ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: ワークショップ

八ヶ岳ワークショップの感想(Mさん)

2023年9月1〜2日に八ヶ岳ORで行われたワークショップに参加されたMさんからその一ヶ月後に感想をお寄せ頂きました。以下ご紹介させて頂きます。

ワークショップを終えて、しばらく経ちますが、「振り返る」という感覚はしっくり来ません。 今でもずっと自分の中で経験した時間が変化しながら・発見されながら、いろいろに息づいてい るようです。言葉が浮かんで来ても、そんなふうに続いている感覚の中にすぐに還ってしまい、困 りつつも、幸せに感じます。今でも、あの場所でみなさんと一緒に過ごせたことが、じんわりと 嬉しくなります。

<1日目>

共鳴テンセグリティ®モデル制作では、以前参加した30strutsモデルの時とは異なった体感でし た。角度があるからなのか、アクロバティックな感覚がありました。手の中で変わっていく空間 と頭の中のイメージを、忙しなく往き来していました。圧縮材と張力材の長さの関係に繊細なバ ランスを感じました。多角形と角度の関係への視点が、個人的に新鮮で、今まで意識しなかった 視点が出来てきている気がしています。

完成したモデルからは、張力材を弾くときの「やわらかさ」・両手で抑えたり置いて押したと きに感じる「張り」、双方の緩急をとても感じます。細かく左右に捻れて震える様子が、よりいっ そう印象的です。 制作しながら、自分にとってモデルの構造とパターンを解釈する時間があり、人それぞれにモデ ル完成へのプロセスがあるのだと思いました。またそれは、個性の道筋の現れのようにも感じら れ、ワークショップ中、自由な空間が広げられている空気に満ちているのを感じ、わくわくしま した。言語化できないままのものや、発想の可能性が育まれたと思います。

手で触れ、動かしながら考えていく体感と共に、変化や生まれてくるものを感じ、その一連の中 に、頭で理解する以前の経験があり、まるで植物にとって良い土が耕されていくようでした。今 でもふと新しい発想と視点に出会うときに、同時に共鳴テンセグリティ®モデル制作の記憶がちら つくことがあります。ワークショップを通して自分の中でほぐされているものがあるのだと思いま す。 「知る」ということは授かったり受け止めたりすることだけでなく、自発的に扉が開かれたそ の先で、新しい発想や視点に出会いやすいフィールドが出来上がることでもあるのかもしれない と感じます。

<2日目>

3日間を通して思うことですが、ありとあらゆる空間の感じ方に出会えました。 二人組になって互いの安心する静かな位置を探しているとき、決してどちらが一方的に主張し たり、汲み取ったりするのではなく、互いの存在感が均一になっていくような気がしました。 自分の心地よさ、相手を気遣うというよりも信頼するような感覚、立ち止まって心の中を空っ ぽにするように、ただ待ちながら純粋に感じ取られるものだけに身体と心を澄ませる、そうして いくうちに、周りの音は別の質感になっていました。パートナーの方の、声だけがよく聞こえてく る、感じられてくる、相手の中で起こっていることを自分が勝手に想像したりしないで、互いに出 来上がらせていく空間の一部分どうしになるイメージがありました。 周りに調和しながらも、独立した空間を感じました。この感覚は、共鳴テンセグリティ®ドーム の中でも感じられました。

1日目に制作したモデルを使って、身体にどんな反応を感じるのか。

働きかける側のとき、序盤の位置探し・空間づくりの影響なのか、自分が何かをしようと思った り、相手のことを解釈しようとしてはいけないような気がして、なるべく無心で、そこに起こって 来るものを見ようと思いました。共鳴テンセグリティ®モデルを掲げたり触れたりしていると、モ デルが仲介役になって、パートナーの方との何かを繋げてくれているような感覚でした。 パートナーの方が言語化してくれるアウトプットも、抽象的だったり、イメージを共有できるよ うな気がしました。

