ロルフィング体験

Rolfing Experiences with Rolfer Hiroyoshi TAHATA

カテゴリー: パフォーマンス

心肺停止になったことのある気功実践家

《きっかけ》

 

書店で、ふと覗いた雑誌の記事からでした。「秘伝」という武術の雑誌です。その後、インターネットで、いろいろと調べるうちに、田畑さんのウェブサイトにめぐり合いました。ピンッ!と来るものがあり申し込むことにしました。

 

昨年6月、突然倒れて救急車で病院へ担ぎ込まれました。検査の結果、過労、過ストレスによる一時的な心臓停止ということでした。長年、体を無視して無理を重ねてきたことを思い知らされたのでした。

 

倒れたときムチウチ症になり、その後、整体、鍼灸、カイロなどいろいろ経験するのですが痛みはとれず治したかったこと、そして体をもっといたわりたいという気持ちが大きな動機でした。

 

3年半ほど前から太極拳を始めているのですが、今思えば体が欲していたのだなぁ、と痛感しています。

 

 

《施術風景》

 

施術はとても柔らかいタッチでしたが、その感触はとても興味深いものでした。田畑さんが体の一部に触れると、体を含む空間全体がねじれ、力を抜くとその中に体が自然と滑り込んでいくような感じでした。

 

毎回施術が終わっての帰り道は、体がリラックスして普段より視線が高くなった感覚が心地よいものでした。

 

Basic10を受けましたが、記憶に残ったところをいくつか...。

第1回

 

ロルフィングという言葉さえ初めてでしたので、どうなることかとても楽しみでした。施術は柔らかいタッチで、あっという間に終わってしまった、という感じでした。ところが帰路、だんだんと後頭部から頭頂、眼窩にかけてズキンズキンと痛み出しました。家に着くころには目を開けていることもできないほどになり、そのまま寝てしまいました。翌日は痛みもなくすっきりと目覚めました。これがロルフィングというものか!?…と妙に感心しました。

第6回

 

推手(太極拳)の練習中、「姿勢がよくなりましたね。安定してますよ。」と先生に言われました。太極拳を始めてまだまだ日の浅い私には嬉しいお言葉でした。このころから、站功[たんとうこう](正しい姿勢を身に付けるため一定の姿勢を保つ練習)のとき、体の内的感覚の変化が大きくなり始めました。

第8回

 

腕と胴のつなぎ目辺りを開放してもらった時でした。いつものように歩くと両手のひらがビリビリと痛いくらいの気感を感じました。指先と腹部がつながった感じとでも言いましょうか。

第9回

 

喉を開放してもらいました。この日の就寝時は体が布団にベタッと沈み込むようで、とても気持ちよく寝入りました。こんな感覚は小学生以来かもしれません。

 

 

Basic10を終えて

 

現在、Basic10を終えて2週間ほどになります。ムチウチ症の頸部の痛みは消えたままです。今は肩甲骨と背骨の間に痛みがあります。施術中も体の各部にそうした痛みが起こりましたが、その強さ、部位が変化していくので興味深く見守っています。

 

田畑さんからの、「喉を開放することが、私の体の『鍵』になっている」というご指摘は、とても興味深いものでした。自分自身では、まったく意識できないことでしたから。

 

日常生活での変化は姿勢にとても気を配るようになったこと、それに歩くことがとても楽しくなったことです。今まで気がつかなかった体の微妙なストレスや、体内部から導かれる姿勢のあり方に敏感になりました。

 

また、驚いたことは、このシリーズが終わる頃、不思議な感覚を覚えたことです。昨年、倒れたとき周囲の者は皆、ショックを受けていましたが、当の本人は意識不明だったためショックも何も覚えていないと思っていました。体の内部の感覚を聴くうちに、普段は意識できないとても不快な感覚を意識していることに気がつきました。今でも体の調子は悪くはないと思うのですが、少しでも疲労すると動くことがとてもつらくなります。体は過労で倒れたときのことを、よく覚えていて似たような感覚を捉えると過剰に反応しているのではないかと感じます。

 

体と心は分けることのできないもの。当たり前のことなのかもしれませんが、私は気づくことができて、とても良かったと思っています。田畑さんにとても感謝しています。

 

 

 

・・・・・以上です。

ムーブメント

Basic10を終え、続いてムーブメントのセッションを受けました。セッションの間隔は、Basic10はだいたい1回/週でしたが、ムーブメントは1回/月のペースで受けました。

田畑さんから、Basic10は身体の構造に重点をおきますが、ムーブメントは動きに重点をおくことになります、と聞いていました。どんなふうに違うのだろう?と興味深々でしたが、実際、セッションを受けての感想は両者とも感触的には同じように感じました。しかし、ムーブメントに入ってから、身体の変化はより大きく、そして徐々に自分自身の姿勢の問題点をはっきりと意識できるようになりました。

特に大きな変化は、5回目のセッションを終えてしばらくした頃でした。

上半身と下半身が、例えれば外れたコンセントがカチャッと接続するように、腰椎の辺りでつながるような感触を味わうようになりました。今までに比べて無駄な力が腰から抜け、胸を自然に楽に開くことが出来るようになり、身体的にも気分的にも心地よくなりました。

当初、ムーブメントのセッションを何回受けるか判断できなかったのですが、姿勢がある程度の統一に達したと感じ、結局6回目を受けて一旦セッションを終わらせることにしました。

《ムーブメントを終えて》

ロルフィングを最初に受けた頃、問題となっていたムチウチ症の痛みは今もありません。

日常生活でも、たとえばパソコンを使っているとき「右肩が上がっている。」とか「腰椎の右側の背筋が緊張している。」など自分でよく気が付くようになりました。以前にはなかったことです。

私は趣味で気功をやっています。「形不正即気不順 気不順即意不寧」(体の形が正しくなければ気は順調に流れない、気が順調に流れなければ意識は安定しない。)。気功の言葉です。身体、気、意識を合わせることは気功の基本である、と言うことだと思います。ロルフィングのセッションを受け始めてから、このおよそ1年間、楽な良い姿勢をとれるようになったことは、私の気功にとても良い影響を与えているようです。

私にとってロルフィングは、より良い姿勢を探求することでした。健康はもちろんのこと、身体の形と内面のつながりを大切にするような気功や、(おそらく)ヨガなどをやっている方にはなかなか面白いものだと思います。少なくとも私はとても楽しむことが出来ました。

大学院で舞踏を専攻されたヨガ教師

セッション1

10年以上、受けたいと思いながら踏み出せなかった10シリーズの扉を開けるのはとてもエキサイティングで、けれど自然なことでした。

そのスタートは「開く」と「開ける」のちょうど真ん中にありました。

 

セッションがまず田畑さんの立ち位置を決めていくことから始まるのに、うっすらと感動しながら、自分の中の感覚にフォーカスするのは意外と集中力を要し、すぐに深い意識下まで降りていかなければならないのは大変だと思いながらも「その場にゆだねる」ことに徹しました。

 

体に触れる圧も範囲もとても少ないものながら、確実に変化は起きました。

触れられた場所が膨らむような、沈むような、あるいは力が抜けていくような…様々な感覚がもたらす変化です。

そこから、大きな波が他の部分へと伝わっていきます。呼吸をガイドにしながら深く広く体のネットワークが伸びていくようでした。

ハイライトは2つあり、左肋骨がすうっと閉まっていったことと、右足と右後頭部が左側に互いに伸びあいながら弧を描いていったことです。

体は、自分の意志で自然にある方向へ伸びてからもとに戻りつつ、自分の居場所へ還って行くようでした。

 

見守ってもらえている、十分な時間と空間を与えられ、完全に安全である、その条件の下で、体が自身の意志と知恵で新しいつながりを見出していく場でした。

2時間があっという間で、心地の良いふんわりとした感覚で起き上がりましたが、いつまでもまどろんではいられないという現実。

そこで骨盤の前側〔下腹部)と仙骨の間に自分の軸を見つけ、横隔膜の動きを感じながら、のどの前側の神経を休ませる、鎖骨を心臓の方へと沈めていく…自分は自分の足で、自分の軸で立つという覚悟を再び取り戻していくとき、また意識と体が一致していきました。

 

・セッション直後

少し頭がふんわりとしつつも、頚椎の後ろ側がすっと伸び、骨盤が左右均等の高さになっている写真を見て、その変化が穏やかながら大きなものだったことを実感しました。歩きながらも、新しい体になったことを受け入れられるような、半信半疑のような。けれどその変化が優しすぎて、何かを暴力的に変えられたわけではないことに、自分の権利が守られ、尊重されていることに、穏やかな喜びを感じていました。

セッション中に体が求めれば動いてもいい、目を閉じてもいいのだとうかがって、「その衝動に従う」ということが、次回から私のひとつの課題になるだろうと感じました。

帰宅すると、少し体はだるく眠りたい感じでしたが、横になっても眠れず意識ははっきりしていました。しかし夜は21時には眠りについてしまいました。

 

・セッション1日後

後頭部の広がりと、頚椎ひとつひとつの間が空いているような感覚は新鮮で、呼吸も深すぎず穏やかな波が続いています。

何よりも、日中心理的に辛い感覚が襲ってきたときに、それを追っていかなくてもよいのだ、心地よさを見出しそれをよく感じていけばよいのだ、とセッション中に繰り返していたことを実践するのが、その場をしのぐ助けになりました。

今までは、どうしても辛さや痛みを凝視し、分析してしまう癖がありました。けれど、私には心地よさにとどまる自由がある。制限ではなく、豊かさへと続く道を選ぶのも私自身なのだと改めて感じています。

 

・セッション2日後

珍しく深夜1時まで眠れず、また3時半に起きてしまいました。その時に、自分の呼吸へと意識を向け、鎖骨を休ませる感覚、足が伸びていったときの記憶をたどって、自分で自分を「安全な状態」へと導いていくと、自然にまた眠りにつけました。

私自身が私のよりどころとなる、そんな安心感を作ることができる、新しい感覚でした。

自分自身のために守り守られる体の感覚と意識を、訓練し再習得しているような感じです。

頚椎右側に少し硬さが戻っていましたが、声の出方はいつもより深く、背面の広がりも相変わらず続いています。

 

・セッション3日後

朝、頚椎5番付近に少し筋肉痛のような軽い痛みがありましたが、次第に消失しました。この部位にそのような感覚があったのは初めてです。右の腰部にもいつものだるさが戻ってきました。両足のかかとの当たり具合が少し気になり始めました。

 

・セッション4日後

左骨盤の前傾、右骨盤の後傾、脊柱のねじれ、頚椎の右側の痛みが気になり始めましたが、なるべくセッション後の感覚をもう一度再現するようにしていました。

 

・セッション5日後

横隔膜から腸骨あたりにかけて、胴体部を深くリリースしたので早い時間から眠たくなり、ぐっすりと眠りました。体はいつも通りの自分の体感に戻っています。

 

セッション2

うつ伏せで始まるセッション。田畑さんの姿が見えなくとも、声のする場所や体の存在が心理的に影響を及ぼすことを感じながら、自分がうつ伏せだと意外と体の全面の凹凸をうまくテーブルにゆだねられずに、やりにくいことに気が付きました。

 

また、顔の全面に感覚が集まって頭が痛くなっていきます。と、同時に意識がかなりぼんやりしてほぼ寝ているような感覚で、うつ伏せのセッションは終わってしまいました。

そのせいか、あおむけになった時にはかなり手足がだるく、頭もいたく、やっと視界が開けたことにとても安心していました。

しかし、足へのアプローチだと知っているものの、その変化や反応を感じづらく、自分の感覚もうまく口では伝えられませんでした。膝を立てていると、股関節の感覚がとても気になるので、なかなか落ち着く場所を探すのに苦労しましたが、目線や膝の位置を変えていいということで、ぴたっと何かがはまる場所を見つけることができました。

 

「各パーツの位置はそれでいい気がするけれど、ひとつひとつがバラバラになっているようだ」という感覚があった時には、それを「これでよし」とすることはできたかもしれないけれど、自然のどこか「違う」と感じている違和感を言葉にできることに少し驚き、またその違和感をきちんと掬い取ってもらえたことも、さらに田畑さんへの信頼が深まり、静かに感動していました。言われたとおり、呼吸の心地よさに身をゆだねていると、自然にその感覚のかけらが統合されていきました。

前回、セッション後の「衝動に従うことを許す」という気付きを、今回は目を閉じたくなったり、自然と心地の良い場所を探してみたり、と目の使い方に活かせたと思います。

 

今回のハイライトは、身を起こしてから座っていた時の事、奥歯や耳が広がっていく感覚でした。自分の右に何か自分の感覚が開きたくない部分があったんだ、と思いながら、それが何なのかまるで分らず、けれどそれを追う必要がないことに安心していました。心地のよいところに目を据えたまま、見たくないものを見ないままに、その「少し怖い右」へと感覚を開いていくことで、必要な手綱はしっかりと握ったまま、知らないところへ分け入っていくようでした。

また、座ってから寝ていた時の股関節の心地よさを最初に再現しようとすると、力が少し入って腹部から上に引き上げる感じがありました。けれど、膝から下にはあまり感覚がなく、そのままで「いつもの体」を再現すると、骨盤が左右前後に少しずれていく感じがしました。けれど、そのまま敢えてそのずれたい衝動に沿っていくよう言われました。その変化に従ってから大腿骨を座面に落ち着かせていき、そのずれていきたい感覚が満たされ、収まっていくと、自然と体は正面に戻りたくなってきました。

まったくの新しい感覚(体)を大げさに喜び、それに一足飛びに飛びつくのではなく、今まで共に生きてきたこの体とそれを統合していく。その丁寧な作業が必要なのだと気付き、はっとしました。きっとその時に、今まで置いてきぼりにしてきたものと、きちんと対峙できるのだと思います。

戻ってきた後は、胸が上にふわりと引きあがっている感覚で骨盤がもっと軽く伸びていました。

 

体の変化は前回よりも感じにくく、私は脚に色々な思いを持って生きてきたので、果たしてこれでよいのかどうか少しだけ不安がよぎりましたが、これは理性で捉えるものではない、と田畑さんと自分の体を信じることにしました。

セッション後の写真では、両方の脚にきちんと支えてもらって立っている、という2本の軸ができていました。

 

・セッション1日後

首を左に傾けたくなることが多く、その際大きな音がよく鳴ります。

後頭部はまだ上に伸びてる感じがして、日中いつもの体に戻りそうになった時は、目を据えたまま右の空間を感じた、あの瞬間を再現してみると、少し体が落ち着きます。

呼吸が普段よりも、もう少し上部にまで入ってきて、腰のだるさがほとんどありません。

 

・セッション2日後

逆転のポーズ(逆立ち、三点倒立など)をとった時、軸が両脚にある感覚でした。

相変わらず右に傾けるとよく首が鳴ります。

しきりに脚を組みたくなり、その衝動には従っています。

 

・セッション3日後

体調が悪いのか、手足の冷えがひどくなっていますが、それ以外の変化はありません。

 

・セッション4日後

右手のしびれが出てきましたが、思い当たる理由もなく、セッションとの相関関係も不明です。

 

・セッション5日後

手足の異常な冷えと、右手のしびれが続いています。セッション後1度も右の腰のだるさを感じていないことに気が付きました。

 

セッション3

 

今日は横向きからのスタートで、体の重さをベッドに預けて行くと上側になった腰が後ろに倒れそうになると、腰、背中、肩甲骨の辺りに支えを入れてくれたが、そのほんの少し体を安心させていられるという実感が、体全体に伝わっていきました。手を柔らかいボールの上に置いているときは、どうしても腕は親指側にロールしてしまうので、真下に力を落としていく感覚がつかみにくいと感じました。

 

―喉の前の血管を休ませるようにする。静脈の血が心臓に戻っていくように―何度か繰り返してきたこの誘導は、私の頚椎の空間を変えていきました。今日はさらに、手を触れずに、あご下に置かれた手の存在をただ感じるという指示でまたひとつの統合が導かれました。

たった一滴の指のタッチで脊椎が動き始めます。皮膚が広がって、体中の知恵が発動します。ただ心地よい呼吸をするための時間をとってくれる、そしてそれを全身で味わう。それはまさにヨーガと同じ体験です。言語化をしなければならないという壁がありつつも、そこで出てくる言葉は適切なワードであろうがなかろうが、その言葉のもつ意味よりも、どんな形であれ出てくるものを認め、そこからほんの少しだけ手を添えるように方向を与えてもらっているように感じました。そしてこのロルフィングのセッションの場合は特に、その時間共にいていくれる、見守っていてくれる人がいるということが何よりも大きいのです。

体を起こしてから、ベッドに腰を掛け、股関節から前に体を倒していき、その分だけ足に体重をかけていくと、どうにも足の裏に力を感じたくない自分がいました。そこで太ももと脛の外側を張り出すようにして足の接地面を意識すると一度脊椎が伸び、そこから脚に向かって力が流れ落ちてきました。

 

今回は、歩きながらの統合にいつもよりも多くの時間をかけていたように思います。あごの下の空気の密度とともに歩く、横隔膜を水平に保ち、そこから足が伸びているように歩く、頭の上の空間も意識して…。いくつかのサポートをもらいながら、もはや自分の体が勝手に全体をまとめようとしていくことに、私は歩きながらついていく感じでした。

 

・セッション1日後

ひどい頭痛で目が覚めました。座り姿勢でいることが多かったので、セッション最後に行った、座位での調整を意識して行いました。足の裏へ体重を預ける感覚が少し弱いと感じました。けれど、ふたつの座骨の上に心地よい軸があり、体はとても落ち着いていました。

 

・セッション2日後

真夜中に目が覚めてしまい、眠いのになかなか寝付けなかった時、繊細な羽のようなタッチを思い出し、体を布団に預けるようにすると、どこを触られていると具体的に想像しているわけではないのにセッション中のように、体の中が自然と広がり始め、あるところに落ち着いていく感覚がありました。そうすると、体が落ち着き、再び楽に眠りに落ちることができました。ヨーガのあと、いつもより肋骨全体が軽く、特に背中側がリフトしているようでした。

 

・セッション後3日目

そういえば、と思い出したのが、ロルフィングを受け始めてから眉間の右側にずっと吹き出物が出来ていて、それがとてもひどくなりました。左右に頭を振ると、ひどいめまいがしたのに驚きました。今回は頭がぼんやりすることが多い気がします。

 

・セッション後4日目

1日中歩いているか立っているかでしたが、体がほとんど疲れていませんでした。肋骨が静かに下に向かって閉じている感覚が、重力と体が親和しているようで心地いいです。

 

・セッション後5日目

しばらく続いている「肋骨が閉じている感覚」が、腕を上げるときに体の中心から腕がつながって伸びていく感覚にリンクしていると思いました。右の臀部が少し筋肉痛のような痛みがあり、右の腰がいつもよりも縮んで右肩が下がっているように感じました。吸う息がいつも左ばかりで感じられているのだと気が付きました。体の右側では、あまり呼吸を捉えていないようです。ほんの僅か(1ミリくらいの体感)ながら、脊椎の柔軟性が増しているような気がします。

 

セッション4

セッション開始直後、田畑さんの場所を決めるときに、頭の延長線上でも足元でもなく、少し頭上斜め上にいてもらうことにすると気持ちが落ち着きました。「そこがいい、というのはどんな感じですか?」と聞かれて「存在感を確かに感じるけれども意識に介入しすぎない感じ」と答えた途端、自分のその言葉にはっとして、まるでそれを自分が日常でも望んでいたことかのように感じて、涙が出始めました。また、「それをどこで感じていますか?」と聞かれて「こめかみ」と答えた自分にも驚きました。感情をこめかみで感じていると気付いたのはまったく初めてだったからです。悲しみではなく、ただ体の反応として、涙がよく出るセッションでした。しかし、そこで体の感情を深追いせず、理由づけもせずに、純粋に体の反応を味わい続けるというのは心地のいいものでした。

横向きに寝て、腕をボールに預けることにも前回より慣れ、骨盤が垂直に立たなくとも行きたい方向へと体を倒して行けました。体がうつ伏せに近くまで倒れていったとき、仙骨付近に手を当ててもらい、そちらに少し広がっていくようにすると、体の安定だけでなく心も落ち着いていきました。なぜか、体に従っていくと時々頭では「これでいいのか?」という疑問が浮かびます。その時にそのことを正直に話すと、それをいいとも悪いともせず、わずかな言葉やタッチで、おのずから体がしっかりと心とも融合する場所へと導いてもらっているように思います。今回のセッションでは完全に田畑さんと私の「共同作業」であると感じていました。

今回は骨盤底に働きかけていたので、座骨がふわっとしていく感じや、骨盤底が水平であるという感覚が多く、それは全身にとても優しい安定をもたらしてくれました。

 

・セッション後1日目どこにも流れを妨げるものがない感覚。非常にニュートラルで、すっとしている体と感情。そして足の裏が柔らかくて、床にふわっとつき、体重をかけなくとも接地面が広がっていく感じがしています。骨盤底が水平な感覚と後頭骨が水平な感覚がリンクしていました。

 

・セッション後2日目仕事であったり、子どもに本を読んであげているときにふと、声の出方が変わったと感じました。腹の奥の方から声が少し響くような感じで、それまでコンプレックスであった声の出にくさが、ほんの少しだけ心地よさに変わったようでした。

 

・セッション後3日目疲労がピークに達していることもあり、体は依然として何も変化していないのではないか、とすら感じました。ただ、それは気分によるものであることや、「これをしたのだからこれだけ変わったはず」という思い込みは不要だということもわかっていたので、それについて何も思いましせんでした。

 

・セッション後4日目今週はあまりにもレッスンが多かったせいか、体の精密度が増していて、左の背中にも清々しい芯を感じました。上蓋と横隔膜と骨盤底の水平な広がりが一致すると、背中がもっとストンと後ろに落ちて何かに預けられる安心感が得られました。

 

・セッション後5日目駅のホームで電車を待っている際、私の2倍以上の体重であろう男性が転倒したのに巻き込まれて、私もともに倒れ、その直後から右大転子周辺が痛くなり歩く際にもびっこをひくほどになりました。その後痛みは仙骨の右周辺から、長趾伸筋にまで及びましたが、おそらく炎症だけだろう、ととても冷静に痛みの場所や状態をはっきり把握できたので不安にはなりませんでした。

 

セッション5

立ち位置を決める時、左上にいられると全身が引き上がって頭の方に近く感じるのと同時に身近に感じ、右側だと脚が伸びた。頭部に少し触れられると、こめかみ辺りに当たる手の温かみに涙が出た。圧というよりは、その温度に何かが溶かされるような感じだった。

骨盤を左右に分けて、前後や上下に回転させたりねじったりする動きをしていると、左右に一度分離された体が、自発的にひとつになろうと繋がっていく。見たことのないところに目線が止まった時、後頭部が伸び始めて統合が完了した。

片脚をたらして腸腰筋の伸びを感じると、それは後頭部とリンクしていた。左の肋骨が閉まっていく時、頭を左に向けたくなり、右後頭部の苦しさがぱかーんと開きながら出て行った。いつもは寝ころんだまま足の裏をつけて膝を曲げている体勢が、膝の置き所が難しくてあまり好きではなかったのが、それがサポートとなり他の部分を伸ばしていく体験があった。

起き上がってから座ると、左右の腹横筋を横に張り出すようにすると、胴体部の支えを感じるのか、肩が開いたまま下に落ちた。歩き始めた時には胸郭を左右から誰かに持ってもらっているようなサポートを感じた。その支えが少しくすぐったくて、そして嬉しかった。また胸の真ん中には確かに「中心」があった。そこに支えを感じて歩いてもいいのだという感覚が。

実は今回のハイライトは終わってから何気なくした質問に対する答えだった。次回のセッションまでに少し時間があくので、今回のセッションで心地よかったり、変化があった体の動きや感覚を次のセッションまでの間、復習のように再度たどってみても良いかと聞いたとき、それがいい感じになる間はやってもいいが、体は変化し続けるし前の感覚に固執するようになるからあまりお勧めしないという返事をもらい、そうか、それはそうだと妙に納得すると同時に、いつも体の内側の感覚に目を向けてばかりなのに、「こうあるべきである」という方向にベクトルを向けてしまって、どうしてその瞬間瞬間の体を大事にしようとしていなかったんだろう、と自分自身を振り返った。

 

・セッション後1日目

あまり変化を感じられず、どこかで焦りがあるような感覚。

 

・セッション後2日目

張り出していく腹横筋の中に透明な軸ができていき、その張り出した皮膚の感覚も溶けていく。

 

・セッション後3日目

右頚椎の痛みがひどくて呼吸が浅い。

 

・セッション後5日目

おそらく6時間以上歩き続けていたけれど、疲労感はまったく無し。

 

・セッション後2週間

 

今回は次のセッションまでに5週間空くというスケジュールなので、念のため記録を残しておくと、肩が外に開いて程よく肩甲骨が下りている感覚と、大腿骨の外側に強さを感じる。顎の位置がしっくりせず、もう少し胸椎の上部と頚椎の2~3番あたりの連携を感じたい。

 

・セッション後4週間

Rolf Movementのワークショップを受けていたので、緩めたり繋げたりする流れが自動的に起こるようになっていて、とても快適。とにかくこの体で生きていることが幸せで幸せで仕方がない。いつもある息苦しさ、息をすることをどこかで制御している感じや首の不快感が、気付けばまったく無くなっていた。

 

セッション6

今回は寒気と歯痛があって、どうやら軽く風邪を引きかけているようだったことと、連休が明けてから普段の生活のリズムに戻って疲労があったことからコンディションはあまりよくありませんでした。

しかし、うつ伏せから始まるも、今までよりも力が抜けるのが早く、今回はただただ自動運動が大きく続いていました。

皮膚が広がっていく感覚というよりも、もっと奥の方、筋肉や関節がもこもこと動いてその波が伝わっていく感じです。

大きな動きが起こるとき、それに体を任せていると波に飲み込まれそうなことが何度かありました。

自分の体が自分のものではないことをはっきりと感じながら、ただ「それ」に持っていかれそうなことを怖がらずに向かい合ってみようとするとき、必ず潮は満ちたら引くのだということを思い出す、そしてその満ち引きの間に深い呼吸がある。ー

そんなことを繰り返していた時間でした。

 

座骨に意識を向ける課題が今回はキーとなっていて、その感覚を誘導された時に体全体が大きく変化しようとしていました。

この2時間はそこに向けてデザインされていたように思うし、またそこからなだらかに収束していくカーブさえ完璧に計算されていたような弧を描いていました。

 

何度か左目のみから涙が出ました。それはまったく感情と結びついていない生理的なもので、鼻も同様に左の鼻腔のみが何度かツーンと通ることがありました。

それを繰り返しながら、体が崩した左右のバランスを取っていくようでした。

 

立ち上がって歩いたとき、大きく鎖骨が開いていて、耳や顎といった頭下部の空間を広く感じました。

意外と顎関節は力を入れる・抜くといった上下の感覚のみだったので、それを味わったときにさらに鎖骨や肩甲骨が下に下がり、同時に首が上に伸びていく、とても心地のいい感じがやってきました。

そして再び、自分の脚は2本あるのだ、という喜びで歩き始めました。

 

セッション7

今日は久しぶりに首の後ろがとても張っていて、少し痛みがあった。

やはり、仰向けに寝たときは首を大きく左に向けていたほうが体の力が抜けていくようだった。

その時に左の膝裏が少しぴりぴりして、その感覚と頭から体中の力がベッドにゆだねられていく重さを感じていた。

その次は右に顔を向けたくなり、右腰のだるさを右股関節が頭方向に近づきながらどうにかしようとしているのを眺めていた。

 

内臓頭蓋から呼吸器、消化器官をつなげていく。

上歯茎に触れられているときは上蓋が頭頂方向に広がるように力が抜けていって頭蓋骨の内側全体の空間がふわーっと新たなスペースを獲得していった。

下歯茎の時には後頭部が膨らみ、少し首筋が伸びていくとともに、後頭部が丸みを増していく。

この感覚が欲しかったものだ!と気付きながら、もっともっととその感覚を欲する自分がいた。

初めて、触れている手をしばらくそのままにしていて欲しいと思った。

歯茎の内側に触れられているときは、なかなか力が緩められず、ここでもまだ指を口の中にいれたままにしておいて欲しかった。

けれど、タッチは入口に過ぎないので物理的にそれが無くなった後も反応は続いていく。

ただ左右の鼻腔に指が入っているときも同様に、片鼻が塞がれていて呼吸がしにくくなっているにも関わらず、息は深く入っていたし、

鼻腔が塞がれているはずの半身がそれぞれまぶしい明るさを取り戻していった。

左鼻に指が入っているときは、明らかに左が真っ白で右半身は暗く影のようになっていたが、

次に右鼻に指を入れられたあとは、しっかりと左右が同じ明るさになっていたのに驚いた。

 

体にまとっていた薄い衣がいつの間にか消えていたかのように、少し新しい体で、けれど肩と腸骨がベッドにしっかりと落ちて安定と調和を作りあげているので不安がない。

しっかりとした自分の体がありつつも、気付けば新しい体になっているような感覚は、内部と肘から先にあった。

 

後頭部の広がり、丸みがとても大きくて、首や背骨の存在を忘れるような立ち上がりだったが、

しばらくチューニングボードに乗っていくととても内またになっている気がして、意識しないときはただ乗っていればそこで安定して何の動きも生じないようだったが、力を緩めようとすると、急に難しさがやってきた。

1段階目は仙骨が閉まり、尾骨が垂れてきてよい感じだったものが、2段階目から先に進まない。右の仙腸関節と膝を緩めようとするとうまくいかない。

もどかしさと困難を感じていると、上半身の心地よさを感じて、という田畑さんの言葉ではっと我に返る。

そうだ、眉間にしわを寄せて、自らが作りだした問題とにらみ合う必要などない。息をつめてしまう状況に、わざわざ突進していかなくてもいい。

いつだって体は今の瞬間に最適なバランスを見つけ、この全体性を保っていてくれる。

どんな一瞬にもその美学があり、ただその営みをそのままに、おいしく味わっていればいいのだ。

そうだった、そうだった。

 

セッション後3日目

セッションを受け始めてからほとんどなかった頚椎の張りや痛みが戻ってきていて、ロルフィングをやる前と何も変わっていないような気さえする。

 

セッション後5日目

今日のヨーガの最中に、いわゆる丹田と呼ばれる部位と第4回目のセッションで触れられた恥骨下枝と坐骨枝の感覚がつながって、そこから上歯茎を触られた感覚や、舌の下の柔らかい部分から内臓に至る道筋がすべて体の内側にあたらしい空間をもたらして、体感が一気に変わった。

自分の膝下へのネガティブな意識が思い出箱を開けるようによみがえってきて、ここから何かが変わっていく予感すらした。

 

セッション8

 

第8回目は全体の統合プロセスに入ると聞いていたので、どんな風に来るかと思っていたが、それよりも頭の中がざわざわしていて、膝下も午前中からむくんで重く、全体的に落ち着いていない自分をsettle downさせる方が目前の問題になっていた。

 

仰向けになって頭を左右に振るだけで後頭部の重さが感じられて、思い切り頭を横にして、その重さを台にゆだねていると、まもなく肩や背中が広がっていった。今回は何よりも内臓がよく反応した。胃のあたりから大きな動きが始まって、その動きをよくよく感じていると、すぐに自己が融解していき体が流れに乗りやすくなった。

 

ロルフィングはいつも「集中力」を有すると感じていた。意識を完全に体全体に向けるのはそれなりの感覚の「体力」がいる。しかしそれは「自分」の意識を集めるというよりは、集めてから、自分を構成する諸要素の概念をぱっと手放すことが重要なのだと改めて感じた。

 

上半身の重たさとは対照的に意識のない胴体から、完全に自分の体ではないように感じる下半身。それが胴体の中に納まっている内臓の活発な動きからだんだんと爪先まで呼吸が入ってきた。首を横に傾けたまま、目を水平に動かすように指示されたが、なんと目の動かせる範囲の狭いことか。少しでもその範囲を超えると目の奥がちかちかして目を開けていられないほどのぐらぐらを感じる。けれど相変わらず果敢にそこに向かっていく必要はなく、落ち着く場所で呼吸を繰り返し、片膝を立ていている足の位置を微調整したり、立てた膝のサポートをしてもらったりしながら、とにかくそこで「感じる」「呼吸をする」、それに徹しているだけだった。何かを問いかけられたり、何かを指示されたりしても、今日はほとんど言葉にならない、あるいはしたくなかったり、うまく指示に従えない感じだった。どこか「しない」「できない」ことを肯定する強さがあるようだった。

 

起き上がり、歩き始めると、目は嫌な感覚がないのに前を向けない。少し止まってみると、目線は下にしていたい。目をあまり開きたくない、使いたくない。後退も前進もしないように、目もちょうどいい力で少し開いたまま、体の欲求に従って呼吸をしたり、少し左側に体をねじったりしていると、少しずつ目が明るくなってきた。目線もあがり、少しずつ歩き始めると、膝から下が自主的にしっかりと指1本1本を伸ばして床を押していた。腸骨が広く、耳が顔よりも離れてついているかのように、遠くの風の音が耳の中を貫いた。

 

・セッション後1日目

 

どっと眠気が来ることはなかったけれど、翌朝はなかなか目が覚めなかった。後頭部がとても苦しく、目の奥が目ヤニでどろどろになってコンタクトレンズをはめられない!という不快な夢を見ていた。後頭部と目の違和感は、起きて動き始めるとまもなく無くなった。

 

・セッション後5日目

 

この1週間は寝不足が続いてまともな状態ではなかったが、昨夜はある程度睡眠時間を確保できた。しかしずっと首の不快感が取れない。今までは首を横にぼきっと振って、骨を鳴らせば解消できていた感覚が、音が出ないためずっと詰まったままの木管楽器のようになっている。

 

セッション 9

首はすでにこの10セッションを始める前とは明らかに違っていて、それぞれの頚椎の間に空間を獲得しているのだけれど、時々その一つ一つの水平方向の回転角度がずれている感覚は残っていて、今日も伸びてはいるのにどこか不快感があった。そしていつものように朝からむくんでいて、下半身の中で特に主張をするふくらはぎ。けれどここまでのセッションの中で得た肩や胸の広がりが、それらのアンバランスを包んで補えるだけの余裕を確保していてくれる。

 

右側を下にして右腕を背中側に伸ばし、左手をバランスボールの上に預ける。右ひざを曲げて、左脚はクッションの上に置いて伸ばしている。左手をボールの上に置いたまま前に伸ばしていくと同時に、右手も後ろに向かって伸ばしていくと、だんだん肩回りの力は抜けて台に体が沈んでいく。しかし胴体の力が抜けて左半身が前に倒れていくとともに、右臀部が伸ばされてどんどん痛みに変わっていく。

今回ほどセッション中に痛みが強かったことはなく、ただそれがどのように変化していくか見守りたいと思っていた。また、呼吸やゆだねる感じは普段と変わらなかったので、起こることについていけるような気がしていた。時間がたち、いろいろな刺激を受けながら脊柱の回転や胴体部のつながりが変わっても痛みはまったく減らなかった。

しかし右仙腸関節はこりやすい部分であったので、そこが刺激を受けて大きく反応しているのであれば、それは歓迎したいことだった。おでこに手を当てられたとき、その手の柔らかさと温かさが尋常ではなかった。首の角度を探すのが難しい。ほんの少し顔を動かすだけで、一つ一つの頚椎が組み変わる。最初はどこかどこかと0.1ミリ単位で適切な場所を探していたけれど、それもだいたいのところでやめてしまった。胸椎4番に触れられたとき、重力に従って体の全面に飛び出してくるように感じていた左の浮遊肋骨がすうっと体の中心に吸い込まれるように収まっていった。ちなみにこの左の浮遊肋骨は常日頃前に突き出しているように感じ、不快感があったところで、「飛び出している飛び出している」と自分の身体イメージに過ぎないものだと知りながらも感じていたところが、ドラマティックに収束した。

何度か促されたが、頭頂方向に伸びていくのが難しい。右臀部が完全に感覚を失うほど痛みが強いため、右坐骨を触られても、どうにもすることができない。とても不自由でぎこちない体の中で何とか動きを起こそうとするとき、本当にどこかにゆだねていることが土台となることを感じた。

 

左足の爪先側を伸ばし、右膝を体側に引き寄せながら両手を水平方向に伸ばしていく。が、右臀部が痛みでまったく動かないので膝を引き寄せられず、左足を伸ばそうとすると、体が台から持ち上がってしまう。少し前に倒れた体を垂直に起こすとなんとかできるようになったが、指示された動きがこんなにできないのは初めてだった。

体勢を変えるのにもイテテテとなるが、体を反対側に向け、左側を下にして、まったくおなじ体勢を取る。頭を左下にして寝るのが苦手なため、こちらの方が不快かと思いきや、体全体は楽でこちらでは何の問題もなかった。指示された動きもやりやすく、ただただ心地よさの中にいた。が、痛みを感じないうちに、実は右半身を下にしていた時と同じように、完全に左臀部も伸びきっていた。左半身が前に倒れていたのを垂直に立てようとしたときには、左脚は完全にしびれ、臀部も痛くてしばらく動かせない状態だった。

 

右膝から立て、仰向けになっていると少しずつ左脚が落ち着いてきた。左膝を立て首を左右にゆっくり振ると、どうやら死角があるらしく、視線がスキップする空間があった。指で誘導してもらい、ある地点(顔の真上よりはほんの少し左上方)を見ていると、またたく間に仙骨が開いてきて両股関節のスペースを広げ、爪先までがつながり、下半身が安定してくると今度は上半身を、脊柱を中心につながりが伸びてきて、首の位置が変わった。首の位置と視線が変わると、またつながりを下半身に求めるように両ひざが円を描くように動き、また足裏の付く位置を変えて脚全体が居場所を探していった。左脛が左に倒れたがっている。左側の空間を感じていると両ひざが円を描くように動いて居場所を少し感じているとだんだんとその動きが収まり、足の裏の位置を変えたい衝動が起きたので、それに従うと体全体が落ち着いた。

 

体全体が台に深く根付いていくと、肩関節と股関節が外に向かって開き始め、同時に以前のセッションで得た恥骨下枝&坐骨枝と舌下を緩める感覚を思い出していたら、骨盤内、ちょうどへその下(丹田と言っても可)にぐーっとエネルギーが集まってきて、そこに小さな自分の体全体が収まっていくようだった。

これほど下腹部が充実したことはなかったし、そこに自分があるという感覚が、(「この世界全体と自分は同じものである」という梵我一如の概念に似ていて非なるものだが)自分の中に自分が入っている、また別の入れ子ができていることが面白かった。このまとまりが作られていくときは完全に愛する人とつながっているとき、ひとつになっているときの感覚で、自分が完全に何かと一致して柔らかい光になっているようで、もう少しこのままでいたいと頼んだ。

 

立ってみると、その下腹部の充実感は何でもないかのようにほぼ消えていたが、それは失われて空っぽになったものではなく、その充実感が吸収されたような感覚だった。帰り道、歩いていると仙腸関節の空間がとても広くなっているのに驚いた。あれだけセッション中に痛かった股関節はほとんど何の痛みも感じなかった。

 

・セッション後1日目

左太ももの膝あたりが筋肉痛。仙腸関節が昨日とはうって変わって痛い。首がよく鳴る、以前の状態に戻った。

 

・セッション後2日目

首がとても痛い。久しぶりの右後頭部の凝る感覚。あぁ、まだあるのかという感じ。この日から眠気がきた。

 

・セッション後3日目

移動が多かったせいか、21時には就寝。体は辛くないが、心がざわざわして重たい。

 

・セッション後4日目

頭痛がひどい。特に後頭部蝶外骨のあたりが鈍い痛みで包まれている感じ。一日中眠くて何度も居眠りをする。

 

・セッション後5日目

眠る前も、目覚めてからも、涙が出る。頭痛は消えていて、少し視界はクリア。

 

セッション10

今日はセッションルームに向かう足取りから少し違って、寝不足なのに感覚はクリア、膝下が少し長くなっていて地面よりも一段下にまで伸びている感じだった。ただ最終セッションだからといって期待はしたくないし、終わるのが寂しいとも思いたくない、これが終わることも、そしてそこからまた今まで通りの日々が始まることも、どちらも楽しみだった。

 

台の右端にうつ伏せになり、右腕を下にぶら下げて、右脚をボールの上に預ける。この時の顔の向きが問題だった。うつ伏せになるときは左向きになるのが癖だが、その偏りを無くしたいから右に向けたい。どちらが自分の体の願いなのかわからなかった。従って、直観。いつもこちらが気持ちいいから、ではなく、今こうしたいという衝動に従って、癖とは違う右向きになった。首の角度に安心感があるわけではないけれど、力の抜きづらさもなく、左頬骨の当たりを少し気にしながらも体を台にゆだねていった。後頭部に触れられて、その温かさや柔らかさを感じるのだけれど、そしてそれをもっと感じたいと思うのだけれど、私の頭はそれになじんでいかない。頭頂部に伸びていく動きを促されてもあまりうまくいかない。けれど、次第に左頬骨が右股関節とつながり引き込まれていく感覚が起こり、坐骨や仙骨のあたりに触れられるとともに脊椎が少しずつ動いていった。ひとつひとつの椎骨が右に回転して独立していく感じでどんどん動きが沸いてくる。その動きを実際に体を動かすのではなく、イメージの中でついていくようにすると、今度は内側からの動きは左回転、体は右回転をしたがっていることが分かった。腰椎→胸椎ときた回転が頚椎までこない違和感はその両方の感覚を味わってあげることで緩和していった。

今度は左端で左半身を下に降ろす時にも、顔の向きは自由だったが、その時左向きになるには首が痛かったこともあり、頭ではアンバランスかもと思いながら、体が堂々とまた右向きを選択した。先ほどとは違い、こちら側では全身が割と落ち着いていて、あまり動きが起こらなく、ずーっと深く沈んでいる感じだった。今思えば、右向きの首もそこでこの体に包含されていたのだと思う。

 

仰向けになって左膝を立てる。左右の半身差が大きく、左足の置き位置もなかなか決まらない。そうこうする内に胃や腸がぼこぼこと激しく動きだした。右脚をなるべくゆだねようとすると、右半身が真ん中からどんどんと外側に開いていきたがる。目線が落ち着く場所を探しながら、右手を腹部に置いて内臓の動きを感じていると、どんどんと右脚が落ち着いていった。「右脚の接地面が広がっているように見えますが、どうですか?」と聞かれて同意すると、その瞬間。バーンという大きな音がしたかのように仙腸関節が大きく左右に広がっていった。今脚が落ち着いているって言ったばかりなのに!!という驚いた心の叫びを伴いながら、出産のときの骨盤の広がりを思い出すくらい強力な力でどんどん開き、どうなってしまうのかと思わず眉間に力が入る。骨盤の中にある人の顔がバン!と入ると、少しその動きが収まってきて、今度は右後頭部がぱかーんと口を開くように首が左に傾いていった。左半身を軸にしながら首がどんどん左に伸びていく。その動きに、イメージの中だけでついていくと、それは右から左に水平にうねっていった。蛇の動きのように頭蓋骨が左、右、左…とカーブを繰り返している。とてもダイナミックで、頭につられて脊柱が動いているのも感じられた。

 

今度は左脚を伸ばし、右膝を立てる。膝を立てるのはとても難しくて、なかなか足の置き位置が決まらない。右脛や大腿骨で支えるように、右内転筋も少し感じて…と言われるがなかなかうまくいかず、結局少し手に預けるようにする。右股関節も感じてと言われるが、どう大転子が収まればいいのか頭も体もわからない感じでもやもやする。股関節を腹部と背部から包まれて、この間の空間を感じて、と言われるが意外と下腹部の内側に意識は集まらない。右膝は自分が置き場を決めようとするよりも、外に預ける感覚で落ち着いてくると、左半身にはびくびくざわざわと動きが起こってきた。ぶるぶるっという痙攣のようなものが何度か起こりながら左半身が落ち着いていくのを見守っていた。頭は大きく左に向いていたのだが、左の肋骨は体の中心に向かって回りながら、右腹部はその左肋骨を覆うように左側へと回っていった。

 

その時々に合わせて大きく右や左に向いていた首が真上を向き、正面に目線が戻っていきながら内臓の動きも収まり、両脚をのばす。体全体が台の上で広がり、落ち着いていくと右耳の穴が大きくなったような感覚で、遠くの風の音まではっきりと聞こえるようになった。その右耳の広がりに体をゆだねていると、背中側から皮膚が脚に向かってめくれるように、新しくなっていくようだった。それは足裏から今度は体の前面に。体が大きく脱皮していくように、全体がべろーんと真新しい皮膚になった。

 

座ってから、最初はくらくらしていたものの、下半身の感覚はしっかりしており、何よりも目線がとても広い水平性を獲得していたので、それを心の底から味わった。横に広がっていく世界はとても穏やかで、心地よくて、目の前にはビルがあるのだが地平線や水平線を見ているようだった。しばらくそこでじっとしていると、今度はその真ん中に垂直線が表れてきて、大きな大きな十字の中で、自分の体にもその両方があるような感覚になった。促されて、右足の位置をほんの一ミリ動かした時、普段はそのほんの少しの動きや目線が大きな変化を起こすのに、今回直後はほとんど変化もなく、それを意外に思いながらそう伝えた後、瞬く間に右後頭部がまた先ほどのように左上方に伸び始めた。右後頭部がぱかーんという大きな口を開け、ほとんどの頭部が左側に寄っているように感じながら、その動きについていくと、だんだんその右後頭部が大きくぐるぐるという回転を始めた。もちろん、その通り動くことはせず、イメージの中でついていくのだけれど、そのとき急によく知りもしないホ・オポノポノのことを思い出した。田畑さんがリストバンドをしていた記憶から、よく知らないままに「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」とその回転に対して心の中で繰り返していた。どこで覚えていたのかもわからない、そんな記憶を引っ張り出し、注ぎ込む、それほどに体が動揺していたのだと思う。次第にその大きな回転は不規則で速度を落とした動きになっていき、だんだんと小さくなって、螺旋を描きながら右耳から出ていった。右後頭部はずっと長い間、詰まりやすい場所だった。

立って歩きながら、左半身はどーんと軸のある直線、右は首や腰にカーブのあるS字ラインを描いているように感じたけれど、その左右の違いも含め自分自身であることを心身が納得しているように感じた。違和感というよりもそれが私なのだという自信、そしてなによりもこの体、人生、今ある命を全肯定したいような気分だった。もはや何が起きたのかも知る必要がなかった。そして、ずっと葛藤し苦悩してきたこの自分の体を大好きだと感じていることが、何よりも私がこのセッションを受けた証だと思った。

 

・セッション後数日間の様子

 

何日も忙しく寝不足の日々が続いたり、心が大きく動揺するような出来事もあったりしたが、風通しの良い体の快適さがあればほとんどのことは「大丈夫」だった。無理をする瞬間にも体や呼吸を固めることもないし、疲れたことにも、泣きたいことにも素直でいられる。不快さを感じているときにも心地よい部分に意識を向けたり、今体がどうしたがっているのかを毎瞬間追うことで再び体の有機的なつながりを取り戻したり…このセッションを受けて何かが「完成」「解決」したのではなく、刹那滅するこの存在において、どうやってその変化し続ける瞬間の連続にい続けるか、その在り方を学んだような気がする。そしてそれは、開かれたこの体の智慧に付いていくこの経験と、そこで感じた命と自分に対する絶対的な肯定感が土台となっている。

 

約10年ぶりに数100人の前でやるパフォーマンスに参加した。

踊ることを自分に許せたのもきっとこのタイミングだったのだと思うが、そこで久しぶりに会う友人たちに「とても印象が変わった」と言われて結婚、出産、ヨーガの深まり…と経てきた変化も思い返しながら、それでも一番今の自分に大きかったのはこのロルフィングであったことが口をついて出ていた。「今までの人生も、自分も全肯定できているんだよね。」そう返すと、聞く人誰もが目を丸くして、「それ、すごいね!」「ちょっとすごいわ…。」突拍子もない、大げさにも聞こえるかもしれないこの言葉を、衝撃と納得でみんなが受け取ってくれたのは、きっとそれが私から出た真実だったからだろう。もう一つ驚いたのは、後で自分の踊る姿を映像で確認したときに自分だとは気づかなかったことだ。こんなにも動きが変わっていたなんて…。柔らかくなった脊柱に、音が流れていた。

オペラ歌手でハープ演奏家でもある方

セッション1

【セッション前】

 

心臓の開胸手術による胸骨の痛みが抜けず、日常生活・歌う際に支障がある。

胸骨が常に固く強張っているように感じ、疲労が溜まると鎖骨に痛みが生じる。改善したくセッションを申込んだ。

 

【セッション当日】

歩く。体の状態を観察する。

→胸骨の辺りが強張っている。

 

マットに仰向けになる。

今日のテーマは「呼吸」

呼吸を意識する。

→胸骨の辺りで呼吸が止まっている。

深く呼吸が出来ていない。

 

田畑さんが、左右上下4箇所に立つ。

どの場所にいる時、体が楽かを感じる。

→立つ場所によって体の感じ方が変化した。右側の頭部あたりにいる時が一番楽だった。

 

首を左右に動かし、どちらが楽かを観察する。

→左側はすんなり動くが、右側は途中で左首付け根が痛み、あまり向くことができない。

 

首を楽なところで止め、呼吸を意識する。

 

ここで、田畑さんが足の裏から膝、背中の裏、肘などを調整する。

 

この時の体の状態を観察する。

→強張っていた胸骨が緩んで、深く呼吸できる。

 

胸骨の傷から、背中の裏の間を観察する

→その瞬間、何かが熱くなって解け、流れ始めた。活性化し始めた。

足の裏、手のひら、胸骨、頭部、肘に、勢いよく血が流れ始めた。

体全体がポカポカしてきた。

胸骨の痛みは無く、とてもリラックスしている。呼吸も楽に深く出来ている。

 

首を左右に動かすと、右側がすんなりと動く。肩周りの力も抜けてきた。

 

膝を立てて、膝と肘を外側に広げる。この時に、空間を広げるイメージでとアドバイスを受ける→空間が広くなったのを感じた。視野が広がった。

 

マットに腰掛けて、骨盤を前に動かし、両足で支えながら胸郭にたっぷり息を吸う。→その後歩くと、左側の胸郭が広がった印象があった。筋肉を使っている感覚がある。胸骨の痛みも気にならない。

 

踵に重心が乗っている感じがして、安心する。足の裏全体が地面についている。

 

肩が楽。ずっとポカポカして、血が巡っているのを感じる。右肩、肘、手の指先までの血の流れが分かる。

 

【振り返って】

物の位置や場所によって、体の反応が変わるのが興味深かった。

普段まったく意識していなかった感覚が目覚めた。ピリピリすることもあった。

 

面白かったのは、途中から胃腸がぐるぐる動き出したこと。

 

首周りや肩がガチガチになっていた。

凝視する癖があることに気づいた。

そのせいで視野が狭くなっていた。

顔も外側に動かすことによって視野が広がった。首の可動域も広がった。

 

空気や空間を感じることを、これからも意識したい。

皮膚や体の感覚、センサーを働かせることが、虫の触覚を思い出させた。感じる能力を忘れないでいたい。

 

【セッション後】

数日間、昔痛めた右膝の半月板が再び痛くなった。

身体全体を意識することが出来る。

周りの空間を意識することが出来る。

首回り、肩に力が入るのが分かる。

左の胸郭を使っている感じがする。

胸骨の痛みが軽減した。

体が元気なのを感じる。

 

【最後に】

たった一度のセッションで、ここまで体に変化があるとは思いませんでした。

胸骨の痛みが減ったことは、本当に嬉しいことでした。他にも気付きが沢山ありました。ありがとうございました。

これから体がさらにどう変わっていくのか、次のセッションも楽しみです。

 

セッション2

〜テーマ 足〜

歩く→左足裏が地面に着いていない。

うつ伏せになり、首が楽な所で止める。

 

田畑さんが上下左右に立つ。

どう感じるか?

左頭 存在感がある

左足 少し押される感覚

真後ろ 楽

 

足に触る。

呼吸と重心はどうなっているか?

首が楽な左側を向き、左胸の下にボールを入れる。背骨が呼吸した時に振動しているのを感じる。→どんどん呼吸が深くなる。声も深く低い声に変わってくる。

 

普段、体の後ろ側を意識することが少ないので、知らない感覚・体の状態があった。背骨、坐骨の意識。膝の裏、足の裏。全部、この瞬間に等しく存在している。何か1つのことに集中しがちだが、同時多発的に色んな場所が感じていることがある。体の状態を観察しようとすると、視点が固まってしまうので動かしながら観察することが課題。

内側だけに集中するのではなく、周りの空気・空間を感じながら。外側と内側のバランスは同じように。

 

*外側にあるものを皮膚の中、体の内側に取り込む感じをイメージする→印象的だった。体の輪郭がハッキリしたように感じた。

 

田畑さんが胸骨・胃の下に手を入れる。重心を乗せる、手のひらに任せる。すると、胃がリラックスした。重さも自然に乗っかる。普段あまり意識しない部分。

固まったまま、力が入ったままの状態が多いのではないだろうか。

楽になると、呼吸も自然に入ってくる。

 

背中がフラット。

 

背中と表側との間を感じる。

段々足の裏まで意識が働いていく。

膝の裏側まで意識したことはない。

同じように背骨・坐骨までも意識したことがない。

 

足の裏までの道筋がはっきり分かるような感覚。

 

上半身に集中すると、足を忘れてしまう。忘れると足の指先が冷たくなる。

全身力が抜けていて、呼吸も深い。

胸骨、胃の下に手を入れた後、そこまで意識が働いてリラックスするので、呼吸も深くなる。途中から声が低くなった。これは、深くまで息を吸えて腹式呼吸が出来ている状態。

 

右腕・右胸を外側に押す。この時、肺をイメージする。心臓から来ると思って。

力いっぱい外側に広げる。しばらく続けると、肺が広がった。背中の筋肉も意識

血が巡り、ポカポカする。手汗。

 

交代。

 

さっきとは逆。

右側を向き、右胸にボール。

ぎこちなく、強張っている。

また足の裏から始める。

徐々にリラックスする。

外側の空間・空気を感じること。

 

途中から、リラックスし過ぎて眠くなる

。胃腸が動く。

左側の肺を広げる際、右側より広がらない。無意識のうちに心臓を守りたいのか

力をセーブしている。無理しなくて良いと言っていただく。左側の空間を広げるイメージを持つ。すると、肺も自然と広がった。左側の空間に対して体も開いた。

 

体が開いていく感覚が面白かった。

 

仰向けになり、両膝を立たせる。

足の裏と肘を感じること。首を左右に動かす。左側はスムーズ、右側が途中で右の首筋が痛くなる。

 

左側に頭を向け、楽な位置で止める。

 

天井を眺めながら、右側に立つ田畑さんの合図などを観察する。じっと見るのではなく、視界の外側を感じること。

この時、足裏、肘を軸として、視界の外側を観察すると、体が感知できる距離が広がったので驚いた。外側の空間を意識できると、視野が広がる。頭上の空間まで認識できる。

 

また、左右に動かす。右側に動かした時に痛みはなかった。そう答えると、痛みを探さないでと一言。あぁ、確かにと思った。痛みを何か悪いものとして捉えようとしていたのですが、そうではない。

体の反応に良いも悪いもないし、痛いからと言ってそれは悪いことではない。

わざわざ見つけようとしなくても良いし、体がどう感じるかだけ、シンプルに観察しようと思った。

 

その後、イスに座り坐骨を前に意識しながら、左右にスライドするような動き。

体と体が斜めの方向によく伸び、距離が感じられた。新しい体の中の距離だった

その後歩く。

 

左足裏が地面に着いている。

足の外枠がしっかりした。

足の指先まで、よく血が巡り、意識が行き届いている。術後、どうしても歩く事が減って、足の感覚が薄れている自覚はあった。軽快な歩み。

 

今日の発見は、体の新しい感覚・位置を知った事。知ってる事が増えた。自分の体の事を知っていく過程はとても面白い。背中、肺、周りの空間が開いた。

背中に意識が宿った。

 

【振り返って】

 

今日は、普段あまり意識しない背中の感覚に集中していたので、言葉に表せない事も多く、返答に困った時もあった。

表面に比べて感覚が鈍いのかと思ったが、単に普段意識していないだけで、いざ1つ1つ観察してみると、1つ1つにスポットライトが当たる感じがして、

感覚の地図が広がったようで、背中は広いと思った。

 

坐骨、背骨、肺、膝の裏、足の裏、肘、外側の空間・空気、呼吸、声。

多くの場所に意識を向けようとすると、頭がパンクしそうになる時があった。

各所、様々に感じることがある。その事が今回本当に良い発見となった。

 

肘の中の骨を楽にしてと仰ったと思うのですが、その瞬間骨がマットにゴロンと転がるイメージが思い浮かび、分かりやすかった。普段、骨もあまり意識しないのですが、肘の骨をリラックスすると、肘が本当に力が抜けた楽な状態になった。ポカポカと手汗が出るほど。。

 

【今回感じたこと】

 

田畑さんは、必要最低限の事しか仰らない。だからこそ、自分の体の声に耳をそばだてることが出来る。どう感じますか?と聞いてくれることによって、そのまま流してしまわないで、どう感じるかを言語化することも勉強になる。

 

全て自分がどう感じているかに委ねてくれる。

 

答えは探さなくて良い。正解はない。

 

【セッション後】

背中・胸郭が開いている。

足が地面に着いている。

視野が広がっている。

体が活性化している。

セッション3

 

【セッション前】

セッション②の後は、身体が元気で、足も地に着いている感覚があった。

当日は、外出が続き身体が疲労していた。鎖骨と胸骨と右首の付け根に痛みがある。首まわりが強張っていた。

 

【セッション当日】

歩く→首・鎖骨・胸骨の痛みが気になる。

 

両腕を真っ直ぐ伸ばし、上下に動かす。→これが未だに一番やりにくい動作。肩、鎖骨、胸骨が痛むので、上げづらい。右側が特に。右腕と左腕では違うもののよう。左腕はすんなり上がる。

今度は左右に広げた状態で、上下に。→右側はぎこちなく強張っている。骨が鳴る。上げると胸骨が痛むのではないかと心配になる。

 

台に移動。右側を下にして横になる。足・腕の下にボールを置く。田畑さんが頭頂部、足元などに立つ。身体がどう感じるか。→背面側足元が楽。初回より感じるスピードが早くなった。

 

台に体の右側の重さを乗せる。右側の肺も下に重みを感じる。鎖骨の付け根まで肺だと思って、とアドバイスを受ける。すると力が抜けた。→力が入っていたことに気付く。胸骨の力も抜けたことを感じる。

身体の内側に意識を向ける。お腹に集中して。それが出来たら外側を感じる。

坐骨も周り緩んで。観察する。台に重さを感じる。→右側側面が、台に重みを感じている。

鎖骨から背中の間、喉元から背中の間を観察する。→またビリビリと電気が走るような感覚があり、ポカポカと血流が良くなった。リラックスした。

 

頭頂部を触っていただく。→ジンワリ暖かくなる感じがしたと同時に、頭蓋骨が緩む感覚があった。今まで力を入れて固くしていたことに気付く。

 

額、眉間、眼球なども緩んで楽になった。頭上の空間も感じられるようになった。また、頭頂部がビリビリする感覚がある。頭頂部から首、背骨を通り、坐骨、足の指先まで長い距離に渡って意識が行き届いている。

足の指先に布地を当てる。→指先にまで意識が行き渡っている。だんだんリラックスしてきて、肩周りも楽になっていく。

 

今度は左側。

右側を向いている間も鎖骨と胸骨が痛かったが、左側の方が少し痛みが多い。右腕は内側ではなく外側の方が楽だったので、そうしてもらった。

同じように肺の重みを感じる。心臓が肺の上に乗っかって休んでいるのをイメージしてとアドバイスを受ける。→強張ってぎこちなかった身体がどんどんリラックスしていくのを感じた。心臓の位置を改めて確認でき、心臓そのものをリラックスさせることは新しい発見でした。落ち着きました。

 

また、胸骨と背中の間を観察する時に、心臓の裏側を感じてみて下さいと仰ったのが、目から鱗でした!

心臓の裏側を意識したのは初めてでしたが、改めて心臓の大きさ、幅、などを観察出来たのが嬉しかったです。リラックスしたので、肩周り、鎖骨、胸骨が緩み、リラックスしました。

 

頭頂部から足の指先まで、ちゃんと意識が繋がっている。長い距離を感じる事ができた。

その後、仰向けになる。呼吸はどうか?身体はどうか?ゆっくりと首を左右に動かす。→この時、右側の首が痛む。

目を閉じて、音を聴いて左右に動かす。すると不思議。痛みもなく、可動域も広がった。→視界が可動域を制限したり、体に力を入れているのかもしれない。

立ち上がり、歩く。腕の上げ下げ→最初よりも鎖骨、胸骨、首の痛みが減った。スムーズに行える。

 

【セッション後】

セッション後は、いつも血行が良く、元気になる。

今回は鎖骨、胸骨、首が痛い状態で体に色々な働きかけを行ったので、セッション中・直後は痛みが減少したのですが、帰り道と帰宅後に、特に首の痛みがマックスになりました。いつも安静にしていると治まっていたので、働きかけたからかなぁと思っていましたが、次の日に起きると、全く痛みはなくなっていました。昨日の痛みは、身体の中で色々調整をしていたからかもしれません。

 

改めて、身体の調整能力やバランスを整える力はすごいなぁと思いました。

 

ありがとうございました。また次のセッションも楽しみです。

セッション4

 

これまで、セッションを受けて変わってきたことは、身体が今どのような状態か気づけるようになったことです。

 

例えば、ハープの練習中に腕や肘に力を入れている、アンサンブルで歌うときに身体を固めている、普段の生活で口周りに力を入れている、など無意識のうちにしていることを意識できるようになりました。

また、ロルフィングを始める前は、ハープを30分も弾くと身体中が痛むので、練習を止めざるを得ませんでしたが、セッションを受けた次の日から、1時間以上弾けるようになりました。

身体が元気になり、活発に動けるようになって、気持ちも前向きになりました。

 

4回目のセッションを受けて思ったのは、身体の痛みや身体が感じていることを共有してくださる方が居ると安心するということです。

 

自分1人では気づけないことに意識を向けてくださる。そのおかげで初めて気づくことがあります。

今日は、足と坐骨周りがテーマでした。坐骨に重さを置いて、骨盤を意識します。そして”骨”にフォーカスしました。骨の大きさ、重さ、幅、長さなどを注意深く観察しました。( 実際に見えるわけではありませんが、人体模型を思い浮かべながら想像しました。)身体の中に骨があることを、改めて感じる時間でした。

骨盤周りを、だいぶ狭くしていたかな?と思いました。坐骨と恥骨、骨盤周りと膝までの間、膝から足の指先までの距離を観察します。すると、足の指先から骨盤までが繋がって、ジンジンする感覚がありました。

 

また、そうする中で首周りに力を入れていたので、田畑さんはすぐに気付いて力を抜けるように促して下さいました。「どうだろう?」「こうかな?」など、頭で考える癖がありますが、頭に手を置いて下さったので、リラックスできました。そして、話していると目が大きくなる癖もあるのですが、ただ単に目に力を入れているだけだと気付きました。力を抜く or 力を入れなければ良いと分かり、良い収穫になりました。

座って、腕の上げ下げをしました。とてもスムーズに動くので驚きました。(手術後、一番やりにくい動作なので)骨盤の位置が、自分としてはかなり前に感じましたが、安定感があります。腕を上げる時も、骨盤、足の踵を支えとして上下に引っ張り合うようにします。今まで腕は腕だけで動かしていました。下の支えがあると、何の痛みもなく動かすことが出来て嬉しかったです。身体は全部繋がって連動しているのだなと思いました。また、ハープを弾くときのアドバイスもいただきました。身体に力を入れてしまいがちですが、足の力が抜けて自由であること、前後の移動も骨盤から動かすこと、など、とても役に立つアドバイスでした。

 

【まとめ】

 

骨盤や周辺の骨が開いて緩んでいると、上半身が安心して乗っかることができる。上半身も開いて、呼吸も深くなる。足先まで意識が行き届いて、身体全体をしっかり支えることができる。(足首、膝、恥骨、骨盤周り、首周り、頭蓋骨、目、口周りに力を入れやすい。気をつける。)

 

今回も新しい気づきをありがとうございました。これからも、新しい発見を楽しみにしています。

セッション5

 

かなり身体がキツイ状態で受けたセッションでした。右半身が縮こまって、鎖骨は痛く、首はガチガチに固まっていたのですが、終わってみて楽になりました。

 

額の骨を緩めること、頭蓋骨を緩めること、目の周りを緩めること。最近、特に力を入れていたところだと思います。

 

私の都合でセッションの間隔が開いてしまったのですが、身体を意識する感覚を忘れてはならないなぁと思いました。意識を向ける時間、観察する時間を持とうと思います。

 

股関節を緩めること、またスペースを感じること。今日はこの ”スペースを感じること” が心に響きました。力を入れて、詰まって、強張っていた状態でした。力を抜いて空間、隙間、スペースがあること。そうすることで、足の指先まで意識が行き届くように思います。

 

大腿骨を感じる。ここも初めて意識したところです。

股間接が緩むことで、隙間が生まれて、自由になる。邪魔するものがない。スムーズに動きました。

両足で違う動き。片足は押す、片足は引き上げる。固まっていた部分に油が注ぐ感じ。

膝を立て、緩めつつ、首まわりと距離を感じる。観察する。首を左右に動かす。左側を向く際に、動き辛かったのがなくなりました。

 

足の感覚が戻って来ました。歩いてる時に、大腿骨、大腿筋、股関節周りを意識したことはあまりなかったように思います。ちゃんと意識が通って足の指先まで感覚があり、足の裏が地面にちゃんと着いているのを感じます。

 

そして今回も感じたことは、血の巡りがよくなり、身体が軽くなる。鎖骨の痛みが取れる。首まわりが楽。リラックス。呼吸が深くなる。周りの空間を感じることが出来る。

 

身体が生き返りました!ありがとうございました。

セッション6

背中を中心に

まず、重心を左足、右足と移動させる。

左足は楽、右足は胸骨がこわばる、引きつる、痛みを感じる。

うつ伏せになる。

肩、腕、肘、を触っていただく。だんだん緩んでくる。

胸骨、胸の辺りの重心を感じる。心臓、肺の重みも乗せる。だんだん緩んで脱力する。

緩んで、呼吸も深くなった。細部の筋肉を意識して働きかける。緩んでいく過程が、子供を寝かしつける時に似ていた。完全に寝つきそうになった。

背中がビックリしやすい事も分かった。とてもくすぐったく感じる。背中のそのような感覚もこのロルフィングを通して初めて知った。

足の裏、ふくらはぎにも触れていただき、ものすごく細かく筋肉に働きかけてくださるので、はじめて意識するような場所もあった。発見だった。

背中が生き返ったような感覚。肘を外に押す感覚で肺も広げる、と言うのが面白かった。肺が広がって、体の中のスペースも広がった。

肩周り、首、背中、頭がガチガチだったのが緩まった。

背中は普段なかなか意識しないので、体の感覚が敏感になったように思う。うつ伏せで視界がないことも手伝ったかもしれない。

座った時の背中を意識する。ゆっくりと目線を降ろす過程で、背骨も一本ずつ下げるイメージ。この時に心臓に痛みを感じる。(下の物を取ったり、しゃがんだりする時に痛みやすい)

前屈はせず、背骨の移動を感じる事にする。体の中の事を意識する。外側だけではなく、内側の微細な感覚は、ほんの少し動くだけで変わるのが面白かった。

背中がシュッと伸びて、上半身が引き上げられているのを感じる。同時に首の長さが伸びたような。背中が丸くなりがちだったのが、背筋が伸びて、視線と顔も少し上向きになった。

下を向く、かがむ際に、胸骨や心臓が痛むのを恐れて、キュッと体を硬くしていたことに気付いた。

 

【セッション後】

背中の感覚が、まったく変わりました。活性化して、ものすごく元気。以前は、横になっていないと動けない状態が多かったのですが、今はその逆で、長く寝ていられなくなりました。手術後の状態から、とても大きな変化でした。歌を歌う際にも、背中が働いてくれて、楽に歌えるようになりました。ロルフィングが、日々の生活の原動力になっています。ありがとうございます。

セッション7

首から上を中心に額の骨の力を抜く頭蓋骨の重みを感じる→頭を左にゆっくり倒していく。手のひらに預ける

 

*力を抜く過程で、今まで余計な力が入っていたことに気付く

 

目を閉じて眼球の力を抜く目が楽に出来るところを探す頭と額に手をあててもらう→緩む

 

*頭の面積が広がった。額、眼球が楽。

 

首を左右に動かす。動きやすくなった。目が開きやすい。

 

口腔内の空間→上顎の重みを感じる→下顎の重みを感じる顎の重み。はじめての感覚でした。

 

鼻腔内、軟口蓋→鼻周りがスッキリした。目がぱかっと開く。食道、気管と繋がっている。頭の空間の広がりも感じる。

 

*全身が繋がってるのを感じた。

 

足を立てる片足ずつ、外側に。重みを載せていく。股関節の付け根から首まで繋がっているのを感じた。股関節もリラックスした。

 

骨盤の位置尾てい骨を感じる→いつもの場所より、もっと上。背骨が伸びて、胸郭の位置も変わったが、落ち着いてバランスが取れている。

 

*視界が広がって、色んな方向に意識を向けることができた。

 

【まとめ】

 

頭蓋骨に力を入れていると、狭くなる。緩めてあげると広くなって楽。余計な力が入っていないと、スペースができて色んなことに気付けるようになる。

 

口の中の空間が広がった。特に上顎周辺が柔らかくなった→力が入っていた。

 

鼻の通り、特に息の通り方が良くなった。歌う時の声の通り方もスムーズに。体との繋がりを意識出来たからかもしれない。

 

骨盤の位置が後ろ過ぎている。もう少し前に、中心を意識する。背筋が伸びて、ぐんと上に向かう感じが有る。歩く時もシャキッとして、良い感じに。

 

【感想】

セッションの途中で、頭をぶつけた事はありますか?と尋ねられた。自分で思っている以上に、ぶつけた記憶を覚えていることに驚く。古くは小学生の頃から、最近のことまで頭をぶつけたシーンがザーッと蘇った。体は、経験したことは忘れずに、ちゃんと記憶して、情報として体の中にある。普段の生活でも無意識のうちに、前にぶつけたようなシチュエーションがあれば、それを避けてくれる。それでも懲りずに頭をぶつける私は、頭蓋骨や眼球、顎、首まわりなどに力を入れているから視界が狭く、周囲に意識を向けられていないと気がついた。これからは余計な力を抜いて、体の声を聞いて、電信柱や看板に頭をぶつけることが無いようにしたいと思う。

 

また、慣れないパソコン仕事を始めた直後だったので、眼球や額や頭蓋骨に相当力を入れていたことに気がついた。完全に力を抜いてみて初めて気づくこともある。ふだん無意識に力を入れていることに、もっと気がつくようにしたい。

 

今日も新しい気づきと、リラックスできる時間をありがとうございました。

セッション8

仰向けになる。背中がベッドにくっついてるか観察する

→最初は固くこわばっていた体がだんだん緩んで来て、背中がベッドにくっついてくる。

片方の足を立てる。首を動かして楽な所で止める。鼠径部の下を流れる血管を感じる。

 

→段々と鼠径部周辺が緩んでくる。外側に倒して重さをかけていく。

 

すると、足の裏・手のひら・体がポカポカして、お腹がグルグル動き出した。鼠径部周辺を緩めたことで、何かが反応したのだろうか。面白かった。

 

反対側も同様に。眼球の重さを感じる。額の骨、頭蓋骨の重さも感じる。

 

→目に力を入れていた。視線が落ち着く場所を探す。見ていて楽な場所をボーッと眺める。

 

片方の足をベッドから降ろし、足の裏に重みを感じる。膝と鼠径部の二箇所から、足のつま先側に向かって矢印を出す(ような意識)。膝と鼠径部の間は楽にする。

 

→鼠径部の内側から膝に向かってビヨーンと伸びたように感じた。距離が長く感じられた。膝の感覚を意識するのは久しぶりだった。逆の足は胸の方に寄せて、双方逆方向にスライドさせる。

 

→足の指先から鼠径部まで、まっすぐにつながった感覚。逆も同様に。

 

途中、鎖骨と背中の間を感じる、胸骨と背中の間を感じる。

 

→力が抜けて血が通った感じ。楽になった。

 

ベッドに腰掛けて、足と足の間に少しスペースを空けて座る。田畑さんが、この辺りはどうですか?と右足を調整してくれる。自分にとって右足が左足と平行ではなく、ちょっと右に逸れていると感じた。いつもの自分の癖でその位置が良いと思っていたけれど、調整してくれた位置はバランスが良かった。いつも同じ場所に落ち着かせていることを発見した。

 

そのままの状態から、上半身を前方に倒す。この時、尾骶骨と丹田の間ぐらいを意識。バランスの中心を探す→私の場合、中心の場所を思っているよりも少し前にすると、ちょうど真ん中ぐらいになる。

 

→普段使っていない背中や腰あたりの筋肉を使っている。上半身を少し引き上げている感覚がある。

 

上半身を戻す時に、両膝を前方に押しながら戻る→前後に同じだけのエネルギーが働き、足先から頭のてっぺんまで一本に繋がっている感じがする。いつも上半身の力だけでやっていた。下半身とバラバラになっていた。一本に繋がっていると少しの力で動ける気がする。

 

歩く。この時、はっきりとセッション前とは違うのを実感。まず、足と頭が一本に繋がっているので、少しの力と歩幅で前に進める。鼠径部の辺りが活性化して働いてくれている感じ。いつもバタバタとガニ股?のように歩いていたが、スッスッと歩けたので驚いた。最近、首ギックリになってぎこちなかった首回りも、スムーズに動かせるようになった。

 

また次回も楽しみにしています。

セッション9

*歩く。

どんな状態か?・合わない靴を履いて足や全身が痛い・慣れないパソコン作業で首周りや肩、鎖骨が浮き上がった感覚があり、痛む

*台の上に仰向けになる左の肩の下にボールを入れて、右側に上体を傾ける。右足を膝立てる

 

心臓手術後は胸骨が痛むので、仰向けにしか寝られなかったのですが、未だに上半身を捻る時は左側が痛みます。

 

*田畑さんが色んな箇所に立ち、身体がどう感じるかを観察する

 

圧迫感を感じる所と、楽な所と楽な所に立ち、体の状態を観察する

 

起こった変化・足裏、手などがポカポカ暖かくなる・力が抜けて、台に重みを乗せられる・呼吸が深くなる 等

 

*田畑さんが、脹脛や膝などを調整・まっすぐ伸びた感覚・緩んだ

 

その状態で、また身体を観察する・背面や背骨が台により重みを乗せている・瞼が重くなった。瞼を閉じて、目を休める・左首から肩にかけて、つっぱっている感じがする

 

*田畑さんが、先ほど圧迫感を感じた場所に移動する

 

・圧迫感を感じない・非常にリラックスしている・腰周り、太腿の裏などがしっかり台に着いている・胸骨の痛みが無くなった・頭に血が通ったイメージ、スッキリした

 

*右膝を伸ばして、左肩の下のボールを外す

 

・左側の首がシュッと伸びている・右側の首周り、頭が太い感じ・右脚がシュッと長くなった・右脚の太腿、膝、脹脛の裏がしっかり台に着く・左半身と右半身が、真ん中で2つに分かれて別物のよう

 

*今度は反対。右肩下にボールを入れて、左膝を立てる。同じように圧迫感を感じない場所に田畑さんが立つ。

 

・圧迫感の感じ方が違った・呼吸が深くなっていく・脚が緩み、伸びる・目を休めたら、途中からパッと瞼が軽くなって頭がスッキリした・眉間の力が抜けた・手足と言わず、全身がポカポカした

 

*肋骨周り、胸骨に触れて、観察する

 

・肋骨の動きを意識できた・胸骨の痛む部分、ほとんど感じなくなったが、触れた後に時折痛みがあった・深い呼吸が出来ていた・喉が疲れていることに気付いた

 

*上体を起こして座る、首を動かして観察

 

・若干フラッとする・首を左右に動かしても、胸骨には痛みもなかった

 

*歩く

 

・セッション前と比べて、一番大きかった変化は、脚がシャンと伸びてしっかり歩けたことです。少し脚が伸びたような感覚。

 

・胸骨の痛みは全く感じなかった・鎖骨は浮き上がっている感じはあるが、痛みは無くなった

 

*まとめ

 

今回のセッションを受けている間に改めて思ったのは、ロルフィングは体と対話する時間だなと言うことでした。体の声に集中できます。今回は、左下の歯茎が痛いからそろそろ歯医者に行け、と言う声が聞こえてきました。あとは、喉が疲れていること、目が疲れていることに気付けたのが良かったです。

 

セッション10回目

【セッション前】

私の都合で、前回のセッションから一カ月半近く経ってしまいました。

その間、疲労が蓄積して身体が重く、足が地に着いていない感じがありました。

 

【セッション】

*マットの上に、うつ伏せになる。

 

左脚の脹脛の後ろを触っていただく。

足の指先まで意識が届いているか?

→段々と呼吸が深くなって、足の指先まで意識が行き届いていく。繋がっている感覚。この時、だんだんと身体がポカポカしてくる。特に手のひらと足の裏。

 

左肘を曲げて、意識が届いているか?

左肘、左肩を中心に触っていただく。

→肩周り、背中がどんどん暖かくなる。

 

尾てい骨を意識する。

→左の手のひら、肘、肩、背中を通って、尾てい骨、脹脛、指先まで、一本に繋がった。血流が良くなり、滞りなく流れている感覚でした。体温は上昇、だんだん眠くなってくるぐらい、身体の力が抜け、全身の重みがマットに乗っかっているイメージ。呼吸も深い。

 

*反対側。

 

今度は右側だが、首を右に傾けると首筋と右胸辺りが強張る感じがしたので、クッションを挟んでいただいた。

 

右脚に意識を向けると、左脚よりも意識が行き届くスピードが遅い。なかなか指先まで行かない。何度か脹脛を触っていただき、ようやく通る。

 

右肘、右肩。こちらも触っていただくと→すぐにポカポカしてくる。呼吸も深く、力が抜けていく。またしても寝そうになるぐらいリラックスしている。

 

右側の尾てい骨を感じながら、右肘、右肩、右背中、右尾てい骨、右脹脛、右足首、指先まで一本に繋がるイメージ。

→やはり、左側より意識が繋がるまでに時間がかかる。

 

☆肘、肩、背中を触っていただいてる時、滞っていた血流が勢いよく流れ出し、ものすごく軽くなった。

 

*仰向けになる。

 

鎖骨から肩、肘まで意識を通す。→強張っていた鎖骨周辺が段々緩んでいくのが分かった。

 

鎖骨と、背中の裏側が縦に繋がるのを感じて、心臓の重みが下にあることを意識する→無意識のうちに緊張していた、心臓周辺が段々と解れてくる。呼吸も深くなった。

 

*起き上がり、マットに座る。

 

この時、両膝が平行になるようにする。

そして、肘を上げ下げする。この時、座骨からスタートして、段々背骨が上がってくるのを意識する。→またしても、自然と背骨が曲がってしまうので、もう少し座骨を引き上げるイメージにすると、プラス何ミリか背骨が伸びる気がする。

この時、ちゃんと呼吸をする。

 

*立ち上がって、右手を壁に触れ、顔は正面を向いたまま、上半身だけ左斜め前に移動させる。→これが中々難しい。首と一緒にスライドしてしまいそうになるが、首と上半身は別の方向を向く。

 

反対側も同じことをする。こちらも、同じ様にそれぞれ別方向にスライドさせる。田畑さんが腰をしっかり支えてくれないと、自分1人では中々難しい。

 

→不思議と、中心軸がすっと通り、右と左のバランスが取りやすくなった。

 

*歩いてみる

 

一番変化したのは、脚の感覚。靴底が浅い靴を履いて疲労していたのが、すっと軽くなった。足が地にしっかりと着いて、小幅でもどんどん前に進んでいく。

 

背筋もピンと伸びて、身体も軽く楽になった。ポカポカ血流が良くなって、身体が活性化した。

 

身体全体が一本に繋がっている感覚でした。

 

【セッションを終えて】

次の日、目が覚めてみると、何だか足が伸びて、背が高くなった気がしました。思った以上に疲労していたこと、地に足が着いていなかったことを再確認しました。歩いていて足取りが軽くて嬉しくなりました。

 

【10回セッションを終えて】

心臓手術を終えて、入院中はリハビリの時間がありましたが、退院後は特にありませんので、自分で何とかしなければなりません。でも、自分だけでは限界を感じていた時に、これだ!と思ったのがロルフィングでした。

 

一番始めのセッションで「胸骨と背中の間を感じて下さい」と言われた瞬間に、ビリビリして、血流が勢いよく流れ出したのを感じた時から、身体が元気に、良い方向に回復し始めました。

 

時には、セッションを受けた後に、首の痛みが最高潮に痛くなったりもしましたが、次の日にはさっぱり痛みが消え去っていたりと、本当に身体の反応と言うのは面白い!と思いました。

 

身体の状態を観察できたことは、貴重な体験だったと思います。こんな感覚があるんだ、こんな場所があるんだ、身体って広いな、でも細かいな〜と思ったりもしました。そんな感覚を知れたことも本当に嬉しかったです。身体と対話する時間をありがとうございました。

 

これからも、時折通わせて頂きたいと思っています。

 

さらに9ヶ月経過して

ロルフィング10回シリーズを終えて、9ヶ月が経ちました。その後の様子を報告いたします。

 

セッションを終えて・身体がとても元気になった。

・たくさん動けるようになった。

・行動的&活動的になった。

・ハープや歌の練習ができるようになった。

・疲れている、休みたいと言う身体の声に従えるようになった。

・身体がNOと言っていることをすると、すぐに反応が出るようになった。

 

1番大きな変化は、身体の声に従えるようになったことです。身体がNOと言うことをすると、熱が出たり、起きれなくなりました。身体にすぐ反応が出るようになったのです。身体が嫌がる事はせず、身体を優先しようと思うようになりました。

ロルフィングを受けたことで、どういう状態がゼロであるかを知れたのが良かったです。

脱力して、無理のない時、身体はどんな状態なのか。身体の基本が分かりました。また、人や物との距離の取り方を感じとれるようになったことは、非常に良かったです。

人や物がいる又はある位置によって、身体が感じる圧迫感や不快感が変わってきます。身体が楽なところにいられるように心がけようと思っています。

胸骨の痛みは、まだありますけれども、痛む時の対処法をセッションの中で教わりましたので、生活の中に取り入れています。(胸骨と背中の間を感じる、など)まだ時々身体に無理をさせて熱を出したりしていますが(実は昨日も)、もっと身体を大切にしたいと思います。

これからも、時々通わせていただきます。ありがとうございました。

 

様々な治療法を受けた方

セッション1

田畑さんのロルフィングは非常に繊細なタッチで、触っているか触らないか微妙な感じの時もあり、痛みとはほど遠かった。

それでいて、身体がとても楽になって、呼吸も深くなった。

(一回目は呼吸に焦点をあてた。)

 

ちょうど、数日前、整体を習っている友人が、痛いのはいいのだと整体の先生から教わっていると言って、

とても痛い施術をしてくれたばかりだったので、とても助かった。(その時の痛みは2週間も尾を引いた。)

 

はっきり言って、痛いのが効くという施術者は、田畑さんの効果的な施術を受けた後では、

なにかヒーリングをするのとは別の要求が隠されているのではないかと思ってしまった。

痛いと、肉体的だけでなく、精神的な苦痛もおこる。

もし、誰かが以前に整体というのではなく、DVなどの体験を受けていたとしたら、逆にその嫌な体験を思い起こさせてしまっていたのではないかとも思った。

物質的な力を、施術者という権威によって正当化するけれども、それが、相手とのヒエラルキーに立って、相手の身体や精神的な反応を一方的に無視するようであれば、なにか違うのではないか、、、。

 

こんな風に思えたのも、田畑さんが、施術をしながら、私の身体の反応をよく見ているのがわかるからである。

触っては一呼吸置いて、ある反応が起きるのを待ち、無理はせず、まるで私の身体と対話しているようで、そこでは、

対話と調和があり、ヒエラルキーや正当化のような無言の力関係を感じなかった。

 

また、反応を待ち、時間をおいてから、次のステップに進むという作業には、私自身も、自分の身体の反応の意味や

感覚を感じ取る時間を与えてくれる。自分が自分の身体と対話し、考え、感じる時間である。

 

特に貴重だと思ったのは、その部分で、とても痛い施術を一方的に、何も私の身体の反応を待たずに次々とされた場合、

自分で考え、感じるという作業が痛みのために麻痺して、凍り付いてしまい、なにか暴力めいた感じさえ受けてしまうからだ。

 

一時的に痛みを起こす施術でも、それが対話のうちであり、自分と施術者に、その反応について考える時間を与える場合は

違うと思う。自分は尊重されていると感じるし、痛みをある程度、解読できる。

身体の痛みが、ある精神的なストレスや、抑圧し、忘れていたストレスを思い出すきっかけとなってくれることがある。

心と体は繋がっているのだ。

 

何が問題で、何を自分は手放さなければならないのか、、、。

何が痛みを引き起こしているのか。

その鍵を、たとえ痛みであっても、反応を味わう時間を与えられていることで考え、施術者との信頼関係のうちに、

良い方向にかえることができたりもする。

 

自分の身体を通して、自分自身を知ることはとても大切なことだと思う。

自分は最終的には自分でしか変えられないのだから。

 

第一回目は呼吸についてだったが、自分がいかに今まで身体を緊張させて、浅い呼吸でいたのか、施術を受けたあとの状態と

比較して痛感した。

そして、深い呼吸ができるようになった自分でいると、いかに精神的にも安定して、リラックスして世界に向き合えるように

なるのか気づいた。

すると、人や世界に対する見方や感じ方が変わる。

驚きの瞬間だ。

 

だが、いつもの日常生活に戻ると、この新しい私、深い呼吸で、堂々と話し、自分に自信と誇りを漲らせて話す私に人々はどう

反応するのかと不安になりだす。

いつもの、弱弱しく、頼りなさそうに話す、ある意味、”扱いやすい”人から、自分の思っていることを堂々と言う私を

周囲の人々は受け入れるだろうか、、という疑念が頭をもたげだす。

逆に言うと、呼吸が深くなり、落ち着いて、胸も張って、身体の重心も良い位置に変わるということが、どれだけ、自分を尊重し、

自分を愛し、ありのままの自分でいて、人の言いなりではなく、自分の意見をはっきりと言いたいと思わせるまでに

自分の生きるあり方を変えてしまうということは驚くべきことだった。

自分が深い呼吸で、深い声で話したとき、長年抑圧されてきた素直な自分でいたいという欲求が現れたり、

自分のもっと自然な姿のありようや美しさや心地よさに自分自身で感動し始めた。

そして、いったん気づくと、もう後戻りしたくないという気持でいっぱいになった。

 

過去の自分との闘いによって、第一回目の施術の成果も変わってくる。

その成果をどのくらい維持したいかは、自分の過去の人間関係や生活をどのように変え、あるいは抜け出したいかということでもあった。

私の場合、特殊な事情により、第一回目の施術と、二回目との間が空いたので、闘いと、表現してしまうほど、いろいろな観察ができたのだろうと思う。

身体の在り方が変わると、気持ちの持ちようや自分の自尊心まで変わる。本当の自分が素直に表現されるような環境、人間関係、生き方まで求めたいという強い欲求にまで高まる。これに気づいたのは驚きだった。

セッション2

 

ロルフィングの第二回目は、不思議なことに、自分を皮膚で囲まれた肉体という気がしなかった。

量子の集まりで、エネルギーの磁場のような感覚。

その感覚を常に感じていた。

あまりにも、不思議で、なぜ、そのような感覚が自分に訪れたのかはわからない。

その為に、肉体を持った自我という観念も変容をきたしつつあった。

その不思議な感覚を味わっているうちに、なぜ、人は、あるいは自分は過去にとらわれ、過去によって

自分を定義し、あるいは社会的役割などによって、自分はこうだと思うのだろうという疑問が湧いてきた。

私が今、感じているのは、ただの量子のあつまりである。そして、瞬間、瞬間、その量子が引きあい、磁場をつくっているような感じ。

そこには、自分がこうだとか思って定義し、区切ったり、過去について、あれこれ判断し、価値づけしている自分とは違うものである。

この純粋なエネルギーの磁場にある、自由、解放感、そして瞬間に完全にあり、完全に生きるということを味わってみる。

あらゆる価値判断をいったんやめてみる。

なぜ、自分は今までいろんなことにとらわれていたのだろう。私にはもっと自由があるのだ、その瞬間、瞬間、新しい選択をできるのだ。

そんな思いが溢れ出てきた。

そして、セッションの最後には、息をすることが、まるで宇宙の一部であり、宇宙の循環の一つであるような気がした。

なにか、自分と宇宙の大きなつながりを感じたのだ。地球と調和し、宇宙と調和し、調和の中で循環している。

息をすることが、こんなに味わい分かかったのかと思った。

 

このような不思議な体験に驚いていたが、セッションが終わって、日常生活に浸るどっぷりの毎日がくると、感覚は少しづつ薄れてしまう。

 

ピアノの先生に、重心を低くして、もっとたっぷり深く息をして、腕や身体の重さを感じて、腕を引き上げないで、腕の重さで弾きなさいと言われた。

セッションの中で感じた肉体の重さや息の深さが、なかなか日常生活では再現できない。

でも、少なくとも、感じたことがあるというのは救いだ。

ロルフィングを受ける前はピアノの先生が言っていることが、全くつかめなかったからだ。

どうしたら、セッションで感じたことを維持できるのだろうか、と思った。

セッション3

私は足の怪我で、何か月もサポーターをしたり、インソールを入れたりしていたために、

それらを外すと、今度は歩き方に癖が出来てしまい、別なところに痛みがでていた。

 

それで、今回は、その痛みがあると、田畑さんに伝えたのと、首と背中に痛みがあることも伝えた。

 

首と背中に痛みがあるのだから、原因はそこだと思い込んでいたが、田畑さんが腕や指を施術すると、

急に痛みが緩和した。

考えてみれば、腕も、ぶら下がっているわけだし、腕の位置や緊張や疲労によって、

背中に痛みが生じたりしてもおかしくないなあと改めて思った。

 

ロルフィングの施術を受けると、だんだん、身体を一つの有機体のように思えてきて、今まで身体を一つ一つの

部位に応じて、ばらばらに考えていたものが、思考の中でも統合されてくる。

自分の身体に関する感じ方や考え方が少しずつ修正されていく。

今は、とても長い道のりのように感じるが、少しずつでも、進んでいるという感覚を大切にしていきたいと思う。

 

ロルフィングは、触っているような、触れていないような感覚で、それで変化が起こるのだから、施術を受けている

私としてはとても不思議だ。一体、何がおこっているのかは、理解ができないのだが、変化している自分を発見する。

それは、自分の、肉体に関する感じ方や捉え方が、まだ偏っていて、硬直しているせいだろう。

自分の意識が捉えている以上の、もっと多くのことを本来、肉体は感じているのだということだ。だからこそ変化する。

 

こう思うと、今までやった整体とか、つぼを押す小道具などを買ったりしたことは、なにか目に見える形で、押しているとか、

押されているとか、そう確かめることで良くなるだろうと推測し、安心感を得ようとしていたのかもしれない。

どちらかというと、頭でなにかの感情を引き出そうとしていたことが多かったかもしれない。

身体に感じさせないで、どちらかというと、ちまたの「これは効く」という情報を頼りに、その情報どおりやったのだから、

効くはずだという、頭で答えを引き出していたように思う。

 

頭でっかちになり、身体の微妙な反応を感じることを忘れていたために、ロルフィングの、触るか触らないかよくわからないタッチで、

こうも身体に変化が起きることに衝撃を受けた。もっと、自分のいろいろな感覚に根差して、生きることができるのだなと思った。

 

田畑さんは、毎回,ゆだねるということを身体に教えてくれる。でも、ロルフィングが終わって、次の日になり、日常生活に追われると、

また前の癖に戻り、ゆだねるという感覚を忘れてしまっている。これが、どうにかして身につくといいなと思う。

いつも施術の直後で、ゆだねることを感じると、すごく精神的に落ち着いている。

これが、いつもできると、きっと、もっと精神的にゆとりをもって生活できるのだろうと思う。

セッション4

 

今回は、骨盤や骨盤底筋などだった。

セッションを受けた後の写真を見たら、背がのびていた。

いろいろ、身体の変化があったせいか、数日間の間は疲れが出た。

でも、数日たつと、今まで、なかなか習得できなかった「ゆだねる」という感覚が、

ずっと楽にできるようになった。

例えば、立っていても、地面にゆだねているという感覚を味わえるようになってきた。

立つということも、「味わえる」のだという、なにか、もっと慈しみもあって深い気持ちなのだということが

だんだんわかってきて、感動した。

 

ゆだねることができるというのは、安心感があることでもあり、また地面からの愛も感じることである。

自分を受け止めてもらっているという感覚。

 

普段は、旅行で大自然の中にでも行かない限り、滅多に感じないことが、

なぜか、普段の生活で少しずつではあるが、感じられるようになってきている。

車や満員電車や高層ビルに囲まれた地域であっても、ただ立つことに味わい始めれば、そのような風景は消えて、

ただ地球からの愛を感じる。

そして、いつのまにか、有難うといっている自分がある。

 

身体をつきつめていくと、実は大きな愛や、感謝の気持ちにたどりつくのだと気づき、なんだか不思議な気持ちだ。

自分が、今までよりもっと、精神的に落ち着いて、豊かに生活できるようになった気がする。

セッション5

いつも驚かされるのが、身体のある場所を施術してもらっているときに、身体の違う場所に反応が出ることだ。

そして思いもがけない反応が、自分のこれまでの生き方を振り返り、考えさせる結果を導くこともある。

今回は、骨盤を施術しているときに、喉が反応して、声を出したら、普段と違う声になっていた。

身体の深くから出ているような声で、声帯の使い方も素直な感じだった。

逆に、その声で、自分の声帯の使い方が今までなにかおかしかったと感じたのだ。

今まで、自分を閉じ込めて、軽い話し方だったのが、なにか本能的な欲求が芽生え、本来の自分の話し声を

取り戻したいと訴えているかのようだった。

自分の本当のIdentityを取り戻したいというような、、、、。

上手く言えないけれども、とても本源的な欲求や、自己表現への欲求、自意識と自尊心の高まりが沸き上がってきた。

おなかのあたりに、今まで感情をため込んでいたのか、、、、。

その驚きは、感謝と喜びに変わっていった。

新しい、再生した自分を楽しみたいと思った。

施術の当日は、その後も数時間は、その声を維持していたと思う。

だが、休みに入ると、またもとの声に戻っていった。

 

今は、あの時の再生した自分の声を出そうと努力しない限り、なかなか出せない。

努力して出してみたところで、やっぱり、施術の時とは違うなという感じだ。

身体の動かし方で、なにか思い出さなくてはいけないことがあるんだけど、思い出せないというような、、、。

身体が思い出していないというか、、、。

次回を頑張ろうと思う。

セッション6

 

今回は施術中に、丹田が急に意識できるようになった。

なぜ、そうなったのかはよくわからないが、丹田を意識できるようになると、自分の内なる力強さを感じられたり、自尊の念が生まれてきた。

 

日本の武道などをやっている人は丹田に集中したり、気を込めたりするようだが、確かに、丹田に意識が向けられると、今までよりずっと集中できて、雑念が減り、気が澄んできて、自分の力がみなぎってくるように感じた。

 

もっと、生きていることに対して意識的であり、また自分で自分の瞬間、瞬間の生き様を選択しているように感じた。今までの、日常生活に忙しくて流されがちの自分とは違う自分が出てきた。

 

なぜ、どのようにロルフィングの施術が、丹田と関係したのかは自分ではわからない。

でも、結果として、意識できるようになり、その後の一週間は、自分の人生が実際においても少しずつ変化してきた。

そして、周りの期待や評価に振り回されずに、自分がどうありたいのかという、自分の内面からの声に傾け、自分を尊重する余裕が少しずつ出てきた。

 

自分を本当の意味で愛することに一歩近づいたように感じた。

セッション7

 

 

今回は顎など顔の部分を中心に、胸の丹田のところもやってもらった。

初めて、胸にも丹田と言われるポイントがあることを知った。

施術を通して、少し意識できるようになった。以前はいつも人の感情に引き摺られたり、人の気持ちを優先しすぎて、結果的に自分を見失って疲れてしまったり、空虚さが伴うことも多々あった。

だが、今は胸の丹田を感じていると、自分がどうしたいか、どう望んでいるかが段々わかり、人前でもおどおどしなくなったり、人の言いなりにならずに、自分の尊厳を守れるようになったと思う。そして、以前より、自分の気持ちを大切にして人に伝えたり表現したりして、その結果、自分が生きていることの意味や充実感が感じられるようになった。身体が変わると、気持ちの感じ方や、人とのあり方まで影響があるのだと思い、とても驚いた。

 

施術中の話に戻るが、胸の丹田が開くと、自己表現や自尊心や自己主張の気持ちが高まるのか、喉や顔の部分が、身体の内部から変わりたいと訴えているようで、今まで力が入り過ぎたり固まっていた部分が解放されたい身体が話しているように感じた。まさに、身体には、身体の内なる声があるという感じで不思議だった。施術中、身体が自発的に動こうとしていたり、望んでいるのを感じた。

セッション8

 

なにか、目のあたりが詰まっているように以前から感じていたのだが、足の施術をしてもらったときに、その滞りが消えた。

その時に、昔、ショッキングな出来事を見たりして、足がすくむ思いをしたことや、そのほか、思い出して精神的な苦痛を避けるために行動をさけていたことなどが、心の痛みを足に転移させていたことに気づいた。

そして、逆に、足の滞りがなくなったら、見ることで経験した心の苦痛が軽くなったという不思議な体験をした。考えてみたら、日本語は、かなり、どう人間が感情をため込みやすいかを表現する言葉がいくつもある。 ”足がすくむような思い”とか、”肩の荷がおりる”など、、、。実際に、身体がある感情を象徴的に表すことの可能性を示してもくれている。

そして、今回、足の施術を通じて、見ることのストレスが減り、以前よりももっと楽しんで風景を見たり、味わったりできるようになった。 人間は、不思議なもので、あるショッキングな経験をすると、また見るかも、また経験をするかもと、その不安にとらわれ、無意識的に行動が制限されたり、その苦痛な経験の思い出をひきずり、頭の反芻してしまうのだ。その結果、感情や感受性がだんだん平板になってしまう。 今回の施術では、足元がしっかりして、大地を味わえるもっとようになったことで、安心感が生まれ、自分がもう過去にとらわれずにしっかりと今を見つめ、今を味わい、楽しんで生きていけるのだという気持に変化したのだろうと思う。

以前のような、目のかすみや、目の疲れが減った。

精神的なものが、いかに身体に影響しているのかを目の当たりにして驚いた。

セッション9

 

9回目は、かなり足の部分をやり、身体全体と足との有機的なつながりが自分でもよく感じられるようになった。

そして、地面と繋がっている感覚や守られている感覚が強まった。

感想を書いているのは施術を受けた6日後だが、今でも、しっかりと歩いている感覚はある。

もっと、正確に言うと、この6日間の間にいろいろなことが起き、自分のやっていることに自信が持てるような出来事があって、

それとともに身体感覚が深まった感じだ。

うまく、精神的な状況と、肉体的な改善とが結びつき、両方で相乗効果をもたらしたのだろう。

思えば、最初の1回目を受けたときは、10回のコースとは随分多いと思ったものだが、途中では、今度は10回で足りるだろうかと

不安になり、でも今では、10回で自分でやっていこうというような勇気や明るい気持ちが生まれ、ちょうどいい回数だった気がする。

身体が解放されていくなかで、いろいろなトラウマや思い込みから解放され、それが、いろいろな生活の出来事に繋がり、自分の中に自信が生まれ、そしてさらなる自信を生み出す状況をもたらし、身体の解放をうまい具合に維持や強化する方向にいってくれたのだろう。

ストレートネックで、時々首の調子が悪くなるのだが、今までは他の問題が中心にあり、言ってこなかったので、最後の回で見てもらえればなと思う。

セッション10

 

今回は最後の10回目だった。

この10回目が、一番変化が大きかったと感じた。今回は骨盤にかなり働きかけた。

 

自分が気づかなかった幼少の頃のトラウマが蘇り、その時の風景が蘇り、そして消えていった。

自分でも、なぜそんな昔のことを思い出したのだろうと思うくらい不思議だった。 風景が浮かび上がったとき、それはもう過去の自分であり、今の大人の自分は、自分で自分を守ることもできるし、そのような暴力に遭うこともないのだとはっきりと言い聞かせたら、自分の身体に対する尊厳の感覚が芽生え始めた。 とても不思議な感じだった。 いつのまにか無意識のうちで、なにかいつも暴力にさらされているというか、自分の身体が自分のものではなく、他人の影響や支配を受け、侵害されるような感覚、自分の尊厳を失わされる場であるという感覚を、そのような環境から離れた今でも、無意識のうちにひきずっていたようだった。 そのおかげで、自分が自分の身体に違和感や拒否感覚があり、自分の心が上手く自分の身体に繋がっていないというか、自分の身体は、自分の心にとって安心な住処であるという感じがしていなかったようだった。

 

それが、骨盤に働きかけられたことで、浮かび上がり、今の自分と対峙することで、そうした古い思いを手放すことができた。 そして、自分の尊厳を自分の身体を通して知ること、自分の身体は魂の神聖な住まいであり、そのような意味で絶対的な美しさを持っているのだなと思った。

自分の身体を、純粋に、かけがえのない存在として美しいと思えた瞬間だった。

すると、自分の身体に充実感も覚え、ただ生きていて楽しいと心から思えた。

 

今は、この神聖な感情を大切にし、もっともっと育んでいきたいと思った。

 

シリーズ終了後半年経過

ロルフィングを受けて、月日が経ち、一番役に立ったと思われるのは、その考え方に接し、学べたことだったように思う。

自分の身体は、大地も同じように自分を支えてくれていることを味わったり、それを通じて、安心感を得たり、いろいろなことに目を見開かれ、大地が与えてくれる慈愛を感じ、味わうようになったというか、、、。

もっと、自分が大きなものに抱かれているような感覚を持つようになったことだろう。

このことには、とても感謝している。

 

身体のある部分に痛みがあり、それだけを治そうとしていても、また治そうと期待しても、人生は思い通りにはいかない。

誰かにやってもらえば治るのではないかと、医者を探し、お金をかけ、人によっては治療費のお金を稼ぐのに翻弄され、いつの間にか、お金を稼ぐ人生と、いろいろな医院を探す人生に明け暮れる人生に転落し、お金=生き延びる、みたいな、本当の人生の意味がわからなくなってしまうこともある。

 

人生は喜びを味わうために生きているのに、そして人生もどのくらいあるかわからないのに、その時間を犠牲にして、インターネットで情報を探すのに人生の貴重な時間を費やし、治療費を稼ぐのに睡眠時間を削ったり、生活が荒れたり、不規則になったり、医院を探し回り、通うのに疲れ、良くなるかどうか一喜一憂するので1日が終わってしまうことの連続で、いつの間にか、それで一生を終えてしまう人もいるだろう、

 

世の中には、難病もあるし、癌に至っては、高額の、保険が適用されていない治療もあるし、世の中、お金、お金、老後はこれだけ入りますと、宣伝するし、不安もかきたてられる。でも、それを追いかけてもキリがない。

 

完璧な健康を求め、完璧な健康でいることが、そのまま幸せなのだろうか。だとしたら、その幸せのために、残りすくない人生を家族との会話や、自分が大好きなことを犠牲にして、治療費を稼ぐのに明け暮れるのも意味はあるかもしれない。

 

治療に明け暮れるのも人それぞれだが、収入や自分の幸せとのバランスを考えながらするのがいいのではないかと思う。

 

私にとって本当の幸せは、人との愛や、自然への愛や、美や調和に接し、愛を感じ、生きていてよかったと心から思える瞬間であり、それは、自分の体がどのような状況であろうと、心が健康であれば、感じられるものである。

 

私は、ロルフィングで、自分の身体の重さを感じたり、力を抜いたりして、自分の体を観察することにより、自分をいたわり、味わい、愛していくことを学んだように思う。

 

大地からの反発というか、支えを感じたりすることで、自然の慈愛を感じた。

 

その、一見、小さく見える経験が、実は大きな幸せだということをこの数ヶ月、とても感じた。

 

私がこのように思ったのは、手術を受け、入院していて、いろいろな病気を抱えた患者を観察する機会もあったからだ。

 

病院なので、死んでいく人もいるだろう。親戚、家族と思われる人たちが、廊下で言い争い、いがみ合っているのを目の当たりにしたり、中には、看護婦さんにあたる人や、付き添いの人に暴力的な言葉を吐いて、病のストレスを発散している人もいた。

 

その人たちは、自分たちの感情しか見えないけれど、他の患者さんがいて、他の患者さんは、今、自分の病や痛みと闘っていて、穏やかな気持ちでいたいということに気がまわらない。さらに、余命、いくばくかの人にとっては、見ず知らずの他人の怒鳴り声や、相続争いの前哨戦の会話で、貴重な生きている時間を無駄にするは辛いことだ。人生の最後くらいは、美しい愛に満ちた思い出で終えたいものだ。

 

自分が病で辛い、かわいそうだという気持ちでいっぱいで、他人に暴力的な言葉を吐いたり、悪態をついたり、不愉快な気持ちにさせていることに気づかない。

 

また、中には自己憐憫に陥り、看護婦さんにべったりで、看護婦さんが他の患者さんを見るのにも障害になるような、依存症の人もいそうな感じもした。

 

病気や身体が動かなかったり、痛みがあることはもちろん、不安だし、辛いことではあるが、だからと言って、苦しんでいるのは自分だけではないわけだし、思いやりや、日々の小さな幸せを感じながら生きるのが良いのではないかと思った。

 

私が入院中、ベットでしていたのは、ロルフィングで習った、身体の重さを感じ、味わい、大地からの反発を感じることだ。病院では孤独だという人もいるが、私は自分の身体の重さを感じるようにしていたので、そういう風には感じなかった。自分を支えてくれる大地というものがあり、それから深い慈愛を感じる。それを落ち着きに変えていけるのは素晴らしいことだった。生きてここにいることが、それだけでも美しく思えた。

 

体を健康体に治すという気持ちに集中すると、人生はうまくいかないこともある。

お金をかけて、高い治療を受け、健康にはなったが、家族や親戚との間には愛がなかったり、権力関係であったりするのは悲しいことでもあろう。

自分が、どのように生きたいかとことをはっきりさせ、それがぶれない上で、いろいろな治療を試みたりするのがいいのではないかと思った。

 

そういう意味で、ロルフィングを受けるのも、治してもらうという受動的態度で常にいるのではなく、自分がそこから何が学べるかというのをよく考えながら、受けるのが良いと思った。

自衛官の方

セッションを受けて

 

率直な感想を申しますと、「これしかされないのか!?」という印象でした。

でも確実に体は変化していて、すごく不思議な感じでした。

最近、体の使い方や感覚について、よく意識するようにはしていたのですが、セッション中になかなか変化に気づかなかったのがもどかしかったです。

これから、もっと感覚を研ぎ澄まして、変化に気づけるようになりたいと感じました。

写真を見て、先生のご指摘の通り、体の歪みが改善されてて、驚きました。

特に、お尻が上がっていたのは、はっきりとわかって、骨盤を意識してみると、しゃがんだときに楽さを感じたり、座ったときに腰が軽く感じました。

一番驚いたのは、

翌日、仕事で実施した射撃訓練での出来事です。

自衛官といえど私は、職種上あまり銃を触れることがなく、その日使った9ミリ拳銃に至っては、7年ぶりに使うものであり、周りの隊員より不慣れさを隠せませんでした。

それでも、なんとなく前日施術を受けた呼吸を意識したりして、リラックスしながら、射撃を実施した結果、80人中3位に入り、自分にこんなに射撃のセンスがあると思いもよりませんでした。

好結果が、一概にロルフィングの効果かは判断しかねますが、なにか不思議なパワーが宿ったようで、次回以降のセッションが楽しみになりました。

セッション翌日、翌々日に体がだるくなるようなことがあると忠告を頂いてましたが、そのような感覚なく、むしろ、体が調子よく、疲れにくいです。

次回もよろしくお願いします。

 

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