本来であれば、第9回、第10回ともに、もっと早くレポートを提出すべきでした。ずいぶん時間が経ってしまい、田畑さんには申し訳なく思っています。
第9回は5月13日、第10回は5月23日。
田畑さんから「時間が経っても、その後、自分の身体に起こっていることを書いてくれればいい」と言っていただいていたので、今回はセッションそのものというよりも、その後の身体の変化について書いてみようと思います。
まず、身体の変化は想像以上に大きかったです。
一番わかりやすい変化は体重で、最初にセッションを受けた頃から約5kg減りました。もちろん体重が減ったこと自体もありますが、それ以上に、身体が軽くなったことで、行動を始めるまでの「初動」がずいぶん楽になりました。以前は、何かを始めること自体に小さな抵抗がありましたが、その抵抗が少しずつ薄くなっているように感じています。
最近は瞑想をかなり集中的に続けています。その中で、とても興味深いことに気づきました。
瞑想中、ときどき呼吸が突然深くなる瞬間があります。思考がひと区切りつき、「ふっ」と身体がほどけるような瞬間です。
その感覚が、田畑さんから毎回、「今、どんな感じですか?」と声をかけられるタイミングと驚くほどよく似ていることに気づきました。
つまり、私にとって田畑さんのセッションは、瞑想ととても近い質を持っていたのだと思います。
身体に触れている時間よりも、触れていない時間のほうが圧倒的に長い。それでも、その静かな時間の中で、身体や心の内部では確かに何かが起き続けている。
その在り方は、私にとって「ネガティブ・ケイパビリティ※」という言葉を身体で理解する経験でもありました。
何かを積極的に変えようとするのではなく、答えを急がず、ただそこに居続けること。
田畑さんの関わり方は、とても非介入的でした。だからといって放任でもない。何かを誘導されている感覚も、変えられている感覚もありませんでした。
極端な言い方をすれば、セッション中、そこには私しかいなかったように感じる瞬間さえありました。
私の身体や心の中で様々なことが起こり、それらが少し落ち着き、呼吸が自然と深くなった、その絶妙なタイミングで、「今、どんな感じですか?」と田畑さんが尋ねる。
その繰り返しでした。
毎回、「何かが起こった」と断言できるほど明確ではありません。
でも、「何かが起こっている気がする」。
今振り返ると、この「気がする」という曖昧さこそが、私にとって一番重要だったように思います。
一般的な整体などでは、「ここがこう変わりました」と施術者から変化を説明されることがあります。もちろんそれ自体を否定するつもりはありませんが、私にとっては、どこか説得されているような感覚になることもありました。
一方で田畑さんのセッションでは、変化の主体はいつも私自身でした。
施術の前後で写真を撮っていただき、そこから身体の変化について説明してもらうこともありましたが、不思議なことに、そのこと自体にはあまり関心がありませんでした。「そうなんですね」と受け取るくらいで、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
私にとって本当の実感は、セッションの最中ではなく、その後の日常生活の中で立ち現れてきました。
歩いているとき、「歩いている」という感覚そのものが以前より豊かになっていること。
筋肉を部分的に使っているのではなく、身体全体が連動しながら動いている感覚。
言葉にすると少し違ってしまうのですが、「全体がつながっている」という身体感覚が少しずつ育ってきました。
身体が整ってきたことで、瞑想も以前より深く坐れるようになった気がしています。
私にとって瞑想は、集中力を養うためにもとても大切な実践です。その質が変わったことは、日常生活にも少しずつ影響を与えています。
以前よりも、多動的な落ち着かなさが和らいできているようにも感じます。
そして、この10回を通して、最も大きな影響を受けたのは、私自身がセラピストとしてクライアントと関わる姿勢かもしれません。
「相手を変えようとしない」という言葉は、これまで何度も耳にしてきましたし、自分でもそうありたいと思っていました。
けれど、頭で理解していることと、身体を通して理解することは、まったく別の出来事でした。
田畑さんのセッションを経験したことで、自分が思っていた以上に、相手を変えようとしていたことに気づくようになりました。
それは技法の問題ではなく、「在り方」の問題だったのだと思います。
この10回は、ロルフィングを受けた時間というだけではなく、「人はどのように誰かと関わることができるのか」を、自分の身体を通して学ぶ時間でもありました。
注釈
ネガティブケイパビリティとは、すぐに答えや結論を出そうとせず、分からなさ・曖昧さ・矛盾の中にとどまる力のことだそうです。
もともとは英国の詩人ジョン・キーツが使った言葉で、後に精神分析家ウィルフレッド・ビオンも、臨床における重要な態度として発展させたとあります。
たとえば、相手の状態を見て、
- 「原因はこれだ」
- 「この人にはこの方法が必要だ」
- 「早く問題を解決しなければならない」
と即座に決めつけるのではなく、まだ意味が十分に立ち上がっていない段階で、観察し、感じ取り、待つことです。
ただし、これは何も考えないことや判断を放棄することではなく、
むしろ、拙速な意味づけを保留しながら、必要なときには判断できる状態を保つことが求められます。
セッションの場面でいえば、
「何が起きているのかを、すぐに説明しようとせず、身体や関係性の中から次の方向が現れるのを待つ力」
と表現できます。