ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: 音楽 Page 1 of 2

ドイツで活動されている舞踏家 10/10

第10回目    

今回のシリーズ中最後のセッション。

会場に向かって歩く時にくるぶしがまだ痛む。しかし右足は楽になってきた。関節を通して呼吸できるように感じる。

上半身、特に首が軽い。

今回はまず仰向けに横たわり、感じ方をチェックする。施術者の立ち位置が決まると、

背中と施術台の間に、上腕部から脚のほうまで順に隙間を作っていく。シーツを使って身体を少し持ち上げたり、背中に手が差し入れられたりする度に、川の流れのようなざわざわした感触が、背中全体から足先に向けて少しづつ流れるのを感じる。

後頭部を使ってバランスを取ったり、左肩を縮めながら眠る癖がわかるようになった。

終了後、座ってみると、下腹部から腿の裏側にかけてとても重い。

手首や肘の関節、前腕部の筋肉が柔らかくなった。

後頭部や頭頂部を意識して歩いてみる。足が痛くなければ、上下動少なく歩くことができている瞬間がある。

肩から後頭部にかけての空間や、頭頂部を延長したところにも意識を向ける。

頭頂部を意識する際に、部屋の天井を限界だと考えるのではなく、その上を捉えると姿勢と重点が変わる。

最後は質疑応答の時間。

Q: 手で加える圧は本当に僅かだけれども、体はその状態を習得して覚えるのか?

A: 一度体験した状態を、今は情報として使わなくても、後で取っておいて、必要な時に必要なだけ使うこともある。

Q: 身体が覚えたり学習したりするにはそれで十分ということなのか?

A: ロルフィングの中にはLess is more という考え方がある。過度の干渉は反発を生むこともあり、良い結果になるとは限らない。

Q: エクササイズするなら何がいいか?

A: パフォーマンスの中の動きをゆっくりやってみるのが良いのではないか。ゆっくり動いて、体に無理がかかりそうなところで止めてみるといい。後は紐トレ。作業する時や、楽器の練習をする時は丸紐を使ってたすき掛けが良い。

最後に。

身体の色々な箇所で新しい感覚を発見することができた。

足指を全部使って歩ける、下腹がまっすぐ前に出る、ふくらはぎが親指と連動している、など。

歩く時など、視覚が空間の全体を捉えている時は、読書時などとは違った働き方をしている。外出自粛令が続いて、デジタル機器に向かう時間が増えるにつれ、視野が狭まっていたのかもしれない。

また、足が弱っていたことにショックを受けた。以前足を挫いて痛めた時の癖なのか、座る時間が長いためもあるのか。また、全く意識していなかったが、以前の足の怪我を庇うような歩き方が長年定着していたということにも気がついた。

自転車だけでは骨に対する刺激が不足する、歩いて骨に衝撃を与えることによって骨の代謝を促す、と田畑さんのコメント。

最も大きな気づきは、これまで自分が、身体が上げる声、時には悲鳴であるような身体の訴えを無視してきたいうことだ。

あえて不快な感覚や苦痛に目をつぶり、忍耐の限界まで自分の肉体を痛めつけて、身体の悲鳴に耳を傾けることをしなかった。

若い頃は、あり余るエネルギーに振り回されないために楽器の練習に没頭した。楽器に依存した、と言い換えることもできる。

そのほかにも、何か集中的に技能を習得する必要があった場合は、自分の身体を矯めることで技術を身に着けようとした。そうしていつしか、身体を酷使して疲れさせることそれ自体を、練習の目的にすり替えることすらあった。

