ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: ロルフィング10シリーズ後 Page 2 of 3

リモートワークの影響

緊急事態宣言の間はずっとリモートでの仕事を続けておられたというロルファーの方からセッションのご要望を頂きました。リモートワークでの視覚と身体の使い方を扱うムーブメントが適切だと思い、まずは、イールドによって安全安心な感覚を思い出してもらってから、視覚と関節間の緊張のカップリングを解いていく働きかけを主に行いました。

ご本人の許可を得て、以下ご感想をシェアさせて頂きます。

セッションの間は、結構ぼんやりしていて、身体感覚を言語化するのが難しい状態でした。私にとってはちょっと珍しい状態で、後から振り返ると、視聴覚系の神経とかが緊張気味の状態で「高止まり」みたいになっていたのかも?と思ったりしました。リモートでの打ち合わせや講座受講、PC作業など「コロナの時代のニューアブノーマル」な働き方に、システムが気付かないうちに結構(それもずいぶんと)疲れちゃっていたのかなぁと。何を聞いても「わかりません…」って答えるクライアントの気持ちがわかった様な気もしましたし(笑)言語化できなくてもシステムは変化しているということはセッション後の体感としてあったので、色々と興味深い経験でした。

◆イールド&ムーブメントワークの醍醐味を体感!?セッションの終わりの方で、股関節にワークしていただきながら、優しく目の奥が楽な目線でいるというワークがとても効果的で強く印象(&体感)に残りました◎
日頃PC作業をしている時間が多いこともあり、最近とても目が疲れていました。(ついに老眼もスタートか???)で、たまに自分で視線を柔らかく…など意識したり、ちょっと自分でエクササイズみたいなことしたりもしてはいたのですが…自分でリリースできる範囲を超えて「緊張状態高止まり」みたいになっていたのか…身近に受けられる鍼灸などでメンテナンスも定期的に受けていたのですが、施術を受けた直後はかなり楽になっても、また疲れた状態に陥りがち…という状況でした(←日々の生活の在り方も見直せると良いかもですが…)

ところが、今回のセッションの後、かなり長い間、股関節がspaciousな感じや目の奥が柔らかい視線の感じ…などを自分の身体感覚として思い出すことができました(←現在も進行中…かな?)

足→脚→股関節→腰 と土台が安定したこと(安定感&全身のバランスが改善)、perception が変化したこと など、自分のシステム全体として無理なく、自分の内側から柔らかさとかしなやかさとかが引き出された様な感じがあり、日々の生活の中でも「今、どこが緊張しているか?」気付くことが増えました(←最近、こういう感覚がずいぶんと薄くなっていた自分にも気付かされました(汗)

ロルフィング(&イールド&ムーブメント)の醍醐味というか、可能性というか、そういうものに改めて気付かされた、体感できた様に思いました。

→ 疲れ目(and / or 老眼疑惑!?)かなり改善しました!!

→セッションの前、ちょっと不安があった腰も、セッション後ものすごい安定感を感じました!!

(←寒さなどもあり、引き続き、注意しながら見守りたいと思います。)

舞台のセットや空間デザインを手がける方


舞台のセットや空間デザインを手がける方 10/10

【10回目レポート】

<ロルフィング10を受けての変化>
・歩き方が変わった!施術を受ける前は、歩くときに足の裏全体をペタンペタンとつけて歩いていたと思います。正しい歩き方だと、かかとから着地するとは知ってはいたものの、出来ませんでした。けれど、施術を受けて5回目頃からは自然とかかと着地で歩けるようになり、驚きました。以降、ずっとかかと着地で歩くことができています。

・姿勢が変わった!(身体に軸が通ってまっすぐになっている)歩いているときに特に感じるのですが、身体に芯が通ってまっすぐになっていることに驚きます。以前は猫背で前傾、腰が前に出ていて、、、という感じで、前後に凸凹に曲がっていたような気がするのですが、今はすごくまっすぐです。逆に以前を思い出して凸凹にしてみようとしても出来ず、うまく歩けません。思い立って、(モデルさんがやるように)頭の上に本を乗せて歩いてみましたが、安定していて落ちませんでした!!

・肩が下がった!もともと肩こりでいつも肩や肩甲骨が固まっている感じで、肩が上がっていて、鎖骨が外上がりの斜めでした。(意識をしてグッと下ろしても一瞬のことですぐ戻ってしまう)施術を受けて、鎖骨が水平になってきて、肩が自然におりてきました。(肩をこれ以上グッとおろそうとしても下がりません)肩の力が抜けているのを感じます。

・立ち方が変わった!立っているときに、自分の重心が真ん中にあるかを感じる(意識する)ようになりました。今は、足の裏全体で地面に接地している、と感じられます。フラフラしておらず、しっかり立っている自覚があります。

・呼吸が深くなった!もともと、呼吸が浅くて、体感では、胸の上の方までしか息は入っていない感覚が常でした。いつもハアハアと息をしていて深呼吸するのに力がいる状態でした。それが、初回でいきなり肺やお腹まで息が入るようになり、その後ずっと、通常の呼吸がお腹まで入っています。逆に、胸の上の方だけで息をしようとしても、どうやっていたのか思い出せません。これには本当に驚きました。とても呼吸が楽になり、呼吸するのが気持ちいいと感じるようになりました。

・肩こりになりにくくなり、なっても自然回復するようになった! 30年来のひどい肩こりに悩まされており、ロルフィングを受ける前は、2週間に1回の頻度で鍼灸院に通っていました。一度悪化してしまうととにかく鍼灸院にかかるほかありませんでした。ロルフィングを受けている約3ヶ月の間は鍼灸院に行くことはやめていたのですが、肩こりになりにくい気がしました。また、肩こりになることがあったとしても、数日経つうちに自然回復していくようになり、今まではあり得ないことだったのでとても驚きました。生涯、鍼灸院通いするしかないと思っていたのですが、身体が整うとそもそも肩こりしにくいだけでなく、自分で回復(治癒)することもできるのだと、身体が持つ力に気づかされました。

・あごを噛みしめる癖がなくなったもともと、無意識にあごに力を入れていて、エラの部分が硬く、話すときに首に筋が入っていました。施術後、現在は下顎の骨が上あごの骨に自然とぶら下がっている状態であごの力が抜けているようになりました。エラのはりや硬さもほとんどなくなり、首に筋も出なくなりました。施術では口の中にアプローチする回があって驚いたのですが、こういった変化もロルフィングのおかげかと思います。

・以前より「落ち着いている」「半年前に比べて、話し方、声が変わった」と周りの人に言われました。実際、自分の内面がこの半年で大きく変化しました。それは、思考と感情の仕組みについてなどを学んだり、自分の生き方について考える半年だったこともあり、ロルフィングだけの効果ではないとは思うのですが、ロルフィングを受けて身体が整ったことで思考や感情が変化してきた、という影響は絶対にあったと思います。自分を見つめたいこのタイミングでロルフィングを受けられたことに感謝です。

 <感想>
・ロルフィングというものがどういうものなのかをよく知らないまま、信頼できる方(北海道のSIプラクティショナー菊池由夏さん)に勧められるまま、田畑さんのところを訪ねました。菊池さんのHP http://www.rolf-rainbow.com/?fbclid=IwAR2HgthQC0ldjQzRvD5xy22qXaUmzYzrIXRDPEeROEfOvlVAtgzYn0EEYTw
「空間を使われるかた」とは聞いていたのですが、人と人、人と物との間には力(気?)が生まれること、それを緩ませていく(安心できる空間にしていくこと)から始まるセッションは、とても興味深かったです。本当にささやかにしか身体には触られないのに、なぜビフォーアフターが変化するのか、、、毎回、まるで魔法のようだと思いました。

・ロルフィングが、身体のこりや歪みを治療していく、というよりは、自分らしく生きるために一番自然な身体の状態を取り戻すためのものだと聞いて、本当にその説明がとてもしっくりきました。施術後は、身体に起こる変化に驚くと同時に、少しずつ「楽になる」と感じていました。

・身体と、感情や意識はつながっている、ということを聞いて、施術を受けているタイミングで「自分らしく生きる」ことに意識を向けて変化してきたことは、当然だったのだなと思います。

・施術後、特に自分では何も意識していないのに、日々、勝手に身体が変化していくのは不思議で、楽しかったです。10回を終えて、今後も、田畑さんの元に通うことは無くなっても、今後も身体は変化していくだろうと思います。より「自分を生きる」方向に変化していくだろうと、想像しています。(ということは、もうお会いすることがなくなってしまうのかもしれませんが。それはそれで少し寂しいですね。1年とか2年とか、もっと経ってからかもしれませんが、自分がふと「今またロルフィングを受けたい」と思う時がきたら、ぜひお願いします。

あらためて、田畑さんのロルフィングを受けられたことに、感謝です。本当にありがとうございました。
自分の身体の声を聞いて、より自分を生きていきたいと思います。

舞台のセットや空間デザインを手がける方 7/10

【7回目レポート】

<7回目の施術>
・今回は頭から上のほうの施術にうつっていくと聞いていましたが頭 (頭蓋骨)を正しく整えていくのに、まさか口の中からアプリーチするとは思わなかったので驚きました。

・口の中を触っていただいた後では、頭蓋骨の中の空間を感じました。鼻の後ろの頭全体が、空洞というか、ぽっかりと丸く空間があるような感覚です。本当は骨や脳が詰まっている部分が、まるで何もない空間のように感じたのが面白い感覚でした。
<背術直後>

・ベッドに腰掛けた時に、今までは胴体や足の感じ方が変化したかに意識が向きましたが、今回は身体よりとにかく、頭部がとても意識されました。「頭が身体(首)の上にある」という、当たり前なのですが、いつも特に意識しないでいることを初めてちゃんと感じられた気がしました。
・歩いてみた時の変化も、とにかく「頭部」でした。こんなにはっきりと「頭」を感じながら歩いたことはなかったです。とにかく頭の存在感が凄すぎて、身体や足の変化があるのかないのか、わかりませんでした。
・帰宅中に感じたのですが、「視覚が冴えた」といいますか、街中の看板の文字などがいつもより意識に入ってきました。それまではそこに看板があることすら全く認識していなかったのに、看板の文字情報に目が止まり読んでいた、というようなことです。(長時間続いているわけではないですが、施術後は明らかに変化がありました。)

<施術から現在までの変化>

・顎周り、口周りを整えてもらったことで、顎が頭蓋骨から正しく「ぶら下がる」ようになっているかも!と思いました。もともと、集中する時などに歯を食いしばっている傾向があると言われていて、たしかにいつもエラを押すと気持ちがいい(つまり、エラが凝っている)状態だったのですが、施術後はそのコリが明らかに弱まっています。口(顎)が力を抜いた状態でいられているのだと思いました。 ・鎖骨は平行のままで良い感じです。鎖骨(肩)をさらに降ろそうとすればまだ降りる、という感じだったのが、ほとんど降りなくなりました。(つまり、普通にしている時にすでにちゃんと降りている。)

舞台のセットや空間デザインを手がける方 3/10

【3回目レポート】

今回は左側を向いて横向きでしばらく、その後右側を向いて横向きでしばらく、という施術でしたが、左右に差があるように感じました。左側を向いている時の方が深いリラックスに入りました。(寝そうなくらい気持ちよかったです。)最初にリラックスするとふわふわと柔らかい感じ(雲の上)になるのですが、しばらくすると、身体の重み(重力)を感じました。(重い、という感じではなく、身体を感じられている、という感覚です。)

施術後に感じた変化として、歩く時の足の使い方、です。2回目の後に感じた「歩きやすさ」とはまた別の「歩きやすさ」があり、、、どこの部分がどう変化したのかとても捉えにくかったですが、しばらく歩いて分かったのは、足のスタートの位置が変わった、という感じでした。今までは、足は足の付け根からスタートしているように思っていましたが、施術後は、足が、ウエストの少し下あたりの高さから始まっているような感じがしました。なので、歩く時に、歩幅が大きくなったような、足を腰から使えている感覚がありました。
ちなみに、この変化は、施術後この1週間の間、歩く時に足に意識を向けると、感じることができています。

また、腕の上げ下ろしにも変化がありました。施術直後は「少し可動域がひろがった気がする」くらいでしたが、、日が経つにつれて変化をますます感じるようになりました。具体的には、前から腕を上げていくと今までは耳の横くらいが限界でしたが、今はさらに後ろまで腕が行きます。これはびっくりの変化です!身体が硬くてそんなことは出来ないと思っていました!

施術後に写真を見せていただいて自分で思ったのは、身体がゆるんできている、ということです。背中や、お尻のあたりが、見た目でもふわっとしてきているように見えて、力が抜けている感じがさしました、

1〜2回目から感じている変化、例えば、呼吸が変わらずにお腹まで息が入る感じや、肩がちゃんと下がっているのも、継続していて感動します。

心身を根本から見直す必要を感じて (10シリーズとその後)Mさん

モニターでお申し込み頂いたMさんは、関西から通って頂きました。両者で丁度いい間合いの位置を見つけると、自発動による自己調整が開始して、ほとんどシリーズを通して、触れることなくセッションが進行しました。10シリーズ後は写真データが示すとおり、身体構造が統合されました。

また、B-Digital O-Ring Test協会のORT認定医の先生に写真から酸化ストレスマーカーのレベルを測定して頂いた結果、そのレベルの低下が示唆されました。


以下、ご本人の体験レポートです。

関西から通って頂いたロルフィング10シリーズの体験


心身を根本から見直す必要を感じて セッション13 (Mさん)

遠隔セッション後の変化についてお話したあと、仰向けの状態からスタート。

セッション13回目

‐開始直後に、どんな感じかのお尋ねがあり、その時、擬音語でいうと、スパッ、とか、シュッ、シャキッ、みたいな白と青の映像が浮かんでいて、口をついて出た言葉が、「自立する」であった。そのあと、腕をぐるぐると回しながら浮かんでいた映像は、オレンジ味の強い赤色で、エネルギーに満ちた何かが、腕の動きと同じくしてくるくる回っている絵。その力に支えられて自分の足で立って歩んでいくようなイメージが浮かんでいた。

‐その後すぐに、なぜかじんわりと涙が滲んできた。今回、記憶がとても曖昧なのだが、身体を丸くして胎児になったり、また、手を軽く握って肘から折り返し、新生児になったような体感が頻繁にあった。涙は、最後に大きな声で笑ってしまうまで、セッションを通して、ずっとこぼれたままであった。

‐先日訪れた三千院にある阿弥陀様に迎えられる。そのあと、木々に覆われた山の姿が現れ、その緑の中に白いものとなって吸い込まれていく。そのあと、叩かれて強さを増していく熱い鉄のような、また、焼きしめられて、堅く丈夫になっていくレンガのような、赤茶色のもののイメージが浮かび、そんなふうにして自分が鍛えられていくのだ、という気持ちが沸き起こった。同時に、両手と、頭のあたりがじんじんとしびれているのを感じた。

‐そのあと、三千院から京都駅に向かうバスで出会った赤ちゃん~そのお子さんは、内から放つ光が強烈で、エネルギーの塊、と感じた~の顔が大写しになって、私は、見事にその赤ちゃんに自分をオーバーラップさせ、嬉しくてしょうがない気持ちでいっぱいになる。

そして、口に手をあてて、笑いを止めることができなかった。

‐セッション後、田畑さんに歩いてみるように促されたが、その子が現れた嬉しさを止めることができず、私はスキップをしてしまう。セッション直後でも、両手のしびれている感じがずっと続いていた。

新幹線から降りた時、身体全体が、ちょっと、きゅっとまとまって凝っているような感じがした。そして、家にたどり着いてみると、何故か、今日のセッションが、ずっと前のことのように思われて仕方がなかった。東京に出かけたのは本当に今日だったのだろうか、とちょっと疑ってしまうみたいな心持ちであった。セッションの時は、いつもの日常の次元とは違うところで田畑さんにお会いしている感は常にあるのだが、それとはまた違って、ちょっと遠い日の記憶、みたいな感じがとても強かった。

‐セッション翌日、起き抜けに感じたことは、のびやかな気分、うまい具合に生きる力が身体にいきわたっている感じ。程度の差はあるけれども、セッション10回目の後に感じた、弾力のある、躍動するような身体の一体感。首から上は上方に伸び、肩から下は、下方に向かう感じがある。とても生きやすい感じがしている。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション12.5-遠隔 (Mさん)

前日の夜から、左足側面が久しぶりにひどくつってしまったり、その週は、急に左耳が詰まったようになって、聞こえが悪く、ステロイドを服用されたりと、左側に変化が多くおこっているとのことでした。急に左の肩の後ろあたりの痛みがおさまらず、ご予約頂いた当日ご本人曰く、朝起きたら、動かせる状態になくなってしまっていたとのことで、キャンセル をご希望されたのですが、ご予約頂いていた24時間以内での取消にはキャンセル料がかかってしまうため、リモートでのセッションをご提案させて頂きました。

遠隔セッション

セッション予定日前夜から左肩の後ろ側になんとなく痛みを感じ始めた。一晩寝れば治るかな、と思ったが、一夜明けてみると、痛みは治まるどころか酷さを増しており、ピリピリとした痛さとなって左肩後ろを広く覆っていた。少しでも動かすと痛くて、横になってじっとしていないといられない状態であった。

有難いことに、田畑さんが遠隔セッションをお申し出くださり、喜んでお願いすることにした。

‐横になって、ご指示に従って身体のおさまりの良い場所を探すことから始まった。体の向きを決めたあと、10分程度の角度で移動して、よりおさまりの良い場所を探すように、とのご指示だった。自分から心地良い場所を探すことは初めてだったし、肩は少しでも動かすと痛いし、うまくいくかなぁ、とちょっと不安な気持ちであった。痛みのために、10分の角度を一気に動かすことはできなくて、3分づつくらいだっただろうか、おそるおそる動いてみた。1回目、2回目の3分では体感になにか変化があるようには感じられなかったが、3回目の3分で、ん、なにか感じる、と思い、その感覚があっているのかどうか確認したくて、もう一度初めの場所に戻って、最初の3分、次の3分の場所に身体を戻してみた。やはり最初の2回では何も感じることがなく、3回目の場所でなにかをとらえることができて、やっぱりここだ、と確信し、そこにとどまっていると、身体の右側に温かさが感じられだし、続いて、なにかに包まれてほっとするような感じが生じてきた。田畑さんに位置が決まったことをお伝えすると、どんな感じかとのお尋ねがあり、「安心な感じがする」とお答えした。

‐セッションが始まって、身体は自然と動き出したのだが、開始直後はとにかく肩の痛さが先にたち、どんな動きをしているのか感じ取ることが全くできなかった。動きがあるたびに、痛っ、痛っ、と小さく声がでてしまっていたが、セッションが深まっていくにつれて、意識が落ちたままで動いていたのか、痛さは感じることがなくなった。

‐途中、田畑さんに、どんな感じかと何度かお声をかけていただいたときに、はっと意識が戻って動きを体感し、それをお伝えする、という感じだった。一番印象に残っているのは、うつぶせになったまま、左足のももの付け根が痛いにも関わらず、身体はその足を震わせようとしていたことであった。セッション後半は、意識はしっかりとありながらいろんな動きを続けていた。例えば、うつぶせになったまま両手を上に伸ばし、両足は思いっきり開脚などしていたのを覚えているが、その時には痛みはまったく感じていなかった。

‐最後、左足をぐるぐると回したままでセッション終了となった。Zoomが切れたあともしばらく回し続けていたのは覚えているが、その流れのまま眠ってしまっていた。はっとして目覚めたときには、ずいぶん深い眠りに落ちていたなぁ、と感じた。

‐ありがたいことに、翌日午後には肩の痛さはほとんど感じなくなっていた。痛みが治まったあとに感じていた肩のおさまりの悪さも、数日後には居場所を見つけて、ガクッとした感触とともにしっかりとあるべきところに落ち着いてくれてほっとした。

‐同じ時期、右を下にして寝ていると、左の臀部から下にかけて、なにか違和感を感じたので、探ってみると、左肩に感じていたのと同じ質の痛み、でもその程度は肩を100とすると、5とかそのくらいのもの、があって、それが2日ほど続き、痛みがなくなると、右脚内側にしっかりとした支えができているとともに、右側骨盤上の背骨に沿ったあたりに広がりができていた。

‐同じ頃、実兄を強く詰っている夢をみる。兄は表情を変えることなくただただ私に言われるがままでいた。実際、いろいろと言いたいことがないわけではないが、ここまで強い気持ちを抱えているとは正直思ってもいなかった。自分のことではあるが、今後、自分はこの気持ちにどんな形で折り合いをつけていくのか、興味深く思っている。

‐その後、右首の側面がひどく痛くなり、3日くらい寝たままだった。痛さが落ち着いてきたなと思ったころ、立ち上がったら、右腹あたりにとても大きく広がりができた感があり、息を吐いたときに、右側に身体が傾いてしまうと感じるほどだった。そして、3日間、気分が悪くて水分以外、ほぼ摂取していなかったのに、たまっていたものを一気に吐き出すかのように、おもいっきり嘔吐した。呼吸をすると、いつまでも息を吸っていられるかのようで、右のお腹から背中にかけて酸素がどんどんと取り込まれている感じがした。その感覚は今でも変わらずにある。また、右側の視覚が大きく開けて、ものの色が何時にも増して鮮やかに感じられた。

初めての遠隔セッション、自分から心地よい場所を見つける作業がとても新鮮で、ほんのわずかな位置の違いでも、全く異なる体感が生じてくることが本当に不思議だった。セッションの楽しさ、という意味ではもちろん対面に軍配があがるが、変化が着々と、しかもずばっと起きていく、という点で、対面とはまた違った面白さが味わえた。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション12 (Mさん)

セッション12回目

往路、新幹線の冷房が効きすぎていてそれにうまく順応できず、東京に到着したときには体がふわふわとして、足取りがおぼつかないような体感のままセッションに入ることとなってしまった。

‐両足をセッション台に立てた状態でスタート。就寝中に右耳が痛くなるほど右あごを強く噛みしめていたことが数日つづいたことも関係するのか、歯が欠けてしまったことをお話しすると、最初に口の中を施術してくださる。指示に従って田畑さんの指に力を委ねていったのち、口から手を離された瞬間、酸素がぶわっと一気に体に流れ込んでくる。ちょっとふらふらした気分だったこともあり、ひたすらにその酸素をむさぼるように吸い込む。私はMRIが苦手で、以前検査のときに酸素ボンベのお世話になったことがあるが、その時吸った酸素と同じだ、という感覚が呼び起され、ああ、生き返った、助かった、という気持ちになった。右腕の落ち着き具合がいまひとつ、というお話をセッション前にさせていただいていて、「右腕の様子はどうですか?」というお尋ねがあったが、身体は、今はとにかく酸素を吸い込みたい、の一択で、言葉を発する余裕がまるでなかった。

このあと、右腕をぐるぐると回すなどしたのち、お尻のあたりから両脚にかけて一気に脱力する。その時の力の抜け具合は、いままでの11回のセッション中、いちばんだ、と感じたほどで、お尻から下が、まるでスライムになってセッション台に広がっていったかのような感覚があった。続いて、左腕の助けをかりて思いっきり首を右側に向ける動き、そのあと、体を丸めていると、ぶるぶるとした震えがきた。

しばらくして浮かんできた情景。うすいピンク色、柔らかい黄色、透明感のある水色が、光に溶けて空間を彩っている。そしてそこには、茎からのびた蓮の花。花は咲ききって、台座のような形をしており、その花びら一枚一枚は、柔らかくてふっくらとした白い羽から出来ている。そして、その台座にのっているのは、ふっくらと丸くて、やはりそこの空間を彩っているのと同じ色からなっている生きた何か。絵文字によくある、目を閉じてニッコリしている顔をしている。向かってちょっと左側の頭部には、王冠のような形をした頭飾りのようなものを備えている。そのものを目にした瞬間、なんの疑いもなく、「あ、私だ!」と確信する。なんて愛らしいのだろう、穏やかな雰囲気を醸し出しながら、“ただただそこに在る”、という表現がぴったりの佇まい。

場面は変わり、こんどは、真っ白の空間。木の原型を想起させるやわらかい緑色のものが、地表面にあらわれる。それがあっという間に普通の木へと成長、そしてその幹の部分が、長方形の扉へ、と変化していく。その扉は、色はアイボリー、大きさの割にはしっかりとした厚みがあり、表面にはちょっとした装飾も施されている。目を引くのは、そのドアノブ。温かみのある、すこし焦げ茶色の混じった茶色で、いい具合に丸みを帯びている。手でつかんだら、間違いなく手にフィットするのが見ただけで想像がつきそうなもの。

扉に目を奪われていると、前述の「私」の座っている台座の部分をなしている、白い羽が大量にふわふわと上から舞い降りてきて、こんどは木の葉っぱの部分を、あっという間に覆いつくしていく。葉の部分が全く見えなくなると、今度は地面もその白い羽で埋め尽くされる。葉っぱの部分と地面とが完全に白い羽で覆いつくされ、残ったのは扉のみ。先ほどは気が付かなかったが、扉が少しだけ開いていて、向こう側の様子が黒く見えた。

また場面が移り変わる。光に満ちた空間のなかで、私は、体の前に両腕をそろえて突き出して、手のひらが上になるように腕を返している。その両腕から透明なやわらかい何か、がこんこんと湧き出している。その何かを、私は、「正真正銘の幸せ」、と感じている。私はわけもなく、ただただ嬉しくて、その幸せをありとあらゆるものに分け与え続けているが、でも差し出したそばから、また湧き出してきて、減ることが一向にない。私は分け与えている間、ずっと笑みを浮かべている。とても豊かで、ふんわりとしたひろがりのある感覚が体に満ちている。かなり長い間、それを繰り返した後、ふっと上を見上げると、大きな白い鳥が、光を背景にして羽を思い切り広げ、空中に浮かんでいる情景が視界いっぱいにひろがった。

しばらくその白い鳥を見つづけていると、それまでに起こったすべての出来事が、きゅっとまとまりをつくり、なにかに収められていく感覚が立ち上がる。場面がかわり、情景の上半分を占めて大きく目に映ったのは、セリフの吹き出しが真ん中で上下にわかれたうちの、下半分の線、で、その吹き出しの先に繋がっていたのは、短い草があちこちに残る広い地面に、手足を少し大の字のように広げて、目を閉じてあおむけに寝転がっている私自身、それが情景の下半分。いままでの出来事は、私が見ていた夢だったのだろうか、と思わされる光景だった。

そのあと、セッション台から床に転がり落ちる。体全体がじんじんとする感覚をしばらく味わったのち、視界に映ったものは、カブトムシの幼虫が地面のなかに横たわっている姿を断面からみたもの。幼虫は、地面の中で、柔らかく、おだやかな光に照らされている。落ち着いた静けさのなかで、体の周りの土とうまく折り合っている感じ。どちらか一方が寄りかかっているのではない、互いに信頼しあって、必要な時には申し分のないタイミングでお互いが助け合う感じ。絶妙なバランスを保って横たわっている感じ。全体の姿、すべてのパーツの形、色、どれをとっても申し分のない、幼虫のなかでコンクールをしたら、上位入賞間違いなし、というイメージ。幼虫を取り囲む土は、均一の細かな粒子からなっていて、その質感と色が、前述の扉のドアノブのものと、見事に重なってくる。生育環境としては、これもまた申し分ない、というイメージ。その光景を目にしている私は、とても悠々として、ちょうどいい具合に落ち着いた心持でいる。そしてなによりもあたたかな、じんわりとした幸せに満ちていた。

ほどなくして視界にあらわれたのは、大きくて立派な、オスのカブトムシ。角があまりにもりっぱで、私は右手を前に突き出して、手指を動かしながら、その形をおもいきり表現しようとしていた記憶。自分はカブトムシとして生まれるのだな、と思った瞬間、そのとなりに並ぶようにして現れたのは、オスのクワガタ。形状は明らかにオスなのだが、わたしは、メスのイメージを重ねて見ている。自分は、このクワガタとして生まれるのだ、と思った。

それに続く光景。私は、アイボリー色の、適度に明るくて、そんなに狭くなく、柔らかいイメージをもった場所にいて、そこから、外に抜け出そうとしている。出口を求めてひたすら進むのだが、ここかな、と思って進むと、やわらかな弾力のあるものにやんわりと押し返されてしまう。何度も何度も出ようと思って挑戦するのだが、同じことの繰り返し。外に出ようとする私自身の意志に全く揺らぎはないのだが、何度やっても出られないので、その場所で体育座りをして、さてどうしたものか、と思案しはじめる。その時点では、苦しさや、辛さといったものは全く感じていなくて、なんだか解けないパズル前にして、どこから取り掛かったらよいのだろうか、と考えている気分。

出ようと思っても出られない、ということを田畑さんにお伝えすると、私の頭に両手を添えて動きを助けて下さる。助けていただいたことで、外に出ようとする頭部の感覚が少し鮮明になる。上述の場所からはすでに出ているようだが、どこを進んでいるのか、まったくわからない。なんでもよいから、とにかく出ようと無我夢中な気持ちでいっぱいになっている。

うまく出られたのかどうか確信がないまま、しばらく動きを止めてじっとしている自分に気が付く。田畑さんに「どうですか」と声をかけていただいたときに浮かんできた自分の姿,それは、首を右に捻じ曲げ、体は奇妙な形にねじれている。大きな不規則な形をした黒い溝が二ヶ所見えて、全体が三つにバラバラになっている。頭は鮮明に働いているのだが、身体感覚からすると、ヒトとして生まれてきた感覚がおよそ浮かんでこない。仮死状態のような気分。そのことを自分で認識すると、姿、形はともかく、とにかく外に出られた、というなんだか少しほっとしたような気持ちがこみあげてきて、「生まれてくるのが苦しかった」といって号泣してしまった。

‐セッション後丸2日間、問いかけられるときちんと答えられるのだが、自分から言葉を発することがなかった。それは、話をしたくないから話さない、というのではなく、しゃべる言語を持ち合わせていない、といった感覚だった。

‐セッション翌日、右側の骨盤のすぐ上あたりがとても自由になった感じで、背骨を中心にして左右に腰をとてもスムーズに回転できるようになっている。背面右側に隙間ができた感じ。

‐セッション数日後、明け方に見た夢。知らないものどうしが何人かで集まって、孤児院のようなところを訪問する。道幅があまり広くなくて、すこしくねくねとした車道沿いを、まあまあ長い時間をかけて、てくてく歩いていく。広くない道だが、白いガードレールが歩道と車道をしっかりと分けている。孤児院は、そんなに大きくはないが、つくりがしっかりとした印象の建物で、入り口の前にはかなり年配の、園長と思われる男性が立っている。ちょっといかめしい顔をして、私たちが到着してもなにもしゃべらない。入口から中に皆で入っていくと、そこには満面の笑みをたたえて、私たちを歓待してくれる女性が一人。「ようこそいらっしゃいました、ここの子供たちは、めったに訪れる人もないものですから、今日は皆さんが来てくださって、みんな泣いて喜ぶと思いますよ!」と声をかけてくださる。私は、ふーん、そうなんだ、と特段感情を動かされることもなく、中に入っていこうとする。入口に深みのある黄色をしたスリッパがいくつも並べられていることに気がつき、あ、履き替えなくちゃ、と思う。中にはいってみると、小さい子からそこそこ大きい子まで、何人もが列をなして立っている。泣くかもしれない、と聞かされていたので、ちょっと身構えた感じでいたが、泣く子は一人もおらず、私がその子たちの前を通過すると、なんと、一人一人が、小さな贈り物のようなものや、折り紙でおった何かを手渡ししてくれる。私は拍子抜けしてしまい、え?あ、くれるの?と、ちょっとあっけにとられた感じで受け取りながら、皆の前を通り過ぎていく。子どもたちの表情からは、なんだか、意を決してあなたにプレゼントを渡しているのだよ、と私にそれとなく伝えたいような、そんな印象を受けた。

‐心身ともにとてもいい感じで過ごせていたのだが、セッション1週間後くらいに、道路の側溝に自転車のカギを落としてしまい、拾おうとして側溝のおおいを持ち上げたときに、左足のお尻のすぐ下あたりで、ブチっと何かが切れたような感触があった。それから一気にバランスが崩れてしまい、左脚で痛みがあちこち動くような状態になってしまった。特に膝内側、お尻に痛みがたまることが多く、バランスボードでなんとかしのいだが、なんとなく不具合が残った状態でいる。

‐この後、歯磨きをしていたら、突然左上の顎がとてもゆるんだり、散歩で腕をふって歩いていたら、うまい具合に左ひじが緩んで、左肩の後ろの可動域がぐっとひろがったり、アクシデントをカバーするようなよい動きが起こっていたのだが、こんどは、歯医者で、右側のかみ合わせがほんの少し高かったのを調整したとたん、本当に不思議なのだが、首の力が一気に抜けて、しばらくうつむいたままでしか頭を保てないようになってしまった。そのあと、あんなに深くできていた呼吸ができなくなったり、気分が悪くなったりと大変だったのだが、しばらくして身体がうまいバランスを見つけて再び整ってくると、今まで感じたことのなかった、口の中の位置感覚、特に右側の歯の感覚がはっきりとわかるようになってとても驚いている。それと、右側手術跡あたりにはっきりとした体の支えができたのを感じている。

‐右腕の収まり具合は、一進一退という感じできたが、数日前から、急に上腕部が後ろに引ける感覚がめばえてきて、それとともに、肘から上と下の動きは違うのだ、ということが初めてはっきりと意識されてきた。右上腕部の変化とともに右肩あたりが緩んできて、それにつれて左下肢がまた緩んできた感じがある。

私は、今回のセッションで、あの愛らしい存在に会うことができて、ただただ幸せです。

田畑さん、本当にありがとうございます。

心身を根本から見直す必要を感じて セッション11 (Mさん)

セッション11回目

田畑さんと対峙すると、私は毎回ただただ‘無’になる。セッション台に体を横たえて目を閉じると、始まりがどこで、終わりがどこなのか、またそれさえもあるのかないのかわからない、広大ななにかを覗き見る感覚が、すっ、とやってくる。ひたすら‘無’となった自分は、ずっとあるがままで、やがてそのなかにどっぷりと浸りだす。

その感覚に戻りたくてしょうがなかった。やっと戻ってくることができて、今回はかなり気分が高揚していたように思う。

‐顔を左に向けて目を閉じていると、浮かんできたのは海のイメージ。見た瞬間に、わっ、と心奪われる、青の色。深みがあるけれど重くなく、言葉には表しがたい絶妙な色、その青が、波を思わせる、こちらもまた落ち着きがありながらも軽さも感じる、とても好ましい白、と層をなしている。私はその情景を目にするやいなや、体を伸ばすだけ伸ばして、元気いっぱいに泳ぎだす。泳ぎながら、その青と白の景色の質感が、これもまた自分の好きな感じ~高級な画用紙、高級なカンバス、のような、しっとりとして落ち着きの感じられる質感~であることに気づくと、体中にエネルギーがどんどん満ちてくる。気分は絶好調、言葉にすると、「よっしゃーっ!!」とでも例えることができそうなほど。

しばらくすると、今度はエメラルドグリーンの海の中を、海面に向けて思いっきり体を伸ばしながら昇っていく体感、幾つもの細かい泡の粒が立ちのぼっていたから、ダイビングでもしていたのだろうか。そのエメラルドグリーンの色を見た瞬間思い出したのは、高知県へと向かう旅の途中、ふと車窓に目をやったときに、思いもかけず視界に飛び込んできた川の色。そのなんともいえない美しい色に釘付けとなった、あの川の色とおんなじだ、と思いあたると、とてもさわやかで軽やかな気分に満たされる感じがした。

その後しばらくすると、こんどはおぼろげな島の姿が浮かんでくる。ぼんやりとした景色なのに、それを感じた瞬間、私は、‘あ、江の島だ’、と思う。子どものころ、海水浴といえば、江の島海岸だった。自分が子どもだった時の記憶は、写真でみる以外にないけれど、自分が親になってわが子を何度か連れていったときの記憶がよみがえる。最寄りの駅までの電車の中から、すでに海水浴気分の乗客たち、人々で溢れかえる砂浜、カラフルなパラソルの色、水着の色、砂の上をあるく足裏の感覚、お世辞にもきれいとはいえない海水の色、午後になると適度に波がでてきて、浮き輪をつけてその波と戯れる楽しさ。なにより、ふと視線を上げると、右前方にいつも江の島がいてくれることの、大きな安心感。

関西や日本海の、人の多さも適度で、透き通ってきれいな海も知っているわが子は「人が多すぎてうまく泳げないし、潜っても水が汚なくてなんにも見えないよ~」とよく言っていたけれど、私は「海水浴は、やっぱり江の島がいつも見えるところにいてくれる、江の島海岸が最高さ!」と思っている、そんな気持ちにずっと浸っていると、江の島の奥に、オレンジ色の夕焼けが水平に広がりだす。徐々に涙があふれてきて、少しだけ声をあげて泣いてしまうが、最後には笑みも浮かべていた。

そうこうするうちに、こんどは上体を起こそうとする動き。今回起こそうとする動作のときに、例えると、適当な厚みのあるバームクーヘンを4つ位に切って、左右は解放、上下のカーブだけが残っている形をしているものが目の前にあらわれる。私は、それを、なんだか橋のようだ、と感じている。その曲がりに沿って、その形の真ん中に、黒くて、弾力が感じられる、ゴムのような質感のものが集まってできたような物質、決して太くはないけれども、十分な太さと強度がある、とかんじられる1本のものがある。そのものが、私が起き上がろうとする方向に力強く安定感のある流れをつくっていて、起きようとする私は、その流れにそって自然と体を起こすことになる。10セッション中、体を起こす動きのとき、「体のどこにも力を入れていないのに、どうしてこんなことがスムーズにできるのだろうか」と、身体の不思議さにいつも驚かされていたけれど、今回のこの出来事に、「起き上がる動作は、自分ができるとか、やっている、ではなくて、そちらに流れがあるから、ただそちらに自然と移っていっているのだ」という気持ちになり、なんだか大きな発見をした気分であった。

起き上がって、セッション台に腰を下ろす。両腕を、肘からだっただろうか、後ろに引いて、肩甲骨を動かしているような動きをしながら、上半身を起こしたり、腰から前かがみになって広げた足の間にうずめていくことを交互にしている感覚。上半身を起こしているときには、ただ真っ白な情景がうかぶ。その白は、最初に出てきた波の白とは対照的に、無機質で、なんだかとても冷たい印象の白。両足を広げ、その間に上半身を倒していく動きの時には、ただ真っ黒な情景。のっぺらぼうな黒、なにも語りかけてくる気配のない色。

これらの動きを何度か繰り返したあと、上半身を起こしたままにしていると、目の前の情景は、上半分は白、下半分は黒、と真ん中から真っ二つにわかれたものとなる。その景色を目にしていると、涙があふれてきて、いや、そうじゃないんだ、これは違う、という強い気持ちが湧いてくる。涙を流しながら、どんどんとその気持ちが強くなっていき、涙とともに、こういう状況は払しょくするのだ、この情景とはきっぱりと決別する、という気持ちが、腹の中から湧き上がってきた。

田畑さんに促されて歩いてみると、上述の強い気持ちが歩みにそのまま乗り移ったかのようで、一歩一歩が力強く、腹のすわった歩みだな、と感じていた。

‐今回のセッションでは最初から最後まで、息を吐くことに重きを置いていたようで、途中、呼吸に意識が向くと、いつも深く息を吐いていた。10セッション中では、自分が呼吸をしているのか、していないのかがわからなくなって、‘ん、私は生きているのだろうか?’と、意識して息を吸ったり吐いたりして、大丈夫なことを確かめることが度々あったが、吐くことにここまで重きをおいていたのは初めてのことだった。

‐不思議だったのは、どのタイミングだったか、上体を起こして白い情景を目の前にしていたときに、何かの匂いを感じたこと。なんだろうか、としばらくその匂いを感じていると、それは、前のセッションルームで一度だけ感じたことのあったアロマ?の香りへと変化し、しばらくその匂いを感じていたが、すっと消えていった。

‐セッション後、自分の思いをただただ語ってしまった。帰途、山手線で品川に着く2,3駅手前で、マスクをしていないことにはっと気づいて慌ててしまった。その時点までセッションにすっかり浸りきっていたようであった。

‐セッション翌日からしばらく、首の右側、そこから少し下がった肩、背中のあたりが強烈に凝った感じだった。10セッションの時にもこのあたりが凝った感じはあったが、そのときよりもすこし範囲が狭まって、そのぶん凝った感じの強度がかなり増した感触。あ、ポイントはここなのだな、と身体に教えてもらったようで、なぜか、一緒に頑張ろう、と身体に自然と話しかけていた。

‐セッションから2週間後くらいに、左の鼻から出血、左鼻の奥から、血とともになにかが流れ落ちていった感じがした。

‐セッションから3週間後くらいに、椅子に座っていたら、腰の上に上半身がうまく乗って、体がぎゅんと上に伸びていくことを体感する。その少し前から、肋骨の下の線に沿って、腹側、背中側、左右体側とも、動きの自由度がかなり増していることを感じていた。それにともなって、着地面の足の安定感が一段と増した感じがする。

‐そのころみた夢。幾つか短い夢をまとめて見ていたようで、ごちゃごちゃとして、内容ははっきりと覚えていないのだが、結論として、「自分で決めこんで、だからこうなるんだ、と勝手に思っているだけなんだ、実際は、流れとしてこんなにうまく事が運んでくれるんだ」、という感想を持って目が覚めた。

‐最近、こころのバランスボードに乗ると、右足をおもいきり外側に開き、右肩をしばらくいろんな形で回してから、足を戻し、そのあと、両足の間隔を狭める動きをして、上方に伸びていく、というのが続いている。

‐5月の連休中に、小田和正さんのコンサートが放映されることにたまたま気づいて、最近聴いていないなあ、久しぶり、と思いながらチャンネルを合わせた。穏やかな表情で、自分の気持ちを素直に歌詞にして、それを音に乗せて、語りかけるかのようにすっと届けてくれている小田さんの歌声を、耳ではなく、身体が受け止めている気がして、なぜか涙が止まらなくなってしまった。

途中インタビューがあって、「自分はとにかく人と話をすることが嫌でしょうがなかったが、コンサートを続けているうちに、何故か歌いながら振りのようなことを思いもかけず自然としてしまって 、‘おれ、何してるんだ?!’と自分でも思うことがあったり、ふとステージから降りてみると、みんなの笑顔があふれていることに気が付いたりして…」自分が変わっていった、というようなことを、ほんとうに穏やかな表情で語っていた。学生の頃、解散間近か、といわれていたオフコースのコンサートを見にいって、ただただストイックに曲を重ねていく小田さんの姿がなんとなく思い出されて、ああ、あの頃はそうだったんだ、でも人はいくつになっても鮮やかに変わることができるんだ、と思わされ、その姿を今の自分に重ね合わせてしまったための涙、だったのかもしれない。

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