ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: セッション9 Page 1 of 2

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(9,10/10)

本来であれば、第9回、第10回ともに、もっと早くレポートを提出すべきでした。ずいぶん時間が経ってしまい、田畑さんには申し訳なく思っています。

第9回は5月13日、第10回は5月23日。

田畑さんから「時間が経っても、その後、自分の身体に起こっていることを書いてくれればいい」と言っていただいていたので、今回はセッションそのものというよりも、その後の身体の変化について書いてみようと思います。

まず、身体の変化は想像以上に大きかったです。

一番わかりやすい変化は体重で、最初にセッションを受けた頃から約5kg減りました。もちろん体重が減ったこと自体もありますが、それ以上に、身体が軽くなったことで、行動を始めるまでの「初動」がずいぶん楽になりました。以前は、何かを始めること自体に小さな抵抗がありましたが、その抵抗が少しずつ薄くなっているように感じています。

最近は瞑想をかなり集中的に続けています。その中で、とても興味深いことに気づきました。

瞑想中、ときどき呼吸が突然深くなる瞬間があります。思考がひと区切りつき、「ふっ」と身体がほどけるような瞬間です。

その感覚が、田畑さんから毎回、「今、どんな感じですか?」と声をかけられるタイミングと驚くほどよく似ていることに気づきました。

つまり、私にとって田畑さんのセッションは、瞑想ととても近い質を持っていたのだと思います。

身体に触れている時間よりも、触れていない時間のほうが圧倒的に長い。それでも、その静かな時間の中で、身体や心の内部では確かに何かが起き続けている。

その在り方は、私にとって「ネガティブ・ケイパビリティ※」という言葉を身体で理解する経験でもありました。

何かを積極的に変えようとするのではなく、答えを急がず、ただそこに居続けること。

田畑さんの関わり方は、とても非介入的でした。だからといって放任でもない。何かを誘導されている感覚も、変えられている感覚もありませんでした。

極端な言い方をすれば、セッション中、そこには私しかいなかったように感じる瞬間さえありました。

私の身体や心の中で様々なことが起こり、それらが少し落ち着き、呼吸が自然と深くなった、その絶妙なタイミングで、「今、どんな感じですか?」と田畑さんが尋ねる。

その繰り返しでした。

毎回、「何かが起こった」と断言できるほど明確ではありません。

でも、「何かが起こっている気がする」。

今振り返ると、この「気がする」という曖昧さこそが、私にとって一番重要だったように思います。

一般的な整体などでは、「ここがこう変わりました」と施術者から変化を説明されることがあります。もちろんそれ自体を否定するつもりはありませんが、私にとっては、どこか説得されているような感覚になることもありました。

一方で田畑さんのセッションでは、変化の主体はいつも私自身でした。

施術の前後で写真を撮っていただき、そこから身体の変化について説明してもらうこともありましたが、不思議なことに、そのこと自体にはあまり関心がありませんでした。「そうなんですね」と受け取るくらいで、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

私にとって本当の実感は、セッションの最中ではなく、その後の日常生活の中で立ち現れてきました。

歩いているとき、「歩いている」という感覚そのものが以前より豊かになっていること。

筋肉を部分的に使っているのではなく、身体全体が連動しながら動いている感覚。

言葉にすると少し違ってしまうのですが、「全体がつながっている」という身体感覚が少しずつ育ってきました。

身体が整ってきたことで、瞑想も以前より深く坐れるようになった気がしています。

私にとって瞑想は、集中力を養うためにもとても大切な実践です。その質が変わったことは、日常生活にも少しずつ影響を与えています。

以前よりも、多動的な落ち着かなさが和らいできているようにも感じます。

そして、この10回を通して、最も大きな影響を受けたのは、私自身がセラピストとしてクライアントと関わる姿勢かもしれません。

「相手を変えようとしない」という言葉は、これまで何度も耳にしてきましたし、自分でもそうありたいと思っていました。

けれど、頭で理解していることと、身体を通して理解することは、まったく別の出来事でした。

田畑さんのセッションを経験したことで、自分が思っていた以上に、相手を変えようとしていたことに気づくようになりました。

それは技法の問題ではなく、「在り方」の問題だったのだと思います。

この10回は、ロルフィングを受けた時間というだけではなく、「人はどのように誰かと関わることができるのか」を、自分の身体を通して学ぶ時間でもありました。

注釈
ネガティブケイパビリティとは、すぐに答えや結論を出そうとせず、分からなさ・曖昧さ・矛盾の中にとどまる力のことだそうです。

もともとは英国の詩人ジョン・キーツが使った言葉で、後に精神分析家ウィルフレッド・ビオンも、臨床における重要な態度として発展させたとあります。

たとえば、相手の状態を見て、

  • 「原因はこれだ」
  • 「この人にはこの方法が必要だ」
  • 「早く問題を解決しなければならない」

と即座に決めつけるのではなく、まだ意味が十分に立ち上がっていない段階で、観察し、感じ取り、待つことです。

ただし、これは何も考えないこと判断を放棄することではなく、
むしろ、拙速な意味づけを保留しながら、必要なときには判断できる状態を保つことが求められます。

セッションの場面でいえば、

「何が起きているのかを、すぐに説明しようとせず、身体や関係性の中から次の方向が現れるのを待つ力」

と表現できます。

他方面で活躍のイラストレーター( 9/10)