長くなるのでここでは触れないが、当然の帰結として、故障もいくつか経験した。

身体が知っているのに意識が気付いていないことは実はとても多いのだろう。

今回セッションを受けることにしたのは、改めて振り返ると、更年期を迎えて心身のあり方を見直す必要が出てきたためだった。

ロルフィングのアプローチによるならば、力まずにバランスを取れるような心身のあり方を毎瞬発見しつつ、その時その場所での最適な状態を目指すということだろうか。

直接の物理的な刺激が加えられることなく、立ち位置や僅かな接触だけで身体のあり方が変わる。触られている時も触られていない時も、人と人の間にエネルギーが流れ、空間と身体を介してコミュニケーションが成立している。

先の見えない時代をどう生きるか、現代人の私は毎瞬選択していかなければならないが、自分の身体感覚と無意識のはたらきを信頼し、自分と周囲の環境との位置関係を感知することを自分の心身に積極的に許すならば、体感を大きな手がかりとしながら、この乱世を生き延びることができるかもしれない。

非常に身近なところの例を挙げるなら、ラップトップとの角度と距離感、脱力できる寝床作り、同じ姿勢を続けて疲れたら休むこと。もちろんそれだけではなく、無理がかかっている感覚、ニュートラルな状態、積極的にやりたい欲求にそれぞれ意識を向けること。

耳を傾ければ、身体は実は饒舌に語ってくれているように思われる。

一般的に、他のボディワークでは施術者が指導する立場に立って見立てや指導を述べられることがしばしばだ。

田畑さんの一歩引いた介入し過ぎない態度はそれとは異なり、面と向かって評価されたり価値判断されるということがなく、施術を受ける側の感覚や主体性に対する尊重が感じられた。

ありがとうございました。

ドイツで活動されている舞踏家 9/10

第9回目

起床して歩いてみると、痛めていた足が右だけ、痛みが減っている。親指とアキレス腱が連動しているのを意識できた時は痛みがない。左足でも同じ感覚をつかめないか試すが、なかなか実現する瞬間がない。

立った時に腸骨の辺りがしっかりしたのがわかる。建物の土台のように感じる。この感覚は生まれて持つものだ。

今日の施術は右半身を下にしてスタート。右肩から右腕にかけてを右半身の裏から肩甲骨側に、左腕はクッションを支えにして体の前方に、寝たまましばらく伸ばして、休める。同時に頭頂部を引っ張るイメージを持つ。腕を匍匐前進のように動かすと、胸の中心が体軸として感じられて面白い。丹田から肛門のラインを意識しながら、脚を蹴り下げる。同時に両腕も動かす。体の中というより、前面の少し前に、一本ラインが通ったようだ。

右半身の次は左半身への施術。後頭部から首の後ろの空間を感じることと、頸椎一つ一つの間に空気を入れていくイメージを持つように指示される。頭を支えられ、頭頂部から目の裏側の空間を真っ直ぐに感じていく。

すると頭の左、鉢が開いた辺りと頭頂の中間点辺りが痛む。

普段、首の後ろの頸椎3番あたりに気穴のような場所があって、そこで呼吸したり何かを入れたり出したりできる感覚がある。田畑さんが側に立つ時、その部分から身体が貪欲にエネルギーを吸収したがっていることがある。頭が痛い時はその穴が閉じるようで、嫌な記憶が思い出されたりする。

頭から施術者の手が離れると、上にしている右半身がエネルギーを感じる。

左手の平と前腕をほぐす。これまでのセッション中、一番強い手圧がかかっている。

バランスボールに板を載せたものに乗って、重心の位置を確かめる。

最初は前寄りの重心になりやすく、足指でつかめているけれども、かかと には重力が全く乗っていなかった。次はその逆で、かかとだけに重心が乗っている。

両目の間と頭頂が交差するポイントを意識すると、みぞおちの上や丹田も感じられ、一本線が通るのがわかる。

最後に歩くと、時々ではあるけれども、体が自然に前に出る瞬間がある。一体どこのポイントなのだろうか?

