ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(3/10)

西日暮里から代官山へは、千代田線で明治神宮前まで向かい、そこから副都心線へと乗り換える。移動そのものは機械的でありながら、その途上でいくつかの印象が残る。副都心線の車内で席に着いたとき、目の前に立っていた若い女性の、強い不機嫌さを帯びた眼差しが妙に記憶に残った。その視線は、対象を拒絶するようでもあり、同時にどこか閉じられた世界の内側に向けられているようにも見えた。

セッションは14時30分開始。やや早く到着したため、25分に一度ベルを鳴らすが応答はない。30分ちょうどに再び鳴らすと、今度は応答があり、扉が開いた。この一連の出来事を、時間の精度に対する暗黙の規律として私は受け取った。確認することなく、ただ「そういうものなのだ」と内的に了解する。

室内に入った瞬間から、どこか半ば眠りに入っているような、意識の輪郭がやや曖昧な状態にあることに気づく。そのためか、セッション全体の記憶は明瞭さを欠き、いくつかの断片としてしか保持されていない。

着替えを済ませ、写真撮影。その後、歩行を促される。歩く感覚について問われ、「歩いてはいるが、どこか面倒だと感じている」と答える。そのとき、自分が単に歩行という行為に対してではなく、より広い意味で生命活動全体に対して「煩わしさ」を感じているのではないか、という感覚が立ち上がる。

両足を肩幅に開き、左右に体重を移動させる単純な運動を行う。身体を観察の対象として扱う時間が、静かに始まる。

ベッドに移り、まずはうつ伏せの姿勢を取る。顔の向きを左右いずれかに固定しなければならず、頸部にわずかな負担が生じる。完全に快適とは言えない状態のまま始まるが、田畑さんがボールなどを用いて微細な調整を施し、その後しばらく時間が経過すると、身体は徐々にベッドへと沈み込み、接触面が拡張していく。最終的には、身体とベッドとの境界が曖昧になり、広がるように密着している感覚が現れた。

ここで「見守られている」と記述することはできるが、主観的にはそのような他者の存在感はほとんど知覚されていない。むしろ、私は完全に自らの身体感覚と、そこから派生する思考やイメージの流れの中に没入している。その流れがひと区切りを迎えた頃、適切なタイミングで「今、どのような感じですか」と問われる。この「区切り」の感覚と、田畑さんからの問いのタイミングが一致することに、説明しがたい不思議さがある。

続いて仰向けの姿勢へ。前回同様、各体位ごとに内的な「出来事」が立ち上がっては消えていくが、その内容はほとんど記憶に残らない。むしろ今回は、前回以上に忘却されている印象が強い。ただ、断片的な印象として、より振幅の大きい感情やイメージが生起していたように思われる。静かな状態と強い動きとが交互に現れ、そのダイナミクス自体が印象として残っている。そうした局面では、外部からの介入はほとんどなかった。

セッションの終盤、座位を取った際に明確な変化を感じた。「座っている」という事実が、これまでになく明瞭に知覚される。骨盤周辺に確かな支持があり、身体が自然に垂直方向へと組織化されている感覚があった。そこには不安定さや煩わしさはほとんどなく、むしろ安定と安心が伴っている。

その後の歩行においても、先に感じていた「面倒さ」は顕著には現れなかった。動くことに対する抵抗が、ある程度緩和されているように感じられる。

今回は「KOTSUBAN」という言葉がひとつの手がかりとして残った。解剖学的・構造的な理解は持ち合わせていないが、少なくとも経験として、腰部—骨盤周辺の安定性が質的に変化していることは明確であった。それは説明というよりも、身体そのものが示している事実として、確かにそこにあった。

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(2/10)

代官山に予定より少し早く到着し、あてもなく周囲を歩いた。数度、同じ人物とすれ違う。その反復の中で、自分が「奇異な存在として見られているのではないか」という意識が立ち上がるのに気づく。それは一過的なものではなく、長く持続してきた感覚の再演であり、「周囲から逸脱した者として認識されたくない」という欲望に根ざしている。この傾向は私にとってひとつの課題であり、他者の視線から自由でありたいという希求と、いまだ緊張関係にある。

田畑さんの部屋に入ると、前回と同様に澄んだドアベルの音が響く。その音を境界として、日常的な空間から別の位相へと移行するような感覚がある。

廊下にはペンタゴンフロアマットが縦に配置されており、それらが連なって施術部屋へ誘われているよう。

着替えの後、写真撮影が行われる。私にとって撮影されるという行為は、いまだにどこか不快であり、自然に身を委ねることが難しい。その最中、「問題ありません」という態度を演じている自分に気づく。その演技が誰に向けられているのかは判然としない。ただ、自己と他者のあいだに仮構された視線を前提にした振る舞いであることだけは確かである。

指示に従い、歩行や腕の挙上を行う。自らを評価の対象として差し出すような感覚がありながら、それが奇妙に心地よい。能動性を一時的に手放し、観察される側に身を置くことは、どこか幼児的な状態への回帰を伴い、わずかな羞恥と同時に軽やかな解放感をもたらした。

ベッドに横たわり、側臥位で姿勢の調整を受ける。細部にわたり身体の位置を探り、わずかな違和感にも言葉を与えながら、最適と思われる配置を模索する。初めは「許容可能な位置」に留まっていたが、時間の経過とともに、下側の身体とベッドとが境界を失い、あたかも粘性をもつ物質同士が接触するように密着していく感覚が生じた。それに伴い、身体の重さが均質に広がり、弛緩が深まっていく。

反対側でも同様のプロセスを経るが、その間、意識は多層的に展開していた。具体的な内容はほとんど保持されていないが、現在抱えている問題や、ある人物への想念が浮かび上がり、ときに性的なニュアンスを帯び、それをさらに俯瞰する自己意識が羞恥を喚起する、といった循環があった。また、呼吸へと注意を戻す試みも断続的に行われていた。

身体感覚として特に印象的だったのは、足部、特に足趾の活動である。それは単なる運動というよりも、何らかの表出、あるいは発話に近い感覚として知覚された。言語化を試みると、その意味づけが過剰に固定され、経験の微細な差異が損なわれるように感じられる。むしろ、意味を持たないままに動き続けることによって、直接的に向き合うことを回避している感覚を、迂回的に保持しているようにも思われた。

仰臥位になると、腰部の浮遊感が際立ち、支持の不確かさが不安として立ち上がる。そのとき、幼少期にうつ伏せで寝かされていたという記憶が想起された。身体の前面に圧や重量がかかる状態のほうが、私にとっては安定をもたらすのではないかという仮説が浮かぶ。田畑さんは位置や距離を微調整しながら、しばらく静かに見守ってくれた。その後、身体の状態を問われ、改めて観察すると、先ほどまでの不安定さは消え、身体全体がベッドと連続しているような一体感があった。とりわけ手は、掌の向きすら判別できないほど、支持面と融合しているように感じられた。この状態においても、意識の内部では何らかの物語が展開していたが、その内容は想起できない。

起き上がり、ベッドに座る。直立的に座ることに慣れていないため、不安定さを覚える。右膝の向きをわずかに変えるよう指示を受け、その通りにすると、骨盤の支持が明確になり、座位が自然に成立する感覚があった。

再び歩行を試みるが、顕著な変化は認識できなかった。田畑さんは多くの問いを投げかけてくれるが、それに対して十分に応答できていない感覚がある。しかし、その不完全さをそのままにしておくことにも、ある種の許容が生まれている。歩きながら、室内に配置された複数のアート作品が視界に入り、関心を引かれるが、それについて言葉を発することにはためらいがあった。

施術後、事前と事後の写真を見せながら説明を受ける。その際、自分がそれらの視覚的な変化にほとんど関心を向けていないことに気づく。明確な効果や可視的な差異を求めているわけではない。むしろ私は、このロルフィングという経験そのものに身を置くこと、それ自体を目的としてここに来ているのではないか、そのような感覚が静かに立ち上がっていた。

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(1/10)

・田畑さん、イールドを知った経緯。

イールドというワークを初めて知ったのは、ソマティックリソースラボに掲載されていたリンクからでした。女性が田畑さんに質問を重ねながら、イールドについて紹介していく動画を拝見したのがきっかけです。