The 9th session 2025.03.09 

うつ伏せからまた腕あげ、足曲げスタート。

向いた方の腕と足曲げ。足をヒモで結ぶ。安定した。敷いてあるタオルケットがザラザラの洗いざらし感で安心する。リラックス。ベッドを体をあずける。

足と肩 連動しながら伸びていく。印象的だったのは呼吸に合わせて、肩から肩甲骨にかけて丁寧に圧をかけながら伸ばして広げていく工程。一緒に伸ばしていく感じ。やはり連携作業なんだなぁと思う。寝てしまうのはもったいない。(でも本当に耐えがたい眠気がやってくること多数、、今回はわりと大丈夫だった。) 呼吸ごとにじわりじわりと伸びていく。ゆるんでいく。頭頂部を上に突き出しながら、左右の手を上下へ伸ばし、休む。繰り返す。上に伸びていく感じ。かかとを下に押し、腰から逆の足を上げて捻るように伸ばす。肋骨なども触りながら微調整を。体のなかに空間がどんどんできていく。あっという間だった。仰向けになると胸が広くなったのがわかった。肩も下がっている。

座ってからさらに右の肩甲骨を微調整。

立ち上がると足の裏のフィット感がいつにも増してすごい。ズシリとした安定感。

歩くと胸の広がりと背筋がすっと伸びて、足の運びは滑らかで、腕も自然と振っていた。腰が上がってまた足が伸びた感じ。

右肩に古傷があり、それが稼働範囲を制限していたそう。これで広がった分、負担が楽になる。凝りにくくなるのかも。

感情はどのタイミングで出てくるか人による。全部終わってから半年後とかも。ふと出てきて泣いて、ずっと患っていたところの痛みが治ったとかいうことも。

私の場合、7回終わり準備が整って出てきたのかも。

ヒントはくれるけど、限定しない、答えを出さない、というのは徹底していて、こちらが感じて味わってあくまでも自分で気づく。それが大事。

幼少時期から過剰な迷走神経反射による失神が頻繁に起こるケース (9/10)

ロルフィング10シリーズ第9回目

ついに9回目となり、細かい変化もありますがそれよりも大きな安定感に包まれる感覚が強いです。
今までは部分的な良い変化に対して「また元に戻ったらどうしよう」というような不安を感じることもあったのですが、8回目が終わったあたりから根拠のない「大丈夫」な感じがお腹の奥にどっしりしていてあまり揺さぶられなくなりました。
セッション後起き上がる時、目は開いていて起きているのにものすごくぼんやりして、あまり身体を動かしたくないぽかぽかした感じが今まででいちばん強かったです。

4,5回目あたりから強い明るさに対してあまりつらくなくなってきたように思っていましたが、単に季節が移っただけな気もして、どちらとも言えない感覚がありました。視力がもともと悪く、両眼0.1以下で、本当なら眼鏡かコンタクトレンズなしで外に出るのはどうかというくらい何も見えないのですが、ここ数年ははっきりものを見ることに耐えられず仕事以外ではできるだけぼんやりとしか見えない状態で過ごしていました。はっきりものが見える状態に疲れて頭痛がしていたからなのですが、7回目以降一度物凄い頭痛を経て、眼鏡をかけてよく見える状態が前ほどつらくなくなってきました。明るさに対しても季節だけでなく、やっぱり受け止められる身体になってきているみたいです。

セッション中に横向きになって頭頂に触れていただいている手に向かって頭を伸ばすような動きをした後、勝手に頭を先頭にして仙骨までの背骨を芯にした上半身がぐんぐん伸びていった感じがしたのがすごく面白かったです。

また、仰向けになった時の背中の接地する感覚の変化が面白く、全身の表面が弾力のあるゴム風船になったようになって適度に張りがある柔らかさで寝台についている様に急に変わった感じがしました。今まで接していた背中がこんな感覚になったのは初めてです。
ついに明日が最終回になってしまいましたが、どうぞ宜しくお願いいたします。

「酷い猫背で」受けにいらしたSさん( 9/10)