最後に田畑さんに色々質問し、考察する。

指の腱鞘炎とバネ指について。

楽器や道具を持つ時の「握る」という動作と「掴む」という動作は異なる、ということを伺う。小指から中指側を使った場合は体側面に繋がる動きとなる。

歩くという行為の必要性について。

筋トレだと全身運動にはなりづらい。散歩などで実際に歩き、骨に衝撃を与えた方が、骨の代謝を活発化させるそうだ。

ドイツで活動されている舞踏家 8/10

第8回目

起きると腰が痛い。

歩くとまだくるぶしが痛む。どこを踏めば良いのか分からず、まるでロボットのような動きだ。普段の三倍ほどのスピードでしか歩けず、走れもしない。その分移動時間を長く見積もっておかないと時間に間に合わない。

バランスが変わったためだとは思うが、治るかどうか不安にもなる。

セッション前に歩いて状態をチェックする。やはり歩き方がぎこちない。

今日はうつ伏せからスタート。いつものように田畑さんが体の横に立ち、スタート地点を決める。

やはり左側がざらざらする。右足先は温かく、その他の右側には感じない地点もある。

最初は全く体には触れられず、何をされているのか分からない。しばらくしてから左上腕に触れられる。芋虫が体表を這う時の重みや感触を思い出す(蝶や蛾の幼虫は嫌いではなく、子供の頃はよく体表に這わせて遊んでいた)。

前夜はよく眠ったはずが、徐々に半覚醒状態に入ってしまい、そこから先は覚えていない。

最後は様々な角度からかかとに触れられる。

起き上がって座ると、腰が重い。呼吸がこれまでとは違った形で楽になっている。色々なところを使いながら体全体で吸えている。

最後に歩き方のチェックをしながら、短いレクチャーを受ける。

右足と左足をそれぞれ、平行した一直線の上に載るように出して、下腹部は前に向けて平行移動させる。

みぞおちの上・頭も前に平行移動させるイメージを持つ。確かにみぞおちの上を意識して歩いたことはなかったように思う。

一瞬、右足アキレス腱の一番上の筋肉と親指が繋がり、親指で踏み締めて筋肉が伸びる時に痛みが消える。続けて歩くとやはり痛みは続いているが、このポイントにヒントがあるようだ。しかし左足は親指が萎縮しているのか、なかなか繋がるポイントがつかめない。

写真を見るとみぞおちの辺りが伸びていて、新しくスペースが生まれているのがわかる。

帰り際にもう一度、田畑さんから歩き方についてのアドヴァイスを受ける。

歩けなくなった原因の一つとして、靴が考えられるのではないか。

某メーカーの靴を長年愛用していたのだが、近年ソールが以前ほど衝撃を吸収しなくなったような気がする。通販を利用したらフィット感が小さめの製品が届き、サイズが自分に合ってくることを期待して返品交換せずにいたら、なんとか痛まずに履けるようになるまで半年かかった。痛みを我慢して履いていた間も、足だけでなく体全体に負担をかけていたのだった。

小さな不具合を放置すると大きな歪みにつながるということだろう。そういえば、ヒールのある靴を日常的には履けないのも足が痛むからだった。最小限に留めているつもりでも、やはり良くないのだろう。

身体へのいたわりを欠いていたことを反省する。当面はインソールを入手して解決しようと思う。

ドイツで活動されている舞踏家 7/10

第7回目

前回のセッション以来、机に座ってラップトップに向かう時間が長く、首を突き出す姿勢になってしまっていた。その度に姿勢を直すのだが、それよりも机をスタンディングデスクにするとか、根本的に変えた方が良いのだろう。

セッションに向かう途中、かかととくるぶしが痛い。折角足の指が開き、指の付け根を使って踏み締められるようになったのに、思い切り歩けず残念だ。

すっかり忘れていたが、小学校6年生の時に左足を捻挫して数ヶ月間後遺症が残ったことがあった。4年前にも右足首を捻挫している。今回のこの痛みは古傷と関係あるのだろうか?

