔らかくてふっくらとした白い羽から出来ている。そして、その台座にのっているのは、ふっくらと丸くて、やはりそこの空間を彩っているのと同じ色からなっている生きた何か。絵文字によくある、目を閉じてニッコリしている顔をしている。向かってちょっと左側の頭部には、王冠のような形をした頭飾りのようなものを備えている。そのものを目にした瞬間、なんの疑いもなく、「あ、私だ!」と確信する。なんて愛らしいのだろう、穏やかな雰囲気を醸し出しながら、“ただただそこに在る”、という表現がぴったりの佇まい。

場面は変わり、こんどは、真っ白の空間。木の原型を想起させるやわらかい緑色のものが、地表面にあらわれる。それがあっという間に普通の木へと成長、そしてその幹の部分が、長方形の扉へ、と変化していく。その扉は、色はアイボリー、大きさの割にはしっかりとした厚みがあり、表面にはちょっとした装飾も施されている。目を引くのは、そのドアノブ。温かみのある、すこし焦げ茶色の混じった茶色で、いい具合に丸みを帯びている。手でつかんだら、間違いなく手にフィットするのが見ただけで想像がつきそうなもの。

扉に目を奪われていると、前述の「私」の座っている台座の部分をなしている、白い羽が大量にふわふわと上から舞い降りてきて、こんどは木の葉っぱの部分を、あっという間に覆いつくしていく。葉の部分が全く見えなくなると、今度は地面もその白い羽で埋め尽くされる。葉っぱの部分と地面とが完全に白い羽で覆いつくされ、残ったのは扉のみ。先ほどは気が付かなかったが、扉が少しだけ開いていて、向こう側の様子が黒く見えた。

また場面が移り変わる。光に満ちた空間のなかで、私は、体の前に両腕をそろえて突き出して、手のひらが上になるように腕を返している。その両腕から透明なやわらかい何か、がこんこんと湧き出している。その何かを、私は、「正真正銘の幸せ」、と感じている。私はわけもなく、ただただ嬉しくて、その幸せをありとあらゆるものに分け与え続けているが、でも差し出したそばから、また湧き出してきて、減ることが一向にない。私は分け与えている間、ずっと笑みを浮かべている。とても豊かで、ふんわりとしたひろがりのある感覚が体に満ちている。かなり長い間、それを繰り返した後、ふっと上を見上げると、大きな白い鳥が、光を背景にして羽を思い切り広げ、空中に浮かんでいる情景が視界いっぱいにひろがった。

しばらくその白い鳥を見つづけていると、それまでに起こったすべての出来事が、きゅっとまとまりをつくり、なにかに収められていく感覚が立ち上がる。場面がかわり、情景の上半分を占めて大きく目に映ったのは、セリフの吹き出しが真ん中で上下にわかれたうちの、下半分の線、で、その吹き出しの先に繋がっていたのは、短い草があちこちに残る広い地面に、手足を少し大の字のように広げて、目を閉じてあおむけに寝転がっている私自身、それが情景の下半分。いままでの出来事は、私が見ていた夢だったのだろうか、と思わされる光景だった。

そのあと、セッション台から床に転がり落ちる。体全体がじんじんとする感覚をしばらく味わったのち、視界に映ったものは、カブトムシの幼虫が地面のなかに横たわっている姿を断面からみたもの。幼虫は、地面の中で、柔らかく、おだやかな光に照らされている。落ち着いた静けさのなかで、体の周りの土とうまく折り合っている感じ。どちらか一方が寄りかかっているのではない、互いに信頼しあって、必要な時には申し分のないタイミングでお互いが助け合う感じ。絶妙なバランスを保って横たわっている感じ。全体の姿、すべてのパーツの形、色、どれをとっても申し分のない、幼虫のなかでコンクールをしたら、上位入賞間違いなし、というイメージ。幼虫を取り囲む土は、均一の細かな粒子からなっていて、その質感と色が、前述の扉のドアノブのものと、見事に重なってくる。生育環境としては、これもまた申し分ない、というイメージ。その光景を目にしている私は、とても悠々として、ちょうどいい具合に落ち着いた心持でいる。そしてなによりもあたたかな、じんわりとした幸せに満ちていた。

ほどなくして視界にあらわれたのは、大きくて立派な、オスのカブトムシ。角があまりにもりっぱで、私は右手を前に突き出して、手指を動かしながら、その形をおもいきり表現しようとしていた記憶。自分はカブトムシとして生まれるのだな、と思った瞬間、そのとなりに並ぶようにして現れたのは、オスのクワガタ。形状は明らかにオスなのだが、わたしは、メスのイメージを重ねて見ている。自分は、このクワガタとして生まれるのだ、と思った。

それに続く光景。私は、アイボリー色の、適度に明るくて、そんなに狭くなく、柔らかいイメージをもった場所にいて、そこから、外に抜け出そうとしている。出口を求めてひたすら進むのだが、ここかな、と思って進むと、やわらかな弾力のあるものにやんわりと押し返されてしまう。何度も何度も出ようと思って挑戦するのだが、同じことの繰り返し。外に出ようとする私自身の意志に全く揺らぎはないのだが、何度やっても出られないので、その場所で体育座りをして、さてどうしたものか、と思案しはじめる。その時点では、苦しさや、辛さといったものは全く感じていなくて、なんだか解けないパズル前にして、どこから取り掛かったらよいのだろうか、と考えている気分。

出ようと思っても出られない、ということを田畑さんにお伝えすると、私の頭に両手を添えて動きを助けて下さる。助けていただいたことで、外に出ようとする頭部の感覚が少し鮮明になる。上述の場所からはすでに出ているようだが、どこを進んでいるのか、まったくわからない。なんでもよいから、とにかく出ようと無我夢中な気持ちでいっぱいになっている。

うまく出られたのかどうか確信がないまま、しばらく動きを止めてじっとしている自分に気が付く。田畑さんに「どうですか」と声をかけていただいたときに浮かんできた自分の姿,それは、首を右に捻じ曲げ、体は奇妙な形にねじれている。大きな不規則な形をした黒い溝が二ヶ所見えて、全体が三つにバラバラになっている。頭は鮮明に働いているのだが、身体感覚からすると、ヒトとして生まれてきた感覚がおよそ浮かんでこない。仮死状態のような気分。そのことを自分で認識すると、姿、形はともかく、とにかく外に出られた、というなんだか少しほっとしたような気持ちがこみあげてきて、「生まれてくるのが苦しかった」といって号泣してしまった。

‐セッション後丸2日間、問いかけられるときちんと答えられるのだが、自分から言葉を発することがなかった。それは、話をしたくないから話さない、というのではなく、しゃべる言語を持ち合わせていない、といった感覚だった。

‐セッション翌日、右側の骨盤のすぐ上あたりがとても自由になった感じで、背骨を中心にして左右に腰をとてもスムーズに回転できるようになっている。背面右側に隙間ができた感じ。

‐セッション数日後、明け方に見た夢。知らないものどうしが何人かで集まって、孤児院のようなところを訪問する。道幅があまり広くなくて、すこしくねくねとした車道沿いを、まあまあ長い時間をかけて、てくてく歩いていく。広くない道だが、白いガードレールが歩道と車道をしっかりと分けている。孤児院は、そんなに大きくはないが、つくりがしっかりとした印象の建物で、入り口の前にはかなり年配の、園長と思われる男性が立っている。ちょっといかめしい顔をして、私たちが到着してもなにもしゃべらない。入口から中に皆で入っていくと、そこには満面の笑みをたたえて、私たちを歓待してくれる女性が一人。「ようこそいらっしゃいました、ここの子供たちは、めったに訪れる人もないものですから、今日は皆さんが来てくださって、みんな泣いて喜ぶと思いますよ!」と声をかけてくださる。私は、ふーん、そうなんだ、と特段感情を動かされることもなく、中に入っていこうとする。入口に深みのある黄色をしたスリッパがいくつも並べられていることに気がつき、あ、履き替えなくちゃ、と思う。中にはいってみると、小さい子からそこそこ大きい子まで、何人もが列をなして立っている。泣くかもしれない、と聞かされていたので、ちょっと身構えた感じでいたが、泣く子は一人もおらず、私がその子たちの前を通過すると、なんと、一人一人が、小さな贈り物のようなものや、折り紙でおった何かを手渡ししてくれる。私は拍子抜けしてしまい、え?あ、くれるの?と、ちょっとあっけにとられた感じで受け取りながら、皆の前を通り過ぎていく。子どもたちの表情からは、なんだか、意を決してあなたにプレゼントを渡しているのだよ、と私にそれとなく伝えたいような、そんな印象を受けた。

‐心身ともにとてもいい感じで過ごせていたのだが、セッション1週間後くらいに、道路の側溝に自転車のカギを落としてしまい、拾おうとして側溝のおおいを持ち上げたときに、左足のお尻のすぐ下あたりで、ブチっと何かが切れたような感触があった。それから一気にバランスが崩れてしまい、左脚で痛みがあちこち動くような状態になってしまった。特に膝内側、お尻に痛みがたまることが多く、バランスボードでなんとかしのいだが、なんとなく不具合が残った状態でいる。

‐この後、歯磨きをしていたら、突然左上の顎がとてもゆるんだり、散歩で腕をふって歩いていたら、うまい具合に左ひじが緩んで、左肩の後ろの可動域がぐっとひろがったり、アクシデントをカバーするようなよい動きが起こっていたのだが、こんどは、歯医者で、右側のかみ合わせがほんの少し高かったのを調整したとたん、本当に不思議なのだが、首の力が一気に抜けて、しばらくうつむいたままでしか頭を保てないようになってしまった。そのあと、あんなに深くできていた呼吸ができなくなったり、気分が悪くなったりと大変だったのだが、しばらくして身体がうまいバランスを見つけて再び整ってくると、今まで感じたことのなかった、口の中の位置感覚、特に右側の歯の感覚がはっきりとわかるようになってとても驚いている。それと、右側手術跡あたりにはっきりとした体の支えができたのを感じている。

‐右腕の収まり具合は、一進一退という感じできたが、数日前から、急に上腕部が後ろに引ける感覚がめばえてきて、それとともに、肘から上と下の動きは違うのだ、ということが初めてはっきりと意識されてきた。右上腕部の変化とともに右肩あたりが緩んできて、それにつれて左下肢がまた緩んできた感じがある。

私は、今回のセッションで、あの愛らしい存在に会うことができて、ただただ幸せです。

田畑さん、本当にありがとうございます。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション11 (Mさん)

セッション11回目

田畑さんと対峙すると、私は毎回ただただ‘無’になる。セッション台に体を横たえて目を閉じると、始まりがどこで、終わりがどこなのか、またそれさえもあるのかないのかわからない、広大ななにかを覗き見る感覚が、すっ、とやってくる。ひたすら‘無’となった自分は、ずっとあるがままで、やがてそのなかにどっぷりと浸りだす。

その感覚に戻りたくてしょうがなかった。やっと戻ってくることができて、今回はかなり気分が高揚していたように思う。

‐顔を左に向けて目を閉じていると、浮かんできたのは海のイメージ。見た瞬間に、わっ、と心奪われる、青の色。深みがあるけれど重くなく、言葉には表しがたい絶妙な色、その青が、波を思わせる、こちらもまた落ち着きがありながらも軽さも感じる、とても好ましい白、と層をなしている。私はその情景を目にするやいなや、体を伸ばすだけ伸ばして、元気いっぱいに泳ぎだす。泳ぎながら、その青と白の景色の質感が、これもまた自分の好きな感じ~高級な画用紙、高級なカンバス、のような、しっとりとして落ち着きの感じられる質感~であることに気づくと、体中にエネルギーがどんどん満ちてくる。気分は絶好調、言葉にすると、「よっしゃーっ!!」とでも例えることができそうなほど。

しばらくすると、今度はエメラルドグリーンの海の中を、海面に向けて思いっきり体を伸ばしながら昇っていく体感、幾つもの細かい泡の粒が立ちのぼっていたから、ダイビングでもしていたのだろうか。そのエメラルドグリーンの色を見た瞬間思い出したのは、高知県へと向かう旅の途中、ふと車窓に目をやったときに、思いもかけず視界に飛び込んできた川の色。そのなんともいえない美しい色に釘付けとなった、あの川の色とおんなじだ、と思いあたると、とてもさわやかで軽やかな気分に満たされる感じがした。

その後しばらくすると、こんどはおぼろげな島の姿が浮かんでくる。ぼんやりとした景色なのに、それを感じた瞬間、私は、‘あ、江の島だ’、と思う。子どものころ、海水浴といえば、江の島海岸だった。自分が子どもだった時の記憶は、写真でみる以外にないけれど、自分が親になってわが子を何度か連れていったときの記憶がよみがえる。最寄りの駅までの電車の中から、すでに海水浴気分の乗客たち、人々で溢れかえる砂浜、カラフルなパラソルの色、水着の色、砂の上をあるく足裏の感覚、お世辞にもきれいとはいえない海水の色、午後になると適度に波がでてきて、浮き輪をつけてその波と戯れる楽しさ。なにより、ふと視線を上げると、右前方にいつも江の島がいてくれることの、大きな安心感。

関西や日本海の、人の多さも適度で、透き通ってきれいな海も知っているわが子は「人が多すぎてうまく泳げないし、潜っても水が汚なくてなんにも見えないよ~」とよく言っていたけれど、私は「海水浴は、やっぱり江の島がいつも見えるところにいてくれる、江の島海岸が最高さ!」と思っている、そんな気持ちにずっと浸っていると、江の島の奥に、オレンジ色の夕焼けが水平に広がりだす。徐々に涙があふれてきて、少しだけ声をあげて泣いてしまうが、最後には笑みも浮かべていた。

そうこうするうちに、こんどは上体を起こそうとする動き。今回起こそうとする動作のときに、例えると、適当な厚みのあるバームクーヘンを4つ位に切って、左右は解放、上下のカーブだけが残っている形をしているものが目の前にあらわれる。私は、それを、なんだか橋のようだ、と感じている。その曲がりに沿って、その形の真ん中に、黒くて、弾力が感じられる、ゴムのような質感のものが集まってできたような物質、決して太くはないけれども、十分な太さと強度がある、とかんじられる1本のものがある。そのものが、私が起き上がろうとする方向に力強く安定感のある流れをつくっていて、起きようとする私は、その流れにそって自然と体を起こすことになる。10セッション中、体を起こす動きのとき、「体のどこにも力を入れていないのに、どうしてこんなことがスムーズにできるのだろうか」と、身体の不思議さにいつも驚かされていたけれど、今回のこの出来事に、「起き上がる動作は、自分ができるとか、やっている、ではなくて、そちらに流れがあるから、ただそちらに自然と移っていっているのだ」という気持ちになり、なんだか大きな発見をした気分であった。

起き上がって、セッション台に腰を下ろす。両腕を、肘からだっただろうか、後ろに引いて、肩甲骨を動かしているような動きをしながら、上半身を起こしたり、腰から前かがみになって広げた足の間にうずめていくことを交互にしている感覚。上半身を起こしているときには、ただ真っ白な情景がうかぶ。その白は、最初に出てきた波の白とは対照的に、無機質で、なんだかとても冷たい印象の白。両足を広げ、その間に上半身を倒していく動きの時には、ただ真っ黒な情景。のっぺらぼうな黒、なにも語りかけてくる気配のない色。

これらの動きを何度か繰り返したあと、上半身を起こしたままにしていると、目の前の情景は、上半分は白、下半分は黒、と真ん中から真っ二つにわかれたものとなる。その景色を目にしていると、涙があふれてきて、いや、そうじゃないんだ、これは違う、という強い気持ちが湧いてくる。涙を流しながら、どんどんとその気持ちが強くなっていき、涙とともに、こういう状況は払しょくするのだ、この情景とはきっぱりと決別する、という気持ちが、腹の中から湧き上がってきた。

田畑さんに促されて歩いてみると、上述の強い気持ちが歩みにそのまま乗り移ったかのようで、一歩一歩が力強く、腹のすわった歩みだな、と感じていた。

‐今回のセッションでは最初から最後まで、息を吐くことに重きを置いていたようで、途中、呼吸に意識が向くと、いつも深く息を吐いていた。10セッション中では、自分が呼吸をしているのか、していないのかがわからなくなって、‘ん、私は生きているのだろうか?’と、意識して息を吸ったり吐いたりして、大丈夫なことを確かめることが度々あったが、吐くことにここまで重きをおいていたのは初めてのことだった。

‐不思議だったのは、どのタイミングだったか、上体を起こして白い情景を目の前にしていたときに、何かの匂いを感じたこと。なんだろうか、としばらくその匂いを感じていると、それは、前のセッションルームで一度だけ感じたことのあったアロマ?の香りへと変化し、しばらくその匂いを感じていたが、すっと消えていった。

‐セッション後、自分の思いをただただ語ってしまった。帰途、山手線で品川に着く2,3駅手前で、マスクをしていないことにはっと気づいて慌ててしまった。その時点までセッションにすっかり浸りきっていたようであった。

‐セッション翌日からしばらく、首の右側、そこから少し下がった肩、背中のあたりが強烈に凝った感じだった。10セッションの時にもこのあたりが凝った感じはあったが、そのときよりもすこし範囲が狭まって、そのぶん凝った感じの強度がかなり増した感触。あ、ポイントはここなのだな、と身体に教えてもらったようで、なぜか、一緒に頑張ろう、と身体に自然と話しかけていた。

‐セッションから2週間後くらいに、左の鼻から出血、左鼻の奥から、血とともになにかが流れ落ちていった感じがした。

‐セッションから3週間後くらいに、椅子に座っていたら、腰の上に上半身がうまく乗って、体がぎゅんと上に伸びていくことを体感する。その少し前から、肋骨の下の線に沿って、腹側、背中側、左右体側とも、動きの自由度がかなり増していることを感じていた。それにともなって、着地面の足の安定感が一段と増した感じがする。

‐そのころみた夢。幾つか短い夢をまとめて見ていたようで、ごちゃごちゃとして、内容ははっきりと覚えていないのだが、結論として、「自分で決めこんで、だからこうなるんだ、と勝手に思っているだけなんだ、実際は、流れとしてこんなにうまく事が運んでくれるんだ」、という感想を持って目が覚めた。

‐最近、こころのバランスボードに乗ると、右足をおもいきり外側に開き、右肩をしばらくいろんな形で回してから、足を戻し、そのあと、両足の間隔を狭める動きをして、上方に伸びていく、というのが続いている。

‐5月の連休中に、小田和正さんのコンサートが放映されることにたまたま気づいて、最近聴いていないなあ、久しぶり、と思いながらチャンネルを合わせた。穏やかな表情で、自分の気持ちを素直に歌詞にして、それを音に乗せて、語りかけるかのようにすっと届けてくれている小田さんの歌声を、耳ではなく、身体が受け止めている気がして、なぜか涙が止まらなくなってしまった。

途中インタビューがあって、「自分はとにかく人と話をすることが嫌でしょうがなかったが、コンサートを続けているうちに、何故か歌いながら振りのようなことを思いもかけず自然としてしまって 、‘おれ、何してるんだ?!’と自分でも思うことがあったり、ふとステージから降りてみると、みんなの笑顔があふれていることに気が付いたりして…」自分が変わっていった、というようなことを、ほんとうに穏やかな表情で語っていた。学生の頃、解散間近か、といわれていたオフコースのコンサートを見にいって、ただただストイックに曲を重ねていく小田さんの姿がなんとなく思い出されて、ああ、あの頃はそうだったんだ、でも人はいくつになっても鮮やかに変わることができるんだ、と思わされ、その姿を今の自分に重ね合わせてしまったための涙、だったのかもしれない。

心身を根本から見直す必要を感じて 10シリーズ後 (Mさん)

‐1月下旬、散歩をしているときに、右側開腹手術のあたりがバリ、バリ、と音をたてることが数回続いていたのだが、最終的には、バリバリっとなにかが広範囲に剥がれた感触につながった。痛さなど何もなかったのだが、自分でも、え、これ、大丈夫かな、と思うほどの変化だった。

‐その数日後、横になっていた時に、右腰が思い切り後ろに引かれて、しばらくそこだけ違和感があったが、上述の変化とあいまって、右腰のあたりの自由度、特に上に伸びる感じがスムーズになったと感じる。

‐顔を左に向けると、左顎の下の首あたりがぼきぼき音を立てることが数回続き、その後日、左顎がずれた感覚があり、しばらくしてずれが戻ったかと思ったら、左耳の聴こえがよくなっていた。聴力検査をしてもいつも問題なし、となるのだが、なんだか薄皮一枚かかったような感じでいたのが取れてびっくりしている。

‐左足の甲がどんどん緩んでいることを感じる。それとともに、左足指の間隔が拡がり、足裏の着地感が増している。左脚は全体としてなにかがごにょごにょとうごめいている感じが続いている。

‐2月上旬に見た夢:大教室で田畑さんから講義を受けている。田畑さんが「ここで休憩を入れます」とおっしゃると、私は、「子どもを迎えに行かなくちゃ」と席を立つ。広場?のようなところで飛び回っている子どもを見つけ、こちらにくるように声をかけるが、一向に遊びをやめる気配がない。私は「またかぁ…」と思いつつ、しばらく様子を見ているが、あきらめたように自分の家?のような所へとかえっていく。そこには10セッション中に見た夢に出てきた、CGのような人?物?が複数人、長机に向かって座っている。私が「そのうち子どもが帰ってくると思うので、世話をお願いします」というと、皆うなずいてくれる。教室に戻ろうと思って振り返ると、そこに活発そうな女の子の笑い顔がアップになって目に入る。私は、‘あ、○○(自分の子供の名)じゃない’と一瞬思うけれども、何の違和感もなくその子を受け入れて、「やっと帰ってきた、さあ、授業にもどろう」と思って教室へと帰っていく。

‐3月上旬に見た夢:真夜中、どこの学校の校庭にもあるような手洗い場で、「うがい手洗いして、皆のところに帰ろう」と思って蛇口をひねろうとしていると、急に頭が右側に強くひねられる。だれかに触れられているような感覚はまったくない。私は頭をひねったまま、「殺される~」と思いながら覚醒する。目が覚めても、しばらくしっかりと右を向いたままでいた。殺される、と思っていたわりには、夢の中でも、目が覚めてからも怖さなど全く感じていない。起きてみると、右首と右肩の間にしっかりと余裕ができたように感じた。

‐その後数日たって、首を左に倒したときに右首のあたりで、なにかがボキっと外れたような感覚があり、それと同時に左膝内側にジンジンとした感じがおこり、意外なところ同士のつながりを大発見したかのようで、なんだか面白かった。

‐3月上旬に、急に尿の色が透明できれいなレモン色に変化する。一目ではっきりと変化を感じたほど。私は服薬したり、サプリ等も摂取していないし、なにか特別な食事をとった覚えもないので、体内でなにかしらの変化があったのだろうと思う。これは本当に凄いことだな、と感激している。

ご家族のサポートの合間を縫って遠方から

心の平安を求めて

認知症のご家族を介護中の方で、今一番自分が求めるものは「心の平安だ」ということにお気づきになられ、体を整えることで、心も整い、自分を取り巻く周りの状況も変わってくるのではないかという動機で10シリーズロルフィングを開始されました。

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