心身に向き合っていきたいMさん(9/10)

<9回目のセッションと身体の感じ方について>

今回のセッションは、とても繊細で不思議な動きだと思いました。
6、7回目のセッションあたりからでしょうか、だんだん身体がまとまりを持ち始めているように感じます。
9回目のセッション中も身体をまるまるやわらかい一塊で感じるような時間がたくさんありました。

最近、身体が自分で自分を釣り上げているような軽さを、よりしっかりと感じます。
1、2回目のセッションのときに初めて感じた感覚が蘇るようなときもあり、改まってる感じがすこしします。
今まで「身体を支える」というと、足で地面から支えたり、手をついて身体を持ち上げるイメージだけでしたが、
やわらかく身体自体がいつもリフトアップしているような軽やかさです。水の中にいるときの感覚にちょっとだけ似ている気がします。
身体に感じる変化も、局部的な気づきより、具体的に言い難い全体的な感覚の変化をじっくり味わっています。
身体を動かすとき、なんとなくさらさらとしたイメージがあります。夏の高原の空気の中にいるみたいな気持ちよさです。

セッション後に変化を眺めていると、今までの過去の感覚で作られた意識との時差に気づくことがあります。
身体はいつも今ここにあるので、まずはそれを感じてみると「今まで自分は実はこんなふうに身体を扱ってたんだな」と、
ニュートラルに近い立ち位置で見つめる感覚に気づかされます。
前よりも調子がよくなって初めて、自分の不調に気づくというようなこともありましたし、
気づかないうちにいろんな変化を「普通」のものとして受け止めているのかなと思います。
日常では静かに移ろいでいくものがたくさんあって、その中には気づかない不調のように、変化を求めているものもあるのだろうなと思います。
自分の中にある、そういう小さな変化の声を、ロルフィングは見つけて背中を押してくれているのかな、と感じています。

Activeで多忙なAさん(9/10)

Session 9 

・9回目のセッション中に感じたこと

うつ伏せの態勢からのスタート

少し首が痛く感じていたが

セッション中に仰向きになり肩と首に触れられたあたりから不思議と痛さがなくなる

いつものように1時間があっという間でずっと呼吸に集中していた

・9回目のセッション直後

肩から首、頭にかけて

見えない何かに支えられているような

安定感。

いい意味でしっかりとそれぞれのあるべき居場所に固定されている感じ

意識が自分の体の中心にある感じ(忙しい時は体の外上の方に行ってしまう)

肩がとても軽い、肩、腕に重さなどを全く感じないくらい

・セッション後の経過

フィジカルの面では、以前にも上げてる良くなった下記は継続して改善している

呼吸が深い

体の柔軟性が上がった、

慢性的な肩こりなどが楽になった

いい姿勢でいることが楽になった

ストレートネックの症状がなくなった

今回気づいたのは、朝起きた時の口の中が昔に比べてねばつきや不快な味、匂いなどが改善されていた

太極拳実践者 Uさん(9/10)

今回は横向きで施術を受けました。
足のあたりを軽く引っ張られるときには、
下半身が全部袋に入っていて、その袋をゆっくり伸ばされている感じでした。

足を伸ばして押して、腕を伸ばす動きの時は、まさに、この角度に腕を伸ばしたいという角度で、気持ちよく伸ばせました。

息を吸う度に体が膨れて、吐く度に、体が横に伸びる感じがしました。

ノドを触れてもらうと、
ノドが広がっていき、溶けてなくなるような感じでした。
視界は、全体が白く明るく見えるような感じでした。

また、頭が、すっと、上に抜けるような感じがありました。

◼︎施術後
歩いたときに、
肩幅が広くなって、その広がった肩から足首につながっている感覚がありました。

登山愛好家のKさん(9/10)

Session 9

〈施術中〉

·身体は常に動いているのだが、意識が無くなる瞬間があって時間が飛んでいるような場面が何回かあった

·左の足裏の違和感が首まで繋がっていることを意識する動きの流れであった

·奥の方で、骨がポリポリ、ゴリゴリ、ゴッと動かことが多く、骨の動きを体感することが多かった

·以前は取りたいポーズの絵が浮かんでくることが多かったが、今回は言葉でキャッチすることが多かった

〈施術後〉 

·首がとても楽になった。左足裏の違和感は残るが、動きが出ていることはわかる

·階段を登っている際も竹馬に乗っている感覚が出る

·左右坐骨の距離がさらに開いているような感覚がある

·歩いている際に、一番荷重を感じる場所が親指の拇指球になった(以前は足の指)

