ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: Yoga

大学院で舞踏を専攻されたヨガ教師(Advancedシリーズ)

10シリーズに引き続き、Advanced5シリーズのモニターに応募頂いた方のレポートです。

セッション1/5

何かの調子がいい、悪いというのは一概にも言えないもので、
調子の悪さがもたらしてくれるきっかけや気付きもある。
けれどそれを差し置いても、アドバンスを受けようと思いその波にふと乗れたのは
2年前に10シリーズを終えてから、身心ともに次のフェーズに入っていることを自覚していたからだと思う。
心の準備ができていなくとも、エスカレーターに乗ったように自然と体が運ばれて部屋に着き、
口をついて出る近況説明には、話をしている私自身が驚いた。それほどの無意識。
今回は思いもかけずロルフィングではなく、CS60を使ったセッションになった。
骨のきわに 「生体に蓄積している有害な迷走電流を排出する 」器具が当たると、鈍い錆がこすられるような感覚だったり、まったく違う部位が痺れたり、
全身がかっと熱くなって奥から汗が噴き出たり、細かい火花がちらつくようだったり、内臓がぎゅっと奥からねじれるようだったり…
痛みに強い自信があった私も悶絶するほどの痛みが走る。
けれど何かが響き、何かが放出されていくのは、まったく未知の感覚につま先を忍ばせて、わくわくとのぞき見するような楽しさがあった。
うつ伏せで仙腸関節に器具を当ててもらった時には、直後脚をまったく持ち上げることができなくなった。
けれど少し大腰筋を意識ようにすると、まるで歩いたことのない道をたどるようにして脚が持ち上がった。
今まで使う必要のなかった部分を酷使していたことが分かるとともに、こんな風にして動きを修正できるのかと、新しい光を見た気がした。
大腰筋の起始がアイデンティファイされたからなのか、最後に起き上がって歩き始めると、まるで新しい自転車に乗っているかのよう。
その身体には慣れないほどの脚のリーチの伸張があった。
どんなセッションであれ、そこには田畑さんとの信頼関係があるのは間違いないのだけれど、
今回一番大きかったのは、その関係性がまるで新たなものに感じたこと。
あんなに言葉数多く、笑ったり冗談を言ったりしながらセッションを受けたことはなくて、
その変化がおかしくてうれしくて仕方ない。
自分の体にものすごく集中して向き合っているのに、そこには軽やかさと無邪気さがあった。
数日経っても施術で痛みが噴出した部分には、変わらず筋肉痛や打撲のような痛みがある。
けれど少しずつ、骨を洗ったような心地よさとスペースが生まれつつある。
頭ではなく、体が了承している何事かの中に
堂々と立っていられる、そんなセッションが始まった。

セッション2/5

今回はうつ伏せで片脚ずつを90度に折り曲げ、CS60をほぼ当てるように使うセッションとなった。
前回からの間に衝撃的な出来事があったけれど、今までとは違ってそれを流せている感覚はある。
前回とても痛かった仙腸関節周辺はある場所にCS60を当てるだけで、足の先や腕まで痺れてくる。
坐骨周辺に関しては全く何も感じないけれど「出てますね」という。
私の感覚がすべてではないので、そこはお互いが呼応して出てくるものに委ねていた。
頭部に丁寧に当ててもらっているとき、あまり劇的な感覚はなかったのだが、耳の穴に当ててもらっていると蝶形骨の前辺りの広い空間を感じ、鼻がすーっと通ったことに驚いた。
統合はなかなか難しく、立ち上がったときには体全体がカチッとした箱のような感覚だったのが、歩きながらゆっくり馴染んでいった。
腕とのつながりを引き出すだめに少し胸骨の回旋を促すようなムーヴメントもした。
セッション後の写真は左右ふたつのシリンダーがかなりはっきりしていて、いままでずっと気になっていた右半身への傾きが解消され、脊柱のカーブが出ていたことが意外でうれしかった。

セッション3/5

この1週間はとても心が揺さぶられ、それに耐えることで必死だったためよく横になっていた。そのせいか体が起き上がることを拒否するように、ずっと脊柱起立筋群にだるい痛みがあった。
脊柱が動きと新しいつながりを欲しているようだった。
そのためか、今回は横向きで、CS60は使わないことになった。
珍しく体の感覚にフォーカスしにくく、思考が巡ってしまうことを伝えると、少し頭蓋へのアプローチが始まった。
そこではクレニオのようなタッチと、イールドが何とも言えない場を作り、頭を支えてもらっている安心感から、見事に脊柱がうねうねと動き始めた。
急激な変化というよりは、ゆっくりゆっくり。そして頭頂から、新しい頭がずいっと現われていくようだった。
 
一番不思議だったのは、セッション中ずっとシンギングボールのような金属の響く音が聞こえていたこと。
どこかで工事をしているのかと思うくらい遠くの音で、あまり幻聴の経験はないのでとても変な気分だったけれど、嫌な感覚はなかった。
けれど、今回頭蓋に働きかけてもらっていることと無関係ではない気もして、かといって因果関係もないような感じ。
実際立ってから、その音は聞こえなくなっていたけれど、あの音のおかげで聴覚器の周囲は意図しない空間を得たような気がする。
 
今回のハイライトは喉元の空間に初めて光が当たったこと。
そこでの支え方が変わると、今まで20年間くらいは課題だった胸椎の3,4番目が動きやすくなった。
起き上がってからベッドに座り、脊柱をひとつずつ動かす動きをやってみると、日々やっているはずだったそのクオリティがまったく変わっていた。
そして脊柱の動きに両掌を連動させていくことで、さらに上肢のつながりが引き出され、歩いた時にはもう元からその体で生きてきたかのようにとても自然で楽にいられた。

セッション4/5

これまでの3回で、骨盤内の空間が生まれて胴体と下肢のつながりが変わったり、左右のシリンダーがしっかりしたり、2次カーブがはっきりしてきて、それぞれ気がついてみれば長い間じんわりと気にしてきたことがひとつひとつ解消されてきた。
ここまでの変化を受け取るように、今回は頭蓋骨がうまく脊柱の上に乗っていない感覚があり、何かあるたびに感じてきた頚椎2-3番周辺の辛さを伝えた。
しかし最初に触れてもらったのは指の関節。
そこを支えてもらいながら抜けるところを探っていくと、ぶわぁっと手の記憶が蘇ってきた。
手で触れたもの、握ったもの、あらゆることを手で行ってきた。その強い余韻が広がってただ涙が流れるままに、その波が引くのを待った。
口の中に指を入れるマウスワーク。
前回頬骨を休めたときに前頭葉が広がってきたのと似て、奥歯に触れた指を軽く噛みながら上顎と下顎を緩めていくと、頚椎と頭蓋骨がじりじりと新しいつながりを探していった。
起き上がり、立ち上がるのはとてもスムーズ。
新しい体のバランスだけれど、それが元々そうであったように、今回は自然に歩き始めた。

セッション5/5

2年前に10シリーズを終え、まさかアドバンスまで受けることになるとは思わず、大きなものにぽいっと放り込まれるように始めたけれど、気がつけばそれは迷走神経の存在をはっきりと感じ、仙骨前面から腹腔、胸腔、頭蓋腔…と体の空間への響きを味わいながら、四肢と脊柱の自由さを取り戻す旅だった。
最終日。
不思議なことにこれと言って大きな主張は体から聞こえてこない。頭部の乗り方にも違和感はないし、歩いてみても、田畑さんも「四肢もよく動いているし、うーん…どうしましょう?笑」と言われてふと気がついたのは、最近こうなりたいというビジョンがまったくないということ。そして現状の把握も非常に境界が曖昧だということ。それが悪い心地はしないのだけれど。
「ノープランなんですけど」と言われて始まったけれど、もちろんそこに不安はない。
仰向けで腹に触れられそこと仙骨の間の空間に意識を向けると、そこには感じたくないものがたくさんあることに気がついた。
涙が流れるけれどその記憶にはフォーカスしないよう努める。体を他人のために使ってきたこと、それくらいしかできないと投げやりに自分を卑下していたこと、そしてもうそんな必要はないのだと体がささやいた。
その空間のエネルギーがなかなか行き場を見つけないので膝を立てた。足場をもらい、少しずつ骨盤内の空間は気にならなくなっていく。左肩に触れていてもらうと、左側の空間のエッジがはっきりしてきた。
首周りの静脈を休めながら胸腔の入り口に触れてもらうと横隔膜が大きく動き始めた。心臓の輪郭がはっきりする。
劇的な時間の波ではなく、濃い時間が筒状に流れていく。部分ではなく、構造が静かに変わっていく。
起き上がってからの体もとても安定していたけれど、腰を掛けて首の両脇、後頭骨と環椎の間に触れられると、一気に横隔神経が感じられて胸郭の内側の壁がはっきりとし、頭蓋骨と椎骨の間にも今まで気づかなかったスペースが開いたために、眼球がどこにどんな大きさでどんな風に乗っているのかがはっきりわかった。
立ち上がった両脚は二軸がしっかりとし、その支えを受けて骨盤の内側の空間が広く、しかし充実したまま動きのある腹部を支えている。
意図はしていなかったのにずっと気になっていた肩甲骨は羽のように広がって胸椎にも優しいカーブ、そして開いた鎖骨が喉元をしっかりと支えて話す、息をする、ものを食べるその通り道に安心感。コンテンツの多い頭部も広がりとまとまりを備えていた。
ああこうなりたかったんだ、そんな体だった。
親和で繊細、わずかなわずかなtouch.そうでなければ扉を開いてくれないほど深層にある感覚。
「よくなる」ということさえ望まないくらい、現状をすべて受け容れる訓練をしてきたけれど、それでは停滞してしまう何かがあった。自由になればなるほど、手放せば手放すほど、どこかに沈めた感覚の残骸があった。
奥深いそれに気づきながら、掬いながら、撫でては流していく。留めなくていい。融解しなくていい。
少なくとも私は今生きていて、この血は流れ続け、細胞のひとつひとつは生死を繰り返している。
私はいきいきと動いていたい。
交わり流れる、躍動するそのすべてを包み込む体でいたい。
セッションが終わってエレベーターホールに出ると、嵐が過ぎたあとの眩しい夕焼け。その光に呆然としていると、それを見に来た田畑さんと鉢合わせした。
二人で静かに屋上に上がった。
空と地面の間に自分という存在があった。
今度は溶けながらも、しっかりと。

 

大学院で舞踏を専攻されたヨガ教師

セッション1

10年以上、受けたいと思いながら踏み出せなかった10シリーズの扉を開けるのはとてもエキサイティングで、けれど自然なことでした。

そのスタートは「開く」と「開ける」のちょうど真ん中にありました。

 

セッションがまず田畑さんの立ち位置を決めていくことから始まるのに、うっすらと感動しながら、自分の中の感覚にフォーカスするのは意外と集中力を要し、すぐに深い意識下まで降りていかなければならないのは大変だと思いながらも「その場にゆだねる」ことに徹しました。

 

体に触れる圧も範囲もとても少ないものながら、確実に変化は起きました。

触れられた場所が膨らむような、沈むような、あるいは力が抜けていくような…様々な感覚がもたらす変化です。

そこから、大きな波が他の部分へと伝わっていきます。呼吸をガイドにしながら深く広く体のネットワークが伸びていくようでした。

ハイライトは2つあり、左肋骨がすうっと閉まっていったことと、右足と右後頭部が左側に互いに伸びあいながら弧を描いていったことです。

体は、自分の意志で自然にある方向へ伸びてからもとに戻りつつ、自分の居場所へ還って行くようでした。

 

見守ってもらえている、十分な時間と空間を与えられ、完全に安全である、その条件の下で、体が自身の意志と知恵で新しいつながりを見出していく場でした。

2時間があっという間で、心地の良いふんわりとした感覚で起き上がりましたが、いつまでもまどろんではいられないという現実。

そこで骨盤の前側〔下腹部)と仙骨の間に自分の軸を見つけ、横隔膜の動きを感じながら、のどの前側の神経を休ませる、鎖骨を心臓の方へと沈めていく…自分は自分の足で、自分の軸で立つという覚悟を再び取り戻していくとき、また意識と体が一致していきました。

 

・セッション直後

少し頭がふんわりとしつつも、頚椎の後ろ側がすっと伸び、骨盤が左右均等の高さになっている写真を見て、その変化が穏やかながら大きなものだったことを実感しました。歩きながらも、新しい体になったことを受け入れられるような、半信半疑のような。けれどその変化が優しすぎて、何かを暴力的に変えられたわけではないことに、自分の権利が守られ、尊重されていることに、穏やかな喜びを感じていました。

セッション中に体が求めれば動いてもいい、目を閉じてもいいのだとうかがって、「その衝動に従う」ということが、次回から私のひとつの課題になるだろうと感じました。

帰宅すると、少し体はだるく眠りたい感じでしたが、横になっても眠れず意識ははっきりしていました。しかし夜は21時には眠りについてしまいました。

 

・セッション1日後

後頭部の広がりと、頚椎ひとつひとつの間が空いているような感覚は新鮮で、呼吸も深すぎず穏やかな波が続いています。

何よりも、日中心理的に辛い感覚が襲ってきたときに、それを追っていかなくてもよいのだ、心地よさを見出しそれをよく感じていけばよいのだ、とセッション中に繰り返していたことを実践するのが、その場をしのぐ助けになりました。

今までは、どうしても辛さや痛みを凝視し、分析してしまう癖がありました。けれど、私には心地よさにとどまる自由がある。制限ではなく、豊かさへと続く道を選ぶのも私自身なのだと改めて感じています。

 

・セッション2日後

珍しく深夜1時まで眠れず、また3時半に起きてしまいました。その時に、自分の呼吸へと意識を向け、鎖骨を休ませる感覚、足が伸びていったときの記憶をたどって、自分で自分を「安全な状態」へと導いていくと、自然にまた眠りにつけました。

私自身が私のよりどころとなる、そんな安心感を作ることができる、新しい感覚でした。

自分自身のために守り守られる体の感覚と意識を、訓練し再習得しているような感じです。

頚椎右側に少し硬さが戻っていましたが、声の出方はいつもより深く、背面の広がりも相変わらず続いています。

 

・セッション3日後

朝、頚椎5番付近に少し筋肉痛のような軽い痛みがありましたが、次第に消失しました。この部位にそのような感覚があったのは初めてです。右の腰部にもいつものだるさが戻ってきました。両足のかかとの当たり具合が少し気になり始めました。

 

・セッション4日後

左骨盤の前傾、右骨盤の後傾、脊柱のねじれ、頚椎の右側の痛みが気になり始めましたが、なるべくセッション後の感覚をもう一度再現するようにしていました。

 

・セッション5日後

横隔膜から腸骨あたりにかけて、胴体部を深くリリースしたので早い時間から眠たくなり、ぐっすりと眠りました。体はいつも通りの自分の体感に戻っています。

 

セッション2

うつ伏せで始まるセッション。田畑さんの姿が見えなくとも、声のする場所や体の存在が心理的に影響を及ぼすことを感じながら、自分がうつ伏せだと意外と体の全面の凹凸をうまくテーブルにゆだねられずに、やりにくいことに気が付きました。

 

また、顔の全面に感覚が集まって頭が痛くなっていきます。と、同時に意識がかなりぼんやりしてほぼ寝ているような感覚で、うつ伏せのセッションは終わってしまいました。

そのせいか、あおむけになった時にはかなり手足がだるく、頭もいたく、やっと視界が開けたことにとても安心していました。

しかし、足へのアプローチだと知っているものの、その変化や反応を感じづらく、自分の感覚もうまく口では伝えられませんでした。膝を立てていると、股関節の感覚がとても気になるので、なかなか落ち着く場所を探すのに苦労しましたが、目線や膝の位置を変えていいということで、ぴたっと何かがはまる場所を見つけることができました。

 

「各パーツの位置はそれでいい気がするけれど、ひとつひとつがバラバラになっているようだ」という感覚があった時には、それを「これでよし」とすることはできたかもしれないけれど、自然のどこか「違う」と感じている違和感を言葉にできることに少し驚き、またその違和感をきちんと掬い取ってもらえたことも、さらに田畑さんへの信頼が深まり、静かに感動していました。言われたとおり、呼吸の心地よさに身をゆだねていると、自然にその感覚のかけらが統合されていきました。

前回、セッション後の「衝動に従うことを許す」という気付きを、今回は目を閉じたくなったり、自然と心地の良い場所を探してみたり、と目の使い方に活かせたと思います。

 

今回のハイライトは、身を起こしてから座っていた時の事、奥歯や耳が広がっていく感覚でした。自分の右に何か自分の感覚が開きたくない部分があったんだ、と思いながら、それが何なのかまるで分らず、けれどそれを追う必要がないことに安心していました。心地のよいところに目を据えたまま、見たくないものを見ないままに、その「少し怖い右」へと感覚を開いていくことで、必要な手綱はしっかりと握ったまま、知らないところへ分け入っていくようでした。

また、座ってから寝ていた時の股関節の心地よさを最初に再現しようとすると、力が少し入って腹部から上に引き上げる感じがありました。けれど、膝から下にはあまり感覚がなく、そのままで「いつもの体」を再現すると、骨盤が左右前後に少しずれていく感じがしました。けれど、そのまま敢えてそのずれたい衝動に沿っていくよう言われました。その変化に従ってから大腿骨を座面に落ち着かせていき、そのずれていきたい感覚が満たされ、収まっていくと、自然と体は正面に戻りたくなってきました。

まったくの新しい感覚(体)を大げさに喜び、それに一足飛びに飛びつくのではなく、今まで共に生きてきたこの体とそれを統合していく。その丁寧な作業が必要なのだと気付き、はっとしました。きっとその時に、今まで置いてきぼりにしてきたものと、きちんと対峙できるのだと思います。

戻ってきた後は、胸が上にふわりと引きあがっている感覚で骨盤がもっと軽く伸びていました。

 

体の変化は前回よりも感じにくく、私は脚に色々な思いを持って生きてきたので、果たしてこれでよいのかどうか少しだけ不安がよぎりましたが、これは理性で捉えるものではない、と田畑さんと自分の体を信じることにしました。

セッション後の写真では、両方の脚にきちんと支えてもらって立っている、という2本の軸ができていました。

 

・セッション1日後

首を左に傾けたくなることが多く、その際大きな音がよく鳴ります。

後頭部はまだ上に伸びてる感じがして、日中いつもの体に戻りそうになった時は、目を据えたまま右の空間を感じた、あの瞬間を再現してみると、少し体が落ち着きます。

呼吸が普段よりも、もう少し上部にまで入ってきて、腰のだるさがほとんどありません。

 

・セッション2日後

逆転のポーズ(逆立ち、三点倒立など)をとった時、軸が両脚にある感覚でした。

相変わらず右に傾けるとよく首が鳴ります。

しきりに脚を組みたくなり、その衝動には従っています。

 

・セッション3日後

体調が悪いのか、手足の冷えがひどくなっていますが、それ以外の変化はありません。

 

・セッション4日後

右手のしびれが出てきましたが、思い当たる理由もなく、セッションとの相関関係も不明です。

 

・セッション5日後

手足の異常な冷えと、右手のしびれが続いています。セッション後1度も右の腰のだるさを感じていないことに気が付きました。

 

セッション3

 

今日は横向きからのスタートで、体の重さをベッドに預けて行くと上側になった腰が後ろに倒れそうになると、腰、背中、肩甲骨の辺りに支えを入れてくれたが、そのほんの少し体を安心させていられるという実感が、体全体に伝わっていきました。手を柔らかいボールの上に置いているときは、どうしても腕は親指側にロールしてしまうので、真下に力を落としていく感覚がつかみにくいと感じました。

 

―喉の前の血管を休ませるようにする。静脈の血が心臓に戻っていくように―何度か繰り返してきたこの誘導は、私の頚椎の空間を変えていきました。今日はさらに、手を触れずに、あご下に置かれた手の存在をただ感じるという指示でまたひとつの統合が導かれました。

たった一滴の指のタッチで脊椎が動き始めます。皮膚が広がって、体中の知恵が発動します。ただ心地よい呼吸をするための時間をとってくれる、そしてそれを全身で味わう。それはまさにヨーガと同じ体験です。言語化をしなければならないという壁がありつつも、そこで出てくる言葉は適切なワードであろうがなかろうが、その言葉のもつ意味よりも、どんな形であれ出てくるものを認め、そこからほんの少しだけ手を添えるように方向を与えてもらっているように感じました。そしてこのロルフィングのセッションの場合は特に、その時間共にいていくれる、見守っていてくれる人がいるということが何よりも大きいのです。

体を起こしてから、ベッドに腰を掛け、股関節から前に体を倒していき、その分だけ足に体重をかけていくと、どうにも足の裏に力を感じたくない自分がいました。そこで太ももと脛の外側を張り出すようにして足の接地面を意識すると一度脊椎が伸び、そこから脚に向かって力が流れ落ちてきました。

 

今回は、歩きながらの統合にいつもよりも多くの時間をかけていたように思います。あごの下の空気の密度とともに歩く、横隔膜を水平に保ち、そこから足が伸びているように歩く、頭の上の空間も意識して…。いくつかのサポートをもらいながら、もはや自分の体が勝手に全体をまとめようとしていくことに、私は歩きながらついていく感じでした。

 

・セッション1日後

ひどい頭痛で目が覚めました。座り姿勢でいることが多かったので、セッション最後に行った、座位での調整を意識して行いました。足の裏へ体重を預ける感覚が少し弱いと感じました。けれど、ふたつの座骨の上に心地よい軸があり、体はとても落ち着いていました。

 

・セッション2日後

真夜中に目が覚めてしまい、眠いのになかなか寝付けなかった時、繊細な羽のようなタッチを思い出し、体を布団に預けるようにすると、どこを触られていると具体的に想像しているわけではないのにセッション中のように、体の中が自然と広がり始め、あるところに落ち着いていく感覚がありました。そうすると、体が落ち着き、再び楽に眠りに落ちることができました。ヨーガのあと、いつもより肋骨全体が軽く、特に背中側がリフトしているようでした。

 

・セッション後3日目

そういえば、と思い出したのが、ロルフィングを受け始めてから眉間の右側にずっと吹き出物が出来ていて、それがとてもひどくなりました。左右に頭を振ると、ひどいめまいがしたのに驚きました。今回は頭がぼんやりすることが多い気がします。

 

・セッション後4日目

1日中歩いているか立っているかでしたが、体がほとんど疲れていませんでした。肋骨が静かに下に向かって閉じている感覚が、重力と体が親和しているようで心地いいです。

 

・セッション後5日目

しばらく続いている「肋骨が閉じている感覚」が、腕を上げるときに体の中心から腕がつながって伸びていく感覚にリンクしていると思いました。右の臀部が少し筋肉痛のような痛みがあり、右の腰がいつもよりも縮んで右肩が下がっているように感じました。吸う息がいつも左ばかりで感じられているのだと気が付きました。体の右側では、あまり呼吸を捉えていないようです。ほんの僅か(1ミリくらいの体感)ながら、脊椎の柔軟性が増しているような気がします。

 

セッション4

セッション開始直後、田畑さんの場所を決めるときに、頭の延長線上でも足元でもなく、少し頭上斜め上にいてもらうことにすると気持ちが落ち着きました。「そこがいい、というのはどんな感じですか?」と聞かれて「存在感を確かに感じるけれども意識に介入しすぎない感じ」と答えた途端、自分のその言葉にはっとして、まるでそれを自分が日常でも望んでいたことかのように感じて、涙が出始めました。また、「それをどこで感じていますか?」と聞かれて「こめかみ」と答えた自分にも驚きました。感情をこめかみで感じていると気付いたのはまったく初めてだったからです。悲しみではなく、ただ体の反応として、涙がよく出るセッションでした。しかし、そこで体の感情を深追いせず、理由づけもせずに、純粋に体の反応を味わい続けるというのは心地のいいものでした。

横向きに寝て、腕をボールに預けることにも前回より慣れ、骨盤が垂直に立たなくとも行きたい方向へと体を倒して行けました。体がうつ伏せに近くまで倒れていったとき、仙骨付近に手を当ててもらい、そちらに少し広がっていくようにすると、体の安定だけでなく心も落ち着いていきました。なぜか、体に従っていくと時々頭では「これでいいのか?」という疑問が浮かびます。その時にそのことを正直に話すと、それをいいとも悪いともせず、わずかな言葉やタッチで、おのずから体がしっかりと心とも融合する場所へと導いてもらっているように思います。今回のセッションでは完全に田畑さんと私の「共同作業」であると感じていました。

今回は骨盤底に働きかけていたので、座骨がふわっとしていく感じや、骨盤底が水平であるという感覚が多く、それは全身にとても優しい安定をもたらしてくれました。

 

・セッション後1日目どこにも流れを妨げるものがない感覚。非常にニュートラルで、すっとしている体と感情。そして足の裏が柔らかくて、床にふわっとつき、体重をかけなくとも接地面が広がっていく感じがしています。骨盤底が水平な感覚と後頭骨が水平な感覚がリンクしていました。

 

・セッション後2日目仕事であったり、子どもに本を読んであげているときにふと、声の出方が変わったと感じました。腹の奥の方から声が少し響くような感じで、それまでコンプレックスであった声の出にくさが、ほんの少しだけ心地よさに変わったようでした。

 

・セッション後3日目疲労がピークに達していることもあり、体は依然として何も変化していないのではないか、とすら感じました。ただ、それは気分によるものであることや、「これをしたのだからこれだけ変わったはず」という思い込みは不要だということもわかっていたので、それについて何も思いましせんでした。

 

・セッション後4日目今週はあまりにもレッスンが多かったせいか、体の精密度が増していて、左の背中にも清々しい芯を感じました。上蓋と横隔膜と骨盤底の水平な広がりが一致すると、背中がもっとストンと後ろに落ちて何かに預けられる安心感が得られました。

 

・セッション後5日目駅のホームで電車を待っている際、私の2倍以上の体重であろう男性が転倒したのに巻き込まれて、私もともに倒れ、その直後から右大転子周辺が痛くなり歩く際にもびっこをひくほどになりました。その後痛みは仙骨の右周辺から、長趾伸筋にまで及びましたが、おそらく炎症だけだろう、ととても冷静に痛みの場所や状態をはっきり把握できたので不安にはなりませんでした。

 

セッション5

立ち位置を決める時、左上にいられると全身が引き上がって頭の方に近く感じるのと同時に身近に感じ、右側だと脚が伸びた。頭部に少し触れられると、こめかみ辺りに当たる手の温かみに涙が出た。圧というよりは、その温度に何かが溶かされるような感じだった。

骨盤を左右に分けて、前後や上下に回転させたりねじったりする動きをしていると、左右に一度分離された体が、自発的にひとつになろうと繋がっていく。見たことのないところに目線が止まった時、後頭部が伸び始めて統合が完了した。

片脚をたらして腸腰筋の伸びを感じると、それは後頭部とリンクしていた。左の肋骨が閉まっていく時、頭を左に向けたくなり、右後頭部の苦しさがぱかーんと開きながら出て行った。いつもは寝ころんだまま足の裏をつけて膝を曲げている体勢が、膝の置き所が難しくてあまり好きではなかったのが、それがサポートとなり他の部分を伸ばしていく体験があった。

起き上がってから座ると、左右の腹横筋を横に張り出すようにすると、胴体部の支えを感じるのか、肩が開いたまま下に落ちた。歩き始めた時には胸郭を左右から誰かに持ってもらっているようなサポートを感じた。その支えが少しくすぐったくて、そして嬉しかった。また胸の真ん中には確かに「中心」があった。そこに支えを感じて歩いてもいいのだという感覚が。

実は今回のハイライトは終わってから何気なくした質問に対する答えだった。次回のセッションまでに少し時間があくので、今回のセッションで心地よかったり、変化があった体の動きや感覚を次のセッションまでの間、復習のように再度たどってみても良いかと聞いたとき、それがいい感じになる間はやってもいいが、体は変化し続けるし前の感覚に固執するようになるからあまりお勧めしないという返事をもらい、そうか、それはそうだと妙に納得すると同時に、いつも体の内側の感覚に目を向けてばかりなのに、「こうあるべきである」という方向にベクトルを向けてしまって、どうしてその瞬間瞬間の体を大事にしようとしていなかったんだろう、と自分自身を振り返った。

 

・セッション後1日目

あまり変化を感じられず、どこかで焦りがあるような感覚。

 

・セッション後2日目

張り出していく腹横筋の中に透明な軸ができていき、その張り出した皮膚の感覚も溶けていく。

 

・セッション後3日目

右頚椎の痛みがひどくて呼吸が浅い。

 

・セッション後5日目

おそらく6時間以上歩き続けていたけれど、疲労感はまったく無し。

 

・セッション後2週間

 

今回は次のセッションまでに5週間空くというスケジュールなので、念のため記録を残しておくと、肩が外に開いて程よく肩甲骨が下りている感覚と、大腿骨の外側に強さを感じる。顎の位置がしっくりせず、もう少し胸椎の上部と頚椎の2~3番あたりの連携を感じたい。

 

・セッション後4週間

Rolf Movementのワークショップを受けていたので、緩めたり繋げたりする流れが自動的に起こるようになっていて、とても快適。とにかくこの体で生きていることが幸せで幸せで仕方がない。いつもある息苦しさ、息をすることをどこかで制御している感じや首の不快感が、気付けばまったく無くなっていた。

 

セッション6

今回は寒気と歯痛があって、どうやら軽く風邪を引きかけているようだったことと、連休が明けてから普段の生活のリズムに戻って疲労があったことからコンディションはあまりよくありませんでした。

しかし、うつ伏せから始まるも、今までよりも力が抜けるのが早く、今回はただただ自動運動が大きく続いていました。

皮膚が広がっていく感覚というよりも、もっと奥の方、筋肉や関節がもこもこと動いてその波が伝わっていく感じです。

大きな動きが起こるとき、それに体を任せていると波に飲み込まれそうなことが何度かありました。

自分の体が自分のものではないことをはっきりと感じながら、ただ「それ」に持っていかれそうなことを怖がらずに向かい合ってみようとするとき、必ず潮は満ちたら引くのだということを思い出す、そしてその満ち引きの間に深い呼吸がある。ー

そんなことを繰り返していた時間でした。

 

座骨に意識を向ける課題が今回はキーとなっていて、その感覚を誘導された時に体全体が大きく変化しようとしていました。

この2時間はそこに向けてデザインされていたように思うし、またそこからなだらかに収束していくカーブさえ完璧に計算されていたような弧を描いていました。

 

何度か左目のみから涙が出ました。それはまったく感情と結びついていない生理的なもので、鼻も同様に左の鼻腔のみが何度かツーンと通ることがありました。

それを繰り返しながら、体が崩した左右のバランスを取っていくようでした。

 

立ち上がって歩いたとき、大きく鎖骨が開いていて、耳や顎といった頭下部の空間を広く感じました。

意外と顎関節は力を入れる・抜くといった上下の感覚のみだったので、それを味わったときにさらに鎖骨や肩甲骨が下に下がり、同時に首が上に伸びていく、とても心地のいい感じがやってきました。

そして再び、自分の脚は2本あるのだ、という喜びで歩き始めました。

 

セッション7

今日は久しぶりに首の後ろがとても張っていて、少し痛みがあった。

やはり、仰向けに寝たときは首を大きく左に向けていたほうが体の力が抜けていくようだった。

その時に左の膝裏が少しぴりぴりして、その感覚と頭から体中の力がベッドにゆだねられていく重さを感じていた。

その次は右に顔を向けたくなり、右腰のだるさを右股関節が頭方向に近づきながらどうにかしようとしているのを眺めていた。

 

内臓頭蓋から呼吸器、消化器官をつなげていく。

上歯茎に触れられているときは上蓋が頭頂方向に広がるように力が抜けていって頭蓋骨の内側全体の空間がふわーっと新たなスペースを獲得していった。

下歯茎の時には後頭部が膨らみ、少し首筋が伸びていくとともに、後頭部が丸みを増していく。

この感覚が欲しかったものだ!と気付きながら、もっともっととその感覚を欲する自分がいた。

初めて、触れている手をしばらくそのままにしていて欲しいと思った。

歯茎の内側に触れられているときは、なかなか力が緩められず、ここでもまだ指を口の中にいれたままにしておいて欲しかった。

けれど、タッチは入口に過ぎないので物理的にそれが無くなった後も反応は続いていく。

ただ左右の鼻腔に指が入っているときも同様に、片鼻が塞がれていて呼吸がしにくくなっているにも関わらず、息は深く入っていたし、

鼻腔が塞がれているはずの半身がそれぞれまぶしい明るさを取り戻していった。

左鼻に指が入っているときは、明らかに左が真っ白で右半身は暗く影のようになっていたが、

次に右鼻に指を入れられたあとは、しっかりと左右が同じ明るさになっていたのに驚いた。

 

体にまとっていた薄い衣がいつの間にか消えていたかのように、少し新しい体で、けれど肩と腸骨がベッドにしっかりと落ちて安定と調和を作りあげているので不安がない。

しっかりとした自分の体がありつつも、気付けば新しい体になっているような感覚は、内部と肘から先にあった。

 

後頭部の広がり、丸みがとても大きくて、首や背骨の存在を忘れるような立ち上がりだったが、

しばらくチューニングボードに乗っていくととても内またになっている気がして、意識しないときはただ乗っていればそこで安定して何の動きも生じないようだったが、力を緩めようとすると、急に難しさがやってきた。

1段階目は仙骨が閉まり、尾骨が垂れてきてよい感じだったものが、2段階目から先に進まない。右の仙腸関節と膝を緩めようとするとうまくいかない。

もどかしさと困難を感じていると、上半身の心地よさを感じて、という田畑さんの言葉ではっと我に返る。

そうだ、眉間にしわを寄せて、自らが作りだした問題とにらみ合う必要などない。息をつめてしまう状況に、わざわざ突進していかなくてもいい。

いつだって体は今の瞬間に最適なバランスを見つけ、この全体性を保っていてくれる。

どんな一瞬にもその美学があり、ただその営みをそのままに、おいしく味わっていればいいのだ。

そうだった、そうだった。

 

セッション後3日目

セッションを受け始めてからほとんどなかった頚椎の張りや痛みが戻ってきていて、ロルフィングをやる前と何も変わっていないような気さえする。

 

セッション後5日目

今日のヨーガの最中に、いわゆる丹田と呼ばれる部位と第4回目のセッションで触れられた恥骨下枝と坐骨枝の感覚がつながって、そこから上歯茎を触られた感覚や、舌の下の柔らかい部分から内臓に至る道筋がすべて体の内側にあたらしい空間をもたらして、体感が一気に変わった。

自分の膝下へのネガティブな意識が思い出箱を開けるようによみがえってきて、ここから何かが変わっていく予感すらした。

 

セッション8

 

第8回目は全体の統合プロセスに入ると聞いていたので、どんな風に来るかと思っていたが、それよりも頭の中がざわざわしていて、膝下も午前中からむくんで重く、全体的に落ち着いていない自分をsettle downさせる方が目前の問題になっていた。

 

仰向けになって頭を左右に振るだけで後頭部の重さが感じられて、思い切り頭を横にして、その重さを台にゆだねていると、まもなく肩や背中が広がっていった。今回は何よりも内臓がよく反応した。胃のあたりから大きな動きが始まって、その動きをよくよく感じていると、すぐに自己が融解していき体が流れに乗りやすくなった。

 

ロルフィングはいつも「集中力」を有すると感じていた。意識を完全に体全体に向けるのはそれなりの感覚の「体力」がいる。しかしそれは「自分」の意識を集めるというよりは、集めてから、自分を構成する諸要素の概念をぱっと手放すことが重要なのだと改めて感じた。

 

上半身の重たさとは対照的に意識のない胴体から、完全に自分の体ではないように感じる下半身。それが胴体の中に納まっている内臓の活発な動きからだんだんと爪先まで呼吸が入ってきた。首を横に傾けたまま、目を水平に動かすように指示されたが、なんと目の動かせる範囲の狭いことか。少しでもその範囲を超えると目の奥がちかちかして目を開けていられないほどのぐらぐらを感じる。けれど相変わらず果敢にそこに向かっていく必要はなく、落ち着く場所で呼吸を繰り返し、片膝を立ていている足の位置を微調整したり、立てた膝のサポートをしてもらったりしながら、とにかくそこで「感じる」「呼吸をする」、それに徹しているだけだった。何かを問いかけられたり、何かを指示されたりしても、今日はほとんど言葉にならない、あるいはしたくなかったり、うまく指示に従えない感じだった。どこか「しない」「できない」ことを肯定する強さがあるようだった。

 

起き上がり、歩き始めると、目は嫌な感覚がないのに前を向けない。少し止まってみると、目線は下にしていたい。目をあまり開きたくない、使いたくない。後退も前進もしないように、目もちょうどいい力で少し開いたまま、体の欲求に従って呼吸をしたり、少し左側に体をねじったりしていると、少しずつ目が明るくなってきた。目線もあがり、少しずつ歩き始めると、膝から下が自主的にしっかりと指1本1本を伸ばして床を押していた。腸骨が広く、耳が顔よりも離れてついているかのように、遠くの風の音が耳の中を貫いた。

 

・セッション後1日目

 

どっと眠気が来ることはなかったけれど、翌朝はなかなか目が覚めなかった。後頭部がとても苦しく、目の奥が目ヤニでどろどろになってコンタクトレンズをはめられない!という不快な夢を見ていた。後頭部と目の違和感は、起きて動き始めるとまもなく無くなった。

 

・セッション後5日目

 

この1週間は寝不足が続いてまともな状態ではなかったが、昨夜はある程度睡眠時間を確保できた。しかしずっと首の不快感が取れない。今までは首を横にぼきっと振って、骨を鳴らせば解消できていた感覚が、音が出ないためずっと詰まったままの木管楽器のようになっている。

 

セッション 9

首はすでにこの10セッションを始める前とは明らかに違っていて、それぞれの頚椎の間に空間を獲得しているのだけれど、時々その一つ一つの水平方向の回転角度がずれている感覚は残っていて、今日も伸びてはいるのにどこか不快感があった。そしていつものように朝からむくんでいて、下半身の中で特に主張をするふくらはぎ。けれどここまでのセッションの中で得た肩や胸の広がりが、それらのアンバランスを包んで補えるだけの余裕を確保していてくれる。

 

右側を下にして右腕を背中側に伸ばし、左手をバランスボールの上に預ける。右ひざを曲げて、左脚はクッションの上に置いて伸ばしている。左手をボールの上に置いたまま前に伸ばしていくと同時に、右手も後ろに向かって伸ばしていくと、だんだん肩回りの力は抜けて台に体が沈んでいく。しかし胴体の力が抜けて左半身が前に倒れていくとともに、右臀部が伸ばされてどんどん痛みに変わっていく。

今回ほどセッション中に痛みが強かったことはなく、ただそれがどのように変化していくか見守りたいと思っていた。また、呼吸やゆだねる感じは普段と変わらなかったので、起こることについていけるような気がしていた。時間がたち、いろいろな刺激を受けながら脊柱の回転や胴体部のつながりが変わっても痛みはまったく減らなかった。

しかし右仙腸関節はこりやすい部分であったので、そこが刺激を受けて大きく反応しているのであれば、それは歓迎したいことだった。おでこに手を当てられたとき、その手の柔らかさと温かさが尋常ではなかった。首の角度を探すのが難しい。ほんの少し顔を動かすだけで、一つ一つの頚椎が組み変わる。最初はどこかどこかと0.1ミリ単位で適切な場所を探していたけれど、それもだいたいのところでやめてしまった。胸椎4番に触れられたとき、重力に従って体の全面に飛び出してくるように感じていた左の浮遊肋骨がすうっと体の中心に吸い込まれるように収まっていった。ちなみにこの左の浮遊肋骨は常日頃前に突き出しているように感じ、不快感があったところで、「飛び出している飛び出している」と自分の身体イメージに過ぎないものだと知りながらも感じていたところが、ドラマティックに収束した。

何度か促されたが、頭頂方向に伸びていくのが難しい。右臀部が完全に感覚を失うほど痛みが強いため、右坐骨を触られても、どうにもすることができない。とても不自由でぎこちない体の中で何とか動きを起こそうとするとき、本当にどこかにゆだねていることが土台となることを感じた。

 

左足の爪先側を伸ばし、右膝を体側に引き寄せながら両手を水平方向に伸ばしていく。が、右臀部が痛みでまったく動かないので膝を引き寄せられず、左足を伸ばそうとすると、体が台から持ち上がってしまう。少し前に倒れた体を垂直に起こすとなんとかできるようになったが、指示された動きがこんなにできないのは初めてだった。

体勢を変えるのにもイテテテとなるが、体を反対側に向け、左側を下にして、まったくおなじ体勢を取る。頭を左下にして寝るのが苦手なため、こちらの方が不快かと思いきや、体全体は楽でこちらでは何の問題もなかった。指示された動きもやりやすく、ただただ心地よさの中にいた。が、痛みを感じないうちに、実は右半身を下にしていた時と同じように、完全に左臀部も伸びきっていた。左半身が前に倒れていたのを垂直に立てようとしたときには、左脚は完全にしびれ、臀部も痛くてしばらく動かせない状態だった。

 

右膝から立て、仰向けになっていると少しずつ左脚が落ち着いてきた。左膝を立て首を左右にゆっくり振ると、どうやら死角があるらしく、視線がスキップする空間があった。指で誘導してもらい、ある地点(顔の真上よりはほんの少し左上方)を見ていると、またたく間に仙骨が開いてきて両股関節のスペースを広げ、爪先までがつながり、下半身が安定してくると今度は上半身を、脊柱を中心につながりが伸びてきて、首の位置が変わった。首の位置と視線が変わると、またつながりを下半身に求めるように両ひざが円を描くように動き、また足裏の付く位置を変えて脚全体が居場所を探していった。左脛が左に倒れたがっている。左側の空間を感じていると両ひざが円を描くように動いて居場所を少し感じているとだんだんとその動きが収まり、足の裏の位置を変えたい衝動が起きたので、それに従うと体全体が落ち着いた。

 

体全体が台に深く根付いていくと、肩関節と股関節が外に向かって開き始め、同時に以前のセッションで得た恥骨下枝&坐骨枝と舌下を緩める感覚を思い出していたら、骨盤内、ちょうどへその下(丹田と言っても可)にぐーっとエネルギーが集まってきて、そこに小さな自分の体全体が収まっていくようだった。

これほど下腹部が充実したことはなかったし、そこに自分があるという感覚が、(「この世界全体と自分は同じものである」という梵我一如の概念に似ていて非なるものだが)自分の中に自分が入っている、また別の入れ子ができていることが面白かった。このまとまりが作られていくときは完全に愛する人とつながっているとき、ひとつになっているときの感覚で、自分が完全に何かと一致して柔らかい光になっているようで、もう少しこのままでいたいと頼んだ。

 

立ってみると、その下腹部の充実感は何でもないかのようにほぼ消えていたが、それは失われて空っぽになったものではなく、その充実感が吸収されたような感覚だった。帰り道、歩いていると仙腸関節の空間がとても広くなっているのに驚いた。あれだけセッション中に痛かった股関節はほとんど何の痛みも感じなかった。

 

・セッション後1日目

左太ももの膝あたりが筋肉痛。仙腸関節が昨日とはうって変わって痛い。首がよく鳴る、以前の状態に戻った。

 

・セッション後2日目

首がとても痛い。久しぶりの右後頭部の凝る感覚。あぁ、まだあるのかという感じ。この日から眠気がきた。

 

・セッション後3日目

移動が多かったせいか、21時には就寝。体は辛くないが、心がざわざわして重たい。

 

・セッション後4日目

頭痛がひどい。特に後頭部蝶外骨のあたりが鈍い痛みで包まれている感じ。一日中眠くて何度も居眠りをする。

 

・セッション後5日目

眠る前も、目覚めてからも、涙が出る。頭痛は消えていて、少し視界はクリア。

 

セッション10

今日はセッションルームに向かう足取りから少し違って、寝不足なのに感覚はクリア、膝下が少し長くなっていて地面よりも一段下にまで伸びている感じだった。ただ最終セッションだからといって期待はしたくないし、終わるのが寂しいとも思いたくない、これが終わることも、そしてそこからまた今まで通りの日々が始まることも、どちらも楽しみだった。

 

台の右端にうつ伏せになり、右腕を下にぶら下げて、右脚をボールの上に預ける。この時の顔の向きが問題だった。うつ伏せになるときは左向きになるのが癖だが、その偏りを無くしたいから右に向けたい。どちらが自分の体の願いなのかわからなかった。従って、直観。いつもこちらが気持ちいいから、ではなく、今こうしたいという衝動に従って、癖とは違う右向きになった。首の角度に安心感があるわけではないけれど、力の抜きづらさもなく、左頬骨の当たりを少し気にしながらも体を台にゆだねていった。後頭部に触れられて、その温かさや柔らかさを感じるのだけれど、そしてそれをもっと感じたいと思うのだけれど、私の頭はそれになじんでいかない。頭頂部に伸びていく動きを促されてもあまりうまくいかない。けれど、次第に左頬骨が右股関節とつながり引き込まれていく感覚が起こり、坐骨や仙骨のあたりに触れられるとともに脊椎が少しずつ動いていった。ひとつひとつの椎骨が右に回転して独立していく感じでどんどん動きが沸いてくる。その動きを実際に体を動かすのではなく、イメージの中でついていくようにすると、今度は内側からの動きは左回転、体は右回転をしたがっていることが分かった。腰椎→胸椎ときた回転が頚椎までこない違和感はその両方の感覚を味わってあげることで緩和していった。

今度は左端で左半身を下に降ろす時にも、顔の向きは自由だったが、その時左向きになるには首が痛かったこともあり、頭ではアンバランスかもと思いながら、体が堂々とまた右向きを選択した。先ほどとは違い、こちら側では全身が割と落ち着いていて、あまり動きが起こらなく、ずーっと深く沈んでいる感じだった。今思えば、右向きの首もそこでこの体に包含されていたのだと思う。

 

仰向けになって左膝を立てる。左右の半身差が大きく、左足の置き位置もなかなか決まらない。そうこうする内に胃や腸がぼこぼこと激しく動きだした。右脚をなるべくゆだねようとすると、右半身が真ん中からどんどんと外側に開いていきたがる。目線が落ち着く場所を探しながら、右手を腹部に置いて内臓の動きを感じていると、どんどんと右脚が落ち着いていった。「右脚の接地面が広がっているように見えますが、どうですか?」と聞かれて同意すると、その瞬間。バーンという大きな音がしたかのように仙腸関節が大きく左右に広がっていった。今脚が落ち着いているって言ったばかりなのに!!という驚いた心の叫びを伴いながら、出産のときの骨盤の広がりを思い出すくらい強力な力でどんどん開き、どうなってしまうのかと思わず眉間に力が入る。骨盤の中にある人の顔がバン!と入ると、少しその動きが収まってきて、今度は右後頭部がぱかーんと口を開くように首が左に傾いていった。左半身を軸にしながら首がどんどん左に伸びていく。その動きに、イメージの中だけでついていくと、それは右から左に水平にうねっていった。蛇の動きのように頭蓋骨が左、右、左…とカーブを繰り返している。とてもダイナミックで、頭につられて脊柱が動いているのも感じられた。

 

今度は左脚を伸ばし、右膝を立てる。膝を立てるのはとても難しくて、なかなか足の置き位置が決まらない。右脛や大腿骨で支えるように、右内転筋も少し感じて…と言われるがなかなかうまくいかず、結局少し手に預けるようにする。右股関節も感じてと言われるが、どう大転子が収まればいいのか頭も体もわからない感じでもやもやする。股関節を腹部と背部から包まれて、この間の空間を感じて、と言われるが意外と下腹部の内側に意識は集まらない。右膝は自分が置き場を決めようとするよりも、外に預ける感覚で落ち着いてくると、左半身にはびくびくざわざわと動きが起こってきた。ぶるぶるっという痙攣のようなものが何度か起こりながら左半身が落ち着いていくのを見守っていた。頭は大きく左に向いていたのだが、左の肋骨は体の中心に向かって回りながら、右腹部はその左肋骨を覆うように左側へと回っていった。

 

その時々に合わせて大きく右や左に向いていた首が真上を向き、正面に目線が戻っていきながら内臓の動きも収まり、両脚をのばす。体全体が台の上で広がり、落ち着いていくと右耳の穴が大きくなったような感覚で、遠くの風の音まではっきりと聞こえるようになった。その右耳の広がりに体をゆだねていると、背中側から皮膚が脚に向かってめくれるように、新しくなっていくようだった。それは足裏から今度は体の前面に。体が大きく脱皮していくように、全体がべろーんと真新しい皮膚になった。

 

座ってから、最初はくらくらしていたものの、下半身の感覚はしっかりしており、何よりも目線がとても広い水平性を獲得していたので、それを心の底から味わった。横に広がっていく世界はとても穏やかで、心地よくて、目の前にはビルがあるのだが地平線や水平線を見ているようだった。しばらくそこでじっとしていると、今度はその真ん中に垂直線が表れてきて、大きな大きな十字の中で、自分の体にもその両方があるような感覚になった。促されて、右足の位置をほんの一ミリ動かした時、普段はそのほんの少しの動きや目線が大きな変化を起こすのに、今回直後はほとんど変化もなく、それを意外に思いながらそう伝えた後、瞬く間に右後頭部がまた先ほどのように左上方に伸び始めた。右後頭部がぱかーんという大きな口を開け、ほとんどの頭部が左側に寄っているように感じながら、その動きについていくと、だんだんその右後頭部が大きくぐるぐるという回転を始めた。もちろん、その通り動くことはせず、イメージの中でついていくのだけれど、そのとき急によく知りもしないホ・オポノポノのことを思い出した。田畑さんがリストバンドをしていた記憶から、よく知らないままに「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」とその回転に対して心の中で繰り返していた。どこで覚えていたのかもわからない、そんな記憶を引っ張り出し、注ぎ込む、それほどに体が動揺していたのだと思う。次第にその大きな回転は不規則で速度を落とした動きになっていき、だんだんと小さくなって、螺旋を描きながら右耳から出ていった。右後頭部はずっと長い間、詰まりやすい場所だった。

立って歩きながら、左半身はどーんと軸のある直線、右は首や腰にカーブのあるS字ラインを描いているように感じたけれど、その左右の違いも含め自分自身であることを心身が納得しているように感じた。違和感というよりもそれが私なのだという自信、そしてなによりもこの体、人生、今ある命を全肯定したいような気分だった。もはや何が起きたのかも知る必要がなかった。そして、ずっと葛藤し苦悩してきたこの自分の体を大好きだと感じていることが、何よりも私がこのセッションを受けた証だと思った。

 

・セッション後数日間の様子

 

何日も忙しく寝不足の日々が続いたり、心が大きく動揺するような出来事もあったりしたが、風通しの良い体の快適さがあればほとんどのことは「大丈夫」だった。無理をする瞬間にも体や呼吸を固めることもないし、疲れたことにも、泣きたいことにも素直でいられる。不快さを感じているときにも心地よい部分に意識を向けたり、今体がどうしたがっているのかを毎瞬間追うことで再び体の有機的なつながりを取り戻したり…このセッションを受けて何かが「完成」「解決」したのではなく、刹那滅するこの存在において、どうやってその変化し続ける瞬間の連続にい続けるか、その在り方を学んだような気がする。そしてそれは、開かれたこの体の智慧に付いていくこの経験と、そこで感じた命と自分に対する絶対的な肯定感が土台となっている。

 

約10年ぶりに数100人の前でやるパフォーマンスに参加した。

踊ることを自分に許せたのもきっとこのタイミングだったのだと思うが、そこで久しぶりに会う友人たちに「とても印象が変わった」と言われて結婚、出産、ヨーガの深まり…と経てきた変化も思い返しながら、それでも一番今の自分に大きかったのはこのロルフィングであったことが口をついて出ていた。「今までの人生も、自分も全肯定できているんだよね。」そう返すと、聞く人誰もが目を丸くして、「それ、すごいね!」「ちょっとすごいわ…。」突拍子もない、大げさにも聞こえるかもしれないこの言葉を、衝撃と納得でみんなが受け取ってくれたのは、きっとそれが私から出た真実だったからだろう。もう一つ驚いたのは、後で自分の踊る姿を映像で確認したときに自分だとは気づかなかったことだ。こんなにも動きが変わっていたなんて…。柔らかくなった脊柱に、音が流れていた。

ヨガ実践者

2015年にロルフィングシリーズを開始し,11月に完結したJさんのレポートです。

セッション1

【セッション中に感じたこと】

・「立てた状態の左膝を、田畑さんに預ける」という動作のときに、

左の股関節がするするとひらいていったのが心地よかったです。

南京錠が突然カチン、と外れたような感じで、

どこまでいけるんだろう…?と思いました。

 

・顔がやや左側に傾いている気がして、「ああ、もうちょっと真ん中に行きたい」

と感じたのとまったく同時に、

田畑さんの手が私の頭にかすかに触れてちょうどよい角度に戻ることが出来た、

ということがありました。

声に出さなくても、私の意思はどこかで田畑さんにサインを出したのでしょうか?

寸分たがわぬタイミングだったので、すこし驚き、でも気持ちがよかったです。

 

【セッション直後の写真撮影時】

・セッション前と違って、迷いなく立てました。

「すっと決まる」感じです。

「型が出来た」というほど固くはなくて「すっと収まる」ような。

 

【セッションが終わった帰り道(セッション後10分経過)】

・歩きながら首を回してみるとほぼ痛みがなく、とても驚きました。

後頭部、首、肩と指で押してみても、いつもの痛みが全くないのです。

感覚が麻痺してしまったの?と思うほど。

 

【同じく帰り道(セッション後2時間経過)】

・頭痛を感じました。主に左側。

ただ、首や肩にはいつもの痛みはありませんでした。

(背負っていたリュックが重かったからかな?とも思いましたが、

セッション前には頭痛はありませんでした。)

 

【帰宅後(セッション後約5時間経過)】

・身体の各部分の状態を確かめてみました。

→首を回す:痛みがまったくない。

→立位前屈:セッション前との変化は感じない。

→あぐらからの前屈:いつも感じる股関節(特に左)の痛みがない。

代わりに、いつもは感じない臀部から太腿裏あたりの痛みがあった。

→腰を起点に上半身を旋回:いつも感じる背中の痛みが少ない。

→足裏・手のひらのツボ押し:ほとんど痛みがない。

腰の反射区と言われる、左手小指下1.5センチほどのツボには、やや痛みあり。

→正座からうしろに上体を反らして、前腿を伸ばす:いつも通りの痛み。

 

【セッションの翌朝〜睡眠は5時間ほど】

・起床直後は首のうしろや付け根がかなり痛かったのですが、

それから10分後くらいにもう一度確かめてみたら、

セッション直後の痛みがない状態に戻っていました。

 

・いつもは起きてすぐだと少しふらふらするのですが、

この日はほどなくして「身体が芯を取り戻した」ような感じがしました。

上記の【セッション直後の写真撮影時】の時と近い感覚です。

芯といっても固くはなく

“透明でしなりのあるプラスチック板が身体の奥の方、胸から骨盤の間くらいにある”

という感覚です。

そのしなりによって、ふっ、と中心に戻る感じなのです。

セッション中に

「わたしにはいつも消えない緊張があって、

それは黒くてぎゅっと固い棒状で、芯のように身体の奥に在る」

とお伝えしましたが、その芯とはかなり違います。

 

・呼吸がしやすくなっていることにも気づきました。

いつも食べ過ぎた翌朝は、食べもののたくさん詰まった胃や腸にぶつかって

息が思う存分吸えないのに今朝はそれがなく、すんなりと吸えました。

 

【セッション翌日の昼頃】

・午前中から後頭部左側がズキン、ズキンと規則的なリズムで痛み始めました。

この場所は、日常的に痛むところです。

 

・昨夜のように身体の各所を動かして確認してみると、痛みが取れていたはずの首が

いつもの痛さに戻っていました。

 

・夕方近くになると、左の眉頭付近もズキズキと痛み始めました。

こちらのリズムの方がいくぶん小刻みに感じました。

 

【セッション翌日の夜】

・身体のあちこちを動かして確かめてみましたが、どこもほぼ、

セッション前の感覚に戻っていました。

 

・特に首と肩の痛みが普段気になっているので、そこを何度も確認したのですが、

一晩の間で、痛みがあったりセッション直後の痛みのなさに戻ったりを

繰り返していました。

 

・歩き方、座り方も前の状態に戻っていました。

今朝感じた「しなりのある透明な芯」の存在も、かなり薄らいでいました。

 

・私は食べ過ぎていると感じるので、このセッションを通じて

どうして食べ過ぎてしまうのか?、ちょうどいい量で止めるには?

などを自分に訊いて、その返事を受け取れるようになりたいと思っています。

→セッション当日の夜、翌日の夜、いずれもいつも通り食べ過ぎで、

食欲に関してはセッション前との変化を感じませんでした。

 

・「意識(マインド、頭)が、身体の言っていることを聴かない、

身体はただ意識に従わされて泣きそうになりながら働くのだけれど、

もう疲れて動けなくて立ち尽くしている。」

いつもそういう感覚があるのです。

食べ過ぎることもそうですし、午前中から始まった痛みもそうです。

午前中はパソコンを見つめてウンウン唸りながら過ごしていたのですが、

痛みというサインを伝えてくれていたのに、

マインドは作業を仕上げてしまいたいと押し通し、

結果パソコンに向かい続けていました。

 

・自分自身がマインドと身体とハートの3つに別れていると感じているのですが、

全部が融けあえれば、いまの不安定さや混乱がなくなるのかなと思います。

このセッションで、もしかしたらそういった統合が為されていくのかな、、、?と思います。

 

 

【セッション2日後の朝〜睡眠は7時間ほど】

・首の状態:昨日の朝のように、“起床直後は痛いけどすぐ戻れる”かと思いましたが、

痛いままです。

 

・呼吸:昨日も食べ過ぎたのですが、いつもよりは「胃や腸にぶつかって吸いにくい感」

がありませんでした。

 

・“透明なプラスチック板”の存在はほとんど消えかけています。

椅子への座り方にまた迷いが戻って、背中(肩甲骨より10cmほど下あたり)に

痛みがあります。

 

 

以上がセッション当日から2日後の朝までの記録です。

 

2日後には、身体の感覚がほとんどセッション前に戻っているように感じます。

ただ、微かにですが“透明なプラスチック板”は感じます。

 

“透明”と書いて気づいたのですが、セッションを受けて「色」の変化に気づきました。

セッションの最初にお伝えした「黒い」固い棒状の緊張が「透明」なプラスチック板に

変わったという点です。

 

そういえば、セッションを受けたお部屋の白さが心地よかったのも思い出しました。

光がよく入ってきていて、白の明度が高くて透明に近く感じられました。

なので、いつもは目を閉じているほうが好きなのですが、

あの時は開けていても落ち着いていられました。

あの時感じた透明を、このセッションによって自分の心身にも得たいと思います。

 

 

このように書き起こすことで、身体が伝えてくることを

すこしずつ聴けるようなきっかけが出来ました。

ただ、「痛い・痛くない」「変化を感じた・感じなかった」という

0か100かの知覚が多いと感じたので、

次回からは、その間にある微細な感覚も受け取れたらと思っています。

 

このような機会をくださってありがとうございます。

セッション2

【セッション㈪前日】・美容院に行きましたこの美容院という場所は、わたしにとっていい練習の場です。それは、足場に身を委ねることの練習です。髪を切ってもらっている間、シャンプーしてもらっている間、いつもイスに安心して沈むことができません。今回も施術中ずっと身を固くしたままでした。2ヶ月後くらいにはまたいくと思うので、セッションを経たことで変化があるか観察してみます。

【セッション当日】・行きの電車内どの場所や場面においてもわたしはいつも安心できず、ずっと続く緊張感で心身が疲れます。この日の移動中もそうでした。以前ヒプノセラピー(退行催眠)を受けた際、鎧がイメージに浮かんだことがあったのですが、それは「戦国時代のごとく、常に身の危険を感じている」ような強い思い込みを表していたのかもしれません。その根源は探ってみてもなかなかつかめないのですが、セッションを重ねていく中で見つけたいと思います。

電車のイスに座りながら、前回セッションの最後に味わった座り方のここちよさをまた感じられるか確かめてみたのですが、わからなくなっていました。そのせいか、肩甲骨より10cmほど下あたりの背中に痛みを感じました。(気持ちのいい座り方・気持ちのいい重心のポイントが見つからない時はかならずどこかに痛みを感じます。)

そのあともう少しポイントを探っていたら、ふと「統合」というワードが頭に浮かびました。その言葉を思い浮かべながら座っていたら、すこしラクに座れるようになりました。このセッションにおいては、言葉よりも身体で覚えたことを優先させたいと思っているのですが(アタマを使いたくない)、この時「やっぱり言葉も有効なのかな」と思いました。

【セッション中】・「預ける」という言葉は、身体も心も動かすんだと感じました。(田畑さんがその言葉をおっしゃると、身体が台に沈んでいくのがわかります。)

・視覚を閉じるか、開けるか前回はどちらでもほとんど同じ感覚でしたが、この日は閉じた方が落ち着いていられました。普段視覚を使いすぎている感があるのでセッション中は他の感覚器も働くようにと目を閉じているのですが、あまりそう思い込まずに今後も閉じたり開いたりして視覚の有無がどう作用するかの観察をしていこうと思います。

【セッション直後】・1回目直後同様、身体のあちこちの感覚を確かめてみました。前回との違いを感じたのは首です。1回目セッション直後に感じたクリアさ(痛みや引っ掛かるところがない)がありませんでした。「こうじゃなきゃいけない」という思い込みの意識が、首の角度を固定していたからではないかと自分では感じています。痛みとかコリは、自分にとって本当に心地よいと感じる場所と、いま現在の体勢とのギャップによって生じるものなのかなと思います。

【セッション後2時間経過】・呼吸:クリアではない。腹壁にぶつかる感じです。

・身体全体の感覚:前回レポートに“身体の中心に、透明でしなるプラスチック板があるような感覚”と書きましたが、それは今回のセッション後にはありませんでした。代わって今度は“身体の中に振り子がある”ような感じです。(揺らぎながら、気持ちのいいポイントへ収まっていく)この「揺らぎながら中心を見つける」という感覚はけっこう心地がよいです。中心を探っていくことで自分の足場や居場所をも確保できるような、安心につながっていく感じを受けました。

・精神面:変化を感じませんでした。わたしが持っている心の問題(実父に恐怖がある)にも変化はありませんでした。ただ、「変わることへの恐れを手放そう」という気持ちが浮かびました。変えたいからセッションをお願いしているのに、どこかに「変わりたくない、怖い、変わってもらっちゃ困る」と、服の裾をぎゅっとひっぱって引き留めようとする自分もいるのです。だから、「でもさ、変わることは楽しみなことだよ?」と自分に話しかけました。どんなに素晴らしい施術をしていただいても最後は自分の意識次第だと思うので、いつも開いた状態・恐れからフリーな状態でいようと思います。

・帰りの電車内:いつもは景色を眺めたり車内広告を読んだりするのですが、この日は何もせずひたすら、自分が何か発してくるのを待つ・それをキャッチすることをしていました。呼吸以外はクリアな状態に感じられ、身体の中は白い空間のようでした。

・食欲:この日の夕飯は、ちょっと食べ過ぎたけどいつもよりは少ない、といった量でした。

・身体全体的にはわりと気持ちがいいと感じていましたが、足裏に痛みとまではいかない違和感がありました。「どう接地したらよいのかと迷いがある」ような。

【セッションの翌朝】・首:昨日のセッション直後と変わらない感覚でした。(セッションを受ける前よりは痛みが少ないけれど、付け根のあたりが痛い)

・精神面:気分は悪くないけれど、いつもと変わらないといった状態でした。ここ数年、毎朝起床直後に下腹部卵巣付近に鈍痛を感じるのですが(嫌なことを思い浮かべると胃が痛むというケースはけっこうあると思うのですが、わたしの場合それが胃ではなく卵巣なのです)、この日も痛みました。

・足裏:昨日同様、違和感がありました。朝のうちは右足小指下の出っ張りがあるあたりに痛みを感じ、朝10時頃にはそれが全体に広がりました。

・座り方:この日は座ることに関していろいろと試してみました。わたしは原付に乗るのですが、普通にイスに座るのと違ってハンドルを握るので上半身がやや前傾します。こんな時の心地いいポイントはどこだろうと、いろいろ重心を変えて探っていきました。その後、普通にイスに座る時の重心・ラクに座れるポイントを探す中で思ったことは「人から“これがいいんだよ”と言われた姿勢だと、背中が痛くなる」ということです。

セッションの終わり、「ヨガの先生に言われた座り方」を再現してみせた時、田畑さんは「でもそれって座りづらくないですか?」とおっしゃいましたが、その言葉がすごく響いて残ったのです。「ですよね、実際座りづらいと思ってたんです!」と、うれしくなってしまって。自分の気持ちいいと感じるところがいいんだ、という旨のことを言ってくださって、その時の一連の言葉が自分にとってはとても大きかったです。先述しましたが、アタマを使ってしまう気がしてなるべく言葉には頼らないと思っているけれど、でもやはり言葉を活用することも大事だなと思いました。

それと、人に言われた“姿勢”と書いて思いましたが、いま自分が探しているのは姿勢ではなく、“ポイント(中心のような・重心のような)”です。形でいうと、軸・線ではなく、点・球体。これはけっこう大きな差なのではないかと思います。姿勢は型で、揺れられない。ポイントは自由度があって、心地よい揺らぎがある。ようなイメージです。

【セッション翌日の午後】・歩きながら「自分の気持ちいいポイント」を見つけるのがちょっと楽しみになってきました。

・「身体は言葉では話しかけてこない」というフレーズが急に浮かびました。このところ「言葉はアタマだからあまり使いたくない」ということをよく思うからでしょうか。それはさておき、身体が伝えてくれることを無視しないでその場ですぐ受け取るようにしたいと思っています。

・この日はイスに座っていることが多い1日でした。なるべくダラリとせずに上半身を立てて…などと思っていたのですが、「そうすると気持ちいいから」というより「そうしなければ」という意識でした。そのせいか、身体が固まってしまったように思えました。

でも、疲れたら猫背になってもいい・そうなったとしても自分のポイントがあってそれがラクならば、バランスが取れていたらいいのでは?と思ったり。そんな考え方も出てきて、そうしたら背中の痛みがすこし取れた気がしました。

・昨日のセッション終了後の写真撮影で、アゴの角度をいろいろ変えながら気持ちのよいところを探していたのですが、この日も昨日とはまた違うポイントでした。(昨日は上向き、今日は下向き)

・食欲:夕食すごく食べ過ぎ。

【セッションから2日後の朝】・座り方も歩き方も気持ちのよいポイントが見つからず、背中が痛かったです。

・足裏:全体的に痛かったです。

【セッション㈪から2日後の午後】・歩きながら気持ちのよいポイントを探し続けるけれど、朝同様見つからない。でも座っている時・立って静止している時はわりと心地いいポイントを見つけているし、背中も痛くない。

・今日は1日雨。でも天候の影響を受けている自覚はなかったです。

・精神面:変化感じず。

・食欲:空腹を強く感じたので、そこにあったエナジードリンクを飲んだらおさまった。その時、「すぐに空腹を消そうとせずに、味わってみてもいいのでは?」と思いました。またアタマが身体を黙らせてねじ伏せたように感じたからです。空腹感じた→苦痛ととらえずに、空腹を感じたならただ「ああ、空腹だね」と感じることに専念して、その先の判断をしなくていいのでは?

・首:付け根がかなり痛かったです。でもセッションを受ける前に頻繁に感じていた左後頭部の痛みはこのところありません。不思議だったのが、痛いと感じているところを指圧してみたら痛くなかったことです。いつもならイタ気持ちいいと感じるのに。

・呼吸:食べ過ぎたわりには、わりとどこにもぶつからずに吸えました。

・足裏:どこが特に痛いというわけではなく、全体が疲れていて老廃物が溜まっている感じでした。滞っている感じ。

【セッションから3日後の朝】・午前2時頃に目が覚めました。脚だけなぜか軽く感じました。足裏もです。おなかは重いし、首も痛いし、ちょっと風邪気味、でも脚だけが軽い。正座からうしろに反って前腿を伸ばしてみようとしたものの、足首がすごく痛くて出来ませんでした。でも、しゃがんだ状態から立ち上がるという動作はすごく軽い。

・歩くときの気持ちのいいポイントが見つけられて、背中が痛くない。でも、座るときのポイントは見つからない。

・朝食の食欲:食べ過ぎ

・足裏:外側を使うことが多いなと思って(だけど靴のソールは内側が減っている。写真添付します)、土踏まず側を意識して使うようにしてみました。すると身体を天地に貫く透明な柱のようなものが、身体の真ん中に感じられました。いつも浮かぶのは柱状ではなく、ポイント(ゴルフボールより一回り大きいくらいの球体)だったのに。

・肩の付け根が痛いせいか、頭痛がしました。

【セッションから4日後】・日帰り旅行に行きました新幹線に往復7時間ほど乗ったので同じ体勢が続いたのですが、そんなに疲れなかったです。

・食欲:旅行だと食べ過ぎてしまうのが常なのですが、今回はそうでもありませんでした。

【セッションから5日後と6日後】・両膝が朝から痛みました。雨が降ると痛い、ということがありますが両日とも晴れ。昨日は旅行でたくさん歩いたからなのか、同じ体制でずっと座っていたからか?

・身体が伝えてきてくれること(痛みや疲れ)に、聞こえないふりをせずすぐに受け止めるようになってきたと思います。

・4日後〜6日後にかけて、深く息が吸えないと感じました。身体のことというより、精神的なことに起因しているのではと思います。(このころ、先述した父への恐怖が強まっていたので)

・6日後に、久しぶりに左後頭部の痛みがありました。また、「気持ちいいポイント」を感じようとすると腰に違和感が生じました。

・痛い、とかざっくりした感想が多くて、微細な感覚を掬いとる余裕がないのかなと感じます。ものさしの目盛りが粗いというか…

【セッションから7日後】・朝食の食欲:食べ過ぎ

・移動の電車内でいつもよりストレスを多く感じて、肩が痛くなりました。隣に座った方が寄りかかってきたりとか、脚を開いてきたりとかということがあったからです。こんな時、感情と身体のつながりを感じます。右側に自分にとってイヤだと感じる人が座っていたら、右の肩だけ痛くなるからです。

・座る時の気持ちいいポイントを、今日も探しました。前回セッションの終わりに「ヨガの先生にいいと言われた座り方」を再現してお見せしましたが、その時感じた“三角形のイメージ”が浮かびました。ヨガの先生のおっしゃる座り方は、坐骨の上に垂直に座るというもので、横から見ると直角三角形のイメージです。対して自分の気持ちいい座り方はそれよりも上体がやや前傾して、同じく横から見ると頭頂部・お尻・両膝を結んで二等辺三角形になるイメージです。直角三角形よりも二等辺三角形のほうが、横から力がかかった時に倒れにくいと思うのですが、だからラクだと感じるのかなあと、あくまで自分の中の感覚ですがそんな風に感じています。

以上です。

セッション3

 

セッション10日後の感想が興味深いです。

 

以下全文の転用です。

【セッション4日前】気功のワークショップに行きました。ロルフィングのセッションと合わさると何か変化が起きるのか、気づいたことがあれば書いていこうと思います。

【セッション中】・緊張台に身体を横たえてすぐに緊張がほとんど感じられない状態になったので、回を重ねたゆえの慣れかなと思いましたが、その後は緊張が来たり退いたりの繰り返しでした。どういうきっかけで緊張が起こったり消えたりするのかは自分でもわかりません。うまくコントロール出来ないもののように感じます。ここは安心だと頭では思っているのに、心だか身体だかどちらかわからないところの奥底が、警戒をぎゅっと握って離さないのです。それと今回は、息を吸う時に身体がこわばっていくのをしばしば感じました。(呼吸しづらい、というのとは違います。)

・視覚の有無「身体の状態を感じ取ろうとする時に、視覚の有無はどう影響するのか?」を確かめようと、今回も目を開けたり閉じたりしてみました。身体が窓側を向いているときは、開けていても閉じていても感じ取る鋭敏さは変わりませんでした。(ただ、開けているときは、窓からの光と部屋の白さが脳の中を洗ってくれるような爽快さがあり、リセットや新鮮さを保つ助けになりました)一方、廊下側を向いているときには閉じていた方が集中出来ました。

・田畑さんの手が触れた時に、自分の身体がとるリアクションすこしビクッと緊張することもあれば、そのまま受け入れることもあり箇所によっていろいろなのですが、触れられた瞬間に身体が「うれしい」と言って安心して緩む箇所がありました。左膝、左肩(首の付け根)、左後頭部の3箇所です。いずれも日常生活のなかで痛みを感じる頻度が高い場所です。各々のリアクションの違いはとてもおもしろくて、まるで身体のパーツそれぞれに人格があるように感じるほどです。

・頭部の角度前回セッション後の写真撮影時、心地よい頭部の角度(首の角度、あごの角度)がなかなか見つからず、さまざまな角度を試しました。そして今回、角度を決める基準は「氣が入って来やすいかどうか」でした。頭部(脳)は氣の受信装置だそうで、体内に氣を取り込むためにラジオのアンテナのように入りやすい角度を探るのですが、それを感じながら頭部の角度を見つけていきました。まだまだ気持ちいい角度、姿勢を探す余地はあると思いますが、今日のところは収まりのよい・気持ちいい場所にいられたのではないかと思います。

【セッション終了後】・13:50 セッション終了直後、歩いている時に肩から骨盤までの胴体が型にはまったような固まった感覚があったのですが、この時間になって、その時のまっすぐさは残しつつも身体になじんできたような感覚がありました。気づいた瞬間、身体がフッと軽くなって気持ちよかったです。

・15:00 電車内のイスにだいぶ背中をだらっと預けていたことに気づき、上体を引き上げた時に、軽さを感じました。以前のレポートに何回も書いている、“肩甲骨下10cmくらいの背中にしばしば感じる痛み”もありません。ただ、左後頭部の痛みは継続しています。

・16:30 夕食の食欲食べている最中はいつも「あとこれくらい食べるともう満腹だな」と目測をつけていて、満腹の1割手前で止めようとしているのですが、この日は目測を誤り満腹を1割ほど超えてしまいました。とは言え、これまでの量よりは少なく抑えていると思います。

・18:00 散歩上に書いたような身体の軽さはもう感じませんでした。

・20:00 肩関節、股関節を動かしてみました。肩回し、両手を後ろに組んだ状態で前屈、両足裏を合わせて前屈、開脚して前屈、さまざまな動きで確かめてみました。いつもストレッチする時に感じる痛みがこの時もあり、今のところは動かしやすくなったなどの変化はありません。

・20:30 左後頭部が痛む。頻繁に出るこの箇所の痛みは、何か精神的なひっかかりが、身体に繰り返し同じ動きを強要する(自由を制限する)ことで起きているのではと自分では感じます。ひっかかりとは、以前のレポートにも書きましたが父への恐怖や怒りです。今のところ自覚できる要素はこれだけですが、もしかしたら意識にのぼらないけど心を圧迫していることが他にもあるかもしれません。そこを気づけるよう、今後も探っていくつもりです。それと畳にあぐらをかいていたのですが、いまいち気持ちのいい座り方が見つからないと言った状態でした。

・21:30 月経始まるロルフィングを受け始めてから初めての月経です。ここ数ヶ月の月経痛は比較的軽めですがとても痛む時もあるので、今回はどうなるか楽しみです。

【セッション翌日】・AM3:20 起床時脚:比較的軽く感じました。毎朝太ももの太さを見てむくみ具合を確かめるのですが、この日はわりと細めに見えました。首の付け根:ほぼ痛みなし。身体全体:わりと軽い感じです。立位時の“立ちやすいポイント”もすぐに見つかりました。1回目セッション翌朝に感じた“透明でしなるプラスチック板のような芯”みたいにはっきり感じるものはないけど、すこし揺らぐようなたゆたうような感じがして心地よいです。足裏:起床直後から、外側に重心をかけるのではなく土踏まず側を意識するように歩きました。(その方が気持ちいいからです。)

・AM7:00 立ち方電車内で気持ちのいい立ち方をいろいろ試していたところ、頭頂部(百会と言うのでしょうか)が天に引っ張られる感じと足裏が地面に吸い付いて地に引っ張られる感じが同時に起きて、天地にストレッチされているような感覚になりました。腰が伸びてけっこう気持ちよかったです。

・AM8:00 歩き方足裏の重心を外側にしないように、母子球〜土踏まず〜かかとの内側にラインを感じながら歩いています。普段使わない筋肉が動くので気持ちがいいです。私の身体を正面から見ると骨盤〜太もも〜ふくらはぎが外側に広がっているので、内側を感じながらの歩きを続ければそれらは中心の方へ収まって行くのかな…?と変化を楽しみにしているところです。それと、今日から靴底がすり減っていない靴に変えました。(写真添付します)この観点からも変化を観察していきます。

・AM10:00 月経の状態腰と下腹部に、軽い月経痛・重さがありました。程度はここ数ヶ月とほぼ変わらずです。(月によってひどい時もありますが、この頃はそんなにつらくはありません)

・PM21:30 夕食の食欲自分が思う適量の3倍ほど多く食べました。夜に出掛けて帰宅が遅くなるとその後の夕食は食べ過ぎる傾向にあります。

【セッション2日後】・AM3:30 脚:昨朝同様比較的軽く感じ、外見もむくみが少なめに見えます。月経痛:いつの間にか無くなっていました。痛みや経血量は今のところいつもの月と変わりません。

・AM6:20 朝食の食欲適量と感じる量の1.5倍食べた。

・AM7:20 左後頭部と左膝が痛む。

・歩き方今日も、頭頂部と足裏をそれぞれ天地に引っ張るようにして歩きました。これをやっている時、少し首が自由を失ってこわばる感じがあったのでそうならないよう、全身の振る舞いの自然さや気持ちよさを探りつつ歩きました。

・PM9:30 夕食の食欲適量と感じる量の3倍は食べた。

【セッション3日後】・AM2:30 今朝も少し脚だけが軽く感じました。ただ脚の太さを見ると、むくみは昨日より強いかもしれないです。

・AM6:30 朝食の食欲適量と感じる量の2倍ほど食べた。おとといから適量を超える量が続いていますが原因はわかりません。

【セッション4日後】・起床直後セッション翌朝から毎朝感じていた脚の軽さはこの日はありませんでした。

・食欲昨日も今日の朝も、適量と感じる量の2倍以上は食べていて胃が重い・疲れている感じがします。昼は食べず、夜は適量より少し多いくらいで終えました。食欲は月経周期と関連しているように以前は思っていましたが、今はあまり感じません。

・左後頭部の痛み今日は1日を通して痛みが続きました。夜には頭部全体の頭痛になったので、早く就寝しました。

・股関節、肩関節の感覚肩を回したり、足の裏を合わせたあぐらからの前屈などで状態を確認してみましたが、特にスムーズになっているということはなく、従来の体感と変わりありませんでした。

【セッション5日後】・今月の月経は終了しました。ロルフィングの施術をお願いしてから初めての月経でしたが、従来との差異は特に感じませんでした。

・起床直後今朝も昨日同様、脚の軽さはもうありませんでした。

・食欲昨日の昼から「食べたい」という気持ちより「からだのここちよさ」を採りたくなり、今朝もほぼ適量でした。

・歩き方日常生活の端々で、足裏の外側だけに体重を乗せているのを感じます。それは自分の身体にとってあまり気持ちよくない・自然でないように感じるので、引き続き土踏まず側のラインを感じながら歩くようにしています。頭頂部と足裏が天地にそれぞれ引き伸ばされているような感覚を持って歩くことも続けています。これは気持ちいいと感じているのか自分でもよくわからないのですが、でも「そうしたい」とは思うので、継続しています。ここ2,3日、太ももにいつも意識がいきます。太ももを鏡に映して見る時、常々違和感のような嫌悪感のようなもの抱くのですが、それは「滞り」を感じているのだと思います。流れていないなあという印象です。ここ数日はその堆積が一掃されて流されていくイメージを浮かべながら歩いています。感覚や見た目に変化が出るか、観察していきます。

・左後頭部の痛み今日も断続的に痛みます。夜半から右耳の奥深くも痛み出しました。この部位が痛むのは初めてです。爆弾低気圧と言われる気象状況が影響しているのでしょうか?

【セッション6日後】・起床直後セッション3日後の朝まで感じていた脚の軽さは、もうありません。

・食欲この数日間“適量をすこし超える程度”が続いています。

・座り方セッションをお願いするようになった当初、座るときの気持ちいいポイントを探る中でなかなか見つからず、肩甲骨の下10cmほどあたりの箇所が痛くなることがしばしばあったのですが、最近はそれがないことに今日気づきました。ただ、首の付け根〜首〜左後頭部一帯の痛みはいつもあります。

【セッション7日後】・食欲朝から旺盛で、1日を通して食べ続けていました。普段は昼食を食べず1日2食なのですがこの日は昼食も食べたくなり、夕食は止まらないほど食べ過ぎました。決定的なストレスや身体の変調は自覚していないので、何がきっかけで食欲の変化が起きるのか自分ではわかりません。

【セッション8日後】・食欲昨日の過食で胃腸を休ませたいので、朝食は摂らず昼食はごく軽く、夕食も軽めでした。

・左後頭部の痛み今日は特に強く、結構辛いです。レポートには今まで特に書いていませんでしたが、左頬の引きつりもこの1〜2年頻繁にあって、左後頭部の痛みとセットで起きることもあれば単独で起きることもあります。この日はセットで起きているように感じられました。

・身体全体のこと特筆すべき変化は感じられません。足裏の外側に重心が偏らないこと、天地に引っ張られるような歩き方、自分の気持ちいいポイントで座るなどのことを継続しています。

【セッション9日後】・食欲朝食を適量の1.2倍ほど食べましたが、昼夜の食欲は落ち着いていました。

・左後頭部の痛み昨日に引き続き痛みが強く、頭全体の頭痛も起きました。左頬と左目の痙攣もありました。

・立ち方ここ数日続けている“天地に引っ張られるような”立ち方、歩き方ですが、首がこわばってしまうのが気になっていました。そんな中、“首と膝をゆるめて(フリーにして)、天地に引っ張られるのは頭頂部と足裏ではなく腹筋だ”と意識して立っていたら、首がすこしラクになった気がしました。今まで頭頂部を天に引っ張るように、と思っていましたが知らないうちに首を引っ張っていてそれで負担がかかっていたのかもしれません。頭頂部と足裏という先端ではなく、身体の中央(腹筋)を上下方向に伸ばすように立ってみると、安定感と心地よさが向上するように感じました。

【セッション10日後】・食欲朝食を適量の1.3倍ほど食べましたが、昼夜の食欲は落ち着いていました。

・頭部の痛み今日は左側の痛みはさほどないかわりに、右側が痛みました。(特に右耳の奥深く)睡眠をとったあとは痛みが少ないこと、仕事のある日は痛みが強いことなどから、原因は思考をし過ぎる(頭が余計な苦悩を作り出す)ことなのでは?と思い、試しに思考を止めてアタマを空にしたところ、すーっと痛みが抜けていきました。思考と身体の密接なつながりを感じました。

【セッション11日後の朝】・頭部左眼の下まぶたにけいれんと、左後頭部にやや痛みがあります。

・歩き方首と膝をゆるめて、腹筋を小さな柱として上体を支えて歩こうと試みたところ、いつもは踵から着地するところを膝が先に出ているような感じがしました。それが気持ちの良い歩き方かはまだわかりません。これからも探し続けてみます。

セッション4

 

【セッション中】・「今どんな感じですか?」と問われて「今日は緊張したり解けたりの入れ替わりが頻繁で、身体を長い時間安心して台に預けることができません」と声に出してお伝えした直後、急速に緊張が取れていき、平らでなめらかで落ち着いた存在感を自分に感じました。声に出したのがきっかけだったのか、たまたまのタイミングだったのか、それはわかりません。緊張具合は毎回違うので、いつも興味深く観察しています。緊張が解けるきっかけに法則性が見いだせれば、もっと気持ちよくゆったりと過ごせるのかなと思うので、次回も感じて探っていきたい点です。

・横向きになっている時、右を下にしている時はすんなりと楽に横たわっていられたのに、左が下の時は気持ちのよい体勢が探しきれず、苦しく感じました。身体が輪郭を成さずに、溶けたアイスクリームのようにべちゃーっと流れ出ているような感覚でした。

・今回も目を開けたり閉じたりして「身体の状態を聴き取るには、視覚を使うか封じるかどちらが感度高く出来るのか」を試しました。視覚がある時は、部屋の様子を見ることで「いま自分はこんな場所にいるんだ」という空間込みの自分を感じるので、外から自分を見ているような客観性が出ました。目を閉じれば、より深く自分の中へ入って行けました。併用することがおもしろいと感じました。

・前回も感じたことですが、触れられて気持ちがよいと感じる箇所はいずれも日常的に痛みを感じている場所でした。(左後頭部とか)その部位が「もっと触って欲しい、気に掛けて欲しい、やさしくして欲しい」と主張しているから痛むのかなと思いました。

【セッション後】・お腹の中がすっきり空っぽに感じられ、調子がよくなったのがうれしくて、少し多めにものを入れてしまいました。(固形物ではなく、スムージー)もう少し長く、この空っぽ爽快感を味わっておけばよかったと思いました。スムージーを飲み終えた直後はお腹いっぱいになってしまったのですが、21時現在(セッション4時間後)はセッション直前に感じていた腸の詰まりもなく、すっきりした状態が続いています。

・セッションから1時間後、瞑想のワークショップに参加しました。セッション前日は座っていても疲れてしまって横になりたくなるという状態だったのですが、ワークショップ中はそういったことはなくすんなり気持ちよく存在して(座って)いられました。(イスでもあぐらでも。)ちなみにワークショップの前に20分ほど歩いたのですが、歩行中には特に気持ちよさや普段との違いは感じず、すんなりとした気持ちよさは「座る」という体勢の時に感じられました。また、初めての場所や人の中にいたのに不思議なくらいに落ち着いていました。身体に感じている心地よさが精神に安心を与えたのかなと思いました。

・ワークショップ中、“身体をブラブラと振ったあと、立位で静止して何を感じるか”という時間があったのですが、その時の感覚が気持ちよかったです。足裏全面が床にピタッと吸い付いていて、身体全体は足首を支点にゆっくりとした揺らぎがあるといった状態です。

・食欲先述した通り、セッション10分後くらいに多めのスムージーを飲んで満腹になったものの、22時(セッション5時間後)に帰宅した際にはお腹の中はまたすっきりとした状態になっていました。この2,3日、腸が詰まっているような調子の悪さを感じており、食事の量を抑えていました。しかし今日はそれがなく「食べても大丈夫かも」という気分が食を進ませ、結果、適量と感じる量の3倍以上を食べました。それでもいつものような張りや痛みがなく、相当の満腹感はあるものの不快感はありませんでした。

【セッション翌日】・起床後太ももを見たらいつもより細くなっていて脚のむくみがないことに気づきました。脚も身体全体も軽く感じます。(前回セッションの翌朝は布団から出た時点で軽さを感じたのですが、今朝は身体を動かしているうちにだんだんと軽さを感じてきました)お腹は、昨夜食べたものがまだ入っている感はあるもののそれによる不快感がなくて、調子のよさに驚きました。(あれだけの量を食べた翌朝なら、いつもは必ず滞りや詰まり、痛みがある)これほどセッション後の変化を大きく感じたのは1回目のセッション後以来です。今回のセッションでは骨盤に触れた時にすごく気持ちがよかったのでそれが関係しているのかなと思いました。精神面でいうと、穏やかな安心がありながらきらきらとした元気も溢れてくるのを感じ、身体同様いい状態でした。身体の調子がいいことが、こんなにも気持ちに影響するのかと改めて知りました。

・起床から1時間後出掛ける支度を忙しくしているうちに、起床後に感じられた身体の軽さからくる幸福感が無くなっていつも通りの心持ちになっていました。脚もいつもぐらいの太さになっていました。お腹も苦しさが戻ってきました。また、昨日教わった瞑想をやってみたのですが昨夜のようなすんなりとした身体の存在感がなく、気持ちよく座れませんでした。

・靴底左足かかと外側に付いていた黒いパーツが取れてしまいました。(写真添付します)その他の箇所は、すり減りなどはまだ無いようです。

・PM12:30調子よく感じられたお腹も、この時間になると昨日食べたものがたくさん入っていて重く、呼吸の妨げになっているようにも感じます。イスに座っていても気持ちのよい姿勢が見つけられず、疲れてしまって背がまるくなりました。やはり昨夜の食べ過ぎに起因していると思います。

・16:00お腹の不快感はだいぶ落ち着いています。ただ、今日はイスに座っている時に背中の筋肉が緊張しているのを感じます。心地いい座り姿勢のポイントやバランスが見つからないと午前中から感じていたので、そのことと関連がありそうです。以前感じていた“肩甲骨から10cmほど下あたりの背中が痛む”ことが最近は無くなったなと思っていたのですが、今日緊張しているのはその場所より20cmほど下の位置です。

【セッション2日後】・朝昨朝のように身体の軽さを感じることはありませんでした。脚のむくみ具合は昨日とだいたい同じ(通常よりは細い)でした。

・朝食セッションの直前までは腸の詰まりを感じてあまり食べられなかったのに、セッション後調子がよくなったことを皮切りに適量を大きく超えた食事量が続いています。調子がよくなったとはいえ食べ過ぎればやはりそのあとには重さなどの不快感が来て気持ちのよい状態ではいられなくなるので、自分にとっての適量を摂りたいです。

・AM9:00心地のよい立ち方が見つけられず、腰と、首の付け根(頭と首の境目)に緊張を感じます。また、座位の時は首の付け根から後頭部全体(今日は左だけでなく全体)に、頭痛につながっていきそうな強めの緊張があります。(その後1日を通して頭痛には至りませんでした。)

でも、ふと思ったのが「私は、悪いところにしか意識がいってないな」ということです。調子のよいところ、痛みがなくなったところもあるはずです。だけどいつも痛みや苦しみを感じるところばかりを探しているような気がします。それでは、自分を痛みで包み込んでしまうのではないかと。痛みとは身体のメッセージだから気がつきやすいものなのだとは思うけれど、もう少しフラットな意識で、全体を眺めるように身体を感じていこうと思います。

・気功のワークショップに参加しました。今後何か気づいたことがあればお伝えしていきたいと思います。

・食欲ここ半月ほどは1日2食でしたがこの日は3食、しかも3食すべてにおいて適量と感じる量の2〜3倍は食べました。だいたい毎月、排卵の前は食欲が高まるのですがそこに起因しているのでしょうか?特に大きなストレスがあったなどの自覚がないので原因がわかりません。

・靴屋にてダンスコ(http://www.dansko.jp)というお店で靴を買いました。歩き方の指導をされたのですが、今まで自分がしてきた歩き方とは全然違うものでした。(脚を意識的に大きく振り上げて必ず踵から着地する。つま先の蹴りは要らない。)これが西洋の靴を履いた時の歩き方で、腰から歩く、という方法だそうです。日本人は草履の文化によるツッカケ歩き(つま先から歩く)で、それは靴を履いた時には適さないとのこと。この歩き方で10分ほど歩いてみましたが新しい方法を試すのに精一杯で、全体の感覚や気持ちよく歩けているかはわかりませんでした。(翌日、両脚のすねが痛くなりました)

【セッション3日後】・食欲朝食、夕食共に適量の2倍以上。ただ、今回のセッションを受けてからは、いつも食べ過ぎ後に感じるダメージ(圧迫感、詰まり、重さ)が少ないように感じます。だから「食べ過ぎても大丈夫」と思って多く食べているのかと思います。

【セッション4日後】・朝の様子脚を目視してむくみの程度を確認したところ、セッション翌朝よりは太いものの比較的むくみは少ないように感じました。左太ももの付け根外側に痛みと動かしにくさ、それと背中(胃の裏あたり)にこわばりを感じました。動かしにくさとは、「関節に潤滑油を垂らせたらな〜」と思うような感じで、ギシギシするとまでは行きませんがなめらかでなくすこし引っかかり、そこに痛みが生じているような感覚です。

・頭部の痛み今回のセッション後から今日までの期間は、これまで頻繁に感じていた頭部の痛みがありませんでした。

セッション5

 

【セッション中】

・こころの緊張

開始数分で8割方の緊張がとれて、そのあと右の二の腕に触れたあたりで背骨が台に向かって急速に沈み、緊張がほぼ無くなりました。

前回は緊張が解けたり入ったりの入れ替わりが目まぐるしかったのですが、今日は緊張が少ない状態(何も考えず台に身を沈める)が最後まで一定して続きました。

 

・視覚の有無

今日は目を閉じて視覚を休ませたときの方が身体を感じやすかったです。

(前回は「目を開けていると空間込みで自分を見られて、客観的な視点ができる」と感じたのですが、今日は目が「ただ直線的に正面のものを視る」ことに集中していたため意識が身体に行きませんでした。)

 

・あご

前回セッション後に、台に腰掛けている時に「少し口(あご)を開けて」とおっしゃられたのを覚えていて、今回は最初から意識してあごを下げて口を開いていました。

先述したように今回緊張が早い段階で抜けたのは、このことが関係しているかもしれないと思いました。

 

【セッション後】

・階段での脚の状態

太ももの付け根(前側)の動きが、油をさしたように軽くて脚がなめらかに上がるので階段が昇りやすく感じました。

 

・食欲

今日は前回と違って消化器系の変化は感じませんでした。

夕食は空腹を感じ、適量と感じる量の4倍以上食べました。

前回セッション以降、過食による苦しさからの回復が従来より早くなったと感じているので、今回はどのようになるかを観察していきたいと思います。

 

・首の付け根および頭部

セッション中と、セッション後に部屋の中を繰り返し歩く時にはこわばりを感じていましたが、セッション1時間後くらいに首を回してみたところ痛みはありませんでした。

 

【セッション翌日】

・起床直後

昨夜は夕食も就寝も深夜だったためか、今朝の身体には軽さはありませんでした。

ただ太ももの太さを見るに、むくみはセッション前より少ないと思います。

 

・お腹

やはり過食後不快感(圧迫感、重さ)からの回復は早まっています。

今朝は、まだ胃に食べ物が残っている感はあるものの、感じる苦しさは通常の1割程度です。

 

・階段での脚の状態

昇りやすさは継続しています。

 

・歩く

セッション後に台に腰掛けたり歩いたりした時にも感じたことですが、「背骨が機能している」という感覚があります。

真っ直ぐに伸びていて、天に向かうような活気があるのです。背骨に頼りがいを感じるほどです。

背骨のみならず、身体全体的に天地を貫くまっすぐさ・軽さ・活気を感じます。

シリーズも半分を過ぎ、これがロルフィングがくれる快さなのかなぁ、と思いました。

 

・座る

歩行時同様背骨に存在感があります。それに関連してか、腹筋も支えとして機能しているように感じます。楽な姿勢で座れているので気分が軽いです。安定感、さらにはこころの安心感もあります。

 

・走る

ごくごく短い距離ですが(10数メートル)久し振りに走るという動作をしたのですが、階段を昇る時に感じたなめらかさと同じ箇所にやはり動きやすさを感じて、脚の運びがスムーズに思えました。

 

・左膝

20年以上前から両膝、特に左に痛みを抱えており、とてもつらいです。

しゃがんだ姿勢から立ち上がる時にギシギシと音がしますし、強い痛みがあります。

しかし今日は、音は鳴るものの痛みはごくわずか、いつもの1割ほどです。

これはとてもうれしいことです。

 

・首の付け根と頭部

少し付け根に痛みがありますが、特に問題は感じません。

 

・靴底パーツ

前回のレポートで「左かかと外側の靴底パーツが取れた」とお伝えしましたが、取れたままだと身体のバランスはどうなるかを試してみたくて、修繕せずにいました。

その後特に左右差など感じずにいたのですが今朝突然、左ふくらはぎ下部外側に少し張りを感じました。

ただそんなに強く感じてはいないので、もう少しこのままでバランスの観察を続けるつもりです。

 

【セッション2日後】

・起床直後

昨朝同様身体の軽さは感じなかったです。

脚のむくみ具合はこれも昨朝同様通常よりはやや少ないかと思います。

 

・お腹の状態

昨晩も適量の4〜5倍は過剰に食べました。

しかし今朝も、昨朝同様、胃に食べ物が残っている感はあるもののダメージはあまり感じません。

 

・階段での脚の状態

太ももの付け根前側のなめらかさは続いています。

 

・首の付け根と頭部

付け根にやや痛みはありますが、悪くない状態です。

 

・左膝

ギシギシ鳴るものの、痛みはいつもの1割ほどです。

ただ、20年以上も痛みを継続して感じていたので“膝を動かすと必ず痛む”という観念が強固に頭にこびりついています。そうすると、痛みがほとんど無くなった今でも動かすたびに怖くて身構えてしまいます。そんなことを思っていたら、気のせいなのか昨日よりまた痛みが戻ってきてしまったようにも感じます。

本で「餓死の原因は“食べられないこと”ではなく、“食べられないと死ぬと思い込むこと”にある」と読んだことがあります。せっかく痛みのない膝になったのだから、その事実・今の状態だけを感じようと思います。

 

・歩き方

今日も背骨に頼もしさのような存在感を感じます。

そのせいか、身体全体にまとまりと安心感を覚えて、うれしい気持ちです。

 

【セッション3日後】

・朝の状態

朝の支度をしながら身体を動かす中で、いくぶん軽さや活力を覚えました。

昨日も書いたように身体全体にまとまりが出てきたことで、体内のエネルギーが分散しないから、のように感じます。

 

・食欲

土曜の昼から過食が続いています。

食べ過ぎればお腹の苦しさはありますが、過食した翌朝に感じる回復はやはり早くなっていると思います。

ただ、食べ過ぎでかかる身体への負担は変わらないので、どうして食べ過ぎてしまうのかを自分とよく話し合いたいと思います。

 

【セッション4日後】

・朝の状態

今日も少しですが身体が軽く感じます。

脚のむくみは、見たところ昨日より太く見えます。

 

・食欲

昨晩から今朝は比較的落ち着いています。

きっかけは特にないので、なぜなのかはわかりません。

もっと自分に訊いてみる、耳を傾けてみます。

昨日は朝から夕方まで、胃はいっぱいなのにアタマが食欲を感じ続けていて、常に食べ続けていました。しかしそのダメージは持ち越されず、今の胃腸の状態は悪くないと思います。以前なら翌朝まで重さが続いたはずです。

 

・首の付け根及び頭部

首と肩の境目あたりにすこし痛みがあるものの、不快感はありません。

ずっと続いていた左後頭部の痛みも、先週土曜のセッション以降は無いです。

 

・階段での脚の状態

太ももの付け根前側のなめらかさが続いており、昇りやすいです。

 

・膝

しゃがんだり立ち上がったりを繰り返してみましたが、わずかに左膝が痛むものの従来の5〜10パーセントほどに減りました。

ただ、「痛むんじゃないか」という恐れが脳を締め付けている感覚がしました。

 

・足裏

もともと足裏には常に、もやもや・どろどろとした疲れが、流れられずに渦巻いて滞っている感覚があるのですが、ここ半月くらいは特に滞り、溜まりを感じます。

 

・左目

今朝は時折下側が痙攣します。

この症状は毎日ではないものの、いつも出ています。

 

・背骨

セッション当日や翌日に感じていた「背骨の存在感、頼れる感」は、昨日も今日もほとんど無くなっています。

また、「身体全体のまとまり感」も今はありません。

セッション6

 

【セッション前日】・座り方イスに腰掛けている時にふと、「そういえば、セッションを受け始めた当初は“心地よく座っていられるポイント(重心、意識の置きどころ)”を常に探っていたけれど、最近それをしてないな」と気づきました。探さなくても、身体がスッと、自然に存在できる型をとっているのです。型といってもガチガチなものではなく、形状記憶的なものでもなく、“真ん中へ戻っていく、収束していく”という感じです。前回のレポートにも書きましたが「身体が分散せず、まとまりを感じるようになってきた」という体感と関連しているかもしれません。(歩く時、立位で静止している時は、今もポイントを探している状態です。)

・股関節このところ、エレベーターを待っているわずかな時間に、膝を垂直に上げたり外側に開いたりと股関節を大きく回して感触を確かめているのですが、以前よりひっかからずなめらかです。(左だけはコキッと骨が引っかかって鳴るような感じがあります。)

【セッション中】・心身の緊張心身共に今回がもっとも少なく、台に乗った直後から終わるまで一定していました。

・左右差台に乗った直後は、身体に縦半分の線が引かれて半身ずつに分けられたかのような左右の差異を感じていましたが、時間が経つにつれその境界線は感じなくなっていきました。ただ、ごく微弱でおぼろげな痛みが、左臀部・左眉頭・左肩と場所を変えながら浮かんでは消えてを繰り返していました。左ばかりに感じるのは、自分がそう意識している(体の左側に不調が現れやすい気がする)からかな?と思い一度意識をゼロにして改めて感じてみましたが、微弱な痛みはやはり左側にだけ出ました。

・身体からのサイン感じたことをいろいろ書きましたが、でも今回は身体が発するサイン(痛みにしても心地よさにしても)をあまり感じず、「身体が静かだ」と思いました。

【セッションの帰り道】・膝何度か階段を降りることがあったのですが、左膝の外側に少し痛みが出ました。そのあと電車で立っている時も同じ箇所が少し痛みました。夜になって屈伸をしてみましたが、その時はギシギシと音がするものの痛みはありませんでした。

【セッション当日の夜】・食欲胃は満杯なのにアタマだけが食べたがっており、適量を3倍は超える食事量でした。この日の食欲は質がやや異なりました。いつもなら「うー、食べたい」くらいのライトな欲求なのですが、この日は「貪る」状態で、目や表情はギラギラしていたと思います。

【セッション翌日】・起床直後セッション翌朝の起床時にすごく身体が軽くなっていたことが何度かありましたが、今朝は疲れはないものの軽さもありませんでした。ただ、前夜の夕食と就寝が遅かったのに疲れていないということは、身体はいい調子なのだと思います。脚のむくみは少なく感じました。過食による胃腸のダメージ感もほとんど残っておらず、回復の早さを維持しています。

・膝階段を昇る時降りる時共に、痛みこそないものの、違和感があります。

・歩行時まとまり、身体中央への収束感(頭頂から骨盤までに直径10cmほどの透明な柱があるような感覚で、そこに向かって収まっていく感じ)を感じます。ただ、背中(胃の裏あたり)の筋肉にこわばりがあります。

・座位時腰が少し痛みました。ですが、昨日のセッション後半で台に座っていた時に、田畑さんが「このあたりに支えを感じて」と仰った箇所(胃の裏より10cmほど下あたり)を意識したら、背筋が引き上げられて楽になりました。ただ、この姿勢を30分近く続けていたらまた腰に痛みや緊張が出ました。「身体にとって自然な姿勢ではあったけど、動かさず保持していたから痛くなった」のか、「実際には身体にとって自然で心地よい姿勢ではなかった」のかどちらだろうと思い、腰を少しの間曲げ伸ばししたあと再び先ほどの姿勢に戻ると、痛みは消えました。ほんの少しのブレイクで痛みが解消したことから、「これは今現在の自分にとっては、今のところ自然な姿勢だ」ということと、「そこに固まらず、時折適度な動きを入れることも必要」ということがわかりました。

・首の付け根起床直後はいつもより強い痛みがあったのですが、その後は全く痛くなくなったり少し痛くなったりの入れ替わりが1日のうちでありました。

・左頬や左下まぶたの痙攣わずかですが今日も起きています。

【セッション2日後】・朝の状態疲れも軽さもない、その真ん中に在るような体調でした。昨夜の過食による胃腸のダメージも最小限で、回復速度が上がったことに毎朝驚きます。

・首の付け根今日は1日を通して痛みがありました(強くはありません)。(回した時に感じるだけで、通常時の不快感はありません。)

・歩行時上体にまとまりを感じました。少しずつ変わっていくのがうれしいです。変化を恐れず、楽しみに感じられていることもうれしいです。

・食欲この日は、この2週間の中では落ち着いていました。「量を抑えよう」と意識したのではなく、身体の意図に添った結果です。以前に「このところは、前よりも食欲と月経周期の関連を感じない」と書きましたが、ここ半月は「やはり関連は結構あるかも」と感じています。私の場合、排卵前後に食欲が増し、1度落ち着いたのち月経開始に向かって再び増していき、月経直前から次の排卵まで落ち着いていくというサイクルがあるのですが、今回はその流れに沿っていると感じます。であれば、苦しいほどの過剰量にならないよう身体と話し合っていけば、食欲の増加をそこまで悔いたり気に病んだりはしなくてよいと思います。そもそも気にすればするほど食欲とうまく付き合えなくなると思うので、食欲への意識のフォーカスを少しずつ緩めて行ければと思います。

・膝今日一番強いサインを発しているのは膝です。起床まもなく気づいたのが、左膝内側の痛みでした。その後、左膝外側も痛み出しました。屈伸した時にギシギシという音や強い痛みがあり、加えて今日は静止している状態でも左膝が痛みます。また、今までほとんど右膝は痛みや違和感がなかったのですが、今日は屈伸時にわずかに痛みました。ですが、階段の昇降時は特に痛みなどはありませんでした。このところ膝は痛みがなかったのですが、前回セッション直後から痛みが少しずつ戻ってきています。

【セッション3日後】・朝の様子起床直後はやや疲れがあったものの、朝の支度をする中でだんだんと身体の軽さを感じていきました。

・座位畳にあぐらをかいていた時、背骨がまっすぐスッと立つような感じで(自然なカーブはありつつも)、気持ちのよい状態でした。少し前に「背骨が機能していると感じる」と書きましたが、久しぶりにそれに似た感覚でした。ですが今日のは「それほど強い存在感を出しているわけではなく、そっとちょうどよく支えてくれている」感じです。

・頭部朝の時点では首の付け根に痛みはありません。ずっとあった左後頭部の痛みも、このところはありません。左頬や左下まぶたの痙攣は昨日に引き続きありません。

・膝屈伸を数回した所、ギシギシという音がかなりするものの痛みはほとんどなく、昨日とはだいぶ違います。ただ、いつもはあまり感じない右膝の違和感が、昨日に引き続きまだ少し残っています。

セッション7

【セッション当日】

・月経

今日で4日目。開始2,3日目の経血量ピークを越え、終わりに向かい始めています。

それに合わせてか、昨夜までの適量を超えた食事量が、今朝から落ち着いてきました。

 

・膝

左膝の痛みが毎日続いています。

今日は歩行時・静止時の痛みはないものの、しゃがむと強く痛みます。

痛む箇所は、皿の上あたりだったり、皿の下外側だったりと、日によって変わります。

 

・首、頭部

いつもは斜めに傾けた際に痛みがありましたが、今日は上を向いた時に首の付け根が痛みます。

頭部の痛みはなく、左頬や下まぶたの痙攣もありません。

 

・ヨガ

2ヶ月ぶりにヨガをしました。ロルフィングを受け始めてからは初めてです。

以前と違う感覚はあるかどうか、注意深く確かめながらやりました。

可動域は変わりませんでしたが、「意識が、身体の状態を前よりよく把握している」と感じました。以前は意識と身体が分かれていて、ポーズをとるときに身体は「もうキツイよ」と言っているのに意識が「もっといけるはず」と無理強いしてすごくツラく感じることもしばしばでした。ですが今日は意識と身体の意志が重なり合うところが多くて意見が一致しているという感じで、きつく感じることはほとんどありませんでした。ヨガの先生が「ツラいと感じるところまでやる必要はありません」とよくおっしゃいますが、初めて「そういうことか」とわかった感じです。

ロルフィングをしていただくようになって感じる“まとまり”の理由は、身体の各部が統合されていくという肉体的なことだけでなく、“分かれていた意識と身体が重なっていく”ということにもあるのかなと思いました。

 

・股関節

歩行時、左の股関節に痛みがありました。(ヨガから3時間後)

痛みと言っても、“ストレッチをした時に感じるようなイタ気持ちいい”もので、つらさはありません。

 

【セッション中】

・心身の緊張

今回も心身ともに緊張はほとんど無く、それが最後まで一定していました。

前回レポートに書いた「台の上での身の置き方がしっくり来ない」は無く、早い段階で納得できる姿勢を見つけて落ち着けました。「曲がっていると思われてるかもしれない」という意識も今日は頭にのぼって来ませんでした。“自分の体感”と“身体にとっての心地いい姿勢”がだんだん一致し始めてきたのかもしれません。

 

・口、あご

ここ数回、身体に力が入らないように、いつも口を軽く開けています。

効果を大きく感じるわけではありませんが、口を閉じている時よりも後頭部や頭と首の境目あたりが解放される気がします。

 

・目線

後頭部のこわばりを緩和するために、あごを引いて頭の角度を変えてみたりいろいろ試しましたが、今日は“目線を落とす(足の方を見る)”が有効でした。さらにその状態で目を開けたり閉じたりしてみましたが、開けている方がこわばりが消えやすかったです。まぶたの開閉というごく小さな動作が、わりと大きな差を生むのはおもしろいことだと思います。

 

【セッション後】

・駅への道を歩いていたら、左臀部(表面)なのか左骨盤内(深部)なのか位置がうまく知覚できない漠然とした違和感(ひっかかるような感覚)を感じました。

違和感の発信源を特定しようと骨盤周りを軽く押しながら確かめていくと、仙骨のすぐ左あたりを押したときにイタ気持ちよさを感じました。それだけでは違和感の理由やはっきりした場所はわかりませんでしたが、その後違和感は痛みに近い感覚になっていき、股関節の内側や前側など場所を変えて転々と数カ所に現れ始めました。いずれも共通するのは「左側」ということです。

歩くのを止めて静止した状態で左右股関節を大きく回してみたところ、右に関しては特に気になる感覚が無かったのですが、左は「コキッ」と関節が引っかかる感触がありました。

 

・膝

セッション後すぐに屈伸をして痛みを確かめました。左膝がわずかに痛むものの、今回のセッション前よりもかなりラクに曲げられました。この時点では階段の昇降でも痛みはありませんでした。

ですがセッション後約4時間経過した21:30現在、イスに座った状態で左膝皿の上内側に痛みがあります。

さらに直後は階段昇降に痛みは無かったのに、5時間経過時点では降りる際に左膝の痛みを感じました。

 

・首、頭部

右に首を傾けたときに首の付け根左側が、また、顔を天井に向けた時に両肩が痛みます。

 

・食事量

今日は1日を通して落ち着いていました。

 

【セッション翌日】

・朝のようす

歩いている時、左股関節周りに引っかかりとすこしの痛みがありましたが数分で消えました。

座っている時、腹筋上部に支えが感じられ、上体が天に引き上げられるようにまっすぐ伸びてシャキっとした爽快感がありました。

首、頭部には痛みはありませんでした。

膝は階段を降りる時に、左膝皿の下右側が少し痛みました。昇るときと歩行時、座位時は痛みませんでした。

 

・断食1日目

今日から宿泊施設で断食をします。

まずは体組成計で体内の状態を測定していただきました。

水分量が52%という項目が印象に残りました。60%が理想だそうで、それを下回っていることから「滞在中は水分をよく摂るように」とアドバイスを頂きました。

しかし、去年別の施設でやった断食の際も同じアドバイスがあり、それに従って、「もう飲めない」という身体の訴えをねじ伏せる形で水分を摂り続けた結果、お腹をくだしたという経験があるので、今回は「飲みたい時に飲みたい量を」で行くつもりです。それには身体との会話が必要だから、身体の言っていることを無視しないで語り合ういい機会が頂けたなと思います。

 

その後“1/fゆらぎ”という、身体に電気を流す機器を使用した施術を受けました。マッサージチェアのようなイスに10分ほど座るというものです。

前半は身体に耳を澄ませても何も聴こえてこなかったのですが、後半から(1)左膝(2)右掌中央(3)首と頭の境目(いつものように左のみだけではなく右も)の3箇所に変化を感じました。

このうち(1)(2)は同じ質感の変化でした。どちらも白い光を発しているようなイメージが見えて、スーッと軽くなり気持ちいいのです。

(2)はツボの名前で言うと労宮ですが、この箇所は数年前からずっと、頻繁に痒くなるので掻きすぎて皮膚が荒れているほどなのです。そういう意味では(1)と(2)には“長い間断続的に不調を感じている部位”という点で共通点があります。

(3)の感覚は“気持ちいい”ではなく、こわばりです。セッションの時や普段から感じているものと質は一緒です。

そして施術後、しばらくイスに座ったまま身体はどうなっているか耳を傾けていたところ、身体全体に微弱な刺激がありました。弱めの炭酸水が身体の中を流れているような感じです。気持ちいいのか否か、どちらなのかよくわからない不思議な感触でした。

 

その後、30分間のポールストレッチをしました。

ストレッチ前後の変化を比較するため、始めと終わりに各部の可動域を調べたのですが、ここで一番強い印象が残ったのは「前屈」と「体側伸ばし」をした時です。前屈時、右脚は特に痛みなどは無かったのですが、左膝から15cmほど上の太腿裏がすごく痛かったのです。

逆に体側は右の方が痛みが強く、左の痛みは骨盤脇に出たのに対し、右は二の腕側面が痛みました。体側は膝や首と違って、普段はまったくサインを発しないので「こんなに痛かったのか!」ととても驚きました。

ストレッチ後、ポールから降りて床に直接仰向けになり、背中の感覚を味わう時間があったのですが、背中が床より下に沈んでいるような感じがしたのもとても大きな驚きでした。マットレスなら身体は沈みますが、硬い床の上でのその感覚はとても不思議でした。砂浜に軽く溝を掘ってその窪みに収まっているような感じです。身体はいろんな驚きをくれました。

 

【セッション2日後】

・朝のようす

断食2日目。よく眠れましたがそんなに身体は軽くなく、10段階で言うなら軽さ3くらいといったところです。

首:ほとんど痛みはありません。

腰:昨夜から中央よりやや右寄りのあたりが少し痛みます。

膝:しゃがむと左膝皿の上が少し痛みますが、つかまり立ちしないと痛くて立てない時もあるくらいなので今日はごく軽い方です。

体側伸ばし:左→昨日同様、骨盤側面に痛み。右→昨日痛んだ二の腕側面の痛みはほとんど消え、腰に痛みがあります。

座位:腹筋上部に支えを感じます。腰の下の方、臀部との境目あたりにわずかなこわばりを感じますが痛みではありません。

立位:座位と同じあたりにこわばりがあります。座位では、腹筋上部の支えが身体全体に対してリーダーシップを取っているような感じで、上体は天に伸びて、身体には輪郭を持った存在感があるのに、立位ではリーダーシップを取る部位がなく、ぼんやりふんわりな感じがします。ただ、どちらがいいというわけではなく、このゆるやかな感じも好きです。同じ身体でも立つと座るではこんなにも体感が違うのはおもしろいことですし、いろんなモードがあるとそれぞれを感じる楽しさがあります。

 

・腰

腰右側が痛むのは、昨夜ベッドに腰掛けていた時、正面を向かずに身体右半分を前に出すように斜めに座っていたからだと気付きました。その姿勢でいたのは十数分程度の短い時間だけだったのにわりと大きな反応が出たということは、身体のアラート≪心地いい真ん中の姿勢から外れていることに対して、身体が意識へ伝える警告≫の感度が上がったのかなと思いました。

 

・体操

施設スタッフの方と一緒に朝の体操をしました。

気になったのは右肩と右の首筋から後頭部にかけての部位です。痛みではなく、緊張して縮んでいたのかなという感覚がありました。痛みやこわばりが出るのはだいたいいつも左側なので、今日はいつもと違うことをすこし不思議に感じました。

体操をしながら「変わることへの恐れ」が頭にのぼって来ました。健康になりたくて身体を動かしているつもりだけど、意識の奥底では“痛みのある状態がデフォルト”というのがあって“痛みがどこかにないと、何だかいつもと違うから不安”ということを感じるのです。そういう思いがあると身体は気持ちよくなれないので、“変わることはわくわくすることだよ”と意識に話し掛けていこうと思います。

 

・散歩

急勾配の坂を30分強歩きました。

呼吸が苦しくなるのがイヤなので息が上がらない速度で歩きたいのに、アタマは「速く進まないといけない」という妙な思い込みで迫ってきて、その急かしを抑えようとすこし混乱しながら歩きました。

しかし程なくしてラクに息が出来るようなゆっくりとしたペースが保たれるようになってきて、目的地までほとんど息が切れることなく歩きました。かなりの急な傾斜なのですぐに息が上がりそうになるのですが、息がなくなるまで吐き切ることを続けることで空気を肺へ充分に供給することが出来ました。この深い呼吸に身体が喜んでいるのを感じました。

帰りは同じ道を下りました。行きの登りはどこも痛みなどは無かったのですが、坂を下りる時には左膝皿の下側に痛みを感じました。

 

・散歩後

入浴とストレッチを終え、読書をし、そのあと仰向けになって休んでいると、急に左の眉頭・左肩・左後頭部・仙骨の左脇に痛みが出てきました。

それと昨日から左足の甲が急にズキッと痛くなり、散歩中もずっと痛みました。

いずれも痛みのきっかけや理由がわかりません。

 

・読書の際の体勢

夕方は3時間ほど読書をしたのですが、その時に気持ちよく在れる体勢がなかなか見つかりませんでした。

身体は気持ちいい体勢をもっと探したいのに、アタマは読書を進めたくて意識はもうそちらにしか向いていない。結局、ちょうどいいポジションは見つからず、身体にすこし無理を強いたまま読書を続けました。「散歩後」の項目で書いた痛みは、このことが理由かもしれません。

この2日間はこのような“アタマと身体のせめぎあい”がしばしば起きていて、それをおもしろく、うれしく感じています。今まではいつも身体が抑え込まれていて、せめぎあいにさえならなかったからです。アタマが、身体の言い分を聞き入れるやさしさをすこし得たのかもしれません。

このあと夕食をはさんで再び読書をしたのですがその時は、すこしでも身体が納得いっていなかったら読書を一旦止めて身体の意見を聴きました。それを黙殺すれば、翌日必ず痛みという身体の返事が返ってくることがわかったからです。

 

・身体とアタマ

上で身体とアタマのやり取りについて書きながら、「今の自分の中では、身体とアタマははっきり分かれた別々の存在としてあるのだな」ということがわかりました。

それが普通だと思っていたけれど、改めて考えてみると「別れてていいのかな?」という疑問が出てきました。「分かれているからケンカになる、一致していたら混乱しなくてよいのでは?」と思ったり。でも、分かれているからこそ視点が増えたり、お互いを検証できるとも言えます。

セッションの最中にいつも試みている「身体を感じる」とはどういうことなのか。

分かれているから出来ることなのか、一致していた方がよりダイレクトに身体の声が聴けるのか。

この「身体のサインの感じ方」をこれからもいろいろと試しながら、身体とアタマの心地よい関係性を体得していけたらと思います。

 

【セッション3日後】

・朝のようす

断食3日目。今朝は蚊の羽音に起こされ、まだ眠いのでもう一度寝ようとするものの何だか気持ちよく眠れず、身体に結構疲労を感じました。10段階中疲労度6といったところです。

昨日の散歩の影響か、右臀部に筋肉痛があります。その他の箇所には痛みありません。

膝の状態を屈伸して確かめたところ、ギシギシとなるけれど痛みはありませんでした。

首と肩の境目はすこし痛みましたが起床直後なので当然といった感じで、実際そのあと痛みは減って行きました。

全体の疲労感が比較的大きいものの、痛みは少ないというのが今朝の体調の特徴です。

 

・朝の体操

気になったのは左股関節と首の付け根(左右とも)です。

イスに座り、左膝を両手で抱えて上下左右に動かしながら股関節を回すのですが、膝を上に持ち上げた時に、股関節前側から恥骨付近にかけてがキューっと痛みました。

また、首を右に倒した状態で左腕を斜め下に突き出す(その逆も)動作の時には、左右両方の首の付け根から肩にかけて強い痛みがありました。

 

・体組成測定

2泊3日の断食が終了し再び体組成計に乗り、体幹・両腕・両脚それぞれの筋肉量と脂肪量を五角形グラフで表したシートを頂きました。

筋肉量:体幹部だけが平均より低い。両腕・両脚は平均内で、ほぼ正五角形に近いグラフでした。右腕と左腕の筋肉量差は50グラム、右脚左脚は同量でした。

脂肪量:正五角形のグラフになりました。両腕両脚ともに左右差は50グラムでした。

脚部筋肉量:同年代女性よりやや多めと出ました。今の身体で一番痛むのは膝なので、脚部筋肉が少ないことに理由があるのではと思ったりもしたのですが、量的には少なくないという結果になりました。

筋肉量左右バランスチェック:両腕両脚ともに、グラフの中央に印が付いていました。これは左右のバランスが取れているということだそうです。気になる痛みはいつも左側に出るのでバランスが傾いているのではと自分では思っていましたが、意外な結果となりました。

ほか、内臓脂肪レベル・基礎代謝量・体型判定いずれも標準内でした。

 

セッションで写真を撮って頂く時、“自分の中の体感”と“写真に写った客観的な自分の姿”が同じだったり違ったりがありますが、“体組成計が出してくれた数値”と“自分の感じている自分の身体”にもギャップがあったりなかったりで、とてもおもしろい体験でした。

この5年間ほど毎日、朝晩の体重と体脂肪率を計測していたのですが、今年の9月頃からやめました。増減に一喜一憂することが自分を疲れさせていると思ったのと、数字より実感を指針にしたいと思ったからです。ですがたまにはこういったデータを見て、自分の感覚との差を確認してみるのもおもしろいことだなと思いました。

 

・3日間のまとめ

日常よりも自然がとても多い場所で過ごせたことが、自分にとって大きなことでした。

樹や風や太陽や月、星や夜明け前の空や夕陽に染まった雲などを眺めていたら、人間も自然の一部で、私は自然と一体だし自然そのものなんだとわかりました。だからいつも自然に融けこむようにいたらいいんだ、そこから外れたときに身体のどこかが痛んだりこころが波立ったりするのかなと思いました。

セッション8

 

今回は、セッション翌日から始めた、宿泊施設での断食のことも書きました。ロルフィングとは直接関係ないかもしれませんが、身体が伝えてきてくれることに耳を傾けるいい機会だったので、記録をつけました。

 

【セッション当日】

・月経今日で4日目。開始2,3日目の経血量ピークを越え、終わりに向かい始めています。それに合わせてか、昨夜までの適量を超えた食事量が、今朝から落ち着いてきました。

・膝左膝の痛みが毎日続いています。今日は歩行時・静止時の痛みはないものの、しゃがむと強く痛みます。痛む箇所は、皿の上あたりだったり、皿の下外側だったりと、日によって変わります。

・首、頭部いつもは斜めに傾けた際に痛みがありましたが、今日は上を向いた時に首の付け根が痛みます。頭部の痛みはなく、左頬や下まぶたの痙攣もありません。

・ヨガ2ヶ月ぶりにヨガをしました。ロルフィングを受け始めてからは初めてです。以前と違う感覚はあるかどうか、注意深く確かめながらやりました。可動域は変わりませんでしたが、「意識が、身体の状態を前よりよく把握している」と感じました。以前は意識と身体が分かれていて、ポーズをとるときに身体は「もうキツイよ」と言っているのに意識が「もっといけるはず」と無理強いしてすごくツラく感じることもしばしばでした。ですが今日は意識と身体の意志が重なり合うところが多くて意見が一致しているという感じで、きつく感じることはほとんどありませんでした。ヨガの先生が「ツラいと感じるところまでやる必要はありません」とよくおっしゃいますが、初めて「そういうことか」とわかった感じです。ロルフィングをしていただくようになって感じる“まとまり”の理由は、身体の各部が統合されていくという肉体的なことだけでなく、“分かれていた意識と身体が重なっていく”ということにもあるのかなと思いました。

・股関節歩行時、左の股関節に痛みがありました。(ヨガから3時間後)痛みと言っても、“ストレッチをした時に感じるようなイタ気持ちいい”もので、つらさはありません。

 

【セッション中】

・心身の緊張今回も心身ともに緊張はほとんど無く、それが最後まで一定していました。前回レポートに書いた「台の上での身の置き方がしっくり来ない」は無く、早い段階で納得できる姿勢を見つけて落ち着けました。「曲がっていると思われてるかもしれない」という意識も今日は頭にのぼって来ませんでした。“自分の体感”と“身体にとっての心地いい姿勢”がだんだん一致し始めてきたのかもしれません。

・口、あごここ数回、身体に力が入らないように、いつも口を軽く開けています。効果を大きく感じるわけではありませんが、口を閉じている時よりも後頭部や頭と首の境目あたりが解放される気がします。

・目線後頭部のこわばりを緩和するために、あごを引いて頭の角度を変えてみたりいろいろ試しましたが、今日は“目線を落とす(足の方を見る)”が有効でした。さらにその状態で目を開けたり閉じたりしてみましたが、開けている方がこわばりが消えやすかったです。まぶたの開閉というごく小さな動作が、わりと大きな差を生むのはおもしろいことだと思います。

 

【セッション後】

・駅への道を歩いていたら、左臀部(表面)なのか左骨盤内(深部)なのか位置がうまく知覚できない漠然とした違和感(ひっかかるような感覚)を感じました。違和感の発信源を特定しようと骨盤周りを軽く押しながら確かめていくと、仙骨のすぐ左あたりを押したときにイタ気持ちよさを感じました。それだけでは違和感の理由やはっきりした場所はわかりませんでしたが、その後違和感は痛みに近い感覚になっていき、股関節の内側や前側など場所を変えて転々と数カ所に現れ始めました。いずれも共通するのは「左側」ということです。歩くのを止めて静止した状態で左右股関節を大きく回してみたところ、右に関しては特に気になる感覚が無かったのですが、左は「コキッ」と関節が引っかかる感触がありました。

・膝セッション後すぐに屈伸をして痛みを確かめました。左膝がわずかに痛むものの、今回のセッション前よりもかなりラクに曲げられました。この時点では階段の昇降でも痛みはありませんでした。ですがセッション後約4時間経過した21:30現在、イスに座った状態で左膝皿の上内側に痛みがあります。さらに直後は階段昇降に痛みは無かったのに、5時間経過時点では降りる際に左膝の痛みを感じました。

・首、頭部右に首を傾けたときに首の付け根左側が、また、顔を天井に向けた時に両肩が痛みます。

・食事量今日は1日を通して落ち着いていました。

 

【セッション翌日】

 

・朝のようす歩いている時、左股関節周りに引っかかりとすこしの痛みがありましたが数分で消えました。座っている時、腹筋上部に支えが感じられ、上体が天に引き上げられるようにまっすぐ伸びてシャキっとした爽快感がありました。首、頭部には痛みはありませんでした。膝は階段を降りる時に、左膝皿の下右側が少し痛みました。昇るときと歩行時、座位時は痛みませんでした。

 

・断食1日目今日から宿泊施設で断食をします。まずは体組成計で体内の状態を測定していただきました。水分量が52%という項目が印象に残りました。60%が理想だそうで、それを下回っていることから「滞在中は水分をよく摂るように」とアドバイスを頂きました。しかし、去年別の施設でやった断食の際も同じアドバイスがあり、それに従って、「もう飲めない」という身体の訴えをねじ伏せる形で水分を摂り続けた結果、お腹をくだしたという経験があるので、今回は「飲みたい時に飲みたい量を」で行くつもりです。それには身体との会話が必要だから、身体の言っていることを無視しないで語り合ういい機会が頂けたなと思います。

その後“1/fゆらぎ”という、身体に電気を流す機器を使用した施術を受けました。マッサージチェアのようなイスに10分ほど座るというものです。前半は身体に耳を澄ませても何も聴こえてこなかったのですが、後半から(1)左膝(2)右掌中央(3)首と頭の境目(いつものように左のみだけではなく右も)の3箇所に変化を感じました。このうち(1)(2)は同じ質感の変化でした。どちらも白い光を発しているようなイメージが見えて、スーッと軽くなり気持ちいいのです。(2)はツボの名前で言うと労宮ですが、この箇所は数年前からずっと、頻繁に痒くなるので掻きすぎて皮膚が荒れているほどなのです。そういう意味では(1)と(2)には“長い間断続的に不調を感じている部位”という点で共通点があります。(3)の感覚は“気持ちいい”ではなく、こわばりです。セッションの時や普段から感じているものと質は一緒です。そして施術後、しばらくイスに座ったまま身体はどうなっているか耳を傾けていたところ、身体全体に微弱な刺激がありました。弱めの炭酸水が身体の中を流れているような感じです。気持ちいいのか否か、どちらなのかよくわからない不思議な感触でした。

その後、30分間のポールストレッチをしました。ストレッチ前後の変化を比較するため、始めと終わりに各部の可動域を調べたのですが、ここで一番強い印象が残ったのは「前屈」と「体側伸ばし」をした時です。前屈時、右脚は特に痛みなどは無かったのですが、左膝から15cmほど上の太腿裏がすごく痛かったのです。逆に体側は右の方が痛みが強く、左の痛みは骨盤脇に出たのに対し、右は二の腕側面が痛みました。体側は膝や首と違って、普段はまったくサインを発しないので「こんなに痛かったのか!」ととても驚きました。ストレッチ後、ポールから降りて床に直接仰向けになり、背中の感覚を味わう時間があったのですが、背中が床より下に沈んでいるような感じがしたのもとても大きな驚きでした。マットレスなら身体は沈みますが、硬い床の上でのその感覚はとても不思議でした。砂浜に軽く溝を掘ってその窪みに収まっているような感じです。身体はいろんな驚きをくれました。

 

【セッション2日後】

・朝のようす断食2日目。よく眠れましたがそんなに身体は軽くなく、10段階で言うなら軽さ3くらいといったところです。首:ほとんど痛みはありません。腰:昨夜から中央よりやや右寄りのあたりが少し痛みます。膝:しゃがむと左膝皿の上が少し痛みますが、つかまり立ちしないと痛くて立てない時もあるくらいなので今日はごく軽い方です。体側伸ばし:左→昨日同様、骨盤側面に痛み。右→昨日痛んだ二の腕側面の痛みはほとんど消え、腰に痛みがあります。座位:腹筋上部に支えを感じます。腰の下の方、臀部との境目あたりにわずかなこわばりを感じますが痛みではありません。立位:座位と同じあたりにこわばりがあります。座位では、腹筋上部の支えが身体全体に対してリーダーシップを取っているような感じで、上体は天に伸びて、身体には輪郭を持った存在感があるのに、立位ではリーダーシップを取る部位がなく、ぼんやりふんわりな感じがします。ただ、どちらがいいというわけではなく、このゆるやかな感じも好きです。同じ身体でも立つと座るではこんなにも体感が違うのはおもしろいことですし、いろんなモードがあるとそれぞれを感じる楽しさがあります。

 

・腰腰右側が痛むのは、昨夜ベッドに腰掛けていた時、正面を向かずに身体右半分を前に出すように斜めに座っていたからだと気付きました。その姿勢でいたのは十数分程度の短い時間だけだったのにわりと大きな反応が出たということは、身体のアラート≪心地いい真ん中の姿勢から外れていることに対して、身体が意識へ伝える警告≫の感度が上がったのかなと思いました。

 

・体操施設スタッフの方と一緒に朝の体操をしました。気になったのは右肩と右の首筋から後頭部にかけての部位です。痛みではなく、緊張して縮んでいたのかなという感覚がありました。痛みやこわばりが出るのはだいたいいつも左側なので、今日はいつもと違うことをすこし不思議に感じました。体操をしながら「変わることへの恐れ」が頭にのぼって来ました。健康になりたくて身体を動かしているつもりだけど、意識の奥底では“痛みのある状態がデフォルト”というのがあって“痛みがどこかにないと、何だかいつもと違うから不安”ということを感じるのです。そういう思いがあると身体は気持ちよくなれないので、“変わることはわくわくすることだよ”と意識に話し掛けていこうと思います。

 

・散歩急勾配の坂を30分強歩きました。呼吸が苦しくなるのがイヤなので息が上がらない速度で歩きたいのに、アタマは「速く進まないといけない」という妙な思い込みで迫ってきて、その急かしを抑えようとすこし混乱しながら歩きました。しかし程なくしてラクに息が出来るようなゆっくりとしたペースが保たれるようになってきて、目的地までほとんど息が切れることなく歩きました。かなりの急な傾斜なのですぐに息が上がりそうになるのですが、息がなくなるまで吐き切ることを続けることで空気を肺へ充分に供給することが出来ました。この深い呼吸に身体が喜んでいるのを感じました。帰りは同じ道を下りました。行きの登りはどこも痛みなどは無かったのですが、坂を下りる時には左膝皿の下側に痛みを感じました。

 

・散歩後入浴とストレッチを終え、読書をし、そのあと仰向けになって休んでいると、急に左の眉頭・左肩・左後頭部・仙骨の左脇に痛みが出てきました。それと昨日から左足の甲が急にズキッと痛くなり、散歩中もずっと痛みました。いずれも痛みのきっかけや理由がわかりません。

 

・読書の際の体勢夕方は3時間ほど読書をしたのですが、その時に気持ちよく在れる体勢がなかなか見つかりませんでした。身体は気持ちいい体勢をもっと探したいのに、アタマは読書を進めたくて意識はもうそちらにしか向いていない。結局、ちょうどいいポジションは見つからず、身体にすこし無理を強いたまま読書を続けました。「散歩後」の項目で書いた痛みは、このことが理由かもしれません。この2日間はこのような“アタマと身体のせめぎあい”がしばしば起きていて、それをおもしろく、うれしく感じています。今まではいつも身体が抑え込まれていて、せめぎあいにさえならなかったからです。アタマが、身体の言い分を聞き入れるやさしさをすこし得たのかもしれません。このあと夕食をはさんで再び読書をしたのですがその時は、すこしでも身体が納得いっていなかったら読書を一旦止めて身体の意見を聴きました。それを黙殺すれば、翌日必ず痛みという身体の返事が返ってくることがわかったからです。

 

・身体とアタマ上で身体とアタマのやり取りについて書きながら、「今の自分の中では、身体とアタマははっきり分かれた別々の存在としてあるのだな」ということがわかりました。それが普通だと思っていたけれど、改めて考えてみると「別れてていいのかな?」という疑問が出てきました。「分かれているからケンカになる、一致していたら混乱しなくてよいのでは?」と思ったり。でも、分かれているからこそ視点が増えたり、お互いを検証できるとも言えます。セッションの最中にいつも試みている「身体を感じる」とはどういうことなのか。分かれているから出来ることなのか、一致していた方がよりダイレクトに身体の声が聴けるのか。この「身体のサインの感じ方」をこれからもいろいろと試しながら、身体とアタマの心地よい関係性を体得していけたらと思います。

 

【セッション3日後】

・朝のようす断食3日目。今朝は蚊の羽音に起こされ、まだ眠いのでもう一度寝ようとするものの何だか気持ちよく眠れず、身体に結構疲労を感じました。10段階中疲労度6といったところです。昨日の散歩の影響か、右臀部に筋肉痛があります。その他の箇所には痛みありません。膝の状態を屈伸して確かめたところ、ギシギシとなるけれど痛みはありませんでした。首と肩の境目はすこし痛みましたが起床直後なので当然といった感じで、実際そのあと痛みは減って行きました。全体の疲労感が比較的大きいものの、痛みは少ないというのが今朝の体調の特徴です。

 

・朝の体操気になったのは左股関節と首の付け根(左右とも)です。イスに座り、左膝を両手で抱えて上下左右に動かしながら股関節を回すのですが、膝を上に持ち上げた時に、股関節前側から恥骨付近にかけてがキューっと痛みました。また、首を右に倒した状態で左腕を斜め下に突き出す(その逆も)動作の時には、左右両方の首の付け根から肩にかけて強い痛みがありました。

 

・体組成測定2泊3日の断食が終了し再び体組成計に乗り、体幹・両腕・両脚それぞれの筋肉量と脂肪量を五角形グラフで表したシートを頂きました。筋肉量:体幹部だけが平均より低い。両腕・両脚は平均内で、ほぼ正五角形に近いグラフでした。右腕と左腕の筋肉量差は50グラム、右脚左脚は同量でした。脂肪量:正五角形のグラフになりました。両腕両脚ともに左右差は50グラムでした。脚部筋肉量:同年代女性よりやや多めと出ました。今の身体で一番痛むのは膝なので、脚部筋肉が少ないことに理由があるのではと思ったりもしたのですが、量的には少なくないという結果になりました。筋肉量左右バランスチェック:両腕両脚ともに、グラフの中央に印が付いていました。これは左右のバランスが取れているということだそうです。気になる痛みはいつも左側に出るのでバランスが傾いているのではと自分では思っていましたが、意外な結果となりました。ほか、内臓脂肪レベル・基礎代謝量・体型判定いずれも標準内でした。

セッションで写真を撮って頂く時、“自分の中の体感”と“写真に写った客観的な自分の姿”が同じだったり違ったりがありますが、“体組成計が出してくれた数値”と“自分の感じている自分の身体”にもギャップがあったりなかったりで、とてもおもしろい体験でした。この5年間ほど毎日、朝晩の体重と体脂肪率を計測していたのですが、今年の9月頃からやめました。増減に一喜一憂することが自分を疲れさせていると思ったのと、数字より実感を指針にしたいと思ったからです。ですがたまにはこういったデータを見て、自分の感覚との差を確認してみるのもおもしろいことだなと思いました。

 

・3日間のまとめ日常よりも自然がとても多い場所で過ごせたことが、自分にとって大きなことでした。樹や風や太陽や月、星や夜明け前の空や夕陽に染まった雲などを眺めていたら、人間も自然の一部で、私は自然と一体だし自然そのものなんだとわかりました。だからいつも自然に融けこむようにいたらいいんだ、そこから外れたときに身体のどこかが痛んだりこころが波立ったりするのかなと思いました。

 

 

 

セッション9

 

(前回セッションから9日後)

“こういうのを自己調整能というのかな?”という体感がありました。

 

前回レポート内で

「身体が“なんかイヤだよ”と伝えてくるような姿勢をアタマが無視して続ければ、あとで必ず痛みという返事が返ってくることがわかった。

これからはサインを受け取ったらすぐに身体と話し合って、気持ちよくいられるポジションを探します。」

という旨のことを書き、それから1週間あまり、意識してそれを続けていました。

 

そしてこの日、ベッドに腰掛けていたときにだんだん、

・傾き(支柱を失って身体が崩れていくような)

・収縮(肉体がしぼんでしょぼくれたような)

・落ち込み(精神的なことではなく、身体が重力で下に沈められていくような、背骨が猫背に曲がっていくような、全体に下垂していく感じ)

など複合的な疲れがやってきたので、姿勢を仕切り直そうと身体を持ち上げ始めたとき身体の中心に、垂直方向に通る透明な棒のようなものがあることをふと感じました。

それは棒といってもそんなに輪郭ははっきりしておらず、軸というほど強制力のない、“そこに身体を添わせていけば中心に行ける”と感じられるガイドのようなものでした。

そのゆるやかなガイドにむかってすーっと導かれると、気持ちよさのようなものを感じながら姿勢を再調整できる感覚がありました。

この日も次の日も、なんだか疲れがあり、“身の置き所がわからない、どうやってこの肉体を存在させたらいいのかわからない”という体感がありました。疲れずに在れる姿勢が見つからなかったのです。

なので常にモゾモゾと身体を動かしてはいろいろ体勢を変えていたのですが、そんな中でも時折上述したような“ガイドがある”感覚を得ることがあり、これがロルフィングによって変わっていったことのひとつなんだろうかと思いました。

100パーセント気持ちのいいポジションというのはまだ感じられないですが、こうやって自分で調整していけるのはうれしいことです。セッションを重ねたおかげだと思います、ありがとうございます。

きっかけはプラクティショナーさんに与えていただくとしても、長い人生を生きていく中で自分で直していけることがとても大事だと思うので、今後もその力を身につけていけたらと思います。

 

【前回レポート提出後〜セッション前日】

・膝

前回のレポート提出以降、膝のことをまったく意識せずに過ごしていた自分に気づきました。「痛いと感じることってここ最近なかったよね、どうだったっけな…?」と思って久々に屈伸してみたところ、まったく痛みも違和もありませんでした。

 

・首など頭部

膝同様、この1週間あまりまったく意識に上って来ませんでした。

ただ、レポート提出の3日後、背面全体のアロマオイルトリートメント(ほぼ無圧)を受けた際に施術者さんから「肩に小さなコリがいくつもありました」と指摘を受けました。

それに関してまったく自覚がないわけではなかったのですが、不快感は無かったし、肩からのサインをアタマが無視していたということでもなかったと思います。

前回レポート提出からの1週間は旅をしており、大きくて重いリュックを背負っている時間が長かったのですが、従来なら肩の負担が頭痛につながるということもあったでしょうが今回は影響を感じませんでした。

旅の間の1週間は、ヨガマットの上にあぐらをかいて瞑想をすることが多かったのですが、その時の身体のようすはというと、先述したように膝・頭部など今まで比較的痛みが強かった箇所からのサインはほぼ感じませんでした。それよりも身体全体として“ちょうどいい体勢が見つからない、どうやってこの肉体を存在させておけばよいのかわからない”という体感が強くありました。(精神的な不安定感は伴わない)

なので、イスに座ってみたりベッドに腰掛けてみたり床に直接座ってみたりと座る場所をー探求したり、あぐらなのか体育座りなのか背骨を立てて自立するのか背もたれに寄りかかるのかなどの姿勢もいろいろ試しました。そんなふうに試行錯誤や身体とのやりとりを多くやっていた1週間でした。

「ここだ!」というドンピシャな瞬間も何回かありましたが長くは続きませんでした。でもそういうものなのだろうと今は思います。見つけたポイントで固定したまま動かない、ということは生きている以上ないのかなと思います。いつもそのポイントは遷移していて、それを探ってその都度添わせていく、いつも揺れて流れているというのが生きている身体なのかなと思います。

 

・断食のその後

心身共に、劇的な変化はありませんでした。食事量もすぐ従来のものに戻りました。

でも食べるということが前よりも楽しくなりました。

ものを食べたときのよろこびが強くなりました。

食べることを選んだ自分を責めないようにしよう、と思ったからかもしれません。

身体面で変化はないか、これからも観察を続けます。

 

【セッション中】

・心身の緊張

台に乗った直後からほとんど無く、身体が軽く沈んでいると感じるように身を預けています。

 

・視覚

今回も目を開けた時と閉じた時の体感を比較してみましたが、今日は開けていると視覚が邪魔に感じ、閉じていた方が気持ちよくいられました。

また視線の角度ですが、“脚の方を見て下向きにしていた方が頭部の緊張が緩和しやすい”というのがこれまでの傾向だったので、目を開けているときは主に目を伏せるようにしていたのですが、今日は正面を見ていても頭部のこわばりは生じませんでした。

 

・首肩など頭部

うつ伏せの状態だと首が痛くなりやすいと思うのですが、左右共に痛み・緊張ありませんでした。

左を向いている時と右を向いている時の左右差も無く、どちら向きでも痛みはありませんでした。

ただ左右差で言えば、私はいつも口を(顎を)軽く開いて緩めるようにしているのですが、顔が左を向いている時は口が閉じてしまい開けにくく、右を向いている時は逆に口が自然と開いて開けやすいという感覚がありました。

 

・歩行

いつもセッションの最初と最後に歩きますが、今回は前と後ではかなり体感が変わりました。今までで一番の差異でした。

最初に歩く時はいつもなんとなく、ごく少しですがしっくりこないようなそんな感覚を持つことが多いのですが、この日はいきなりなめらかな質感があってまずそれに驚きました。

セッション後に歩いた時はそのなめらかさはなくなり、代わって感じたものは“空洞感”でした。身体の外郭だけがあって、中の筋肉や体液が空になったような感じがしたのです。

この感覚はたまにあって、主に起床直後の脚に現れます。このシチュエーションでは軽くて動かしやすくて気持ちよさを感じるのですが、今日の場合は気持ちよさも不快もなく、ただ空だなという感覚を味わうのみでその先にはなにも浮かびませんでした。

 

・股関節

膝を立てて仰向けになった際、“何かのきっかけで急にロックが解除されたようにするすると股関節が開いていく”ことが今までのセッションで何回かあったのですが、今日もそれがありました。

きっかけというのは「預けて」という言葉だったり、股関節とは離れた部位(二の腕など)への接触だったりと様々なのですが、この日はこういった外部からの刺激ではなく、自分が発した「リラックスして、緩めて…」という指示に反応して開いていきました。

この開きは、脳を経由せず、自分でもよくわからないまま勝手に股関節がほどけていくような感覚で、いつも不思議に感じます。

 

・頭部

以前氣功の施術を受けた際に「頭部に触った時の反応が一番著しい。施術者の氣をすごい勢いで吸ってくる」と言われたことがあります。ロルフィングでも頭部(頭頂部周辺)に手が触れた時が、一番身体の緩みと心のリラックス、心地よさを感じます。この日もそういった気持ちよさがありました。

 

【セッション翌日】

・朝のようす

今朝は少し身体が重く、鼻水が出て風邪気味です。

久々に左後頭部が強めの痛みを発しています。

脚のむくみは比較的少ないように見えます。

 

・膝

朝の時点では、屈伸の際の痛み・違和感は共にありませんでした。

日中、雨が降ってきたあたりで再び確認してみると、イスから立ち上がる時に少し左膝が痛みました。

今日は混んだ電車に長時間乗っていました。こういう時は膝をずっと曲げたまま動かせないのでだいたい15分もすると左膝が痛み出すのですが、この日はそれがありませんでした。雨が降っていてなおさら痛みやすい状況のはずなのにです。

 

・歩行時

身体のまとまりを感じました。この“まとまり”という感覚はここ最近しばしば感じるのですが、その都度詳細は違います。今朝のは「エネルギーが身体の中央(横隔膜あたり)に集結している」という体感でした。エネルギーが分散せずに集まって塊になることで強い活力となって身体を動かしている感じです。とてもらくで気持ちよく歩けました。

 

・座位時

背骨から頭頂部が自然と天に向かうように伸びて凛とした心地よさを感じました。いつもは途中で背中を緩めたくなるのですが今日はそれがなく、上へまっすぐ伸びる姿勢が長時間続きました。

 

【セッション2日後】

・朝のようす

脚は昨日よりむくんでいるようにみえます。(昨日は塩分を摂りすぎたという自覚があるのでそのせいではと自分では思っています。)

軽く体操をしたところ、腕と、胸郭あたりを中心とした胴体から白い光のようなイメージの活力が湧いてそれが機関車の蒸気のように身体を動かしている、そういった感覚がありました。腕の筋肉にハリ・弾力のようなものを感じました。

最近はこういったエネルギー的なものをよく感じます。筋力が強化されたとか痛みが消えて動かしやすくなったといった物理的な変化よりも、「活力が湧き上がってくる」という感じです。

 

・歩行時

朝食を食べ過ぎて、胃に食べものがたまって重くなり、それが姿勢のバランスを崩しているように感じられました。

重みのせいか腹部が前に突き出し、それを支えようとしてか背面に力が入っています。

背中が少し反って、お腹を先頭に歩いているかのようです。

日中になると胃の重みは消えましたが少々疲労感があり、上述したようなエネルギーは感じませんでした。

夜はまた食べ過ぎたことで全体のバランスが崩れてエネルギーが分散し、疲れを感じました。

歩行時のみならず座っている時も疲れていて、背筋は伸びているけれど自然にというより“努めて”な状態でした。(猫背になるよりはまだ伸びていた方が楽だからという感じです)

今日は食べ過ぎが引き起こす身体へのダメージを強く感じる1日でした。

 

【セッション3日後】

・朝のようす

胃にたくさんの食べものを詰め込んだことによるダメージが今朝も続いています。

昨朝と同じく、軽く体操をしましたが昨日感じたような身体中央深部から湧くハリ感はありませんでした。

脚、顔ともにかなりむくんでいます。

 

・頭部、膝

自発的に痛みなどのサインを伝えてくることはなかったので「調子はどう?」と話しかけるつもりで首を回すと、左肩に強めの痛みがありました。

膝にも、屈伸することで様子を尋ねてみましたが、こちらは両膝共良好な状態でした。階段の昇降でも違和感や痛みはありません。

 

・歩行時、座位時

昨日と同じように、食べものがたくさん入って重い胃を支えようとしているのか、背面が緊張しているのを感じます。

ただ、そのダメージに掻き消されそうになりながらも、身体のまんなかの奥の方に白い光のような力の源があり、それが放射線状に活力を放っているイメージを感じます。これが胃が重くて辛いながらもなんとか身体を動かしてくれているのです。

その“力の源”というイメージは精神面に由来するものでなく、あくまで肉体が作りだしているものだという感じがあります。肉体の健康さが作り出す力、という感じです。

少し前までは、身体に耳を傾けた時に感じるのは“膝が痛い・首肩が痛いなど、各パーツごとに分化した、物理的な感覚”のみでした。今もそれはありますが、加えて、もっと包括的でエネルギー的な体感も出てくるようになってきました。

バラけていた身体の部分たちがつながりを持ちつつあるのかなと感じています。

これからの変化も楽しみです。

セッション10

今回のセッションの冒頭で「どこも問題ない」といった旨のことをお伝えしましたが、改めて思い返すとこの数日、疲労感が強かったです。

原因は過食にあると自分では感じています。断食を終えてからの2週間あまりずっと、毎日適正量(身体が心地よい状態でいられる量)を大幅に超えた食事をし、胃が空になる時がないほど常に何かを摂っているからです。胃の内容物が多いことによる重さと、消化にエネルギーを使って体力を消耗しているだるさがあります。

セッションが進んでいく中で自分の身体と話す機会が従来より格段に増えたので、食欲のコントロールもしやすくなるかなという期待を少ししていたのですが、そうはなりませんでした。身体の声をすくい取る体制は前よりも整っているけれど、せっかく拾えた声をアタマが無視しているという状態です。

 

4回目のセッション以来、過食ダメージからの回復が早くなったと感じていましたが、いま現在その感覚はありません。慣れてしまったとか効果が薄れたではなく、処理能力をさらに超えた量を摂っているということだと思います。

 

過食の原因は、この人生で実現したい何かがあるのにそれが何なのかまだ見つけられないこと、そして、その満たされない思いを食べることで鎮めようとしているからだと自分では感じています。

だけど、ロルフィングで確実に身体は変わってきました。身体の中心に活力が湧くのも感じています。せっかくもたらしていただいた変化です。身体が変わってきていることから来るよろこびでこころを励ましていきながら、食でその都度不満を収めるのではなく、本当にやりたいことにたどり着いてその実行に力を注ぎたいと思っています。

 

・プラスのメッセージ

先述したように、セッション冒頭で「どの箇所からも痛みのサインがないので、身体の存在を忘れてしまうほどだ」と言いました。

けれど今回のセッション直後、膝の屈伸をしてみると左膝が痛みました。首を回すと左の肩に痛みがありました。セッション2日後の今朝は、階段の昇り降りどちらの時も左膝が痛みました。

多分、サインがなかったのではなく聴き流していただけなのではと、今になって思います。

ですが、膝の痛みの有無を確かめるべく屈伸をしたその瞬間、「痛みをいちいち探してピックアップしなくてもいいんじゃないか?」という思いが浮かびました。

 

今回のセッションの最初に私が「ネガティブなサインは受け取りやすいけど、いいサインはあたりまえとして流してしまう」と言った時に、田畑さんが返してくださった「プラスのメッセージも必ずあるはずですよ」という言葉がすごく印象に残りました。

そのあと、「ネガティブサインを受け取るのが得意だったアンテナの機能を、これからはプラスのメッセージも受け取れるように調整して変えていく必要がある」という会話になったのもハッとして心に残っています。

 

私がこれからすることは、ここが痛いです・ここが治りませんと挙げていくことではなく、いつも自己調整能のアンテナを立てて、身体が落ち着けるポジション・健康でいられる在り方へとバランスさせることなのかなと思います。

各部の痛みを感じたらそれはそれで実際に起こっていることとして受け取るけれど、一部の痛みにフォーカスし過ぎて落ち込むよりも、全体として心地いい場所に揺り戻せるようにしていけたらと思っています。

 

【上述したように「これからは全体的にとらえて」という見解になったのですが、セッション中に感じた各部の状態も以下にお伝えしておきたいと思います。】

・心身の緊張

ここ数回のセッションの中では珍しく、心身ともに緊張が解けるのに少々時間を要しました。(10分程度ですが)

前回からすこし時間があいたからかな?と思いますが、この10回を通して田畑さんが安心して身体を預けられる・信頼できる方だと衷心から充分に感じているのに、それでも緊張が生じるというのは、自分でもわからない不思議なことです。

ただ、セッションをお願いするきっかけとなった“イールド”という言葉の意味を、実際に体感することは出来たのでは思います。

ソトコトに寄稿された記事に書かれていた「細胞は生存のためにまず足場を要求する」「足場に委ねる」「屍のポーズは床に対するイールド」などの記述を読み、“このイールドということが、いまの不安定な私にとって助けになってくれるのでは”と感じたのです。

台に2〜3cmの深さの溝があってそこにすっぽりはまって沈んでいるような感覚になったこともありましたし、眠ってしまう瞬間もありました。動物がお腹を出して眠るというのは、心身ともにその場と相手にすっかり委ねている証拠だと思います。

この体感が本来のイールドの意味と合っているかはわかりませんが、それでも私が初めて記事を読んだ時に思った「イールド感を得て、安心して生きたい」という願いを達するきっかけはつかめたと思います。

 

・視覚

身体を感じる際に視覚の有無はどう影響するか、10回を通していろいろ試してきましたが、これは毎回感じ方が違いました。

目を開けていた方が周りの空間を含めた自分が見えて客観的な視点が生まれた時もあれば、目を閉じた方がサインをキャッチする精度が上がると感じた時もありました。

今回は半々で、目を閉じれば深く自分に分け入っていく・掘っていくことが出来ましたし、開けていれば頭頂から爪先までの身体を全体的に見ながらスキャン出来るような感覚がありました。

 

まぶたの開閉だけではなく、目線の角度というのも知覚に大きく影響すると感じました。

その中で今回特におもしろいと感じたのが、「目線で小さく8の字を描いてください。なるべくカクカクしないように」と言われたことでした。

この“カクカクしない”というのが結構難しかったのですが、でもひとつ気付いたことがあります。セッション後に、テレビでフィギュアスケートを観ていたのですが、美しいと感じる演技とあまり好ましく思えない演技との違いは、この“カクカク感”にあるとわかったのです。

私が「何だかいいと思えないな」と感じる選手の踊りはすごくカクカクしていて点と点の間がすべて直線でつながれているように見えました。一方「このひときれいだな」という選手の身のこなしは、身体の動きが描く軌跡に前者のような点の存在を感じず、たおやかな曲線のみがなめらかに流れていくように見えました。

こんなふうに「客観視した時に美しいと思える振る舞い」が、身体を良い方へと導いてくれるのかなと思います。

そして以前、「見た目のまっすぐさと、自分の体感としてのまっすぐさは、だんだん一致してきます」というお話を伺ったのですが、これはその時の話にもつながることだなと思いました。

 

【これからのこと】

・アンテナを調整し直す

マイナスの情報をとらえやすい指向があった知覚のアンテナを、プラスのメッセージも逃さず拾える仕様に変えていきたいと思います。

膝の痛み、首肩の痛み、胃腸の不調などのサインはこれからも幾度となく発されるとは思いますが、それは受け取りつつも、“全体をバランスさせること”に意識を向けていくつもりです。

 

・実感としての気持ちよさと、美しい姿勢

今回のセッションでもそうでしたが、仰向けになった時に「なんだか身体が曲がっている気がして落ち着かない、でもどこをどう直せばしっくりきて安らげるのかわからない」ということが多々あります。ヨガの屍のポーズの時もそうなるのですが、そんな時はいつも、目で身体の曲がり具合を見てまっすぐになるよう直していました。

でもそうやって直すと、どうも身体に納得感・腑に落ちた感が得られないのです。

視覚での判断だけではなく“身体そのものが感じた気持ちよさ”に従うことも大切で、

目で見た“外側の形”だけではなく、“内臓が感じること”を基準にすればまさに「腑に落ちる」在り方が出来るのだと思います。

まずは身体の中で感じていることを大切にする。そして時折鏡で自分の立ち姿を見て「あ、見ても美しい」と思えるようになっていけばいいなと思います。

追記

10回目レポートを提出の際に以下のようなコメントが添えられていました。 (ご本人の許可を得て掲載させて頂きます)

 

” 今までいくつかボディワークを受けてきましたが、終了後に施術内容や注意事項の説明を細かくしてくださる方もおられました。

しかし今回のセッションを通して、そういったことは私の“自分で感じる力”“自分で直す力”を削いでしまうのかもしれないと思うようになりました。

田畑さんがご自分から仰ることは必要最低限のことのみだった(とお見受けする)ので、ともすれば訊き過ぎてしまう・答えを他者に求めてしまいがちな私にとっては、そういったスタンスでいてくださったことはありがたいことでした。

質問すればもちろんやさしく答えて下さいましたが、それもすべてを言うのではなく、少ない言葉の中で示唆してくださるということが多かったので、そのおかげで自分の感覚を大切にすることができました。

 

いつも丁寧に接してくださり、ありがとうございました。

とてもうれしかったです。”

 

Rolfer’s NOTE

ロルフィングは,治療ではない,では何なのか? 身体を通して全体性に向かうプロセスといえます。

ここで受け手の方が感じ,気づいたことは,生き方に違いを創っていく小さいけれども大切なきっかけとなるはずです。

身体の姿勢が変わるとき,人生に対する姿勢も同時に変わるのかもしれません。

 

10シリーズ終了後1ヶ月経過

12月に入って

・1日(火)ヨガクラス通いを再開しました。2014年10月〜2015年7月までは週1ペースで続けていましたが、この4ヶ月間はほとんど運動をせずにいました。

久々のクラスで何か変化はあるだろうか?ということに意識を向けていたのですが、まずは気持ちの新鮮さに気づきました。「新しいことを始めた」ような感じです。この4ヶ月間、ロルフィングを始め氣功、瞑想、アーユルヴェーダ、バッチフラワーレメディなどさまざまなセッションやプラクティスを経験したので、それらを内包した自分にとっては、同じクラスでも新しい気持ちになったのだと思います。

身体面での変化も感じました。ポーズをとっている最中に先生が身体を押してくださるのですが、その時のポーズの深まる幅が前よりも伸びたように思えました。

それと、8回目セッションのレポートにも書きましたが、身体がきついと感じているのにアタマはもっとポーズを深めようと無理を強いることが以前は多々あって、この日もそういう傾向がありました。身体とアタマが乖離せずひとつになっていけばもっと楽になれるのではと感じます。

ヨガ後から夕飯まで、身体的にはもう入らないのにアタマの食べたい欲は止まず、食べものを摂り続けました。10回目レポートにも書いた通り、本当にやりたいことが見つけられずにいる不満を、食べる快感で鎮めるためのものだと思います。それをいつも自覚しつつ、でも食べたがる自分をそんなに責めないで、というのが今の気持ちです。

10回目のセッションの冒頭、台に乗ってしばらくの間、身体が右に反っている感じがしていました。セッション中にお伝えして、調整していただいたおかげでその時は直ったのですが、翌日から今日までの3日間はまた同じ感じが続いています。仰向けの時だけでなく、歩いている時も座っている時もです。右側面(腰のくびれを中心に、わきの下から腰骨あたりまで)の反りが強くなって、上半身が右に曲がっている感じがするのです。肩掛けバッグを左肩に掛けることが多いので、バランスをとろうとして右に反るのかなと思い、バッグを右肩に掛けてみましたが体感は変わりませんでした。あまり一部に意識をフォーカスせず全体のバランスで調整しようと思って、身体の中心をイメージしてそこに添っていこうとしばらく試していたのですが、反りの違和感が強くバランスできませんでした。

・2日(水)昨日から強く痛んでいた膝が、今日は朝からかなり痛んでいます。階段の昇降も痛みますし、しゃがむ時・立ち上がる時は何かに掴まらないと出来ません。

それとこの数日間、体温が低いのがすこし気になります。毎朝基礎体温を測っているのですが、通常より1℃近く低いです。

胃腸に関しては、昨日1日ずっと休める時がありませんでしたが、今朝はそんなに重く感じません。働き続けてくれたおかげで回復しているのでしょう、ありがたく思います。ただ、胃の体積が大きくなって内臓を圧迫しているのか呼吸がしづらいという実感があるので、いつもより深く大きく息の出し入れをしています。

過食による(と自分では感じている)疲労感、膝の痛み、体温の低下、それらを大切な身体からのメッセージとして受け取りつつも、胃腸の回復という身体が頑張ってくれたプラスの事実も、当たり前だと流してしまわずに、感じ取っていきたいと思います。頑張らせないような流れに持っていく取り組みもしつつ…。

10回目レポートで、「ネガティブなサインを受け取ることが得意な知覚のアンテナを、プラスのメッセージも受け取れるように作り変える」旨のことを書きましたが、作り変えるというよりも「感度をあげる」「受け取ったサインは良い悪いに分類せず、すべて同じひとつの情報としてとらえる」ことなのかなとも思っています。じゃないと、痛みがあるという事実を無いものにしてしまう気がするのです。どんなサインも、身体が教えてくれた貴重なメッセージとして大切にいただく。でもひとつひとつにこだわらず、全体をバランスさせること。いまはこんな方針で行きたいと思います。

夜に4時間ぐらいテレビを観ていたのですが、その間ずっとヨガの安定座法で身体の中心線を感じながら、床に対して垂直に心身を下ろしどっしり落ち着かせる、という意識で座っていました。この時は「なんだかうまくいってる」「どうも心地いいぞ」と思えました。そして身体より心に、より作用したように感じました。心身に気持ちよさを感じられるような在り方を、これからも探していきたいと思います。

・3日(木)今日も朝から左膝がかなり痛みます。(階段の昇降、イスに座るときなど)

右半身が右方向へ曲がっている感覚も続いています。立位で静止して身体の状況に耳を傾けてみたところ、左半身はまっすぐで右半身(12/1に書いた箇所とはすこし異なり、右肩甲骨から右腰にかけてのあたり)だけが曲がっているというか縮んでいる感じがしました。なので、そのあたりが伸びるようにストレッチを行いました。

食事量も変わらず多く、お腹がキツいよと言っているのが聴こえるし、身体全体が疲れているのも感じます。この食欲は満たされない気持ちを代替しているだけのものなのだから、早くやりたいことを見つけなくちゃという思いが湧きました。

痛みや違和は感じますが、不快とは違うように思います。それらはあくまで実際に届いたメッセージのひとつ。ただ把握するだけ。痛みの先に「ツラい」という感情は付け加えないようにしよう、うまくいかない箇所があっても全体を機能させよう、というつもりで身体を動かしています。そんなことを考えていたら、田畑さんからいただいたメールの中に全体性という言葉を見つけて、あぁこういうことなのかなと思いました。スポーツのチームプレーみたいなもので、どこか一か所痛いところがあってもその箇所を「なんで痛むんだよ」と糾弾したりせずに、全体としてカバーすれば勝てる(気持ちよく生きられる)。これが自分なりのイメージです。

今日読んでいた潜在意識に関する本の中に「元々、完璧な秩序が潜在意識の中にあり“自然治癒力”というチカラが人間には備わっています。つまり完全な健康体に戻るように元からできているのに、余計なチカラを入れたり、無理に自分の意識だけで何もかもをコントロールしようとすることが“自然治癒力”の邪魔をしてることにもなるわけです。それでは不健康にもなるし、あなたの中に本来眠っているチカラも発揮できません。」という記述を見つけ、いま私がやりたいことってこういうことなのかなと思いました。「身体の奥深くでちいさく声をあげている本来の自分に徹底的に耳を傾けて、どうしたいのか聴き取る。そしてそれを実行する。」ということです。

また、同書には「この空気中に満ち満ちている酸素のように、普段じゅうぶんにあるものはあえて意識しないものです。僕たちはどうしても足りないものにしか意識が向かないようになっているということです。人は足りないものを考えて悩みます。」とあって、これは10回目セッションレポートに書いた“ネガティブなサインを拾うのが得意なアンテナを、プラスのメッセージも感じ取れるように”“ここが痛い、ここが治らないと挙げるのではなく”ということと通じるところがあると思いました。そのあとエレベーターで乗り合わせた人のバッグに“LOOK ON THE BRIGHT SIDE”とプリントされているのを見つけました。“明るい面を見ようよ”というその言葉のタイムリーさに笑ってしまいつつも「そうだよね」と思ったのでした。

・4日(金)瞑想のワークショップに参加しました。ヨガの安定座法で座ろうとしたら左膝がとても痛むので、1時間耐えられるだろうか…と不安がよぎりました。それと同時に、脚の組み方がいつもと逆になっていることに気づきました。(普段は自然と左脚が手前に来るように組むのに、今日はなぜか右脚が手前に来ている。)痛むのはそのせいかな?と思って組み変えると、もっと痛くて曲げるのさえつらいほどでした。何も考えなくても身体は痛みが少ないを選んでいた…というか、何も考えない(意思を介入させない)ことが、身体にとって最善な在り方なのかもと思う出来事でした。

ところでこの直前の文ですが、“身体にとって最善な〜”と、“自分にとって最善な〜”では、どちらの表現が自分の中の感覚と合致するだろう?とすこし迷いました。そしてその時思ったのは、「今のわたしは“身体”と“自分”とを、別ものとして感じているんだ」ということです。ここでの“自分”はアタマ・意思・意識のことです。意思と身体が乖離せずひとつになっている包括的な存在が本来の“自分”だと思うのですが、今現在は離れているのだなと感じました。ワークショップ中、講師の方が「自分を見つめるということは、自分の中に別の自分がいるということですよね。分かれているからややこしくなるんじゃないでしょうか」と仰ってらしたのですが、そこにもつながることだなと思います。身体と精神が融合していくことが、平安でいられるひとつの要素なのかなと思いました。

・5日(土)左膝にかなり強い痛みがあります。歩行は出来ますが、少し曲げるととても痛みます。深く呼吸をしながら(そうした方が痛みが軽減され、動きが深まると思って)ゆっくりと膝の曲げ伸ばしをしていくと、膝の上側の筋肉が硬くなっているような感覚があったので、それをほぐすようにしばらくゆっくりした動きを続けると少しずつ痛みも減っていきました。

・6日(日)朝起きたら膝の痛みが急に減っていることに気づきました。特にケアをしたわけでもないので、何故なのかはわかりません。

上半身右側が曲がっているような感覚は続いています。鏡は見ずに、自分の中の感覚に基づいてバランスを取るようにしています。上半身を左に傾けてみると、胃の裏あたり右側の筋肉に緊張を感じるので、そこを伸ばしていくと気持ちいいバランスに戻れるのかなという気がしています。

断食を終えた11月半ばから約3週間、毎日適量を超えた食事量になっています。胃腸機能の改善が一時感じられなくなることもありましたが、今朝の状態(昨夜のもたれがない)から考えるとやはり「身体はがんばってくれている」と感じられます。うれしく、ありがたく思います。

このままの食事量が続けば身体によくないことが起きるという不安をすこし感じています。でも、この状態はずっとは続かない、適したところに自然に収束していくはず、ならばこの身体の頑張りにもう少し甘えて、食べることを制したり責めたりしなくていいんじゃないかという気もしています。表層の意識で抑えつけてもどこかで綻びが出る。ならば、たとえアタマの暴走だとしても自然に落ち着いていくまで流れに任せて、起こっていることを観察していこうと思います。

テレビで片岡仁左衛門さんのドキュメントを観ていたのですが、舞を舞う仁左衛門丈のお姿に、身体の在り方に関するヒントをいただいたような感覚がありました。軸というほど固定された強い質感ではなく、どこか透明で弾力のある中心線があるような気がしました。そして見ているだけで、自分の身体が気持ちよくチューンアップされたような体感がありました。物理的な手技を受けたわけではなく、ただテレビで見ているだけなのに、です。10回目レポートにフィギュアスケートのことを書きましたが、自己調整を日々重ねているであろうプロの身体というのは美しく、その振る舞いには端で見ている者の身体をも適正な場所に導く力があるのだと驚きました。

・8日(火)膝の痛みですが、4日(金)はとても痛みましたが、今日はほとんど痛みません。いつの間にか知覚が膝の痛みへフォーカスしなくなっている(もしくは痛くても意識に残らない)のか、気づいた時にはあまり痛くなかった、という感じです。

今日、読んでいた本の中で「私たちがすべきことはただ一つ、愛や意識を広げるということだけです。あなたの心や体、まわりのものや人々のすべてに、豊かに愛を込めてあなたの意識を向けてあげてください。」という一文に出会いました。その時ふと、ソトコトで拝読した、イールドに関する以下のような一文「まず足場に委ねる動き、そしてさらには周囲の空間に対して広がろうとする動きによってはじめて、生存と成育が可能となる。 」が頭に浮かびました。この記事を読んだときにまず感じたのは“今の自分に必要なのは、安心できる足場だ”ということだったので、足場という言葉だけに関心が向いていました。でも「周囲に対して広がろうとする動き」も重要なのかもしれないと、今日感じたのです。同書ではさらに「愛や意識を広げることもできれば、縮みこんでかたくなになることもできるのです。」とあり、この文からは、“セッション前後の写真を比較した時にわかった、身体の伸び”を思い出しました。セッション後に写真を見せていただく時、セッション前よりも身体が上方向などに伸びているのがいつも確認できました。“広がろうとする動き”と“意識を周りに広げる”こと、“縮んだ身体が伸びていくこと”と“縮みこんでかたくなになった意識を広げること”。「広げる」というキーワードは、これからも意識に留めておこうと思います。

・9日(水)メガネを新しく作りました。価格が高いけど歪みが少ないとされるレンズと、安いけど縁に行くほど歪んで見える可能性があるというレンズ、私は安い方を選びました。2年前に同じ店で作った時、安い方のレンズでも気にならなかったからです。出来上がってきたメガネを掛けてみると、レンズの中心部は度数もちょうどよく快適なのですが、縁の方は最初に言われた通り歪んで見え、少なくない違和感がありました。すぐに店員さんに申し出て何らかの対策を取ろうと思ったのですが、“少なくない”違和感と書いたように曖昧で、違和の度合いや質感を明確に知覚出来ず、「慣れれば大丈夫かも」と様子を見ることにしてそのまま店を出ました。今まで何度もメガネを作っていますが、検眼で「どちらが見えやすいですか?」などと訊かれる度にいつも悩んでしまいます。自分の視覚がいま感じている状態を、脳がうまく把握できず、どちらなのか伝えられないのです。そのあと、店を出て5分後くらいに頭痛がし始めました。そして1.5時間経過した現在は、右の肩が張っています。(そう言えばこの頃、後頭部も首も肩も痛んでいないことに気付きました。)

・10日(木)歯科検診に行きました。ここでも“明確に知覚できない”という場面がありました。歯を削っていただいたあと、「高過ぎたりしませんか?」と噛み合わせの違和感があるか訊かれたのですが、高いような別に大丈夫なような…と、感じ取ろうとするほど頭がぼんやりしてわからなくなるのです。これも毎回のことです。ロルフィングのセッションで「いまどんな感じですか?」と尋ねられた時にもパッと言葉に表せないことが何度かありましたが、その時は「知覚できない」ではなくて「身体が静かで、何もメッセージを伝えてこない」という状態を感じ取れていました。結局「何か高い気がするけど削ってもらうほどでもないような…」と、自分が本当はどう感じているのかわからないまま終わりました。その後の歯の感覚は、メガネの一件とは違い特に不快な反応は出ず、違和感もほぼ感じなくなりました。繊細に精度高く感じ取ろうとすると神経質になってフォーカスし過ぎてしまう・意識の範囲が狭くなってしまうので、全体性を忘れずにいこうと思います。

・11日(金)先週に引き続き、瞑想のワークショップに参加しました。前回はあぐらで座ると左膝の痛みが強かったのですが、今日はほとんど痛みませんでした。あぐらの足の組み方を見ると、先週はいつもと組み方が逆(痛くない組み方を身体が自然に選んでいのだと思う)だったのですが、痛みのない今日は通常通りの組み方になっていました。

Here&Nowが今回のワークショップのテーマだったのですが、そのHereとNowの大きさをなるべく広くしていくといいよね、というお話を伺いました。8日(火)に書いたように「広げる、をキーワードに」とこのところ思っていますし、昨日書いた「意識の範囲を狭めない」「全体性」ともつながっていく話だと思います。

・12(土)メガネの再調整をしていただきました。いろいろ調べていただいた結果、レンズの焦点と眼の焦点にズレがあったのが違和感の原因とのことで、調整後は驚くほど快適な視界に変わりました。特に驚いたのが、度数を下げたのに、焦点を適正な位置に変えただけでむしろ前よりくっきり見えるようになったことです。

「私が神経質過ぎたわけではないんですよね?」と店員さんに訊いてみると「違いますね、焦点が合っていなかったんです。これでは違和感があるはずです」と答えて下さり、自分のセンサーは間違っていなかったとわかったことがうれしかったです。

9日(水)に書いたように、視力検査の際に明確に知覚できないということが今日はあまりなく、感覚を瞬間的に表現することが出来ました。検査中、対象物を見る時に「眼に力を入れないでくださいね」と言われたのが印象的でした。それは心身の状態を感じ取る時に大切なことだな、心身をちょうどよい状態に保つためにも必要なことだなと思ったからです。

このメガネの一件では、自分の感覚を信じてもいいんだと思えるうれしい体験をさせてもらえました。でももう1点、「自分の感覚を持ち続けるとともに、専門家に任せることも大切」ということも感じました。当初私は、違和感の主な原因は安い方のレンズを選んだことにあると思っていて、店員さんにもそうお伝えしていました。ところが店員さんは、レンズのグレードによるものではなく他の要因の方が大きいかもしれないと様々なアプローチを試み、レンズを変えることなく見事に快適な視界を作り出してくれました。私の方も、メガネの装着感や見え方など自分の目や身体に実際起こっている感覚を細かく伝えていきました。自分の感覚を明確に知覚し判断せずにそのまま伝えること、そして専門家の技術と経験、それが合わさった結果なのだと思います。

その後、エネルギーをどうグラウンディングさせるかというワークショップに参加しました。そこで心に残ったのが「身体と魂が離れていない方が好きなことが出来る。離れていると何かに依存するようになる。」という話でした。身体と意識が別ものとして分かれていて、それが食べものへの依存・食べ過ぎとして表れ、もっと食べたい意識ともう要らないという身体が葛藤して混乱する、という状態が続いているからです。魂と身体が離れている状況下ではもしかすると、本来一緒のはずのお互いが、離れ離れになっていることによって不安や心細さが生じるのかもしれません。それが依存を生むのかなと思いました。

その帰り道と帰宅後は食欲が湧き続け、胃は物理的に満杯なのに食べる意思は続行し、ずっと食べ続けていました。

・13日(日)左だけでなく両方の膝が極めて強く痛み、階段を昇降するのがとても辛いです。今日の天気は雨なので天候によるものかなと思ったのですが、11日(金)の大雨・高温というイレギュラーな天気の日には痛くならなかったので、原因は他のところにありそうですがよくわかりません。

昨日の夜まで過剰な食事量が続いていましたが、この日から落ち着いて来ました。どういうきっかけかはわかりません。でも、瞑想のワークショップに行った時、「瞑想は必ず自分の中のどこかに影響を及ぼしていて、やったあとは何かが変わっています。たぶんわからないと思うし、それでいいんです。潜在意識の中で起きることなので、わからなくて当然なんです」というお話を伺ったことがあります。なので、昨日のエネルギーワークがもたらしたことなのかもしれません。

・15(火)膝の強い痛みはやわらいできました。この日はヨガでしたが身体の中で特に不快だったり動かしにくかったりする箇所はありませんでした。ヨガの先生はレッスン中に何度も「身体が柔らかいからいいわけではなく、どこまで伸びていくかを競っているわけでもなく、大切なのは常にたっぷりと呼吸をすることです」とおっしゃいます。そのことを忘れているわけではなくやろうと思えばやれるけれど、呼吸よりもどこまでポーズを深められるか・どこまで可動域を拡げられるかに注力する自分がいます。呼吸が心身にどう作用しているのか、ときどき感じることはあるけれど(深い呼吸で心を鎮静させるとか)今のところそんなに重要に感じることはありません。でも呼吸をしているからこそこの肉体が生きていられるのだから、“重要に感じることはない”というのは以前にも書いた「プラスのことを当たり前として流してしまっている」ということなのだと思います。“食べ過ぎて圧迫されて呼吸がしづらい”とレポートに書いたこともあるくらいでしたが、今では食べ過ぎてもそういったことはありません。変化した身体を、頑張って働いてくれている身体を感じ続けようと思います。

・16(水)〜18(金)身体に疲れやすさを感じることもありますが、そういう時は「全体性」という言葉を自分にかけます。すると疲れに向いていた意識のフォーカスが解け、身体すべてを包括的に使って生きよう、という感覚になります。狭い範囲に焦点を合わせるよりも、「広げよう、広がろう」という意識でいると心身が落ち着き、よろこびの気持ちが湧きます。

・19(土)13(日)から食欲が落ち着いてきていたのですが、この日の夜は食欲が突如高まりました。胃が容量オーバーでキツい状態なのは把握していたけれど、食べたい気持ちが収まらなかったです。日中強いストレスがかかったとか、きっかけになるような出来事は思い返しても浮かびません。ただ、もうすぐ月経が来ると思うので(卵巣付近にわずかな痛みを感じると、数日中に来ます。)そのせいかもしれません。

食べ過ぎたあとはいつも、姿勢のバランスが崩れているのを感じます。エネルギーを使っているのか疲れてしまって、普通に座っているのもしんどく、横にならないといられないです。立ち上がって歩くと、食べ物ではち切れそうになった胃が前方に突き出て、それを支えようとして背中の筋肉が張っているのがわかります。「全体性、全体性、、、」と思いながら歩くのですが、突き出た胃から始まったバランスの崩れは他の部位にも影響して、身体のパーツ全部がチグハグして・ばらけて、まとまりやつながりを欠いている感覚があります。身体を動かすのに通常の数倍エネルギーがかかる感じです。

・20(日)朝の胃の様子ですが、昨夜の食べものが残っている感はありますが、以前と比べると翌朝感じるダメージが少なくなっていると思います。働いてくれている身体と、この身体を整えてくださった田畑さん、ロルフィングに感謝です。

今朝は朝陽を浴びながら直立し、身体全体のバランスを感じていました。目を閉じて、意識のセンサーを身体中に巡回させ、声が聴こえてこないか探りました。メッセージを受け取るたびに、全体が心地よくバランスするように微調整していくことを楽しみました。

セッションを受ける前に比べたら身体に意識を向ける時間は増えたけれど、でもシリーズが終わってからは、今朝のようにじっくり身体を聴くことはあまりしていなかったかもしれません。対話して、調整していくことは、楽しいことだし気持ちのいいことでもあるので、これからも続けていきたいです。

生理1日目でした。正常とされる周期(28日前後)よりもだいぶ遅くなりました(48日)。先月断食をして、身体にいつもと違う変化が加わったからかなと自分では思っています。今回も生理痛は起こりましたが、比較的軽かったです。ここ半年の中で一番痛みが少なく、痛む時間も短かったと思います。痛みは腰周辺のこわばりをほぐせば和らぐだろうと思い、腰の両脇を2〜3回ずつストレッチしたらわりとすぐに軽減しました。生理痛は身体の状態を知る大事な手がかりなので、今後も観察を続けます。

・21(月)〜22(火)終日とても忙しく、身体への問いかけ・耳を傾けることをまったくしませんでした。立ちあがるときに左膝が痛んだような…というくらいの記憶しかありません。

・23(水)今月に入ってから『広がり』というキーワードを得ました。一部にフォーカスし過ぎず意識を広げて、全体性を感じること。そういったことを頭に置いて生活しているこの頃なのですが、今日はそのことでおもしろい出来事がありました。

ある施設でこの3日間研修をしたのですが、最後に責任者の方からこんな講評をいただきました。「あなたは全体を見ようとしていたけど、ここで求められるのは自分の担当する部門に深く関わっていこうとする姿勢なんです」

身体を探求していく中で出会った『広がり』という概念が、いつの間にか身体のことだけでなく、考え方やものの見方にまで影響していたのかな…?と思いました。

「全体を見ることじゃなくて、何をやっていきたいのか・何を深く突き詰めて行きたいのかが知りたかったんだけど、この3日間のあなたからはそれが見えてこなかった」というお話を頂いたのですが、私自身も同じことを感じていました。全体はつかんだけれど、ここにフォーカスしていきたい・ここにもっと向き合ってみたいと思えるところがここにはなかった、というのが自分の感じた結論でした。

今は、自分にとってそういう時なのだと思います。意識を拡げて・全体を見回しながら、フォーカスしたい・注力したいことを探す。自分が感じている体感と、他者からの指摘が一致した、おもしろい出来事でした。

前だったら、不採用になったこと自体に落ち込んだと思います。でも、今は自分の状況を把握しているから、自分という存在と相手の求めている存在とが合致しなかっただけだとわかります。この“自分の状況を把握する”ということは、ロルフィングのセッションを通じて自分の心身に耳を傾けるようになったからこそ、出来るようになってきたことだと思います。こんな意外な場面にも効果を感じています。

・26日(土)アイススケートをしました。最後にやったのは30年近く前です。ほとんど未経験の動きに対して身体はどう対応していくのだろうと、興味深く思いながら滑りました。最初はスケート靴を履いてリンクまでの道を歩くだけでもすごく怖かったのですが(ブレードの不安定さが予想以上で、足をくじきそうだった)、最後にリンクを降りて再び陸上を歩いた時の感覚はすっかり落ち着いていて、どこに力を置くと安定するかが把握できていることに驚きました。わずか30分ほどの滑走でしたが、身体は“薄いブレードの上でバランスをとる”という行為をすんなり受け入れて対応してくれました。

氷の上では終始手すりにつかまっている状態でしたが、30分間の最後の方では、太もものどの辺りの筋肉を使うと前に進めるのかとか、ブレードの内側を氷に接地させると安定するとか、氷上を前進する時の効率的な動きが自分なりにつかめてきました。最初は、普段テレビでよく見るフィギュアスケーターの動きを思い出してみたり、リンク内の上手なお客さんの動きを見たりしてコツをつかもうと思っていました。でも視覚で外から見るよりもどんどん自分の身体を動かして、内側から要領を得ていく方が早く上達すると感じました。短い時間では滑りを楽しく感じるまでには至らなかったけど、やり慣れてない動きや未体験の動きを身体に課してみることはおもしろいことでした。

それと、この日は久々に自転車に乗ったのですが、片道10分弱なのにとてもしんどく感じました。このところ、身体を動かすことが億劫だし疲れやすさがあります。度重なる過食が身体を重くしていることが原因なのではないかと思います。

・27日(日)ここ数日は比較的落ち着いていた食欲が、昨日は朝から旺盛で、夜も遅い時間にたくさん食べました。そしていつもよりだいぶ少ない睡眠時間(2時間程度)で迎えた今朝、胃腸には何も不快感がありませんでした。9〜10月は顕著にあった腸の滞り感は、今ほとんどありません。回復の速さが継続していると思います。

11月に断食をする前は、“食べ過ぎた翌日の日中は食事をせずに胃を休める”という時間を取っていたのですがこの頃はそれがなく、胃が空になっていなくても何か食べたくなります。多分胃腸の回復速度が上がったからなのでしょうが、もう少し休めてあげたいところです。

朝、階段の昇降で左膝に強めの痛みを感じました。しかしそこで、痛みだけに注意を向けて意識を痛みでいっぱいにするのではなく、左膝に注がれそうな意識を拡大して「その時身体全体としてはどう動き、どう機能するのか」を感じながら歩くようにしました。すると、痛みが散った?というのか、左膝だけにフォーカスしていた時よりも痛みが軽くなるのを感じました。

テレビを見ている間に、ヨガの安定坐法で畳に座り、身体全体のバランスを味わったり、各部の声に耳を傾けたりしていました。身体の中心に正中線を引き、全体がちょうどいい場所に落ち着くようにすこしずつ調整をします。正中線は、透明で質感は軽いイメージです。固定された硬質な軸ではなく、あくまでガイドラインです。その時間は、気持ちのいいものでした。心身ともに元気な方に向かっていく感覚で、なんだかうっすらとよろこびのようなものを感じました。身体に耳を傾ける機会をこまめにとろうと思いました。

・28日(月)昨夜から右腰が痛むようになりました。10回目のセッションの時から、身体が右側に傾いている・反っている・曲がっているような体感がずっとあります。姿勢が真っ直ぐでなく、三日月になったような感覚です。右体側が縮まっているからだろうか?と思い、折に触れて伸ばすようにしているのですが、1ヶ月経った今でも変わりません。この右腰の痛みは、その曲がった姿勢のひずみが痛みとなって顕われたからかもしれません。

そして、身体が窮屈な感じがします。なぜか「自分の意識が、自分が心地よくあることを許可していない」ようで、身体の動きが抑制・制限されている感じがするのです。時折ふっとそういう感覚になるのですが、今回は昨夜から今日にかけて結構長く続いています。そういう時はまずゆっくり大きく呼吸をすることで、内部からストレッチをするようにほぐします。空気をたくさん吸い込んで身体を膨らませ、固くなって縮こまった肉体を内側から押し拡げる感じです。そして、上述したように「許可されていない」という感覚を解くために「いいんだよ、ゆるめていいんだよ」と心の中で自分に声を掛けながら身体の緊張を取り、小さくなっている意識を拡げていきます。今朝は、まだ暗い空を見ながらそういったことをしていました。普段から昼夜問わず空を見るのが好きなのですが、先日お会いした方に「空は“広がり”を表します」と教えていただき、自然と広がりを求めていたのだなとわかりました。

・30(水)いま読んでいる本で「身体が痛むとか思い通りにならない部分に焦点を合わせるのではなく、既に健康体であるとイメージしてそのように振る舞う」という旨の記述を目にしました。「痛みにばかり目を向けない、プラスのメッセージを感じよう」と10回目のセッションで思ったのですが、それを継続しつつ、「ゆるやかなつながりを持ってまとまった、心地の良い身体です」というイメージで意識を満たすことをしてみようと思いました。

畳の上にヨガの安定座法(あぐら)で座って読書をしながら、先述のようにイメージし続けました。左膝に痛みを感じ始めてきたのですが、痛みのない心地の良い身体のイメージで意識を満たすことは続けました。身体は変わっていくのか、しばらく続けてみたいと思います。

・31(木)28(月)に「身体が窮屈な感じがする」と書きましたが、今日もその感覚はあります。自分で自分の心身に外圧をかけているいうな感じです。のびのびと楽しく在ることを、自分に許可していない感じ。なので、先日のように大きく呼吸をして身体を内側から押し拡げ、心の中で大丈夫だよ・いいんだよと緊張を解くような言葉を自分にかけるようにしています。それと、心地よく気持ちいい身体になったイメージをはっきりと浮かべることもしています。フィギュアスケート選手が試合前にウォームアップしている映像をよくテレビで観るのですが、その時の脚の筋肉がとてもしなやかで美しいので、そのイメージをいつも思い浮かべます。“自分の身体も既にそうなっている”というイメージです。

昨夜テレビで、ラグビー日本代表のメンタルコーチのお話を聴きました。キックの成功率を上げるために、蹴る前のルーティン動作を選手とともに考案したという内容です。その方は「頭で考えたことを、書いて文字にして形にすることが大事」とおっしゃっていて、ルーティンを作っていく中でその動作を文章として書き出すよう選手に促す様子が紹介されていました。それは、まさに私もこのレポートを書くことで実践していることです。

コーチの方いわく、選手が「自分は目に見えないことは信じない。だからメンタルコーチなんて要らない」という考えだったため、「いやいやそんなことはないよ、見ることが出来るんだよ」ということを示すために、動作をノートに書いて可視化する作業を課したとのことでした。私の場合は、感じたことを言葉で表していく過程こそが自分の身体を理解する手助けになっていて、“目で見えること”にはそんなに意義を感じません。ただ、やはり感覚を言葉に置き換えていくことは有効なことだと改めて思いました。

1ヶ月分の記録を全部読み返してみました。2日(水)で「『受け取ったサインは良い悪いに分類せず、すべて同じひとつの情報としてとらえる』ことなのかなとも思っています。じゃないと、痛みがあるという事実を無いものにしてしまう気がするのです。」と書いていたのですが、12/31の自分は「痛みがあるという事実は無いものにしていいんじゃないか?」と思っています。それは、30日(水)にも書きましたが、いま読んでいる本で「痛みを知覚していると、その通りの身体になる。既に私の身体は気持ちのよい身体であるイメージすることです」という旨の文章を読んだからです。イメージで身体を変えるなんて現実的でないのかもしれませんが、でも意識の力は大きいと私は思います。これからどうやってこの身体で生きていくのか、意識はこの身体をどう見つめていくのか、いろいろ変遷していくと思うので、その観察を続けていきたいと思います。

 

【2016年1月】

・1日(金)

大晦日の夜に食べたものが、いつもより少し重めに胃に残っているのを感じます。

でも、身体に耳を傾けてみると、全体としては悪くない状態だと思いました。

歩きながらセンサーを身体中に巡らせてみたのですが、ずっと感じていた右側への反り・傾きの感覚が今朝はありません。痛むところもありません。

いい意味で手ごたえがない、といった感じです。物足りなささえ感じるような、すんなりとしてフラットな体感です。

これが本来の在り方なのかもしれません。自然な感じがして気持ちよいです。

 

・2日(土)

落ち着かないような、ざわめくような感じがありました。

身体が発しているものなのか、心のことなのか特定が出来なかったのですが、その時私は畳の上にヨガの安定座法で座り、背骨を頭頂から吊られるような感覚で伸ばし、といったふうに体勢を心地いいポジションへ整えることを始めました。

こういったなんだか落ち着かないという時に、心ではなく、身体からのアプローチを無意識に選択していた自分にすこし驚きました。身体を整えることで対処しよう、と自然に思ったのです。

実際、ちょうどよく気持ちいいと思える場所に身体を調整し直して、しばらく瞑想のように静止していたら、不快感が取れていくのを感じました。

 

今日も「思考が身体に緊張を強いている・のびのびゆったり在ることを許可していない」という感覚がありました。

いつも臨戦態勢というか、常に攻撃に備えてすぐ動けるように待機し、身体が緩むことを心が許していない、という感じです。

自覚している原因としては、同居している家族とうまくいっておらず相手に対して恐怖心を持っていることだと思います。

力が入っているせいか珍しく腰が痛く、心の痛みが身体の痛みにもなっていることを感じました。心的要因が、こんなにも身体へ影響するのかと驚きました。

 

・6日(水)

2日(土)にも書いたように、「思考が、身体にのびのび生きることを許可していない」という感覚が続いています。筋肉が縮こまってしまうのと、呼吸が浅くなるということを特に感じます。

 

でも、「前はずっと続いていた後頭部や首の痛み、この頃全然感じないな。まぶたや頬の痙攣も、もうずっと起きてない」ということをふと思いました。

身体は、セッションを受ける前とは確実に変わっているのだということを改めて実感しました。とてもうれしく、ありがたく思います。

 

・9日(土)

就寝時に、身体がムズムズとくすぐったくなり、じっとしていられないという現象が起こりました。この2,3日、こういった状態が続いています。

解決するべく、身体のどこがくすぐったいのか特定しようとするのですが、じっとしているとムズムズがやって来て耐え切れず、うまくつかめません。

それでももう少し身体に耳を傾けてみると、背中、特に腰付近が発信源のように感じられました。

その辺りの部位を伸ばすためにストレッチをすると、部分によっては痛みがあり、だいぶ固くなっていたことに気づきました。

そして、痛みや固さが取れるまでひとしきりストレッチをしたあとはかなりくすぐったさが減少しました。

今回のことは、運動不足が原因ではないかと自分では思います。身体に滞留したエネルギーが出口を求めてグルグルとうごめいていた結果、ムズムズが起こったのではと思うのです。

ヨガもよいですがもっとアクティブな運動、もしくは運動でなくても抑制されて出られないエネルギーを解放するようなアクティビティが必要なのだと身体が教えてくれているように感じます。

 

・15日(金)

床に座って読書をしている際、左脚全体(左臀部を含む)に違和感がありました。

何度座り直してもしっくり在れるポイントが見つからないまま、1時間ぐらいその体勢を続けました。

 

・16日(土)

左臀部と左後頭部にかなり強い痛みが出ました。

左臀部は、ヨガのポーズやストレッチをするなどして伸ばしたらだいぶ痛みが減りました。

左後頭部は、首のストレッチや指圧をしても痛みは長く続きました。首のうしろ、左肩がとても固くなっていました。

それと、左頬骨に痙攣の一歩手前のような感覚がありました。疼くような、微動しているような感じです。

昨日の左脚の違和感から始まった一連の痛み、何がきっかけになっているのかはわかりません。

最近は無かったことなのでわりと突然のことのように思えるけれど、実は日々のバランスの崩れが積み重なったものなのかもしれません。

毎日の暮らしの中で、ことあるごとに身体が気持ちよくバランスするポイントを探していますが、気づかないズレがあるのかなと思いました。

 

・17日(日)

朝の時点では、頬骨の疼きはまだありますが後頭部と臀部の痛みはありませんでした。

しかし午後になると左後頭部がかなり痛み、親指の腹で指圧することでしのぎました。

(セッション前に頂いた注意書きに、終了後半年は指圧などはあまりおすすめしないとあったので、なるべく深い圧は掛けないようにしました)

 

・18日(月)

朝は左肩が固くなっているのを感じましたが、痛みはありません。

痛いところがあるとそこばかりに注意が向いてしまいますが、意識を大きく拡げて全体のバランスを感じていこうと思います。

 

・19日(火)

ヨガのクラスに行きました。

屍のポーズの際、身体が真っ直ぐでないような感じがして、何度も目視で確認しつつ体勢を調整したのですが、落ち着けるポジションが見つけられませんでした。

 

今の生活の中で体を動かす機会は、この週1回のヨガだけです。

食事を摂るなど、インプットするばかりなので、滞留したエネルギーを開放することが必要だな、とヨガの後はいつも思います。

ヨガで身体を伸ばすと、体内で抑圧されて滞ったものが溶け出していくような感じがします。

 

・20日(水)

うつ伏せで寝そべっていたら、なんだか身体が曲がっているような感覚がありました。

今日は目視をせず、体感だけで調整を試みました。

右に身体を反らしたら“骨格がハマった”という感じで構造的には真っ直ぐになったのかなという感じがしたのですが、でもどうも曲がっている感じがして心地いい体勢ではありませんでした。

 

昨日今日と、自分が心地よくいられるポジションに関して、すこし混乱が生じています。

ただ、近視眼的にものを見て一喜一憂するのでなく、長いタームで、1日1日がプロセスの最中であるととらえて、ゆったりと揺れながら気持ちいい場所を探していきたいと思います。

10 シリーズ終了後,半年経過

 

半年を経たいま、大きな変化は感じませんが、知覚が捉えきれていないだけで実際は静かに着実に、気持ちのいい身体へと変わり続けているような感覚もあります。

目標を失ってぼんやりだらけていたひとつひとつの細胞が、堅固な意志を持って目覚め始めたような感じです。

意識にははっきりとのぼって来ないけれど、確実に効果が身体に浸透しているように思えます。

先日パソコンを使っている時にふと、ロルフィングってOSみたいなものかも、と思いました。

アプリが快適に作動しているのはバックグラウンドでOSが動いてくれているからですが、ロルフィングの効果というのは、そんなふうに見えない・気づかない領域で、でもしっかりと身体の快適さを支えてくれているのだなと感じたからです。

 

施術していただいて一番はっきり感じた変化は後頭部〜首〜肩の痛みが少なくなったことなのですが、その軽さは半年経った今も継続しています。

以前は1ヶ月のうちで「あぁ、マッサージに行きたいなぁ」と思うことが何度もあったのですが、今はそういったことがなくなりました。

 

左膝に20年近く痛みがあるのですが、こちらは今も痛いままです。

痛むのが怖くて意識がそこばかりにフォーカスしているからなのかなと思います。

一部にこだわるのではなく、全体性を感じて身体全体を機能させようとする動きが必要なのかなと思います。

身体の各部を個人、身体全体をチームに例えるなら、個をどうにかしようとせずにチームワークで連携して動こう、そんな感覚です。

この全体性という意識や、全体をバランスさせるという感覚は、田畑さんとのセッションを通じて初めて気づくことが出来た、大切なものです。

 

変化は、ヨガをしている時にも感じます。

ポーズをとっている時など、以前より身体の状態がクリアに伝わってくるのです。

身体が純化されて、知覚と身体を隔てていた靄がとれたような感覚です。

ぼんやりしていた細胞が目覚め始めたと先述しましたが、ヨガ中もそれを感じます。

 

歩く時や座っている時には、身体の中心線をイメージしています。イメージしているというより、自然と想起されます。

これもロルフィングの施術をしていただいてから出てきた感覚で、今も続いています。

中心を感じることで、安定感と心地よいバランスが得られて、疲れにくくなったと感じます。

 

以前からレポート中で何度も、過剰な食事量が気になっている旨を書いてきましたが、現在もそれは続いています。

ちょうどいい食事量を身につけようと、固形物を摂らずに過ごすファスティングを、3月に1週間行いました。

終了後の身体はとても軽く感じられました。

他にも、

・左膝の痛みが消えたこと(通常食に戻して10日目くらいまで無痛状態が持続)

・ロルフィングで痛みが軽減した肩周りに、さらなる軽さが感じられたこと

・月経期間が通常の1.5倍くらい長引いたこと(ファスティングは老廃物の排出を促進すると言われていますが、その影響か?)

など、わりとはっきりとした変化を感じました。

それらはとてもうれしいことでしたが、そうした喜びを実際に体験したにも関わらず、過食する日が今でも多々あります。

その原因を突き止めて、ちょうどいい食事量で過ごしていきたいので、これからも食べるにまつわることを観察していきます。

 

最初、ロルフィングが作用する領域は身体的なことだけなのかなと思っていましたが、心の面にも変化をもたらしてくれたように思えます。

というのは、3月か4月あたりから、外的刺激にあまり影響を受けず落ち着いていられるようになったと感じるのです。身体が気持ちよく動くようになったことで、心に余裕が出来たのかなと思います。

それと、ものごとを悲観的に見る傾向が少なくなりつつあります。

シリーズの後半に田畑さんがくださった言葉「マイナスだけでなく、プラスの情報もあるはずですよ」が効いているのだと思います。それとこのレポートの最初の方に「痛みにフォーカスしない」と書きましたが、ロルフィングを通じて得たこの意識も活きているのだと思います。

生意気な意見ですが、ロルフィングがどれだけよく作用するかは、ロルファーの技術だけではなく、人柄も大きく関わっているように思います。

田畑さんが毎回丁寧に接してくださったことや、情報は必要最低限にとどめてクライアント自身の感じる力を大切にする姿勢などが、直接身体に触れる手技と同じくらい、私によい効果を与えてくださったと感じています。

 

10代の頃からずっと、自分は心が不安定だと感じていて、それをよくしようといろいろと試してきました。

それは本を読むだったり、人に会って話を聴くだったり、旅をして見聞を広めるだったり様々ですが、いずれも精神面からのアプローチでした。心の問題は心で解決するという方法しか浮かばなかったからです。

でも、ソトコトで田畑さんの寄稿を拝読して「ロルフィングで身体を直してみたい」と思いたったことで、とてもおもしろい体験と経験ができました。

身体のことを考えたり感じたりしていた結果気づけば心も変わっていたし、身体から心へアクセスする手段があることを知りました。

 

また、身体のように物理的なことだけでなく、もともと興味のあった領域である“目に見えないこと”も、これからはもっと学んでみたいです。

まずは、精神科医が直接講義してくださるメンタルセラピー講座への参加を予定しているのと、エネルギーワークの講座にも行くつもりです。

そういったことと、今回ロルフィングで得た感覚やヨガのような、身体からの感覚が融け合っていくと、おもしろい発見があるように思えます。

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