わたしは昔から、謎なこと、どこか超現実的ともいえる感覚に惹かれるところがあります。ただし、どのような体験でもよいというわけではなく、自分なりに信頼がおけると感じられること、そして誠実さを感じられる相手であることが、とても大切でした。その意味で、動画越しに伝わってきた田畑さんの佇まいには、どこか静かな安心感のようなものを覚えたように思います。

・スタジオに入ったときの印象。

田畑さんのスタジオに入ってすぐ、ドアに小さな風鈴のようなものが掛けられていて、扉を開けた瞬間に、澄んだ音が鳴りました。その音が、不思議と印象に残っています。廊下には、いくつかの六角形の謎マットのようなものが整然と並んでいました。四つほどだったでしょうか。それが何を意味しているのかわからなくて、ニヤニヤしていました。

・始まった。

最初に、カウンセリングのような時間がありました。案内された椅子に腰かけると、それは半球のような形状をしていて、下にはバネが付いているのか、座ると自然に身体が揺れました。田畑さんによれば、ドイツのメーカーの椅子で、体幹でバランスをとる構造になっているとのことでした。スタジオには、ほかにも興味深いもの(テンセグリティのスカルプチャーなど)がいくつも置かれていましたが、その日は少し緊張していたこともあり、あまり質問はできませんでした。ただ、その空間全体が田畑さんなんだな〜って思っていました。

「今、どんな感じですか?」

セッションの最中、田畑さんから何度か「今、どんな感じですか?」と問いかけられました。そのたびに、わたしは言葉を探しあぐねていました。何が起きているのかを即座に説明できるような明確さはなく、かといって何も起きていないわけでもない。ただ、何かが微細に変化しているような気もする。けれど、その変化をどう名づければよいのかがわからない。

結局、そのときの困惑そのものを伝えたり、少し前の状態と比べて「さっきよりも…」といった相対的な表現で、違いの質感のようなものを、なんとか言葉にしようとしていたように思います。正確なやり取りは、正直なところあまり覚えていません。ただ、言葉にならないものと向き合う時間だった、という印象だけが残っています。

以前、「ひもトレ」とイールドの合同ワークショップで、一度だけデモンストレーションのモデルをさせていただいたことがあります。そのときは、何が起きているのかよくわからないまま、ただ「わからないこと」を楽しんでいる自分がいました。もともと、訳のわからないものに惹かれる性分もあり、とても楽しかったのを覚えています。けれど、今回の個人セッションでは、もう少し違った感覚がありました。何かが確かに起きていたような気がするのです。ただ、それを明確に説明するのはやはり難しい。そこで、感覚の近い体験をいくつか思い浮かべてみました。

・感覚の比喩

1. 保健室にいるような感覚

みんなが授業を受けている時間に、自分だけが保健室で養護の先生と静かに過ごしているような感じ。外では日常が流れているのに、わたしはそこから少し外れた場所で、時間の質が違う空間にいる。そんな感覚に近いものがあったように思います。

2. 喧騒から少し離れた場所

わたしは、大勢が集まるパーティーのような場で社交するのが、あまり得意ではありません。会場の喧騒から少し離れた喫煙所で、少人数で静かに過ごす時間や、メイン会場とは別の部屋でひっそりとくつろぐようなひとときに、どこか心地よさを感じます。

イールドのセッションにも、そうした「距離の取り方」に似た感覚があったように思います。何かから完全に離れるのではなく、しかし、べったりと巻き込まれるのでもない。そのあいだにある位置に身を置くような感じです。

3. 同じ部屋で、別々のことをしている

好きな人と同じ部屋で過ごしていながら、お互いに別々のことをしている時間。言葉を交わさなくても、同じ空間を共有しているという感覚だけで、十分に満たされるような状態。

セッション中の時間にも、どこかそれに似た静けさがありました。何かを積極的に「する」というよりも、ただ共に在ることの中で、微細な変化が起きていくような…。

これらの比喩は、イールドの施術を受けたときの感覚的な印象に、どこか似た質感を持っているように思います。ただ、それが何であったのかを、まだはっきりと言い切ることはできません。けれど、言葉にならないままの感覚を抱えながらも、その場に身をゆだねていた時間は、確かにわたしの中に何かを残しているようにも感じています。

他方面で活躍のイラストレーター( 10/10)

The 10th session 2025.03.19

今日は感覚がクリアで、右に立たれるとグイグイそちらへ引っ張られる感じがした。左はスーッと呼吸が楽だった。仰向けで左ひざを立ててはじまる。左足首に触れると外へと引っ張られる感じ。足を置いたところをもう少し外側にすればよかったと思っていたので、ちょうどよかった。でもまだ横へ広がりたい感じがした。横に伸ばされていく。足と腰を触っているのに肩がぐーっと広がる感じがした。前に入っていたんだな、と気づく。一緒に胸も開いていく。開くと左奥歯の歯茎も伸ばされている感じがした。痛みが少しずつ楽になった気がした。背中がベッドに広がっていく。左が下がって、右と違う。腰の辺りを触っているとき、そこに何か感情が残っているのを感じた。子宮の辺り。10年前の体外受精のことを思い出した。残念な結果を電話で告げられて、ただ呆然として、何やってんだろ、初めから違和感があったのに、、だからこれでよかったんだ、という気持ちと、今まで感じたことのない虚無感でただぼーっと佇んでいた。人に言うことでもないから、あまり話すこともなく、夫にもどんな風に話したのかも覚えていない。ショックではあった。もがいて必死で、心がぐちゃぐちゃだった。でもそこに重い重い蓋をして、無かったことにしていたのかもしれない。もっとしっかり二人でそのことについて話し、ちゃんと受け止めたらよかった。頑張ったよね、と話せばよかった。タブーのようになってしまったそれは心の奥のほうにべっとりと残ったまま腐敗していた。その蓋が開いた。あれはひどいエゴだったかもしれない。あの当時私は幼く、ただがむしゃらで、無理やりにでも自分のやりたい方向へ前進させていく、という頑なさがあった。互いの心を慮り、愛を持って接する、ということが、関係が近い人にこそ出来ていなかった。愛をもってエゴを手放していく、ということこそテーマだと受け取った。

左がおわり、右も同じくらいやるのかと思ったら、少し腰に手を当てたくらいで終わり。それでも右はスーッと広がっていった。

座って左の大腿骨に触れ、骨のなかの重みを感じてと。すると坐骨がしっかり下がって安定した。立ち上がるとまたしっかり足裏に体重が掛かり、背骨は腰の上にきちんと乗り、背筋は上へと伸びて、肩は下がり、胸は広がって呼吸がしやすかった。腕の痛みも感じず、歩行もスムーズだった。意識が広がった感覚がした。しっとりと落ち着いた感覚。俯瞰する視点があった。重心が下がったからだろうか。

最後のインタビューで、ロルフィングの気づきでよかったことを聞かれた。

その一つとして、微細な違いに気づくことに敏感になった、と答えた。本当によくよく意識を向けないと流してしまうような変化や気づき、違和感。そこにアンテナを立てながら、じわじわ体が反応して広がったり、動いたりするのを味わう。ただ意識を向けただけなのにそんなことが起こる。すべては自分の感覚のなかで起きているけれど、確実に変化していることも見て取れた。最後の写真では背筋がピンと上へ伸び、体は横に広がっていた。縮こまっていた体は緩んで広がったのだ。内臓もゆったりと動くことができるだろう。呼吸も楽になっている。あとは日々これからも意識的に体を使い、忘れないでいること。変化は半年ほど続くらしいので、まだこれからも楽しみだ。

10回シリーズ直後のインタビュー(肉声)

他方面で活躍のイラストレーター( 9/10)

The 9th session 2025.03.09 

うつ伏せからまた腕あげ、足曲げスタート。

向いた方の腕と足曲げ。足をヒモで結ぶ。安定した。敷いてあるタオルケットがザラザラの洗いざらし感で安心する。リラックス。ベッドを体をあずける。

足と肩 連動しながら伸びていく。印象的だったのは呼吸に合わせて、肩から肩甲骨にかけて丁寧に圧をかけながら伸ばして広げていく工程。一緒に伸ばしていく感じ。やはり連携作業なんだなぁと思う。寝てしまうのはもったいない。(でも本当に耐えがたい眠気がやってくること多数、、今回はわりと大丈夫だった。) 呼吸ごとにじわりじわりと伸びていく。ゆるんでいく。頭頂部を上に突き出しながら、左右の手を上下へ伸ばし、休む。繰り返す。上に伸びていく感じ。かかとを下に押し、腰から逆の足を上げて捻るように伸ばす。肋骨なども触りながら微調整を。体のなかに空間がどんどんできていく。あっという間だった。仰向けになると胸が広くなったのがわかった。肩も下がっている。

座ってからさらに右の肩甲骨を微調整。

立ち上がると足の裏のフィット感がいつにも増してすごい。ズシリとした安定感。

歩くと胸の広がりと背筋がすっと伸びて、足の運びは滑らかで、腕も自然と振っていた。腰が上がってまた足が伸びた感じ。

右肩に古傷があり、それが稼働範囲を制限していたそう。これで広がった分、負担が楽になる。凝りにくくなるのかも。

感情はどのタイミングで出てくるか人による。全部終わってから半年後とかも。ふと出てきて泣いて、ずっと患っていたところの痛みが治ったとかいうことも。

私の場合、7回終わり準備が整って出てきたのかも。

ヒントはくれるけど、限定しない、答えを出さない、というのは徹底していて、こちらが感じて味わってあくまでも自分で気づく。それが大事。

他方面で活躍のイラストレーター( 8/10)

The 8th session 2025.03.04

横向き、走ってる人を寝かせたみたいな体制からスタート。右肘辺りを触りながら、次は右足首と何度か繰り返す。たまに力をぐーっと加えられ、腰、背骨のラインがぐーっと伸びていくのを感じる。一本通っていく感じ。そして胸もまた広がっていく感じがした。ひねった体制だからなのか、いつもより全体が伸びていくのを感じる。とても気持ちがいい。左肘に手のひらを当ててもらっている間、どんどん緩んでいくのを感じた。解放されていく。肩甲骨、肩辺りを触られているとき本当に力んでいたな、もうそんなに頑張らなくていいんだ、緩んでいこう、という思いが湧いてきた。左足首を触ったとき、右の上奥歯まで伸びて、位置が修正されるような感覚がした。不思議だった。心臓と肺の重みを感じて、と言われて、それも委ねていくと、とてもラクになった。こんなのは初めてだったけれど、心臓の重みはズシリとしっかり感じられた。骨の重みも感じるだけでその部分は緩んでいく。ということは心の重み(痛み)もそこに意識を向ければ、それだけで緩んでいくということか。ジャッジせず、ただそこにあることを認めるだけでいいのだ。許す、というのに似ている気がした。

最後に立ってみると上半身が広がっていて、全体がまっすぐ繋がっているのを感じた。足のしっかりした着地感もある。肘も軽く、腰はまた上がり、手足が伸びた感じ。帰りは歩くのがとてもスムーズだった。最後の方で指も触っていた。そんな些細なところでも調整するという。そして左膝に古い傷があったらしい。ラクロスの練習中に膝の皿にヒビが入ったそれかもしれない。随分と丁寧に手を当ててくれていた。これが解放されると全体のつながりがよくなっていくそう。忘れてしまっている傷があるものだな。今回は気持ちよく整った感じがあった。

他方面で活躍のイラストレーター( 7/10)

The 7th session day 2025.02.26

仰向けからスタート。左頭上に立ってもらうと少し引っ張られるような感じ。右は詰まる感じがしたので、左側から始める。背中に手を入れる。触れるだけ。ベッドについている部分を感じて身を任せて行く。次第に緩んでいく。触れているところに意識を向ける。肩甲骨辺りはいつも凝るので、手を当てられているだけで心地いい。右も同じようにする。右のほうが硬い感じ。坐骨に触れる。首にも。喉の真ん中を少し押されて苦しいが手を離すと通りがよくなっている感じ。首の右側を触られているとき、右腰の端の骨?がビビッと痺れるような痛みが2、3回来る。その後そこが動いた感じがした。口に指を入れて、まずは上顎を緩める。顎の重みを感じながら、食道も胃も力を抜いてリラックスすると、食道と胃も体と同じようにペタンと脱力するのがわかる。少し指で顎を押す。右も同じく。平行にしているらしかった。下あごも重みを感じながらリラックスして身を委ねる。あまり力を入れる感じではなく、少し押さえるくらい。舌の下に指を入れ押されたときは痛かった。右は特に、親知らずを抜いたからかもしれない。この部分も平行になると負担がかからずスムーズになるらしい。全て平行がいいのだと知る。次は鼻。指を入れる。ほんの少し。それでも鼻の通りが良くなった。とともに胸がまた開いた感覚がして、胸に入る空気の量が変わった。どんどん体の中にスペースができていく。

座ると上体がまたスンと伸びた感じ。鼻、喉、口、胸がきちんと一直線になっている感覚。顎もシュッとした感じがする。立ってみると、また踵にズンと体重がかかるのがわかった。上体のまっすぐ感もよくわかる。背中のスペースもわかる。腰に上体がちゃんと乗っている感じする。

・後日の感覚

最近夢がやたらと多くて、ディティールが細かい。温泉に行ったり、車で移動したり、宇宙船みたいのに乗ったり、なんだか忙しい。出て来る人も多い。これもロルフィングの作用なのか?腰の痛みは出にくくなっている。ただ腕は相変わらず痛い。

平行であることで、共振、共鳴しやすい身体となるようだ。

ここ数日、自分を見つめ直すこととなった。ぐらついている。呼吸を意識的に取り入れて、自分を俯瞰しようとするも、個展のことなどもありナーバスになっているのか。不安がやってきたり、過去のことを思い出して悶々としたりしていた。かと思うと制作中に多幸感がやってきたり、アップダウンがある。

他方面で活躍のイラストレーター( 6/10)

The 6th session 2025.02,20

うつ伏せからスタート。しばし横になっていると「どんな感じですか?」と。

だんだんベッドに体が広がって緩んでいく感じ。右の肋骨の間に指を入れていく。呼吸をゆっくりして、触っているところを意識しながら、そこに空気が入っていくイメージ。吐くときに指がグイッと入ってくる。開かれていく。右側にスペースができていく感じ。横にも、縦にも。坐骨や尾骨辺りにも手を当てる。呼吸がどんどん広がり、滑らかになってくる。黄色、ピンク、赤の色が広がる。左右差が凄い。右はどんどん立体的になり、左が平坦なイメージ。手のひらがジンジンと熱くなって来る。気が通っていく感じ。

左も肋骨の間に指を入れていく。呼吸に合わせて広げていく。結構ぐーっと。腰の方もじわっと動いた。下がるイメージ。背中が広くなっていく。

仰向けになり膝を立てる。踵の位置の調整。座ると背中がスンと伸びる。少し前かがみになり両手を下ろし、スネと足裏に力を入れて、田畑さんが背中をぐっと押すのを押し返しながら上体を上げて行く。2回。これでアイロンをかけられたようにとても伸びる。

立ってみると足裏のフィット感がまた凄い。はじめにやった肩幅に足を開いて、片足ずつ膝を曲げて腰の乗ってみるのを再びやってみると、どっしり乗っているのがわかる。さっきとまるで違う安定感。歩いてみると背中が伸びて、手が下に向かって肩からストンと下りているのがわかる。足も長くなったような感じ。腰が上がった?背は自然にまっすぐ上へ伸びている。足も運びやすい。

写真を見ると背中が横に広がり、縦にもスペースができている。背筋も施術前はやや前傾していたのが、まっすぐ上へ伸びていた。肩と肩甲骨辺り、よくマッサージしていますか?と。押したら呼吸に合わせて力を一緒に抜いていかないと押したままになり硬くなってしまう、とのこと。加えた力は抜かないといけないのか。

今回肋骨が広がったので、背中にも呼吸が入るようになり、その分背中が動くようになるので凝りにくくなる。今まで動いていなかった筋肉を使うことになるので少し筋肉痛になることもあるかも、という。

前よりもまたさらに呼吸がスムーズになった。帰ってからも気が巡っているようで、手のひらがツルツル、ポカポカしている。喉がとても乾くので水分を充分に取っている。

4回目の後、足が重い感じがあったけれど、それに慣れたのかまた足は軽くなって、歩きやすくなった。

他方面で活躍のイラストレーター( 5/10)

The 5th session 2025.02.15

仰向けからスタート。左右の立ち位置確認。左のほうが良い感じ。

まずは左から手を上げた状態で骨に触れていく。背中の力が抜けて、下にどんどん付いていくとともに上半身、左が広がっていく感覚。左に引っ張られるような感覚も。立てていた膝が一緒に開いていく。足の位置を調整し、右側も同じく。お腹の腸腰筋をぐーっと押され、じわじわと伸びていく。言われたポイントとポイントを線で結び、その間のポイントに意識を向けると身体の内部がジワジワと動いていくのがわかる。反応している。イメージしながら意識を動かしていくと、そう!そこ!みたいなポイントがあって、味わいながらゆっくりと動かしていく感じ。

座ると上半身が骨盤にしっかり乗っている感覚。歩くと足がスムーズに前へ出る。

腕が痛かったので、また座って肩甲骨辺りをぐっと押してもらいながら両腕を上げていく。足裏をしっかりつけて、スネを意識して上げていくと痛みが和らいだ。何度か微調整しながら続けるとかなり痛みが収まった。

他方面で活躍のイラストレーター( 4/10)

The 4th session 2025.02.12

横向きからスタート。膝を曲げて、腕はボールの上。背中にもボールを挟んで安定する。少し胸が伸びる感じ。左を下にして伸ばした左足に布を掛ける。この布が掛かっただけでかなりほっとする。踵にそっと触れたりしながらはじまる。今日は立ち位置の確認なしだったけど、背中側にいてもらうと安心な感じだった。

スネの骨2本に意識を向け、重みを感じる。坐骨や尾骨、恥骨なども。そこに掛かる重みをじんわり感じる。たまにぐっと押したり。スネの方だったか、押されると背中がぐーっと伸びていき、大腿骨の中をジンと痺れのようなものが走るのを感じた。骨盤が動いたのか?じわじわと筋肉が動いていく。今日は集中しようとするも意識がふっと飛んで夢のなかにいてなかなか集中できなかった。2度ほど応えられなかった。(後から聞くと、普段動かさない筋肉が動かされたので、ぼーっとしたりはあるでしょうね、とのこと)リラックスはしていたと思う。痛みは特にない。右側も同じようにやる。左右差はあまり感じなかった。

仰向けになり、膝を立てて足の位置を調整する。その後座る。足を骨盤幅にして、少し前かがみになって手をぶらり下へ。そこから背中をぐっと押され、足裏で踏ん張るようにして背中を押し返しながら両手を上へ。2回。そして立ち上がると足裏、特に踵への圧がすごい。こんなにも?というほど重心が確実に下へ下がっている。骨盤がグイッとしっかり足を押さえて安定感がすごい。というか重みを感じる。どっしり感。上半身もしっかり乗っていてブレない。あまりの違いにはじめ足を出すのにもたついてしまった。足裏のピッタリ感もすごい。骨盤が地面に対して平行になって、それとともに横隔膜も平行になるそう。するとしっかり足裏に体重が掛かって安定し、内臓もあるべき位置に収まっていくという。大きく動かしたのでその後怠くなった。喉がとても乾く。体全体が安定してくると、上半身の負担も軽くなるので腕の痛みも良くなるだろう、とのこと。毎回あっという間の1時間で、狐に抓まれたよう。でも写真で見ると確実に変化している。スペースができてきている。

・後日の感覚

前回からの変化は、家で起きてべッドから立つときに足裏にしっかり体重が乗るので重く感じる。でも安定していて歩きやすい。走る感じではなくなり(これまではあまりに歩きやすくて走り出したくなっていた)、グラウンディングできている感覚。奥歯がしっかり噛み合うような感じも。

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