本来であれば当日中に記述すべきところ、今回は書き留めることを失念し、気づけば一日以上が経過していた。もともと私の記憶は時間の経過とともに容易に散逸する傾向があるため、この遅延は体験の輪郭をさらに曖昧なものにしている。それでもなお、残存している断片を手繰り寄せながら記述を試みる。

その日は雨だった。代官山駅からスタジオへ向かう途中、セブンイレブンに立ち寄り、サーモンのおにぎりと水を購入する。イートインスペースで短く時間を調整し、ほぼ定刻にスタジオへ到着した。この一連の行為は、もはや反復の中で身体化されつつあり、特段の意識的努力を要さない。

到着後は、これまでと同様の流れで準備が進む。着替え、用足し、そして写真撮影。正面、側面、背面と、複数の角度から身体が記録される。この撮影行為自体に対する感情は依然として複雑であるが、施術後にそれらの写真をもとに言葉が添えられる時間は、理解の完全性とは別の次元で、静かな喜びを伴っている。

施術は、今回も複数の体位において進行し、それぞれに「ミマモリタイム」(と私が呼んでいるもの)が含まれていた。印象的だったのは、各体位において身体が落ち着くまでの時間が、これまでよりも長く感じられたことである。それに呼応するかのように、内的な世界は持続的にざわめいており、静止することなく何かしらの思考やイメージが生成され続けていた。

施術後、いつものように歩行や座位の確認を行う。座った際の感覚について、「安定がやや乏しい」と伝えたところ、田畑さんは即座に対応し、あぐらをかいた膝の下あたりに手を添えた。その介入は極めて最小限でありながら、驚くほど即時的に安定感が立ち現れた。この変化の即効性と明確さは、依然として私にとって不思議な現象として知覚される。

さらに、「座る角度を少し変えて観察してみてください」との提案を受け、いくつかの方向で試みる。すると、わずかな向きの違いによって、座位の質としか言いようのないものが明確に変化することが体感された。単なる「安定/不安定」という二分では捉えきれない、微細な差異の存在が浮かび上がる。

対話の内容については詳細な再現が難しいが、「ゆっくり進めること」の重要性に触れられた記憶がある。

セッション終了後の対話の時間において、これまでよりもわずかに田畑さんとの距離が縮まったような感覚があった。

私は田畑さんが好きです。