イールドのワークショップには何度か参加しています。その度にカラダが自然と自己調整をしている自然な動きに逆らわないようただゆったりとマットの上で休んでいます。

感想をと思いますが言葉にすることがとても難しくありがたいと思いつつ、失礼をしていますことお許しください。

肩を通して休息と呼吸を取り戻すその2
今回は「肩」という言葉で参加させていただくことにしました。これまで肩の力が抜けないこと、なぜか肩に力が入ってしまうことにどうしてなんだろうと思っていましたので。この参加した日の翌朝、肩や背中の上部がこれまでにない軽さ、開放感があり、多分今も続いていると思います。
ワークショップの時間はまさに肩を通して休息と呼吸を取り戻す時間だったのだろうと思います。
私事ですが、以前、石灰化沈着性腱板炎で左肩、腕が息もできないような疼痛で治療したことがあります。患部注射で疼痛は治まりましたが左肩や腕がかたまってしまい、動きを取り戻すことに数年かかったように思います。今も何となくシコリのような気配をかんじる気もしますがムリなく腕を前後左右に動かせるようになっています。
イールドのワークショップに参加させていただくようになり、その度にその時の記憶が身体に残っていて自己調整しているのだろうか、と感じていました。
左側の肩や腕、左半身は、身体の各部位とうまく繋がっていないような感じがしてぎこちなくなんとかしようと個別の動きをしているのに連動していないような、。横になっているだけなのに心臓の鼓動が激しくなり、バクバクし、それを見ていると左の肺が縮こまっているようで、それも、見ていると少しずつ呼吸が楽になったのか、肺に、鎖骨の辺りにも空気がたくさん入ってきたような感じがあり鼓動も落ち着いてきました。
ワークショップ2日後の今思うと、息をするのも怖かった疼痛で左の肺は縮こまっていたのでしょうか、思い当たる節が少なからずありますが。
石灰化沈着性腱板炎の痛みが始まったころ、
身体の真ん中、中心から左半身と右半身が真っ二つに音を立てて、分かれてしまったような強い衝撃がありました。不思議過ぎて、整形外科の先生には言えないままで、疼痛も辛かったのですがこの衝撃も何事が起ったのだろうと今も強く記憶に残っています。
そういう経過をカラダは自己調整しながら休息しようとしているのでしょうか、自分のカラダと簡単に思い込み過ごしてきましたが、カラダの自動的な、自然な動き、快適に生きようする動きに深い感動のような思いがわいてきます。
今回のワークショップの最後に上向きで休んでいる時、肩や背中の接地面の広さに驚きました。床の上で休んでいる時、何かから開放されたようなひろがるような何とも言えない心地よさがありました。その寛いでいるような自然な身体をただみているような、ただ身体だけがあるような、静かな居心地でした。

「イールド」とは、身を委ねるという行動のことなのですね。イールドワークの知識はありませんが
そうだったか~と(大雑把で申し訳ないですが)これまでの自分やその身体や過ごしてきた日々がほぐれていくような深い安堵感を感じています。