ベーシック10の最終日、最後の写真を見た時に、自分の躰が「塔」のように見えた。閃いた言葉はエッフェル塔。二等辺三角形の頂点に頭がのっかっているように見えた。まとまっている印象です。
いつも写真をとっていただく時は、脱力した状態で臨むのに、施術後はピシッと決まった感じで写る自分の姿に驚かされますが、最終日の施術後の写真には感動しました。
セッション1の施術前の写真と最終日の施術後の写真のなんと違うこと。
セッション1の施術前は、見るからにグチャグチャの印象で、身体の各部位は、「自由」というのではなく、方向性がバラバラ、顔も歪んでいる。おまけに髪の毛もグチャグチャだったので、全体的にひどい印象。心も荒れていそうな印象。
最終の写真では、顔も小さくなっていて、リフトアップしていた。整った印象で、精神も落ち着いているんじゃないか? という雰囲気がでており、
ついでに、腰の位置も上に上がって、身体全体が上に引き上げられた感じになりました。
前回の、セッション9の後、膝に抱えていた痛みは全くなくなり、右の首と肩の痛みや緊張に気が付いてもすぐほぐれるという状態でしたが、施術後一週間経った頃に、左の肩から肩甲骨にかけてが、セメントのように固まって重いと感じるが日があり、身体が左に引っ張られている気がしました。
左半身の痛みに身体が引っ張れている感覚は、身体が左へ傾いてしまうんじゃないだろうか? ベーシック10のコースが終わるというのに、せっかくいい感じになったバランスが崩れてしまうのでは? と不安になった。が、
セッション10の施術後に、田畑先生が「自分で自分を治せるようになります」とおっしゃってくださったので、安心しました。
自分で自分を調整できるって便利だ。
しかし、ヤバいと思ったら施術していただこうと思います。
ベーシック10を受けていて、毎回、色々と印象深い内容の施術が多々あって、、、
その内容を、1回目、2回目は、施術の内容と、その時々の身体の反応や意識の変化を覚えていたのに、3回目になったくらいから、施術後、これがすごかった! あれがスゴかった! と心の中はカーニバル状態で帰宅するも、
さあ施術の内容を書きだそうという段になると、すっかり忘れている、ということが続きました。
年齢とともにすすむ健忘症か? という気もするのですが、施術によって、身体がごっそり変わってしまうことで、身体にあった痛みや不快感についての記憶もごっそり消えてしまうのでは? という解釈を、言い訳風だけど、採用することにしました。実際、身体の仕組みや、身体ネットワークがあるなら、その連結方法、身体の各部位の立地条件や、その動きのコンセプトも毎回変化したように感じました。
例えば、歩くということ1つとっても、両脚と足の裏くらいで歩いていると感じていたのに、セッション3くらいで、上半身と連動して右、左と動いて推進していくような···またセッションが進んでいく中で統一感がとれていったり、頭まで連動して動く感じとか、変化していったのです。
身体収の変化が激しくて、それにプラスして頭部も施術を受けるので、脳がつくりだした妄想的な不快感の記憶などもごっそり消えてしったのではないか? と思って忘れる自分を許しています。
とは言え、覚えていることもあります。
最終日、最後に、教わった極めつけに大切なこと。
呼吸は、横隔膜とお腹の両方に同時に入れてOKということです。
合唱の時には、お腹、普段は横隔膜、という風に分けて入れないといけないと思っていたので、セッション中に指示を受けた時に、コンセプト自体を理解できなくて、ガタピシと呼吸を入れることに手間取っていたのですが、
これは、すんなりできるように練習しながら毎日やっていきたいと思います。
あ、、、これを覚えているのは、この呼吸がまだすんなりできる身体に変化していないからなのでしょうか?
解釈に励むのは中断して、呼吸をすることにします。
この呼吸によって、胴体全体に酸素を行き渡らせることができて、肩の内側や腕にまで酸素が行き渡って膨らんで、凝りもとれる感じです。
施術を通して、身体の周り、頭の上や身体の横、脚の下に広がる空間も感じることができるようになりました。呼吸によって身体の内部に広がる空間も感じることができました。
歩くことも楽になりました。
なんというか、気をつけて歩かないと変な風に歩いているかも? と長年気にしていたのですが、脱力状態でも、自然に歩いていれば大丈夫だという気になり楽に歩けています。
窮屈な場所を脱出して広々とした空間に出て晴天を楽しんでいるという感じ。
そして、雨や曇りもゆったりとあたたかくして楽しめる感じです。
ありがとうございました。
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