ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

タグ: ロルフィング体験 Page 1 of 2

クライマー

※10シリーズ後、クライミングのパフォーマンスを上げたいという希望と、より探求を深めるために、Rolf Movement®のセッションにいらしています。

セッションの次の日です。昨日はありがとうございました。
セッションの最中には、色々気づくこともあり、後で伝えようと思うのですが、終了直後には、かなりぶっ飛んでしまって、しばらくしてから思い出すことが多々あります。
昨日も指先から手の骨、肩甲骨、肋骨、背骨へと動きの連動を感じる中で胸骨の横のところの肋骨の動きを感じた時に、そここそが、日常の動きや、クライミングで、上手く動かせなくて、模索していた場所だったので、ビックリしました。


体の側面を収縮させるときにいつも反対側の伸展する部分に意識をおいて動いていたので、脇の下のあたりの肋骨のあたりを動かそうとしてもなかなか出来ず、胸骨をスライドさせて、そこを収縮させたらいいのかなぁと考えていたところでした。


それが小指、肩、肩甲骨、鎖骨、座骨とのつながりでもっと楽に動かせることを学習しましたそしてその動きが首の辺りの緊張感を緩和することも学習しました。


そして、その一連の動き流れをかんじることができるようになりました
懸案の動きだったのでタイムリーでとても嬉しいです。


ありがとう


田畑さんのイールドの手法はやはり前提条件として、バックグラウンドにあるロルフィンクの知識がかなり大切なんですね。


私は、なんとか空間を感じること、自分の安心安全を保つこと、に関しては、いつかはすこしは近づけそうですが、
何を観察するかという所は果てしなく遠いなぁと感じています。
今は取り敢えずは、空間と安心安全に注意を払えるようになりたいです。

Rolfer’s note:  毎回ハンズオンする前に、お互いに”いい間合い”を見つける時間をしっかり取ります。この方の印象では、毎回、その間合いから受ける感覚が全く違うそうです。同じ施術者と受け手の組合せで同じセッション空間なのに、毎回異なるという現象はとても興味深いです。セッションがそれだけクリエイティブで、その時だけのもので、しかも身体が望む変化が起きているというのは、理想とするセッションだと思います。

今回のセッションは指から触れていったのですが、そこから反応が肘、肩と波及して、胸郭にも至り、流動性と繋がりが再構築されたのがこちらからも観察できました。左右対称に働きかけずとも、片側の空間的拡がりが次第にとなりにも移る統合が比較的短時間で起こって、うまくまとまったプロセスも興味深かったです。

ロルフィングで目指していることと、健康ビジネスとの違い

先週のRolf Movement認定ワークショップに参加された方のうち、お一人だけ、ロルファーではない方が参加していました。その方からの質問から、統合についてのディスカッションになりました。

ロルフィングの基本方針として、クロージャー(終結)があります。ロルフィングでは、自分のバランスに責任をとってもらうことを目指してワークします。個々の状況が違いますが、最終的にロルファーの手助けが必要とならない状況がゴールなのです。

一方、健康ビジネス、商業的目的のセラピー・トリートメントも含まれますが、その商品・その施術を常に消費者が必要となるように、言葉を換えれば、常にお金を落としてくれることが目的になっているかもしれません。

セラピーに限っていうと、今行っている施術が次につながるような目的が含まれるセッションと、今できることは限られているけれども、将来的にクローズできる状況をゴールとしてワークしているセッションでは、その意味が根本的に異なり、そのことがセッション全体に影響しないわけはありません。

施術者が、クライアントを顧客として囲っていることになるとしたら、受け手がすごく調子よくなることを心の底から願っているとはいえないからです。そういう場所にいくと、何となく次の予約を当然のように取らされるたり、後で連絡するように振り切ろうとしても、何となく後髪ひかれるような感じが残ったりします。悪徳セラピストの中には、何かが改善しないのは次に来ないあなたのせいだと脅すケースもあるようです。

世の中の流れも、単体購入から、毎月ちょっとずつ支払う定期購入型の商品やソフトも増えているように感じます。1回限りの購入だと、安定性も少ないのも事実。

セッションに例えると、ロルファー一人の見立てだと、見落としている問題や制限に、別のロルファーだと容易にそれに気づきワークできるため、さらに統合することがあります。よほど、毎回そのセッションが本当の意味での即興的なライブなものであれば、同じロルファーから複数回セッションしても勿論意味があるし、ましてや、セッションを重ねて息も合ってきたレベルであれば、それはそれで大切にしていいと思いますが、ロルファーと受け手はその関係性を作ること自体はセッションのゴールではないことを覚えておく必要があります。

 

10シリーズの継投

遠方の方で東京に出てくるついでがあったために、 10シリーズを途中で引き継ぐ形になりました。それまでのセッションも有意義だったご様子でしたが、そのロルファーからの推薦ということでお引き受けすることにしました。

以下、ご本人の了承を得て、お送り頂いた感想をシェアさせた頂きます。

ロルフィング を受けて、よくも悪くもそれを過程として捉えるということで、何か自分の中でどう表現していいかわからないという状況にあるため、田畑さんからどうですかと尋ねられて、どう答えていいかわからない自分がいました。ジャッジしない、中立であることが大切だなぁと思ったら、よかったと、素直に喜んだりしてはいけないような気がしたり。

ですが、逆にすぐに言葉が出なかったということはマイナスではなかったかも、むしろ、体に焦点がよくいくようになったのかもと勝手に自分でよく解釈しました。

また、体の痛みから解放されたり、思った以上に体のスムーズさが起きたから、一体、自分はどこに不調があったのかということがわからないというような気になったのかもしれなかったかと後から思いました。

体の痛みは少し出るときもありますが、体に柔軟性が生まれたり、姿勢の変化も感じられます。

まず、自分の状態を記述する作業ですが、今まで振り返ったことがないなぁと改めて、体について考える機会がありました。それは具体的にしていくことが、さらに自分の体について敏感になることへのアプローチであったり、気付きにつながる第一歩なのかなぁと思うのと、改めて、体がこれまでいろいろとありながらも、頑張ってきてくれていたんだなぁと思うきっかけにもありました。

初めて受けた田畑さんのセッションはある意味、驚きました。というのは、本当に、触れたかどうかの距離感というか、触れ方が何か物足りなさを感じるんだけれども、それを充足させようと、今度は自分の内側からそれを補おうというものが引き出されているものを感じたからです。

また、姿勢が自分の心の癖を表しているんだという気づきがあったり、それに気づいたら、自分の中で、許可をだし、そして、新しい選択をしようという気持ち、行動に結びつけることができたように思います。

私のパートナーも外国人でロルフィング をアメリカで受けているのですが、今回、私がロルフィング を受けてから、さらに、何か間合いが以前より取りやすくなっているように思いました。

体の内側だけでなく、外の世界でも、不思議となにか、気づくようになったからなのか、自分が欲しい情報を心の中で思っているとそれに関したことが、いろいろと起きたり、出会いがあったり、シンクロが起きやすい状況になっています。

いろいろと今は変化の時で、新しく決めないといけないこともたくさんあるのに、なかなか決まらない状況ですが、以前よりも焦らず、そして、何か目先だけではなく、大きな見方で、情報をキャッチしたり、流れを見ながら進んでいるような気もします。

人間関係の変化もあります。自分に無理しない生き方をそして、楽しもうとさらに思うようになりました。

これからの変化も楽しんでいきたいと思います。

ありがとうございました。

その後のメールで:
田畑さんがブログで書かれていた間合いは、あのときのセッションで身につけていると自覚があります。さらにさまざまなしがらみから解放された気がします。
何だか、ロルフィング って合気道みたいだねぇと私がいうと、表現はいろいろとあるけれども宇宙の真実は一つだからね、と言っていました。
ロルフィング についてはよく知らないのですが、だとしても、私たち日本人はこういった武士道や茶道などの道と呼ばれる文化や、禅や間を大切にした石庭などの文化を持っているので、優劣ではないけれども、日本人であるということは大きいなぁと。

様々な違和感があり、様々な療法を試みた方への10シリーズ

5回目を過ぎたところで、以下のようなメールを頂きました。
”まだ10セッションの半分を過ぎたところですが、一回一回非常に多くの体験が起きており、それを自分の外にも出しておきたいと思い、言葉にします。
まとめて感想を書こうと思ったのですがまとまらず、日々自分用にメモしていたものをそのまま転記しました。
改めて全部を書き直してみることで、1つ1つの気づきを俯瞰して全体のプロセスとして見ることにも役だったため、かなりの長文かつ個人的体験で恐縮ですが、このまま送らせいただきます。”

※公開するかしないかは別として、身体感覚を言語化するプロセスには意味がありますので、セッションをお受けになっている方は、ご自分のためにこのようにジャーナルを書き留めることをお勧めします。

■【1回目】
◇セッション中
・初回で緊張の中スタート。
最初に、落ち着く場所(境界)の確認から丁寧に時間をとってもらえたことで安心した。思考から体へ戻りやすかった。
・首の後ろ緊張・硬直が気になりそこばかりに意識が行きがちだった。
・足裏に気づきを向けていると、みぞおちで何かもやっとした感覚が一瞬あり、すぐそれが過ぎ去り呼吸がひとつ大きく入ったのに気づいた。

◇セッション後
・「背が高くなった感じ。見える景色がいつもより位置が高いと感じた。
腹背が広くなり伸びているのに、何も頑張って伸ばしていないという感覚が新鮮だった。
・「体の幅感覚が広い」と思った。
「自分の体と認識する領域」の幅が広いことを感じた。
特に肋骨回りにとても広い空間があるのを感じた。呼吸がとても楽に入る。
・足裏が広い。着地面が広くしっかり地面についているのを感じた。
・左腕が水平より少し上に上がるようになった。
・目に映る世界が変わったようなワクワクする感覚と、内から湧いてくる活力を感じた。

◇翌日
・朝目覚めた時のスッキリ感に気づく。
・左腕が昨日より更に上がる。1年半上がらなかった腕が真上まで上がる。
・体の快調さ・立ちやすさは昨日より薄れている。体の癖が戻ってしまったのかと気になる。
・丹田への気づきが「全くお留守」になっていることに気づく。
普段、重心が上に上がりっぱなしで、お腹、腰、足裏への感覚が全くなかったことに気づいた。
・体に活力と歩きたい気持ちが湧いてくるのを感じて、歩く。

*気づき
・一切の判断批判も非難もされないことに、体の中心が広がる感覚がした。心底ほっとしていることに気づいた。これを感じて、
思った以上に、他のセッションで体へのジャッジや批判を受けたことがこたえていて、自分が自分の体への自信を全く失っていたことに気づいた。
しかしそう気づくと、自分の体への判断基準が外にあったことに気づいた。
「私が私の体に気づきを向けること」を、「気が済むまで」味わえる時間と空間があることが何より自分の栄養になった。

◇2日後
・既に体の快調さが薄れている。
・肩が内旋し首が前に出ている。
首で姿勢のバランスをとって、首で踏ん張っていることに気づいた。
・首の力みに気づいてそれに意識を向けると、首の力みが自然と抜け、首の前傾が戻って顎が引く感じで、首が背骨の上に乗る。と背骨が骨盤に乗る感じ。と、自然と丹田に気力が集中し、お腹が充実する感覚がある。普段、肚に気づきが全くお留守だったと気づく。
・姿勢は既に戻っていることに落ち込むが、そういえば呼吸がしやすい、息苦しさや「吸えない感じ」がないことに気づく。

—–
■【2回目】
◇セッション中
・うつぶせで首の痛みが強くそこばかりに気が行ってしまう。力を抜こうにもますます力が入り硬直していることに気づいた。
・足裏に気づきを向けるとスーと力みが抜け→首〜肩甲骨が開き→硬直した体がベットに沈んでいく変化に気づいた。胸肩が開いたことで首の頑張りが緩み痛みが減った。
・踵を自力で微細に動かすのがとても難しい。足首の固まりを感じた。
・左足首上に触れらるとそこに痛みがある事に初めて気づく。
痛みは強いが止めてほしい痛みではない感じがした。むしろもう少しそこにいてみたい感じ。
とそのタイミングで「ここ大丈夫ですか」と田畑さんからのお声掛けがあり、一人で探求し向き合っているのではないことを感じた。その為安心してそのまま痛みを痛みのまま感じる時間をとれた。そして痛みが薄らいていく感覚にも気づいた。

・仰向けでの右肩甲骨〜肩〜胸のワークの際。
肩と肩甲骨下に手を感じながら十分時間をもらえると、
鎖骨下〜肩関節方向へ何かが広がっていく感覚がし、そのままその動きに気づきを向けていた。
表層よりもっと奥の奥。深部の、感覚としては鎖骨下か小胸筋辺りから腕骨方向への微細な広がるような感覚。
とても微細で、その中に入っていくような同時に外から観察しているような不思議な感覚。自分の体というより何かそれ自体が意図をもった有機体のような感覚。(ごく微細ながら)ただそこに共にい共にそれを体験していた。
田畑さんがパっと離れ距離を置いてくれていることに気づきはしたが、私は私のその体験にいることだけに没頭していて、ただ空間を与えられたことへの有難さをぼーっと外側で感じていた。
その、大きな海で漂っているようなゆっくりとした時間と空間の中で、私の体が体自身のワークを存分にできた。そしてそれを「私が」見守ることができたことが大きい。
体の力を信頼し直していける気がした。
これが十分に行われたそのタイミングで、「今どうですか」とお声がかかり大きなサポートを感じた。
それがあったことで、自分内の体験で終わらず外側とつなげられたようにも思う。

◇セッション後
だるさと疲労感。前回のワクワクと活力が湧く感覚はなく早々に寝た。

◇翌日
・歩きやすい。踵から楽につけて足裏を使える。
・右胸の解放を感じる。
・驚く程、右肩の内旋がない。右肩甲骨の傾きがない。
あれほど、長年、自他共にさじを投げられていた右胸〜肩の萎縮がスペースと時間を与えられたことで、自ら解放が起きていることに、体が広がる感覚がする。
胸という体を守る部分の固まりに体が気づき解放していくプロセスを、あのゆっくりした時間、自分が見守れたのかもしれないとの思いがわき感慨深い。
1つずつ、体との信頼関係を取り戻していく過程にいることを感じる。

*気づき
今回のセッションは、
左アキレス腱と、右胸肩部の2か所のワークが私には大きな体験だったが、
それぞれ違うサポートのされ方だったことがとても助けになった。
左アキレス腱の痛みの部分は、長年違和感がありつつスルーしてきた箇所で、しっかりとフィジカルな体に触れられることで、そこに十分気づきを向けることができ、よりそこへ探求を向ける機会を持てたと思った。
一方右胸肩は、より繊細で深い部分に触れることだった為、もし体に直接触れるサポートであったら、多分TOO MUCHだったように思う。あの時は。
見守られることのこれ以上ないサポートをあの時感じていた。
それがあって、体は体のワークを自ら安心して自分のペースで進められたように感じる。
本当にとても大きな助けだった。

—–
■3回目】
◇セッション中
今回は、いつもより体への気づきと集中が薄いことに気づいたまま終わった。

◇翌日
きのうは大きな体への気づきがなかったが、1日経ってみて明らかな体の変化を感じる。
座りやすい。体側が伸びていて胸が開く。腕を上げた際の肩甲骨の動きと肋骨周辺の空間を感じる。

—–
■【4回目】
セッション前、骨盤の左右差、傾き感を特に感じる。
◇セッション中
・骨盤底へのアプローチの際、
骨盤内のもの(内臓?)がだらっと重みでベット方向に重力に従ってリラックスして下がってくるような感覚がし、骨盤内のものに重みがあることに初めて気づいた。

・仙骨と後頭下に手が当てられた際、
背骨やそれに付随するいろいろな液や波?等が、一気に調整され、体が自ら整っていく感覚を感じた。
仙骨と頭蓋骨のつながりを感じた。

・今までよりも更に、足裏がべったりと、しっかりと地面についている感覚に気づいた。
足裏がしっかりと地面と接し、地面を捉えてその上に体という重さを乗せる土台になっている感覚。

◇翌日
・非常に座りやすいことに気づく。
座骨の下、骨盤底にスペースができて、骨盤の動きに自由さがある感覚。
セッションを受けるたびに、使えなかった所が再び使えるようになる感覚を体験し、一つ一つ体との信頼関係を築き直している感覚。

—–
■【5回目】
2日前に首寝違え、せっかくのワークの機会なのに首が動かず十分味わえないかもしれないと、残念な気持ち。

◇セッション中
お腹へのワークの際、大腰筋に気づきが行くと、ふと「体のことじゃない」という思いがわいた。もっと深くの、体そのものでなく体にため込んだ感情や人生の癖などなど?の、何か深いところに「自分が」触れているという感覚を、体で感じていた。

セッション後、非常に疲れとだるさ、眠気を感じた。夜早々に寝る。

◇翌日
体の重さだるさ。左足の座骨神経痛。

◇2日後
体の痛み、だるさ重さ。しんどい。寒さで気分も重い。体との信頼関係にバラバラ感を感じる。
セッションを受けているのにと自分を非難し落ち込む気持ちに気づく。
強制や矯正されるのを嫌いつつ、自分の中に自分を強制しようとする気持ちがあることに気づく。

(6回目以降に続く)

—–
■全体の気づき
初回後感じたことは、
ロルフィングはかなり能動的なセッションだということ。主体は受け手で、受け手が自分の体のワークを進めるものであること。(私個人の感想です)
またそれを実際体験してみると、体にコンタクトすることは単に物理的な体や個人の体にとどまらず、
カラダという有機体としての意図や流れの中でのことでもあって、
治す変えるでは得られない全体としての健全性のようなことが、本当に今ここで行われているということを、
頭でなく体で、体の内からの実感をもった体験として知ることができた。
これは、自分の体への何にも基づかない信頼を生み、
少しずつ自分の体との信頼関係を取り戻す過程を始められたように感じる。

指圧師の方 続報

ロルフィング基本シリーズを受けていくなかで、新しいバージョンの身体を手に入れたように感じていましたが、セッション最終日から約1ヶ月の間に、さらに3回ほど大きな変化を実感しました。
1回めは最終日から4日後。
人とのコミュニケーションが前よりも楽になった実感が。初めての環境でも、”場”に対する変な緊張感が無くなっている自分を俯瞰でみて新鮮でした。同時に、人と相対したときに、フィルターを介してやり取りしているような感覚になる時がよくあったのに、直接ストレートにやり取りをしている心地良さを感じられるようになりました。
2回めは、19日後の田畑先生のライブ会場。人口密度が少し高めで、パーソナルスペースが曖昧な空間。今までならば、いろいろな目に見えない軽微な刺激に、無防備な状態で晒されているような感覚でした。けれど当日適当な場所に席を見つけて座り、落ち着いて会場を見回していると、不意に、小さく自分を取り囲むスノードームのような空間を感じました。守られている!と感じられる壁。広くはないのに閉塞感のない安心できる空間。この感じなら、どんな場所でも大丈夫!、そう思えてとても嬉しくなりました。
3回めは、ライブの翌日仕事中の出来事でした。急に、個々の細胞レベルでエネルギーがアップしたような感じで、身体の急なギアチェンジに自分でも戸惑いを感じるほどでした。
最後のセッションからほぼ4ヶ月経つ今も、身体全体の調子の良さは継続しています。身体のセンサーのようなものは、一時ほどクリアでなく少しぼやけてきているように感じています。
前回のセッションによる身体の変化も落ち着いたように感じるため、以前から考えていた次のステップをお願いすることにしました。

3.11の震災後体調を崩された方

震災後、突発性難聴、耳鳴りにお悩みの方のセッションの感想です。

上京された際に、ご住所の地名をいうと、「大丈夫なの?」と言われたり、「その地名を聞くとゾッとする。」と言われたりすることがあって、以前は気軽に東京に来ていたが、今ではとても億劫になったと仰っていました。そのような無神経で失礼なことをいう人間がいること自体ゾッとしますが、心ない言葉が、ご本人の聴覚に影響を与えないはずはないのです。

セッションの意図は、彼女を取り巻く環境が過去いろんなことがあったにせよ、今は安全だということを少しでも実感し思い出してもらうサポートが必要とかんがえました。

1回目

お陰さまで体を動かすのが楽になり、
体調が良くなり体力が少しずつ戻ってきたようです。
睡眠の質も良くなった感じがします。

空間認識のお話をさせて頂きましたが、
10年以上前にロルフィングを受けた時も空間認識が変わり、感動しましたが、
今回は更に深まりを感じました。
雨にぬれたけやきの樹がとても美しく
目には見えませんが、
大地に深く根をはびこらせて
生きていると、想像している自分が
不思議で、素敵な体験でした。

近くの物を見る時の空間認識にも
変化があり、野菜の皮を剥いている時に
鼻先を通して見ていて、あまり首を
下げていないようです。

視野が上下左右に拡がったようです。

それから、巻き肩で鏡にうつすと
手の甲が見えていたのが親指が見える
ようになり、胸が開いて肩甲骨が下がり
座る、立つ、歩くが楽になりました。
寝ると背中の接地面積が拡がり
ゆっくり休息できる感じが継続中です。

日課のテレビ体操をしますと、
背骨に柔軟性がでたのがよくわかります。

家事に没頭してると悪い癖で動いてしまい、
首、肩が苦しくなりますが、
今のところは良い状態にどれるようです。

耳は二日位は楽でしたが、
戻ってしまったようです。

耳鳴り等の改善の可能性はいかがでしょうか。

今の状態をご報告させて頂きました。

素晴らしいセッションを
本当にありがとうございました。
感謝いたします。

2回目

先日のセッション後も空間認識は
良い変化が続いております。
目線が高くなったようですし、
視野が拡がり目が楽に感じます。
新たにピアノ曲をCDで聴いてますと
音に奥行きを感じて深みのある
演奏を楽しむことができております。
知覚の変化は日常を楽しませて
くれますね。感謝しております。

ただ季節の変わり目で
軽い目眩とか体調をくずしがちですが、
体力が少しずつ戻ってきているようです。

芸術家の方

医師でもあり、美術を中心に活動されている方の10シリーズ体験

1回目

〈セッション中のこと〉
セッションの始まり
繰り返し浮かぶ言葉「ここ(この世界)にとどまるために、ここ(セッション)に来た」

右足
自分の身体が、実はとても良いものだという、あかるい感触。
宇宙船を出航させる前に、クルーを一人一人起こしてもらっているような感覚。
自分で思っていたより有能なメンバーが揃っていると感じる。

腹部
急に腸が喋りだした感じ。べらんめぇ口調。
「オレはもっとすごいんだぜ。どうせうんこの通り道くらいにしか思ってなかったろ」

頭蓋骨
琥珀の色。緑よりの色と、赤よりの色が繰り返し現れる。

〈セッション終了後の変化〉
・歩きやすくなった
・字が大きく書けるようになった
・関節炎になってから、お盆やお皿が持ちづらかったのが、片手で持てるようになった
・腎機能が良くなった気がする(排尿が増え、むくみが引いた)
・重いものを持ったり、無理な姿勢をした後、自分で少しずつ重心を変えたりして、負荷を調整できるようになった
・車の急ブレーキなど、突然の衝撃を少し柔軟に受け止められるようになった
・起きた時に、ひどく疲れていることが無くなった。
・セッション終了後、10日目を越すと変化はおさまって、セッションとの繋がり、集中力のようなものが一度途切れる感じがした。
水槽の水をかき混ぜた後、砂が沈殿して元に戻るイメージ

〈ロルフィングについて〉
自分の身体との通信回路を作ってもらっている感じ。
あるいは、間違った位置のまま根をはってしまった植物を植え替えてもらっている感じ。

2回目

〈セッションがはじまるとき〉
なぜか、「猫がいる」という強い感覚。
焚かれていたセージらしき香りからの連想か。
以前、ユング派の先生に夢分析を受けていたときも、夢のシリーズの最初には、すぐには意味のわからない、暗示的なモチーフが出てきたことを思い出す。
〈はじまってから〉
少し緊張しているかなと思い、なるべく力を抜こうとしたとき、「そのままでいい」という感覚が来る。
「緊張しているのが悪い、リラックスしているのが良いという判断をしないこと。
身体は一枚の絵画と同じように見ることができる。様々な色と質感のバリエーションの組み合わせであり、そのどれもが正しくも悪くもない。ただ隣り合った絵の具の間に不調和があったり、全体の中で浮いている部分があるというだけ。そして、その不調和でさえ、作品としてあえて意図された場合には、的外れではない。きみは、知っているだろう。」
というようなことを、静かに「場」が語ってくれているのをただ聞いている感じ。
前回の腸のおしゃべりについても、
「腸が特別なのは、内側にある外側だからだ」と。
〈頭部への施術のとき〉
前回は、琥珀のようなビジョンが繰り返し現れたが、今回はそれが少し流れている感じ。深い飴色の渦がゆっくりと動いている。
〈セッション終了後の変化〉
・左足を後ろまでけり出せるようになった。
・なぜかずっと、骨盤の中の「腔」について思っていた。でも、思っていただけで、何も分からなかった。
・以前は、痛みが出るまで無理な姿勢をしていて、痛いところを強くさすったり、関節をぐるぐる回したりしていたが、少しずつ違和感の段階で気がつけるようになり、ちょっと重心を変えたり、弱い力で伸ばしたりすることで解決できるようになった。
・ひとつの動きをするのに、身体のいろいろな部分を同時に動かせるようになった。
(そうできなくなっていたことにも気がついていなかった!)
・いつのまにか頭痛が無くなっていた
・前回劇的に良くなっていたむくみはまた少し出てきている感じ

3回目

〈セッションの前〉
1回目2回目と面白い経験をさせていただいて、3回目もとても楽しみにしていたのですが、なぜかセッションの数日前から出かけていくのが少し重たいような感じで、軽い抵抗感があり、不思議に思っていました。
今から振り返ると、セッション開始から終了まで、それから今までの期間を通して、心理的な課題と向き合っていたようです。そのことから起きる抵抗感だったのかなと感じました。〈セッション中のこと〉
横になる体勢で、背中を丸めるか伸ばすか意識したときに、幼い頃、母に打たれた記憶が思い出されました。
フラッシュバックのようなものではなく、水族館で水槽を眺めている感覚です。
平手打ちされるときに、思わず体を縮めて手で頭をかばってしまうことがとても惨めで、なぜ毅然と背を伸ばして立っていられないのだろうと思っていました。気持ちが萎縮して、どんどん背中が曲がっていく私に、父はよく後ろから肩をつかんで胸を張らせるようにして「背筋を伸ばしなさい」と言いました。自分の身体は、縮こまることも伸ばすことも、どちらにしても強制されるのが嫌だったんだと思いました。その後も、姉が亡くなった時のこと、治療家を辞めた時のことなど、人生の大きなイベントがセッションを通して映し出されるようでした。
医師だった時、心理療法の先生から、患者の病的なものを一度自分の中に吸い込んで、そこから解消させていくタイプの治療家なのではないかと言われ、そんな風に意識して患者の治療を手がけることで自分なりのスタイルを作ろうとしていたこと。(でも、その方法では、すぐに限界が来るよなぁと。当時は分からずもがいていたことが、現在、水族館の水槽越しだとあっさり見えて来るのでした)
その少し後、15年間、膠原病と生きてきた姉が急変した時、私は姉の病気を自分の中に吸い込むどころか、病そのものに触れることもできなかった。姉は、大切な秘密の恋人みたいに膠原病を大切に抱きしめていて、そのまま逝ってしまいました。
そのことで自分にがっかりしていたことや、医師の仕事にこだわっていたのは、患者ではなく自分が救われたかったからだと感じて、それ以上続けられなくなっていったことなどが、順番に思い出され、それにただ「そうだったね」とうなづいているような時間でした。〈セッション後のこと〉
帰り道、歩き始めると、身体が3分の2くらい地面に沈んだように重く、それなのにふわふわと軸がぶれて安定しない気持ちの悪い感覚がありました。母との問題に取り組み続けていた30代後半まで、ずっとそんな体感で生きていたことを思い出し、今は恵まれているなと思いました。体は、暴力も他の出来事と区別せずにこうして律儀に保存していて、年月を経ても、心理療法を受けても、母本人が亡くなっても、それは変わらずに私の中に折りたたまれていて、ことあるごとに現れるのです。それどころか、歳がいくほどに、身体は遺伝するカタチを露わにしていくようで、鏡を見るたび親の姿が見えるのではないかと気持ちが寒くなる。なんだか理不尽な思いがしました。
暴力に苦しんだ友人や患者と、彼らに刻まれた傷を思い出したら、圧倒されるような無力感を感じ、そのすぐ後に、肚の底から強く、生命に暴力は必要ないのだという感覚が湧き上がってきました。それから1〜2週間は、仕事などで父に似たタイプの男性に会うことが多く(寡黙で感情表現が不十分。いわゆる理系タイプ)、これまではそういう人に好意を感じることが多かったのに、変に腹が立つことが増えてきました。それで、自分は母に対して感じていたのと同じくらい父にも腹を立てていたのだと気がつくことができました。
全然違うタイプの夫(感情豊かでおしゃべり、コミュニケーション命の男性)と結婚している理由もよくわかりました。心理的には振り返るのが辛い課題でしたが、今までの自分が作ってきた今の暮らしは、なかなかよく出来ていると思えたのが良かったです。
身体は、30代くらいまでの(多分抑うつ傾向が強かった頃の)様子に近く、便秘がちで、動悸がしやすく、ギクシャクとした感じ。
ただ、不眠症は再発せず、仕事や作品制作がハードな時期も動きが鈍ることなく、十分に機能することができました。
制作で立ったままずっと下を向いて絵を描いていたりしたせいか、股関節の痛みと、歩く時のアンバランスな感じがまた出てきてしまいました。
せっかく、微妙な調整をしていただいている時なのに、身体を雑に扱ってすみません。

4回目

〈セッションがはじまったとき〉
1,2回目にもありましたが、普段は思い出さない記憶が断片的に浮かびました。
今回は、30代半ばで一番貧乏だったころのこと。なぜか小麦粉だけはたくさん持っていて、よくパンやビスケットを焼き、うどんを打ち、結局は豊かな食生活だったことなど。
それから、前回のセッションのことを思い出し、両親のどちらにも怒っていたのなら、早く亡くなった姉にも怒っているのかもしれないと考えると、それに反して姉に対する甘い慕情のようなものが激しくこみあげてきました。
すると同時に、死神先生が現れ(私の想像上の存在で、生まれてすぐに凍えて泣いている時に、枕元に立ち、生き残り方を教えてくれた男性)、
「涙は内側へも流れるのだよ、レイコくん」と。
死神先生、変なしゃべり方だなぁと思いながらも、意識を眼球の内側へ向けてみると、たしかに強い流れが頭の中を通って下へ(その時は横になっていたので、耳の方へ)と向かうのが感じられました。
セッションが進んでいくと、身体の感覚が変わり、枠組みとしての硬い骨に肉や内臓が付いているのではなく、皮の袋の中の柔らかい肉の中に小さな骨が浮いているような心持ちになってきました。
そのあと、重心が身体の外にぽーんと飛び出していく感じがしました。
〈骨盤の右側〉
コーヒーの染みがついたまだらな布巾のイメージが浮かび、何か病的なもの、違和感のあるものを連想し、亡くなった母の病気が卵巣癌だったことを思い出しました。
自分が卵巣癌になったら、夫は母に私を奪われたと感じてひどく哀しむだろうと、そのことを潜在的に怖れていたのだと気がつきました。
そしてまた、死神先生。
「その意識と戦ってはならない」と。
鐘が鳴るように、明確な言葉の響き。
私は、卵巣癌に対しても、他の病いに対するのと同じくらい開かれていようと思いました。
〈骨盤の左側〉
左側は、右側とは対照的に、青く透明で空っぽなイメージ。夜の室内プールのような。
〈セッションの後半〉
直径30センチほどの太い筒がうねりながら頭上から出ていくような感覚が数分間続きました。
〈4回目のセッションを終えて〉
身体の重心が変わって姿勢が違うのが、セッション前後の写真でもよくわかりました。1〜3回目までは、先生に説明してもらって、よく見てみるとなるほどそうだなという感じでしたが、今回は自分でも一目で違いが見てとれて嬉しかったです。
〈セッション後の変化〉
新しい靴がなかなか馴染まなくて、いろいろな歩き方を試していたとき、この歩幅
、このリズムで足を運ぶと気持ちがいいという感覚が初めてわかりました。どこかへ行くためとか、運動のためといって歩くことはあっても、気持ちいいから歩くということはこれまであまりありませんでした。
身体の気持ち良い感覚は、見つけようと思いさえすれば、もっとたくさん、いろいろなバリエーションで味わえるのかもしれないと思いました。

5回目

〈セッション開始前〉
セッションに向かう途中のバスの中で、前に座った女性の呼吸が少し早く、それでも苦しそうというわけでなく、リズミカルにコートの襟が上下しているのがなんだか愛おしいと思いました。
そのことから、昔飼っていたチンチラというウサギに似た小動物のことを思い出し、セッションのはじまりからほのぼのと心地よい気持ちでした。
〈セッションのはじまり〉

黄色とオレンジの色が繰り返し現れました。それが、先生の立つ位置によって少しずつ変化し、鮮やかで透明感のある青と緑へ。その色からフィジーへ行ったことを思い出しました。

体験ダイビングで海に潜り、たくさんのきれいな生き物を見せてもらったとき、通り過ぎた他のダイバーを見て、とても嬉しくなり、やっぱり自分は人類の身体が一番好きだとわかったこと。それが、なんだか爽快に負けてしまった感覚で、気持ちよかったのを思い出しました。
色がどんどん変化していき、紫のむこう側や、赤のむこう側のことが気になり始めました。
画家のジャクソン・ポロックやマーク・ロスコーは、色の向こう側を人々に見せようと挑戦してくれたんじゃないかと不意に思いました。
左側の施術。
空っぽのイメージ。
空の部屋に何か並べなおす感覚。
右側は、対照的にいろいろ散らかっている感じでした。それらを左に移すのかとおもったら、さらに右に流して、外へ出してしまう感覚。
左頭部への施術。
墨の黒〜紫のインクのにじみが現れ、じわじわと輪になって遠くへ行く映像が繰り返し現れました。
〈セッションの後〉
いつもバスで帰っていたところ、急にたくさん歩きたい気持ちになって、歩いて帰りました。
途中、喫茶店でランチを食べましたが、スープが胃にまっすぐおりていく感覚があり、驚きました。今まで、食道も曲がっていたのかもしれません。
また、鼓動の響きが気持ち良く感じられるようになりました。
ありがとうございます。

 6回目

〈セッションの前〉

バスの中でとなりに座った小さな女の子が、まだ大きめの学校の制服を着て、じっと座っている佇まいが可愛らしく、とても印象的でした。

これはセッションのプロローグみたいだなと思った時、ロルフィング10シリーズの自分なりの体験の仕方がわかった気がしました。毎回短い物語を読むように、身体や空間が語るものを聴いている、そんな感じです。
〈セッション中のこと〉
うつぶせになっての施術。たくさんの色が感じられました。
先生が立つ位置によって変化し、
右頭部では、彩度の高いこげ茶
左足の時は、濁りのある濃い青
右頭部で、やや濁りのあるワインカラー
そして、その都度何かの流れが、斜めにまっすぐ走る感じがしました。
それから、不意に夫に対して「ごめんね」という気持ちが湧いてきました。何か悪いことをしたとか、悔いていることに対してではなく、ただ明るい心持ちの「ごめんね」でした。
そういえは、さきほどのバスの女の子にも何度か「ごめんね」と言ったことを思い出しました。(荷物が多くて邪魔だったり、降りるのに道を開けてもらったりした時に)
それは、おばあちゃんの「ごめんね」だなと思いました。何か都合の悪いものを相殺するための言葉ではなく、春の明るい空に浮かぶ丸い雲みたいな「ごめんね」。あてどないようでいて、ちゃんとそこにある「ごめんね」。
こんな短かい当たり前の言葉に、こんな大きな違いが隠れていたとは驚きでした。
右上腹部への施術の時は、急に雰囲気が変わり、肝臓がおどけて歌い出した感じがしました。
「レバレバ〜、キラキラエコー脂肪肝♪」と言いながら、ぷうっと際限なく膨らんでいく感じ。
このおかしなテンションは?とたずねると、疲れすぎているから、と。
どうぞおとなしく調伏されてくださいとお願いしていたら、だんだん鎮まっていきました。
作品の制作でお世話になっている先生は、作りすぎの過労で腎臓を悪くされたので、とくに根拠もなく、自分の場合も腎臓に来るのかなと思っていたけれど、肝臓に無理をかけるタイプなのかもしれないなと思いました。
無理をするときの主軸になるということは、その人の強みだった部分こそが病気になりやすいのかなとぼんやりと考えを巡らせました。
それからは、身体のあちこちで起きていた小さな拘縮が解けていく感じ。
最後の写真での確認では、背骨がストレートバックから、自然なわん曲に近づいているのがわかって嬉しかったです。
〈セッション後の変化〉
・しばらくハードなスケジュールが続いていたのですが、風邪もひかず、ほどよく元気に乗り越えることができました。
・外反母趾や股関節の痛みが少なくなりました
・漠然とした感覚ですが、変化に対して開かれていることができるようになった気がします

7回目

〈セッションの前〉
前回、プロローグがあることに気がついたところでしたが、そうしたら今回はそれらしい気配がなく。毎回、ロルフィングってこういうものなのかな?と少し分かったような気がしては、するりとかわされてしまうことの繰り返しのようです。
〈セッション中のこと〉

はじまりはとても静かでした。

コンクリートの壁のデザイナーズマンションみたいに、半分無機質で、半分は人を迎え入れている感覚。
先生の立つ位置が右足の時は、オレンジ〜レンガ色。左足の時はブルーグレーと、色のイメージが分かれました。
足への施術では、頭の方まで一本斜めに通る感じがしました。
手への施術
右手が、次に作りたいものについて語りはじめました。ちょっと上から目線の言い方で、「君は、中西夏之の絵のような、優雅で生命感ある余白を修得するといいよ」と。
左手は対照的に沈黙。そういえば、木彫の作品を作っている間ずっと、よく鑿を持って支えてくれてたなと思い出しました。受け止める左手。ドカベンの山田太郎みたいだなと思いました。(とすると、おしゃべりな右手は侍ジャイアンツの番場蛮でしょうか)
頭、顔への施術では、プラネタリウムの星空のようなイメージが浮かび、宮島達男の作品を思い出しました。
そういえば、10シリーズの最初の頃は、
カラヴァッジォやレンブラント、それからターナーやブラマンクの作品が思い浮かぶことが多かったのですが、今回からは急に現代美術へとイメージが変わっているなと思いました。セッションのプロローグが無くなって、物語性が必須でなくなったこととリンクしているような気がします。
〈セッションの後〉
・よく歩けるようになりました。歩くことが楽しくなって、またバスを使わずにアパートまで歩いて帰ることができました。
・身体のあちこちにコイルみたいな小さなねじれがあるのがイメージでき、それを少しだけほどくのを意識してみました。
・よく歩けるようになった分だけ、膝と股関節が痛むようになりました。40代に入ってから10キロ近く太ってしまったので、そのせいかと思います。そういえば、ロルフィングの4〜5回目くらいから、太っていることへの違和感を感じるようになりました。頭で思う、やせなきゃ!とか恥ずかしいいなぁではなくて、身体で感じる、どうも合っていないなぁという感覚です。
・直接関係があるかわかりませんが、10シリーズを受け始めて、20代の後半からあった首の老人性疣贅(いぼみたいな皮膚の老化現象)が、腫れて痛み、引っ掻いて出血することを繰り返した後、今回のセッションの数日後にかさぶたになって取れてしまいました。
〈セッション前のこと〉
セッション前に疲れのピークが来ました。
身体が分かっていて、深部から表面へ「疲れ」を浮かび上がらせているような感覚でした。
セッションに依存しているのかなと少し心配になりましたが、今回(9回目のセッション前)そういうことは起きなかったので、大丈夫のようです。

8回目

〈セッション中のこと〉
先生が左側に立たれた時のイメージ
大きな直方体が雑然と積み上がった感じ。
右側のイメージ
2〜3個の直方体がバランスよく組み合わさっている。
左はFactory、右はHomeだなと思いました。
右側下肢への施術
植物のイメージ。葉芽が出てくるところが思い浮かびました。
台に付いている左の頬から根が生えてきて、足の方から葉が生えてくる感じです。
実際は平らな台の上にいるのに、顔の方がどんどん沈んで、足の方は上へ上がっていくようでした。
「再生の力はその強度ではなく、制御する能力に拠っている」という声。
以前ゲーテの植物論をベースにした講義を受けたことがあり、その時一瞬だけ植物のからだになった気がしたことがありましたが、それを今回じっくり経験しているような感じ。重力との関係が動物とはまるで違うことが分かりました。
背部への施術。
ぐるぐると地軸が回る感覚。水面をかき混ぜて回転させているような感じがしました。
その後、CS60での施術に変わって、少しずつイメージが動物の骨と肉の世界に戻ってきました。一部には相変わらず葉が繁っていて、しばらく動物と植物のイメージが混在している感覚。
それから、普段思い出さない記憶のいろいろが断片的に蘇り、昔飼っていたチンチラ(ねずみやウサギの仲間の小動物です)がこちらをじっとみている気がしました。生きている時と同じように、少し首をかしげた姿勢で、今でもわたしを見ているような。
動物の、身体を通してしか表せないような感情表現のことを考えて、自分はどちらかというとそっちの国の住人だったなと思いました。
〈セッションの後〉
・目の位置が高くなりました。それが、写真でもわかって嬉しかったです。
・痛みの出ていた股関節もなめらかに動くようになりました
・またバスに乗らずに歩いて帰れました
・余計な力が入っていることに、自然に気づいて力を抜くことができるようになりました。
・「正しい姿勢」と意識するよりも、その時その時に合わせていろんな姿勢でいられるようになりました。

9回目

 

〈セッションのはじまり〉
横になった姿勢で脱力すると息がしにくい感じがしました。
先生に、足の方へ呼吸を意識するよう促されると楽になり、解剖学的な肺の呼吸と、体全体でする呼吸とは次元が違うのだと思いました。
今の制作のテーマである、心臓の作品を作ることを考えました。ハグできる心臓。それを思い浮かべたとき、自分の心臓がとても喜んでいる気がしました。
セッションの中で、足を伸ばす動きをしたとき、はじめて伸ばす筋の感触があり、猫の背伸びを思い出しました。
動物の仕草のまねをしていれば、身体はおおむねいいのかもしれません。
小さい頃、おままごとで人間を演じるのが気恥ずかしく、いつも犬の役をやっていたことを思い出しました。人間の身体には、尻尾はないし、後ろ足で耳をかくこともできないし、四つ足で走るには後ろ足が邪魔だし、ずいぶん不便だと思ったものでした。
色のイメージ。
いつもは使わない色。
霧のような紫、浅いブルー、醒めたピンクなどが、にじむように切り替わるのが美しく、見落としていた色の世界がたくさんあるのを発見しました。
展開
からだの有機的な形が、こまかな立方体に変換されて(平面でのピクセルのように)、それが一度に開かれるイメージがありました。

頭への施術。

頭部の筋肉のこわばりを自覚しました。自分の奇妙な考えがいつのまにかはみ出して、人を傷つけないように、無意識に壁を作ってきたのだと思いました。今からは、その壁は必要なく、むしろ、「奇妙な考え」を十全に発揮できなくては、と思いました。
首への施術。
首の筋肉がイワシになって自由に泳いでいくイメージ。
アジやサンマの方が好きだと思ったけど、形はやはりイワシ。欲張って、もっと高価な魚がいいなと思ったけど、やっぱりイワシでした。
頭から煙

20代から30代にかけて、喫煙していた分の煙がもくもくと左の側頭部から出て行く感じがしました。マボロシの煙なのに、本当に臭いがしてくるようなリアルな感触です。

〈セッションの後〉
・頭からの煙は、その後何日間も続きました。

映画『脳内ニューヨーク』で、主人公の恋人が、いつもどこか燃えている家に住んでいるのを思い出しました。途中、煙はシャボン玉のようなものに変わり、それからいつのまにか無くなってしまいました。
・時々、セッションの最初にあったような呼吸の苦しさがありました。息を吸いきれないような感覚。これも、いつのまにか無くなっていきました。
・気がつけば、結構ハードなスケジュールを割と楽に生きられているようになっていました。
・環境の変化に適応(というか観念してしまうような)できるようになった気がします。

整体で腕を痛めたまま (安田氏とのコラボWSに参加)

1回目

ロルフィング。20年以上前、友人から勧められて知ってはいたものの、
セッションは下着で受ける、写真を撮られる、10回は受ける
ということに抵抗を感じ、二の足を踏んだまま月日は流れ・・・。

今年に入り、能楽師でロルファーの安田登先生と田畑先生のコラボイベントに
行った際、ロルフィングのデモがあり、その「何をしているのかよく分からない」施術に不思議な引力を感じ、一緒に行った友人に、ロルフィングを受けるなら田畑先生から受けてみたいね、と言い合って帰りました。

・・・そして、この度のモニター募集。思わずポチりました。

施術は、他の整体とは全く違いますね。
初回は骨盤、土台の調整だからなのか、背骨のあたりを触れることなく、
身体にそって、あるいは肌に手を添えていく、軽く触れていく感じで、
何か圧を加えられているという感じはほとんどありませんでした。
時々、田畑先生から**して下さい、と指示が入るのですが、身体の内部のことなので戸惑っていると、田畑先生が「そうそう」「そうそう」とOKサインを出されるので、特に意識でどうこうしようとしなくても、意識を向けるだけで、身体の方で自然に「そうなる」のかもしれません。

日頃、痛みを感じないかぎり、身体の骨や筋肉には意識を向けることのない毎日なので、あらためて、確かにそこにあるんだなぁと、自分の身体に申し訳ない気持ちが起こりました。

あと9回。年末までにどんな変化が起きているのか楽しみにしています。

2回目

他のロルフィングを知らないので、比較はできないのですが
田畑先生の施術の「間」の取り方は独特ではないかなと思います。

1時間の施術時間のうち、「直接的な(肉体に対する)働きかけが何もなく、
ただ寝かされている」ように感じた時間がありました。
何らかの働きかけがあったあと、後は身体の動きにまかせる
というのは頭で理解できるのですが、最初に「ただ寝かされていた」ので
頭の中は「これは何??」とクエスチョンマークが頭の中を飛び交ってました。
しかも「この位置はどう感じますか?」と聞かれるので、ますます??で・・・(苦笑)。

ロルフィングを受け始めたことを知った友人に「どう?」と
何度か聴かれましたが、
「たぶん、田畑先生のロルフィングは、他の方の施術と
違う気がする」と答えています。

あの時間、自分の筋肉や骨格に何が起こっているのか、ともかくも、不思議です。

3回目

私はひどいO脚のせいもあり(母方の叔母たちが並ぶと、
見事にO脚が並びます(笑))、どうやら歩くときの重心は
ずっと小指側にかかっていたようです。

2回目のセッションのあとに、新しいカラダが以前からの馴染んだ歩き方を
しようとするせいなのか、どう歩いていいのか、ギクシャクした感じが
あり、3回目まで歩き方を意識するようになりました。

3回目のセッション後、部屋を歩き始めたとき、
重心が小指側から親指側に移っていたのを感じました。
和装では、踵の内側、こはぜのあたりに重心を置くよう意識するそうですが
カラダにそっと手を添えているだけのように感じる田畑先生のセッションで
何故、重心が変わったのか、とても不思議です。

また、昨年11月に、友人に紹介されて受けた整体の先生から強く揉まれた
ことが原因で、直後から腕の上げ下ろしの際、腕と肩に激痛が走るようになりました。
特に冬はコートに袖を通すたびに腕が痛むので、とても困っていました。

ところが、いつのまにか、腕の痛みが消えています。
特に腕にアプローチされたという記憶はないのですが・・・。

田畑先生が施術の間にどう私たちのカラダとコンタクトを取られているのか
とても興味があります。

4回目

私は、バッグや荷物を持つとき、いつも右手にばかり持って
しまっていました。2つバッグがあれば、2つとも右手に
下げていました。
左右のバランスを意識して、気がついたときには左手に
持ち替えるようにしていたものの、自然にまた右手に
持ってしまっていたのですが、
3回目のセッション後、気がつけば、
いつのまにか、バッグを左手に持っています。

左手にバッグを持っている自分にハタと気がついて
ビックリしている自分がいます。

私の左腿には、0歳のとき受けた注射針から雑菌が入り、
膿を出すために切開をした2センチほどのキズ痕があります。
すでに56年経ったキズですし、その傷痕と共に成長したので、
特に気にしたことはなかったのですが、そのキズ痕が左脚
(もしくは身体のバランスに)影響を与えていると言われ、
そんなものなのかーと驚きました。

田畑先生のロルフィングは、指先でそっと身体に触れる、
沿わしている繊細で静かなセッションですが、その繊細で
静かなタッチでないと聴けない細胞の声を感じていらっしゃる
んだろうなと思います。

5回目

5回目のセッションで初めて身体に「圧」を感じるセッションを
受けた気がします。
筋肉を押されたり、揺すられたり・・・。
一緒に受けている友人は5回目はうつぶせだったと言っていたと
記憶していますが、私はずっと仰向けでした。
相変わらず背骨には触られないので、何故ですか?とお聞きしたら、
土台が整ってないのに、腰椎や背骨を調整しても、またすぐに戻って
しまうでしょうと(たぶん、こんな感じのお返事でしたよね?)。
整体というのは、必ず腰椎と背骨の調整をされるものだと思っていましたし
実際、これまで受けた整体は、どれもそうだったので、いつ背骨にアプローチ
があるのか、またどのようなものになるのか、反対に興味が沸きました。
10回コースで受ける、ということの意味がようやく理解できました。

歩いているとき、荷物を持っているとき、立っているとき
自分がどのようにしているのか、時々ですが、気を向けるようになりました。
重心はどうか、荷物はどっちの手に持っているか、どのように立っているか。

セッションの時に変化があっても、すぐに元の癖や姿勢にもどるのでは?
と実は思っていましたが、いまのところ、施術の成果はキープしているようです。
重い荷物を持ったり、スーツケースで長時間歩いたりと無理な姿勢をして
いることもあるので、このキープ力が不思議です。

 

6回目

6回目の施術では、脚と背骨に沿ってCS60での施術がありました。
過去何度か、私はフルのCS60の施術を受けています。
そのたびに私はほぼずっと「痛い」と叫んでいますが(笑)、あんなに痛みを感じなかったCS60は初めてで、何故痛くなかったのか、よく分かりませんー!

以前田畑さんから受けたときには単に、その部位にCS60を当てているだけだったのでだから痛くないのだと思ってましたが、擦られても痛みがないのが不思議です。

7回目

 

ロルフィングも後半になってきました。
7回目では、口や鼻の中の調整がありました。
普段、あまり人の手が入らない部位の調整が入ったためか
その直後から、身体に怠さを覚え、その後4日ほど、怠さが続きました。
それ以外は、特別何かをされた、ということはなかったので、
なぜ、怠くなったのか自分では全く理解不能なのですが、
身体は何かに反応していたのでしょう。

8回目

8回目は、ほぼ、うつ伏せになっていたこともあり、ウトウトと寝てしまいほとんど覚えていません。ただ、終わって立ち上がったら、足全体でしっかり地面に立っている感覚があり、立っているのがマンションの床ではなく、北海道や、あるいはケニアの大地だったら、どんなに良いかしらと思ったくらいです。

セッションの感想ではないですが、1つ、思い出しました。

ロルフィングが日本に入ってきたごく初期の黎明期。
外人講師の通訳を、知り合いの通訳2人が担当したんですが
彼女たちも、せっかくならとロルフィングを受けたところ、
「君たちの身体に必要なことだから」と、なんと、膣の中にも指を入れての
膣内のセッションもあったそうです。
「でも、とても嫌だったので、泣きながら受けた」と言っていたことを
思い出しました。その後、ロルフィングが日本に広まるにつれ、
あの講師は単なるエロ親父だったことが分かったとも言っていました。

9回目

今回はCS60の出番が多く、半分くらいはCS60の施術だった気がします。
以前受けたときもそうでしたが、こんなに痛くないCS60は初めてで、何故痛くないのか、田畑先生に伺ってみたのですが、よく分かりません。
軽く持っているからですよ、と言われたのですが、他の施術者の方にも「これ以上ゆるく持ったら、手が浮いてしまいます」と言われながらとても痛いので、何が違うのか、田畑式を他の施術の方にもぜひ広めていただきたいくらいです。

ロルフィングを受けてどうですか?と、周りの人から感想を聞かれることが何度かあったんですが、1年以上前、強く揉む系の整体を受けて痛めていた左腕が、その後、様々に施術やマッサージを受けても最後まで消えなかった痛みのポイントが無くなったのと、いつも右しか鞄を肩に下げたり持ったり出来なかったのに、
いつのまにか、左側で鞄を持つことが気にならなくなったことが大きいです。

10回目を終えて

10回のシリーズが終わりました。
半年ぶりに、ボディワークやっている知り合いの人と会ったんですが、
私が歩いている姿をみてすぐに、彼女に「あれ?体幹が変わっているけど、何かやった?」と聞かれました。
やったーっという感じです。
足がしっかり地についている感じで歩けるようになった、と伝えたら、彼女もちょうど、別の方のロルフィングに
通い始めたところだそうで、10回が楽しみになったと喜んでいました。
私もロルフィングに通っていることを知らない知り合いに「体幹が変わった」と言われて嬉しい限りです。
10回シリーズを受ける前と、どう自分に変化があったかなと振り返ると、
身体の内側のざわつきやノイズが鎮まったような感じがしています。静かな身体になったというか。
ロルフィングを始めたと同時に、他のアプローチも始めたので、そのシナジー効果もあり、
頭の中の雑音もほとんど無くなった気がします。ヴィパッサナー瞑想にひさしぶりに参加したときにも頭の中も身体も静かで、瞑想が心地良かったです(1日10時間座るので、肉体的には辛かったですが)。ロルフィングを以前受けた、という方とも話しましたが、「あれは痛い施術よね」と言われました。

昔は痛かったのでしょうか? それとも施術者によって、受ける人の状態によって施術内容が違うのでしょうか?

一度も痛さを感じなかったので、私はたまたま痛くなかったシリーズだったのか。

いずれにしても、10回シリーズ、ありがとうございます。

 

遠方からゆっくりペースで進める10シリーズ

【ロルフィング10シリーズを終えて】
2020/5/3

2018年8月から2019年10月の約1年間をかけて、ほぼ月に一回のペースでロルフィングの10シリーズを終えました。

遠方から通うこともあり、月一回で通うことにしましたが、私自身の気持ちの上でもゆっくり変化を受け入れることができ、心身ともにちょうどよいペースで進めることができました。

セッションを始める前までは、ハードワークによる疲れのため、月に1日ほど寝込んでしまうことが続いていました。職場や人間関係も、安定しつつもどこか停滞感があり、私自身も、今の職場にずっといなければならないと思い込んでいました。

セッションを受け始めて2、3ヶ月が過ぎる頃から、身体と仕事や人間関係のことで、ゆっくりと必要な変化や浄化が起こっていきました。
そのときは、ロルフィングが深まってきたためとは気が付かず、なぜ今までのような穏やかで落ち着いた環境ではなくなってしまったのかと、起こってきた変化への苦しさばかりを感じていました。

ロルフィングによって私に起こった変化は、ただずっと居心地がよいだけのものではなく、ときには精神的な苦しさも伴うものでした。
それは、半返し縫いという布の縫い方のように、ひと針進んでは半分戻るような、戻りながら前に進む波のような変化でした。今思えば、一見悪くなったように見えることも、私にとってはどれもが必要な過程だったように思います。

ロルフィングのセッションが深まるにつれ、人間関係も本当に必要な方との関係が残り、お仕事も、とても不思議なことに、長い間勤務してきた大学の事務から、自分がずっと望んでいた美術館で働くことになりました。
大学に留まろうとしたときには、不思議なほどうまくいかず、気持ちもなぜか明るくなれませんでしたが、美術館のお仕事は、すうっと道が拓けるように決まりました。

いちばんうれしかったのは、ロルフィングによって、自分の身体がいつも私のそばにいてくれることを強く感じるようになったことです。その感覚が今も自分を支えてくれています。

ロルフィングによる変化は、もうしばらく続くように感じています。これからも自分の変化を楽しみに見守っていきたいと思います。

田畑さんには強要することなくセッションの過程を見守っていただいて、心より感謝しております。本当にありがとうございました。

【セッション 第1回目】

2018/8/14

①ロルフィングの最中に感じたこと

今回ロルフィングを受けた目的は、体のどこかに不具合があってその改善のため、というよりは、
これからの時間のためにもっと自分の体をケアしたかったからです。

ロルフィングを受ける前までの状況は、
仕事が忙しく、月一回くらいの頻度で体調を崩して寝込んでしまうことが続いていました。

また体調だけではなく、私自身の状況も。流れが滞っているような、何かがうまくつながらないような感覚がありました。

田畑さんのロルフィングは、以前東北の震災関連ワークショップに参加したこともあり、受けた後の身体の深く満たされた感覚をずっと覚えていました。
機会があればしっかり受けてみたいと思っていたところ、今回タイミングよくモニターコースの募集があったため、ぜひにと申し込みをさせていただきました。

セッションを受け始めてまもなく、
ギリシャのエーゲ海のような青い海が思い浮かんで来ました。

なぜこのようなイメージが浮かんで来たのかはわかりません。
そのときは今回の私のテーマは海なのかなとふと思いました。

田畑さんのワークはとても繊細で、
これまで私が受けてきたアロマテラピーのトリートメントとは、受けているときの感覚が全く異なりました。

マッサージのように筋肉の表面的な疲れを取るというのではなく、
繊細なタッチによって、私の身体の可能性を自然に引き出そうとしている(道筋を与えている)ように感じました。

そのため?、タッチされた後も、
まだタッチが続いているようなほかほかした温かさを感じました。(温かいなあと思っていると、あ、もう手を離されていたと気付くような感じでした。)

ワークを受けている間は、私自身が首を左右に動かして落ち着くところを探したり、どのような感じかを問われたりもしました。
また、セッションの最初と最後で、部屋の中を歩いたときも、
セッションの最初では足の甲の厚みを感じたのに対し、
セッション後は、腰がしっかり安定して身体ごと動いているなあと感じました。

こんなに短い時間でも、セッションを受けて身体の感覚が変化していることがわかり、とてもおもしろかったです。

②その後、感じたこと

なんとなくではありますが、
歩くときに足だけが動いているというよりは、腰が前に行って身体全体で進んでいるような感覚が続いています。

また身体だけではなく、私自身の状況も、少しずつ流れ始めたように感じています。

【セッション 第2回目】

2018/9/15

①ロルフィングの最中に感じたこと

今回も始めに、セッションルーム内を何往復か歩いて、その感触を伝えることから始まりました。
今回は何となく腰の辺りがしっかりしてきて、腰から前に進むような感覚がありました。

今まで受けてきたアロマテラピーのトリートメントでは、セラピストさんに体を預けるような感覚がありましたが、田畑さんのセッションでは、ちょうどよいタイミングで、私自身が今どう同じているのかを確認しながら進めてくださるので、私も一緒に船を漕ぎながらセッションを受けているような気持ちになります。

今回は上半身から足にかけて、全身をぐるりと囲むようにワークをしていただき、何となく今日はソフトな回だなあと思っていたら、最後にセッション台から起き上り、腰をかけた状態で受けたワークでがーんと大きな手応え?を感じました。
田畑さんからは、座った状態で上半身を倒して、尾てい骨を丸めるような感じでとアドバイスをいただいたのですが、始めは体をどう動かしたらよいかわからず、頭が真っ白になりました。
私にとって、体の中で一番意識できていない場所が、上半身と下半身をつないでいる骨盤の部分だったので、この最後のワークは私にとってとてもインパクトのあるものでした。

そのためセッションの後は、これまではもやもやとした概念のようだった骨盤のあたりが、しっかりとした形を与えられたように感じました。

②その後、感じたこと

これまでは足がむくみやすく、特にあまり動かないでいると太ももやお腹のあたりがぱんと張るようにむくみ、体の流れが滞っているような感覚がありました。

セッション後、2、3日してからいつも履いているパンツを履いたとき、あれ?痩せたのかなと思いましたが、太ももの部分がすっきりしたのだと気がつきました。これまで常にあった太ももや腰回りのよどみのようなものがなくなっていることに気付きました。

またここ最近は、仕事が終わってからどこかに行ったりすることは、次の日に疲れてしまうからとできないでいました。ですが、セッションから2、3日後の平日に、仕事が終わってからふと思いついて、歩いて15分ほどのカフェに行って夜のお茶を楽しむことができました。

また、ロルフィングのセッションを受けてから、これから自分がどんなふうに働いたり、生きていきたいのかを考えるようになりました。

一方、セッションから数日後に頭痛と吐き気による体調不良で仕事を1日休んでしまうこともありました。

いずれもセッションによって、滞っていた部分が流れ始めたからなのかなと思います。これからも変化を楽しみに見守っていきたいと思います。

※【セッション 第1回目】の補足

・1回目のセッションの10日後くらいに、光があふれて風通しのよい、きれいなマンションを借りる夢を見ました。
これからの私の体の比喩のようにも感じました。(以前、河合隼雄先生が、夢は暗喩ではなく、直喩になっている、とお話しされていたのを思い出しました。)

・職場(事務職)の同じ部署に、ボディワークを副業にしている方が来て、一緒に働くことになりました。直接関係はないのかもしれませんが、これもセッションの過程で生じてきた変化の一端のようにも感じました。

————————————

余談ですが、
8月末に関西に台風が来た際に、
ホメオパスのせはたさんに、神戸は大丈夫でしたかとメールをし、田畑さんのロルフィングを受けることにしましたとご報告したところ、

私が「結局、世界一の名医はその人自身の中にいる!」と
断言できるのはロルフィングで得た感覚によるところが
大きいです。
きっと吉田さんにとっても自分の中の偉大な治療家に
気づく経験になるはずです。
楽しんで体験してきて下さい。

と、すてきなお言葉をいただきました。

今後も引き続き自分の変化を見守っていきたいと思います。

1回目から2回目までの写真

【セッション 第3回目】

2018/10/6

①ロルフィングの最中に感じたこと

今回のセッション前までの状態は、
お仕事が多忙で寝不足が続いている状態でした。特にセッションの前日は、朝早かったこともあり、行きの新幹線ではほとんど眠っていました。

今回のセッションも、部屋の中を何度か往復して、その感覚を確かめることから始まりました。
これまでは、歩くことは足を動かすことだとばかり思っていましたが、田畑さんのセッションを受けるようになってからは、歩くって、腰のあたりが前に進んでいることなんだなーとだんだん感じるようになりました。

今回はまず両腕を体の横や前に上げて、
その感覚を確かめてからセッションが始まりました。

セッション台に横向けに横たわり、体をねじるような姿勢でワークを受けました。
いつもセッションのはじめのほうでは、体が閉じているような、ゆだねきれずにセッション台から体が少し浮いているような感じがするのですが、セッションが進むにつれ、体がゆったりと開くような感覚があり、セッション台に自然に体を預けられるようになります。
ひと言でいうと(なんだかおかしいのかもしれませんが)、うっとり、というような感じです。体が静かで満たされている感じがします。これが自然な体のあり方なのかなと思いました。

特に今回のワークでは骨盤を意識することが多く、それもとてもよかったです。

前回と今回のセッションで、上半身と下半身が腰を中心につながったように感じました。

②その後、感じたこと
・帰りの新幹線でも眠気を感じ、眠ってしまいましたが、行きの新幹線のときのような睡眠不足から来る眠りではなく、もっと深くてゆるむような眠りでした。眠気は、セッション後からも2、3日続きました。

・歩いていると、なんとなく足が長くなったような感覚があります。歩くと腰から足が前に出て、前に進んでいるような感覚があります。

・あとは関係ないのかもしれませんが、
最近ごはんがとてもおいしいなと思うようになりました。実際に以前よりしっかり食べるようになった気がします。

・また、夜眠っているときに見る夢の輪郭が、はっきりしてきたように思います。これまではどこか霧の中のような夢が多かった気がします。

【セッション 第4回目】

2018/12/22

①ロルフィングの最中に感じたこと

11月に展覧会をしたため、前回のセッションから1ヶ月ほど間を空けての再開となりました。
この間、私自身にも変化があり、今のお仕事から変わる可能性が出てきました。
そのせいもあってか、セッションを始める前に、田畑さんからいつものように、歩行しているときの体の感覚を問われた時は、しばらく言葉が出ませんでした。自分がいっぱいいっぱいで、頭と気持ちだけで生きていたことに気付かされるようでした。

今回のセッションでは、足と骨盤を中心にワークしていただきました。

まずは横向きになり、体をひねるようなスタイルになりました。はじめに、台の上に体をゆったりと預けるワークをしましたが、今回は体がいつもよりぎゅっと緊張していて、体を預けるのにいつもより時間がかかったように思います。
その後、足全体を器具のようなものでつぼ押しのようにとんとんと軽くタッチしていただきました。
私自身も連日ハードワークが続いていたため、セッション中は半分眠っているような意識の状態でしたが、ときどき田畑さんが、あれ?という感じで器具のタッチに念入りになる箇所は、私の方でも、なんとなくいつもむくむような、流れが滞っているなと感じているところでした。そういう場所は、その器具で押されると、疲れている部分のつぼを強く押したときのような、ぴりっとした感覚がありました。

両足のワークが終わって、田畑さんから今の感覚を問われた際に、さっきよりも格段に深く呼吸ができるようになっていることに気が付きました。息が深く入るとこんなに気持ちがよくて落ち着くのだなあと改めて思いました。

その後、骨盤へのワークに移りましたが、私にとって骨盤は、体のなかでもいちばん意識することのない部分でした(イメージとしては、頭と足の間にある、なにかもやもやしたもの)。
田畑さんのワークを受けていたら、自然と自分の骨盤の形(内臓を下からそっと受け止める手のひらみたいな形)をあらためてイメージすることができました。ワークを受けながら、もし骨盤がなかったら、内臓はどうなってしまうのだろう?という思いが自然に湧いてきて、骨盤って大切なものなんだなと気付きました。

②その後、感じたこと
・セッション直後
帰りの新幹線から眠気を感じ、深く眠ることができました。ロルフィングのセッションを初めて受けた時から思うのは、深い安心とは、本当は自分の体の中に元々あるのではないかということです。私たちはいつも、外に外にとその感覚を求めてしまうのだけれども、安心の源は自分の体の中にあるのだと、ロルフィングを受けるたびにいつも思います。

・セッションから数日後~
セッション直後から、足がずっとぽかぽかと暖かく感じ、二、三日続きました。表面的な暖かさではなく、筋肉の内部から暖かさを感じるました。

また、セッション当日の夜に自然な排泄があり、便秘が解消されました。
一方、セッション翌日に足が筋肉痛のようになりましたが、翌々日にはなくなりました。
また、セッション当日夜から翌日にかけて、髪と肌が今までになくつるつるになりました。

セッションから1週間後の体の感覚としては、全体的に腰のあたりが以前よりもしっかりしてきたように感じます。

また、お仕事の件は、私自身がロルフィングを受けて体が自然な状態に近づくなかで、自然に起きてきた変化の一つのようにも感じています。

今回のセッションを受ける前に、ロバート・C・フルフォード博士の『いのちの輝き』を再読しました。その中で、サッカーによる怪我をし続ける男性について、フルフォード博士が、彼はサッカーをやめない限り、怪我をし続けるだろうと指摘していたのが、とても心に残っていました。

私もロルフィングを受けながら、体の導き出す答えを信じて変わっていけたらと思います。

【セッション 第5回目】

2019/1/12

①ロルフィングの最中に感じたこと

前回は気持ちがぐるぐると混乱していましたが、ロルフィングのセッションを受けてからは、気持ちも体もずいぶん落ち着きました。ロルフィングを受けるまでは先々のことばかり考えて、心が体にないような感じでしたが、ロルフィングを受けてからは今の時間を見れるようになりました。

セッションの始めのほうで、いつものように田畑さんに体の感じを問われたときに、前より疲れにくくなったことと、腰がしっかりしてきた感覚があることをお伝えしました。また、これまでは疲れが出ると、頭痛と吐き気で寝込んでいたこともお伝えしました。

セッションではまず仰向けになって、頭を中心に微細なワークをしていただきました。はじめは頭や上半身へのワークが多かったので、今日は上半身の回なのかなあと思っていました。
その後、最後に骨盤の底辺と丹田に当たる部分へのワークがあって、頭から骨盤までがひとつの容れ物としてつながったように感じました。もともと体は継ぎ目なくつながっているのですが、意識の中で、頭、上半身、下半身と分けられていたのがひとつになったような、とてもふしぎな感覚でした。

田畑さんのセッションでは、いつも、ここの骨をこんなふうにタッチされたことはないなあとか、今までこの場所の筋肉をこんなふうに動かしたことはないなあという指示をいただくことが多いです。自分の体なのに全く意識していない部分や、思うように動かせない部分があることに、毎回はっとします。自分の体なのに知らない部分がたくさんあるんだなあと気付きました。

セッションが終わって、田畑さんから、今日は骨盤、肚の前面へのワークだったとお伺いし、とても納得しました。

②その後、感じたこと

セッション後はいつも深い眠気があり、今回は特に深い眠りが数日間続きました。ロルフィングを受けた後の眠りはとても密度が濃く、目覚めてからも満たされたような充実感があります。

セッションの数日後に、オペラのように美しく歌う夢を見ました。ロルフィングによってゆるめられた体の感覚が、そのような歌声となって聴こえたのかもしれません。

また体の感覚として、足が長くなったように感じることがときどきありました。体がまっすぐになったからでしょうか。

その他、体が疲れにくくなったことや、
毎日のごはんをおいしいと思うようになりました。

また、ロルフィングと関係はないのかもしれませんが、いつの間にかお誘いを自然に断ることができるようになっていました。今までは断ることができず、自分を責めてしまい、具合が悪くなっていました。

ロルフィングによる変化は、本当に私自身も気づかないくらい自然に起きているように感じます。後から、あれ?疲れてないなとか、できるようになってたなと気付く感じです。それが本当にすばらしいなと思います。

【セッション第7回目】

2019/5/1

①ロルフィングの最中に感じたこと

お仕事の都合で、約二か月半ぶりのセッションとなりました。

セッション前までの状態は、前回に引き続き、睡眠時間が3、4時間程度の日が続き、夜型の生活リズムからなかなか抜け出せずにいました。

ただし、これまで月一回くらいのペースで頻発していた、頭痛と吐き気で一日中寝込んでしまうことがほぼなくなっており、そのことはセッションを始める前に田畑さんにもお伝えしました。

今回のセッションでは、まず仰向けになり、いつものように周りに田畑さんが立ってその感覚を確かめながら始まりました。今回は、頭の真上のほうに田畑さんが立たれたとき、なぜか頭がぐるぐるするような感覚が少しありました。

その後、脚部からワークが始まり、徐々に上半身へと移っていきました。

今回のセッションでは鼻と口を中心にロルフィングを行うことを、他の方の体験談からなんとなくわかってはいましたが、具体的にどのようなものなのかが掴めず、漠然とした不安も感じていました。

実際には、田畑さんが手袋をして、口腔内の上下左右と喉の奥、鼻腔の左右にロルフィングを行い、調整をしていただきました。気にしていた口や鼻への働きかけも、想像していたよりもとても自然に受けることができました。

ここ数ヶ月、気を張り詰めてお仕事をしていたこともあり、頭や口にもずいぶん力が入っていたように思います。ロルフィングの後は頭の緊張が解けて、ふんわり握った手のひらのようなやわらかな感じになりました。

また、なぜかいつも詰まり気味だった右の鼻腔の通りもよくなっていました。頭の中が突然風通しのよい部屋になったようで、とても気持ちがよかったです。

②その後、感じたこと

今回もセッション直後は、とても深く眠りました。
ロルフィングを受けた後はいつも、いったん体が深い海の底まで行って、そこでまた新しいバランスを得て帰ってくるような感覚があります。

また、気持ちの面では、疲れたり静かに過ごしたいときは、無理をして人に会ったりせず、少しずつ自分にとって安心できる時間を作れるようになりました。

またこの冬に、仕事上の人間関係でトラブルがあり、とても悩み苦しみました。今思えばそれもまた、ロルフィングを受ける過程で起きてきた変化のようにも感じます。長い目で自分の変化の道のりを見守っていきたいと思います。

ロルフィングを受けて思うのは、なんとなく自分らしく過ごせるようになってきたかなあということです。心地よさのポイントは人それぞれで、私の場合は、SNSなどの外からの情報を減らして、家で静かに過ごす時間が必要だったことに気が付きました。本当にささやかですが、このことに気づいてから、いろいろなことが楽になりました。

これからも田畑さんのセッションを大切に受けていきたいと思います。

【セッション 第8回目】

①ロルフィングの最中に感じたこと

今回も、セッションルーム内を歩いて
感覚を確かめるところから始まりました。
田畑さんから、最近どうですか?と問われたときに、最近なぜか左足の裏、親指の付け根と中指の間に痛みを感じることをお伝えしました。
これまでもストレスの強い職場で働いていたときに、足裏のその部分が固くなることはありましたが、痛みを感じるまでではなかったので、少し違和感を感じていました。

またこの春は、これまでずっと関わってきた方たちがなぜか一斉に移動され、不安さとさみしさでいっぱいの状態が続いていました。

セッションは、はじめはうつ伏せでと指示がありましたが、やはり横向きでと田畑さんから言われ、横向きになって始まりました。
いつものように田畑さんが私の体の四方に立って感覚を確かめたとき、私の背面に立たれたときに違和感があったので、それもお伝えしました。
はじめのうちはふしぎだったこの確認作業も、耳をすませるようにしていると、よくわかるようになってきました。私たちは言葉で会話をする以前に、本当は体で、相手の人と気のようなものを響かせながら対話しているのかなと思います。

今回は頭部を中心としたセッションで、今までは脚や骨盤など、下半身を重点的にロルフィングしていただいていたので、とても新鮮でした。
その日は朝早く家を出たため、睡眠時間が2時間くらいしかなく、半分眠りながらセッションを受けてしまいましたが、大事なところと感じる部分はふしぎと目が覚めて、はっきりと覚えていました。

特にこめかみへのワークのとき、田畑さんは静かにゆっくりと触れただけでしたが、なぜか、ここに悲しみがたまっている、でもそれは流れていくだろう、と、今まで考えたこともない思いが浮かんできました。

また、セッションの最後の方で、軽くお腹にタッチをしていただいたときも、なぜかはわかりませんが大切な動きだと思いました。今思えば、頭と体に道筋をつけるような、頭と体をつなぐような働きがあったように思います。

セッション直後は、頭と肩の上に乗っている空気が軽くなっているような、視界の上の方が広がって明るくなったように感じました。また、頭部と体全体がひとつの輪を描いてつながっているようにも感じました。

②その後、感じたこと

ロルフィングのセッションを受けるようになってしばらくしてから、腰のあたりに水平にお皿が入っているような感覚があり、それが全身を支えていると感じるようになってきました。それと並行して、どんなに辛いことがあっても、体がそばにいて支えてくれるのだという感覚を強く感じるようになりました。

また、左足裏の痛みは、気がついたらなくなっていました。意識したときに、たまに違和感を感じる程度です。

先日、吉本ばななさんのブログを読んでいた際に、ロルフィングを受けたので、これからどう変わっていくか楽しみ、とお書きになっていたのを読み、もしかしたら私に足りなかったのは、変化を楽しむ気持ちだったのかもしれないなあと、はっと気づきました。

ロルフィングを受けて自分の体を良くしていきたいと思いつつ、環境も自分自身も、今のまま変わらずにいたいという気持ちがありました。

この春の人間関係の変化も、本当に必要な方とのご縁は残り、そうでない方とのつながりはほとんどなくなりました。

また、ふしぎなことですが、私が本心でしたいと思わないことは、その場所に行けなかったり、タイミングが合わなくてだめになるようになりました。

私が頭で考えた、目先の都合のいいことではなく、私にとって本当に必要なことが起こるようになってきたことを感じています。

これから自分が、変化、流れていくことに対して心を開いたとき、どんなことが起こってくるのか、楽しみにしていたいと思います。

【セッション 第9回目】

2019/7/13
※セッション前までの状態

梅雨時の気候のせいか、セッションが進行しているためなのか、今年の冬に起きた人間関係のトラブルについて、ひんぱんにフラッシュバックが起き、苦しかったときの記憶がよみがえってくるようになりました。そのためか、時折右のまぶたが不意にぴくぴく動くようになりました。

また、負の記憶の連鎖なのか、もう8年前にもなる、震災の地震の最中の感覚が頻繁にふっとよみがえってくるようになりました。普通の地震ならもう終わるだろうというところから、強烈に揺れ始めたあのときの音と振動がよみがえってきて、いつのまにか動きが止まっていることがありました。

また、こちらに来て5年間、ずっと心の拠りどころにして来た場所が、この3月に突然移転したことも、深くショックを受けていました。今は何もする気が起きないため、無理に何かをしようとせず、日々淡々と仕事をし、週末は家で静かに過ごしたり、たまに穏やかな友人と会ったりしていました。

これを書きながら思い出しましたが、確か河合隼雄先生も、その人が深く変わるとき(その方が抱えてきた課題に取り組むタイミングがきたとき)に、妄想のようなものが現れることがあるとおっしゃっていました。

田畑さんのロルフィングともに、この状況を乗り越えて(乗り越えるというよりは、深くaliveして)いけたらと思います。

①ロルフィングの最中に感じたこと

セッションの始めに、田畑さんから最近の調子を問われたときに、先月のセッション直後に、お風呂そうじ中に右足を滑らせ、右足首から下にかけて内出血ができたことと、痛みもまだ少し残っていることをお伝えしました。

今回はうつ伏せから始まり、その状態で左側から右側の順にセッションをしていただきました。はじめに田畑さんから、神経叢を通って、のどから胸にかけて落ち着くようなイメージで、と言われたとき、ふと潮が満ちていく穏やかな海が浮かんだので、自分の胸の中に光がきらきらした波がすーっと満ちていくのをイメージしました。

今回は頭部や肩、胸などの上半身を中心に、全体をつなぐような感じでセッションをしていただいたような感覚がありました。
田畑さんのセッションでは、極力最小限にポイントを押さえてタッチをされているのに、終わった後はいつも全身がまるくつながっているような感覚を受けます。

今回印象的だったのは、田畑さんが脚部にタッチしているときに、反射的に私の手がぱんと前に出たりすることが何度かあったことです。ふしぎでしたが、体というのは、深いところでつながってバランスをとっているのかなと感じました。

また、セッションの最後の方で、田畑さんが私のかかとをとんとんと何度か繰り返し叩くようにされたときがありましたが、そのときはかかとを叩かれているという部分的な感覚ではなく、とんとんという響きが足からずっと膝や腰を貫いて、頭蓋骨の裏側をこつこつとノックされているような感覚がありました。

セッションの最後に、丸いボードのようなものの上に立ったとき、なんだか自分の背が伸びたような、胸の中の空間が広くなったような、まるで山の頂上にいるような清々しい感覚がしました。一瞬、自分がいばっているような感じがして、あれ?と思い、今までの感じに戻したくなりましたが、もしかしたらこれが萎縮しないそのままの自分の状態なのかもしれないと気づき、そのままでいることにしました。
実際にセッション後の写真を見せていただいたら、セッション前よりも上半身がすうっと自然に伸びていて、驚きつつも納得しました。

②その後、感じたこと

セッションの2日後くらいに、夕方とても眠くなり、2時間ほど深く眠ったことがありました。とても深い眠りで、いったん深い海の底にもぐるような感覚がありました。いつもは夕方に眠ると、起きたときにだるさを感じることもあるのですが、その時は深い眠りからぱっと目が覚め、まったくだるさや後悔がありませんでした。なんとなく先日のセッションがあったから、この深い眠りが起きたのだと感じました。

セッションから2週間が経ち、右足首の痛みや、以前気になっていた左足裏の痛みもなくなっていることに気が付きました。

気持ちの上では、セッション前までは、この冬に人間関係のトラブルがあった方に対して、怒りの気持ちが湧いたり、自分を責めたり、なぜなのかを延々と考えることもありましたが、それも今は特に思い出すこともなくなっていました。まぶたがひきつるように動くことも、なくなっていました。
それと並行して、何度も自分の頭の中で繰り返し起きていた地震が、いつの間にか起こらなくなっていました。

また、年明けに頂いてずっと書けないでいた年賀状のお返事を、先日やっと書くことができました。ずっと止まっていた時計が、やっと動き出したような感じがしました。

ロルフィングで体が変化した(本来のかたちに戻った)ことで、心も自然に変わっていったように感じました。

【セッション 第10回目】2019/10/19

※10回目のセッションは、当初は8月の予定でしたが、偶然ずっと観たかった画家クートラスの展覧会が10月に開かれることを知り、田畑さんにお願いし、10月にしていただきました。
また、偶然8月の半ばに髪を短く切ったことで、何か自分の中の時間の流れが切り替わったように感じていました。

①ロルフィングの最中に感じたこと

セッションはいつものように、歩いて感触を確かめることから始まりました。
1回目のセッションでは、田畑さんから感触を聞かれたときは、歩く=足の甲が動いている、としか言えませんでしたが、今は身体全体がつながりながら動いていることを感じるようになりました。

セッションでは田畑さんが四方に立って、私が違和感を感じるところを確認してから始まりました。

今回は仰向けになった状態で、脚側から始まり、腰、肩、頭と身体全体を包むような感じでタッチしていただきました。脚側は軽く始まり、頭部側はだんだん厚みを持ってタッチしていただいた感触がありました。
私は今でも施術する方に100パーセント身体を預けてしまうところがあるのですが、このときも田畑さんに、ロルフィングを受けているときの身体や感覚に意識を向けることを示唆されて、その度に、はっと自分の身体に魂が戻る感じでした。ロルフィングのセッションは、音楽家同士のセッションのように、ロルファーの方とクライアントの共同作業(共演)なのだなあと感じました。

今回は特に、腰と頭部へのタッチが心に残りました。
腰の裏側へのタッチは、繊細だけれども大きなストロークで、私の中で何か大切なものがジョイントされるような感覚がありました。

以前、田畑さんのブログで、田畑さんが交通事故に遭われ重体を負った際に、幽体離脱をされたことをお書きになっていましたが、それを読んで、私も4歳くらいのときに入院中に突然ひきつけを起こし、急きょ診察台に運ばれ、麻酔注射を腰椎に受けたことがあったことを思い出しました。
そのときの感覚は、記憶の中では全く痛みを感じず、ただ小さな剣山のようなものでそっと腰椎を押されたくらいの感覚しかありませんでした。また、周りの状況がスローモーションで見え、眠りに落ちるまでの記憶では、世界はとても甘く、とろけるようでした。
後から偶然父に聞いて分かったことですが、実際には私は何度も針を刺され、ぎゃーと叫び、付き添いをしていた祖母はお願いだから止めてくれと泣いて医師に懇願したそうです。そのときに憶えている光景が、なぜか天井から診察台に横たわる私の風景だったことに、長年何の疑問もありませんでしたが、田畑さんのブログを読んで、あれはもしかしたら幽体離脱だったのかもしれないと気づきました。

そのときのひきつけの発作から、私にてんかんの疑いがあることがわかり、小学生から中学生まで薬を飲み、毎年その小児科の医院で脳波の検査を受けていたことも久しぶりに思い出しました。

今思えば、毎年先生に何の理由も告げずに学校を早退し、学校の友達の誰にも話すことなくずっと脳波の検査を受けてきたことは、何かずっとふしぎな手触りで私の中に残っています。帰り道は、頭につけた粘着剤で髪の毛がぼそぼそになるのですが、それでも、毎回担当してくださる優しい看護婦さんが好きで、検査自体にいやな思い出はありませんでした。

今回のセッションの最後の方で、田畑さんが私の頭全体を包むように持たれたとき、何かこれまでに同じような感触があったことを思い出しそうになり、しばらくしてそれが毎年脳波の検査を受けていたときの看護師さんの感触だったことに気がつきました。そしてなぜか、自分をもっと大切にしなければいけないなあと感じました。

脳波の検査は中学生までで終わりましたが、担当の先生からは、てんかんのこともあるので激しい運動は避けるようにと言われていました。にもかかわらず、どこかその先生の言葉に反抗する気持ちもあって、本当は美術や絵が好きだったのに運動部に所属し、毎日激しい運動をし、体を酷使していました。てんかんの発作が出ることはありませんでしたが、気持ちと身体の両方で、自分をいじめているような感じもしていました。

私自身ですらすっかり忘れていたことを、田畑さんのセッションを受けたことがきっかけとなり、少しずつ思い出していました。

②その後、感じたこと

セッションが終わった直後は、身体がまるくつながったような感触がありました。私はタロットの一番最後のワールドというカードが好きなのですが、あのカードのように、身体が全体と調和してつながる感じがありました。

セッションから2週間たった今は、以前よりも、腰や肚が身体全体を支えていていることを、日々実感しています。自分の身体なのですが、腰が私を支えて守ってくれているんだなと感じます。

1回目のセッションからしばらくした頃に、印象的な夢を見たことを思い出しました。私はなぜか部屋を二つ借りていて、一つは今住んでいる部屋で、もう一つは見たことのない、立派で居心地のいいマンションでした。新しく、光がいっぱいさして風がよく通り、和室もあって、一目で気の流れが良く、ここに住んだら心も体も健康になるとわかるような部屋でした。夢の中の私は、二つも部屋を借りて家賃が心配になって、今までどうしてたんだっけと真剣に考え、なぜか、そうか今までも借りてたんだと気付いて安心して夢は終わりました。
今思えば、この部屋は私の身体のことだったのかなと思います。ロルフィングを受けて、私の身体の中にあった、もう一つの部屋の存在に気づくことができました。

また、これは副次的なことなのか、本質的なことなのかよく分かりませんが、本能的な声の存在に気づいたり、少し先のことがなんとなく分かるなど、勘が冴えるようになりました。

参考までに、私がセッション期間中に意識してやっていたことは、自分の身体の意識を高めるために、フルフォード博士の本を読んだり、田畑さんのブログやみなさんの体験談を丁寧に読むことでした。

私自身は、今もまだロルフィングの変化が続いていることを感じています。そのため、あえてまだ完結するようなことは書かず、また機会があればレポートを提出させていただこうと思います。

田畑さんには、一年以上も時間をかけてロルフィングの基本シリーズを完結していただいたことに、本当に感謝しています。期間中は、今まで滞っていたことが流れ始めたことによって、精神的にきついことも起こりましたが、今思えば、必要なことだったと思います。本当にありがとうございました。

骨折・脱臼・眼球摘出術経験がある方へのAdvanced 5シリーズ

10シリーズロルフィングを他のロルファーから受けた後、Rolf Movementワークショップに参加され、こちらでのセッションに興味を持たれ、Advanced 5シリーズを開始。

Advanced 5 series を終えて

この度はセッションしていただきありがとうございました。
体験記のご報告が大変遅くなってしまいましたが、セッション終了後から今までの間に、職場の同僚から「最近膝の事を話さなくなったよね」と言われました。職場でも交通機関でも、自然に階段を使うことが多くなりました。なぜか気が向くからそうする感じです。
右足関節脱臼骨折は今までの人生で一番の大怪我でした。整復手術は出来るだけのことをしていただいたと頭では理解出来ても、「もう二度と受傷前の足首には戻れない」という喪失感と屈辱感を抱き続け、「もう年なんだから日常生活に不自由がなければそれでいいでしょ」という医師の言葉に怒りを感じていました。トップアスリートでもパフォーマーでもない一般人は、いつもこのように扱われるしかないのか?個人の症状にお構いなく十把一絡げに片付けられてしまうのか?
田畑先生とのセッションで日々身体の変化を感じながら、怪我で休眠していた部分が復活して行く毎に喜びと深い感謝を覚えると共に、積年の恨み(改めて文字にすると恐ろしいですね)のようなわだかまりを手放していきました。おそらく私がこの体験記に愚痴のように綴った不具合もひとつひとつ掬い取って下さったのだと感じています。単純な表現ですが「いつも親切だった=身体がうまく使えるように誘導して下さった」という思いだけが残り、先生の他人に対する観察眼や姿勢、その佇まいに学ぶところが多かったです。医療処置を受けて私のような思いを抱いて生活している人は少なくないと思います。1人でも多くの方が田畑先生やロルフィングに出会って欲しいと思います。本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

セッション1回目

2018/9/1

ハードタッチの10 seriesを終えるとき、私にとって難しかったのがお腹を緩めて身体を上に伸ばすことでした。緩めれば気持ちよいバランスが得られることは体感できましたが、日々の仕事と生活で椅子に座っている時間が長くお腹を固める癖があり、歩行時は意識して脱力し、頭や胸を上げようとしていました。
今年の2月に先生の「心地よい間合いを見つける」ワークショップに参加し、先生のデモでワークを受けた帰り道、意識せずともお腹が緩んでいることに気付いて驚きました。鳩尾が楽に開いて、自然に胸が上がってしまう感覚でした。ずっと悩んでいた課題があっけなく解決してしまい、拍子抜けして笑いながら「何だこれは!」と叫んで歩いたことを覚えています。
そのワークショップで参加者同士でワークを交換している時に、「ここに意識を集中して」と施術者になった私の丹田とその背面の腰に先生が指1本で触れて下さったとき、「ああこのような触れ方があるのだ」と非常に感動し、その感覚が深く私の中に刻まれました。
以来先生のセッションを受けてみたいと考えていたことと、CS60に興味がありモニタープログラムのセッションを希望しました。以下感想です。
2018/9/1 1回目

カウンセリング 既往症をお伝えしながら、私の痛めている左膝、以前脱臼した右肩と右足首、尾骨などに先生が着目されているのかなと思う。

歩行する様子を見ていただく。私は室内と戸外の歩行では歩幅や足に込める力がかなり違うため、靴を履いて戸外で歩行のチェックをしたいといつも思う。10 seriesより慣れてきたが、気恥ずかしくて苦手な時間。
マッサージテーブルに顔を右に向けてうつ伏せになる。右肩の下に半球形につぶした柔らかいボールをあてがう。当然右肩の下に異物感がある。緊張しているつもりはないのに、テーブルに触れている左耳の中で心拍音が大きく聞こえる。深く呼吸することに集中する。
田畑先生が立ち位置を変えて声をかけながら、私と心地よい場所を探していく。最初に立って下さった右側から、私の右半身の表面に暖かいものが流れてきたように感じたので迷うことなくその位置を選ぶ。
身体に触れない、何もしないワーク。見守って、待って下さる。次第に呼吸が深くなってきて、背中や臀部、身体全体が緊張していることに気付く。少し経つと呼吸が更に深く入るようになり、緊張が解けてテーブルに身体を預け始めたと感じる。深呼吸を続けながら、気持ちが良くてこのまま寝てしまいたいと思う。
左右中殿筋辺りの緊張を解くことができない。自分で気付いて緩めたり、先生に声をかけられて緩めることを繰り返すが、気付くとまた緊張させている。
またしばらく経って、深呼吸を吐き切ったとき、先生に右肩はどうですかと聞かれ、右肩が楽に緩んでいて、ボールをあてがっている感覚がほどんど無いことに気付く。
右太腿の後ろ側からワークが始まり、先生が私の右脚に触れているはずなのに、とても人の手の感触とは思えないような感覚を味わう。脚が微電流のような穏やかな刺激に包まれて痺れるような、あるいは固くごわついたタオルや、ちくちくする麻布などでそっと包んで触れられているようだ。先生には「痺れる・・・」と伝える。
身体の右側、右脚にワークしているのに、なぜか左手指と左足指がわずかに開いたり閉じたりと動く。左足首がわずかに伸び縮みする。ごくたまに、右手指も反応して動く。止めることができない。何かが解放され続けているような気がするのでそのままにする。
足元から、膝、腿、腰、肩など、私の身体の下に先生がそっと手を差し入れて引いていく(イールドタッチ)。身体が緩んで更にテーブルに密着していくのを感じる。
この辺から気持ちよさであまり良く覚えていないが、うつぶせの顔の向きを左に変えて、身体の左側、肩、左脚にも同じようにワーク。身体がさらに緩んでいく。煩く聞こえていた心拍音は感じなくなっている。
左脚にワークを受けているとき、足首の方からかすかに暖かい感覚が膝の方へ移動してきて、腿の方へ抜けて行った。
先生に「今はどんな感じですか」と聞かれ、両膝から骨盤あたりにかけて、テーブルに接している部分がどんどんが温かくなっていることを伝える。暑いと感じるくらい。
再度右脚にワークが始まり、「今度は人の温かい手が触れている」と感じる。11年前に事故で右足首を脱臼して腓骨を骨折し、内側、外側の踝が折れてボルトやプレートを入れたままの足首に先生が触れていく。怪我して以来、自分で触れるのも嫌だし、他人に触れられるのはなおさら嫌だった傷跡に、これほど慈しみを持って、全く圧力もなく、ただ触れられるのは初めてだと思う。これには泣きたいほど感動した。
脚のワークが終わり、頭に両手でそっと触れて、右に、左に静かに首を回して動かす。首の緊張が緩む気がする。
うつ伏せのまま、仙骨にCS60を当てる。移動して、右側の座骨に当ててゆく。身体は、掌全体で強く圧を加えられるよりも、1本の指先や、CS60の先端など、1点で触れられる方が体の感覚がそばだつような気がする。CS60を左の座骨に当てられた時、堪らず身体が仰け反って、バチっ!と強めのデコピン?を当てられたような衝撃と痛みとともに、身体から何かが抜けて行った。このセッションの3週間位前から左のふくらはぎに張りを感じ、膝や腿の裏、腰まで張りが移動していた。それが抜けた気がする。
仰向けでもワークを受け(たような気が)、テーブルの上に座って、先生に頭を支えられながら骨盤を前屈、後屈させる。
最後に歩行のチェック。両耳の下の胸鎖乳突筋に触れられて「力を抜いてみて」と言われる。今まで無駄に力を入れて顎を引いていたのだと気付く。
帰り道 2月のワークショップの後のように、身体が緩んで楽なのを感じながら帰宅。
9/2 日曜(1日目)夕方近所へ買い物に出ると、頭と骨盤の位置関係、バランスが変化していることに気付く。セッション前より頭が↗前に移動して、骨盤の上方に気持ちよく浮かんでいる。私は今まで首を緊張させて顎を引いていたのだ。歩いていると前後左右上下、特に後背面の空間が大きく広がったと感じる。
9/3 月曜(2日目)前日と同様に気持ちの良い感覚。自宅で視界が明るいと感じる。職場で、近視が改善したように感じる。
9/4 火曜(3日目)職場を退勤して歩き始めると、昨日よりさらに足腰が軽くなっている。突然の進化に驚く。歩行中、背中(肩甲骨の間)と骨盤を後ろから支えられているように感じる。胸骨から足が動いている感じ。
9/5 水曜(4日目)就寝中、右足首を脱臼骨折した時に消防防災ヘリ(山岳救助)に搬送してもらったことや、自宅で這いまわりながら入院の支度を整え、満開の桜並木の中をタクシーで病院に向かった時の嫌な気持ちを突然思い出して泣いた。受傷後3~4年の間、ヘリの音を聞いては泣き、満開の桜を見ては泣いていた。PTSDのようなものか。
9/8 土曜(7日目)友人と9時間工程のドライブに出かけた。後部座席に座っていると、左側の坐骨がしんどい。何度も座りなおして我慢する。
9/10 月曜(9日目) 左坐骨のしんどさが消えている。
9/11 火曜(10日目)職場の椅子に、坐骨、両足の3点でバランスよく座れている。
9/13 木曜(12日目)前の晩充分に睡眠が取れ、翌朝はロルフィングセッション直後のように身体が軽い。
10 series より進化できたと感じること
・背中が解放された。胸骨、肩甲骨の間から脚が動いていると感じる。
・身体が十分に休息出来た時、軽々としたロルフィングのバランスが復活すること。
・左膝はまだ痛むことは痛むが、痛みが軽減している箇所も感じること。

 

セッション2回目

1回目セッション後の感想補足:
深呼吸して両肺の動きを感じてみるとき、背中側、骨盤の上まで息が入るよう。今回のセッション前まで右の肩甲骨の下にどうしても動かない、開かない場所があったが、そこが開いた。
全身の動き、特に両足の関節の動きが今までに比べて軋みや引っかかる感じがなく、とてもスムーズに動かすことができる。まるで油を注した機械のような軽やかさ。
1回目セッション後に出かけたドライブで友人が撮ってくれた写真を見たら、頭を保つ位置が変化したことで写真映り(姿勢)が変わっていた。幼少時に左眼を失明後、私は右眼が身体の中心に来るよう頭を傾ける癖があり、写真に映ると常に顎の位置が首や身体の中心からずれていた。10代から気になっており、長い間姿勢を修正できずにいたが、今は身体の中心に真っ直ぐ頭が乗っている。数十年の悩みが1回のセッションで解決。私は先生が触れた首の力を抜いただけだ。
2018/9/15 2回目
歩行チェックで身体の他の箇所に比べて左脚が不調であることを田畑先生に伝える。股関節、膝関節の違和感、10 series セッションを受ける前までは冷えを感じ血色が悪く、それが改善した今でも動く身体に左脚がついてこないと感じること。
先生の指示通り両足を肩幅に開いて立ち、両腕を左右に開いて、または両腕を前に伸ばして上下させた感覚を聞かれ、脱臼した右肩には左肩より負荷がかかっていることを伝える。腕を動かしながら「この動きが脚にも関係しているのだろうか」と思う。
身体の左側を下にして横になり、右膝曲げてをクッションに乗せ、左膝も少し曲げた状態でセッションが始まる。右膝のクッションの高さが足りなくてすぐに足して下さった。私の体勢に無理が出てきそうなのを、本人より先に気づかれてしまう。前回のセッションでもそうだったが、先生の観察力や気配りに感動し、今まで他人と接して何かをするのにこういう経験をしたことがなかったなと思う。私と先生の心地よい場所が若干異なり、互いに調整する。私は体の表面に温かいものを感じると、ただ直感でそこが良い、と思う。
今回は私にとっては複雑なセッションで、終わった直後もあまりよく思い出せないくらいだったが、右脚と左脚に交互に様々なワークをして下さった。つぶした柔らかいボールや、布で右足裏にそっと指を置いて触れる。足首から膝、腰と少しずつ場所を移動していって少し時間が経つと、身体の中で何かが引き出されたような、体内の繋がりが以前より確かになるような感覚を得る。左脚を同じようにワークしていただいた後は、足から頭まで全てが一つにまとまって温かく、まるで繭玉の中に寝ているような気分になった。
身体にCS60を当てていくとき、所々で当てた箇所から身体中の他の箇所まであちこちに響いてきて「あっ」と思うと同時に身体の感覚が変わることがある。しかもその瞬間を田畑先生がすかさずとらえてさらにその箇所にワークしていると思う。
右足の腓骨のボルトやプレートに丁寧にCS60を当てているとき、一箇所だけ甲から薬指、小指の先までビリビリと響いた箇所があった。
仰向けになって両膝を立て、踵に脚の重さを預けて立つ準備をしているとき、突然右脚の中で膝の辺りから力が湧いて、さっきビリビリと響いた右の薬指、小指に力が入って動いた。
立ち上がって歩行してみると、身体のバランスの変化が大きく、私には受け止めきれずかなりふらついた。両脚の感覚が離れてしまったような、常に肩幅位に足を開いて歩いているようになった。田畑先生が両膝のお皿の辺りに少し触れて、右膝は外側へ、左膝は内側へ回すように抑えて下さり、ゆっくり屈伸すると、なぜか重心が身体の中心に戻ってきた。
再び両腕を上げ下げすると、右肩の負荷がほどんどなくなっていた。
帰り道、電車の座席に座っていると、腰の左側、大転子の辺りから太腿、痛めている膝の内側が、じんわりと内側に移動するのを感じる。歩行するとき、しっかりと足裏が地面について、フットプリントを押しているようなイメージが頭の中に浮かぶ。
2018/9/16 翌日
田畑先生のワークショップに参加し、友人からワークを受けていたら、再び右足の薬指と小指に力が入って動いた。 胸筋が大きくゆるんで両肩の方へ伸びていった。
帰宅して洗面台の前で右腕を上げたら、突然緩んで以前より可動域が広がった。
数日経って、右足指が動いた理由に突然気付いた。右足関節を骨折後は足底のアーチが崩れて偏平足に近い状態になっている。足指で床をつかもうとすると全く使えないのが薬指と小指だった。わずかだがそこに力が入って動かせるようになったと思う。
セッションで右膝を外側に回していただいたことで、骨折の手術で右足首が少し外旋して整復されており、足を正面に向けて置くと右膝が内側に向いてしまうことも久しぶりに思い出した。田畑先生には事前に何も告げていないが、今まで整形外科医等に訴えても取り上げてもらえなかった不調を、初めて汲み取っていただいた。こういう方が実際にいらっしゃるのだ、と心の底から有難く思う。

セッション3回目

歩行チェック。

今回のセッションを受けていて嬉しいことの一つが、日常生活でお腹を固めるような姿勢が続いてしまった後でも歩き出すとすぐに緩んできて胸が上がり、楽な姿勢を取り戻せるようになったことだ。勤務中に3時間以上座り続けたり、ランチで入った店の、何とも座り心地の悪い椅子でお腹が固まり(まずいな、これは・・・)と思いつつ我慢した後でも、数十メートルも歩くとお腹や股関節が緩んでくる。以前は身体が緊張してバランスを失うと、時間をとって集中して歩行したり、やみくもにストレッチをして 肋骨と骨盤を切り離そうとしていた。

毎日歩きながら、左膝が痛くなる原因は自分の歩き方、痛くなるような歩き方をしているのかもしれないと次第に感じ始めている。痛いことは痛い、だた常にではなくて、思い切って左足を放り出して踏み込んでみると痛くない時がある。左足裏の外側を使い、先生に言われた通り親指を意識して歩いてみると、痛みが和らぐように感じる。左膝が継続して痛むようになって3年弱、昨年10月に念願のロルフィングセッションを受け始めてから未だに自分の左脚が信頼できなくて、身構えて身体の不要な箇所に体重をかけ、痛みから逃げようとしているのかもしれない。

今回も身体の左側を下にして横向きに寝てセッション開始。
セッションを重ねる毎に田畑先生がどこに立っても安心していられる範囲が広くなる。初めて頭の近くに立って下さったとき(今年2月のワークショップ)、先生が掌を私の頭に向けて「待った」か「お断り」のような仕草で突き出し、それが顔の横まで来ているような圧迫感があった。今はそれが無くなっている。立つ場所を移動すると近いと感じることはあるが、それもほとんど大丈夫だ。

下にした左脚の膝の内側から座骨、仙骨にかけて指先でをそっと置くように触れながら、骨盤をテーブルに預けるように促すワーク。こんなところにも力が入っていたのかと内心驚き、本当にわずかだが確実に身体が緩むのを感じ骨盤がテーブルに落ち着いていく。座骨にCS60を当て始めると脚に響いてきて、皮膚の表面がざわざわとして暖かくなり、脚の中へ何か流れ込んでいるように感じる。頭の中に浮かぶのは、身体の中に刷毛か筆を走らせて掠れるような、または微粒子の集まりが自在に変形しながらサーっと移動するようなイメージだ。2回目のセッションでは右足首に当てると温かいざわざわ感がお腹の辺りでUターンして左脚に巡って行ったこともあった。とても不思議で、おもしろい。時折、左の大転子周辺が緩んで脚がテーブルに落ち着いていく。

同じ姿勢で、左耳の下にCS60を丁寧に当て、頭をテーブルに預けて行く。1回目のセッションで先生に触れられて緩んだ場所だ。私にとってこの箇所が意識できるようになったことは劇的な変化と言ってもいいくらいで、就寝中横になって枕に頭を乗せているときも「これは緊張してしまう」「これは楽だ」と感じて頭の位置を調節するようになった。CS60を当て続けていると、左脚に先ほどの微粒子の移動、流れのような感覚が起きる。CSの位置を少し移動すると、右脚にも同じように流れていく。

今度は身体をの右側を下にして横になる。右脚の内側から座骨、仙骨にかけて同じようにワーク。触れられながら、左脚より緊張が強く、緩みにくいと感じる。CS60を座骨に当て始めると、面白いことが起きた。座骨の下の方に当てているときは脚にざわざわと感じてくるのだが、ウエストに近い座骨の上の方に当てていると背中がふっと軽くなり、さらにCS60を移動したら今度は顔から何か剥がれ落ちて軽くなり、目の前が明るくなったように感じた。風が強い日に厚い雲が流れていて、自分に日光が当たったり陰ったりするとき、日光を感じると暖かくてすっと気持ちよくなる、そんな感じだ。
(先生には「ひもトレ」でたすき掛けしたときの微細な背中の軽さ、とお伝えした方が解りやすいかも知れません)
右耳の下にもCS60を充分に当てて、首から脚までを緩めて終了。

テーブルから立ち上がるとき、膝に体重を乗せるときの感覚を得るために膝や脛骨を軽く押さえてもらい上半身の前屈を繰り返す。

歩行してみると、今までより身体が軽くなったのが解るが、うまく表現できない。先生に骨盤周りはどんな感じかと聞かれたが、答えられなかった。今までの経験上、この変化が解るのはきっと明日の朝だなと思った。

セッションルームを辞して歩き始めた帰り道、やっと感覚の変化に気付いた。身体が無い! 脇腹、腰周りが無くなって、頭の中では自分の身体が1本の松葉のようになって、骨格も周囲の組織も何も感じることなく雲の上を歩いているようだ。 人人人人人人・・・(テキストはヒトですが、こんなイメージ)
やはり私は靴を履いて外に出ないと身体の変化を感じるのが難しいらしい。

9/29午後 4ヶ月ぶりにフラレッスンに行って踊ってみる。
割と楽に踊れて、周囲に30人くらい人がいることも全く気にならなかった。ロルフィングで右足関節が緩んだので、基本に忠実に低い姿勢がとれる。今までスローテンポの曲にシンクロしようとしてブルブル震えながら動かしていた腕や指先が、深い呼吸と共にすーっと伸ばしたり曲げたり出来るのも不思議だった。身体と気持ちに余裕があるので、何より心の底から笑顔でいられた。

その後の日々は就寝中の身体の落ち着きが、うれしい変化だった。体重が均等に分散されて、仰向けでも横向きでも、どんな姿勢で寝ても楽だった。

セッション4回目

10/6
歩行チェック。前回から全身の軽快さは変わりない。この1週間で本当にわずかずつだが、歩行中に左膝が痛まない足の着き方が解りかけてきた。
うつ伏せで、顔右向き、右肩の下に半球ボール、右肘、右膝を直角に曲げ、左肘から先をテーブルから下にぶら下げて開始。左足指が着地しているかのように半球ボールを置く。寝相としてあまり良くないと言われているが、私も時々やってしまう体勢だ。なんだか死体のようだなと余計なことを考えて噴き出しそうになるのを堪えて、神妙に田畑先生の立ち位置に意識を集中する。また左耳に心拍音が聞こえて多少緊張している。
膝、腿、腰、肩等の下に、今までとは異なる、本当にわずかなイールドタッチ  。次第に身体が緩んでいくので、緊張してテーブルに預けられていない場所が把握できる。緩む反応も前より早くなった。しばらく見守っていただきリラックス出来たところで腕のワークが始まった。
私からは見えていない左腕の外側、肩から下がって三角筋が終わる辺りに指1本が置かれ、先生に言われて深呼吸がそこへ伝わっているのを感じてみる。呼吸と、身体の感覚を十分に感じながらゆっくり時間が流れていく。肩関節を包み込むように両手が置かれる。なぜかとても安心して満たされた気分になった。私が呼吸を吐くのに合わせて、ほとんど分からない位の力でそっと腕を引いて肩を伸ばして行く。腕の1点と、大腿の1点に場所を移動しながら同時に触れていく。身体の中で脚から腕の感覚が繋がっていくのを感じる。
体勢を全て反対の左向きに変えて左腕や肩に同じようにワーク。同じうつ伏せのまま脚の後ろ側や外側からCS60を当てる、というより摩擦させて移動していく。私はCS60を当ててもほとんど痛みを感じることがない。右膝の外側で、小さなピリピリ感があり、先生に「痛いですか」と聞かれたがそれほどでもない。脹脛や足首の周囲も同様だ。仙骨から骨盤全体を終え、最後は頭全体に摩擦させた。両足から、膝、腿、腰、胸と、いつもの温かいざわざわ感、微粒子の集まりがゆっくり移動してきて、身体がテーブルにめり込むと思うくらい温かく重くなって密着し始めた。今腰まで来ました、今胸です、顔ですと思わず先生に実況した。テーブルに接した身体の重さが、ともすると重苦しさにも感じられて、もしかしてこれが痛み?とも思われた。
立ち上がって歩行すると、身体全体が今までの半分位に軽くなった気がした。先生に「頭はどんな感じですか」と聞かれたが、今日もうまくこたえられなかった。
セッション後職場へ寄って仕事をし、歩いて帰るときにやっと気がついた。肩や腕が軽くなって、前回同様組織が無くなってしまったように感じる。今まで仙骨を中心に身体の支えを感じてきたが、それが全身に広がって後ろから支えられているような気がする。仙骨周りを感じながら、ふと幼い頃に親に抱っこされてお尻を支えられていた感触を思い出し、抱かれて安心し満足していた子供の自分に戻ったような思いが湧きあがった。懐かしいな、そうだったよなと幸せな気分で帰宅した。
10/7 1日目
洗面台の前で右腕を挙げて肘を後頭部に付けるように動かすと、肩関節がバキ、バキ、バキ、と3回鳴ってまた可動域が広がった気がする。肩が動いた感覚が、脱臼後肩関節が固まってしまった時に受けた、ほとんど拷問のような柔道整復に似ていた(柔道整復師は痛みを非常に心配したが、私が「脱臼前の状態に戻りたい」と切望して処置をお願いした)。
10/8 2日目
目が覚めると右の胸から腕にかけて、肩甲骨周辺が筋肉痛のように痛い。右腕を付け替えられたのではないかと思うくらいだ。だが右肩は確実に以前より動くようになった。肘を曲げて、右手の甲を肩甲骨につけられるようになった。これが脱臼前の状態だ。言いようもなく感動して先生に早く伝えたいと思う。
10/11 4日目
徒歩で出勤した。今までにない軽さ、足から頭までの繋がり、連動。頭頂から足が出ている。正に松葉状態。出勤時に通り抜ける地下鉄の駅の40段の階段を駆け上がった、脱臼骨折以来なかったことだ。退勤して歩いているとき、左膝が痛まない歩き方がはっきり体得出来てきたと感じた。両足の踵にしっかりと体重が乗り、今まで繋がらなかった左足首、膝、股関節が駆動していると感じた。膝の痛みを感じる回数が半減した思う。

セッション5回目

10/13
いよいよ最終セッション。左足裏と左脚の外側を意識して体重移動する歩行が定着した。このseriesのセッションを開始するまで両膝を屈伸する度にガクガクと崩れていた左膝関節のまとまりを感じている。
今までの歩き方より足首が使えているようで、長時間歩くと脛の前面に少し疲労感が残る。丁度そこが頸骨と腓骨の間で、10 series セッション中に意識して使うよう助言を受けた箇所だった。左膝痛と曲げにくい右足関節のために屈むことを避けて生活しているので使いようがないと思っていたが、そこが使えていると感じる。
身体の左側を下にして横向き、左腕は身体の後ろに抜いて右手はテーブルの横に置いたバランスボールの上、左脚を直角に曲げ、右脚を少し曲げて左脚の後ろに置く体勢で開始。左の股関節が窮屈で右膝の下にクッションを置いていただく。左股関節とテーブルに接している腿の外側が気になり、これは重み?それともかすかな痛み?と少し散漫になりつつ見守っていただいた。
前回よりさらに小さなイールドタッチを膝、腿、腰、肩に施していく。1回目セッションのタッチを1とすると、4回目が1/4、今回が1/8位の感触だろうか。2回目のセッション同様、緩んでいく身体に布やボールや指で様々な触れ方をしていただいた。左大腿の外側から膝の内側にかけてワークが効いていると感じ、そこは左膝痛が始まって以来いつも張りや緊張が溜まり、緩めたい、伸ばしたいと思う場所だった。頭をシーツでそっと包み込んで触れる。右の眼窩に触れられて眼球の重みを意識してみる。顔の力が抜けて軽くなるように感じる。
身体が緩んだところで右腕と右脚を上下に伸ばす動作を休みを入れつつ繰り返した。左腕と左膝は各々伸ばしている右腕と右脚の反対方向へ引いているので、右体側が思い切り伸びた。私の動作が今一つで、先生がかなり手を添えて誘導して下さった。10 series の3回目セッションで立位で教わった体側伸ばしをテーブルの上でしているようだった。
身体の右側を下にして向き直り、同じようにワーク。今までのセッションと異なり右半身の反応が早く、すぐにテーブルに落ち着いていった。左の眼窩に触れていただいたとき「重みを感じたくても左眼はありませんが」と口答えし(ごめんなさい)、触れられた指が額に沿って抜けて行くとまた顔が軽くなるように感じた。左脚の外側にCS60を比較的強めに押し当てたような気がする(先生がセッションルームの中を歩いて色々な道具が出てくるのはわかるのだが私には見えず、何で触れているのかはわからない)。「痛いですか」と聞かれたが痛みは無かった。
最後に下になっている右脚の脹脛に両手を添えてわずかに外側へ回し始めた。脛に触れて動かしているのに、身体の中で一番はっきり感じるのは右肋骨に付いている細かい筋肉がピリピリしながら引っ張られて少しずつ伸びて行くことだった。身体はこうやって繋がっているのだと改めて感じながら、脱臼骨折以来ずれてしまっている右膝と爪先の向きを調整しようと働きかけてくださっているのかなと思った。
立ち上がって歩いてみる。体側伸ばしのおかげか、四肢がX状に繋がったと感じる。左足を踏み出す時にいつも「頭からの繋がりが足りない」と感じていたが、今までより強くなった。それは左膝関節のまとまりと関係があると感じる。セッション前後の写真を見せていただいているとき、「もうお腹は固まらなくなりました」と先生に伝えた。
セッション後
回を重ねる毎に身体の中が繋がって行くのを感じてきた。今は歩いていると背中や肩や首や頭の皮膚の動きを感じ、身体の表面全て繋がっていると感じる。セッション開始後に感じた脚の関節のスムーズさが全身に広がった。仙骨周辺の支えがさらに強くなって、腹腔ごと、体幹が浮き上がるように歩ける。下り坂を歩くのが面白くて、10 series後は胸で滞空しながら駆け下りていたが(一歩ずつ踏み止まると脚が疲れるのでしない)、今は仙骨で滞空しながら下りられる感覚になった。
1年以上休んでいるフラレッスンを再開しようかどうか逡巡している。洗面台の前で左膝を深く曲げてステップを踏んでみると、痛みを感じないときがあり感涙する。「薄紙を剥ぐように」という表現があるが、痛みの感覚が日を追って僅かずつ減少したり、遷移したりと変化している。
10月も終わろうというのに気温の高い日が続き、ビーチサンダルを履いて家の近所へ買い物に出た。偏平足気味で靴底の平らな履物で歩く時にいつも痛んでいた右足の薬指と小指の痛みを感じなくなっていた。2回目のセッション以降、どんどん力が湧いてきた場所だ。床に足を置いたとき、指の着き方も左足に近くなって、右足の甲の変形が少し改善した。

 

Page 1 of 2

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén