ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: 喪失感

芸術家の方

医師でもあり、美術を中心に活動されている方の10シリーズ体験

1回目

〈セッション中のこと〉
セッションの始まり
繰り返し浮かぶ言葉「ここ(この世界)にとどまるために、ここ(セッション)に来た」

右足
自分の身体が、実はとても良いものだという、あかるい感触。
宇宙船を出航させる前に、クルーを一人一人起こしてもらっているような感覚。
自分で思っていたより有能なメンバーが揃っていると感じる。

腹部
急に腸が喋りだした感じ。べらんめぇ口調。
「オレはもっとすごいんだぜ。どうせうんこの通り道くらいにしか思ってなかったろ」

頭蓋骨
琥珀の色。緑よりの色と、赤よりの色が繰り返し現れる。

〈セッション終了後の変化〉
・歩きやすくなった
・字が大きく書けるようになった
・関節炎になってから、お盆やお皿が持ちづらかったのが、片手で持てるようになった
・腎機能が良くなった気がする(排尿が増え、むくみが引いた)
・重いものを持ったり、無理な姿勢をした後、自分で少しずつ重心を変えたりして、負荷を調整できるようになった
・車の急ブレーキなど、突然の衝撃を少し柔軟に受け止められるようになった
・起きた時に、ひどく疲れていることが無くなった。
・セッション終了後、10日目を越すと変化はおさまって、セッションとの繋がり、集中力のようなものが一度途切れる感じがした。
水槽の水をかき混ぜた後、砂が沈殿して元に戻るイメージ

〈ロルフィングについて〉
自分の身体との通信回路を作ってもらっている感じ。
あるいは、間違った位置のまま根をはってしまった植物を植え替えてもらっている感じ。

2回目

〈セッションがはじまるとき〉
なぜか、「猫がいる」という強い感覚。
焚かれていたセージらしき香りからの連想か。
以前、ユング派の先生に夢分析を受けていたときも、夢のシリーズの最初には、すぐには意味のわからない、暗示的なモチーフが出てきたことを思い出す。
〈はじまってから〉
少し緊張しているかなと思い、なるべく力を抜こうとしたとき、「そのままでいい」という感覚が来る。
「緊張しているのが悪い、リラックスしているのが良いという判断をしないこと。
身体は一枚の絵画と同じように見ることができる。様々な色と質感のバリエーションの組み合わせであり、そのどれもが正しくも悪くもない。ただ隣り合った絵の具の間に不調和があったり、全体の中で浮いている部分があるというだけ。そして、その不調和でさえ、作品としてあえて意図された場合には、的外れではない。きみは、知っているだろう。」
というようなことを、静かに「場」が語ってくれているのをただ聞いている感じ。
前回の腸のおしゃべりについても、
「腸が特別なのは、内側にある外側だからだ」と。
〈頭部への施術のとき〉
前回は、琥珀のようなビジョンが繰り返し現れたが、今回はそれが少し流れている感じ。深い飴色の渦がゆっくりと動いている。
〈セッション終了後の変化〉
・左足を後ろまでけり出せるようになった。
・なぜかずっと、骨盤の中の「腔」について思っていた。でも、思っていただけで、何も分からなかった。
・以前は、痛みが出るまで無理な姿勢をしていて、痛いところを強くさすったり、関節をぐるぐる回したりしていたが、少しずつ違和感の段階で気がつけるようになり、ちょっと重心を変えたり、弱い力で伸ばしたりすることで解決できるようになった。
・ひとつの動きをするのに、身体のいろいろな部分を同時に動かせるようになった。
(そうできなくなっていたことにも気がついていなかった!)
・いつのまにか頭痛が無くなっていた
・前回劇的に良くなっていたむくみはまた少し出てきている感じ

3回目

〈セッションの前〉
1回目2回目と面白い経験をさせていただいて、3回目もとても楽しみにしていたのですが、なぜかセッションの数日前から出かけていくのが少し重たいような感じで、軽い抵抗感があり、不思議に思っていました。
今から振り返ると、セッション開始から終了まで、それから今までの期間を通して、心理的な課題と向き合っていたようです。そのことから起きる抵抗感だったのかなと感じました。〈セッション中のこと〉
横になる体勢で、背中を丸めるか伸ばすか意識したときに、幼い頃、母に打たれた記憶が思い出されました。
フラッシュバックのようなものではなく、水族館で水槽を眺めている感覚です。
平手打ちされるときに、思わず体を縮めて手で頭をかばってしまうことがとても惨めで、なぜ毅然と背を伸ばして立っていられないのだろうと思っていました。気持ちが萎縮して、どんどん背中が曲がっていく私に、父はよく後ろから肩をつかんで胸を張らせるようにして「背筋を伸ばしなさい」と言いました。自分の身体は、縮こまることも伸ばすことも、どちらにしても強制されるのが嫌だったんだと思いました。その後も、姉が亡くなった時のこと、治療家を辞めた時のことなど、人生の大きなイベントがセッションを通して映し出されるようでした。
医師だった時、心理療法の先生から、患者の病的なものを一度自分の中に吸い込んで、そこから解消させていくタイプの治療家なのではないかと言われ、そんな風に意識して患者の治療を手がけることで自分なりのスタイルを作ろうとしていたこと。(でも、その方法では、すぐに限界が来るよなぁと。当時は分からずもがいていたことが、現在、水族館の水槽越しだとあっさり見えて来るのでした)
その少し後、15年間、膠原病と生きてきた姉が急変した時、私は姉の病気を自分の中に吸い込むどころか、病そのものに触れることもできなかった。姉は、大切な秘密の恋人みたいに膠原病を大切に抱きしめていて、そのまま逝ってしまいました。
そのことで自分にがっかりしていたことや、医師の仕事にこだわっていたのは、患者ではなく自分が救われたかったからだと感じて、それ以上続けられなくなっていったことなどが、順番に思い出され、それにただ「そうだったね」とうなづいているような時間でした。〈セッション後のこと〉
帰り道、歩き始めると、身体が3分の2くらい地面に沈んだように重く、それなのにふわふわと軸がぶれて安定しない気持ちの悪い感覚がありました。母との問題に取り組み続けていた30代後半まで、ずっとそんな体感で生きていたことを思い出し、今は恵まれているなと思いました。体は、暴力も他の出来事と区別せずにこうして律儀に保存していて、年月を経ても、心理療法を受けても、母本人が亡くなっても、それは変わらずに私の中に折りたたまれていて、ことあるごとに現れるのです。それどころか、歳がいくほどに、身体は遺伝するカタチを露わにしていくようで、鏡を見るたび親の姿が見えるのではないかと気持ちが寒くなる。なんだか理不尽な思いがしました。
暴力に苦しんだ友人や患者と、彼らに刻まれた傷を思い出したら、圧倒されるような無力感を感じ、そのすぐ後に、肚の底から強く、生命に暴力は必要ないのだという感覚が湧き上がってきました。それから1〜2週間は、仕事などで父に似たタイプの男性に会うことが多く(寡黙で感情表現が不十分。いわゆる理系タイプ)、これまではそういう人に好意を感じることが多かったのに、変に腹が立つことが増えてきました。それで、自分は母に対して感じていたのと同じくらい父にも腹を立てていたのだと気がつくことができました。
全然違うタイプの夫(感情豊かでおしゃべり、コミュニケーション命の男性)と結婚している理由もよくわかりました。心理的には振り返るのが辛い課題でしたが、今までの自分が作ってきた今の暮らしは、なかなかよく出来ていると思えたのが良かったです。
身体は、30代くらいまでの(多分抑うつ傾向が強かった頃の)様子に近く、便秘がちで、動悸がしやすく、ギクシャクとした感じ。
ただ、不眠症は再発せず、仕事や作品制作がハードな時期も動きが鈍ることなく、十分に機能することができました。
制作で立ったままずっと下を向いて絵を描いていたりしたせいか、股関節の痛みと、歩く時のアンバランスな感じがまた出てきてしまいました。
せっかく、微妙な調整をしていただいている時なのに、身体を雑に扱ってすみません。

4回目

〈セッションがはじまったとき〉
1,2回目にもありましたが、普段は思い出さない記憶が断片的に浮かびました。
今回は、30代半ばで一番貧乏だったころのこと。なぜか小麦粉だけはたくさん持っていて、よくパンやビスケットを焼き、うどんを打ち、結局は豊かな食生活だったことなど。
それから、前回のセッションのことを思い出し、両親のどちらにも怒っていたのなら、早く亡くなった姉にも怒っているのかもしれないと考えると、それに反して姉に対する甘い慕情のようなものが激しくこみあげてきました。
すると同時に、死神先生が現れ(私の想像上の存在で、生まれてすぐに凍えて泣いている時に、枕元に立ち、生き残り方を教えてくれた男性)、
「涙は内側へも流れるのだよ、レイコくん」と。
死神先生、変なしゃべり方だなぁと思いながらも、意識を眼球の内側へ向けてみると、たしかに強い流れが頭の中を通って下へ(その時は横になっていたので、耳の方へ)と向かうのが感じられました。
セッションが進んでいくと、身体の感覚が変わり、枠組みとしての硬い骨に肉や内臓が付いているのではなく、皮の袋の中の柔らかい肉の中に小さな骨が浮いているような心持ちになってきました。
そのあと、重心が身体の外にぽーんと飛び出していく感じがしました。
〈骨盤の右側〉
コーヒーの染みがついたまだらな布巾のイメージが浮かび、何か病的なもの、違和感のあるものを連想し、亡くなった母の病気が卵巣癌だったことを思い出しました。
自分が卵巣癌になったら、夫は母に私を奪われたと感じてひどく哀しむだろうと、そのことを潜在的に怖れていたのだと気がつきました。
そしてまた、死神先生。
「その意識と戦ってはならない」と。
鐘が鳴るように、明確な言葉の響き。
私は、卵巣癌に対しても、他の病いに対するのと同じくらい開かれていようと思いました。
〈骨盤の左側〉
左側は、右側とは対照的に、青く透明で空っぽなイメージ。夜の室内プールのような。
〈セッションの後半〉
直径30センチほどの太い筒がうねりながら頭上から出ていくような感覚が数分間続きました。
〈4回目のセッションを終えて〉
身体の重心が変わって姿勢が違うのが、セッション前後の写真でもよくわかりました。1〜3回目までは、先生に説明してもらって、よく見てみるとなるほどそうだなという感じでしたが、今回は自分でも一目で違いが見てとれて嬉しかったです。
〈セッション後の変化〉
新しい靴がなかなか馴染まなくて、いろいろな歩き方を試していたとき、この歩幅
、このリズムで足を運ぶと気持ちがいいという感覚が初めてわかりました。どこかへ行くためとか、運動のためといって歩くことはあっても、気持ちいいから歩くということはこれまであまりありませんでした。
身体の気持ち良い感覚は、見つけようと思いさえすれば、もっとたくさん、いろいろなバリエーションで味わえるのかもしれないと思いました。

