*****<今回のセッションでのこと>*****
はじめ、足の裏からピクピクして、じんじんあたたまるように感じました。
だんだん楽にする感覚が身体全体に広がって、後頭部を伸ばすように委ねるのを思い出し、呼吸がおながにおさまると、手のひらがじんわりしてきました。
力を抜きながら、脚にしっかりとした軸が入っていて固定されているような感覚でした。
呼吸と身体が平坦になるイメージに落ち着いたあと、肋骨あたりに触れられると、自分が保ちたいと思うタッチとの距離感がうまれ、
それに合わせて呼吸をしていると胸から頭側があたたかくなりました。
おへそのほうに触れられると、そっとした感触が背中側までまっすぐ伝わっていき、息を吸うと弧を描くように下腹に移動して、呼吸に合わせて感触が行ったり来たりしました。
平坦だったイメージから、胴体を中心にメリハリが生まれる感じがしました。
この日は花粉の影響なのか、目と鼻の奥が腫れぼったく頭痛もありました。
頭や肩首まわりを伸ばしていただいているうちからすっきりしていき、ありがたかったです。
数日経過しても目の充血感や鼻の腫れぼったい感じがなく、頭も軽く快適です。
セッション中、自分から身体を楽にすることを感じてバランスをとるようなときがあって、
あえて言うと「いまの身体、いまやろうとしていることを理解する」ような感じでした。
これまでのセッションで体感したものや思い出したり内観する時間が自分の身に成りはじめている気がしました。
田畑さんと一緒に身体の声を聴いているような感覚でした。
10シリーズをはじめたころは、緊張からなのか、とてもくすぐったいときがあったのですが、今ではそういうこともなくずっとリラックスようになりました。
ベッドが変わったのかと思うほど、身体にしっくり感じたことをお話ししたときに
「委ねかたが、よりうまくいくようになったのでは」というような感じのお返事をいただき、なるほどと思いました。
身体を起こしてすぐに軽さがあって、関節から手脚がぶら下がっているリラックス感、肩まわりの軽さ、身体全体にサラッとした心地よさがありました。
帰りの身支度をしている時から、なんだか「ようし、やるぞー」という気持ちが湧いてきました。
10シリーズをすべて体験して一区切りの気持ちがあるのか、はじめましての挨拶をしてわくわくしているような心地です。
*****<10シリーズでの体感と共鳴テンセグリティが重なったイメージ>*****
梶川泰司先生の共鳴テンセグリティワークショップをきっかけにロルフィングを知りました。
個人的なイメージではありますが、ときどき共鳴テンセグリティのモデル製作時の体感と重なって思い起こすことがありました。
セッション後、身体自身が身体を持ち上げるような軽やかさを感じ、「身体を支える」概念が経験を通して新しく変わりました。
身体の全部が繋がりあって自分を持ち上げるイメージと、共鳴テンセグリティモデルの張力材と圧縮材が繋がりあって自立する感覚が、似ていると感じます。
ロルフィングセッション中、触れられたり押されたり動かしたりしたとき、身体のネットワークを感じることがあります。
ひとつの箇所から全体が繋がりあってバランスが生まれているように思え、このイメージも震える共鳴テンセグリティモデルと重なる体感的なものがあります。
以上のようなイメージに合わせて、普段の身体の動かしかたにも変化が生まれています。
局部的に力や負荷がかかり「このまま動かすと無理しそうだ」と察して、負担を逃す動きと力の入れかたに切り替えるようになりました。
以前よりも身体を全体として捉える見方が身につき、柔軟に扱えるようになりました。
これは身体以外にも精神的な視点や物事の捉え方にも影響しているだろうと思います。
視点がより柔軟になり、全体的に眺めるような感覚が広まりました。
今のわたし自身の感じ方の傾向も働いていると思いますが、先入観よりも何が起こるか決めつけずにありのままに任せるようなスタンスと
自分自身の中にある自然の存在を感じる感覚があり、それもロルフィングと共鳴テンセグリティを繋ぐイメージとして持っています。
ロルフィングをはじめてから、この点での精神と身体のバランスがうまくいき始めているように思います。
*****<10シリーズの日々での全体的なこと>*****
10シリーズを開始して、いろんな変化や心地を見つけることができ、おもしろい日々です。
レポートを書かいて言語化することも、セッションの一部としてとても大切なものでした。
ロルフィング経験以前では、情報や常識みたいなものを頼って、自分の心身のために「こうした方がいい」と思うこと漠然と手探りしていたように思います。
情報や方法が間違っているということではなく、それ以前に自分にとってどんなことをしたらいいのかを知る術がわからないままでした。
ロルフィングを経験して、それを知る機会に巡り会えたと思います。
頭をからっぽにして、自分自身で体感して、内側の声を聴いて。気付きの日々が新しいものに変わりました。
もしかしたら日常でいろんな情報や空気に触れていくうちに、いつのまにか自分の感覚だけれはいられない気持ちが増えていき、
気づかないうちに自分にプレッシャーをかけているのかもしれません。
セッションの後は、自分の中でいつのまにか凝り固まったものが、ふっと無くなって、リセットさせてくれる心地も感じました。
セッションを重ねていくうちに、「思い出す とはどういうちからがあるのだろう、どんな役割をするのだろう」と考えるようになりました。
心のこと、身体のこと、感覚と意識のこと、いろんな思い出しかたとその力がさまざまにあると感じます。
セッションでのことを思い出す時間は、セッション後も身体続けている何かを見つけるような感じでもあり、セッションの感覚を再生するような感じでもありました。
レポートを書き終わると、身体が整ってスッキリすることがほぼ毎回起こりました。
思い出して向き合っていくことで、体験が自分の身になっていくようでした。
自分の中に見つけた静かな場所のようなものだったり、ごちゃごちゃしていたものがすっきりして明瞭さを感じるような余白の存在感だったり、
セッション中に繰り返し感じられた安心感だったり、自分の中に流れる心地いいものや冷静なものをとても感じられるようになったと思います。
このことが、この先のことをわくわく感じさせてくれます。気楽さのようなものが生まれたのかなと思います。
この気楽さは、柔軟さとか受け入れる力とか、やわらかくて風通しのいいものをもたらしてくれる気がします。
なんと言いますか、身体とは前向きなものなのだなと感じます。
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