ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

投稿者: rolfinger Page 17 of 33

心身を根本から見直す必要を感じて セッション11 (Mさん)

セッション11回目

田畑さんと対峙すると、私は毎回ただただ‘無’になる。セッション台に体を横たえて目を閉じると、始まりがどこで、終わりがどこなのか、またそれさえもあるのかないのかわからない、広大ななにかを覗き見る感覚が、すっ、とやってくる。ひたすら‘無’となった自分は、ずっとあるがままで、やがてそのなかにどっぷりと浸りだす。

その感覚に戻りたくてしょうがなかった。やっと戻ってくることができて、今回はかなり気分が高揚していたように思う。

‐顔を左に向けて目を閉じていると、浮かんできたのは海のイメージ。見た瞬間に、わっ、と心奪われる、青の色。深みがあるけれど重くなく、言葉には表しがたい絶妙な色、その青が、波を思わせる、こちらもまた落ち着きがありながらも軽さも感じる、とても好ましい白、と層をなしている。私はその情景を目にするやいなや、体を伸ばすだけ伸ばして、元気いっぱいに泳ぎだす。泳ぎながら、その青と白の景色の質感が、これもまた自分の好きな感じ~高級な画用紙、高級なカンバス、のような、しっとりとして落ち着きの感じられる質感~であることに気づくと、体中にエネルギーがどんどん満ちてくる。気分は絶好調、言葉にすると、「よっしゃーっ!!」とでも例えることができそうなほど。

しばらくすると、今度はエメラルドグリーンの海の中を、海面に向けて思いっきり体を伸ばしながら昇っていく体感、幾つもの細かい泡の粒が立ちのぼっていたから、ダイビングでもしていたのだろうか。そのエメラルドグリーンの色を見た瞬間思い出したのは、高知県へと向かう旅の途中、ふと車窓に目をやったときに、思いもかけず視界に飛び込んできた川の色。そのなんともいえない美しい色に釘付けとなった、あの川の色とおんなじだ、と思いあたると、とてもさわやかで軽やかな気分に満たされる感じがした。

その後しばらくすると、こんどはおぼろげな島の姿が浮かんでくる。ぼんやりとした景色なのに、それを感じた瞬間、私は、‘あ、江の島だ’、と思う。子どものころ、海水浴といえば、江の島海岸だった。自分が子どもだった時の記憶は、写真でみる以外にないけれど、自分が親になってわが子を何度か連れていったときの記憶がよみがえる。最寄りの駅までの電車の中から、すでに海水浴気分の乗客たち、人々で溢れかえる砂浜、カラフルなパラソルの色、水着の色、砂の上をあるく足裏の感覚、お世辞にもきれいとはいえない海水の色、午後になると適度に波がでてきて、浮き輪をつけてその波と戯れる楽しさ。なにより、ふと視線を上げると、右前方にいつも江の島がいてくれることの、大きな安心感。

関西や日本海の、人の多さも適度で、透き通ってきれいな海も知っているわが子は「人が多すぎてうまく泳げないし、潜っても水が汚なくてなんにも見えないよ~」とよく言っていたけれど、私は「海水浴は、やっぱり江の島がいつも見えるところにいてくれる、江の島海岸が最高さ!」と思っている、そんな気持ちにずっと浸っていると、江の島の奥に、オレンジ色の夕焼けが水平に広がりだす。徐々に涙があふれてきて、少しだけ声をあげて泣いてしまうが、最後には笑みも浮かべていた。

そうこうするうちに、こんどは上体を起こそうとする動き。今回起こそうとする動作のときに、例えると、適当な厚みのあるバームクーヘンを4つ位に切って、左右は解放、上下のカーブだけが残っている形をしているものが目の前にあらわれる。私は、それを、なんだか橋のようだ、と感じている。その曲がりに沿って、その形の真ん中に、黒くて、弾力が感じられる、ゴムのような質感のものが集まってできたような物質、決して太くはないけれども、十分な太さと強度がある、とかんじられる1本のものがある。そのものが、私が起き上がろうとする方向に力強く安定感のある流れをつくっていて、起きようとする私は、その流れにそって自然と体を起こすことになる。10セッション中、体を起こす動きのとき、「体のどこにも力を入れていないのに、どうしてこんなことがスムーズにできるのだろうか」と、身体の不思議さにいつも驚かされていたけれど、今回のこの出来事に、「起き上がる動作は、自分ができるとか、やっている、ではなくて、そちらに流れがあるから、ただそちらに自然と移っていっているのだ」という気持ちになり、なんだか大きな発見をした気分であった。

起き上がって、セッション台に腰を下ろす。両腕を、肘からだっただろうか、後ろに引いて、肩甲骨を動かしているような動きをしながら、上半身を起こしたり、腰から前かがみになって広げた足の間にうずめていくことを交互にしている感覚。上半身を起こしているときには、ただ真っ白な情景がうかぶ。その白は、最初に出てきた波の白とは対照的に、無機質で、なんだかとても冷たい印象の白。両足を広げ、その間に上半身を倒していく動きの時には、ただ真っ黒な情景。のっぺらぼうな黒、なにも語りかけてくる気配のない色。

これらの動きを何度か繰り返したあと、上半身を起こしたままにしていると、目の前の情景は、上半分は白、下半分は黒、と真ん中から真っ二つにわかれたものとなる。その景色を目にしていると、涙があふれてきて、いや、そうじゃないんだ、これは違う、という強い気持ちが湧いてくる。涙を流しながら、どんどんとその気持ちが強くなっていき、涙とともに、こういう状況は払しょくするのだ、この情景とはきっぱりと決別する、という気持ちが、腹の中から湧き上がってきた。

田畑さんに促されて歩いてみると、上述の強い気持ちが歩みにそのまま乗り移ったかのようで、一歩一歩が力強く、腹のすわった歩みだな、と感じていた。

‐今回のセッションでは最初から最後まで、息を吐くことに重きを置いていたようで、途中、呼吸に意識が向くと、いつも深く息を吐いていた。10セッション中では、自分が呼吸をしているのか、していないのかがわからなくなって、‘ん、私は生きているのだろうか?’と、意識して息を吸ったり吐いたりして、大丈夫なことを確かめることが度々あったが、吐くことにここまで重きをおいていたのは初めてのことだった。

‐不思議だったのは、どのタイミングだったか、上体を起こして白い情景を目の前にしていたときに、何かの匂いを感じたこと。なんだろうか、としばらくその匂いを感じていると、それは、前のセッションルームで一度だけ感じたことのあったアロマ?の香りへと変化し、しばらくその匂いを感じていたが、すっと消えていった。

‐セッション後、自分の思いをただただ語ってしまった。帰途、山手線で品川に着く2,3駅手前で、マスクをしていないことにはっと気づいて慌ててしまった。その時点までセッションにすっかり浸りきっていたようであった。

‐セッション翌日からしばらく、首の右側、そこから少し下がった肩、背中のあたりが強烈に凝った感じだった。10セッションの時にもこのあたりが凝った感じはあったが、そのときよりもすこし範囲が狭まって、そのぶん凝った感じの強度がかなり増した感触。あ、ポイントはここなのだな、と身体に教えてもらったようで、なぜか、一緒に頑張ろう、と身体に自然と話しかけていた。

‐セッションから2週間後くらいに、左の鼻から出血、左鼻の奥から、血とともになにかが流れ落ちていった感じがした。

‐セッションから3週間後くらいに、椅子に座っていたら、腰の上に上半身がうまく乗って、体がぎゅんと上に伸びていくことを体感する。その少し前から、肋骨の下の線に沿って、腹側、背中側、左右体側とも、動きの自由度がかなり増していることを感じていた。それにともなって、着地面の足の安定感が一段と増した感じがする。

‐そのころみた夢。幾つか短い夢をまとめて見ていたようで、ごちゃごちゃとして、内容ははっきりと覚えていないのだが、結論として、「自分で決めこんで、だからこうなるんだ、と勝手に思っているだけなんだ、実際は、流れとしてこんなにうまく事が運んでくれるんだ」、という感想を持って目が覚めた。

‐最近、こころのバランスボードに乗ると、右足をおもいきり外側に開き、右肩をしばらくいろんな形で回してから、足を戻し、そのあと、両足の間隔を狭める動きをして、上方に伸びていく、というのが続いている。

‐5月の連休中に、小田和正さんのコンサートが放映されることにたまたま気づいて、最近聴いていないなあ、久しぶり、と思いながらチャンネルを合わせた。穏やかな表情で、自分の気持ちを素直に歌詞にして、それを音に乗せて、語りかけるかのようにすっと届けてくれている小田さんの歌声を、耳ではなく、身体が受け止めている気がして、なぜか涙が止まらなくなってしまった。

途中インタビューがあって、「自分はとにかく人と話をすることが嫌でしょうがなかったが、コンサートを続けているうちに、何故か歌いながら振りのようなことを思いもかけず自然としてしまって 、‘おれ、何してるんだ?!’と自分でも思うことがあったり、ふとステージから降りてみると、みんなの笑顔があふれていることに気が付いたりして…」自分が変わっていった、というようなことを、ほんとうに穏やかな表情で語っていた。学生の頃、解散間近か、といわれていたオフコースのコンサートを見にいって、ただただストイックに曲を重ねていく小田さんの姿がなんとなく思い出されて、ああ、あの頃はそうだったんだ、でも人はいくつになっても鮮やかに変わることができるんだ、と思わされ、その姿を今の自分に重ね合わせてしまったための涙、だったのかもしれない。

心身を根本から見直す必要を感じて 10シリーズ後 (Mさん)

‐1月下旬、散歩をしているときに、右側開腹手術のあたりがバリ、バリ、と音をたてることが数回続いていたのだが、最終的には、バリバリっとなにかが広範囲に剥がれた感触につながった。痛さなど何もなかったのだが、自分でも、え、これ、大丈夫かな、と思うほどの変化だった。

‐その数日後、横になっていた時に、右腰が思い切り後ろに引かれて、しばらくそこだけ違和感があったが、上述の変化とあいまって、右腰のあたりの自由度、特に上に伸びる感じがスムーズになったと感じる。

‐顔を左に向けると、左顎の下の首あたりがぼきぼき音を立てることが数回続き、その後日、左顎がずれた感覚があり、しばらくしてずれが戻ったかと思ったら、左耳の聴こえがよくなっていた。聴力検査をしてもいつも問題なし、となるのだが、なんだか薄皮一枚かかったような感じでいたのが取れてびっくりしている。

‐左足の甲がどんどん緩んでいることを感じる。それとともに、左足指の間隔が拡がり、足裏の着地感が増している。左脚は全体としてなにかがごにょごにょとうごめいている感じが続いている。

‐2月上旬に見た夢:大教室で田畑さんから講義を受けている。田畑さんが「ここで休憩を入れます」とおっしゃると、私は、「子どもを迎えに行かなくちゃ」と席を立つ。広場?のようなところで飛び回っている子どもを見つけ、こちらにくるように声をかけるが、一向に遊びをやめる気配がない。私は「またかぁ…」と思いつつ、しばらく様子を見ているが、あきらめたように自分の家?のような所へとかえっていく。そこには10セッション中に見た夢に出てきた、CGのような人?物?が複数人、長机に向かって座っている。私が「そのうち子どもが帰ってくると思うので、世話をお願いします」というと、皆うなずいてくれる。教室に戻ろうと思って振り返ると、そこに活発そうな女の子の笑い顔がアップになって目に入る。私は、‘あ、○○(自分の子供の名)じゃない’と一瞬思うけれども、何の違和感もなくその子を受け入れて、「やっと帰ってきた、さあ、授業にもどろう」と思って教室へと帰っていく。

‐3月上旬に見た夢:真夜中、どこの学校の校庭にもあるような手洗い場で、「うがい手洗いして、皆のところに帰ろう」と思って蛇口をひねろうとしていると、急に頭が右側に強くひねられる。だれかに触れられているような感覚はまったくない。私は頭をひねったまま、「殺される~」と思いながら覚醒する。目が覚めても、しばらくしっかりと右を向いたままでいた。殺される、と思っていたわりには、夢の中でも、目が覚めてからも怖さなど全く感じていない。起きてみると、右首と右肩の間にしっかりと余裕ができたように感じた。

‐その後数日たって、首を左に倒したときに右首のあたりで、なにかがボキっと外れたような感覚があり、それと同時に左膝内側にジンジンとした感じがおこり、意外なところ同士のつながりを大発見したかのようで、なんだか面白かった。

‐3月上旬に、急に尿の色が透明できれいなレモン色に変化する。一目ではっきりと変化を感じたほど。私は服薬したり、サプリ等も摂取していないし、なにか特別な食事をとった覚えもないので、体内でなにかしらの変化があったのだろうと思う。これは本当に凄いことだな、と感激している。

ご家族のサポートの合間を縫って遠方から

心の平安を求めて

認知症のご家族を介護中の方で、今一番自分が求めるものは「心の平安だ」ということにお気づきになられ、体を整えることで、心も整い、自分を取り巻く周りの状況も変わってくるのではないかという動機で10シリーズロルフィングを開始されました。

エネルギーワーカーで、イールドワーク習得中のYさん(10シリーズ)

身体機能を今より向上させたい

■【1回目】
◇セッション中
・初回で緊張の中スタート。
 最初に、落ち着く場所(境界)の確認から丁寧に時間をとってもらえたことで安心した。思考から体へ戻りやすかった。
・首の後ろ緊張・硬直が気になりそこばかりに意識が行きがちだった。
・足裏に気づきを向けていると、みぞおちで何かもやっとした感覚が一瞬あり、すぐそれが過ぎ去り呼吸がひとつ大きく入ったのに気づいた。

◇セッション後
・「背が高くなった感じ。見える景色がいつもより位置が高いと感じた。
 腹背が広くなり伸びているのに、何も頑張って伸ばしていないという感覚が新鮮だった。
・「体の幅感覚が広い」と思った。
 「自分の体と認識する領域」の幅が広いことを感じた。
 特に肋骨回りにとても広い空間があるのを感じた。呼吸がとても楽に入る。
・足裏が広い。着地面が広くしっかり地面についているのを感じた。
・左腕が水平より少し上に上がるようになった。
・目に映る世界が変わったようなワクワクする感覚と、内から湧いてくる活力を感じた。

◇翌日
・朝目覚めた時のスッキリ感に気づく。
・左腕が昨日より更に上がる。1年半上がらなかった腕が真上まで上がる。
・体の快調さ・立ちやすさは昨日より薄れている。体の癖が戻ってしまったのかと気になる。
・丹田への気づきが「全くお留守」になっていることに気づく。
 普段、重心が上に上がりっぱなしで、お腹、腰、足裏への感覚が全くなかったことに気づいた。
・体に活力と歩きたい気持ちが湧いてくるのを感じて、歩く。

*気づき
・一切の判断批判も非難もされないことに、体の中心が広がる感覚がした。心底ほっとしていることに気づいた。これを感じて、
思った以上に、他のセッションで体へのジャッジや批判を受けたことがこたえていて、自分が自分の体への自信を全く失っていたことに気づいた。
しかしそう気づくと、自分の体への判断基準が外にあったことに気づいた。
「私が私の体に気づきを向けること」を、「気が済むまで」味わえる時間と空間があることが何より自分の栄養になった。

◇2日後
・既に体の快調さが薄れている。
・肩が内旋し首が前に出ている。
 首で姿勢のバランスをとって、首で踏ん張っていることに気づいた。
・首の力みに気づいてそれに意識を向けると、首の力みが自然と抜け、首の前傾が戻って顎が引く感じで、首が背骨の上に乗る。と背骨が骨盤に乗る感じ。と、自然と丹田に気力が集中し、お腹が充実する感覚がある。普段、肚に気づきが全くお留守だったと気づく。
・姿勢は既に戻っていることに落ち込むが、そういえば呼吸がしやすい、息苦しさや「吸えない感じ」がないことに気づく。


■【2回目】
◇セッション中
・うつぶせで首の痛みが強くそこばかりに気が行ってしまう。力を抜こうにもますます力が入り硬直していることに気づいた。
・足裏に気づきを向けるとスーと力みが抜け→首〜肩甲骨が開き→硬直した体がベットに沈んでいく変化に気づいた。胸肩が開いたことで首の頑張りが緩み痛みが減った。
・踵を自力で微細に動かすのがとても難しい。足首の固まりを感じた。
・左足首上に触れらるとそこに痛みがある事に初めて気づく。
痛みは強いが止めてほしい痛みではない感じがした。むしろもう少しそこにいてみたい感じ。
とそのタイミングで「ここ大丈夫ですか」と田畑さんからのお声掛けがあり、一人で探求し向き合っているのではないことを感じた。その為安心してそのまま痛みを痛みのまま感じる時間をとれた。そして痛みが薄らいていく感覚にも気づいた。

・仰向けでの右肩甲骨〜肩〜胸のワークの際。
肩と肩甲骨下に手を感じながら十分時間をもらえると、
鎖骨下〜肩関節方向へ何かが広がっていく感覚がし、そのままその動きに気づきを向けていた。
表層よりもっと奥の奥。深部の、感覚としては鎖骨下か小胸筋辺りから腕骨方向への微細な広がるような感覚。
とても微細で、その中に入っていくような同時に外から観察しているような不思議な感覚。自分の体というより何かそれ自体が意図をもった有機体のような感覚。(ごく微細ながら)ただそこに共にい共にそれを体験していた。
田畑さんがパっと離れ距離を置いてくれていることに気づきはしたが、私は私のその体験にいることだけに没頭していて、ただ空間を与えられたことへの有難さをぼーっと外側で感じていた。
その、大きな海で漂っているようなゆっくりとした時間と空間の中で、私の体が体自身のワークを存分にできた。そしてそれを「私が」見守ることができたことが大きい。
体の力を信頼し直していける気がした。
これが十分に行われたそのタイミングで、「今どうですか」とお声がかかり大きなサポートを感じた。
それがあったことで、自分内の体験で終わらず外側とつなげられたようにも思う。

◇セッション後
だるさと疲労感。前回のワクワクと活力が湧く感覚はなく早々に寝た。

◇翌日
・歩きやすい。踵から楽につけて足裏を使える。
・右胸の解放を感じる。
・驚く程、右肩の内旋がない。右肩甲骨の傾きがない。
あれほど、長年、自他共にさじを投げられていた右胸〜肩の萎縮がスペースと時間を与えられたことで、自ら解放が起きていることに、体が広がる感覚がする。
胸という体を守る部分の固まりに体が気づき解放していくプロセスを、あのゆっくりした時間、自分が見守れたのかもしれないとの思いがわき感慨深い。
1つずつ、体との信頼関係を取り戻していく過程にいることを感じる。

*気づき
今回のセッションは、
左アキレス腱と、右胸肩部の2か所のワークが私には大きな体験だったが、
それぞれ違うサポートのされ方だったことがとても助けになった。
左アキレス腱の痛みの部分は、長年違和感がありつつスルーしてきた箇所で、しっかりとフィジカルな体に触れられることで、そこに十分気づきを向けることができ、よりそこへ探求を向ける機会を持てたと思った。
一方右胸肩は、より繊細で深い部分に触れることだった為、もし体に直接触れるサポートであったら、多分TOO MUCHだったように思う。あの時は。
見守られることのこれ以上ないサポートをあの時感じていた。
それがあって、体は体のワークを自ら安心して自分のペースで進められたように感じる。
本当にとても大きな助けだった。


■3回目】
◇セッション中
今回は、いつもより体への気づきと集中が薄いことに気づいたまま終わった。

◇翌日
きのうは大きな体への気づきがなかったが、1日経ってみて明らかな体の変化を感じる。
座りやすい。体側が伸びていて胸が開く。腕を上げた際の肩甲骨の動きと肋骨周辺の空間を感じる。


■【4回目】
セッション前、骨盤の左右差、傾き感を特に感じる。
◇セッション中
・骨盤底へのアプローチの際、
骨盤内のもの(内臓?)がだらっと重みでベット方向に重力に従ってリラックスして下がってくるような感覚がし、骨盤内のものに重みがあることに初めて気づいた。

・仙骨と後頭下に手が当てられた際、
背骨やそれに付随するいろいろな液や波?等が、一気に調整され、体が自ら整っていく感覚を感じた。
仙骨と頭蓋骨のつながりを感じた。

・今までよりも更に、足裏がべったりと、しっかりと地面についている感覚に気づいた。
足裏がしっかりと地面と接し、地面を捉えてその上に体という重さを乗せる土台になっている感覚。

◇翌日
・非常に座りやすいことに気づく。
座骨の下、骨盤底にスペースができて、骨盤の動きに自由さがある感覚。
セッションを受けるたびに、使えなかった所が再び使えるようになる感覚を体験し、一つ一つ体との信頼関係を築き直している感覚。


■【5回目】
2日前に首寝違え、せっかくのワークの機会なのに首が動かず十分味わえないかもしれないと、残念な気持ち。

◇セッション中
お腹へのワークの際、大腰筋に気づきが行くと、ふと「体のことじゃない」という思いがわいた。もっと深くの、体そのものでなく体にため込んだ感情や人生の癖などなど?の、何か深いところに「自分が」触れているという感覚を、体で感じていた。

セッション後、非常に疲れとだるさ、眠気を感じた。夜早々に寝る。

◇翌日
体の重さだるさ。左足の座骨神経痛。

◇2日後
体の痛み、だるさ重さ。しんどい。寒さで気分も重い。体との信頼関係にバラバラ感を感じる。
セッションを受けているのにと自分を非難し落ち込む気持ちに気づく。
強制や矯正されるのを嫌いつつ、自分の中に自分を強制しようとする気持ちがあることに気づく。

(6回目以降に続く)


■全体の気づき
初回後感じたことは、
ロルフィングはかなり能動的なセッションだということ。主体は受け手で、受け手が自分の体のワークを進めるものであること。(私個人の感想です)
またそれを実際体験してみると、体にコンタクトすることは単に物理的な体や個人の体にとどまらず、
カラダという有機体としての意図や流れの中でのことでもあって、
治す変えるでは得られない全体としての健全性のようなことが、本当に今ここで行われているということを、
頭でなく体で、体の内からの実感をもった体験として知ることができた。
これは、自分の体への何にも基づかない信頼を生み、
少しずつ自分の体との信頼関係を取り戻す過程を始められたように感じる。

他者との距離のとり方、人間関係改善のヒントを得て落ち着いた生活をしたい(Post 10)


◼️10セッション終了半年後 (20210722)

・体の状態
2月 お風呂で息苦しくなる。

3月 首、背中が凝る。体が固くな るのは久しぶり。

4月 体の調子が急によくなる。

5月 歯の定期検診。歯も大切だなと思い歯磨きにいつもより時間をかけるようになる。

6月 夜寝る前に、仰向けになって静かにして体をゆるめるようになる。

7月 左側が時々しびれるようになった。朝起きると左足のかかとが痛むようになる。日中は気にならない。背中の左側が痛むようになる。

・これまでの振り返り
 私がロルフィングを受ける目的は「他者との距離のとり方、人間関係改善のヒントを得て落ち着いた生活をしたい」でした。
 そして半年経った今、少しずつですが落ち着いた生活をすることができるようになっています。
 私は周りに流されやすく、気がつくとずいぶんと無理をしていることがあります。気持ちとは逆の行動をしていて気持ちと体がバラバラです。 でも、だんだんと他者との距離も人間関係にも悩むことは少なくなりました。人間関係はよくなっているとは言えませんが、気持ちとかけ離れない行動が出来ているからかなと思っています。
 毎日の小さなこと、花に水やりをしたり、歯磨きを念入りにしたり、寝そべって静かにしたり、という時間を大切にできるようになりました。 なんてことのない時間ですが、私は何かをしていても悩みごとが頭を離れずいろいろ楽しむことができなくなっていました。そのため、落ち着かなくなっていたのだと思います。  

このことは、ロルフィングによる大きな変化だと思います。自分に重しができたような感覚があります。 違和感に気がついて調整するにはものすごいエネルギーを使います。そんなときに、何らかのアプローチによってうまく調整できたらいいのではないのかなと思います。 私はロルフィングの力をお借りしたいと思っています。

親御さんの薦めによってロルフィングシリーズを開始した学生

セッション1

第1回(2021/11/18) レポート

■セッションを受けて変化したと感じた点

·荷物を持った時にも肩が前に曲がらなくなった。

·視線が上がった。身長が高くなった気がした。

·リュックを背負っても呼吸が苦しくなくなった

··足ではなく、腰で立っている感覚になった。

·首が軽くなった

·体よりも左にノートを置き、体を捻って文字を書いていたが、身体の正面で書けるようになった。

·前のめりになっていると感じて重心を後ろにするよう意識すると、以前は歩くのが遅くなっていたが、あまり遅くならなくなった。

·足の裏全体を使って歩いている感覚がある。

·数日経つとだいぶ元に戻ってしまったが、足の裏全体で歩いている感覚は残っている。

·元に戻ってしまうにあたって、足がビリビリとしびれるような感覚があった。

·普段の呼吸が楽になったかどうかはいまいちわからない

·少しだけ、周りの音を気にせず寝られるようになった。

◼️セッション中

·背骨の真ん中は深く沈んでいたけれど、肩は浮いていてなかなか力が抜けてくれなかった

·頭に触られた時に、左足(ふくらはぎの外側)に電気が走った感じがした。

セッション2

第1回(2021/11/25) レポート

■セッションを受けて変化したと感じた点

·「へそ下を骨盤の中に収めるイメージ」がとてもしっくりときた。

·足首が軽くなった。

·意識して姿勢を正したときに、今までは少し背中が痛く無理をして真っ直ぐにしていた。しかし、首の1番上の骨を感じること、下顎の重みを感じること、へそ下を骨盤に入れることの3つを意識すると、痛みも感じないうえ、これが正しい位置だと感じられるようになった。

·朝起きた際、以前は横を向いて肩や首が痛いことが多かったが、最近は仰向けが多く、疲れがとれやすくなったと感じる。

◼️セッション中

·最初に右足や腕に触れられたときに、どこを触っても右外太腿にビリビリとした感覚があった。右側の内臓にも少しビリビリとした感覚があった。

·右のふくらはぎ下を擦られた時に、腰が一度上がって、降りてくる感覚があった

■その他

·他のことがばたついていて、「行きたい」ではなく「行かなきゃ」と感じていた。「行きたい」と思わないと力も抜けず、自分の感覚に集中できないとわかったので、心の持ち方を変えていきたいと感じた。

心の平安を求めて〜セッション10

全体を統合するセッション

いつも通り、4方向の写真を撮ってもらい、歩く。自然と手が振れるようになった。意識せず歩くことで、腕がフワッ、フワッと動く。
ベッドに仰向けで寝る。立ち位置を聞かれる。左後方、左前方。左後方が落ち着く気がする。
左膝にタッチされる。今までで一番、触れられた感じがする。足裏に凹んだボールでホールドされた。すると、とても安心した。
その前にお腹にタッチされる。ほんの少ししか触れられていないのに、手が離れても、タッチの感触が続いていた。
いつも左側のセッションの方が長く感じられるが、今日は右側も同じく感じられた。右膝の外側上部に、強くタッチされたのが感じられた。
両膝を立てて、もも裏に布越しにcs60の摩擦。腿がぎゅっと強くなったような感覚。
ベッドに腰掛けて座る。今回は意識が飛んで、寝落ちしてしまったようなので、全体がぼんやりとしてしまった。
最後の写真を撮ってもらい、歩く。
セッション後、1回目の写真と今回を見比べる。明らかに伸びやかになっている。

セッション後すぐに、ピアノリサイタルに行ったので、その印象が大きくて、セッションの細かい内容が上書きされてしまったようだが、ピアノの音色を聴いていると、身体の中の感覚がどんどん拡大されていって、身体全体で音を聴いているような感覚になっていった。
自分の中に、今まで会ったこともないような、別人格が登場して、ピアニストに対していろいろ言う。目をつぶると、作曲された時代にタイムスリップしたかのようにその当時の映像が浮かんでくる。まるで今、その場にいるかのようだ。いったい私は誰なんだ、、、、?そして今、ピアニストに話しかけている人は、、、???18世紀のヨーロッパ、、、??
音の広がりと流れとリズム。次々と変化していく音の波の中に、半分意識があるような、ないような、、、ゆらいでいる。身体もあるような、ないような、音の意識だけの感覚を味わう。ふわふわと、たゆたう。この感覚はセッション後の体の変化なのだと感じていた。

「身体の準備ができていれば、それに見合った変化が起きる」
セッション後の私の質問に田畑さんが答えて下さった言葉だ。、、今私に起きている身体の変化は、なるべくしてなっている変化なのだと、それは身体の準備ができている、ということだ。身体の準備ができている、という事はこれから有るであろう様々な変化を乗り越えることができる、という事だ。
今までは、起きてくる様々な出来事に対処するのが精一杯なところがあって、次々といろいろあるのが、大変だなぁと思っていた。
だけど、自分に起こる様々な出来事は、外からやってくるのではなくて、ある程度、自分でコントロールできるんじゃないのか、と思った。引き寄せ、ていう言葉があるけど、自分の精神状態がそれに見合う出来事を引き寄せる、と理解しているけどそれは本当なんだな、と頭でなく、身体で理解できた気がした。
外から来ることに受動的に対処する、のではなくて、内からの欲求で、能動的に進んでいっていて、それに伴ったプロセスが変化となって現れていく、、、ていう事だ。きっと。

10シリーズを終えて、1番の変化は、物事を俯瞰して見れるようになった事だと思う。深刻にならないで、距離感を持っていられる。あれも、これもと罪悪感があったのが、だいぶ薄れた感じだ。これは私にとって、ものすごく大きい事だ。生きることが少し気楽になれたと思うし、楽しんでいいだ、と思えるようにもなった。
そして、身体が底上げされたような、少し体力もついたかも、と思える。休むときは休む選択もできるようになった。いつも気になっていた、左の肩甲骨の痛みが和らいでいるし、身の回りを整えようということに目が向いている。今までずっと気になっていて、やる気が出ないでいた事だった。
身体が整うと身の回りも整えたくなるんだな、と当たり前かもしれないけど、身をもって感じている。

4月からだいたい4ヶ月間のセッションでした。毎回、自分と身体と深く向き合う時間でした。4ヶ月でこれだけ変化を感じることができて、感謝しています。人生の大きな節目になったと思っています。ありがとうございました。

ご家族のサポートの合間を縫って遠方から~10回目

・セッション中
最初は、田畑さんの立ち位置、足元右側の方が心地よく感じ、そのまま静かに呼吸をしてゆく。
足首に触れられると、膝や背中側腰からお尻にかけて動きがあり、伸びてゆく感じがする。お腹に最初より息が入るようになる。その後、膝、腕と施術が進むにつれ、胸の前だけでなく、背中側まで深く、自然に息が入るようになった。
左側の施術が進む。お腹、へその左わきのあたり、固くなっている感じがあるが、だんだん緊張がほぐれてゆき、ベッドに身体を全体で預けられるようになる。
途中、身体の緊張が緩んだからか、泣きたいような涙がでそうな感覚が一瞬あるが、だんだん心地よさに変わっていった。足のしびれが現れ、その後、足の指先まで血がめぐるような、はっきりとした感覚になってゆく。

頭部へ施術が進むと、目の奥が動くような感じがあり、頭のなかで色々ぐるぐる考えがまとまらない状態からだんだんリラックスしてゆく。眠ってしまいそうな一歩手前、心地よさが感じられる。

施術後
お腹のまわり、ぽかぽか温かい、歩くと足全体で地面を捉えている感じ。

首がすっと伸び、安定して立てている。頭の中がスッキリして、周りからの過度な情報や自分の感情の起伏があまりなく静かな心持ちがしている。

当日夜は、眠りに入るのが早く、いつもより深く眠ることができた。ここ数日、朝は手を握りしめ、肩に力が入った状態で目覚めることが続いていたが、セッション後はそのような状態なく、1週間過ごせている。

今回のセッションで、足の指先まで感覚がしっかり感じられるようになった。
車の運転が続き、お腹の辺りが縮こまったようになっても、夜、横になりゆっくり呼吸することで、背骨の辺りが少し楽になって、足裏までの感覚が戻ってゆく。

日常の変化としては、不思議と今まで相手に対して言葉にできなかったことが、ふと素直に出てくる場面が増え、それによって今まで我慢してなんとか続けてきたことを変えてゆけそうな兆しが見えてきた。身体とともに、今後、自身の環境がどう変化してゆくのか明るい気持ちでみてゆけたらと思う。

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