5回目

〈セッション開始前〉
セッションに向かう途中のバスの中で、前に座った女性の呼吸が少し早く、それでも苦しそうというわけでなく、リズミカルにコートの襟が上下しているのがなんだか愛おしいと思いました。
そのことから、昔飼っていたチンチラというウサギに似た小動物のことを思い出し、セッションのはじまりからほのぼのと心地よい気持ちでした。
〈セッションのはじまり〉

黄色とオレンジの色が繰り返し現れました。それが、先生の立つ位置によって少しずつ変化し、鮮やかで透明感のある青と緑へ。その色からフィジーへ行ったことを思い出しました。

体験ダイビングで海に潜り、たくさんのきれいな生き物を見せてもらったとき、通り過ぎた他のダイバーを見て、とても嬉しくなり、やっぱり自分は人類の身体が一番好きだとわかったこと。それが、なんだか爽快に負けてしまった感覚で、気持ちよかったのを思い出しました。
色がどんどん変化していき、紫のむこう側や、赤のむこう側のことが気になり始めました。
画家のジャクソン・ポロックやマーク・ロスコーは、色の向こう側を人々に見せようと挑戦してくれたんじゃないかと不意に思いました。
左側の施術。
空っぽのイメージ。
空の部屋に何か並べなおす感覚。
右側は、対照的にいろいろ散らかっている感じでした。それらを左に移すのかとおもったら、さらに右に流して、外へ出してしまう感覚。
左頭部への施術。
墨の黒〜紫のインクのにじみが現れ、じわじわと輪になって遠くへ行く映像が繰り返し現れました。
〈セッションの後〉
いつもバスで帰っていたところ、急にたくさん歩きたい気持ちになって、歩いて帰りました。
途中、喫茶店でランチを食べましたが、スープが胃にまっすぐおりていく感覚があり、驚きました。今まで、食道も曲がっていたのかもしれません。
また、鼓動の響きが気持ち良く感じられるようになりました。
ありがとうございます。

 6回目

〈セッションの前〉

バスの中でとなりに座った小さな女の子が、まだ大きめの学校の制服を着て、じっと座っている佇まいが可愛らしく、とても印象的でした。

これはセッションのプロローグみたいだなと思った時、ロルフィング10シリーズの自分なりの体験の仕方がわかった気がしました。毎回短い物語を読むように、身体や空間が語るものを聴いている、そんな感じです。
〈セッション中のこと〉
うつぶせになっての施術。たくさんの色が感じられました。
先生が立つ位置によって変化し、
右頭部では、彩度の高いこげ茶
左足の時は、濁りのある濃い青
右頭部で、やや濁りのあるワインカラー
そして、その都度何かの流れが、斜めにまっすぐ走る感じがしました。
それから、不意に夫に対して「ごめんね」という気持ちが湧いてきました。何か悪いことをしたとか、悔いていることに対してではなく、ただ明るい心持ちの「ごめんね」でした。
そういえは、さきほどのバスの女の子にも何度か「ごめんね」と言ったことを思い出しました。(荷物が多くて邪魔だったり、降りるのに道を開けてもらったりした時に)
それは、おばあちゃんの「ごめんね」だなと思いました。何か都合の悪いものを相殺するための言葉ではなく、春の明るい空に浮かぶ丸い雲みたいな「ごめんね」。あてどないようでいて、ちゃんとそこにある「ごめんね」。
こんな短かい当たり前の言葉に、こんな大きな違いが隠れていたとは驚きでした。
右上腹部への施術の時は、急に雰囲気が変わり、肝臓がおどけて歌い出した感じがしました。
「レバレバ〜、キラキラエコー脂肪肝♪」と言いながら、ぷうっと際限なく膨らんでいく感じ。
このおかしなテンションは?とたずねると、疲れすぎているから、と。
どうぞおとなしく調伏されてくださいとお願いしていたら、だんだん鎮まっていきました。
作品の制作でお世話になっている先生は、作りすぎの過労で腎臓を悪くされたので、とくに根拠もなく、自分の場合も腎臓に来るのかなと思っていたけれど、肝臓に無理をかけるタイプなのかもしれないなと思いました。
無理をするときの主軸になるということは、その人の強みだった部分こそが病気になりやすいのかなとぼんやりと考えを巡らせました。
それからは、身体のあちこちで起きていた小さな拘縮が解けていく感じ。
最後の写真での確認では、背骨がストレートバックから、自然なわん曲に近づいているのがわかって嬉しかったです。
〈セッション後の変化〉
・しばらくハードなスケジュールが続いていたのですが、風邪もひかず、ほどよく元気に乗り越えることができました。
・外反母趾や股関節の痛みが少なくなりました
・漠然とした感覚ですが、変化に対して開かれていることができるようになった気がします

7回目

〈セッションの前〉
前回、プロローグがあることに気がついたところでしたが、そうしたら今回はそれらしい気配がなく。毎回、ロルフィングってこういうものなのかな?と少し分かったような気がしては、するりとかわされてしまうことの繰り返しのようです。
〈セッション中のこと〉

はじまりはとても静かでした。

コンクリートの壁のデザイナーズマンションみたいに、半分無機質で、半分は人を迎え入れている感覚。
先生の立つ位置が右足の時は、オレンジ〜レンガ色。左足の時はブルーグレーと、色のイメージが分かれました。
足への施術では、頭の方まで一本斜めに通る感じがしました。
手への施術
右手が、次に作りたいものについて語りはじめました。ちょっと上から目線の言い方で、「君は、中西夏之の絵のような、優雅で生命感ある余白を修得するといいよ」と。
左手は対照的に沈黙。そういえば、木彫の作品を作っている間ずっと、よく鑿を持って支えてくれてたなと思い出しました。受け止める左手。ドカベンの山田太郎みたいだなと思いました。(とすると、おしゃべりな右手は侍ジャイアンツの番場蛮でしょうか)
頭、顔への施術では、プラネタリウムの星空のようなイメージが浮かび、宮島達男の作品を思い出しました。
そういえば、10シリーズの最初の頃は、
カラヴァッジォやレンブラント、それからターナーやブラマンクの作品が思い浮かぶことが多かったのですが、今回からは急に現代美術へとイメージが変わっているなと思いました。セッションのプロローグが無くなって、物語性が必須でなくなったこととリンクしているような気がします。
〈セッションの後〉
・よく歩けるようになりました。歩くことが楽しくなって、またバスを使わずにアパートまで歩いて帰ることができました。
・身体のあちこちにコイルみたいな小さなねじれがあるのがイメージでき、それを少しだけほどくのを意識してみました。
・よく歩けるようになった分だけ、膝と股関節が痛むようになりました。40代に入ってから10キロ近く太ってしまったので、そのせいかと思います。そういえば、ロルフィングの4〜5回目くらいから、太っていることへの違和感を感じるようになりました。頭で思う、やせなきゃ!とか恥ずかしいいなぁではなくて、身体で感じる、どうも合っていないなぁという感覚です。
・直接関係があるかわかりませんが、10シリーズを受け始めて、20代の後半からあった首の老人性疣贅(いぼみたいな皮膚の老化現象)が、腫れて痛み、引っ掻いて出血することを繰り返した後、今回のセッションの数日後にかさぶたになって取れてしまいました。
〈セッション前のこと〉
セッション前に疲れのピークが来ました。
身体が分かっていて、深部から表面へ「疲れ」を浮かび上がらせているような感覚でした。
セッションに依存しているのかなと少し心配になりましたが、今回(9回目のセッション前)そういうことは起きなかったので、大丈夫のようです。