三人組で位置や空間を変えてみるワークショップでは、テンセグリティドームに入る実験でグ ループごとに個性を感じたので、「違う人との組み合わせだったらまた違うことが起こるんだろ うなあ」というのをより強く思いました。 ワークショップ中、三人で実験していく時間が楽しく不思議さもありつつ、なんだか深遠な心 地よさとイメージの中にいることができ、同じグループだった方々に感謝の気持ちが湧いてきま す。 終盤までたっぷり、動く順番を変えずにやり続けたのですが、順番によって心地よさの探しか たなどが変わってきそうだなと、感想を交わしながら感じました。 自分は三番目に動く役で、繰り返しているうちに先に動く二人が、自分にとっても心地よいと 思うところに動いてくれるので、「あまり動かなくても良いな」と、受身的に心地よい変化を見 つめているのを感じました。静かに佇み苔むしていく岩のような気持ちにもなりつつ、あえて冒 険してみようという気持ちで動いていました。 ずっと静かな気持ちのままで、同調・自立・尊重と「ありのまま」をそこで感じ取っているよ うでした。

共鳴テンセグリティ®ドームの中に入ると、皮膚が微かにじんじんするような感じでした。前方 上に伸びていくような感じを三人ともが感じていました。ドームの中は開放されたまま籠った空 気に包まれている感じでした。風の流れかたが違うように感じました。中で寝っ転がったとき は、時間の流れを忘れるほど静かでした。

<質問や発言しあう時間・全体を通して>

表現のしかたが人それぞれで、その人からそのまま、そのときいま汲み上げられて来ているよ うな言葉に思えて、とても楽しく、学びのある時間でした。抽象的・イメージ的な表現もたくさん あって、共有の余地を感じるやさしい空間だと感じました。 多彩にさまざまな人たちが集まって、言葉にしながら言葉にできないものを共有し合ってい て、ひとりひとりが尊重し合い・され合っている空気を常に感じる、素敵なワークショップでし た。

言葉というものも、また空間なのだと思います。

いろんなことを、静かに繊細にしみじみ感じ続ける3日間でした。 日々、言葉を使うことに対して興味を注いでいるのですが、このワークショップを過ごし、明 らかに楽しさ・おもしろさが倍増しています。

梶川先生の講義と共鳴テンセグリティ®モデル制作のときに出会う新鮮な発想や視点の体感も、 田畑さんの空気で語るような静かな空間の中でのワークショップも、普段じっくり見つめられていなかった大切なことがいっぱい広がっていました。単なる素晴らしい思い出にとどまらない、 新しい種や開花を感じた場所として、私の中に息づいています。 共にした皆さんと初対面とは思えないほど馴染み合えて不思議でした。幼い頃、好奇心のまま にやっていた遊びや感じていたことをたくさん思い出しました。 皆さんから、とても素敵な気持ちをいただきました。自分の中にこれからもずっと変わらな い、やさしく頼もしいものが心の中に灯っています。ワークショップで感じた安心さや感覚は消え るものではありません。 素晴らしい実験と体験、楽しい時間に参加できたことをとても嬉しく思います。 心から、ありがとうございました。

オンラインワークショップの感想 Yさん

ほぼ毎回オンラインワークショップにご参加頂いているYさんからご感想を頂きましたので紹介させて頂きます。

一昨日のオンラインWS、ありがとうございました!

位置が決まって仰向けになっていると、早々に右半身の横隔膜の辺りと肋骨が広がろうとすぐに反応しだし、お腹には何か乗っているような、そして下肢方向へ動こうとしているような、そんな感じがしました。

他にも、耳の奥や、つま先の方とか、下肢だけではなくいろんなところが痛んだり、小刻みに動いたり…。

前歯は、転んだりぶつけたりなど顔面を打ったりしたわけではなく、きわめて平和的な形(?)で折れたのですが、心理的な衝撃はだいぶ大きかったです。

このおかげでいろんな気づきがあり、自分なりに向き合ったりもして、心理的にはかなり落ち着いた頃に参加した今回のオンラインWSでしたが、からだまではしっかり落ち着けていたわけではなかったのを再認識しました。

安心安全の場を感じて、からだのあちこちが一斉に反応しだしたみたいな感じで、我ながら本当に分かりやすいなと思いつつ、セッションを受けていました。

昨日外を歩いているときには、からだが自由にのびのびとしているのを感じ、今日はしっかり地面に足が付いているのを感じています。また、対面セッションを受けた後によく起こる、わき腹や首の方を熱い液体が通るような感じも、時々あります。

新型コロナが広がりだしてからというもの、たくさんの制限に直面するのは残念ですが、一方では恩恵というか、オンラインでこんな風に毎週のようにセッションの機会があったことは本当にありがたかったです。

とくに、予約をとって対面のセッションに行こうという余裕がなかった今回は、まさに助け舟のようでした。ありがとうございました!

遠隔セッション オンラインクラスの感想 Oさん

オンラインワークショップに数回参加頂き、オンライン個人セッションをお受けになった方からのレポートです。

世界情勢が緊迫する中で、地に足をつけること、自分の体の中に「安心」を感じることができたのは、私にとって(そして多分、多くの人にとっても)本当に大切なことだと思います。

セッション中は、体の中にさざ波が感じられるたびに、先生のおっしゃる「Yielding Embodiment Orchestration」の「オーケストラ」のイメージが頭に浮かび、確かにその通りだなと思いました。
また、言葉にあまり重きを置きすぎることは、よくないように思っていた中で、セッション中に「委ねてみてください」という先生の言葉に、何かプツンと細い糸が切れるような感覚がして「安心」が全身に広がった時は、ギフトのような瞬間でした。

人間はやはり「言葉」に頼っている生き物だし、人と人の間をつなぐ信頼を作り出すツールとして「言葉」を大切にしてもいいんだなと思い直しました。

また、先生の記事「イールドワークで学ぶ空間身体学」を読ませていただいて、「安心があってからこその安全」なんだということが書かれていて、とても腑に落ちました。
日本は「安全・安心」が大きく謳われる中で、実は「安全」を求めるばかりに「警戒」が強まり、結果、本当の「安心」が提供できていない傾向があるように思います。私がフランスに来て感じたことは、「フランスは日本ほど安全じゃないかもしれないけれど、安心できる場所がそこかしこに散らばっている」ということでした。
私が日本の社会や、日本の家族に感じられなかったものに対する回答がここにある気がします。

同じ記事の中に、イールドとは「待つこと」であり「施術側がよかれと思う変化を押しつけず、プロセスを無理に進めようとしないこと」というのがあり、これはまさに「子育て」のことだなと直感しました。
そこで、子供達のためにも、イールドをいつか学んでみたいと、思い始めています。
とはいえ、まだ始めたばかりなので、初めはうちの猫(モモちゃん、メス8ヶ月)のお時間を借りて練習させてもらって、ゆくゆくは、心理カウンセラーを目指すパートナーにも、練習に付き合ってもらおうとも思います。彼自身、大病と手術を経験し、身体が「委ねる」とは程遠い状態にある上、将来のクライアントとの「間」を見つける上でもイールドは有用だと思うからです。

イールドは「共鳴」であり、「アート」であり「ワールド」ですね!

オンラインワークショップの感想 Tさん(石灰化沈着性腱板炎)

イールドのワークショップには何度か参加しています。その度にカラダが自然と自己調整をしている自然な動きに逆らわないようただゆったりとマットの上で休んでいます。

感想をと思いますが言葉にすることがとても難しくありがたいと思いつつ、失礼をしていますことお許しください。

肩を通して休息と呼吸を取り戻すその2
今回は「肩」という言葉で参加させていただくことにしました。これまで肩の力が抜けないこと、なぜか肩に力が入ってしまうことにどうしてなんだろうと思っていましたので。この参加した日の翌朝、肩や背中の上部がこれまでにない軽さ、開放感があり、多分今も続いていると思います。
ワークショップの時間はまさに肩を通して休息と呼吸を取り戻す時間だったのだろうと思います。
私事ですが、以前、石灰化沈着性腱板炎で左肩、腕が息もできないような疼痛で治療したことがあります。患部注射で疼痛は治まりましたが左肩や腕がかたまってしまい、動きを取り戻すことに数年かかったように思います。今も何となくシコリのような気配をかんじる気もしますがムリなく腕を前後左右に動かせるようになっています。
イールドのワークショップに参加させていただくようになり、その度にその時の記憶が身体に残っていて自己調整しているのだろうか、と感じていました。
左側の肩や腕、左半身は、身体の各部位とうまく繋がっていないような感じがしてぎこちなくなんとかしようと個別の動きをしているのに連動していないような、。横になっているだけなのに心臓の鼓動が激しくなり、バクバクし、それを見ていると左の肺が縮こまっているようで、それも、見ていると少しずつ呼吸が楽になったのか、肺に、鎖骨の辺りにも空気がたくさん入ってきたような感じがあり鼓動も落ち着いてきました。
ワークショップ2日後の今思うと、息をするのも怖かった疼痛で左の肺は縮こまっていたのでしょうか、思い当たる節が少なからずありますが。
石灰化沈着性腱板炎の痛みが始まったころ、
身体の真ん中、中心から左半身と右半身が真っ二つに音を立てて、分かれてしまったような強い衝撃がありました。不思議過ぎて、整形外科の先生には言えないままで、疼痛も辛かったのですがこの衝撃も何事が起ったのだろうと今も強く記憶に残っています。
そういう経過をカラダは自己調整しながら休息しようとしているのでしょうか、自分のカラダと簡単に思い込み過ごしてきましたが、カラダの自動的な、自然な動き、快適に生きようする動きに深い感動のような思いがわいてきます。
今回のワークショップの最後に上向きで休んでいる時、肩や背中の接地面の広さに驚きました。床の上で休んでいる時、何かから開放されたようなひろがるような何とも言えない心地よさがありました。その寛いでいるような自然な身体をただみているような、ただ身体だけがあるような、静かな居心地でした。

「イールド」とは、身を委ねるという行動のことなのですね。イールドワークの知識はありませんが
そうだったか~と(大雑把で申し訳ないですが)これまでの自分やその身体や過ごしてきた日々がほぐれていくような深い安堵感を感じています。

Onlineワークショップの感想

2021年1月22日(土)に初のZoomによるオンラインで休息のためのワークショップを開催しました。空間身体学的共鳴を用いて、イールドを促すという内容で、離れた距離からでもインターネットを介して、受け手の身体に必要な変化とプロセスが引き出せることを確認しました。 原理的にはできるはずと思っていたので、個人セッションでの経験も蓄積したので今回思い切って開催してみました。

休息のためのワークショップ

大阪在住のMさんの体験:

初めてのワークショップ、Zoomにうまく入ることができなくて、田畑さんの説明の途中から参加、となった。

‐ 畳に身体を横たえていると、すぐに背中側の腰のあたりがスーっとしてきて実体がなくなる感じがやってきた。部屋の空気がとても軽く感じられ、空間がどんどんと広がっていく。その広さを体感するかのように、両手を思いっ切り突き上げては横にひろげる、という動きを繰り返す。身体上部に広がる空間をしっかりと確認しているような感じ。同時に、腹側のウエストあたりにも背中側腰あたりと同様の感覚がやってきて、腰回りがとても軽い。そして腹に思いっきり呼気を吸い込む行為を何度か繰り返す。胴回りのどっしりとした安定感。

‐ この、スーっとした感じ、去年田畑さんが能楽師安田登さんとのコラボイベントで、カメラに背中を向けて琵琶奏者の塩高さんにワーク中、見ている自分の前面がスーっとしてきたときの、あの感じと一緒だ、と思いつつ身体を横たえていた。ただその濃さが今回は3倍増し位に感じられた。

‐ 田畑さんの「こちらが位置を変えると身体の感覚が変わる感じを…」というお話が聞こえてくると、身体はパソコンのある方向にぐっと引き寄せられる。それ以後、音声は途切れ、最後までなにも聞こえなかった。

‐ その後、上半身を起こすと、胴回りがとても軽い。手をあげゆらゆらさせたり、身体をねじったりしながら、空間の広がりを楽しんでいる体感。部屋の中の空気には結構強いゆらぎがあって、風が渡っているような感覚。風神雷神図の風神が浮かんできて、自分は風神になって空間を自由に渡り歩いている。開放感に満ち溢れていて、しばらくしたら、このまま立ち上がって部屋の中を飛び跳ねるのではないか、という感覚まであった。

‐ 気が付くと、部屋の空気は穏やかに落ち着いていて、私は正座をしたままじっとしている。時折、うつ伏せになって腹を支えにして平泳ぎの足をしてみたり、身体を丸めてひたすら一つのまとまりになろうとしたり、顎を引いて前転をしようと試みたりするが、基本は正座のまま。どのくらい時間がたったのか、「もう終わりにしてもよいな…」という気持ちがわいてきたが、穏やかな空気はそのままずっと流れていたし、正座を続けたままでいた。

‐ すると、いきなり左腕を強く振り出したとおもったら、左側頭部のあたりの頭蓋骨がギギっと音をたてて動く。その音と動いた感じの強さに、うっ、大丈夫かな、と思っていると、ほどなく左腰がぐにゃぐにゃっと緩み、緊張がとけていく、という動きに繋がった。

‐ なんだかそのままじっとしておいたほうが良い気がして正座のままでいたら、部屋の空気感が変わってきたので、立ち上がってパソコン画面をのぞいてみると、Zoomが閉じていて、ワークショップはすでに終了していることを知った。

‐「あ、終わってたんだ…」と思うと同時に、なぜだか腹の底から元気が湧き出してきた。そして唐突に「わんぱく小僧」という単語が頭に浮かんできた。エネルギーの塊のような体感があって、「いっぱい食べておっきくなるぞ~」という思いが浮かび上がってきて、ちょっとあっけにとられた。

‐ 翌日は、動きのあった頭蓋骨のあたりが重苦しかったので静かにしていた。翌々日、外に出てみると、空間の広がり、物の立体感が増していて、自分がとても安心して穏やかな気持ちでそこに存在している、という感じを抱いた。日中もなんだか眠い感じが続いている。

新潟のKさんの感想:

1つ目のワークでは、最初に骨盤に違和感があり、ギシギシしていたのですが、そのうちに八の字を描くようにスムーズに動き出しその後に、両肩も同様にギシギシしていたのですが、緩やかに動きだし、顔の筋肉が面白いぐらいに動いたり、後頭部と床の設置面が変化していきました。
2つ目のワークは、上記の通り、迷いながら頭の中で考えてしまったところもあったので、体や心に目を向けることが疎かになってしまったのですが、就寝時に体の自動調整が1つ目のワーク同様に骨盤から頭頂まで進んでいきました。
遠隔のセッションは初めてだったのですが、田畑先生の位置で明らかに体の反応が違うことを体験し、上記のように体の自動調整も下から上に順に上がっていく、エネルギーの循環が生じていく、そんなプロセスを体感しました。

身体への理解を深めると共に、身体や空間について学びたいダンサー

2019年12月に片山洋次郎先生とのコラボワークショップで御世話になった方です。ダンスを実践している中で、セッションを通して自身の身体への理解を深めると共に、身体や空間について学びたいとのお考えでセッションに臨まれました。

身体への理解を深めると共に、身体や空間について学びたいダンサー – session1

ロルフィングセッションを受けるのは初めてなので、楽しみでしたが、少し緊張していました。田畑さんには、子どもの頃、海の岩場で右足の親指を切り、今も右側にうまく体重が乗せられないこと。そのせいか首・肩周りが疲れやすく、左腿裏側が固いことをお伝えしました。
姿勢、歩行の確認をして、ベッドへ横になると思ったよりも柔らかい。楽になれる首の位置を探すと、少し左を向いた角度になりました。
体や空間を丁寧に感じ、呼吸が深まる時間を経て、田畑さんが右足からセッションを始めてくださいました。
ふにゃふにゃのボールを足裏と手に当てられると、つられるように全身の力が抜けました。右足の位置を調節されるのに誘われて、頭の角度が右の方に変わっていきました。足先や脛に丁寧に触れられたのが印象的でした。
続いて左足へ。右足も短い時間の施術だったと思います。両膝を立てると、どんどん左側へ傾いていく。バランスを崩してしまいそうでしたが、それならそれで良い、受け入れようと思いました。傾く動きが落ち着いたところでセッションは終了しました。
歩いてみると、踏み出す足に重みがありました。呼吸は普段より深い。身体の各部に迷いがない感覚。子どもの頃の怪我が、傷はすっかり治っているのに、影響が残っているのは考えてみると当たり前。ですが不思議だとも思いました。田畑さんにそのことを伝えると「再教育することができる」との言葉が返ってきました。治療ではなく、再教育。セッション中は筋肉や骨よりも、微細な組織に働きかけられているように感じていたことを思い出しました。帰り道でも、足取りがしっかりしていて、頭はすっきりしていました。

翌日も右足の親指が以前より使えていると感じました。少し古傷が疼く感じはありますが、嫌な感じではありません。翌々日には、なぜか左足の親指が同じように疼きましたが、すぐに治りました。全身が右足に合わせて変化しようとしているのだと思います。次回のセッションが楽しみです。

身体と空間のワークショップのレポート

2019年8月12日のロルフムーブメントワークショップ:シリーズ空間と身体〜喉を通して共鳴する、に参加された方から、体験レポートが届きました。

空間を扱うワークの意味と可能性を示唆する貴重なレポートです。ご本人の許可を得て掲載させて頂きます。尚、参加された方とペアを組みワークを受けた後の感想です。

8/12のWS以降スッキリと軽くなったと私が感じている左顔面の部位(眼輪筋、前頭筋周辺)にずっと意識を向けているうちに、そこが9歳で左眼球の摘出手術をした時に気絶しそうな程痛かった部位だと思い出しました。
私の意思では制御できない身体の感覚が、どうやらその痛みの記憶を手放したようなのです。
3歳で左眼球に針金で受傷し2度の手術後、角膜が白濁し慢性的に結膜炎を患い、9歳で眼病を発症し右眼に転移する虞があり、小学4年の冬休みに急遽左眼球を摘出することになりました。左眼を摘出することは、結膜炎でかかりつけの眼科医が私の精神状態(白濁した左眼を隠すために眼鏡をかけ、それを級友にからかわれいじめられるために常に引っ込み思案で、医師に質問されても何一つ答えられないこと)を見かねて眼鏡の不要な生活に変えようとする意図もありました。私の代わりに医師の質問を常に引き取って答えようとする母に、「お母さん、僕はお母さんに質問しているんじゃないんだよ、この子に答えて欲しいんだよ。この子はこのままじゃだめだ、今の年齢を逃したら手遅れになる」と医師が言ったことがありました。

1974年当時、現代の医療とは異なりひどいゴム臭のするマスクで全身麻酔の薬剤を吸うときの不快感(耐え難くて口で呼吸した)その臭気にラベンダー、紫色のイメージが浮かんだこと手術室から病室のベッドに戻され、左手の甲の静脈(今も針の傷跡が残る)に入れられた点滴を看護婦が外すとき、全身麻酔で痺れ切っており身体に触れられた感覚が全く無いことこれほど麻酔が効いているのに、うっかり右眼の視線を動かすと突然左眼とその周辺に顔の内側から激痛が起こり声も出なかったこと子供なりに考えて右眼を動かさなければ良いと気付いたが、眼を閉じていると眼球はいくらでも動いてしまうこと
気を付けていても廊下の足音や病室を出入りする人の気配に気を取られ、眼球が動いてまた激痛に襲われることうぉー痛いよ、痛くてもう顔の左側半分いらない、助けて、助けて・・・  と思いながら、付き添う母が心配するだけだと思い黙っていたこととうとう病室の天井に嵌められた穿孔板に気付き、この板の、上から何番目、右から何番目の1点だけを見つめ続けることで激痛を回避したこと当時の全身麻酔施術の副作用で必ず催す嘔吐 
戻しながら、気分が悪くなるのは感じる、吐瀉物が食道をせり上がるのも感じるそれなのに、食道が胃液で傷みひりつく感覚は無い麻酔って不思議だなあ・・・と思ったこと

身体の中でそれらの激痛の記憶が、先日のWS後に無くなったことに気付きました。頭で思い出すことはできますが、感覚は曖昧になりとても気持ちが楽になりました。物理的に顔半分を切り捨てることができない代わりに、感覚ではとっくに捨ててしまって、身体を閉じていたのでしょう。今まで左側の空間を認識できていなかったので、床に落とした物を拾おうとして屈んだ拍子に頭が跳ね返るほど家具に左顔面をぶつけたり、他の部位に予想外の打撲を負うことが何度もありました。
今は身体の左側の空間を感じることができています。まるで身体に風が良く通るような感覚です。ベッドから左側の壁までの距離や、右半身を下にして横になっているとまるで天井がやさしく見下ろしてくれているかのように天井までの空間を感じます。9歳からの今日まで、長い年月だったと感慨深く思います。
おかげさまで、私にはとてもパワフルな間合いのワークの体験になりました。田畑先生やパートナーを組んで下さった方にありがたく御礼申し上げます。このWSシリーズは何度でも体験してみたいです。

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