今回は移動中に座ったまま眠ったりして、少々首に負担がかかって痛む。慣れっこになってしまっているのだが、考えてみればそれ自体が無茶な習慣だ。

セッション開始。左側と右側に施術者が立ち、スタート位置を決める。左側はざらざらした感触で、右側は温かい液体が流れるように感じる。触れられていないが、脚がガクッと動くポイントがある。

最初は脚や腕に触れられる。施術者の左右の手で二つの点に触れられているのに、第三のポイントにも触れられているように感じる。第三のポイントは冷たく感じる。

本日の目標は頭部の調整ということで、頬、左右の鼻の穴の中、左右の上顎、下顎に触れられていく。

まず鼻の脇から頬骨にかけて触られる。指先が非常に繊細で柔らかい感触なのに驚く。

次は鼻の穴の奥に施術者の指が入り、喉への空間を意識しながら骨の重さを感じるよう指示される。上下左右の歯茎も同様に、骨の重みを感じながら喉への空間を意識する。

最後に施術台に腰掛けて、消化器官が一本の管になるよう意識する。食道から胃、胃から十二指腸、小腸、大腸、肛門と、背骨の前で位置を意識する。

鼻から吸った息が喉の奥に当たる。これも喉から気管支・肺に空気が行き渡るのを意識する。

背骨・気道・消化器官の位置関係を意識しながら呼吸する。飲食時以外に消化器そのものを一つの管として意識すること自体が初めてのことだ。体内に意識を向けながら静かに呼吸する。情報量が多くて集中が途切れてくる。

すると、前々回に続いてイタコの口寄せのような現象が起き、口先が激しく不随意運動を始めた。声は乗せずにしばらく動くままに任せていると、何かの塊が口から出て行った。この塊と自分との間には双方向にエネルギーの交換が起き、不要なものを見送った、という実感があった。それ一回では出切っていない感触があり、再び不随意運動が起きる。今回も何かの塊が口から出たが、初回のようなエネルギーの交換があったという実感はない。

この件を田畑さんに申告する。「残りの3回で出るといいですね。でも出た方がいいのかどうか。」と田畑さん。

その塊自体が何なのか、分かる場合もあれば分からない場合もあるので、力まずになるがままに任せておこうと思う。

足は痛むけれど歩いて帰路に着く。交通量の多い道路脇で歌うと音域が伸びている。実践では使えない声質だが、高音はBb7、C7、D7まで一瞬出ることがある。また、一つの子音から別の子音へと口の形を変化させる時、一つ一つをスムーズに繋げられるようになっている。

吸った空気を目の涙腺のあたりからも出せるように感じる。

帰って鏡を見ると鼻筋が真っ直ぐになっている。

田畑さんの指先の感触を自分で再現しようと思い、色々試してみる。

ドイツで活動されている舞踏家 6/10

第6回目

起きると上半身の左半分から頭頂部にかけての部分がとても軽い。

このところ数年ほど、以前ほど深く眠れない一方、眠いとか眠いから寝るという感覚も薄れつつあったのが、前夜は久し振りに熟睡できたのが分かる。学生時代に授業中居眠りしてすっきり目覚めた時の感覚だ。大音量のライブで爆睡して、とても気持ちよく起きられた時の感覚にも似ている。

肘を内と外側に回せるようになっている。肘の内側の筋肉が常に固かったのが、触るとふにゃっと柔らかい。

バネ指状態の右手中指が朝には珍しく曲げられるようになっている。

左足のくるぶしも痛くなり、これで両足ともくるぶしを痛めたことになった。普段の二倍のスピードでゆっくり歩く。

前日、左足指の指の間が開く感覚があった。右側のくるぶしは痛く負担だったが、地面を足裏全体で踏み締めるのが面白く、街中を延々と歩いてしまった。荷重のバランスが変わって普段とは違う場所に体重がかかったために、筋肉痛になったのだろうか。

背中と腰の間のスペースに角度がついたのが分かる。加齢と共に肉もついて平坦になってきた場所だが、このままの形で固めてしまうのは避けたいと思っていたところ。

第6回目のセッションは、左右それぞれの脚を重心にして体重をかけて腰を捻り、左右の違いを観察するところから始まった。

右を軸足にした時の方が重心をかけにくい。左右に重心を移す時、真ん中のあたりで頭が上に伸びるポイントが来る。

まず診療台でうつ伏せになり、スタートの位置を決める。施術者が左脚・右足先・右体側・右頭上部と位置を変えて立つ。

左側はピリピリしする。右足先はマイルドに温かく流れる感じ、右体側面は圧を感じて熱さが痛みに変わる寸前のような感じ。右頭上部に田畑さんが立つと、しばらくずっとそこにいて欲しい程に気持ちがいい。

右側からスタートする。

うつ伏せの姿勢で、身体の重みを感じることに意識を向ける。

足先の小指・薬指・中指が離れ、暖かくなってくる。次第に足指先が最初は左側、次に右側もあわせてピクピク動き、止まらなくなる。しばらくピクピク動くに任せておく。

うつ伏せになったまま、頭の両側から空間をキープしたまま手で挟まれているらしい。

実際には触られていないのだが、右の盆の窪と頸椎3番あたりに、爪楊枝の先で突かれているような刺激を感じる。

顔の筋肉が不随意運動を始める。まず目が思い切り閉じる。次に口がむにゃむにゃと動き始める。イタコの口寄せのような現象で、時々こうしたことは起こるのだけれども、声を乗せなければ自分が何を口走っているのか、内容は分からない。 

足先の運動が止まり、熱くなる。足から先の感覚がなくなり、半覚醒状態に入る。

最後に膝を立てて左右に倒してみる。施術台に座ると、みぞおち裏の右側に力がかかっているのが分かる。

腕をだらりと下げた状態で脚を前に出して踏み締め、腰の角度を変えて、立つ時に再び重心を左右に移して感覚を確かめる。

重心が左右交互に移る時、頭が伸びるポイントがある。

写真を見ると上方向にのびている。

帰宅中、無性にカレーが食べたくなる。食欲を感じるのは久しぶりのことだった。

眠い。何かを発散した後の眠気で、眠気自体が気持ち良い。

ドイツで活動されている舞踏家5/10

第5回目

歩いてセッションに向かう際、足先が重い。足の爪先で地面を掴む。

股関節が柔軟になって、歩く際に足をスムーズに前に出すことができる。くるぶしの関節も痛みはあるが柔らかく、前後左右に回せるようになっている。

これまでの歩き方だと、かかとで着地して、足先は着地させずにそのまま蹴り上げていたのだが、爪先を地面に残して踏み締めつつ足を前に出すことができるようになった。

仰向けで右側と左側の感覚の違いを尋ねられる。右側の方が当たりが柔らかく、左側は少しざらつく感じ。右側の足・頭・側面でも感覚が違う。右膝を立てて、足の親指が地面に着くように、また脛の重みを感じるところからスタートする。

骨盤の重みを感じていくと、全身を肩や後頭部で支える癖があることに気づく。緊張しているところには重みが感じられていない。重みを感じられるポジションに時々直す。

右膝を立てたポジションでひじの筋肉に方向性が与えられる。

時々、左足が骨盤からガクッと落ちて、足の爪先が伸びていく。

頭を触られた時、あるポイントから先は両脚の感覚がなくなり、脛の重みも感じなくなる。

肘の筋肉が引っ張られると、骨盤の中を流動体がゆっくり流動しているのが分かる。

田畑さんに「どうですか?」と尋ねられる。眠っている訳ではないのだが半覚醒状態に入っていて、感覚を瞬時に言葉にすることができない。「考えていいですか?」と尋ねたが、「いや、考えなくていいです」ということだった。

セッション後は顎の重みが感じられるようになる。顎を上げる癖があるのだが、重力を感じつつ自然に顎を引けているようだ。

帰り道、鼠蹊部まで息が入るようになっているのに気づく。

視野が広がったようにも感じる。目の横の方でも風景が見えている。

肘と手首が回転するようになった。肩を真上に上げられるようになっている。肘の筋肉がいつも硬かったのが、柔らかい手触りになった。

体が全体に軽い。精神的にも軽くなったように思う。

ドイツで活動されている舞踏家4/10

第4回目 

起床してすぐに、足首が柔らかくなっているのに気づく。足首を回すついでに手首も回す。これも回しやすくなっている。

歩き始めると、肩関節から少し内側に移動した所で時々左肩が痛む。かかとはまだ痛む。

今日の施術も右側を下にしてスタートする。

体側に重みを感じつつ、骨盤の重みにも意識を向けるよう指示される。仙骨周辺の緊張をゆるめ、追って仙骨・恥骨にも順に重みを感じていく。腎臓と脚のつながりにも意識を向ける。

時々荷重のかけ方が変わるのか、ガクッと態勢がずれてポジションが変わる。

下腹部や腰回りの骨格や角度をそこだけ意識することが普段なかった。内側の角度と重力を感じるということ自体が新鮮だ。

施術後座ると、下半身がとても重く感じる。おへその裏側、腹の中が重い。

これまでは歩く時になぜか蛇行してしまい、直線上を歩けなかったのが、自然に直線上を動けているように感じる。

頸椎の上で頭を乗せる感覚を一瞬つかめたように思う。

水が入ったバッグのように胴体がゆらゆら揺れている。その上に頭をロックバランシングのように載せる。頭が載ったポイントから尾骶骨まで一本、物差しのようなラインが通った。上部、つまり肩のほうが左に寄った斜め線に感じられる。これまで慣れていた重心線が逆に右に傾いていたということだろうか?

楽器を演奏する時のポジションについて田畑さんと考察する。

ピアノを演奏する時は脚で床を踏みしめる。腰を定点としてしっかり支える必要がある。普段は肘や手首への負担を減らすために、椅子の位置を高めに設定しているが、そうすると足が地面に着かない。短足のためだ。

解決策としては、椅子に浅めに腰掛けて、前のめりで半立ちのような姿勢で演奏する

帰宅してから、仙骨の角度を変えて改めてピアノの前に座ってみて、できることとできないことを観察してみようと思う。

施術後は毎回、バネ指がスムーズに動くようになっている。指自体に直接アプローチしている訳では無いので、おそらく、肩と手首の可動域が大きくなったことに関係しているのだろう。

帰宅中、脚を出す際に仙骨を中心として腰が回転するのがわかる。

仙骨周辺の可動域が大きくなったためだろうか。

下腹部が柔らかい。引っ込めたり出したりしてみる。

肩関節も柔らかくなっているようだ。痛くて一時はファスナーが閉められなかった左肩だが、スムーズに動かせる。肩関節の中にスペースが生まれた感覚がある。しかし角度によっては痛みが少々残っている。

夜、横になって寝た時、骨盤が前に突き出ているのが分かる。若い頃はもっと出ていたことを思い出す。

ドイツで活動されている舞踏家 3/10

3回目

右側を下にして横になりスタートする。

何も触られていないうちから、太ももの裏側、右足の中指など、色々な箇所が反応する。一瞬の短い間、体の左側にエネルギーがゆっくり循環しているのがわかる。

前回は脚の裏側の感覚が少々鈍いように感じられたが、今回、脚の側面は敏感で、火傷の熱さを感じる寸前のように触られるとひりひりする。くすぐったさが痛みに移行する寸前の感じに近い。

触られているのがどこであっても、そことは別の部位が反応する。

首の付け根の後ろ、首の真後ろの頸椎の下部に手を当てられると、非常に気持ちが良い。もっとそうやって触られたい、とその箇所が訴える。美味しい液体をごくごく飲むような感覚だ。訴えの貪欲さが勝つために、観察する視点が薄れる。

頭部を触ってもらう。頭頂からぱっくり頭蓋骨が開き、程なく閉じる。頭頂部と眉間に力を込めて何かを把握しようとする癖があることに気づき、その時はそれをやめてみる。するとだんだん意識が遠のき、眠ってしまう。

左側の体側面を下にして横になると、どこで支えていいのか迷う。右側の時とは裏腹に、それが適切な位置なのかどうか確信できない。前夜睡眠時間が少なかったこともあり、途中から再び寝落ちしてしまう。古い文書は大事にしろ、と長老的な人物に言われる夢を延々と見ていた。

施術後、脚が重い。重力が下方に垂直に向かっており、脚が地面についた時にその重力がリリースされるのがわかる。

胸郭が開いている。特に鎖骨のすぐ下、脇から乳の上にかけてスペースができている。頰骨から鎖骨の間に垂直な空間が生まれ、頬骨の下、頬から上顎の間にも小さなスペースが空いたように感じる。

帰り道、呼吸が通っているのがわかる。特に、鼻の左側から喉奥に向かって空気がするする入ってくるので、何度も吸って本当かどうか確かめる。人がいない所ではマスクを取って息を吸い込んでみる。吸い込める空気量が一気に増えた。電車の中でもマスクを浮かせて観察する。

空気を吸い込んで病気に感染することを恐れて、街中では深い呼吸を避けていたことにも気づく。

電車に乗ると、座るのが楽になっている。骨盤の下で支えるポジションが自然になってきたのに加え、座った際に足の重みが感じられ、その重みを地面に預けていくことができる。そのことを感じるのはとても楽しく、延々とその感覚を座って確かめていたくなる。

正面・背面の写真を見て加齢を実感する。

若い頃から猫背で姿勢が悪い時代が長かったので、反動でそっくり返る癖があり、へそ裏の角度の感覚がまだ掴めていない。

これまで、乗り物での移動中、長時間であれば睡眠時間を確保するため眠っておくのだが、移動後も不自然な姿勢の状態をリセットしないまま、日常生活にそれを持ち越してきた。どんなに疲労をため込んできたことか、と我が事ながら呆れる。

昨年は移動が減った分、運動不足になっていた。同じ姿勢で作業した後もリセットが必要になるはずだ。自分でメンテナンスするにはどうすればいいのだろう?ストレッチ?筋トレ?

強い刺激を知覚することはたやすく、束の間の安心や「やった感」は得られる。

だが、極めてわずかな刺激で触れられるだけで、それどころか注目を向けられるだけでも、身体がそれに対して反応している。このことには大きなヒントがあるように思う。

施術中、田畑さんは一体何をどうしていらっしゃるのだろうか?

ドイツで活動されている舞踏家 2/10

第二回目 

第一回目終了後の翌日、目覚めて立ち上がると、身体が左右にぱきっと分かれていることに気づく。左側に余計な力が入っておらず、軽い。頭頂から尾骶骨にかけて一本何かが通ったようだ。意識しなくても形ができている。特に、腕と頭と肩のポジションに迷うということがない。ただし右はいつもの感じが残っていて、左と比較すると少し重い。

第一回目の施術前後にそれぞれ1時間ほど歩いて移動したためか、ふくらはぎに筋肉痛が起きている。

今回はうつ伏せの態勢で何も触れられていない状態からスタートする。

バネ指を患っている指先に向かってびりびりとエネルギーが流れていく。

右くるぶしを持って掴まれた時、右半身背中に陰陽図が張り付いたような感覚が訪れた。エネルギーが右半身で円を描いて循環するのがわかる。

みぞおちから肋骨下部が時々脱力して下に落ち、同時に肩甲骨が緩む。

体の前面に比べ、背中側は感覚が鈍い。普段意識を向けることが少ない為だろうか?特に左半身は、触れられても薄い紙を一枚挟んでいるようだ。

右膝裏、右ふくらはぎ内側、右大腿部裏をそれぞれ触られるにつれ、左の肩関節が少しづつゆっくり外側にのびて止まらなくなる。

施術後、頭の重みの反動を使わずに脚を前に出して歩くことができる。胴体が地面と並行に移動している。頸椎に負担をかけずに、足の出し方に迷うこともなく、ゆっくり歩けて楽しい。左眼が大きく開いたようだ。

写真でも左右の肩先までの長さが揃っているのがわかる。

骨盤・大腿骨のどこで支えて座れば良いのか、迷うことがなくなる。背もたれを使うのも楽だ。

反面、この感覚を維持するなら、日常の作業の姿勢や椅子・机の高さを変える必要があると思う。

帰宅して次の日、調子に乗って歩き過ぎたためか右かかとが痛い。

左肩に時々昔の痛みが出る。

ノートパソコンのディスプレイの角度を早速変えてみる。

微細な感覚に目を向けることで、実際に触れられない段階であっても身体が反応している。心身のこの層に意識を向けるのは初めてのことだ。しばらく日常生活の中で同じ層の感覚に意識を向けてみようと思う。

例えば目に見えて問題があるのは左肩であっても、別の部位にアプローチすることで、そこだけでなく全体が整っていくことが興味深い。

長い間、心身の発する微細なシグナルを受け取っていても、それに対しては逆に強烈な刺激を覆いかぶせてねじ伏せることが多く、心身が言いたいことそのものに対しては耳を傾けてこなかった。その間に身につけた身体の反応の癖が、年齢を重ねた今にあって、不必要に身体を力ませているようだ。

ドイツで活動されている舞踏家 1/10

第一回目 

ロルフィングを受けるのは初めてのことです。

長年身体を無視するような様々な無理を重ねてきましたが、更年期に入って安定した部分もある反面、老化や身体感覚の鈍化を実感することが多くなりました。加齢に従って身体が何を欲しているのかを知りたいと思い、セッションを受けることにしました。

また演奏家として、演奏者と共演者・観客・演奏する空間の関係性に興味を持っています。

施術中は触れられているポイントで呼吸している感じ。膝・くるぶしの関節を貫徹して呼吸が通っていく。右膝に古傷があることを思い出す。意識を向けられていなかった部分から、向けられた意識に呼応して何かが流れる。実体のつかめなかった欲求が意識に上り、それが方向性を見つけて出ていくのがわかる。

寝ている間は後頭部で首と肩を支えていて、胴体と足が動いても自然に連動しないようだ。後頭部の頸椎の最上部と頭蓋骨の間のあたりにりきみがある。おそらくその影響で、横になった時に首の付け根が緊張している。

眉間を伸ばしたり、頭頂部を使って何かを把握しようとする癖があることがわかる。

右半身・左半身とも、施術のある瞬間からは半覚醒状態に入った。

触られる感覚を聴覚で捉えている時がある。耳というよりも体の内部、あるいは体まるごとで聞いている。施術者の立ち位置を体感する時も、一部は触覚・一部は聴覚で捉えている。

身体のどこをも触られていない時は空調の音に耳が集中する。しかし空調の音を集中して聴くと、身体の感覚に意識が向かなくなる。聴覚と触覚は両立しないのだろうか?

施術後は首が自然に胸郭の上に載っている。椅子に座る時、骨盤のどこで支えれば良いのかがわかる。脚を組まなくても座れる。歩く時、膝の後ろが伸びて、脚を出すのが楽になっている。歩くスピードを出すために前頭部や顎を突き出す癖があるのだが、もっとゆっくり歩いてもいいのかもしれない、と思う。

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