8回目

〈セッション中のこと〉
先生が左側に立たれた時のイメージ
大きな直方体が雑然と積み上がった感じ。
右側のイメージ
2〜3個の直方体がバランスよく組み合わさっている。
左はFactory、右はHomeだなと思いました。
右側下肢への施術
植物のイメージ。葉芽が出てくるところが思い浮かびました。
台に付いている左の頬から根が生えてきて、足の方から葉が生えてくる感じです。
実際は平らな台の上にいるのに、顔の方がどんどん沈んで、足の方は上へ上がっていくようでした。
「再生の力はその強度ではなく、制御する能力に拠っている」という声。
以前ゲーテの植物論をベースにした講義を受けたことがあり、その時一瞬だけ植物のからだになった気がしたことがありましたが、それを今回じっくり経験しているような感じ。重力との関係が動物とはまるで違うことが分かりました。
背部への施術。
ぐるぐると地軸が回る感覚。水面をかき混ぜて回転させているような感じがしました。
その後、CS60での施術に変わって、少しずつイメージが動物の骨と肉の世界に戻ってきました。一部には相変わらず葉が繁っていて、しばらく動物と植物のイメージが混在している感覚。
それから、普段思い出さない記憶のいろいろが断片的に蘇り、昔飼っていたチンチラ(ねずみやウサギの仲間の小動物です)がこちらをじっとみている気がしました。生きている時と同じように、少し首をかしげた姿勢で、今でもわたしを見ているような。
動物の、身体を通してしか表せないような感情表現のことを考えて、自分はどちらかというとそっちの国の住人だったなと思いました。
〈セッションの後〉
・目の位置が高くなりました。それが、写真でもわかって嬉しかったです。
・痛みの出ていた股関節もなめらかに動くようになりました
・またバスに乗らずに歩いて帰れました
・余計な力が入っていることに、自然に気づいて力を抜くことができるようになりました。
・「正しい姿勢」と意識するよりも、その時その時に合わせていろんな姿勢でいられるようになりました。

9回目

 

〈セッションのはじまり〉
横になった姿勢で脱力すると息がしにくい感じがしました。
先生に、足の方へ呼吸を意識するよう促されると楽になり、解剖学的な肺の呼吸と、体全体でする呼吸とは次元が違うのだと思いました。
今の制作のテーマである、心臓の作品を作ることを考えました。ハグできる心臓。それを思い浮かべたとき、自分の心臓がとても喜んでいる気がしました。
セッションの中で、足を伸ばす動きをしたとき、はじめて伸ばす筋の感触があり、猫の背伸びを思い出しました。
動物の仕草のまねをしていれば、身体はおおむねいいのかもしれません。
小さい頃、おままごとで人間を演じるのが気恥ずかしく、いつも犬の役をやっていたことを思い出しました。人間の身体には、尻尾はないし、後ろ足で耳をかくこともできないし、四つ足で走るには後ろ足が邪魔だし、ずいぶん不便だと思ったものでした。
色のイメージ。
いつもは使わない色。
霧のような紫、浅いブルー、醒めたピンクなどが、にじむように切り替わるのが美しく、見落としていた色の世界がたくさんあるのを発見しました。
展開
からだの有機的な形が、こまかな立方体に変換されて(平面でのピクセルのように)、それが一度に開かれるイメージがありました。

頭への施術。

頭部の筋肉のこわばりを自覚しました。自分の奇妙な考えがいつのまにかはみ出して、人を傷つけないように、無意識に壁を作ってきたのだと思いました。今からは、その壁は必要なく、むしろ、「奇妙な考え」を十全に発揮できなくては、と思いました。
首への施術。
首の筋肉がイワシになって自由に泳いでいくイメージ。
アジやサンマの方が好きだと思ったけど、形はやはりイワシ。欲張って、もっと高価な魚がいいなと思ったけど、やっぱりイワシでした。
頭から煙

20代から30代にかけて、喫煙していた分の煙がもくもくと左の側頭部から出て行く感じがしました。マボロシの煙なのに、本当に臭いがしてくるようなリアルな感触です。

〈セッションの後〉
・頭からの煙は、その後何日間も続きました。

映画『脳内ニューヨーク』で、主人公の恋人が、いつもどこか燃えている家に住んでいるのを思い出しました。途中、煙はシャボン玉のようなものに変わり、それからいつのまにか無くなってしまいました。
・時々、セッションの最初にあったような呼吸の苦しさがありました。息を吸いきれないような感覚。これも、いつのまにか無くなっていきました。
・気がつけば、結構ハードなスケジュールを割と楽に生きられているようになっていました。
・環境の変化に適応(というか観念してしまうような)できるようになった気がします。

Rofing10シリーズ後にSomatic Experiencing

SEセッション1

 

昨年~今年にかけてロルフィング10シリーズを受けました。

今まで悩みがあると精神面から解決しようとしてきましたが、ロルフィングで身体からアプローチすることで、身体がとても多くのことを伝えようとしていることに気付き、本当に驚きました。

 

ロルフィングを受ける中で、セッション以外の時間にも、身体のいくつかの部分に、過去の記憶や痛みのような感覚を感じることが多くなりました。

 

その痛みと記憶のようなものは、大きなエネルギーのようにも感じられ、流したい、手放したい、まるでその痛み自体が身体から解放されたいと願っているかのように感じるようになりました。

 

田畑さんにお話ししたところ、ソマティックエクスペリエンスという方法があり、記憶を言葉で表現しなくても良く、無理に思い出す必要もないのだと伺い、安全にトライできると思いました。

 

またロルフィング10シリーズ中、あまり感じたことのないとても安全な感覚を感じており、心から安全と感じる中でセッションを受けられるかも知れないと思いお願いすることにしました。

 

1回目のSEセッションは、ベッドに座り、視界の隅の見えるか見えないかの位置に田畑さんがいらっしゃる状態で始まりました。

 

ロルフィング終了後もたまに感じており、その時もあった右脛の痛みにまず集中して、田畑さんの問いかけに答えてどんな感じがするかを話していきました。

右脛のその感覚は、初めは痛く冷たく、次第に痺れが起こり、足指や膝、左足指へ移動したり右脛に戻ったり、を繰り返しました。

その間、呼吸にも変化が起こり、吐きやすくなり、お腹の中や、背中側まで深く吸えるようになりました。

気持ちが良くて、でも気持ち良すぎない、とても快適なバランスに近いものを感じました。

次第に怖い感じがしてきて、次は泣きたいような感覚になりました。

怖くて呼吸が苦しくて、田畑さんにお伝えしたところ、ゆっくりと周りを見渡して、足指を動かして、安心な視線の位置や足の位置を探して下さいとのこと。

首をゆっくり動かして周りを見ていると、恐怖はなくなり、最初よりも首が動かしやすく可動域が広がっていました。

安心な位置をぼーっと眺めながら、また右脛の感覚を見ていると、突然左耳にキーンと耳鳴りがしてきました。

その音を聴いていると、あるところで急に、周囲の音が深く、立体的に聴こえてきて、視界が水平にすっと開けました。

頭の周囲を円を描くように開けた感覚で、空間が自分を中心に球状に広がっていくようでした。

この時何もお伝えしなかったのですが、『自己治癒の力とつながった状態』と田畑さんはおっしゃいました。

気づくと更に息を吐くのが楽になっており、とても細く長く吐いていることに驚く自分がいて、そんな自分と距離を取った所に、冷静にそれを見つめる自分がいるように感じました。

引き続き、その感覚にフォーカスしていると、脚の痛みと痺れに気づき、また何となく怖くて不安な感じが出てきました。

それをお伝えしたところ、『呼吸6:脚の痛み4、くらいでその感じを感じてみて下さい』とのこと。

安全で広がっている空間の中で呼吸するのは気持ちがよく、その6:4くらい、をやってみるうちに、脚の痛みが怖くなくなり、不思議と穏やかに楽しい気持ちが湧いてきました。

最後に立ち上がり、歩いてみた時のこと、最初は久しぶりに歩いているようでパーツパーツがちぐはぐだったのが、歩いているうち徐々につながってきて動きがスムーズになり、特に腰と股関節、脛に今までと違う変化を感じました。

 

この日は最後まで座った状態で、田畑さんは私に触れませんでしたが、自分の中で起こる小さな感覚の移り変わりを、一緒に見守ってもらえている安心感がありました。

 

SE前と後の写真を見比べると、SE前は右脚に重心がかかっていたのが、SE後の重心は中心の方に動いており、右脚の痛みは、なくなった訳ではなくても溶けるような感じを感じていました。

その後1週間ほどは首の可動域が広くなったように感じ、肩や頭がすっと軽かったです。

また、2週間後に急に、幼い頃に父を亡くした体験とその時の感覚や気持ちが蘇ってきたことは、SEと無関係ではないのではと感じています。

それは自分でも驚くほどリアルな深い感情で、幼い時から長い時間持ってきたことが初めて分かり、人生で初めて心から父の不在と死を悲しみ、怒る感情が湧きました。

その時の感覚は、大きなものでしたが、感情や感覚に飲み込まれるのとは明らかに違っていました。

安全な中で、ただ悲しみ、怒るといった感じだったのが印象に残っています。

 

SEセッション2

 

2回目のセッションも、前回と同じく、ベッドに座り、床に足を安定させて、首の向きと視線をゆっくり左右に動かし、呼吸を感じるところから始まりました。

1回目の始まりには、右足が安定しなかったのですが、今回は最初から右足の接地面がとても安定しており、安心感を感じました。

逆に左足は、なんとなく角度や接地面が定まらず膝に痛みを感じ、お伝えしたところ、それに意識を向けるようにとのこと。

呼吸の変化については、まず少し息が入りやすくなり、次第に吐きやすくなって肩や胸周辺の力が少しずつ抜け、肩や首の重さを感じる、という順番が前回と同じだと気づきました。

次に、腰の後ろ・背骨の奥の辺りに、ムズムズ感と姿勢をどう保ったら楽なのか分からない定まらない感覚が出てきました。

 

これは日常から、腰はもちろん、呼吸に関連した肋骨と胸の開き具合・肩の向き・立っている時の膝の曲げ具合などについて、頻繁に感じるわからなさです。

田畑さんにお伝えすると、その感覚に注意を向けておくようにとのこと。

しばらくすると、その感覚は太腿の奥へ移動し、背中の上の方へ、首の後ろへ移って行きました。

自分の立ち位置というか、楽な姿勢がわからないと、漠然とした不安がわきます。

身体を動かしてしっくりくる姿勢を探そうとするのですが結局は見つからず、また同じことの繰り返しでした。

不安を引き起こした感覚にフォーカスするのはとても怖く、とりあえず身体を動かしたり、別のことをしたりという対処をしてきましたが、その大元の感覚を見つめなければ、繰り返しになるのかも知れないと今回感じました。

