全体を統合するセッション

いつも通り、4方向の写真を撮ってもらい、歩く。自然と手が振れるようになった。意識せず歩くことで、腕がフワッ、フワッと動く。
ベッドに仰向けで寝る。立ち位置を聞かれる。左後方、左前方。左後方が落ち着く気がする。
左膝にタッチされる。今までで一番、触れられた感じがする。足裏に凹んだボールでホールドされた。すると、とても安心した。
その前にお腹にタッチされる。ほんの少ししか触れられていないのに、手が離れても、タッチの感触が続いていた。
いつも左側のセッションの方が長く感じられるが、今日は右側も同じく感じられた。右膝の外側上部に、強くタッチされたのが感じられた。
両膝を立てて、もも裏に布越しにcs60の摩擦。腿がぎゅっと強くなったような感覚。
ベッドに腰掛けて座る。今回は意識が飛んで、寝落ちしてしまったようなので、全体がぼんやりとしてしまった。
最後の写真を撮ってもらい、歩く。
セッション後、1回目の写真と今回を見比べる。明らかに伸びやかになっている。

セッション後すぐに、ピアノリサイタルに行ったので、その印象が大きくて、セッションの細かい内容が上書きされてしまったようだが、ピアノの音色を聴いていると、身体の中の感覚がどんどん拡大されていって、身体全体で音を聴いているような感覚になっていった。
自分の中に、今まで会ったこともないような、別人格が登場して、ピアニストに対していろいろ言う。目をつぶると、作曲された時代にタイムスリップしたかのようにその当時の映像が浮かんでくる。まるで今、その場にいるかのようだ。いったい私は誰なんだ、、、、?そして今、ピアニストに話しかけている人は、、、???18世紀のヨーロッパ、、、??
音の広がりと流れとリズム。次々と変化していく音の波の中に、半分意識があるような、ないような、、、ゆらいでいる。身体もあるような、ないような、音の意識だけの感覚を味わう。ふわふわと、たゆたう。この感覚はセッション後の体の変化なのだと感じていた。

「身体の準備ができていれば、それに見合った変化が起きる」
セッション後の私の質問に田畑さんが答えて下さった言葉だ。、、今私に起きている身体の変化は、なるべくしてなっている変化なのだと、それは身体の準備ができている、ということだ。身体の準備ができている、という事はこれから有るであろう様々な変化を乗り越えることができる、という事だ。
今までは、起きてくる様々な出来事に対処するのが精一杯なところがあって、次々といろいろあるのが、大変だなぁと思っていた。
だけど、自分に起こる様々な出来事は、外からやってくるのではなくて、ある程度、自分でコントロールできるんじゃないのか、と思った。引き寄せ、ていう言葉があるけど、自分の精神状態がそれに見合う出来事を引き寄せる、と理解しているけどそれは本当なんだな、と頭でなく、身体で理解できた気がした。
外から来ることに受動的に対処する、のではなくて、内からの欲求で、能動的に進んでいっていて、それに伴ったプロセスが変化となって現れていく、、、ていう事だ。きっと。

10シリーズを終えて、1番の変化は、物事を俯瞰して見れるようになった事だと思う。深刻にならないで、距離感を持っていられる。あれも、これもと罪悪感があったのが、だいぶ薄れた感じだ。これは私にとって、ものすごく大きい事だ。生きることが少し気楽になれたと思うし、楽しんでいいだ、と思えるようにもなった。
そして、身体が底上げされたような、少し体力もついたかも、と思える。休むときは休む選択もできるようになった。いつも気になっていた、左の肩甲骨の痛みが和らいでいるし、身の回りを整えようということに目が向いている。今までずっと気になっていて、やる気が出ないでいた事だった。
身体が整うと身の回りも整えたくなるんだな、と当たり前かもしれないけど、身をもって感じている。

4月からだいたい4ヶ月間のセッションでした。毎回、自分と身体と深く向き合う時間でした。4ヶ月でこれだけ変化を感じることができて、感謝しています。人生の大きな節目になったと思っています。ありがとうございました。