セッション1回目
凄い体験をした。
年齢を重ねるにしたがって、いままでになかったような体調の崩し方をするようになり、その都度、内科、耳鼻科、整形外科などに通って対処してきたが、その方法では限界があるのではないか、としばらく前から感じるようになっていた。心身を根本から見直す必要あり、と思い様々調べるなかで、ロルフィングを知った。私は関西在住で、大阪にもロルファーの方はいらっしゃるようだが、ホームページを見てもなんとなくピンとくる方がおられず、そのままにしていたが、年が明けて、もうこれ以上先延ばしにはしたくない気持ちが湧き、前からこの方なら、と思っていた田畑さんにお世話になる決心をした。
初めてのロルフィングを前に多少の不安や緊張もあったが、とにかく自分をなんとかしたい、その気持ちが勝っていたことと、ドアを開けて下さった田畑さんの在り様が、わたしの中の「なにか」を、うまい言葉が見つからないが、浮き立たせてくれた感じがしたことで、これから始まることをしっかりと受け止めようと、前向きな心構えができた。
田畑さんは問診中、言葉数はけっして多くないが、私の言葉の内容というよりも、私の中の「なにか」が訴えることを、丁寧に聴いておられたように、今振り返ると感じる。また、実際のセッションになると、田畑さんと、私の中にある「なにか」とが交流し、私という実在は、不具合を携えた心と身体をただ横たえていただけにすぎなかった、とも思える。
田畑さんが立っておられる場所を変えるだけで、体が受ける感じが全く違うこと(眼を閉じていたので、声でどこに居られるのかがわかった)、どこにも触れておられないのに、左下肢に電流のようなものを感じたこと、左足裏にいたっては、全面が一瞬電流のようなもので覆われたこと、田畑さんが右脚を扱われると、肘を曲げて掌が胸骨あたりに接していた右腕が、徐々に起き上がっていったこと、右股関節が意識下では到底ありえないほどに開いていったこと、しまいには右半身の存在をまったく感じなくなってしまったこと、そして右半身が空間に包まれ、その空間がどんどんひろがっていったこと、途中、右脚に、ブルブルと震えがきたこと、最初、寸詰まりで、全く解放されない違和感を受けていた左半身が、田畑さんが左脚を扱われるにしたがって心地よい暖かさにつつまれだし、しびれに代わっていったことに続いて、まず肩から右腕にかけて、次いで左腕にかけて勝手に動き出したこと。これらの変化を一瞬でも感じ逃すまいと、私は夢中になっていた。
目を閉じた感覚なので、実際どのように見えているのかは不明だが、これらの動きはどれも意識下ではとうてい不可能な動きのように思えた。特に、肩から右腕にかけて動き出した時には、下に落ちるのではないかとも思えるほどの動きに感じたため、最初は動き自体を感じることで精いっぱいだったが、その後左腕に動きが移動したとき、すこし冷静にそれをとらえることができた。そのとき気づいたことは、動きがむやみやたらなものではなく、まず一定の動きを何度も繰り返して、その動きがスムーズにできるようになったら、次の動きが開始され、それをまた何度もスムーズになるまで繰り返す、というきちんとした規則性をもっている、ということであり、非常に感動した。右側での動きよりも、左側での動きにてこずっていたのだが、田畑さんが右側の胸骨部分に触れられると、次第にその動きが改善されていった。
あまりにもこの動きが長時間に感じられて、いつまで続くのかと不安になった私は、田畑さんに、「このまま動いていていいのかどうか」尋ねたが、ゆっくりと動きに従うように、と、とてもきっぱりとした指示があって、ああ、安心していてよいのだ、と、動きに身を委ねた。
そうこうするうちに、こんどは左半身が、右側に倒れた感じに続き、左の脇腹伸ばしを開始した。この動きが今回のハイライトだったと思える。深い呼吸をともなったその動き、それ自体が、「意志」そのものであるかのように感じられたからである。実際にはわからないが、その動きは延々続いたと感じられ、もう十分ではないか、と勝手に判断した私は、その「意志」にたいして、「もうそのくらいでいいんじゃないの?」と話しかけてみた。そうしたら、その「意志」は、まるで怒り狂ったかのごとく、なんと動きの強度を何倍にも増してきたのである。上方向に強い力でその後何度も引っ張られ、私はそのたび台から飛び出すのではないかという恐怖を感じたが、「意志」がそこまでしたかったその気持ちを、私はいままで全く気付いてあげられなかったのだ、と思ったらなんだか悲しくて、そして申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ええい、もう落ちるなら落ちてしまえ、とすこし開き直ったような、そしてすっきりとした気持ちになった思ったことを覚えている。
左わき腹の動きが落ち着いてくると、それをまっていたかのように今度は右腕が左腕の動きとともに上にあがり、それを数回繰り返すと、田畑さんの声が、私が伸びを繰り返していた、まさにその方向から聞こえてきた。ああ、「意志」は、田畑さんに見守られ、理解者の田畑さんにむかって、思い切りその存在を主張することができたのだ、よかった、と深く安堵した。
セッション後、気づいた変化としては
・台に座ってみると、明らかに左足が伸びている(10代後半から、体が左に傾いでいくようになり、そのため今日にいたるまで、左脚が短く感じていた)
・歩いてみるよう促され、歩みを進めようとおもうと、左足に力が思うように入らず、よろよろとよろけた。(生まれたての動物の子どもが、初めて立とうとするとよろよろする姿を思い出し、私も生まれ変わったのかの如く感じた)。
・胴回りにしっかりとした力を感じ、ばらばらだった上半身下半身の連動がとれている。歩くと、その胴回りを中心として体が前進し、手脚には全く力みが感じられない。
・体の中心軸が右側へと移動している
・ぎこちなかった左肩右肩の調和がとれている
・すべての体のパーツが調和しあい、自分が一つなのだ、と強く感じる。しかもエネルギーを蓄え、触ると弾力のある生き物と感じる
セッション翌日: 空腹感をまったく感じない。気持ちが非常に落ち着いている。周りのものの存在がとてもよく感じられ、自分はその中によく調和できている。心地よいものに包まれて、守られている感じ。かつ自他の区別がはっきりとできている。ふさぎ込むとか、内向きになるわけではないのに、周りとともに心地よくありながら、かつ自分の内側とずっと対峙している。脳を使って思考するとか、現実的な処理などしたくない気分だったが、ほぼ専業主婦の私はそんなことを言ってはいられない。たぶん、今までだったら、それを不機嫌さとして感じているのにもかかわらず、なかったことのようにして、自分の感情にしっかり蓋をしていたと思う。そのため、その不機嫌さが怒りとなっていつまでも自分の中に残っているような気がしていたが、今回は、その不機嫌さを自分のものとして感じとり、その不機嫌さをなだめつつ行動に移ったためか、怒りなどの感情が残っていないことに気付く。右手の手首からまがってしまう現象が、すこし改善している。
セッション後3日目:
起床時、左顎関節がきしむ。足の各関節がよくまがり、いままでよりも深く沈み込むことが出来るようになっている。しゃがんで立ち上がるときも、楽に立ち上がっていることに気付く。
セッション後4日目:
昨日同様、左顎関節がきしむ。体の軸が右寄りに移動したことに伴う変化だろうか。右側肋骨胸骨を膨らませて、右に広がっていきたい気分。腕を上げたとき、肘がピンと伸びる。左右の肩、腕の動きの調和がより滑らかにおこなわれていると感じる。
セッション後5日目:
起床時、耳の塞がった感じ。日常動作の中で、なんで今までこんな不自由な動きを自分に強いていたのだろう、こうすれば負担がないのに、という気づきがあった。
セッション後6日目:
起床時、耳の塞がった感じはないが、左顎の不具合をまた感じる。右側背中の肋骨が膨らみたがっているのを感じる。首が右に傾いてきているが、より良い変化のための途中経過と感じる。
今朝、家事をしながら、「私が本当に望んできた、またこれから望む幸せとは、思うよりももっともっと小さいものでよかったし、またいいのではないか」とふと思った。
いろんなことにちょっと敏感で、睡眠に関して、どんなに長い時間寝ても、起きてくると「なんか眠い」「いつも眠い」が常である子どもが、今朝は、「ぐっすり寝た」といって起きてきたことに驚く。睡眠に関して、ぐっすり、という形容をしたのは初めての気がする。わたしの変化が子どもにも良いものとして伝わっているのだろうか。
セッション後7日目:
起床時、左顎の不具合を一瞬だけ、そしてセッションを受ける前にしばしば起こしていた、左足のつる感じ、足首の亜脱臼感を感じる。昨日パソコンに向かうときの姿勢が悪かった自覚があるので、それに起因すると思う。
今朝「自分は、よいことも悪いことも含め、過去の出来事に囚われすぎている」という考えがポッと浮かんできた。昨日もそうだったが、朝一番に気付きが浮かんでくる。
胴回りのしっかりとした部分を支えとして、各関節がとても滑らかに動くようになっている。「自由」がしみじみと嬉しい。
今回のセッションでの一番大きな気付き:
いままで自分が「わたし」だと思っていた、つまり、頭で思考し、言葉を介して自分を相手に伝えてきた「わたし」は、実は「わたし」ではないのではないか。セッション最後で現れた「意志」こそが「わたし」で、その「意志」はことばを持たない代わりに、私の身体を舞台として表現したいことを伝えてくる。よく言われる「身体の声を聴け」とは、そういうことであり、私はその表現にことごとくそっぽをむいてきたから、現状があるのではないか。
今回提出する問診票を書くにあたって、今までどんなことが自分にあったか出来る限り思い出してみたのだか、自分でもあきれるくらい大小さまざま、自分が不調ととらえていた出来事があった。それらは実は不調でもなんでもなく、「意志」=本当の自分、の表明で、私はそれを無視し続けていた、イコール本当の自分を認めてこなかったということになるのではないか。ロルフィングを受けて、深く内側に沈み込む行為が続いていて、それはうーむと唸って黙り込みたく時間でもあるし、でも解き放たれていく気持ちよさがぽつりぽつりと浮かんでくる時間でもある。
第1セッション後8日目:
起床時ほんの少し左耳の詰まり感あり。左足大腿部外側にまあまあの痛みを感じるが、立ち上がるとすぐに消える。
なにごともバランスである、今の私にはそれがまったく欠けている。いまからが新しいスタート。自分に大いに期待する気持が自然と湧いてくる。これはいままで感じたことがない感覚。いままでは、頭で考えて自分をむりやり大丈夫だと思い込ませていた。同時に、期待をするが、予断を持たない、とも中の私が言っている。自分を雑に扱わない。
第1セッション後9日目:
起きる前、いつものように布団の中で腕回しなどしていると、左肩がいきなりガクンと音をたてたので、びっくりして慌てて起きて腕周りを確認する。左肩の背中に向かっての可動域が明らかに広くなっている。そのせいか、左わき腹がもっと広がりたがっているように感じる。
第1セッション後10日目:
今朝は左耳の不具合や左顎の不具合はない。左肩に変化があったからか、たまに右足外側に不快感がある。
第1セッション後11日目:
右手の手首の曲がりがまた少し改善されている。昨日肩回しをしすぎたのか、ちょっと左肩付け根が痛い。
ものにたいする間合い、距離、向かい方が今まで適当ではなかったのではないか、という気づきがある。
第1セッション後12日目:
昨晩寝ているときに、左肩がまたすこし音をたてて変化した。首が、おとといあたりから左に向くようになる。
食べ物をよく噛んでゆっくりと食べるようになっていることにふと気づく。いままでは、よく、「ろくに噛まずに飲み込んでいる」と家族に言われていた。
セッション2回目
朝、時間にかなり余裕をもって自宅を出たが、携帯を持ってくるのを忘れる、乗り換えの電車を間違えて発車前に飛び降りる、途中トイレにカバンを置き忘れる、下車時、切符をカバンのどこにしまったのか、探しても探しても見つからない、代官山駅からオフィスまで、正しい道をたどっていたのにも関わらずなぜか不安になって途中から駅までもう一度引き返す、などなど、自分でもどうしちゃったのだろう状態で臨んだセッションだったので、お部屋に入ってから呼吸が定まらず、かなり緊張してしまった。
田畑さんとのやりとりに続き、体の中との対話を始める。前回は動きの最中、私の中の声との対話がかなりあったが、今回は動きたがる体にただただ従って、ひたすら動きについていくことをしていた。今回、起こってくる動き自体をしっかりとこなしてほしい、という声が私の中に聞こえていて、その気持ちに忠実に従いたい、という心持であった。初めから終わりまで、とにかくよく動いた、というのが率直な感想である。途中、田畑さんの、どんな感じがしているか、という問いかけにも、どう動きたがっている、とか、その時に肉体がやりたがっていることしか言葉として浮かんでこなかった。
オフィスを出た直後は、あー今回は最初から最後までよく動いたなぁ、の気持ちしかなかったが、渋谷に向かう電車のなかで、突如、「爽快とはこのことだ!!」の気持ちが体の中から湧き上がってきた。気持ちが変に高揚しているわけでもなく、気分はとても落ち着いているのだが、なにか軽やかな、心にどんなものもまとわりついていなくて、ただ私の中の力を信じられる気持ちとともに、「爽快」の言葉が浮かんできた。前回は、帰りの新幹線の中、深く余韻を体が味わっている感じだったが、今回は空腹も感じたし、結構寝ることもできた。
田畑さんが本当に軽く(と感じる)触れられるだけで、首がその存在をまったく感じさせなくなったり、動きのわるい部分は、水をえた魚のように生き生きとしだしたり、私の体の動きが田畑さんの動きに従っていくのか、はたまた田畑さんが瞬時に私の体の動きを前もって感じられて、寸分たがわずそれにそって導いてくださっているのか、今回もその凄さを体がしっかりと感じた。
特に今回はセッションの開始時、まったく私の体に触れることなく、立っておられることだけで私の中に変化をもたらしておられたことに深く感動した。毎回文字通り‘もがいて’いる私に、本当に必要な時だけ助けてくださる、しかもその助けはその時そこにとってまさに過不足のないものであることにただただ驚かされる。
セッション直後の気づき:
膝から下、足の裏にかけて重みをしっかりと感じる。
右左のアンバランスな感じはあるが、股関節の存在、そして股関節と脚のつながりを感じられる。
楽に沈み込むことができる。
帰宅途中に感じた気づき:
広がりたがっていた右の胸骨肋骨が十分に広がって、呼吸がとても楽になっている。それにともなってか、数日前から感じ出した、左側の肋骨の広がりたさ加減が増している気がする。
一番驚いたことは、視界が広がっていること、場の奥行きが広くなっていることに気づいたことである。電車の中で、なんだか今日は妙に端まで見渡せるなぁ、と思い左右、また上下をなんども見てみたのだが、明らかにいままでとは見え方が異なり、場が立体的に、遠くまで見渡せるようになっているのである。今日のセッションとどんなつながりがあったのか、本当に仰天した。
また、夜、家でくつろいでいたら、突然、右肩のあるべき位置、曲がるべき関節はこれなのか、と感じられる時間があり、これにも驚いた。ただこれは、一晩寝たらその感覚はなくなっていて、とても残念である。ただ、自分の体が覚えていてくれるであろうから、いつか戻ってきてくれるという見通しが自分の中にあるのでうれしい。
第2セッション後1日目:
あちこち体が痛い。腰を中心として、肩が左右に十分に動くのが心地よい。以前に比べて、物事に一喜一憂しなくなっている。今朝、ベランダにあったゴミ袋がカラスにつつかれて、ごみが散乱していたのだが、以前の私ならたぶん大騒ぎしていたかと思うが、まったくもーしょうがないなー、と思いながら淡々と処理している自分がいた。
第2セッション後2日目:
驚くことがあった。レポートを書こうとして椅子に座って目を閉じて何度か深呼吸していたら、なんと体がセッションの時のように自然と動き出したのだ。最初は呼吸とともに胸がよく広がって気持ちいいなあと思っていたら、両腕が自然と上に動き出したのである。えっ、と思ったが、なんだかその動きについていきたい気持ちになり、セッションの時のように体の中の声に従った。椅子に座っていたので横の動きの時には何度も下に落ちそうになったが、たまたま隣にあった椅子が動きを受けてくれたのがラッキーで、途中、昨日のセッションの中で起きた、左腰が曲がって痛いのに右側は左に行きたがっている動き、そして右手指が大きく広がって腕が動き出した動きが再現されて、もしかしたら私の身体はそれがやり足りなかったのだろうか、と思った。とくに右手の動きは、限界まで開いた手指を肩から徐々に大きく回していき、最後はその動きをピタッと止めたことに感激した。最後は、座っている姿勢にきちんと戻ったので、それにも感動だった。1時間弱やっていた。
第2セッション後3日目:
数日前から、起き抜けに背中と顎が少し緊張している感じがしていたが、姿勢が変わって枕があわなくなっているのではないか、と気づく。また、これも姿勢の変化によるのか、右の腰に若干痛みを感じる。
第2セッション後4日目:
夜中にふと目が覚めて、ちょっと耐え難い孤独感?を感じた。怖くなってすぐに目を閉じたらそのまま寝てしまった。
起きると、両足が地面をしっかりと感じていることに気づく。呼吸がとても楽に深くできている。吐き出すほうがうまくできないといつも思っていたが、しっかりと最後まで吐き出すことができるようになっている。
肩の動きがなかなかしっくりこないことの自分なりの考察:
前回も今回も肩と腕に引っ掛かりがかなり感じられている。これは中学の時の部活動のテニス(朝練、放課後、土日)、それと、忘れていたが、社会人になって一時期ゴルフに熱中していたことも関係していると感じる。私はなぜかラケットもクラブも重いものを好んで使っていたことを思い出し、それらを理にかなっていないスイングで振りまわし、体にかなり負担をかけていたのではないかと思う。また、緊張すると胸から肩にかけて力を入れてしまうので、その動きが体に染みついているのかもしれない。
数日前から、重いコートが急に負担に感じ出し、いままでよくこんなものが着ていたなあ、と思うようになっている。重いものも平気で持っていたし、また持てることがなにか凄いことのようにも感じていたし、振り返るといままで自分に随分とかわいそうなことをしてきたなあと思う。
わずか2度の体験で、こんなにも身体と心に変化が起きていることに対して、とても驚き心底うれしい。しかし、昔に読んだ河合隼雄さんのご著書のなかで、「変化が早く表れるクライアントに対し、喜びすぎてはいけない。本当の変化とはゆっくりと徐々に表れるものであって、変化が早く表れるということは、実は重いものを抱えている、ということなのだ」といった意味の文章があったことを思い出す。まあ、この年齢まで本当の自分に気づかずにきてしまったのだから、それもしょうがないな、と思う。
第2セッション後5日目:
足裏がしっかりと地面を感じている。それとともに、脚の位置が前に出たような感触。ジーパンをはいていると、脚の後ろ側に隙間ができた感じ。
第2セッション後6日目:
左首の付け根あたりに痛みを感じる。左側が全体的に広がりたがっている感がますます増している。足裏が地面をしっかりと感じるようになっている。自分の中のひとは、結構いろんなことに対処していけるぞ、という感じがわいてくる。
第2セッション後7日目:
昨日から起床時、食いしばっているのではないが、歯が上下咬み合わさっている。下半身がしっかりしてきたからかどうか、上半身がねじれている感じがする。
第2セッション後8日目:
左半身、腰と背骨にそった筋肉?がかなり痛い。自分で揉んだり、さすったり、あちこち動かして少し運動してみる。
第2セッション後9日目:
昨日の自己流運動がよくなかったのか、起床時、セッション開始以前に時折感じていた右腕のしびれ感を久々に感じる。左肩がまた少し動く。
起きて歩いてみると、昨日まで感じていた、脚の位置が前に出て、脚の後ろ側に隙間が増えた感じが弱くなっている。地面を十分に感じて、地面を踏みしめて歩けることが心地よかったのだが、残念だ、と思っていたら、午後になって、歩いていると上半身が上に引っ張られている感じが出てきていることに気づく。
第2セッション後10日目:
就寝中、左ふくらはぎが一瞬つる。上半身が上に引っ張られている感じとともに、顎が引かれている感じが加わっている。いままでは顎がいつも上がり気味だったので、ちょっと窮屈に感じる。ジャンプすると、それにつれて両肩がとても自然に上下することにびっくりする。
第2セッション後11日目:
明け方にまた左ふくらはぎが一瞬つる。今回、つる前に左足に強く力を入れている瞬間を感じた。また、寝ている間に左側の歯を強く噛みしめていたことにも気づく。起床時、右手のしびれ感を感じる。午前中、右肩が何回か動いているのに気づく。右肩が動いている、と意識して感じられたのは初めてだ。
第2セッション後12日目:
右肩がやはり動いている。右肩の窮屈さが減っている。夜、左手指の骨?が動いているのを感じる。上に引っ張られた感じとともに、足が地面をしっかりと感じながら顎をひいて歩けている。よく言われるよい姿勢に近いのだろうか、それは意識しなくても自分には自然にできる力が備わっているのだ、ということに感激する。
第2セッション後13日目:
昨日感じた左手指の動きによる違和感がかなりある。
第1セッション終了後の、自己統一感、弾力のある体の感じが自分を支えている。途中何があっても、あの感じが自分には持てるのだ、といううれしさが自分の自信につながっていると思う。
今回のセッション中に起きた自分の動きには、赤ちゃんが歩けるようになるまえにゴロゴロする動き、寝がえりをうとうとするときの動き、ハイハイするときに腹ばいで上半身をもちあげる動きに近いものが含まれているなあ、とふと感じた。
セッション3回目
セッション3回目予定日前日から体調を崩し、結局3日間寝たきりであった。ひどく無理をしたわけでもないのに、ここ半年の間で、同じような症状でやはりながく寝ついてしまうことが2回あり、なにか自分の中にひっかかるものがある。
3回目のセッションでは、田畑さんが立たれる位置を決められるやいなや、即座に身体が反応して、追いかけるのが大変だった。というか、前半部、まったく動きについていくことが出来ず、動きにともなう感覚のみ少なくとも感じようと努めた。
田畑さんが触れられると、身体の細胞がそれにいきいきと反応する。今回も、脚に軽く触れられるだけで、そのあたりの細胞がぱーっと嬉しそうにはじけ、その直後、身体の中心からすこし右あたりを白いものがまっすぐに貫き、その部分がすぐに透明に変化した瞬間、身体が「おおっ」と驚愕の声を上げた。
途中、下腹部がそこだけ透明で全く無くなったかのように感じた時、また両肩が白く変わったイメージを感じた時も、やはり身体が「おおっ」と声を上げていた。これらの変化は田畑さんが全く私に触れることなく引き起こされ、田畑さんの凄さをただただ感じた。
途中、台の上から滑り落ち、胎児のように脚を組んで床に仰向けになっている自分。胸、腹部分が、茶色がかったオレンジ色の大きく横にひろがる楕円で満たされ、とても大きく息をゆっくりと吸う。胸のあたりになにか感じるものがあり、気づくと、顎の下から骨盤部分まで、灰色の長方形の、硬さのあるものに覆われている。これはいったい何なのか、必死で探ってみるがどんな感情もイメージも浮かんでこない。すると驚くことに、右目から涙が流れだしていることに気づき、それに続いて左目からも流れ出していた。
「泣くなんてまったく思いもしなかった」というと、田畑さんは「解放されたときにも涙は出ます」とおっしゃる。そのあとしばらく、表現は変だが、静かな、重くない悲しみに包まれ、そののち何ステップかを経て身体を起こす動きとなった。
田畑さんが台に座ることを促してくださり、どこに感覚があるかと尋ねられる。肩周辺に感じた私はそこを指で囲むと「ではそこを感じてみてください」とおっしゃる。じっと感じていると、思いもしないことがどんどん起こっていく。(ここからは、起こったことの時系列が少しあいまいである。)
‐突然顔を覆ってうずくまり、わあわあと声をあげ、なにか身体のなかから丸いものが飛び出すのを感じると、なんと「生まれてきてよかった」と叫ぶ。