考えてみると、それは普段とても不安で怖い作業なのですが、実際やってみると怖さを感じるのは始めのうちだけで、感覚への注意が深まっていくと、身体との繋がりや理由の分からない安心感がわくのでした。

また、今回のセッションでは内臓の感覚が大きかったです。

 

セッション中盤で、眼球に大きな疲れのような定まらなさが起こり、目を閉じながら眼球の向きを調整し、視線を下に落として眼球が落ち着いてきた時のことでした。

不思議と、左卵巣・子宮と右脚が繋がった感じがして、その部分にあたたかさを感じ、徐々に波のように内臓全体へあたたかさが広がって行きました。

 

すると、ふわっと視界が明るく広がって、空間の粒子が細かくなったようにも古い映画のように粗くなったようにも感じられ、空間は軽く、身体は適度に重く、とても気持ちが良い状態がほんのしばらく感じられました。

最後に、座ったままで腕をぶら下げながら上体を腿の方へ倒し、両脚の安定と力を借りながら、上体を起こすという動きを何度か行いました。

 

最初は上手く出来ず、腹筋と背筋など筋肉をどんなバランスで使えば良いのか分からなかったのですが、『内臓の力も借りながら』と伺い、内臓の力もイメージすると、とてもしっくり来る動きが出来るようになりました。

セッション後、姿勢に定まらなさを感じた時にどう対処したら良いか伺うと、呼吸はしっかり入って来ているかどうか、周囲の空間との関係性はどうか、違和感に向いた注意の割合を減らして感覚が届いていない所があるかどうか気付いてみることをしてみると良いとのお話が印象的でした。

 

姿勢が定まらないと感じることが多かったのは、筋肉だけで何とかしようとしていたからかも知れません。

空間認識について、私は子供時代から先天的に両膝脱臼が起きることがあり、膝が信頼できず、本来は上下左右前後にある空間ですが、安全のために足元方向に常に注意を向ける癖があることに気づきました。

身体のことは、筋肉や関節だけだと思っていましたが、内臓、空間までも確実に関連していることを実感しました。

セッションから1週間の気づきとしては、息を吐く分量が増えたように感じる点、以前より姿勢が安定している点、上と後ろ方向の空間を少しですが感じるようになりました。

 

SEセッション3

 

前回から1週間後、3回目のSEセッションを受けました。

前回は内臓の存在を強く感じ、内臓と脚のつながり、内臓が腰や背中の姿勢をラクに保つための、大きな助けになることを、この1週間実感して過ごしました。

 

ロルフィング10シリーズでも内臓を扱う回があったかと思うのですが、その時はさほど内臓を自覚することはありませんでしたので、今のタイミングで内臓の感覚が出てきたことが嬉しく新鮮です。

また、2回目以降、喉に石が詰まっているような、首がしまっているような、何とも苦しく時には痛みを伴う感覚が起こることが何度かありました。

 

それはロルフィング10シリーズ終了後、ごく稀に感じてはいましたが、今より弱い感覚でした。

ふと子供の頃に、もっと苦しい同じような感覚を何度か体験したことがあるのを思い出しました。

ロルフィングとSEで、身体が安心して緩んだことにより、今まで長い時間押さえつけてきたおそろしくて見ることが出来なかった感覚が出て来たように思います。

心身共に『安全』と感じられることが、これほど重要だとは思ってもみませんでした。

喉の苦しさも、膝や脛の痛みも、今はこんなにも強く感じるのに、長年感じていなかった。

今では当たり前だなと思いますが、同時にものすごい驚きです。

 

◆セッション中

SEセッション3回目は、椅子に座った状態で行いました。

回を重ねるごとに、脚への信頼感と脚の強さ、脚と内臓のつながりが強く感じられるようになっています。

今回は、足の接地面のまだ奥、地面の奥から、大きな鐘の響きのような低く繊細な振動を感じました。

田畑さんから、右ももの外側に意識を向けて、それに合わせるように足の向きや位置を調整してみるように言われ、やってみました。

すると、右脚の足裏・脛の内側に不安感と、膝の奥にキーンと一点集中する痛みに似た感覚が起きると共に、右脚の外側には足裏から力強さと安定を感じました。

右膝のキーンとした感覚は脛へ移動し、次第に頭の右上、深度としては中間辺りへ移動、頭に不安を感じるようになりました。

それは上から身体を貫く重く大きな力で、頭痛とは少し違う感覚。右耳へ~額~こめかみへ、モゾモゾと移動し、虫が這うような何とも気持ちの悪い痛みと痺れです。

田畑さんへお伝えすると、その感覚49%:脚の安定感51%といった感じで意識を向けてみるようにとのこと。

しばらくトライしていると、急に目の前が、綺麗で安心な霧がかかったように明るく白っぽくなり、右こめかみの感覚と私だけが、その空間にいるように感じました。

気付くと痛みの感覚と、頭上から身体を貫く力は減っており、こめかみに軽い痺れだけが残っていました。

また、スーッと涼しい風が脛をなでているようにも感じました。

今回は、痛みや不安を感じた時には、内臓の感じにフォーカスするようアドバイスして頂くことが何回かありました。

今回の内臓感覚の変化の順番として、内臓が骨盤の方向へ下がっている感覚→内臓それぞれの間隔が程よく空く感覚→内臓が白く光っているような感覚→最後には内臓が適正な位置に上がったような感覚へと変わっていきました。

 

◆セッション最後の歩行

最後に歩いてみると、セッション前は脚がどっしりと重力を感じて安定し安心感がありましたが、セッション後には上への力・体重が少し軽くなったような脚の感覚でした。

帰宅中の駅の下り階段では、膝への信頼感が増したように感じ、降りやすくなりました。

 

◆セッションから1週間

セッションから1週間経ち、頭の上がふわっと軽いような、上へ手を伸ばしたくなることが多かったです。

反対に、上への感覚が薄れる事に気付く機会も多かったです。

軽い山歩きをした際、私は膝の不安から坂道も階段も下りがとても苦手なのですが、なんとなく以前より脚を信頼して下れたように感じました。

これからの上感覚がどうなっていくか楽しみです。

 

 

SEセッション4回目

 

今回のセッションで印象的だったのは、下腹部の内臓の感覚です。

3回目から今回までの期間で、子宮や卵巣の辺りが冷たく感じていました。

 

セッション後半で、椅子に座り上半身を前傾させる動きをしてみた時に、

鼠蹊部が苦しく痛く感じて、スムーズに動けませんでした。

 

田畑さんのサポートもお借りして、その動作を何度か繰り返すうちに、

股関節を大きく動かして伸ばしたいという感覚が起こり、

実際にベッドに横になり、股関節や膝を伸ばす動きをしてみました。

 

その後、椅子で前傾姿勢になる動きをしてみると、

鼠蹊部の内臓の痛みが先ほどよりは少し弱くなっていることに気付きました。

 

最後に歩いてみると、来た時よりスピードが上がり、肩が自然と落ちて楽になり、

腹筋にスムーズに力が入るようになっていました。

 

◆セッションから1週間

 

今までは歩行時に腹筋と背筋の力の入れ方のバランスが定まらず、

ぐらついていましたが、腹筋に 自然と 程よい力が入った状態で歩けるようになっていました。

下腹部内臓の冷たさは今も感じていますが、前傾した時の痛みの質が違っており、むずむずする感覚があります。

 

 

ロルフィング~SE~現在の変化

 

ロルフィングを始めてから1年ちょっと経ち、変化したことを挙げたいと思います。

以前の自分からは想像もできないような変化がいくつもあり、特に精神面での変化に感動しています。

生きているだけで満たされていて、光や風や緑や海に感動して泣くなんて事は自分には一生起こらないと思っていました。本当に感謝しています。

 

・ハイヒールばかり履いていたが、徐々に履きたくなくなり、今は年に数回しか履か なくなった

 

・洋服の締め付けに違和感を感じるようになり、ゆるい服を着るようになった

 

・冷えに敏感になった

 

・疲れに敏感になった

(疲れやすくなったと感じていた時期があったが、疲れに対する感覚が鋭くなったからだと思う)

 

・声が低くなった

(声が心地よく体の中に響くような感じがする事がある)

 

・肩こりが軽くなった

 

・マッサージに行かなくなった

(安心できない人に体を触られたくないと思う)

 

・人混みが苦手になった

(今までは人混みが落ち着くと思っていた)

 

・海の近くに引っ越した

(小学生の頃から夢だった)

 

・自分の体を否定しなくなった

 

・セッション中に微細な感覚をとらえようとすることで、身体が驚くほど多くのメッセージを送ってくれている事に気付き、身体は細胞レベルで生きようとしていると実感した

 

・一人じゃないと感じるようになった

 

・今までは落ち込みや不安に飲み込まれ、心が敵になることが多かったが、心も私の命を輝かすために、身体とともに何よりも私をサポートしてくれていると強く感じるようになった

 

・死にたいと思う事がなくなった(本当に嬉しい)

 

・生きているだけで幸せと感じる事が増えた

(今までの人生でそんなことを感じた事はなかった!)

 

・光や風や自然の美しさに心から感動する

 

・母親との関係に向き合い始めた

 

・父親を亡くしたことを、初めて悲しむことができた

 

・人といる時に、過剰に自分を演じる度合いが減った

 

・自分と他人の境界が以前よりはっきりしてきた

 

・自分の安全を守ることを大切にしだした

SEセッション5回目

今回は左ひざを立ててベッドに仰向け姿勢。

 

足元で田畑さんが左右に立ち位置を変えると、感覚に変化(あたたかさ、重さの感覚、しびれ、左右の感覚が整いだすなど)が起こったのが印象的だった。

 

◆左側へ田畑さんが移動すると… ・眼球の落ち着かなさ(→眼球の重さを一番感じられる所へ視線を動かしてみた)・左側の足裏から脚へ、手指から左腕へ、ずーんとしたエネルギーとあたたかさ(→左腕が重く沈んで行き、手のひらから下腕が痺れ、重く気持ちがいい)・胃が落ち着く感じで重くなる・左脚、膝下が重く痺れだす

下腹部(イメージとして卵巣と卵管の位置)にも変化が感じられた。 ますズキズキと痛みだし、氷が入っているようなとても冷たい感じからあたたかいような感じ、冷たすぎて痛い感覚、痺れ、痺れが足裏にも始まり卵巣卵管と足裏が同期しているような、連動している感じがした。

少しすると、両腕が私から自由になったような感覚が起きて、両腕を動かしたいように動かしていると、下腹部の痛みは消えていた。

 

◆セッション後の歩行

脚の感覚として、体が重くなったような、骨盤から下(横隔膜から下)に重く重力を感じた。最初は重くてうまく歩けなかったが、歩行を繰り返すうちに馴染んできた。毎回数分歩くだけなのに、この馴染む感じがすごいと思う。

また、左卵巣と卵管の中心の辺りに、集中した冷たさと、弾力が増した感覚が共存していた。内臓の弾力を感じるなんて不思議だけど、本当にそう感じた。

 

◆セッション後の写真

毎回セッション後に写真を見ると、身体全体から共通したイメージを受けると気がついた。セッション前は、身体全体の印象がぼやーっと散漫で、スライムみたいに下へも広がっている。セッション後は毎回、印象が身体の中心へぎゅっと集って、すーっと上へ伸びる。

 

前回から1週間しか経っていないのに、 やっぱり毎回散漫なイメージになるのが残念にも思われるが、行きつ戻りつ、ゆっくり変化して行く過程なんだな、と思う。

ロルフィング後から、痛みを伴う肩こりがなくなっていたが、SEを始めてからは、肩に重力を感じられるようになった。

以前は不安や緊張状態だと、すぐに肩に力が入り、上に上がって前に動き、胸が狭まって呼吸がしずらくなることがあった。

横から撮った写真を見ると、耳と肩の位置が揃ってきていて、上半身は膝とくるぶしより前にあった。

横から見た時のラインが、地面と垂直に揃うのがゴールなのかと伺うと、身体の姿勢や形だけを整えても、身体の内部がその変化に追いついていなければちょっと違うとのこと。

今は変化していく過程で、身体内部を含め身体全体が変わることで外から見た形は変化していく。

セッションの帰り道は、身体の中心軸に力が集った感じがして、歩いていても階段でも姿勢が決まりやすく、小さくぐらついたり、姿勢に迷いがなくなるのでとても快適。

 

◆セッションから1週間

ここ数年、股関節に違和感があり、横になって音が出るほど大きく動かすことが睡眠時に何回もあったが、その回数が減り、動かさなくてもムズムズ感が出ない日もあった。

あまり気心知れない知り合いと集る機会があり、自分では安全な人と楽しくコミニュケーションを取っていると思っているのに、両手足が末端から痺れて感覚が薄くなっていた。

 

しばらくこのことが理解できず、姿勢を少し変えてみたりしたが、痺れは止まらなかった。

今も思い出すと指先が軽くなり、感覚が薄くなるようにも感じる。

どこかで無理をしていたのか、安全と思っているつもりだったが少し違ったのか、よく分からない。

 

感覚がどんどん敏感になっており、身体が教えてくれる、身体が味方という感じは足下から心強い。こんな敏感な感覚を、子供の頃に感じたことがあると思う。

 

子供の頃は、恐怖を感じて感覚を押し込めようとがんばったり、頭で理解できなくてパニックになったり、感じないようにしたり、自分の身体をつねったりと、色々な対処を繰り返した記憶がよみがえってくる。

 

今の自分が抱えている苦しい感情や思い込みに気付くようになり、手放したいと思っているつもりだったが、手放すことへ、大きな不安と怖さがあることにも気がついた。

そんなことに気がつくと、何とかしたくなって苦しくなるが、気がつくだけで大きな変化だと思う。

 

SEセッション中、身体の小さな感覚の移り変わりを集中して見るという体験をすることで、怖い感覚や痛みは、少しずつ動いたり質が変わること、痛みや痺れが、あたたかさや広がりに変わることがあるのを見た。

 

SEを始めてから、ただ気がつく、それだけで本当に小さく変わって行く感じが確かにあると実感できるようになった。

SEセッション6回目

 

今回はベッドにうつ伏せで、膝を中心とした脚にフォーカスするセッションでした。

 

小学生の頃から両膝脱臼するようになり、11歳で脱臼を抑える効果があるという手術をしました。

 

脱臼すると目の前が真っ白になり吐き気がするほど痛いので、避けたいのですが、

歩いていても、走っても、階段の上り下りでも、運動時はもちろん日常でいつどこで脱臼するか分からず、

いつも膝が信頼できず、脚も不安で精神的にも不安でした。

 

脱臼しにくい動かし方を探るため、脚の向きや動かし方など自分なりに工夫してきましたが、

いまいち分からないので、なるべく動かないことが安全!という結論に達したようにも思います。

 

大人になってから、走ったところを想像できない、とよく言われるのですが、

横断歩道を少し走るだけでも脱臼することがあるので走りたくなく、

でも皆と同じ日常のちょっとした動きに差が出ることで、少し傷ついてきました。

 

脱臼のきっかけについて、今回のセッションで鮮やかに思い出したことがありました。

 

小学生の頃、学校でいつも何となく、

でも確かに居場所がないような手持ち無沙汰な感覚があり、

そんな自分に対して、ストレスと罰したいような気持ちがありました。

 

授業中に机の下で、膝を強く触ると少しずつ脱臼するようになり、

次第に膝蓋骨の可動域が広がってしまい、大きく脱臼するようになりました。

 

その頃は自分を罰する意識はありませんでしたが、

セッション中思い出した感覚を、大人になった今の自分が言葉で表現するとするなら、

自分の存在が漠然としていて自分にも理解できないあやうい気持ちと 、

膝がぐらぐらする感じを重ねていて、

脱臼させている時にはなぜか少し落ち着く感覚がありました。

 

手術後、術前に比べて膝が痛むことがとても増えてしまい、

治るはずだったのに脱臼も頻度は若干減ったものの治らず、

自分の膝だという感覚が薄くなっていった気がします。

 

今回のセッションで一番印象的だったのは、

膝の内部の空間があることを思い出したことです。

 

膝蓋骨の下に大腿骨と臑の骨があって、そこに空間があること。

なかなか思い描きにくかったのですが、セッションから日が経つにつれ、

そのイメージが確かになってきました。

 

また、前回のセッション後に、 転職し新しい職場に通い始めたのですが、

変化がダイレクトに身体の感覚に響いてきたことが驚きでした!

 

例えば、仕事をしているときは、内臓や脚の感覚が確かに感じられるが、

通勤途中の景色を見ている時や職場の人を見ていると感覚が薄れ、呼吸が浅くなる、

そんな違和感も毎日連続していると慣れてくる反面で蓄積されて脚の感覚が薄れてくるなど。

 

今までは、望ましくないことがあってもその時は何も感じずに、

帰宅後や後日まとめて体調が悪くなり、原因が分からないことが当たり前でした。

 

違和感を感じた瞬間に、身体を通して違和感を実感できることが嬉しいです。

 

仕事が変わってストレス のかかる期間ですが、

この程度の体調と精神的変化でおさまっているのは、そんな実感があったからこそだと思います。

 

実感がつなぎ止めてくれていること、また違和感を通じて本当の事を伝えてくれることに、

身体に感謝しています。

 

仕事がきっかけになり、日々変化している途中なので、

今後もその変化の感覚を見られる自分でいたいと願っています。

 

SEセッション 7回目

 

今回はベッドにうつ伏せ姿勢で、骨盤が中心になったセッションでした。

今回のセッションは時間が経つのがとても早かったです。

 

SE1~2回目の時期、セッション中に感じている変化について質問されても

曖昧だった部分が、ここ2回ほどは、以前よりはっきりわかると感じます。

 

セッションから3週間の変化は以下です。

 

・お菓子が大好きで頻繁に食べていたが、なぜか美味しく感じないことが増えた

・昼食のコンビニ弁当などが不味く感じて食べなくなった

・好きではなかったお米が好きになった

・脚を組む回数が減った

・子宮と卵巣の冷たさが変化

(凍った金属のような冷たさから冷たいな位に変化、なんとなくその辺りに感覚も出てきた)

・首を締め付ける感じが少し軽くなった

 

SEを始めた当初は、身体がこの場でゆるんで大丈夫かどうか不安がっていたように思います。

日常生活でも、大丈夫な場所では、以前より力を抜くことができるようになってきました。

 

反対に、嫌なことに対する感覚が鋭くなってきたことにも、驚きとともに喜びがあります。

 

日常で今までの人生でどうしてこれができていたのだ!

と思うほど違和感があることもあるので戸惑いますが、

今までは自分の感覚を閉じて、耐えて、自分の感覚からくる判断ではなく、

世間や家族など自分以外の判断基準で決めてきたのだな、と思います。

 

うまい言葉が見つかりませんが、

どんどん嫌なことは避けられるだけ避けて、

出来るだけ好きなことだけして生きていきたいと思うようになりました。

 

自分が環境や人に合わせるのではなく、

環境に合わせてもらうような働きかけができるよう挑戦中です。

 

以前は1か10かという取り組み方が好きで、

1mmずつジリジリ変化していくようなやり方が自分にできるとは思えませんでしたが、

以前よりはイライラせず少しずつ、という感じが受け入れられるようになってきた気がします。

 

また、何年間か継続している心理カウンセリングで、大きな変化が出てきました。

自分の感覚とつながるのが早くなり、本当の言葉が出るのが早くなったからかも知れません。

 

SEを始める前は、自分の中にどうにもできない詰まり(例えばコルクの栓が強くされているような)があって、

流れないというか、どうにも変化できないような感覚があったのです。

 

そんな感覚が、流れだしてやっと外に出せる、やっと気がつける、受け入れる準備ができたと感じることが増えました。

 

まだ詰まりを感じる部分(子宮卵巣と首と肩か胸)もありますが、今後の変化があるかないか、どちらでも気長に楽しみにしたいと思います。

 

SEセッション8回目

 

◆セッション中

 

ずっと仰向けで、上半身についてのセッションだった。

いつものようにベッドに接する体の感覚がを感じることから始まった。

呼吸が吐きやすくなり、どんどん背中がベッドに接する面積が増えるのが気持ち良い。

 

面白かったのは、田畑さんが下腕をサポートしてくれ、肋骨の後側を内蔵側から押す感じで、腕を前に押し出す動き。

肋骨同士や、肋骨と肺の間の空間が、広がり強くなるようだった。

ここに空間があったんだ、という気づきと、その空間と接する部分の感覚が自分に近くなっていくのが心地よかった。

 

呼吸について、田畑さんのおっしゃったことを意識し、感覚に集中すると呼吸は浅くなり、なじむと深く吸い吐きしたくなる、いつもこう。

集中すると浅くなるのに苦しさがないのが面白い。

日常で深く深く息を吐けることがなかなかないのも気付きで、セッション中に深く吐いた時の、心地よく力が抜けてこの体そのままで安心、という感じも気持ちが良い。

 

次に、両方の肺の間の空間と感覚、間にある心臓に意識を向けていった。

心臓は命の象徴のようにも思ってきたのに、今までの人生で心臓の感覚に意識を向けたことがなかったことにもかなり驚いた。

柔らかくあたたかいピンク色の肺に守られるように、肺よりあたたかな心臓が鼓動しながら中心にある感じ、確かな命の感覚があって安心だった。

 

次第に、肺の内側に熱さが起き、首や右半身、胸に広がった。

首の熱さはひりひりに近い熱さになり、だんだんと苦しさの前兆や不安に変わった。

SEを始めてから、首の感覚を感じると不安や悲しさ、頭を大きく左右に振って感覚と感情を振り飛ばしたい衝動が湧いてくる。

どうしようもない過去や、傷ついた自分が湧いてくるようで、怖くて仕方ない感じ。

しかしSE以前は首の感覚にフォーカスするなんてことは出来なかったので、感じるだけで変化だとも思う。

 

次に、膝を立てた姿勢で「膝の内側にある膝蓋骨と膝の後ろの皮膚の間の空間を思い出して、足親指の辺りの骨の間の空間を思い出して」をやってみた。

しばらくすると、不思議なのだが、虹色のプリズムが見えて、足からふわっと優しいあたたかな感じが膝へ、骨盤へ、上半身へと広がり、気付くと首の熱さは感じなくなっていた。

 

頭を左右からサポートしてもらった時、頭蓋骨の力が抜けて気持ちが良くて、なんとなくサポートに甘えてしまいそうになった気がした。

すると田畑さんがすっと離れて、言葉で書くと冷たい感じがしなくもないが、そうではなくて、「今あっちにもたれかかろうと行き始めていたな」となんとなく気づけて、そのタイミングで引いてもらったことに感謝と安心を感じた。

 

もしかしたら深読みしているかもしれないが、私は長い間もたれる人間関係に慣れているんだ、と感覚で納得した。

もたれること、もたれてもらうことが深い関係だと思ってきた。

最近そんなあり方に小さな違和感があるようなないような気がしていたが、感覚でそれを感じることが出来たような気がした。

いつもレポートで、〜気がした的な表現ばかりで恐縮です。

 

◆歩行時

 

いつもは歩行1回目はゆっくり接合部を確かめるように歩くのに、今回はさっさと歩いていた。

関節が滑らかにかみ合って、動きがスムーズでふわりと軽い印象。

角度なども、迷いなく動く、今までで一番快適な歩行。

 

視界について、普段は前と下を中心に視野が狭く集中しているが、セッション後の歩行時は360°空間と意識がふんわり広がっている。

 

すると眼球と眉間、頭が軽くなるのが心地良い。

 

◆その後

 

運転中、骨盤とお腹の辺りの、肋骨と内臓がふにゃふにゃでつぶれて苦しい、姿勢が定まらない感じがあったが、最近少なくなってきた。

 

8月から転職で車通勤に変わり、日常で歩く距離が大きく減ったことで、筋力が急に減ったせいかと思っていたが、きっとそうではなかったのかも。

 

セッション後に田畑さんがおっしゃっていた、生きるための筋力はトレーニングなどしなくても衰えないというお話になんだか納得。

 

先月は休日にたくさん歩くと、とても疲れてしまっていたが、今月はほとんど疲れなくなった。

なんとなくではあるが、上半身の肋骨と内臓のサポートが以前より増えたように感じる。

 

早いものでもう8回目のセッション、もうじき終わるのかと思うと寂しくもある。

少なくともセッションの時間だけは、安心して感覚を開き、どんな感覚や思いが起きても大丈夫と感じられた。

 

日常にもそのような時間が増えている。

感覚を開くことは、時には自分が傷つくことになるので危険だと感じてきた。

 

自分の人生は同じ時間の延長線上にあるはずなのに、時期によりばらばらの別の人が演じていたような強い違和感と不安をここ数年感じていた。

思い返した時に色濃く残っている時期は、感覚を開けていたという共通点が見えたら、徐々に自分の人生に連続している感覚が湧いてきた。

 

色々なことが関係していると思うが、夏の終わり頃から、自分の大切にしたいことに向き合う怖さが湧いても大丈夫という感じが以前よりは強くなっている。

 

また、SEを始めた頃に気になっていた、子宮卵巣の冷たさが、以前よりあたたかくなって体温より少し低い位になっている。

 

膝に集中すると感じていた恐怖と自分はだめなんだという思いも、実感が薄くなってきた。

 

今月は、意に沿わないことをする時間が増えたり、振り回されてしまう時間が多かったが、体の変化として、腰と背中にぎゅっと力が集中して抜けなくなり、肩が慢性的に痺れてきた。

 

今までもこのような体の感覚はよくあって、ただ疲れているだけかと思っていたが、それでけではないかも。

 

意に沿わないこととバランスを取ることにエネルギーを使うか、意に沿わないことをしないで物理的にも生きることにエネルギーを使うか、この2択ではないかも知れないが悩ましい。

 

セッション中に感じるような、身体がゆるんで感覚が開いているけれど安心、という状態を増やせたら嬉しいと思う。

 

 

SE セッション9回目

 

◆セッション前の体調

 

体調が良くなく、こんな状態でセッションを受けるのはもはや申し訳ないのでは、

というほどでした。

 

・頭がぼーっとして、とても感覚が薄い

・眠い

・頭にモヤがかかったようなイメージ

・セッションへ向かう道中、左膝が2〜3回脱臼。姿勢が定まらずぐらぐらする。

・背中が痛くて、夜になると肩が痺れて感覚がなくなる

・なぜか脚が筋肉痛

 

◆セッション中

 

仰向けで、右膝を立てて安定する位置を探す。

外に倒れてしまいそうで、かなりぐらぐら、

筋肉を使うし疲れて面倒な感じがしたのは少しの間だけだった。

 

「不安定で大丈夫、バランスを探して」と聞いて、だんだんと落ち着きだした。

 

かかとと股関節に、ふくらはぎの筋肉の重み、膝の重みを休ませて、

中に通っている太い神経も休ませる。

 

眠くなってきてしまったところで、

「起きているけど、筋肉も脳も休んでいる状態を、味わってみて」と聞き、

そんな状態があり得るのだと、とても驚いた!

 

そんな状態があり得るなんて、思ってもみなかった。

疲れたらとにかく寝るものと思っていたが、いくら寝ても疲れが取れなかったことと関係あるかも。

 

次第に、胸が重たくなり、肋骨や肺や脂肪の重みを感じた。

すると、胸から温かさが広がった。

 

ふくらはぎの皮膚感覚が湧いてきて、少しジンジンした。

それが太ももへ、骨盤の中にも広がった。

 

座位になり、上体を前に倒し、足の力を使って起きてくる動きをやった。

ロルフィングの時に初めてやった時は、とても難しかったっけ、と思い出した。

 

今回は、時間がとても短く感じるセッションで、

時間の感じ方が毎回違うことが不思議です。

 

◆歩行時

 

足の感覚が変わり、歩きにくい。

セッション前の筋肉痛と、違う位置が痛い。

違うところを使っているんだろうと思った。

 

セッション前と比較して、足裏がベタッと床に重く着いている。

下に重みがあると、落ち着く。

 

◉歩く練習

 

かかとで着地→爪先で地面を離れる=木馬を横から見るイメージで、

踏み切る時に、もう少し爪先までいってみる、という練習をした。

 

頭の斜め前に、矢印が丸く伸びていくイメージとのこと。

 

言われてみて初めて、自分の歩き方が、確かに爪先まで行かないものだと納得。

重心が踵寄りで、その方がなぜか断然落ち着く。

 

練習してみると、

「前に勢いを付けるなんてとんでもない、

こんなに堂々として大丈夫なの?

目立ってしまう…」とてつもない不安な気持ちがして、

小学生の頃の、なるべく息を殺して目立たず隠れていたい感じが思い出される。

 

笑ってしまうほど、この動きがどうにもうまくできない。

この動きは勇気がいる。

でも、こんな風に動けたら、もっと自由になれて気持ち良いだろうなと憧れる。

 

◆その後

 

◉当日

 

・頭が軽くなった、頭の周りの空間がはっきりしてきた

・首と肩の痛みがほとんどなくなった

・安心して歩けるようになった

・嫌なのにやっていた、小さなことに気がついた

・肺の奥まで入る呼吸という感じがして、空気が美味しい

 

◉体調不良

 

セッションから2日後から4日間、ここ最近にしては珍しく、

大きく体調と精神バランスが崩れた。

 

疲労度としては少し疲れている程度だったが、

とにかく全身が重くだるく、偏頭痛や耳鳴りまでしてきた。

精神的な落ち込みも大きかった。

 

4日の間、あまりの悪さに今後の心身が絶望的に不安になったが、

1日休んだら徐々に体調が改善し、その後1週間ほどで体調が普段通りになった。

 

今までならば、このような不調はもっと長く続くはずだった。

 

何が変化したのか、はっきりとは分からないが、

確かなのは自分の奥底にある生命力を仄かに感じること。

 

どちらが先かわからないが、身体に信頼感も感じる。

 

以前と比較すると、確かさの感覚が出てきた。

 

それは今まで感じてきた確かさとは違う確かさで、

自分自身に感じる確かな感覚は、幸せで安心です。

 

もっと感覚を開きたいを思うが、

仕事や家族との関係、嫌なことをしてストレスが起きると

感覚が閉じてゆくのが分かった。

 

◉ぐらつき

 

私は日常生活で歩く程度しか身体を動かさないのだが、

ここ3ヶ月は平日の車移動が多く、更に歩く機会が減っていた。

 

以前は、このような時期が続くと、

体の芯があるのかないのか感じられなくなった。

 

腰痛や肩こり、脚の痛みが出たり、

常に姿勢が定まらず、歩行時はぐらつき

立っていてもどう立ったら良いか不安で、

座位でもお腹の辺りがぐらついて不安という状態だった。

 

しかし、最近はぐらつくのは、最初のほんの少しの時間だけで、

姿勢や居どころが定まらない感覚は少なくなっている。

 

感覚が薄くなると、ぐらつきが出るように思うので、

以前教えて頂いたように、首を左右に動かして周りを見たり、

着地している足を動かしたりすると、感覚が変わってくる。

 

◆気になること

 

・喉

喉に苦しい感覚が起こることがある。

熱いような、喉が締まるような、言いたいことがどうしても言えないような、

記憶があるようなないような、そんな感じです。

 

・足

足の感覚が感じられなくなることが多いが、もっと感じられるようになると嬉しい。

 

・胸

呼吸について、胸に息がたまっていて、吐いても吐いても抜けきらないと感じる時がある。

抜きたいのに抜けなくて苦しい。

 

 

SEセッション10回目

 

◇セッション前

 

・呼吸が吐ききれない。

 

・喉がつまったようで苦しい、痛い。

何か嫌な記憶があるようなないような、思い出そうとすると、あと少しのところで霧がかかったように思い出せない。

 

◇セッションで印象に残ったこと

 

・両膝を立てた仰向けで、脚からスタート

 

・「骨と骨の間に意識を向けて」 「骨の中、内側に意識を向けて」

骨に感覚があるとは思っていなかった(骨折したら痛いのに)

 

・右大腿骨の内部をイメージしていると、骨があたたかく、柔らかく、軽く感じて、

骨の表面も軽くなった気がした。

左大腿骨は、気づきにくかった。

 

・足の甲と、手の甲に田畑さんが触れてしばらくすると、首のつまりが軽くなり、なんだかほっとした。

触れた箇所とは別の、意外な部位に変化が起こるのが不思議でおもしろい。

 

・いつものように、徐々に足裏がベッドに着いてゆき、

背中の接地面が広がって、今回は特に、腰・肩まで広がり気持ちが良かった。

 

●呼吸の変化と電気的なしびれが起きたこと

 

セッション最初、漠然とした呼吸の吐きにくさ。

 

→ 足を扱って頂いているうちわりとすぐに、胸が重くなって吸いやすく変化。

鎖骨上と首に、苦しさが残っていた

 

→ 腕骨の内部に意識を向けているうちに、左右鎖骨の交点(のど)に、小さくて硬い、黒く重い石のような感覚が確かにあると感じた。

 

→ 石の箇所が、痛く苦しく

 

→ 腕を扱って頂いている間、少しずつ苦しさが薄れてきたが、まだある。

 

→ 頭頂へ向かって足の力を借り、息を吸いながら押し上げる動きを数回。

 

→ 骨盤内の、あたたかく柔らかなピンク色の安心感を感じ — 頭蓋骨 と骨盤内が連動している感じがした。

 

→ 急に、頭頂から皮膚にビリビリと軽い電気的なしびれが起きた。

頭皮と顔の皮膚が、じんじんして、子供の頃の慢性的な偏頭痛と寂しさを思い出した。

 

→ 片腕をななめ上前方へ、田畑さんにサポートしてもらいつつ押し出す動きを数回。

ビリビリはそこにとどまっていたが、動きにより、振り払えるようなイメージで気分が少しスッキリ。

 

→ 首の右側面が、漠然と熱く痛くなってきた。

首を左右に動かす。

「肺が一緒に動くのを感じて」とのこと。

 

→ 痛みが集中してくる

(のども首も、痛みが集中してくるのが不思議)

 

記憶につながっていくような短い時間で、痛いのに、安心で楽しい感じもした。

思いもよらないタイミングで、思いもよらないことが出てきて、驚くのだが面白い。

 

◇歩行

 

肩と骨盤が、互い違いに、大きくスムーズに動く!

 

仰向けでやったのと同じ動き(片腕をななめ上前方へ、田畑さんにサポートしてもらいつつ押し出す)を、歩きながらやってみた。

 

両腕をななめ後方下へ、田畑さんの手を押しながら、歩行。

 

霧が晴れるように、 頭の斜め上前に、空間があったのだ!と実感。

空間が私の近くにきた、突然空間ができた、という感じで気分が良くなった。

 

先週の歩行時は、斜め前上へ伸び上がるような感覚で歩いてみるよう言われ、その動きに精神的にかなり抵抗があることに気づいた。

 

今回は、先週ほどの抵抗はなくなり、頭の上が、軽く明るく変化した!

 

◇セッションから1ヶ月間

 

・セッション後、のど–眉間 の連動を感じる。

 

・骨の内側の感覚が出てきた。

 

・精神的にハードな1ヶ月だったが、身体の感覚に注意を向ける時、以前より早く、集中できるようになった。

 

身体のサポートを感じる。

特に足の安定感(ただ立ちやすいとかではなくて、なんというか、余計な力を入れなくても地面に足が着いている)を感じられるようになった。

 

・心理カウンセリングで、のどの感覚を扱った訳ではなかったのに、結果的にのどの感覚と記憶に深く触れることができた。

気づきもショックも大きく、その後も尾を引いている。

 

しかし、のどの感覚は正体不明の苦しさではなくなったことは良かった。

今も苦しいので、早くなくなれ!と思ってしまうが、変化していくのではないかと思っている。

 

SEセッション11回目

 

セッション前

 

・年末年始休暇中に、全身に電気的な痺れが1週間続いた

近年まれに見ない疲労感で、もう頑張れない、余力が一滴も残っていないように感じた。

その感覚がなんとなく続いていた。

 

・のどが重苦しく圧迫感があった

セッションで印象に残ったこと

 

・片膝を立てた仰向け姿勢で左脚からスタート

 

・膝を頂点に、腿の重みは骨盤の関節へ、脛の重みは足首へ、脚が等しく分かれて気持ちが良い。

手放せた気持ちよさに似ている。

重力は下へかかるはずなのに、いつもは腿の方へ重みがかかっているように感じる。

 

・足首の内部、くるぶしの間に意識を向ける。

 

・ふくらはぎを左右からサポートしてもらい、それぞれ内側と外側へあずけて呼吸をしていると、股関節が、外側へふわーっと柔らかく広がっていった。

骨盤の大腿骨がはまっている部分が軽くなり、その場所自体が広がった感じ。

 

・のども変化(あつい→冷たい→あつい)

 

●骨盤が震えだしたこと

・セッション中盤で、左肩と頭を支えてもらいながら、左肩は下げる動き、頭は右上に押す動きをした。

 

すると、「肩を縮めたい、いたたまれない!」気持ちになった

「その動きをした時に、動く筋肉や感覚を思い浮かべて」とのことでやってみた。

 

・首の左サイドに変化

ひどいコリ、血流が止まりそう、かたい、圧迫感、痛い、苦しい、かるい痺れ、悲しい気持ち(私は目立ってはいけない、「ごめんなさい」)、涙が出てきた

自分の存在感を広げてはいけない、広げられない悲しさやそれで起きた出来事が、大きくとても漠然とイメージされた。

悲しさは不安な気持ちに変わり、鎖骨の交点の喉の奥に移動して、苦しい圧迫感へ変わった。

 

首をゆっくり左右に動かして、落ち着く位置を探す。

セッション中、悲しさや不安な気持ちが出てきた時に、首をふると、割りとすぐに気持ちが落ち着く。

不安や悲しみに飲み込まれてしまいがちだったが、セッション中のこの経験が、感情はそこまで怖くないという実感に少しずつつながり始めた。

 

首の向きが左寄りに落ち着くと、骨盤がプルプル?カタカタ?小さく震え始めた。

とても小さな動きを伴う震えは、骨盤内の内臓へ移動。

内臓の膜が震え、徐々に内蔵内部に、背中側の内蔵も震え始めた。

それの振動がまた骨盤へ伝わっていく…

初めての感覚だったが優しい振動で、気持ちがよく小さな開放感があった。

 

その間、首を動かして右を向いたり、のどの苦しさ数値がどれ位か聞いてもらう。

のど苦数値 10 → 7 → 3 → 3 → ラストも3

気づくと振動は落ち着いていた。

 

・右足でも同じことをして座位へ

右足に集中しているのに、左脚や左股関節に広がりや動きがあって面白い。

◇歩行

 

・脚

脛の骨~膝関節と骨~大腿骨 まで、きれいに中心の芯に重みが乗っていると感じた。

足首や膝の関節の動きもスムーズで、とても気持ちがいい!

