正直なところ、今回はほとんど記憶が残っていない。回を重ねるごとに、田畑さんのもとを訪れているという出来事そのものの記憶が希薄になっていく一方で、それとは逆行するかのように、身体との接続はむしろ明瞭になっているように感じられる。この反比例的な関係が、私にとっては興味深く、同時にどこか不可思議でもある。

この日は、うつ伏せの姿勢から始まり、その後仰向けへと移行する、比較的シンプルな構成だった。全体として強い印象を伴う場面は少なく、いわば「何も起きていない」ような静かな時間として記憶されている。

しかし、私の中ではひとつの感覚的な仮説が形づくられつつある。それは、「記憶に残らないほど、プロセスはうまく進んでいるのではないか」というものである。意識的に把握できる出来事が少ないほど、身体のレベルでは何かが円滑に進行しているのではないか、という感覚だ。

そのため、施術中はなるべく思考を働かせず、理解しようとする衝動を手放しておきたいという気持ちが自然と生まれている。何かを捉えようとするよりも、むしろ「通過させる」ような在り方のほうが、この体験においては適しているのかもしれない。