·左足の親指の動きが悪いのだが、その部分に刺激を与えるような動きが自然に起きる

·セッション後の疲労感はだいぶやわらぐようになったが、10時間近く睡眠を取った

·ちょっとしたハイキングをしたが、両足の距離が離れ、竹馬感覚をもって歩けている。以前は、靴の泥が反対の足の裾に当たり、両足ともズボンの内裾が泥だらけになっていたが、これだけ距離があると内裾を汚すことも無さそうに思う

·温泉のツルツルする床を歩く際、つい、反射的に足の指とかかとで床を捉えていることがわかった。だから余計に怖かったのだと思う。親指の拇指球とかかとを意識したところ、小指小趾球との3点での支えを感じることができ、滑る感覚よりも、安定している感覚を持てた

·電車の中で立っている際も、3点で立つ感覚にぱっと切り替えられるようになった

左下肢の骨折経験のある方の10シリーズ2時間コース(9/10)

〈施術中〉

・身体は常に動いているのだが、意識が無くなる瞬間があって時間が飛んでいるような場面が何回かあった

・左の足裏の違和感が首まで繋がっていることを意識する動きの流れであった

・奥の方で、骨がポリポリ、ゴリゴリ、ゴッと動かことが多く、骨の動きを体感することが多かった

・以前は取りたいポーズの絵が浮かんでくることが多かったが、今回は言葉でキャッチすることが多かった

〈施術後〉 

・首がとても楽になった。左足裏の違和感は残るが、動きが出ていることはわかる

・階段を登っている際も竹馬に乗っている感覚が出る

・左右坐骨の距離がさらに開いているような感覚がある

・歩いている際に、一番荷重を感じる場所が親指の拇指球になった(以前は足の指)

・左足の親指の動きが悪いのだが、その部分に刺激を与えるような動きが自然に起きる

・セッション後の疲労感はだいぶやわらぐようになったが、10時間近く睡眠を取った

・ちょっとしたハイキングをしたが、両足の距離が離れ、竹馬感覚をもって歩けている。以前は、靴の泥が反対の足の裾に当たり、両足ともズボンの内裾が泥だらけになっていたが、これだけ距離があると内裾を汚すことも無さそうに思う

・温泉のツルツルする床を歩く際、つい、反射的に足の指とかかとで床を捉えていることがわかった。だから余計に怖かったのだと思う。親指の拇指球とかかとを意識したところ、小指小趾球との3点での支えを感じることができ、滑る感覚よりも、安定している感覚を持てた

・電車の中で立っている際も、3点で立つ感覚にぱっと切り替えられるようになった

本当の自分の状態を感じとり、調整できるようになりたいSさんの10シリーズロルフィング(9/10)

9回目 2022/08/17

セッション中に感じたこと

  • 動きのある体勢で内から外へグーっと伸びる動きでピカソの絵(浜辺で走る二人の女性)を思い出した
  • 背骨と心臓の間のスペースを感じるとか意識した事のないことを意識するのが面白かった。体内の臓器や骨の隙間がどうなっているのか、ただの空洞なのか、ちょっと見てみたくなった。
  • 背骨を一個一個意識して体を折り曲げまた伸ばす動きはピラティスでやったことがあるが、リラックス出来るし、姿勢も整う感じがするので、普段仕事の合間などにやってみようと思った。
  • 次回は10回目。楽しみです。

セッション後に感じたこと

  • 音をうるさく感じる傾向は続いている。ラジオのコマーシャル、ロック音楽、中年女性のおしゃべりする声が特に不快に感じ、ボリュームが大きいと耳を塞ぎたくなったりすることもある。キンキンする笑い声や中年男性の声もよく通る大きな声は不快に感じる。音に対する好き嫌いが激しくなったかもしれない。不快に感じていることに気づいたらブロック解除するようにしているが、まだ聞き流せない(もしくは反応しないようにできない)。
  • もともと好きな音、クラシック音楽やジャズはとても心地よく感じる。聞いているだけで気分が良くなるので、暇さえあれば聞いている。気分転換にも良い。
  • ピラティスにつき8回通い始めて今月で丸3ヶ月。身体のアライメントや筋肉などを意識しやすくなった。特に胡座をかく時、骨盤が後ろに倒れる癖があるが、毎回気づいて真っ直ぐに治すようになった。
  • 嗅覚が鋭くなったのか、地下鉄に乗った際下水道のような匂いが鼻についた。何度か同じことがあった。
  • 8月半ば、携帯の電波も届かない場所のある森の中でしばしセルフリトリートをした。瞑想していた時、エネルギーが体の中心にグーッと集まって来る感覚があった。
  • 感覚を外に向けると分散して不快になるのかもと思い至る。人や外の世界でなく、自分、内側の世界に集中しよう、そうしたいという自分と、それを阻む自分がいて、阻む自分は集中できない理由を外的要因に求めているんだと思う。

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