ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: セッション10

心の平安を求めて〜セッション10

全体を統合するセッション

いつも通り、4方向の写真を撮ってもらい、歩く。自然と手が振れるようになった。意識せず歩くことで、腕がフワッ、フワッと動く。
ベッドに仰向けで寝る。立ち位置を聞かれる。左後方、左前方。左後方が落ち着く気がする。
左膝にタッチされる。今までで一番、触れられた感じがする。足裏に凹んだボールでホールドされた。すると、とても安心した。
その前にお腹にタッチされる。ほんの少ししか触れられていないのに、手が離れても、タッチの感触が続いていた。
いつも左側のセッションの方が長く感じられるが、今日は右側も同じく感じられた。右膝の外側上部に、強くタッチされたのが感じられた。
両膝を立てて、もも裏に布越しにcs60の摩擦。腿がぎゅっと強くなったような感覚。
ベッドに腰掛けて座る。今回は意識が飛んで、寝落ちしてしまったようなので、全体がぼんやりとしてしまった。
最後の写真を撮ってもらい、歩く。
セッション後、1回目の写真と今回を見比べる。明らかに伸びやかになっている。

セッション後すぐに、ピアノリサイタルに行ったので、その印象が大きくて、セッションの細かい内容が上書きされてしまったようだが、ピアノの音色を聴いていると、身体の中の感覚がどんどん拡大されていって、身体全体で音を聴いているような感覚になっていった。
自分の中に、今まで会ったこともないような、別人格が登場して、ピアニストに対していろいろ言う。目をつぶると、作曲された時代にタイムスリップしたかのようにその当時の映像が浮かんでくる。まるで今、その場にいるかのようだ。いったい私は誰なんだ、、、、?そして今、ピアニストに話しかけている人は、、、???18世紀のヨーロッパ、、、??
音の広がりと流れとリズム。次々と変化していく音の波の中に、半分意識があるような、ないような、、、ゆらいでいる。身体もあるような、ないような、音の意識だけの感覚を味わう。ふわふわと、たゆたう。この感覚はセッション後の体の変化なのだと感じていた。

「身体の準備ができていれば、それに見合った変化が起きる」
セッション後の私の質問に田畑さんが答えて下さった言葉だ。、、今私に起きている身体の変化は、なるべくしてなっている変化なのだと、それは身体の準備ができている、ということだ。身体の準備ができている、という事はこれから有るであろう様々な変化を乗り越えることができる、という事だ。
今までは、起きてくる様々な出来事に対処するのが精一杯なところがあって、次々といろいろあるのが、大変だなぁと思っていた。
だけど、自分に起こる様々な出来事は、外からやってくるのではなくて、ある程度、自分でコントロールできるんじゃないのか、と思った。引き寄せ、ていう言葉があるけど、自分の精神状態がそれに見合う出来事を引き寄せる、と理解しているけどそれは本当なんだな、と頭でなく、身体で理解できた気がした。
外から来ることに受動的に対処する、のではなくて、内からの欲求で、能動的に進んでいっていて、それに伴ったプロセスが変化となって現れていく、、、ていう事だ。きっと。

10シリーズを終えて、1番の変化は、物事を俯瞰して見れるようになった事だと思う。深刻にならないで、距離感を持っていられる。あれも、これもと罪悪感があったのが、だいぶ薄れた感じだ。これは私にとって、ものすごく大きい事だ。生きることが少し気楽になれたと思うし、楽しんでいいだ、と思えるようにもなった。
そして、身体が底上げされたような、少し体力もついたかも、と思える。休むときは休む選択もできるようになった。いつも気になっていた、左の肩甲骨の痛みが和らいでいるし、身の回りを整えようということに目が向いている。今までずっと気になっていて、やる気が出ないでいた事だった。
身体が整うと身の回りも整えたくなるんだな、と当たり前かもしれないけど、身をもって感じている。

4月からだいたい4ヶ月間のセッションでした。毎回、自分と身体と深く向き合う時間でした。4ヶ月でこれだけ変化を感じることができて、感謝しています。人生の大きな節目になったと思っています。ありがとうございました。

ご家族のサポートの合間を縫って遠方から~10回目

・セッション中
最初は、田畑さんの立ち位置、足元右側の方が心地よく感じ、そのまま静かに呼吸をしてゆく。
足首に触れられると、膝や背中側腰からお尻にかけて動きがあり、伸びてゆく感じがする。お腹に最初より息が入るようになる。その後、膝、腕と施術が進むにつれ、胸の前だけでなく、背中側まで深く、自然に息が入るようになった。
左側の施術が進む。お腹、へその左わきのあたり、固くなっている感じがあるが、だんだん緊張がほぐれてゆき、ベッドに身体を全体で預けられるようになる。
途中、身体の緊張が緩んだからか、泣きたいような涙がでそうな感覚が一瞬あるが、だんだん心地よさに変わっていった。足のしびれが現れ、その後、足の指先まで血がめぐるような、はっきりとした感覚になってゆく。

頭部へ施術が進むと、目の奥が動くような感じがあり、頭のなかで色々ぐるぐる考えがまとまらない状態からだんだんリラックスしてゆく。眠ってしまいそうな一歩手前、心地よさが感じられる。

施術後
お腹のまわり、ぽかぽか温かい、歩くと足全体で地面を捉えている感じ。

首がすっと伸び、安定して立てている。頭の中がスッキリして、周りからの過度な情報や自分の感情の起伏があまりなく静かな心持ちがしている。

当日夜は、眠りに入るのが早く、いつもより深く眠ることができた。ここ数日、朝は手を握りしめ、肩に力が入った状態で目覚めることが続いていたが、セッション後はそのような状態なく、1週間過ごせている。

今回のセッションで、足の指先まで感覚がしっかり感じられるようになった。
車の運転が続き、お腹の辺りが縮こまったようになっても、夜、横になりゆっくり呼吸することで、背骨の辺りが少し楽になって、足裏までの感覚が戻ってゆく。

日常の変化としては、不思議と今まで相手に対して言葉にできなかったことが、ふと素直に出てくる場面が増え、それによって今まで我慢してなんとか続けてきたことを変えてゆけそうな兆しが見えてきた。身体とともに、今後、自身の環境がどう変化してゆくのか明るい気持ちでみてゆけたらと思う。

エネルギーワーカーで、イールドも習得中のYさん〜10回目

〇セッション当日

・昨日実家で庭仕事を頑張った影響で、全身あちこち痛かったりはしているが、それでも以前より影響が残りにくくなっていると思う。それにしても、10シリーズ最終回前日にするべきことではなかった…。

セッションルームへ行く時に、歩いていると左の脚の方が置いてけぼりになっている感じがある。

・今日は、セッションの時間の直前、急にお腹を下しそうになる。昼食を食べすぎたわけでも消化に悪いものを食べたわけでもない。慌ててトイレへ寄ったが、結局未遂に終わった。前回セッションを受けた日の夜も、わけもなくお腹を下しそうになり未遂に終わったことを思い出すが、セッション前にこの反応が来るとは思わなかった。

・セッションは仰向けで。最初のポジションが決まって、少しその場に留まっていてもらった時、なぜか涙が出そうになったが、自然と引っ込んだ。イールドタッチの後、痛めている左の足首の少し上の辺りをワークされた時、触れられているところがすごく冷たいような、すごく熱いような、不思議な感覚があった。しかも、CSで触れられた時みたいに口内が金属の味になった。

後のことはほとんど覚えていない。うつらうつらして、息を吐くたびにぷーっと音を立てていたことも多かった。

今日は最終回だし、統合だし、どんなことをするのかなぁと思っていたら、今日はイールドのセッションだった!という感じ。これまでは、手数が割と多めで、なるほどこれがロルフィングなんだなと興味深く思っていたが、今回は見守りの時間がたくさんあった。なんとなく、田畑さんも今きっとウトウトしているのかなと思ったりしつつ、おへその上の辺りがよじれるような感覚があったり、左の下腹部辺りに痛みがあったり。

終わってから歩いてみると、左の脚が置いていかれるような感じはなくなっていた。また、昨日の庭仕事で痛くなっていた右の肩甲骨や首の辺りがとても楽になっていた。

アフターの写真を見て、お腹の左側が伸びたような感じがあると田畑さんに言われた。セッション中に痛みを感じた方だなと思った。

帰り道、上りの坂道を歩くのに、足が自然と前へ出て、楽ちんだった。

〇セッション翌日以降

・関節にスペースができてきた分不安定になり、まだ位置が定まらないような感じで、動かすといろんなところに痛みや違和感があったりしている。(10シリーズ期間中は激しい運動をしたり重い物を持ったりしないように、という意味がよく分かりました)

・10シリーズを受け始めてからのこの数か月、身心共にいろんなことがあって、今もまだまさに土台を建て直している真っ最中な気がしている。頭の方では忘れ去っていたけどからだは覚えていたトラウマ的なことが、必要なだけ浮上してきて、もう済んだかなと思ったらまた違う感じで浮上してきたり、ある程度済んでしまったようなものもある。からだが受け取ってきたたくさんの本当はうれしくなかったものたちを、ほぼ自覚なく今までたんまりとため込んできたけれど、この機会にいろいろと手放してこれたようで、とても感謝しています。

昨年の夏頃より、自分なりに心の方からいろいろと取り組んできたが、この10シリーズでは入り口はからだであっても、心の方もさらに深いところに向き合っている感じで、気持ちは低空飛行なことも多いが、そこにどっぷりはまり込んでしまうことは少なくなったなと思う。

呼吸の時に引っかかるような、制限があるような感じがからだから消えたことは大きくて、それを感じるととても平和な心持ちになるし、からだもずいぶん自由になってきた感じがある。とくにお腹の辺りはそんなふうに感じる。

・10シリーズを受けていたこの期間、終始一貫して自分の在り方を尊重してもらっているという感覚があった。何かを正そうとすることのない田畑さんのプラクティショナーとしての立ち方のおかげで、自分の身心に起こる不快に思えるようなことや、言葉に表現し難い感覚を、自分でもジャッジせずにただ見ていられるようになったと思うし、自分のからだに対する信頼感も増したと思う。とくに、9回目のセッションでは、その前日から股関節がズレたような感じがあって、これ以上悪化したらどうしようという不安もあり、早く何とかしたい気持ちがあったが、その時も田畑さんは股関節を正しい位置に治そうとかいうことは全くせずに、むしろそれに関してはほぼスルーだったと思うが(もちろん自分でも本当にまずい状態だと思えば病院に行くなりしたと思うが、このロルフィングのセッション以外には何も特別なことをしていなかったので、セッションを受けての変化の一つかと思って様子を見ていたら、数日でその感じは自然となくなった)、それはいい意味で衝撃だったし、とても有り難かったと今はつくづく思う。

どうもありがとうございました!!

ドイツで活動されている舞踏家 10/10

第10回目    

今回のシリーズ中最後のセッション。

会場に向かって歩く時にくるぶしがまだ痛む。しかし右足は楽になってきた。関節を通して呼吸できるように感じる。

上半身、特に首が軽い。

今回はまず仰向けに横たわり、感じ方をチェックする。施術者の立ち位置が決まると、

背中と施術台の間に、上腕部から脚のほうまで順に隙間を作っていく。シーツを使って身体を少し持ち上げたり、背中に手が差し入れられたりする度に、川の流れのようなざわざわした感触が、背中全体から足先に向けて少しづつ流れるのを感じる。

後頭部を使ってバランスを取ったり、左肩を縮めながら眠る癖がわかるようになった。

終了後、座ってみると、下腹部から腿の裏側にかけてとても重い。

手首や肘の関節、前腕部の筋肉が柔らかくなった。

後頭部や頭頂部を意識して歩いてみる。足が痛くなければ、上下動少なく歩くことができている瞬間がある。

肩から後頭部にかけての空間や、頭頂部を延長したところにも意識を向ける。

頭頂部を意識する際に、部屋の天井を限界だと考えるのではなく、その上を捉えると姿勢と重点が変わる。

最後は質疑応答の時間。

Q: 手で加える圧は本当に僅かだけれども、体はその状態を習得して覚えるのか?

A: 一度体験した状態を、今は情報として使わなくても、後で取っておいて、必要な時に必要なだけ使うこともある。

Q: 身体が覚えたり学習したりするにはそれで十分ということなのか?

A: ロルフィングの中にはLess is more という考え方がある。過度の干渉は反発を生むこともあり、良い結果になるとは限らない。

Q: エクササイズするなら何がいいか?

A: パフォーマンスの中の動きをゆっくりやってみるのが良いのではないか。ゆっくり動いて、体に無理がかかりそうなところで止めてみるといい。後は紐トレ。作業する時や、楽器の練習をする時は丸紐を使ってたすき掛けが良い。

最後に。

身体の色々な箇所で新しい感覚を発見することができた。

足指を全部使って歩ける、下腹がまっすぐ前に出る、ふくらはぎが親指と連動している、など。

歩く時など、視覚が空間の全体を捉えている時は、読書時などとは違った働き方をしている。外出自粛令が続いて、デジタル機器に向かう時間が増えるにつれ、視野が狭まっていたのかもしれない。

また、足が弱っていたことにショックを受けた。以前足を挫いて痛めた時の癖なのか、座る時間が長いためもあるのか。また、全く意識していなかったが、以前の足の怪我を庇うような歩き方が長年定着していたということにも気がついた。

自転車だけでは骨に対する刺激が不足する、歩いて骨に衝撃を与えることによって骨の代謝を促す、と田畑さんのコメント。

最も大きな気づきは、これまで自分が、身体が上げる声、時には悲鳴であるような身体の訴えを無視してきたいうことだ。

あえて不快な感覚や苦痛に目をつぶり、忍耐の限界まで自分の肉体を痛めつけて、身体の悲鳴に耳を傾けることをしなかった。

若い頃は、あり余るエネルギーに振り回されないために楽器の練習に没頭した。楽器に依存した、と言い換えることもできる。

そのほかにも、何か集中的に技能を習得する必要があった場合は、自分の身体を矯めることで技術を身に着けようとした。そうしていつしか、身体を酷使して疲れさせることそれ自体を、練習の目的にすり替えることすらあった。

長くなるのでここでは触れないが、当然の帰結として、故障もいくつか経験した。

身体が知っているのに意識が気付いていないことは実はとても多いのだろう。

今回セッションを受けることにしたのは、改めて振り返ると、更年期を迎えて心身のあり方を見直す必要が出てきたためだった。

ロルフィングのアプローチによるならば、力まずにバランスを取れるような心身のあり方を毎瞬発見しつつ、その時その場所での最適な状態を目指すということだろうか。

直接の物理的な刺激が加えられることなく、立ち位置や僅かな接触だけで身体のあり方が変わる。触られている時も触られていない時も、人と人の間にエネルギーが流れ、空間と身体を介してコミュニケーションが成立している。

先の見えない時代をどう生きるか、現代人の私は毎瞬選択していかなければならないが、自分の身体感覚と無意識のはたらきを信頼し、自分と周囲の環境との位置関係を感知することを自分の心身に積極的に許すならば、体感を大きな手がかりとしながら、この乱世を生き延びることができるかもしれない。

非常に身近なところの例を挙げるなら、ラップトップとの角度と距離感、脱力できる寝床作り、同じ姿勢を続けて疲れたら休むこと。もちろんそれだけではなく、無理がかかっている感覚、ニュートラルな状態、積極的にやりたい欲求にそれぞれ意識を向けること。

耳を傾ければ、身体は実は饒舌に語ってくれているように思われる。

一般的に、他のボディワークでは施術者が指導する立場に立って見立てや指導を述べられることがしばしばだ。

田畑さんの一歩引いた介入し過ぎない態度はそれとは異なり、面と向かって評価されたり価値判断されるということがなく、施術を受ける側の感覚や主体性に対する尊重が感じられた。

ありがとうございました。

様々なジャンルを手がけるプロデューサー

様々なジャンルを手がけるプロデューサー Rolfing 10/10

ベーシック10の最終日、最後の写真を見た時に、自分の躰が「塔」のように見えた。閃いた言葉はエッフェル塔。二等辺三角形の頂点に頭がのっかっているように見えた。まとまっている印象です。

いつも写真をとっていただく時は、脱力した状態で臨むのに、施術後はピシッと決まった感じで写る自分の姿に驚かされますが、最終日の施術後の写真には感動しました。

セッション1の施術前の写真と最終日の施術後の写真のなんと違うこと。

セッション1の施術前は、見るからにグチャグチャの印象で、身体の各部位は、「自由」というのではなく、方向性がバラバラ、顔も歪んでいる。おまけに髪の毛もグチャグチャだったので、全体的にひどい印象。心も荒れていそうな印象。

最終の写真では、顔も小さくなっていて、リフトアップしていた。整った印象で、精神も落ち着いているんじゃないか? という雰囲気がでており、

ついでに、腰の位置も上に上がって、身体全体が上に引き上げられた感じになりました。

前回の、セッション9の後、膝に抱えていた痛みは全くなくなり、右の首と肩の痛みや緊張に気が付いてもすぐほぐれるという状態でしたが、施術後一週間経った頃に、左の肩から肩甲骨にかけてが、セメントのように固まって重いと感じるが日があり、身体が左に引っ張られている気がしました。

左半身の痛みに身体が引っ張れている感覚は、身体が左へ傾いてしまうんじゃないだろうか? ベーシック10のコースが終わるというのに、せっかくいい感じになったバランスが崩れてしまうのでは? と不安になった。が、

セッション10の施術後に、田畑先生が「自分で自分を治せるようになります」とおっしゃってくださったので、安心しました。

自分で自分を調整できるって便利だ。

しかし、ヤバいと思ったら施術していただこうと思います。

ベーシック10を受けていて、毎回、色々と印象深い内容の施術が多々あって、、、

その内容を、1回目、2回目は、施術の内容と、その時々の身体の反応や意識の変化を覚えていたのに、3回目になったくらいから、施術後、これがすごかった! あれがスゴかった! と心の中はカーニバル状態で帰宅するも、

さあ施術の内容を書きだそうという段になると、すっかり忘れている、ということが続きました。

年齢とともにすすむ健忘症か? という気もするのですが、施術によって、身体がごっそり変わってしまうことで、身体にあった痛みや不快感についての記憶もごっそり消えてしまうのでは? という解釈を、言い訳風だけど、採用することにしました。実際、身体の仕組みや、身体ネットワークがあるなら、その連結方法、身体の各部位の立地条件や、その動きのコンセプトも毎回変化したように感じました。

例えば、歩くということ1つとっても、両脚と足の裏くらいで歩いていると感じていたのに、セッション3くらいで、上半身と連動して右、左と動いて推進していくような···またセッションが進んでいく中で統一感がとれていったり、頭まで連動して動く感じとか、変化していったのです。

身体収の変化が激しくて、それにプラスして頭部も施術を受けるので、脳がつくりだした妄想的な不快感の記憶などもごっそり消えてしったのではないか? と思って忘れる自分を許しています。

とは言え、覚えていることもあります。

最終日、最後に、教わった極めつけに大切なこと。

呼吸は、横隔膜とお腹の両方に同時に入れてOKということです。

合唱の時には、お腹、普段は横隔膜、という風に分けて入れないといけないと思っていたので、セッション中に指示を受けた時に、コンセプト自体を理解できなくて、ガタピシと呼吸を入れることに手間取っていたのですが、

これは、すんなりできるように練習しながら毎日やっていきたいと思います。

あ、、、これを覚えているのは、この呼吸がまだすんなりできる身体に変化していないからなのでしょうか? 

解釈に励むのは中断して、呼吸をすることにします。

この呼吸によって、胴体全体に酸素を行き渡らせることができて、肩の内側や腕にまで酸素が行き渡って膨らんで、凝りもとれる感じです。

施術を通して、身体の周り、頭の上や身体の横、脚の下に広がる空間も感じることができるようになりました。呼吸によって身体の内部に広がる空間も感じることができました。

歩くことも楽になりました。

なんというか、気をつけて歩かないと変な風に歩いているかも? と長年気にしていたのですが、脱力状態でも、自然に歩いていれば大丈夫だという気になり楽に歩けています。

窮屈な場所を脱出して広々とした空間に出て晴天を楽しんでいるという感じ。

そして、雨や曇りもゆったりとあたたかくして楽しめる感じです。

ありがとうございました。

身体への理解を深めると共に、身体や空間について学びたいダンサー – session10

10シリーズセッションもとうとう10回目です。ベッドに横になって、首、そして頭をCS60を使った施術、その後、右足を調整という流れでした。
その後チューニングボードに乗って、全体の姿勢を調整しました。ゆらゆらと動く板の上に直立し、バランスを取りながら、田畑さんのアドバイスに従って身体の使い方を改善します。背骨の形や、下肢の骨の位置を観察するようにしながら立つのですが、かなり集中力を要しました。今までは身体を反りすぎていたようで、重心も前の方に偏っていたようです。
床に降りて、歩き出すと上半身と下半身がまとまり、全身が一つになって、前へ進んでいく感じがしました。以前、違和感があった両腕を上げる動作もスムーズになっていました。
最後にこれまでのセッションで撮影した写真を見せていただきました。1回目の施術前の姿勢には、はっきりとした軸がありませんでしたが、10回目を終えると軸ができていることが分かりました。骨盤の開き方にも変化が見られ、足が無理なく地面についており、重心が下がっています。10回の中で、目に見える変化は一定ではなく、変化が大きいときも小さいときもあったようです。
このテキストは10回目のセッションから一週間程度経過した時点で書いています。日々感じる変化としては、立っても座っても、上半身の重さを骨盤で受け止めることができていること。無理して良い姿勢を意識することがなくなり、楽になったこと。丹田を意識して動けるようになったこと等があげられます。呼吸も深くなっていると思います。
今回ロルフィングを初めて受けましたが、立つや歩くといった当たり前の行為に、全身が関わっていることを実感することができました。セッション毎に自分の身体と出会いなおすことができ、とても楽しかったです。自分の身体とはいえ、分からない、知らないことだらけというのも実感し、そこに魅力を感じています。

Page 2 of 2

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén