ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

月別: 2026年4月

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(5/10)

行きの電車で、宇多田ヒカルなど、日本の音楽を聴きながら千代田線を待つ。ホームの向かいに座っていた男性の存在が、なぜか強く印象に残った。整った容貌というだけでなく、口元、とりわけ私から見て右側にわずかな緊張が見て取れた。その噛みしめるような表情に、どこか色気を感じる自分がいる。同時に、その緊張を崩したくなるような衝動が、ある種のサディスティックな傾向、あるいは父親像への複雑な感情の投影が立ち上がることにも気づいている。

開始まで少し時間があったため、近くのジューススタンドに入る。そこでのやり取りに、軽い苛立ちを覚えた。持ち帰り用カップで店内利用を希望した際、店員の応対は一貫せず、判断が宙吊りにされたような状態が続いた。些細な出来事ではあるけれど、その曖昧さが神経に触れたのだと思う。

まず、今回のセッションがとても強い印象をでした。

いつも通りの写真撮影から始まるが、このプロセスに対する感情はすでにほとんど中性化している。

施術は仰向けから始まる。横たわった直後から、身体が重力に明確に引き込まれていく感覚があった。その中で、特定の女友達のイメージが浮かび、やがて「女性一般」に対する苛立ちへと広がっていく。とりわけ、いわゆる「ぶりっ子」とされる振る舞いに対する嫌悪が際立っていたのが、自分でも興味深い。同時に、その反応が、かつて自分がそう振る舞うことを抑えてきた感覚。ぶりっ子であることを許されなかった、あるいは自ら禁じてきた側面を彼女たちに投影しているのではないか、という可能性にも思い至る。

施術の途中、腹部周辺だっただろうか正確な部位は曖昧だが触れられている最中に、「誰かに自分を預けることができない」という感覚が不意に立ち上がる。それは身体的な意味でも、心理的な意味でも同時に作用していたように思う。その瞬間、軽い悲しみが込み上げ、自然に涙が出た。田畑さんから「できていますよ」と言葉をかけられたとき、奇妙な安堵と嬉しさがあった。

細部の記憶は曖昧だけれど、片脚ずつ伸ばすような動きがあったことは覚えている。その際にも何らかの気づきがあったはずだが、内容はうまく思い出せない。

呼吸の変化は特に印象的だった。これまでにないほど、呼吸が容易で、深く、抵抗なく行われる感覚がある。吸うときに、下腹部、いわゆる丹田と呼ばれる領域へ呼吸を「届ける」ようなイメージ、さらに仙骨がわずかに前傾する感覚を伴わせるよう、田畑さんから示唆を受けた。このイメージは、身体の内部構造を静かに組み替えていくような手応えがあった。

一連の「見守り」の時間が終わり、座る時間へと移る。ここで、自分がいわゆるパニック傾向を持っていることについて話した。私の場合、呼吸に意識を向けることが引き金になることがある。しかし今回、呼吸があまりにも自然に深まるため、逆に「パニックになるのではないか」という予期が立ち上がる。けれど実際には発作は起こらない。その結果、「起こるはずのものが起こらない」ことに対して、別の不安、いわばメタレベルのパニックが生じかけた。ただ、それも現実の発作には至らなかった。

田畑さんのコメントとして印象に残っているのは、「大腰筋から脚へ」というイメージ。大腰筋が動くことで内臓の動きにも良い影響があること、さらに階段の上り下りが楽になるという話もあった。実際、帰り道でその変化は体感された。

また、丹田と感じられる領域をそのまま下へ落とすようなイメージでしゃがむ練習をしたとき、身体の使い方に関する新たな手がかりを掴んだように感じた。

帰りの電車では、本来は明治神宮前で乗り換えるところを誤って渋谷で降りることになった。渋谷に降り立った瞬間、言葉にしにくい違和感があった。その感覚を辿ると、幼少期に父親に連れられて通っていた西野流呼吸法の記憶へとつながる。その施設が渋谷にあったため、この場所自体が無意識のうちに避けたい場所として残っているのだと気づいた。過去の経験が、今の身体感覚や情動に静かに影響し続けていることを、あらためて実感した。