「背骨の動きがよくなったように見える」とのこと。

 

・ワーク

脛を軽く押さえていてもらって、歩き出すように前に出る・後ろへ下がるというワークをしました。

その後の歩行では、膝下部分が膝からぶら下がっていて、簡単に動くという印象に変化。

鎖骨ラインと、腰骨ラインも前後に動きやすくなった。

◇セッションから1ヶ月間

 

・腰

背骨の腰の辺りを、緩めることが多かった。

いつもの座り方だとすぐ腰が痛くなるようになったのが不思議。

 

S字カーブをきつくする姿勢に、気持ちの面でも長年落ち着きがあったのだな、と実感。

ぎっくり腰になるたびに、接骨院の先生にカーブがきついとか、背筋に比べて腹筋が弱すぎると言われていた。

姿勢を変えるようやってみたこともあったが、しっくりこず定着しなかった。

 

前回のセッションでベッドに座った時に、腰の部分を触って「この辺りに呼吸を入れる感じで」と言われて、力を抜いてみた姿勢を取ったら、なんだか突然、徐々にしっくりきた。

 

余計な力を使わなくてよく、楽になった。

腰から肩へ、上半身が少し広がったというか、ふんわりと軽くなってきたように思える。

 

・のど

のどの奥にある固く重い圧迫感が、少し変化してきた。

今まではのどを意識すると確実に大きな圧迫感を感じ痛く苦しかったが、位置が5mmくらい下がっているように感じ、

圧迫度が10 → 8くらいになった。

 

・肩

・セッションから1週間

肩が軽い、やわらかい感覚。

眼球に力が入りすぎていなく、ふわっと楽。

 

セッションから1ヶ月

肩に力が入っていることが常だったが、あれ、肩が軽い、と感じることがあった。

肩というより、のどと首の変化が肩に影響しているような感覚もある。

 

・呼吸

呼吸が浅くなったように感じているが、呼吸の効率が上がったようにも感じられ、一生懸命に吐いたり胸いっぱいに吸わなくても普通に大丈夫な状態。

肩が軽くなったこととも関連がある気がします。

ヨガ教師 の体験

ROLFINGについて

花村 睦

ロルフィングを御願いしようと思った一番の理由は、

私を無条件に愛してくれた父が3年前に亡くなって、悲しみが薄くならなかったからです。

 

実家に帰って、優しく微笑んでいる写真を見ると、父は幸せな人生を送ったのだろうか…、

私は、父の気持ちや想いを知って父を看取ることができたのだろうか…などと考え、

必ず涙が流れました。喪失という本当の言葉の意味を、今まで知らなかったと思いました。

そして、私の気持ちは、決して言葉で説明できるようなことではない…と分かっていました。

 

この気持ちを断ち切るのではなくて、自分の内側に大切に納めたいと思っていましたが、

『スピリチュアルなヒーリング体験』を騙る怪しげなヒーラーが存在することを知っているので、

『科学的に説明できるような根拠を持った人』に、自分の状態を見てもらおうと決めていました。

 

二つ目の理由は、母が私に繰り返し話してくれたことでした。

当時分娩時に麻酔をすることが流行して、私を産むときに、母は繰り返し麻酔をされました。

母は、2日間麻酔をされて体力的に限界になり、私は「かんし」でこめかみを挟まれて産まれてきました。

小さい頃は、とても怖がりで2歳近くまで、誰かに手をつないでもらわないと歩けなかったそうです。

 

産まれてきたときの私に何が起きていたのか分かりませんが、自分が産まれた瞬間が、

自発的なものではなくて、誰かに強いられた結果だということ(その意味)を、昔から考えてきました。

 

田畑さんのHPの中で、出産時のトラウマについて体験のあった人の話を読んで、

田畑さんにロルフィングの施術をして頂くことで、自分が今まで長い間持ってきた疑問を

解決できるのではないか…と思いました。

 

そして、20年程前に、初めてロルフィングのセッションを受けたときに、『心だけでなく、

身体の筋肉も感情を覚えている』とロルファーの方が話していたのを思い出したので、

もう一度、ロルフィングを受けようと決意しました。

 

自分の中の大きいテーマはこの二つでしたが、10回終わってみて新しい気づきがあったことが

いくつかありましたので、その中で大きい体験を書いてみることにしました。

 

初回、施術を受ける前に治療台に座って真っ直ぐ前を見たときに、

床と壁の境目が右にかしいで、ボールをころがしたら、勢い良く右にころがりそうな感じがしました。

首も左後ろに曲がりませんでした。

 

施術中に、田畑さんに頭を持たれて、呼吸に意識をむけていたら、首と頭のつながり部分が

伸びて広がりました。

首がどんどん伸びてきて、鼻の裏のあたりが、鼻水がながれるような詰まった感じがしました。

 

突然、涙が流れました。恐怖感、自分を変えられるような嫌な気持ち感じていました。

呼吸を続けて落ち着いてきたら、涙がとまり、また後頭部のあたりが伸びました。

 

自分にとって、一番体験が大きかったことです。今現在は、首にかなり自由さを感じています。

左後ろに首をねじっても、稼動域が広がっているのがわかります。

 

「かんし」分娩の後遺症とも関係があるのか…と考えたりしますが、自分では良くわかりません。

 

3回目が終わったころに、自分の感情がまっすぐに直接的になってきたことを感じました。

特に、怒りを悲しみにすりかえずに、怒りの感情としてまっすぐに感じられるようになりました。

人に向けてはいけないような、暴力的な感情であることに戸惑いを覚えました。

 

それと同時に、瞑想中に首が良く動くようになりました。(以前から瞑想をしています)

ある時、夜11時頃寝て夜中の1時頃目が覚めて、瞑想をしたことがあります。

突然首に大きな動きが起きました。

勢い良く水が出たホースを地面に放っておくと、ホースがグルグル回転するような感じ。

頭の中にある何かを脱水機が回って脱水しているような感じ。

20分位続いたあとで静かになり、その後の眠りはとても深くて、本当に静かでした。

それが最後で、それ以来、瞑想中に首が極端に大きく回ることはありません。

 

3回目が終わったあとで、ひどい腰痛になりました。

立っていることができずに、1日寝込みました。ホットタオルで暖め続けたら、痛みはなくなりました。

時々、セッションの後で腰や膝が痛む事がありましたが、通常は暖めれば1日か2日で治りました。

 

4回目が始まる頃には、肋骨の左右の動きをはっきりと自覚できるようになりました。

肋骨が自分を他人と区切っているような、自分の胴体が独立したような感じ。

呼吸が横に広がって、肺に広がりを意識しました。

 

相反するようですが、

それと共に、外側の筋肉や骨が自分を支えているのではないという体験がありました。

背骨が支えているという単純な感覚ではなくて、内側の力が外に広がって自分のコアを感じました。

自分を外側からよろいやコルセットを着て支えなくても、ガードしなくても良いという感じです。

外から自分を固めるのは間違っているような感じで、自分の身体への印象が変り始めました。

 

10回のセッションが終わってから、いつの間にか、腰が痛む事がなくなりました。

以前は、深い前屈などのヨガのポーズをすると、腰が痛むことがありましたが、最近痛みはありません。

 

施術中は、骨盤まわりがゆるんでカタカタと動くのを良く感じました。

終わった後で、ボンヤリして、電車を乗り過ごしたこともありました。

その感覚から、日常の身体の感覚へと戻っていく時間を、とても大切に思いました。

自分の身体に対する気持ちが良いものへ変わることを、いつも望んでいました。

 

施術後半になると、ボイストレーニングの先生や、水泳の先生に、痩せたわけではないのに、

ボディラインが変わった(すっきりとした)と言われるようになりました。

 

最近は、特にダイエットをしているわけではないのに、お腹まわりと背中の脂肪が、少しずつですが、

落ちてきました。

ようやく、外側で自分を守ってきた脂肪をはいらない…ということを、マインドが理解してくれたように

思っています。

 

喪失感と、分娩時のトラウマの解消については、正直なところ、まだ良く分かりません。

もう少し時間が経ち、何か関連するような出来事があったときに、自覚ができる新しい気づきが

でてくるのではないかと思い、ゆっくりと自分を育てようと思っています。

 

これからは、急がず、ゆっくりしたペースで、田畑さんにロルフィングの施術を受けて、

心と身体の調整をしていきたいと思っています。

 

心から感謝しています。

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