‐自分がどんどんどん小さく、ちっぽけなものとなっていき、小さな粒となったとき、上へ上へと昇っていく感覚がうまれ、たどり着いた先は明らかに宇宙のイメージ、その中を落ち着いた気持ちでゆらゆらとたゆたっていた。両手を広げたり、上に伸ばしていったり、身体の前面が広がってとても解放された気分がたぶんこの前にあったと思う。
‐地球に戻ってきたイメージ。もう一度顔を覆う動き。今度は、どんな感情でいるのか探ろうとしてみる。最初は中くらいの悲しみを瞬間感じ、それに続いて胸のあたりが熱くなりだし喜びの感情がこみあげてきて、「みんなにありがとうといいたい」と声にだしていた。この、「みんな」とは、具体的に人をさすのではなくて、もっと根源的ななにか、原初的ななにか、のイメージが湧いていた。
‐私という存在は、もともと宇宙の塵のようなもので、そこに存在するもの達に応援されてこの世にやってきた、というリアルな感覚。
しばらくうずくまっていると、台から滑り落ち、丸くなってじっとしている自分がいた。ここからははっきりと覚えている。
しばらく丸くうずくまったままでいる。身体がよりいっそう小さくきゅっと収斂したかと思うと同時に、床に黒い、すべてのものを吸い込む一点が現れ、そこに床面に接していた頭の部分が強く吸い込まれていくのを感じる。吸い込まれたと思うと、こんどは、ポンッ、と収斂していた身体がはじけ、(その瞬間、両脚がはねたような感触を得る)「あ、自分は種子になっていて、たった今発芽したのだ」と確信する。そのあと、ぐんぐん芽を伸ばし、双葉となり、葉っぱの数を増やし、さらに茎をのばし、どんどん成長する植物の姿を身体で体現していった。最後の部分で、左足をまず地面につき、そのあと右足をついて、成熟した植物になるまでの間、身体をグラグラと前後左右に揺らしていたのは、まるで人間が大人になる前の思春期を再現しているかのごとくに感じた。明らかに私は生き直ししている、と確信し、静かな感動を覚えた。
今回、自分の感覚を感じることにのめり気味で、現実とのつながりが薄く感じられていたので、田畑さんが絶妙な間あいでかけてくださる声によって今に戻るタイミングがうまく与えられ、自分はとても安心して中の自分を感じる行為に浸ることができた。田畑さんがしっかりと今を見据えて私にそっていてくださる感じを私の中のひとはしっかりと受け取り、自由に振る舞うことができていて、とても解放されているな、と感じた。今回のセッションの後半部は、私にとってまるで物語のようだったのだが、それらの出来事を私にもたらしてくださった田畑さんには、今回もただただ感謝の一言でしかない。
セッション終了後:
セッション前よりも、肩が内側にきゅっと収まっている。
帰りの新幹線の中で、胎児の形をして、灰色の部分を抱えた姿の時の感覚にひたすら浸る。新大阪駅につくと、視界がまた一段と開けたように感じ、光のまばゆさ、そして目にはいってくる人の波、情報量の多さに、どぎまぎした。
セッション翌日は、起こったことを自分の中で咀嚼することが難しく、あせらずゆっくり感じてみようと思う自分がいた。また、その翌日には子どもが体調をくずし、その世話でばたばたと過ごしてしまい、自分と向き合う時間がまったくとれなかった。
セッション後3日目:
骨盤内の左寄りの部分で、プチっと何かがはじけたような、切れたような感覚のあと、そのあたりが急に自由になったことを自覚する。背骨にそって左側の部分、慢性的に押すと弱い痛みを感じていたのがきれいに消えている。夜中に目が覚めて、覚める寸前に左足首より下が魚の尾びれのような動きをしていたことに一瞬気づく。モスグリーンの濃淡のある風景が頭にのこっていて、深海魚がゆったりと海底をめぐっているイメージが湧いた。身体、心の深いところを探っているのだろうか。
セッション後4日目:
歯のかみ合わせがますます上下しっかりとしてきているためか、顔の骨格が変化していることに気づく。
セッション後5日目:
右肩、右腕の不規則な動き、違和感がある。咬み合わせもすこしずれた感あり。
セッション中の灰色の物に覆われていた時のことを田畑さんのおっしゃった「解放」という単語とともにずっと感じ続けていたが、浮かんでくるイメージ、思い当たること、さまざまあったが、結局、その物質が灰色の鉛のイメージでなくてよかった、(自分は薄くもなく厚くもないプラスチックのイメージを抱いていた)救われた、と感じるに至った。
セッション後6日目:
右肩の違和感に加え、右足体重が外側にかかって、歩行時の不快感が加わる。
セッション後7日目:
夜中に目が覚め、とてもすっきりした気分でいることを感じる。しばらく起きていると、右手の親指が、そこそこの強さ、スピードをもって曲げ伸ばしを始める。延々続けた気がする。動きの最後数十回には左手の親指も加わる。これに関しては、割とすぐ思い当たるイメージがあり、それに浸っていると「あなたが負うことではない、あなたはあなたを生きるのですよ」との内なる声が聞こえてきた。また一つ「解放」が起こったと感じた。明け方左足が一瞬つり、起きると左足外側に痛みを感じるがすぐに解消される。
セッション後9日目:
ここ3日間、両手で自分をきゅっと抱きしめるかたちで目が覚めていることに気づく。第2セッション後にも何回かあったのだが、たまたまかな、と深く考えなかったのだが、さすがに3日つづくと自分の中を探ってみざるをえなくなる。感覚、感情をたどり、最後に浮かんできた言葉は「努力なんかしたくなかった」。それに続き、身体が自動的に動き出す。右首のあたりを懸命にのばす動き、それと第2セッションでできなかった寝返る動きを成功させ、腹ばいになって反り返ることが出来ていた。起床してからも右腕、右首あたりを中心とした動きがかなり続き、結局、右肩あたりに余裕ができて、動きがかなりスムーズになっていることに気づく。努力なんかしたくなかった、という内なる声に、そうだったんだ、と静かな悲しみがわき、少し涙がこぼれた。
セッション後10日目:
明け方目が覚めると今日は上腹部のあたりを手がおおっていることに気が付く。昨日と同様に、感覚、感情を探ってみる。その気持ちに浸っていると、右肘から下を思いっきり外側に向け続ける動きがしばらく続き、その後右腕回しが始まる。起床後両腕の感覚を確かめると、違和感のある右腕の位置が、すんなりと収まっていることに気づく。ただ、暫くすると、また元の違和感ある感じに戻っていた。でも、あのすんなり収まっている感じが持てた、ということが自分をとても勇気づけてくれ、自分の身体に、すごいなぁ、有難う、の気持ちが自然と湧いてきた。
セッション後11日目:
また夜中に目を覚ます。右腕が自然と回転を始める。かなりの大回しから始まり、腕を伸ばせるだけ伸ばしての回転をかなり長時間続ける。そのあと、左腕の回転に移る。左腕を回しているときには、腕のねじれを修復しているかの感覚があり、左肩甲骨の中の浅いところで、なにかが切れた感覚があった。また右腕の回転に戻り、長時間続ける。最後に、両腕を同時に動かす動き、途中には身体をねじる、両手指を思いっきり開く、寝返る(昨日よりもずっとうまく出来ていた)、など。途中で眠たくなり、動きを止めたくなったほど、長時間動いていた。起きてしばらくして肩回りを観察してみると、昨日よりも両肩の動き、特に内側に丸める動きが格段に良くなっている。左脇腹の骨が、隙間をもって一本一本動いている感覚が持てるようになっている。それに対して右脇腹の骨は依然としてくっついたままの感じで違和感がある。
セッション後12日目:
夜中に目覚め、すっきりとした気持ちでいる。しばらく目を開けていると、左手のこぶしを握って、腕をぐるぐると大回しにし始める。今回は左側の動きが中心、左手首を思いっきり振り続けたり、腕を肩から右に折り返したり、腕を大回しする動きなど。かなり長時間続けたあと、右腕も回転させる動き、寝返りの動き、左体側を思いっきり伸ばす動きなど。
起きてみると、昨日より一段と腕を肩から丸く収めようとする感じがでている。起きてからはことあるごとに上半身を左側に捩じらせたがっている。しばらくすると上半身を不規則に回転させて、元の感じに戻ってきた。
セッション後13日目:
夜布団に入ると、左脚が回転を始める。大きく、小さく、さまざま暫く回した後、今度は右腕の動きに移る。右こぶしを握り締め、肘から下を大きく振る動き、肩から腕全体を大きく回す動き、など、昨晩の左半身の動きが右に移ったような感じ。しばらくすると寝てしまったようで、夢を見る。家の中の様子はいかにも昭和、中学生くらいの不活発な雰囲気の男の子、一人できちんと正座をして食事をとっている。背後には皿洗いなど後片付けをする女性の後ろ姿。私は、その男の子の斜め前に少し離れて座り、興味を持ってその男の子の様子を観察している。食事の途中で男の子が、不器用に、喋りなれない様子で「お、い、し、い」と呟く。それを聞いた私は、皿洗いをしている女の人に、「おいしい、って言ってますよ~」と声を上げると、女の人は、その子が言葉を発したことに驚き、信じられない様子、とても興奮し嬉しそうな顔をして「奥様に報告しなくては」といいながら、昭和の時代の黒いダイヤル電話の受話器を手に取る。そこで目が覚める。右手のひらを、喉のほど近く、右側鎖骨の上にあてていることに気づき、その気持ちを感じてみる。すると、ほのかな赤い色とともに嬉しい気持ちが湧きおこり、続いて背中が上に持ち上がるほど、とても大きくゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す動きを長い間続ける。その後、また右腕を大きく回す動きを暫く続ける。その後、右側に大きく呼気を集める動き。両脚を内向き、外向きに動かす動きもあり。起きてみると、右側が若干膨らみやすくなっていることに気が付く。夢の中の登場人物はなぜ男の子だったのだろうか、と起きてから考えてみたが、それは自分の中の男性性の振り返りに繋がった。
セッション後14日目:
とにかく眠い、と思って布団に入る。寝ている間に何度も目が覚めて、そのたびに手足の指を大きく広げていることに気づく。夜中に、手指を大きく広げて胸の上に手を置いていることに気づき、なにか浮かんでくるイメージがあるか感じようとするが、眠さにまけてそのまま寝てしまう。明け方、なぜ私は一つのことを長く続けるのが好きではないのか、という問いが湧く。それにまつわる感覚、イメージを探り、思い当たることがさまざま浮かんでくるのと同時に、右腕が大回しをはじめ、その後左腕へと移っていく。最後両腕を上に伸ばす。起きてから、なぜ英語だけ例外的にずっと学びつづけているのか、という問いが湧き、この問い、明け方に思い浮かんだ問い、そして昨晩の夢に繋がる自分の中の男性性への気づきとが関連していることに思い当たり、なかなかの衝撃を受ける。
セッション後15日目:
身体は動きたがっていたが、夜更かししてしまったため寝ることを優先してしまった。でも、寝ている間も、身体を思い切って反り返らせたり、左足をいきなり縮めたかと思うと右足を思いっきり伸ばす、など、何回かそのために目が覚めたので、私の中のひとは頑張っていてくれた。
ここ数日ずっと続いている腕の大回しとそれに付随する一連の動きは、自分の今までの思い込みをもしかしたら振り払うためのものではないか、と思えてきた。セッション開始時に撮っていただいた写真のうち、私が一番強烈なショックを受けたのは、右肩をがっくりと落とした自分の後ろ姿で、それを見たとき「一体私は自分に何を背負い込ませてきてしまったのだろうか」という言葉が浮かんできたことを思い出す。
セッションを受け始めて、内なる本当の自分に興味が湧き、関係しそうな本を読んでいるのだが、ある本の中で、過去、現在がどんな状況であろうとも、すべての人はcuriosity, compassion, calm, clarity, creativity, courage , confidence, connectedness を内に資質として持っているのだ、という一文に出会い、なんて勇気をもらえる素敵な言葉なのだろう、と心の底から嬉しさ、前向きな気持ちがこみあげてきた。そして、私はロルフィングを通じて、この資質につながっていこうとしているのかもしれない、と思えてきた。
第3セッション後16日目
夜中にまた目を覚ます。今夜の動きの中でびっくりしたのは、右手で顔をくまなく押さえる動き。強くもなく弱くもなく、最後は輪郭をきっちりと一周して終わった。そのあと、両手で頭の位置を動かし始める。ちょっとぎょっとして、怖い、と感じる。朝起きてみると、ものの見え方に変化。ものの質感をとてもはっきりと感じることが出来るようになっている。すべてのものは一つ一つはっきりと違うのだ、という感覚。
第3セッション後17日目
夜中に目を覚ます。今回は左手で顔をくまなく引っ掻く動き。一通り終えると、今度は右腕の肘周辺に移り、最後は上腕部をつまんで動きを終える。朝起きて鏡を見ると、顔にうっすらと赤く引っ掻いた跡、顔がひりひりとした。
第3セッション後18日目
夜中、右顎から左顎までまんべんなく左手で引っ掻いている記憶。
第3セッション後20日目:
夜中、左手で右上腕を強く叩いていることに気づいて目が覚める。
第4セッション
田畑さんが立たれる位置を決められると、おだやかな、オレンジ色、黄色の小さな花々が咲くお花畑にふんわりと包み込まれているイメージが湧き、本当に心地よいなあ、と感じる。
‐すぐに、身体をくの字にする動きとともに床に転げる。田畑さんが見守って下さる中、身体が自在に動き出す。動きの当初から、落ち着いた質感の茶色のなにかが思い浮かぶ。
‐途中、内臓が上に持ち上がってくる気分、身体に筒のような空間が出来、そこの中はゆったりとものが動ける感じ、脚を開脚する動き。
‐いろいろな動きのあと、自力で身体を起こそうとするが難しく、田畑さんに背中を押し上げていただく。少ししてまた床に伸び、動きを続けていると、三十三間堂の観音様のイメージが突然湧いてくる。冒頭の茶色のイメージとつながる。とても大きなエネルギーをいただいている感覚、それを両手でかき集める動き。
‐再び起き上がろうとするが自力では難しく、やはり田畑さんに助けていただく。両手を合わせて祈りを捧げる動き。強い感謝の気持ちが湧きあがり、号泣しつつ左足を激しく震わせる。自分は大丈夫だ、という強い気持ちとともに、腰に手をあてて立ち上がる。思わず笑みを浮かべてしまうほどうれしい気持ちが湧きあがる。続いて、銀色のまっすぐ伸びた道のイメージが浮かぶ。強い孤独な気持ちも同時に湧き上がるが、後ろを振り向かずに突き進む強い意志を感じ、ふたたび笑みを浮かべてしまう。
セッション終了後:
左脚は内側に、右足は全体的に力を感じる。お腹周りにも力強さを感じる。うれしくてぴょんぴょん飛び跳ねながら歩いていたい心持。
帰りの新幹線、身体が崇高な、威厳のある感じに満ちている感覚。ともかく眠かった。
新大阪に近づいて起きた時に、右首のすぐ下がとても凝っていることに気づく。下車して歩いてみると、右肘下の動きが少し楽になって前よりも腕が振りやすくなっていることに気づく。
第4セッション後1日目:
身体があちこち痛い。眠さが今日も続く。昼寝をしたときに見た夢。二連続で、自分自身の嫌と思う点が示され、起きたときに重苦しい気分であったが、すぐに「これらは自分のものとして自分の内に統合していくものだ」との思い。
第4セッション後2日目:
今日もともかく眠くて昼寝。目覚めて両腕を上に伸ばしたら、左腕だけブルブルと震えが起き驚く。
第4セッション後3日目:
物の見え方に一段と変化がある。空間が丸身をもった空気で満たされている感じ。すべてのものが立体感を増し、質感がアップ、色鮮やかで生き生きとして感じられる。夜中に左手で顔を引っ掻いていた記憶。
第4セッション後5日目:
立っていて、地面に足が引き付けられる感じ。手にもっている荷物が上下にちょうどよいバランスで保たれている感じに気づく。街を歩いていると、建物が地面から上方に伸びている感じがとても強く感じられる。相変わらず眠くて、食事をする、家事をする、以外はほとんど寝ている。
第4セッション後6日目:
地面がいままでよりも上にせりあがって見える気がする。街を行く人々や建物が、それぞれとてもコンパクトにまとまっている感じ。すべてのものが生き生きとしている。すべてのものは地面を起点として空間に広がり、地面に繋がって生きているのだ、という気づき。相変わらず眠い。
第4セッション後11日目:
自分は扇の要に位置し、すべてのものを見回している、という感覚。すべての起点は自分にある、自分と他者とは交わっているが、いつも自分が初めにある、との感覚。物理的なものの見え方が徐々に変化してきて、それと同時に自分のものごとに対する見方が明らかに変化している。
第4セッション後16日目:
セッション後、初めて眠さからすこし覚めてきた感覚。
昨日までは最低限の家事、夜寝ること、食べること、昼寝以外、本当になにもしなかった。それがあたりまえで、それしかない生活に特に疑問を持つこともなく普通のことであるかのように感じていた。まるで乳児のような生活。
人生すでに半分以上終えている自分が、今、たった数か月の間に、容易に言葉にできないような体験をさせてもらえていることの意味を考える。ロルフィング、なにより田畑さんにただただ感謝でしかない。そして、何故か、人間ってすごいなあ、素晴らしいなあ、と思う気持ちが湧いてくるのを止められない。
セッション5回目
4回目のセッションからだいぶ間が空いてしまった。緊急事態宣言期間中、自粛ムードに過剰に反応しないようにしていたつもりだったが、やはり自由な選択が制限されていることを感じ取ってか、身体はかなり緊張していたようで、だんだん就寝時でもリラックスできてないなと思う日が増えていった。
5回目当日、自宅を出てからずっとマスク着用でいたが、オフィスに到着しても、呼吸と、セッションに向かう気持ちをうまく整えることができず、マスクによって生じる様々な負担がとても大きいことが身をもって感じられた。少しイライラした気持ちを落ち着かせようとしていた時、窓が開いていたのか、不意に鳥の鳴き声が耳に飛び込んできた。高原で耳にするような鳥の声で、初めは、ん?なにかのBGM?とも思えた。こんな都会の真ん中で!とびっくりしたが、なんだかスーっとした気持ちが身体に入り込んできて、有難いな、と思った。
いつもよりずっと意識が勝ったままセッションに入ったので、すこし不安で落ち着かない心持がした。右ひざをたてるようにとのお声掛け、その後身体をセッション台にあずけていると、両手指を大きく広げ、両腕が動き出すのを感じる。と同時に、白い衣装を身に纏い、頭にも白い布を巻いた女性が舞台の上で、たった一人でライトを浴びて、顔をくっと持ち上げたまま舞を舞っている様子が浮かんできた。会場に人影はなく、私はその様子を一人で遠くの位置から眺めている。何を踊っているのか見極めようとじっと女性を見ていると、不意に「今日は、私だけのために、私だけの舞を舞うのだ」という強い意志が湧いてくる。その強い気持ちを感じたまま女性を眺めていると、いきなりその姿がバンとクローズアップされる。その時の私は、とても誇らしげで、一心不乱、だれに見せるためでもない舞をただ自分だけのために舞い、自分の気持ちにぴったりと寄り添って自分を慈しみ、深く大きなエネルギーを感じてその女性と一体化していた。その間、田畑さんが右足内側、右足首を丁寧に施術して下さっているのを感じていた。
するといきなり場面が変わる。イギリスの児童文学の本にあるモノクロ挿絵のようなタッチで、それに色、動きがついて現実となっているような絵が浮かぶ。やわらかい緑色の草、ちょっとした湿地のような場所に大きなカエルが一匹、キョロキョロと周りを見回している。私の視線はそのカエルの視線と同じ位置。お茶目で、好奇心に満ちているカエルだなあ、と私は感じている。すると右目からツツーっと涙が伝っていくのを認識し、自分が泣いていることにとてもびっくりする。
また急に場面が変わり、こんどは「愛の賛歌」がいきなり流れてくる。赤いライトを背景に、赤いロングドレスをきた女性が歌を歌っている姿がすぐ目の前にある。誰だろうと思って顔を凝視すると、越路吹雪さん、深く大きくすべてを包みこむイメージ。私は観客としてみているのではなく、その世界に自分が完全に一体化している。歌の続いている間、自分は深いところで十分に満たされ、自分の中に大きな力のようなものを感じていた。歌が終了したあとは、とてもすっきりと軽やかな気分でさえあった。
セッション台に座るよう田畑さんに促される。座るとすぐに、上半身がゆらゆら揺れだす。先ほどまでの出来事を自分のなかで消化、身体におさめていこうとしているように感じた。
しばらく揺れたのち、ピタッと止まって台から滑り落ちて床にじっとうずくまる。じっとしていると、子供の頃に見たカブトムシの幼虫の像が、ぱっと脳裏に浮かび、「カブトムシになるのかな」と思う自分がいた。そしてゴロゴロと床をころがり手をヒラヒラさせはじめたかと思うと、大きなキアゲハの両羽が脳裏いっぱいに浮かぶ。クルクルと丸まった触角まで脳裏にうかんだところで、今度は全身がジンジンとしびれたように感じ始める。最後までしびれていたのは右腕右手。そののちまたゴロゴロと床を転がりながら徐々に立ちあがる。
立ちあがったところ、今度は腹まわりに途方もないエネルギーを感じる。いきなりの状況にどうしたらよいのか、でもとにかく自分はこのエネルギーをなんとかして自分とともにあるようにする、と決める。手のひらを上向きにし、エネルギーのゆっくりとした上方向への動きとともに腕を押し上げながら肩までがエネルギーを満たすことに成功したとき、あぁ一人で何とか出来た、という安堵感があった。わずか数分の出来事だったと思うが、こんなに、と驚くほど上半身そして顔まで汗まみれになっていた。着替えをしながら、最後の動きで蝶の立派な胴体をつくりあげることに成功し、私は一人前の蝶になれたのだ、ということに気づき、言葉にならない、静かな、でもとても大きな何かが自分の中に沸き起こっているのを感じた。
セッション後の写真では、横から撮影したときの胸幅があきらかに厚みを増していた。帰りの新幹線の中では寝ることもなく、しっかりと意識が覚醒している感じ。家に着き、ふと鏡をみたら、目に凄い力が備わっている感じがして驚いた。
第5セッション後1週目:
‐第4セッション後、なんとなく上半身が揺れている感じ、内臓が落ち着かない感じで不快感があったが、それがおさまっている。
‐右腕、右肘下の動きがとてもスムーズになっている。腕が背骨に沿って動いている感じ。腕を上から回してきたときに感じていた右肩のひっかかりもかなりおさまっている。
‐今回は、ものを見ると頭がふらつく感じ、右目左目が統合されてない感が出てきているが、頭の真ん中からものを見るようにするとだいぶ改善される。
‐起床時、うつぶせになっていることが数日あった。
第5セッション後2週目:
‐胴体がピンと伸びたがっている、そしてもっと右側に捻じれたがっているのを感じるが、その動きをすると、首から上のおさまり具合が悪いのか、顔や頭にとても違和感があり、それとともに身体も元に戻ってしまうことがたびたび起こる。
‐寝起きにうつぶせになっていることの頻度が1週目より増している。
第5セッション後3週目:
‐左足首に柔軟性ができてきている感じがする。柔軟性を感じてからはうつ伏せ寝になっていることがなくなっているので、なにか関係があったのか、と思う。
‐左右の目の統合感が徐々に出てきて、頭のふらつき感もおさまってきているように思う。
‐何か行動を起こすときに、ためらいなく出来るようになっている気がする。
第5セッション後4週目:
‐右胸右肩の前あたりの空間が広がってきた感覚。それにともなって右肩がすこし後ろ側に引かれる感じが出てきて、それが心地よい。
‐胴体が右側に捻じれたがっている時に、首より上が心地よいおさまり場所を見つけた気がする。このバランスがうまく取れた時、気になっている左肩の引っ掛かりが軽減する気がする。
第4セッション後までのように、毎日のようになにかしら頻繁に変化が起こる感じはなかったが、大きな枠のなかでゆったりと、感じた変化を徐々に安定させたり、定着させて
こられてきていることが、それはそれで自分の自信となり、心地よいことだな、と思えている。
セッション6回目
今回は渋谷駅からマスクをはずしてゆっくりと歩き、呼吸を整えつつオフィスに向かったので、前回よりもずっと落ち着いてセッションに臨むことができた。
‐田畑さんがスタートの位置を決めるとき、初回からずっと、頭側に立たれるとなんともいえない圧や不快な感じを持つことは変わらない。
‐うつ伏せから始まって、すぐに左手を上に伸ばす動き、右手も回転させて上にもちあげる。水の中の断面の映像が浮かび、クロールをしたい、と思って何度かクロールの手の動きをする。
‐そのあと、首から上を可能なだけ後ろにそらしてそのまま保つ姿勢を、だいぶ長くつづけていた。光沢のあるずっしりとした質感の漆黒のもの、そのなかに鈍く光る金色の不規則な幅のラインが混じっていたが、それが自分の首から上の位置にとって代わっているイメージ。「頭をリセットする、頭で思考するのは止める」との意志が浮かんできた。
‐水中にいるイメージはすぐに消え、こんどは何かの生き物が身体、四肢を思いっきり伸ばして動いている姿が浮かぶ。浮かんできた言葉は「躍動」。「どこかでこの生き物はみたことがあるなあ」と思っているが、はっきりした情報は浮かんでこない。その生き物に自分を重ねて身体を動かしていた。
‐セッション台から床に転がり落ち、いろんな動きをしていたが、まず覚えているのは、伏臥で、腹を支えにして下半身を浮かせ、思いっきり上半身をそらしていたこと。結構長く続けていた感覚、とにかく上半身がなくなったかのように、軽くて、とても気持ちがよかった記憶。終えてから何度も何度も鼻から深く息を吐き出していた。
‐つぎに覚えているのは、下腹部を支えにして、上半身下半身を思いっきり左右に振りつづけている姿。「よくこんなに続けられるなあ」と思っている自分。動きが止まると、やはり深くて長い息を鼻から何度も吐き出していた。
‐最近頻繁に聴いているあいみょんの歌が流れてきて、エネルギーをもらった、嬉しい、と感じていると、そのあと大きな蓮の花、葉が浮かんできた。日本絵具で彩色されたイメージ、とても透明感のある色。つづいて、青みの強い水色系の色一色で覆われた空間があらわれ、軽やかで、でもなんとも言えず気持ちが落ち着き、満たされている心持。「あ、極楽浄土だ」と思う自分。左手を上に伸ばして横たわったままでいると、ギターを抱えたあいみょん、蓮の花、葉、そして水色の空間、の絵が、三場面同時にあらわれる。目から涙があふれ、田畑さんから、今どんな気持ちかの問いかけがあり、「静かな感謝に満ちている」と返答する。
‐そのあとまた身体を動かしていると、今度は大阪の戎橋にあるグリコの看板が現れ、やはり「躍動」の気持ちが浮かんできた。身体を動かし続けている間、赤い衣装に身をまとったフラメンコを踊る女性の姿が瞬間浮かび、そのあと、淡く柔らかいクリーム色がグラデーションとなった光のイメージが一面に浮かび、セッションの始めに登場した生き物がその光に向かって進み、光のなかで思いっきり身体と四肢を伸ばして動いている姿に自分を重ね合わせていた。
そのあと、身体を徐々に起こし、体育座りして上半身の位置を整えるような動きなどを経て、最後は腰に手をあて、立ち上がった。
‐田畑さんに促され、歩いてみると、上半身がとても軽い。背骨も含めて、背中がとても柔らかくなっている感じ。写真を見ながら、田畑さんは肩と骨盤のラインが水平になっていることを指摘される。
‐着替えをしながら、先ほど登場した生き物のことが気になり、考えていると、馬場のぼるさんという方の絵本「11ぴきのねこ」シリーズの猫達のイメージだった、と思い当たった。そんなに思い入れをもって読み聞かせしていた本でもなかったのに、とすこしびっくりした。
‐セッション翌日は、背中、特に首の付け根、腰回りがかなり痛かったが、次の日になると、首の付け根の痛みはすっかりなくなっていた。毎回思うが、セッション後におきる痛みは、いわゆる運動などをしたあとの筋肉痛などとはまったく異なり、その部分が自分に意識されるべき場所なのだ、ということを身体が教えてくれているように感じる。
‐セッション後4日目、腰回りの重苦しさはまだ残っている。ここに腰を落ち着けると痛くないな、という位置は自分なりに見つけられたが、自然にその場所をキープするのはまだまだ無理な感じ。でもその場所に腰をもってくると、両肩のひっかかりが軽減するので、腰のあたりと肩は関係が深いのかな、と感じる。
‐右肩の位置が少し変わったのか、箸やスプーンを持って口に運ぶことがまた少し楽になっている。
‐膝の周りになにかサポートがついたような感じで、曲げ伸ばしや歩行する時に、そのサポートが細かい調節をしてくれるので、とてもスムーズになったような気がする。
‐セッション5回目終了後以降、とてもすっきりとした、透明な心持が続いている。それととにかくこの一瞬一瞬をなんとなくやり過ごしてしまうのではなく、そのときどきの感情をしっかりと感じて、出来事を味わって過ごしていこう、という気持ちがずっとある。
‐いろんな事を、頭で受け取って考えるのではなく、身体で受け止めてどんな行動をとるかは身体が決めている感じ。だからいままでと比べて決断がはやくなっているのだ、これは自分のことながら、すごい、と思う。
‐肉、魚や、お菓子、加工食品など、いままで好きだったものがあまり食べられなくなってきている。
よい英文エッセイを書く上で欠くことのできない要素、と教わった ‘coherence’ 「つながり」と’cohesion’「まとまり」、のことを考えていたら、これってそのまま身体にもあてはまることじゃないか、良い身体にはいろんなレベルでの細胞、器官間の好ましいつながり、そして全体としてのまとまりが大切、と思いあたってちょっと感動した。
セッション7回目
東京都のコロナ感染者数がまた増加してきていたため、4月のように移動が制限されセッションが受けにくくなることは避けたい、と感じ、予定をかなり早めて7回目をお願いすることにした。
‐田畑さんが立ち位置を決められ、セッションのはじめのあたり、私は頭を右に向ける動き。どんな感じか尋ねられ、左顔面のあたりが、スースーする、とお答えする。そのあと、今回はセッションが終わる間際まで、ただただゆっくりと思うままに身体を動かし、その間イメージとして浮かんでくるものは何一つなく、見えている色の変化も全く感じられなかった。
しかし、後半、田畑さんにお声がけをいただいて我に返った時、目にうっすらと涙を浮かべていることに気が付き、少し驚いた感じでいると、前回のセッションの時に見えたクリーム色のグラデーションの光のイメージが突然あらわれてきた。そして、遠いところにおぼろげな像が感じられたので、目を凝らしてよく見てみるとそれは聖母マリアの姿、あっ、と思っていると、いきなり目の前に、ちょっとお茶目な感じの天使(セッションの時は、森永ミルクキャラメルのパッケージの天使だ、と思った)が登場した。天使の姿はすぐに消え、クリーム色の光は、漆黒の空間へと変化した。
暗闇の先にはなにがあるのか、なにが起こるのか、計り知れないものを感じて、ひるむような、立ちすくんでしまうような心持がしたが、それと同時に、右手のひらをドン、と床につく動きがおこり、なにか大きなもの、大地、と自分はつながったから大丈夫だ、という気持ちが沸き起こってきた。その黒さを感じた時、それまでずっと続いていたグレーの景色は、なにも色が見えていなかったのではなく、グレーという色の空間をゆっくりとたゆたっていたのだ、と思った。
終了後、歩いてみると、頭の位置がすっとおさまり、上半身が腰に乗る感じ。前回のセッション後、家でいろいろと試す中で、左肩の引っ掛かりが一番少なく、自分で望ましいと感じていた姿勢での歩きができていて、とてもうれしかった。
新大阪駅に降り立ってみると、間違いなくいつもの駅なのに、なんだか一つ一つのものが大きく見えるように感じたり、見えているものの収まりがとても悪いように感じた。いつもの場所なのに、いつもの場所ではないのではないか、と不安に思ってしまう感じがあった。
‐翌日、鏡をみていてなんとなく顔つきが変わったな、と思い良く観察してみると、鼻腔が広がっていること、眉間が心なしか広がっていること、に気づく。口を動かしてみると、下顎がとてもスムーズに、柔らかく動くようになって、顎がいままでよりも引けている。セッションの時、顔左側面に涼しさを感じた以外、田畑さんがなにか手を触れられたことは一切なかったのに、この変化、そのお力にいつもびっくりすることばかりではあるが、今回も本当に驚嘆させられた。
セッション後1週目
足が吸い付くように地面と接し、両脚前側は上方にしっかりと伸び、重心はいつもの感覚より背中よりの低めの部分にある。足首、膝の柔らかさ、背中の柔らかさをとても感じる。肩に重力を感じる、上半身が心地よく伸びている。膝が少し内側に寄ろうとしている感じがする。今までになかった軽快さで動ける。自然と笑みがこぼれる感じ。
2週目
かなり太めのゴムに左足を引っかけてしまい、このままでは足首をくじく!と感じたので、おもいっきり足をあげたら、足からゴムがはずれ、すこし高い位置から地面に力いっぱい着地してしまう。腰から下がしびれて、左足全体が固まったようになってしまう。
3週目
ずっと左脚の不調が続き、かばうように歩いているため、上半身もなんだか不具合な感じがしてくる。‘予定変更して、田畑さんにセッションを早めにお願いしようかしら…’と不安になってきたが、ちょうどたのんであった「こころのバランスボード」が届いたので、乗り始める。すると、少しづつではあるが改善がみられてきたので、そのまま様子を見ることにした。
4週目、5週目
‐買い物をしていたら、本当に突然に、立体的できれいな、模型にありそうな腸のイメージが頭に思い浮かぶ。それが5日位続いたあと、お腹がとても柔らかくて、こんもりとしていることに気が付く。それまで、私にとってのお腹は、いつも硬いものであった。そのあと、3日間ほど、こんどはふちの装飾の美しい縄文土器のイメージが浮かぶようになり、腰を回してみると、引っ掛かっていた右側の腰骨がスムーズに回るようになっていることに気が付く。そのあと、背骨らしきもののイメージが数日間浮かぶが、前者2つに比べて、浮かぶイメージ像はとても貧弱で、おぼろげな感じがし、しかも背中の真ん中あたりまでしか伸びていない感覚。
‐腰を回していたら、右腰のあたりで、小さくプチっと音がし、後ろ側への回転域が少し広がった。
‐前回よりも立体的で、リアルな感じの背骨のイメージが湧くようになる。前よりも長さは伸びた気がするが、まだ完全ではないイメージ。
6週目
‐首を左に向けると鳴っていたボキボキ音があまりしなくなったな、と思っていたら、右手の薬指と小指が随分楽に手のひら側に曲げられるようになっていることに気が付く。首の右側への回転がスムーズになり、かつ回転域がずいぶん広がっている。
‐横になると右肩付近がバキバキと音を立てる頻度が多い。
‐夜中にふと目が覚めて、左側の鼻腔を思いっきり広げていることに気が付く。鼻の奥のほうで鼻血が出ているような気もしたが、そのまま寝る。翌朝、左目の後ろ側が広がった感覚があり、左側の視界が随分開けた感がある。鼻をかんだら、うっすらと血のあとがあった。広がりを感じる部分に鈍い重さがある。
‐私は右脚のかかとへの意識が薄いのではないか、と突然感じる。右かかとを意識すると、右脚内側に骨盤内部を通って腰あたりまで、いままで感じたことのないほのかな力強さを感じ、それがあると、左側上半身が広がるかんじにつながる。右脚内側、そして右脚かかと部分は、第5セッションで、田畑さんがとてもよく見てくださっていた場所であることに思い至る。右脚かかとを意識して立つと、左上半身の肋骨付近に隙間ができ、左右の鼻腔内に入る空気の量が等しくなり、また多くなる気がする。耳鼻科に行くと、左の鼻の中が曲がっているといつも言われるので、それが多少なりとも改善されるのだろうか。
7週目
‐右肩付近、バキバキと音をたてたり、ガクッと肩が沈む感じがしたり、と変化の大きさが続いている。
‐いくら丁寧に説明しても相手にまったく理解してもらえない状況が何場面も続く、という夢を見る。理解してもらえない流れでそのまま意識が覚醒しだすこととなったが、「わかってもらえなくても、へこたれないぞ、私にはこんなに立派な身体があるのだから」との思いと同時に、力強いエネルギーを瞬間感じて目がさめ、なんだか感動する。
‐体重をかける位置が両脚かかと側に寄って脚に力みがなく、上半身が少し前側に乗っている、という感じが出てきている。そして頭を少し引き気味にすると、見える景色がまとまって落ち着く感じになることに気が付く。セッション後に起こった、既知だとわかっているのに知らない場所のように感じる感覚、物一つ一つが大きく目に入って、見え方全体として収まりがなく、ちぐはぐしている感じがだいぶましになる。
8週目
‐右肩周辺の引っ掛かりが随分とれて、自由度が増した、と感じる
‐朝起きた時、右肩が後ろに引かれて、腕の位置が自然に身体におさまっていると感じる。
‐左腹部でお腹がなって、右側がゆるんだような感覚があったので、腰を回してみると、右骨盤の動きが一層スムーズになっていると感じる。
‐左足前側で、内部でなにかがうごめいている感じが感じられる。左膝が内側に寄ろうとしている気がする。右半身に変化を多く感じてきたが、左半身にもゆるみが出てきたような感じがする。
‐鼻腔内で、表現が難しいが、なにかツンとするような感じ、ともかく何かが起きているな、という気が数日前から続いている。
9週目
‐左足内部で感じられていたなにかうごめく感じが、右足にも少し起こっているように感じる。
‐右わき腹以外、身体の内部の浅いところに隙間ができた気がする。特に胸の上側、左半身に顕著。左側はより広がりができて、呼吸がより一層しやすい。左側お腹のあたりがぐうと音を立てることが多くなっている。背中の柔らかさ、背骨の動きが増していると感じる。
‐左側腰あたりの内部でぶちっとそこそこ大きな音がして、腰を回してみると、上半身の柔らかな動きにつれて、背骨も柔らかく動いているような気がする。右側にはつっぱり感がある。
‐両脚、特に右脚内部に何かがうごめく感じが顕著で、それとともに、右足かかとを使った歩き方ができている、と感じることが増える。下肢全体に柔軟性が出来ている感じ。
‐右手の肘から下の返しが一段とやりやすくなっている。
‐左側のお腹の内部を緩めようとしている感じが顕著。左膝から下の動きを良くすることと、左上半身が伸びて広がりを感じることがセットになっているような気がする。また、寝ている時に左下半身をリラックスさせると、左肩の引っ掛かりが改善される気がする。
‐左背中側に隙間ができて、呼吸をするとその部分にも空気が入る気がする。
‐セッション後の2か月間、膝、首、肩など、身体の至るところで頻繁にボキボキ音がし、身体内部でもなにかがプチっと切れた感じや、脚の内側がもぞもぞする感覚、が続いている。
‐いろんな場所に色んな変化があって、自分の中ではまとまりの悪さを感じてはいるが、それはそれとしてしっかりと受け止めて、それら変化たちが今後どうなっていくかを楽しみに待とう、という前向きな気持ちで今はいる。
‐2週目に痛めた左脚は、セッション直後の心地よさと比較すると、すこししびれた感じが残っていたり、足首も少し動きがぎこちないな、と感じてはいるが、随分改善された。
‐箸を持つとき、なぜか左の方がしっかりと使いこなせているようになっている。色んな場面で左手を試してみるが、右手よりもしっかりしていることも多く、不思議である。
今回、あまり間隔を開けずにセッションを受けたが、前回のセッションで起こったことを十分に味わう時間がなかったことがとてももったいなかったような気がしている。レポートに表現されたセッション中の出来事は、その言葉たちの裏側に、言葉では到底あらわしきれない豊潤なイメージがあって、それをしっかりと自分の中に吸収してからでないと、なんだか先に進みたくなかったな、と感じる自分がいる。
セッション8回目
ふっとセッションに入り込んでいった感じでスタート。
前回のセッションであらわれたのと同じグレーのイメ―ジの中をひたすらさまよっている。しばらくそれが続いて、もうたくさんだ、と思った私は「もうそろそろここを終わりにしたいのだけれど…」とすこし強い調子で私の中の人に尋ねてみる。どうやら聞き入れてもらえたらしく、すぐにクリーム色の光のイメージが現れる。同時に飛び魚の姿があらわれて、空中を気持ちよく飛んでいる。私はその時伏臥で、腹部に空気を吸い込んで、両膝を曲げ、足首を手で掴み、飛ぶような恰好をしていたと思う。飛び魚はそのあと海の中にダイブ。海の色が何とも言えない深い深い青、あまりにも深みが強くて、初めは海と認識するのさえはばかられるような気持ち、「ん?ここは、海、でいいんだよね?」と問うている自分。
飛び魚はそのあと深海魚と思われる魚に数回変化、その後大きなタカアシガニとなる。タカアシガニの動きに合わせて、自分も手をおなじようにうごかしていた記憶。タカアシガニの次は、人魚。大きな岩に身体をもたれさせて、長いまつ毛の目を閉じている。心の底から疲れ切っている様子。その時私はセッション台に同じようにもたれかかって息を吐いていた。人魚はそのあと下半身を黒く丸い形に変化させ、その黒い部分が回転しだし、円錐の形になって、地底深くどこまでも潜っていく。上半身は、表現が難しいが、オーロラを丸めたような形のものが、バラの花びらのように、幾重にも重なりあってゆらいでいるものになる。淡いコーラルピンクの、下が濃くて上に向かって薄くなる色合い、繊細でしなやか、でもそのものの材質は弾力があって、そのものの中をしっかりと血、気が巡っているイメージ。その時の私は、そのもののイメージを身体で精いっぱい表現しようとし、両手をあらんかぎりゆらゆらと動かしていた気がする。徐々にセッション台から身体を起こそうとする動き。ゆらぎながら、身体に嬉しさと充実感がみなぎって熱くなるような体感、笑みをうかべつつ、目に涙をにじませていた。そのあと現れたのは大きなコンブの木、前述のコーラルピンクのものと一緒にゆらゆらとたゆたっている絵。大きなコンブを見て、「私はこのコンブで、この海の生き物たちを養っていくのだ」と決意し、セッション台に完全に起き上がる。
海底から上を見上げると、海面に、赤と青の印の入った小舟の底が目に映り、上昇して舟に乗り移る。水色の空、海上の清々しい空間が気持ちよく、両腕を広げながら、大空に感謝の気持ちを表していると、突然「私は砂となって土に還ってゆく」という思いが浮かび、上半身をバタリと前に倒す動き。しばらくすると、すっとその上半身を起こし、両手を腿の上にきちんとそろえる。身体を起こしながら脳裏に浮かんできたのは、長方形の紙に大きな木の絵。ごつごつとしていながらも、優しさ、温かさ、寛大さを感じさせる太い幹が、紙の一番下ぎりぎりからあらわれ、濃い緑の葉をつけている。木の周りにはかわいらしさを感じさせるいくつもの集落。喜怒哀楽に満ちた人々の生活があることがひしひしと感じられ、その人々の生活ぶりを大きな木はただただ見守っている。木があることの大きな恩恵などたぶん普段、人々は意識することなどないだろうけれど、その木のおかげで人々はなんだかんだあってもつつがなく生活を続けられているイメージ。絵からは、とても懐かしい、温かい、なにがあっても最後は穏やかさに必ず戻ってくるような、そんな雰囲気がただよい、夜になれば、家々で夕ご飯の準備をしているさまが、匂いとして感じられるような絵だった。
セッション後、歩くように田畑さんにうながされる。いつもなら、歩いているときどんな感じがするか、口に出していたかと思うが、今回のセッションでは、特に最後の情景がじんわりと胸に大きくひろがり、言葉を発しようとしてもついそれを飲み込んでしまう感じで、無言のまま両脚に軽快さを感じつつ歩いていた。
新大阪駅に着いたとき、前回は既知の場所なのに、なぜか初めて訪れる場所のような気がして、とても不安な感じにつつまれたが、今回はセッション最後にあらわれたのとまったく同じ気配が駅をつつみ、駅全体が、「おかえりなさい、待っていたよ!」ととても暖かく迎えてくれている感じがして、大変嬉しかった。
セッション後1週目
‐セッション翌日目が覚めると、左上半身だけ不調 ~頭痛、耳が痛い、腹痛~ で、縮んでしまった感じがし、その後数日間体調不良が続き、寝込んでしまった。でも、その最中に、両脚が、骨盤あたりでくっと締まって距離が狭まったような感覚があった。
‐体調が戻ってからは、相変わらずあちらこちらが動いていることを感じる。
‐左膝がボキボキと音を立てる、内側に寄っていく感じが継続しているのに加えて、いままでとりたてて何も感じることがなかった右膝に結構な痛みが走る。その後、右膝に違和感を感じることが増える。両脚の状態を見てみると、立ち方がうまくいったときには、両膝が寄って、O脚が心なしか改善されているような気がする。
‐背中全体に空気が入って膨らんだような気がしていたら、胴回りにしっかりとした硬さができ、胴が筒のようになり、脚が軽やかに動く感じがほんの少しの間ではあったが体感できて、その時自分に対する心強さをとても感じた。
‐プライベートゾーンに不意に近づかれると、たとえ家族であってもとても不快な気分になることがある。
‐首を右に向けると、右首の付け根あたりでボキっと音をたてることは相変わらずであるが、そのまま続けて身体をねじった時、身体のパーツが少しずつほどけて、動きに柔らかさが出ていると感じる。
‐夜リラックスしていると、首を長く回す動きが続いている。首を回したあと、続けて腰も回す動きが続いたこともある。
‐身体を横たえると、下腹部左側、右側、それぞれがぐるぐると音を立てることが多い。
2週目
‐朝起き抜けに、身体に空気が満ちて、脚で歩いているけれどもその感覚があまりなく、両腕も肩からふわっと浮いて力がとても抜けている感じがするときがある。
‐ものを見るときに、そのものの先を見るようにすると、身体がしっかりとして、且つ余計な力が抜けているような気がする。そして上半身が上に伸びていくような感じがでてくる。
‐朝起き抜けに立ち上がった時、左脚の太もも内側がきゅっと引き締まり、力を感じたので、その日から、右脚の踵と内側、そして左脚太もも内側を意識して歩くことにする。
‐朝そろそろ起きようとして、左を下にして目をつぶっていたら、眼球が右側に動いたような感覚があり、ちょっとぎょっとする。物を見てみると、昨日までよりも、奥行きに関してものの見方が変わっている。いままでは見ようとしていたもののみがはっきりと見える感じだったが、その手前、奥にあるものまでもが同時にはっきりと見えるようになっている。この見え方に慣れないせいか、ちょっと違和感がある。複数のものが同時にあると、それらのものの立体感が前よりもはっきりと感じられる。また、街の道路は、いままで平らなものだと思っていたが、実はでこぼこに満ちている、ということに突然気がいくようになった。
3週目
‐歩きたい気持ちが湧いてきて、1日1時間弱歩くようになる。休みなく続けて歩いても、呼吸の乱れをまったく感じないことに本当に驚く。
‐夢。マラソン大会のようなものに出場するため、新しい靴を買おうとする。お店の人が、今はいているよりもずっと小さな靴をすすめてきたので、「これは小さすぎると思う」というと、「いや、これがあなたにぴったりです」と返答がある。ほんとかなあ、と思いつつも、試しに履いてみると、足に吸い付くようにフィットして、すばらしい履き心地、「ああ、これでとても気分よく走れる!」と思うところで終わる。起きてみると、左目から涙がつつっと流れていた。朝起きると左目からだけ涙が流れていることは、数か月前にも何回かあったなあ、と思う。
‐しゃがみこんで掃除をしていた時、左足首後ろがゆるんで柔軟性が出たことを感じる。左足首の動きがすこし良くなっている。
‐歩いて帰ってきて、椅子に座っていると、お腹前面に空気が入ってとても力強さが感じられる日があった。突然肋骨のイメージが湧き、膨らんだりしぼんだりしている様子を思い浮かべるようになる。
‐手を振って歩くからか、右肩右腕が少し下にさがり、身体にそって落ち着いてきたような気がする。
4週目
‐人間のかかとが一番うまく落ち着く部分は、かかとの真ん中ではなく、少し外側で、だから歩くときには足前を少し開いて歩くとよい、と知り、歩くときにそれを意識するようにしていたら、以前から気にしていた太もも内側も自然と良い感じに収まって歩ける気がする。
‐右側腰の後方への回転が、よりしっかりできるようになっている。それにつれて、右脚の自由が前よりも利くようになっていると感じる。また左足首もよりいっそう自由度が増した感じがあって、O脚がさらに改善されてきている気がする。
‐歩いていて気が付いたが、私は身体をねじらせた上に縮ませもしてしまっていて、それを今はもとに戻そうとしている感じがする。特に左側、脚はもっと各部分に隙間を欲して下に伸びたいし、上半身は腹部にもっと隙間を得て上に伸びたがっているように思う。
‐バランスボードに乗っている時や、リラックスしている時に、顔をすこし右側に向けて首をぐるぐると回す動きを自発的にしていることが最近多い。
‐相変わらず首、膝、腰でボキボキと音がしたり、手、脚、背中で何かがごにょごにょしている感じ、そして右、左下腹部それぞれでグルグルとする感じが続いている。
セッション9回目
セッション台に身体を仰向けに横たえ目を閉じると、すぐさま自然と身体が動き出す。
浮かんできたのはおぼろげなバレリーナの姿、「白鳥の湖を踊っている」と思う私。しばらくすると、水の上に浮かぶ白い鳥の風景へと変化、そのあとすぐ、ふちが濃い緑色で、ぐるぐると渦を巻く肌色の沼があらわれる。なにが起こるのか、しばらくその渦を見つめていると、突然あらわれたのはゴッホの「糸杉と星の見える道」、絵の中の糸杉が急にぐわんぐわんと大きく揺れだす。無防備でいた私は、身体が急に熱くなり、いきなり身体ごと思いっきり持っていかれるような体感に、うわっ、と驚きつつ、セッション台から落ちないといいけどなぁ、と思いながら身体を大きく揺らしていた。
身体を揺らしながら浮かんできたのは、心の奥底から湧き上がる、黒く強い力をもったイメージ。うまく表現できなくていままで奥底に淀んでいたような感情。8回目までのセッションでは一度も浮かんでこなかった類の感情が一気に噴き出してきた。その感情は、自分個人のものだけではなく、他の人たちのものも含まれていて、人なら共通して持っているもの、の印象。
このあと、何故か、青く光るスカラベが視界いっぱいにあらわれ、その時私は身体を丸めてスカラベになりきっていた。そのあと続いたのは、スカラベからの連想だろうか、砂漠の絵、太陽が沈みかけていて、ラクダの姿があり、絵一面オレンジ色に染まっている。眩しくて、顔の右側寄りに両手を広げて光を遮る恰好をしていたと思う。身体が熱く感じる。それに続いて、イラストタッチの、ウサギ、月、ススキ、が濃紺の世界に浮かんでいる絵。真夜中のイメージ。やはり月の光が眩しい。先ほどの糸杉の激しい“動”の世界とは真逆の、完全なる”静寂“の世界。シーン、という音が聞こえてきそうなほど。
その静寂を破るかのごとく、突然、冒頭のバレリーナの姿から、最後のウサギ、月、ススキの情景まで、全てのものが、順番に崩れ落ちて上に積み重なっていき、ついで糸杉の絵の基調色の青、スカラベの色の青、そしてウサギ、月、ススキの絵の青が溶け出してすべてのものを染めていく。全てが無と化す情景に、私は「ああ、すべて終わった…」と思っている。
しばらくすると、アイボリーの厚みのあるリネンでできた、長方形の底の浅い入れ物のようなものの中に、白い布でつつまれた人間の姿。「自分は死んで、ミイラになったのか」と思い、じっとその姿を凝視していると、その人間の形をしたものが徐々に起き上がってくる。それは白いボロボロの衣装を身に纏ったイエスキリストと思われるような人の姿、十字架にはり付けにされて頭を垂れる。はり付けにされるまでの間、私は両手を上に伸ばして、全力で天に助けを求めたが、何の反応もなくて、悔しい気持ちでいっぱいになっている。自分自身の感情だけではなく、誰とも特定できない人たちの感情も同時に一身に受けている感覚。はり付けにされるとき、私は両手をゆっくりと真横に伸ばす動きをする。同時に、ぶわっと両目から熱い涙がわき出してくる。十字架から少し離れたところに、この成り行きを見守るかのような、創造主とも思える方の姿、金色の装飾が施された立派な白い衣装をまとい、眩しい光を背負っておられた。私は、セッション台に真横に手を伸ばしたまま、こんこんと湧き出る涙をただただそのままにしておきたい気持ちでいっぱいであった。
どのくらいそうしていたのかわからないが、突然、軽快な音楽が流れ始め、頭上に、真っ白な背景の中に黒い細い線状の渦巻き模様が現れ、それがくるくるとまわっている。ところどころに、8回目のセッションで、船底に見えた、赤と青の模様とまったく同じ色の玉が施されている。私は徐々にセッション台に腰を掛けて起き上がろうとする動き。「ん、一体これはなんだろう?」と思っていると、現れたのは真っ白な、丈の短い衣装に真っ赤なガーターベルト、真っ赤なハイヒール、頭には真っ赤なレースでできたヘッドバンドのようなものを着け、真っ赤な口紅をさしたベティ・ブープの姿、腰をくねらせて軽妙な音楽に合わせて踊っている。「ほらほら、なに深刻な顔しちゃってるのよ~、はい、もうそんな真面目な話は終わり終わりっ」「いっしょに踊りましょうよ~」と誘いかけてくる。ベティ・ブープはしばらく踊り続け、最後に私に向かって「そしたらまたね、バイバイ~」といってウインク、自分で幕を上から下にジャーっと降ろして去っていった。あっけにとられていた私は、最後完全に泣き笑いのまま、9回目のセッションを終えた。
セッション後1週目
‐ふとした拍子に涙がただただあふれる日が続く。
‐左脚にごにょごにょとした感じを頻繁に感じる。座っていて、左脚全体が内側に動くようなことをはっきりと認識することもあった。歩いていて、左足指にしっかりと力を乗せて前に進む感じが出てきている。
‐いつもの緑深い遊歩道、季節柄、金木犀の香りが心地よい。「いい香りだなぁ」と思いつつ歩いていると、前から自転車でやってくる女性、私に話しかけたそうに感じたので、「道でも尋ねられるのかな」と思って目を合わせると、すれ違いざまに「金木犀の香りがいいですね」と一言いって、す~っと走り去っていく。全く見知らぬ人との思いもかけないやりとり、しかも今まさに感じていたことを口にされ、なんと表現したらよいか、胸がほんわか膨らむ感じがした。
‐歩きだしてまだ数週間だが、目に入る空間が自分に溶け合っている感じが出てきていて、いままでは、自分とは自分の身体分だけ、と思っていたが、いやいや、目に入る周りの空間やなんなら人々も、自分なのかもしれないなぁ、という思いがうまれてきていたことと、この女性との出来事がうまく重なり合って、なんともいえない心持がした。
‐夜、ふと目が覚めたので起き上がると、背中側の両肩まわり一帯に膨らみが感じられ、それとともに肩が下にさがり、身体は上に伸びている様な感じがでていることに気づく。
‐左鼻腔の通りが非常によく、空気がとてもスムーズに入っていくなぁ、と感じることが増えている。
‐右手の甲の真ん中あたりが動いた感じがあって、指をみてみると中指の向きが明らかに変わっている。
‐歩いている時に肩のあたりに意識をむけるだけで、身体は上に伸びていくが、肩は下に下がる感じ、そして手、脚は特に意識を向けなくても自然と動いてくれて、なによりも歩くスピードがとても上がることを体感する。
‐両脇腹よりすこし前あたりに縦の筋、そして背中側に斜めの筋ができている。
2週目
‐何に、と特定できるわけではないが、流れている、というイメージを感じ取ることが出てきた。
‐座っていると、左脚が内側に閉じてきて、両膝同士を近づけたがっている感じがある。
‐自分の体にある骨をリアルに感じるようになってきた。今までは気にしたことがほとんどなかった。
‐右手甲の真ん中あたりが動き、続いて左肩がほんの少しだけ外側に動いた感覚。左肩の後ろへの振りがすこし良くなっている。
‐夜中にふと目覚めて、特になんということもなかったので、また目を閉じて寝ようとするのだが、身体がなんとなくそうさせてくれないので、立ち上がってみると、右顎のあたりが音をたてるのと、右耳の痛さを感じる。不快に感じたので、両手をエキスパンダーを広げるような恰好で動かしてみる。右腕側が、思いがけず凄い音をたてたので、すこしスムーズに動くまで動かしつづけてみる。すると、突然身体の骨格がイメージとして湧いてきて、硬いはずの骨が、なんだか柔軟性をもった物のように感じられだし、いろんな動きをしてみると、くねくねと軟体動物になったかのような動きが出来て、なんだかとても楽しくなり、しばらくその感覚を楽しんだ。両手を上にあげて腕を回していると、左腕肘のあたりでバキバキと音がした。朝起きると、鼻の中に、鼻血がでていたかのような感じがある。
‐右手の親指が外側にほんのすこしだけ動いた感あり。
3週目
‐すごい勢いで怒っている夢を見ていたようで、怒りが強すぎてその力の大きさに自分で耐えられなくなり、思わず目を覚ましてしまった感覚。起きると、左わき腹、腰のあたり全体がこっていて、ひさびさに起きたときに、疲れているな、と感じ、なんだかどんよりしてしまう。怒りは心身に大きな影響を与えるということを痛感した。
‐左腹あたりの深いところで何か動きがあった感覚。ググッということばで表せるようなもの。
‐足裏が地面に吸い付いているかのように立つことができている。身体全体の動きが驚くほどにしなやかになっている。
‐歩いていて、右の内腿だけではなく右腹の真ん中寄りの力も抜けている気がしたので、そこにも意識を向けていたら、右腕の振り、特に後ろ側への振りが良くなり、また右足親指にまでスムーズに体重を移動させながら歩くことができている、と感じるようになる。
‐両脚太ももの内側に、ななめの筋が入っていることに気づく。
‐両脚ともに内側にラインを感じて歩けているな、と感じる頻度が増えている。
‐夜中に目が覚めて、主に左側肩、腕あたりをかなり激しく動かす動き。途中、口を閉じたまま顎をおもいきりさげる動きもあり、それと同時に左鼻腔内でプチプチとなにかはじける感覚。鼻血が滲んでいる感触もあり。朝起きて鏡をみると、下顎が下がっているのが明らかにわかるほどの変化がある。
‐最近、首をまず八の字に回し、最後は円錐形のように大きい円から小さい円を描くように回して終わることが多い。
‐左半身と右半身がお互いに寄りあって、上に伸びていきたい感覚がある。
4週目
‐大阪にある山本能楽堂に出かける。能楽師安田登さんが琵琶の音に合わせて“耳なし芳一”を舞われる姿に圧倒されてしまう。そして浪曲師玉川奈々福さんの、聴く者に生きていくための力を授けてくださるような三味線の音とそのお声にすっかり魅了されてしまった。安田さんの、「残念、とは、本来は、‘念を残す’という意味」というお話しが印象に残った。
5週目
‐自分の専門をさらに深めたい、との気持ちで数年前に大学に再び通っていたのだが、その時のクラスメート達(自分は皆の母親のような年齢だが!)と遊びに行く、という夢をみる。少人数に分かれて、時間まで思い思いの場所に出かけて過ごし、また皆で集合する、という段取り。嬉しくて楽しくて、という時を過ごす。再度集合したとき、ある1つのグループが戻ってこない、といって大騒ぎになる。私は「警察に連絡しなきゃ…」と思って電話をするが、自分の名前を名乗ろうとしてもうまく言えないし、状況も全く説明できない、という事態に陥るところで終わる。今のコロナ禍の状況では、海外にも出られないし、職場でも思うようにその能力を発揮できる状況にないのではないか、と数日前に皆のことを案じていた気持ちが夢になったのかもしれない。
その日の明け方に続いてみた夢。自分が今の年齢のままで高校の新任教師になって、同僚の先生と会話をしている。自分の担当している生徒が近づいてくるが、その生徒は前述の大学のクラスメートの一人。新卒時に、教師になってもよいかと思い教育実習もしたが、自分はどうも向いていない気がして企業に就職したのだが、本当は教職に就きたかったのだろうか、よくわからない。
‐光、空の色、空気、木立、鳥の声など、自然を全身で感じながら散歩をしていると、あっというまに「頭で考えている自分」は姿を消し、身体のない自分、とも表現できるものが立ち上ってくる。それは身体を伴った自分よりずっと自分らしくて、自分の「濃さ」がうんと増している存在。
‐遊歩道の散歩道、さまざまに色づいた落ち葉が織りなす色の美しさに目を見張る。自分の好みの色の配置を見つけた時の心弾む気持ち。
‐能から受けたインパクトが想像以上に大きくて、自分のなかで落ち着きどころを見つけることに時間を費やす。なにかとてもずっしりとして、頭で理解するとかではなく、身体の中にとどめておいて、どうなっていくのかわからないけれど、ただ共にあるしかない、そういうもの。
‐9回目のセッションの、前半部が「念を残す」の世界、そして後半のベティ・ブープの部分が、悲しみ苦しみの中にありながらも生きていくための光を人々に与えてくれる浪曲の世界と重なり、セッションの意味が自分の中で落ち着きどころを見つけられた気がした。そして10回目のセッションを田畑さんにお願いしよう、という覚悟がやっとできた。
‐歩くときに、前に進もうというより、上にのびていきたがっている感じ。
‐右わき腹の自由度が増している感じ。右腕の収まる位置が、ポキッと音をたてて、少しずつ変化している、と感じることが頻繁にある。
6週目
‐右の首が上に伸びたがっている感じ。右肩甲骨回りがひらけていこうとしている感もある。右半身の自由度が増していることを感じる。右半身腹部に大きな力、を感じる日が増えている。呼吸をしていても、そこだけ大きく空気が入っていく感じ。右膝内側、右くるぶしに軽い痛みを感じることが時々。
‐明け方に見た夢。長いモップのようなものの柄に、空のバケツなど掃除用品がかけてある絵、そこに「掃除、終わりっ!」という力強い声が聞こえてきた。清々しい夢だった。
7週目
‐日中眠い日が増えている。夜も早く寝てしまう。
‐右首のあたりの、固まった感じがだいぶ改善されている。首も横に倒しやすくなっているし、後ろにもよりまわしやすくなっている。
‐明け方に見た夢。無数の同じ形をした人?物?が集まって何か意見を交わしあっている。「それはいいね!」「そうだね、そうしよう!」「いいアイディア!」など、前向きな言葉だけがとびかっている。その時に発言している人?物?だけが、CGで制作されたような顔を持っていて、とてもいい表情をしている。自信に満ちた笑顔。
‐目がさめたとき、左ふくらはぎが久しぶりにつっている感じ。それがおさまると、左顎あたりがガクッと音を立てる。続いて、左肩が外側に動きやすくなっていることを感じる。いままでは、寝ていると若干左肩が浮いているような感じだったが、それが改善されて、それにともなって背骨が前よりも自由を得た感じがする。寝たままでしばらく右腕、左腕をいろいろと動かしていると、骨盤から脊髄が伸びている絵がイメージとして浮かんでくる。起きて腰を回してみると、そのイメージがより鮮明に浮かんでくる。左側の頭の中に多少重苦しい感じがある。
‐散歩をしていて、肩の振りと骨盤の動きが連動している感じがでてきた。脚と骨盤の動きのイメージ、同時に肩の動きのイメージが湧いてくる。
‐右半身腹部に空気をためるイメージが続いていたが、今度はその位置がもう少し上にあがって右肋骨下あたりを膨らませようとしている。
‐歩くとき、上に伸びようとする動きが顕著であったが、元のように前に進もうとする動きが戻ってきた。
‐物事に対して、変にこだわることがどんどんなくなってきていると感じる。もとの私はどんなだったのだろうか、なんだかよくわからなくなっているなぁ、と感じたりもする。
‐体重計に乗ると、ロルフィングを始める前よりも、体水分率が確実に増している。この項目に大きな変化があったことは今までになかったので驚いている。
8週目
‐左腰あたりを前に動かして胸をはり、左肩の位置を後ろに引こうとする動きが頻繁に起きるが、なかなか苦しい体勢である。
‐朝起きて、左肩の位置が明らかに変化していることに気づく。
‐左手で重い物をもってしまい、肩あたりでなにかがブチっと切れたかのような音がし、その翌日に肩が激痛、腕をかえしたり、上にあげる動きがまったく出来なくなってしまった。
‐あまりの痛さに寝て過ごすしかなくなってしまったが、その時に、青白い光を背景として、子宮に浮かぶ胎児の姿、その胎児はふかふかの子宮にどっしりと身体をあずけていて、とても弾力をおびて生命力に満ちている感じ、続いて、夢の中でみた、ポジティブな発言しかしないCGのような顔が、やはりとてもいい顔をして現れてきて、このアクシデントは良い結果に繋がる、となぜか確信してしまった。
‐腕の痛さのせいもあるかと思うが、とにかく眠くてしようがない感じが続いている。
‐整形外科を受診後、あれほど痛かったのに、数日で痛みがひいてくれたことにびっくりする。
9週目
‐がっちり固まってしまって、まったく動かせなかった左肩だったのに、痛みがひいてから、
バランスボードに乗って、左腕を動くがままにまかせていることたった数日でかなり腕が動かせるようになってきている。数年前に右腕がやはり上がらなくなってしまったことがあったが、その時には痛みがひくまでにも、そして動かせるようになるまでにも、かなりの時間を要した記憶があり、今回この早い快復ぶりに大変驚いている。セッションを9回まで重ねて、身体が整ってきていることと無関係とは思えない。
‐夜中に左脚横のあたりがつる。しばらくじっとしていてもおさまる気配がないので、立ち上がってみようとすると、足首もひっかかった感じで自由がきかず、左脚外側も捻じれた感じで、左股関節あたりが痛くて立てない。バランスボードに助けを求め、右足で立っておそるおそる左足を乗せてみると、左脚をぐるぐる回しつづけ、左脚を内側に寄せて、何とかおさまりどころを見つけた感じ。併せて、左肩甲骨下に引っ掛かりを感じる。身体の変化が新たなフェーズに入っている感じ。
‐寝ても寝ても眠い日々は相変わらず続いている。
10週目
‐先週に引き続き、左脚にいろいろと不具合を感じるが、その一方、右股関節のおさまりがよくなって自由度が増したように感じる。8週目では辛かった、左腰あたりを前に動かして胸をはる姿勢が、右股関節の変化とともに、自然と出来るようになっていると思う。
セッション10回目
セッション10回目
前回までのセッションルームは、「中立」という言葉がピッタリくるなぁ、といつも感じていたけれど、今回初めてお訪ねした新しいお部屋は、足を踏み入れてみると、光に満ちていて、身も心もふっと軽くなり、ちょっとうきうきとするような体感があった。
‐肩の状態などお話ししたあと、仰向けにセッション台に横たわる。すぐさま薄墨色の背景が脳裏に浮かび、私はみぞおちのあたりを引っ張り上げられて上へ上へと向かっていく。胴体、両手、両脚、首から頭、の各パーツ同士が見事に調和して一体化、ちょうど凧が風をはらんで上昇していくかのよう。背景はすぐに薄墨色から黄色のグラデーションへと変化する。途中、全身脱力して眠りにつくような動きと呼吸を何度かはさみながら、上へ上へと昇り続ける。
‐黄色味の強かった背景がクリーム色へと変わっていくと、そこに浮かんできたのは、生まれて、それからしばらくの間住んでいた街におられた、大きく白い観音様の姿。引きの絵になって、毎朝駅から電車に乗って学校へと通う私が赤いランドセルを背負って右往左往する姿、その私をいつも温かく見守ってくださっているという情景。クリーム色のグラデーションの背景の真ん中に明るく眩しい光がさしてきて、私はそこに吸い込まれていくと、「電車に乗ってまで学校なんて行きたくなかった」といって、子供のように泣きじゃくってしまう。
‐その後、左半身の外側から三分の一くらいが、肩から足先まで、先ほどの黄色のグラデーションに縦に包まれると、田畑さんから「今はどんな感じか」との問いかけがあり、私は「…いろいろあったけれども…今は成長して…」とお答えする。前述の回想場面がとても懐かしいような気持ちがしていて、その時にはすっきりとした気分を感じていた。すぐに、顔の左のあたりに温かさを感じだし、どんどんそれが温かみを増していき、ついにはなにかの熱源、ヒーターの熱?太陽の光?を浴びているのかな、と感じるほどの暑さにまでなる。同時に左脚のあたりにすこしびりびりとしたしびれる感触もあった。
‐しばらくして、再びクリーム色の背景があらわれ、私は口を半開きにしながら、何度も何度も息を吸う。何度も吸うからには吐いてもいるはずだけれども、吐いている感触は一切なくて、ただただ何度も息を吸っていることしか意識にはのぼっていない。人は亡くなるとき、最後に息を吸って終わる、ということが頭に浮かび、自分は死にむかっているのかな、と思う。
‐それがどのくらい続いたのか、一瞬、両足がとても冷たい感触に襲われ、続いて、第6セッションの時に首から上が覆われたのと同じ、光沢のあるずっしりとした質感の漆黒のものに足先からとってかわられていく。とってかわられた部分は長方形をなしていき、それが胸のあたりまで進んだとき、田畑さんからどんな感じかのお声がけがある。一言「死んだ…」とお答えし、そのときはじめて両腕を胸のあたりで交差させていることに気が付く。「ツタンカーメン王の黄金の棺の形…」と思う私。
‐胸のあたりまではあっという間に変化していったが、そこから上、特に頭の部分の変化は遅々としていて、やっと頭頂部分を残すのみ、となった時、いきなり場面は変わり、赤く長い棒のようなものが数本、動きをもって現れる。私は「足の骨かな?」と思い、その動きに合わせて身体を動かし始め、徐々に起き上がろうとする。まさに起き上がるその瞬間、一瞬だけ一面に浮かんできたのは、手塚治虫さんの「火の鳥」の鳥の姿、躍動感に満ちた胴体、小さいけれどインパクトある顔。そしてセッション台に完全に腰をおろす動き。
‐そして目の前に現れたのは、海辺の情景。白いデッキチェアー、黄色いパラソル、水色の空間。私は「ああ、私の好きな色ばっかりだ…」と思う。しばらくすると、私は海上に乗り出していく感覚、景色は消え去って、ただ、ザザー、ザザー、という海の音だけが聞こえる。「頭で考える自分」はどんどん消え去っていき、私はただただ「これでいいんだ、これでいいんだ…」という感情に浸っている。幸せというわけでもなく、嬉しいわけでもなく、とにかくただただ、これでいいんだ、という思いだけに満たされていた。
‐セッション後、田畑さんにうながされて歩いてみたあと、思わず笑みを浮かべて、「踊りだしたい気分です」という言葉が口をついて出た。着替えをしている最中、セッションの中で浮かんできた、幼い私自身の思いに対し、「そんなこと思っていたなんて、まったく気づきもしてなかったなあ…」とその事実にただただ浸っていた。
‐最後に、10セッションを始める前にとって下さった写真と、10回目が終わった時の写真を比較してみせていただく。一目見て、別人のようだ、という感想が湧いた。
‐帰宅途中から頭痛と吐き気がしてきて、その後数日起きることが出来なかった。寝ている時に、「下を見て、自分が高い所に立っていることに気づいて足がすくむ」、というたった数秒間の夢を二度みる。
‐その後に続いた夢。今から何十年も前に、‘死について考えることは生について考えることである’と説き、また‘死への準備教育’の必要性を語って学生に大変人気のあった「死の哲学」を開講していたD先生が現れて、「あなたが‘後期’にとるべき授業は、これと、これと…」といきなり私に語りかけてくる。それを聞いて私は「自分がとる授業くらい、自分で決められるのに…」ととても不服に感じている。先生の隣には、面識のない、ネイティブの女性がいて、私に穏やかに微笑みかけていた。
‐D先生のおっしゃった‘後期’とは、もしかしたら‘人生の後期’ということなのであり、‘死’という未知の経験を前にして‘足がすくんでいる’私は、頭で考える自分がどう思っていようとも、それについて考える時期に来ているということを本当の自分が教えてくれているのかもしれないな、また、身体が整ってきて、これからどう生きていくかを考えるとき、‘死’についても思いをいたさないといけないのだな、と思わされた夢だった。
– 体調が戻ってみると、首がすっきりと上に伸びる感じ、胸を大きく広げ、身体が上に伸びていく感じ。おしりが引き締まった感じ。背骨を軸にして腰を前後、左右に動かしたり、回転させたときの胴回りの大いなる安定感、身体が頼りになる感じ。身体に充実感がある。身体の一部分を動かすとき、身体全体がそれを助けていると実感できる。身体の一体感が半端ない。
10シリーズを終えて
田畑さんに見守られて私の身体は見事に変化し、そして私は毎回自分自身を見つめる機会を与えていただくことになるという、本当に貴重な体験だった。
セッション当初は、思いもかけない体験の連続に夢中でついていった感じだったが、中盤あたりから、セッション数日前になると、なんだか身体がそわそわと落ち着かない気分になるようになった。それは、田畑さんの、繊細で、しかもブレのない完成度の高い施術を経験するにつれ、‘それを受けるに値する十分な準備が果たして整っているか、起こる変化を受け入れる覚悟はしっかりとできているか’、と身体自身が自問自答するかのようで、そんなときにはいつも、「とにかく自分自身をなんとかしたい」という当初の気持ちを思い出しては心を落ち着かせ、どうにか乗り越えてきた。
1年前、自分の身体なのに、そのままならない状況に途方にくれていた私が、今、思ってもいなかった景色を見ることが出来ているのは、ひとえに田畑さんのお力のおかげ、ただただ感謝申し上げるばかりです。
セッションは終了したけれども、まだまだ身体の変化も続いているし、新たに取り組むべき課題もなんとなく見えてきて、今後も身体との対話をロルフィングを通じて続けていければ、と思っています。