後頭部の違和感 

呼吸

北陸にお住まいのTさんは、年に2,3回個人セッションにお見えになります。今回はセッションのみの用事でお越しになったとのことでした。以下レポートを御本人の許可を得て転載させて頂きます。


今回はとにかく呼吸でした。 呼吸することを当たり前過ぎて気がつきもしない呼吸、 それをみるように大きく吸い込む、吐くを繰り返していました。
 初めは大きな呼吸のリズムに 驚きましたが、次第に快適になっていきました。 呼吸することで、体内の空間が 照らされ、いつも感じている違和感のある部位が膨らんでいくような感覚、 癒着が剥がれていく感じがありました。 
その新しい膨らみに行き止まりを感じていた時 田畑さんのやさしいタッチで行き止まっていた 辺りの鳩尾の固まりが数回ひっくり返るような感じがあり、呼吸が通り、いき渡るような感覚がありました。 
 身体は、呼吸することで身体を調えているのでしょうか、普段、当たり前に呼吸していることを忘れがちですが 呼吸していることで生きて生かされているのかと、呼吸の深さ、大切さを思い知ったようにも思っています。
 大きい呼吸と田畑さんの全く圧を感じない数回のタッチで胸上部の気道が忙しく動き、尾骨から首の頸椎まで振動しながら、通った感覚がありました。 潰れたホースに水が通っていくように。 呼吸が通ることで体内の空間が変わった、動く、調整される、ということか、。 

数日経ち、 セッション前と変わりなく過ごしていますが、 胸上部辺り、背中全体が、身体全体も軽く 身体って、こんなにさっぱりと軽いのか、 と時折、ふと感じます。 呼吸は体内のパトロール隊か、 と思うと可笑しくなったりしています。


 長年違和感が拭えなかった後頭部が 静かになりました。 雑音が消えたように静かです。 音として聴いていたわけではありませんが、 細かい振動音が消えた、ように静かです。 様子見しながら過ごしたいと思います。 今日も静かです。

セラピストHさんへのロルフィング10シリーズ(4/10)

本来であれば当日中に記述すべきところ、今回は書き留めることを失念し、気づけば一日以上が経過していた。もともと私の記憶は時間の経過とともに容易に散逸する傾向があるため、この遅延は体験の輪郭をさらに曖昧なものにしている。それでもなお、残存している断片を手繰り寄せながら記述を試みる。

その日は雨だった。代官山駅からスタジオへ向かう途中、セブンイレブンに立ち寄り、サーモンのおにぎりと水を購入する。イートインスペースで短く時間を調整し、ほぼ定刻にスタジオへ到着した。この一連の行為は、もはや反復の中で身体化されつつあり、特段の意識的努力を要さない。

到着後は、これまでと同様の流れで準備が進む。着替え、用足し、そして写真撮影。正面、側面、背面と、複数の角度から身体が記録される。この撮影行為自体に対する感情は依然として複雑であるが、施術後にそれらの写真をもとに言葉が添えられる時間は、理解の完全性とは別の次元で、静かな喜びを伴っている。

施術は、今回も複数の体位において進行し、それぞれに「ミマモリタイム」(と私が呼んでいるもの)が含まれていた。印象的だったのは、各体位において身体が落ち着くまでの時間が、これまでよりも長く感じられたことである。それに呼応するかのように、内的な世界は持続的にざわめいており、静止することなく何かしらの思考やイメージが生成され続けていた。

施術後、いつものように歩行や座位の確認を行う。座った際の感覚について、「安定がやや乏しい」と伝えたところ、田畑さんは即座に対応し、あぐらをかいた膝の下あたりに手を添えた。その介入は極めて最小限でありながら、驚くほど即時的に安定感が立ち現れた。この変化の即効性と明確さは、依然として私にとって不思議な現象として知覚される。

さらに、「座る角度を少し変えて観察してみてください」との提案を受け、いくつかの方向で試みる。すると、わずかな向きの違いによって、座位の質としか言いようのないものが明確に変化することが体感された。単なる「安定/不安定」という二分では捉えきれない、微細な差異の存在が浮かび上がる。

対話の内容については詳細な再現が難しいが、「ゆっくり進めること」の重要性に触れられた記憶がある。

セッション終了後の対話の時間において、これまでよりもわずかに田畑さんとの距離が縮まったような感覚があった。

私は田畑さんが好きです。

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén