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Rolfing及び、The Art of Yieldには、癌、心臓病、認知症などの生活習慣病を遠ざける可能性がある

COVID-19感染拡大の影響で、中止となった2020年のBi-Digital O-Ring Test国際学会で発表予定だった抄録です。

Title: ロルフィングによって身体構造が重力への適応性を向上させることは、バ イ・ディジタルO-リングテスト上どんな意味を持つのか?

1.田畑浩良 Certified Advanced RolferTM, International Rolf Movement faculty of Dr.Ida Rolf Institute.
2.下津浦康裕 M.D.,F.I.C.A.E., Cert. ORT-MD (7 Dan) (日本 BDORT 協会会長;下津浦内科医院院長)

はじめに
Rolfing® Structural Integration(以下ロルフィング®)は、軟部組織のマニピュレーション と動きの教育を用いて身体構造を統合するための教育プロセスである。この技法は、身体 が重力への適応性を上げることで、生活の質を向上させ、身体パフォーマンスを上げるこ とが知られている。ロルフィングは、症状の改善を目的としたいわゆる治療ではないが、 身体のバランスが整うにしたがって、何らかの症状が改善することが例が報告されてい る。重力への適応能を向上させることが、どのようにして症状改善につながるのか、その メカニズムについてはよくわかっていない。
一方、大村と下津浦は、彼等がFoot Gravitation Center(FGC)と呼ぶ、足の甲の特定の ポイントを刺激することが治療効果を有し、いくつかの生活習慣病の指標となる検査用物 質を減少させることを報告している。FGCへの刺激は、足のアーチを強化すると考えら れ、ロルフィング同様、身体の重力への適応能を上げると考えられる。我々は、ロルフィ ングのセッションの前後で、酸化ストレスマーカーの一つ、8-OHdGのレベルがどのよう に変化するのかを、高感度かつ非侵襲的に評価可能なバイ・ディジタルO-リングテスト を用いて測定した。

方法
ロルフィング10シリーズは、Ida P. Rolfの10回のプロトコールに従って進められた。その 際、田畑とAgneessensが発展させたThe Art of Yieldを導入して、セッションを提供し た。何らかの既往歴があり、写真データの使用許可が得られているケースを対象とし、8-OHdGのレベルは、ロルフィング前後の写真から、下津浦ORT-MD (7 Dan)が測定した。 +25 ~ -100の間での測定値で、値が低い程、疾病から遠い状態にあると判断される。

表1. ロルフィングの酸化ストレスマーカー, 8-OHdGのレベルに与える影響

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結果 : ロルフィング10セッションによって、2ケース以外の10ケースにおいて、8-OHdGの値が 減少していた。ケースJにおいては、8-OHdGが10シリーズ後+5から-70にまで減少 し、さらにメンテナンスのセッションをうけることにより、最終的に-90まで減少してい た。ケースKにおいても継続的にセッションを受けることにより、最初の+25から最終的 に-20まで下がっていた。一方、ケースLに関しては、10セッション前後で数値が+25 と変わらず、乳癌除去後-20にまで減少し、さらにセッションすることで、-30まで減少 するという反応性に違いが認められた。このケースに関しては、その後化学療法を行って いるが、それに対応して8-OHdGの値も上昇していた。

Fig.1 Case J Fig.2 Case K Fig.3 Case G Fig.4 Case E

結論: 一部のケースを除き、ロルフィングのプロセスによって、酸化ストレスマーカーで ある8-OHdGのレベルが減少する可能性が示唆された。8-OHdGが低レベルで抑えられ ることは、がんや心臓病、認知症などの生活習慣病になり難い、つまり健康レベルが高い ことを意味する。ロルフィングによって身体構造が重力への適応性を向上させることは、 身体のパフォーマンスだけでなく、健康のレベルをより高め、病気の予後の再発防止にも 役立つ可能性があると推測される。

参考文献:

Agneessens, C. and H. Tahata 2012 Jun. “Yielding: Engaging Touch, Presence, and the Physiology of Wholeness.” Structural Integration: The Journal of the Rolf Institute® 40(1):10–16.

Tahata, H. 2018 Mar. “Working with Ma: Further Refinement of the Yielding Approach through Time, Space, and Intersubjectivity.” Structural Integration: The Journal of the Rolf Institute® 46(1):44–51.

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欧州Rolf Movement教員ニコラ・カロフィーリオとの対談

昨年秋に行われた日欧講師共演ロルフムーブメントワークショップの合間に行われたニコラ・カロフィーリオと田畑の対談の模様です。通訳・翻訳は、古川智美さん、カメラ、馬本久美さん、動画編集を含むプロデューサーに串崎昌彦さんのご尽力を頂きました。

Nicola: 初めまして、ニコラと申します。南イタリアのバーリという暖かいところから来ました。 私は元々ダンサーで、25 年間ダンスをしてきました。最初は型の決まったバレエから始めて、その後はコメディやミュージカル、コンテンポラリーダンス、舞台な様々 な身体を使った表現を学びました。 私は身体を見つめていくためにソマティックな考えを学んできました。バレエから始まってマーシャルアーツ、フェルデンクライス、色々なことを探求していく中でロルフィングに出会いました。 

最初のロルフィング体験についての質問に対して:

ニコラ:私はダンスをしていたこともあり、外側に向かって忙しかった。ずっと外に向かって表現することがメインだったが10シリーズを受けたことで自分の内側を見るというプロセス、内側の探求に変わったことが一番の発見でした。この探求は今も続いている長い旅であります。今まで私は大きい舞台で大きいスペースを探求していたが動きだったり表現をする中で見えていなかったところや、身体の色々な小さいスペース、内側の小さなスペースが健忘症みたいになっていたところを探求するように変わっていきました。外側の広いスペースから自分の内側に新しい舞台を発見したような感じです。

10シリーズを受けた後、7.8年はダンスを続けていたのですが、ダンスは辞めてもっと内側の探求をする旅を始めました。ステージを卒業してから12年経ち、その間踊っていないんですが、またこの先いつか表現するところに戻ってきたいとは思っています。この12年間多くの気づき・学びがあったので、それらを持ってもう一度ダンス・舞台という形で表現できればと思っています。

田畑: 今回日本に来て、教えようと思った動機を教えて頂けま すか? 

Nicola: まずは今回、串崎さんがこのワークショップを実現してくれたことに非常に感謝しています。 私は昔から東洋にものすごく魅了されていました。太極拳や指圧、合気道なども少し勉強して、東洋の伝統文化 という何千年も蓄積してきた重力との関係性に興味が ありました。私は、バレエ・ダンスなどの西洋的な伝統 の中に生きている人間ですが、東洋的なものから学ぶこ とが非常に多くあると感じていました。 

私はマーシャルアーツ・指圧・合気道などの経験を通して、

「重力とは静けさで満たされた空間である。」

と思っていました。 そういった背景で田畑さんの記事を読み、大変自分に響きました。ぜひ田畑さんにお会いしたいと思っていたところに串崎さんが私のワークショップを受けに来てくれ、「ニコラのやっていることは田畑さんのやっている ことに似ていて共通点があるので、ぜひ日本に来て教え てくれないか?」と声をかけてくれました。天にも昇るような気持ちでしたよ。 身体はただ単に筋肉や臓器などで構成されているのではなく、文化や歴史に影響されているので、我々西洋人 が東洋から学ぶことは非常に多いと思います。 今までは外から東洋を観ていましたが、日本に着いてから今日まで色々な物を見たり触れたりする機会があり、 刺激に満ち溢れています。例えば、料理人がどうやって調理しているか、どういう風に料理が出されるか、ということも含めてです。 

今、東京で自分が見ていることから言えるのは、

「日本には空間を尊重しているなぁ。」と感じる在り方がたくさんあるということです。それは自分自身にとって非常に大切なことです。今回前半のワークショップのタイトルは「東洋と西洋を Em-body する」で、西洋的な空間の扱い方、重力・スペース・静けさをどういう風に見ているか、東洋ではどういう風に見ているか、両方の視点から見ていくことに よってロルファーはたくさんのことを学べると思います。 

田畑: 今日までの4日間のクラスで、ニコラさんのデモストレーションを拝見する機会がありました。すべてが静けさの中にあって、動きの 一つ一つにEm-bodyを感じました。 それは一般的なエクサイズとは対極にあって、かといって自動運動に任せて原初的な動きをするということとも異なるクオリティで、洗練された動きの中にしっかりとEm-body があり、本当に素晴らしいとしか言いようありません。そういうものはどこから培われたのか、またそのことに関して何か役立ったトレーニングなどがあれば、シェアして頂けますか? 

Nicola:どこから来ているかという問いの答えは、1つは私が芸術的なダンサーという職業だったからです。コンテンポラリーダンスのような身体表現で振付師がキーワードを出す際に、水のような液体的な 流動性のある動きを求められた時、氷になったり水になったり気体になったりするのはどういうことなんだろうという探求を、ダンスのバックグラウンドでしていました。振付師が出すキーワードの動きのクオリティを自分の中でどういうことなのか体現化していく過程が、とてもクリエイティヴなプロセスだったのです。 

それから、ロルフィングの教育を受けて、胎生学や幼年期の発達について学んだことも役立っています。 赤ちゃんが世界を発見し始めるプロセスも創造性に満ちたものです。が、大人になっていく過程や、学校に行 き始めて「はい、静かに座って」と言われたり勉強したりすることを求められる中で、失われてしまうものもあります。でも1つの細胞が 9 ヶ月かけて胎児に育っていくこともすごいプロセスで、子供が生まれてから立ち上がるまでのプロセスも、解剖学を分かっているわけでも、 自分の手足を認識しているわけでもなく、周りの大人と 同じことをやりたいという想いから、どんどん動きを獲得していきます。失敗してもいい環境と、ああなりたいという想いで習得していく過程は、とても喜びに満ちた クリエイティヴなものです。私はこの発達段階にとても可能性を感じています。でもそのような喜びや学び方を、 私たちは大人になると忘れてしまいます。身体の在り方や発達の仕方をカゴの中に閉じ込めて、忘れてしまって いる部分があるように見えます。 

大人の身体が忘れてしまった子供時代の性質を、教育の中に入れたいと思っています。子供が発達していく段階は魔法のようでもあり、サイエンスで説明できる部分も あり、でもすごく神秘的でもあります。 最初はそれをロルファーではなく一般的な人たちへ、子 供の在り方や学び方の喜びに満ちた部分を使って教えていました。のちにロルファー向けのクラスにも展開していきました。 子供が発達していく段階では、『分からなくても OK ! 』、『失敗しても大丈夫!』が前提にあるけれど、大人になるといつの間にか忘れてしまい、『失敗したくない』とか『分かっていないと…』とかがありますよね。『全部大丈夫 ! 』という環境を用意することで、安心安全な学びの場になります。失敗したり、分からないままやった りすることが学びの一部になります。それを大切にしています。子供の学び方は芸術的です。 

田畑さんのワークは「The Art of Yield」と言われていますが、ロルフィングも重力を通したコミュニケーション で アート だと思っています。 

田畑: ワークされている時は、かつて自分たちが子供だった時の無限に開かれていた可能性にフォーカスして、常にワークされているのでしょうか? 

それが、セッションの時の場を作って、安全な空間にもなり、その場がクライア ントをすごくサポートしているような気がします。 私も実際クラスでご一緒させて頂いて、ニコラさんがデモをすると、こちらもインスパイアされてインスピレーションが湧いてくるし、自分がそのインスパイアを実行することによって、どんどん可能性が広がってゆく、という循環が生まれている感じがして、すごく楽しいです。 

Nicola: それはもちろん私も同じです。同じようにインスピレ ーションを受けて、その流れを感じています。 

田畑: もし、個人セッション時に持つイメージや感覚、知覚状態、意識していること、何を大切にしてワークしているかなどがあれば、シェアして頂けますか? 

Nicola: 日本に来て皆さんと一緒に仕事をするまではっきり言葉に表せませんでしたが、日本に来たことで明確になりました。自分がセッションをするときに大事にしている のは、クライアントにとって安心・安全をどれだけ作り出せるか、です。自分自身である状態でワークできるよう準備をして、そのために毎日瞑想したり自分の内側を感じたりするようにしています。 

私は自分自身であること、自分と共にロルフィングして いる状態を大事にしていて、自分が重力と共にあるの忘 れずにいると、大脳皮質レベルではない自分の内側からクライアントと接することができると感じています。 それによりクライアントが安心・安全を感じられること で、クライアント側から自ずと立ち上がってくるものが 現れて、「ここに触れてほしいんだな」とか「こういう 問題があるんだな」とか、自分が yielding していること でクライアントから出てくるものを受け入れるのを大切にしています。 

 今日クラスで田畑さんがデモで行ったボディリーディングをする時の在り方と同じように、ただ単にボディリーディングから介入という流れではなく、ボディリーディングから既に介入が始まっている。ボディリーディングの時点から既にクライアントとの関係や変化が起きていますよね。クラスの中で行ったエクササイズで「気配を感じる」・「スペースで振動が起きている」といった、身体と身体、クライアントと出会うことから、すごく繊細なことが生じています。

今回日本に来て、私がワークしている際はやはり安心・ 安全なスペース作りを大切にしていることが明確にな りました。 それは子供も同じで、お父さんお母さんが傍にいると分 かっていると安心・リラックスして遊ぶことができますよね。子供が安心した状況にいられると、身体が自分か ら表現してくる。犬や動物も同じで、大好きな人が傍にいてくれたらリラックスし、寄りかかってきて、「ここ 撫で撫でしてよ」と身体が表現してきますよね。 人間も動物と同じで、そういった性質を持っています。 安心できる時間と空間をクライアントに用意してあげ ることで、10 シリーズの中のどこかのタイミングで、 クライアントの身体が「ここはもう少し繋がりが要るよ」 とか「ここがもう一度思い出したい場所」など表現して くるようになります。 

田畑: ポリヴェーガル理論(※)では、安全(を感じること) が強調されてはいますが私自身は embody されたうえでの、安全ということが大事になると思っています。 色々な段階の安全がありますが、それが本当に embody されるとしたら、しっかり重力に対してどれだけ誘導されているかどうかが鍵になっていると思うので、この辺りのことはもう少し強調されてもいいのかなと考えて います。 

※田畑さんからの補足:ポリヴェーガル理論では、安全であると感じることは生理学的な状態に依存していて、安全であるという合図は自律神経を穏やかにすると論じています。それを促すものとして、社会的交流の重要性が強調されています。一方、今回のクラスで得られた感覚は、上記理論とは別の観点で、安全・安心の感覚を深める可能性があると感じました。

Nicola: この3日間で思い出したことがあります。ある人の詩の引用で、“静けさというのは重力の音である”という一節です。 静けさには色々な静けさがあって、月と地球では重力の 程度が異なるので月の静けさと地球の静けさは全く別のもので、地球の方がもしかしたら同じ静けさでも音が大きいかもしれない。 安心を感じるというのは、自分がどれだけの静けさを持 つことができるか ? だと思っています。それは、例えば言葉と言葉の「間」であったりします。一つの音が終わ り新しい音が始まる「間」に新しい知覚が開いてきたり する。何が歌・音楽を作っているかというと、実は音階ではなくその「間」によってできているのです。 日常の色々な忙しい動きやノイズから、クライアントに どれだけ静けさを提供できるか、が安心なスペースを作 ることに繋がると思います。それにより色々開いてくる ことで、そこにアクセスできる。 身体に緊張があるということもノイズだと思っていて、 そこにどれだけスペースをもたらすことができるか? そこにロルファーがどれだけ静けさをもたらすことが できるか?それはただ単に話さないということではなくて、会話の「間」を作ることで生じる静けさがクライアントの「間」を感じさせたり、静けさ・スペースが増えていくことで、関節や組織にスペースができたりする と思います。 

田畑: 重力の音、という表現は印象的でした。 重力の音が「静けさ」に繋がるとしたら、そこにロルファーはチューニングするといいのではないかと感じま した。 その「静けさ」はクレニオセイクラル・バイオダイナミクスでいうところのスティルネスとも違うと思うし、別のクオリティーを持つ「静けさ」で、そこにフォーカスすれば相互に安心・安全というものが得られ、結果的に クライアントに安全な場を提供できて必要なプロセス を起こすことを誘うことができるのかなという気がし ました。 

ではそろそろ最後になりますが、今後のニコラさんの活動予定、日本のロルファー、ヨーロッパ以外のロルファーに何かメッセージがあればよろしくお願いします。

Nicola: 今後のプランについては、すごく自分の中にあってカオスになっているので、秩序立てないといけないと思っ ています。 

ロルファーへのメッセージとしては、「究極的にロルフィングはロルファーのものである」というアイダ・ロルフからの引用です。この言葉を見た時に、自分の中でロルフィングに対する理解がガラッと変わりました。それまで、ロルフィングはクライアントに触れて何かするものだと思っていましたが、そこだけ見ていても、自分が自分でいるということを軽視してクライアントの身体だけ見ていても、安心安全ではない。でも、このアイダ・ロルフの言葉に触れたことは、私にとても広い世界を開いてくれました。何かをするのではなく、自分が自分である努力が非常に大事で、ロルフィングというのは自分自身の変容のプロセスでもある。自分が自分でいられるために、私は毎朝瞑想など静かな時間をとるようにしています。それによって、色々なことに秩序をもたらせるための準備や時間をとっています。ロルフィングが自分の変容のプロセスだという気づきは、自分の人生・出会い・すべてのことが成長や発展に繋がっていくと思います。

今回皆さんと一緒に仕事をすることで日本から多くを 学んだので、これからももっと一緒に学び、育っていきたいです。 例えば、「間」に“スペース”だけでなく“静けさ”という 意味があることや、日本での空間の扱い方などは、クライアントにロルフィングを施す前に準備すべきこととして大切だと思うので、こういったことをこれから更に探求していきたいと思っています。 

田畑: ありがとうございました。 

ココロのバランスボード (その2)

小関勲さんの開発したココロのバランスボードにのっていて、急に思い出したことがある。それは、かつて酷い左膝の痛みに悩まされていたこと。

中学3年の夏に歩行中自家用車にはねられた影響で、事故後数ヶ月経ってから、左膝に体重をかけると、膝が抜けるような感覚と共に、激痛が走るようになった。うかつに体重をかけるととんでもないことになることにビクついて、恐る恐るしか歩けなくなった時期が暫く続いた。数年後膝が痛くなくなった後、暫くして今度は腰に負担がくるようになって、年に一度くらいの頻度でギックリ腰が起きるようになった。それからは、ロルフィングを受けたりいろんなことをしているうちにギックリ腰からも解放され、しばらく膝のことは忘れていた。

昨日、ココロのバランスボードにのっている時に、ふとその記憶が蘇った。膝で悩まれたことのある方にはお分かりと思うが、違和感が断続的にある上に、膝への体重の乗せ方によって突然、電気ショックのような激痛が膝にやってくる。それがいつ来るのか読めないために、常にどこか構えたように立っていたことが思い出された。

そこで、ココロのバランスボードにのりながら、ゆっくり左の膝に体重をかけてみた。すると、左膝の内側には負荷がかかるのに対して、外側にはあまりかけようとしない癖・パターンがあることに気がつく。これは注意深く感じないと見逃してしまうレベルで、それまでのパターンと違う外側に荷重をかけようするとわずかに不安定になる。そこで少しだけ左膝の中央寄りに荷重がかかるようにバランスをシフトしてみる。すると、腰椎のあたりが反応する。おそらく、当時膝のサポートが足りないところを腰椎側が担っていたのかもしれない。その位置のままじっとしていると、膝の力がふっと抜けて、腰椎の微かな違和感も消えた。歩いてみると、膝が軽く出やすくなっている。しばらくじわっとした左膝にかすかな違和感と四頭筋の筋緊張が少し変わっている。膝をつなぐ筋肉の使い方・状態が変化したということだろう。

しばらく、この状態を観察しようと思って、外を歩いてみたところ、右膝にちょっとした違和感を感じた。戻って再びココロのバランスボードにのってみる。こんどは右の膝に今までより内側に荷重がかかっていることに気づく。ボード上でゆっくり荷重を中央寄りにシフトさせたと同時に鼻中隔の内側で、ぴきっと小さな音がして、全体がすっと落ち着いた。

まるで短いムーブメントセッションを受けたようで、足・脚の支え方がよりしっかりするのを感じた。

これは偶然たまたま起きたというより、ボードが安定した足場を提供してくれたことがきっかけになったに違いない。身体の自己調整能は、身体が(頭ではなく)、今とりあえず安全な環境に居ると認識して初めて、必要なプロセスを進めることができる。

ボードにのるだけなのに、いろんな気づきが生まれて面白いです。


ココロのバランスボード

ヒモトレ発案者小関勲さんのところで開発されたココロのバランスボードを最近使い始めた。クライアントの方で、立位や歩行が困難な体幹性のジストニアと診断された方に、セッションの後このボードに乗ってもらった。すると、理由はわからないが、安定感が得られるという。普段立つことに支障がない人間にとっては、すごく大きな差としては感じにくいかもしれないが、こうした体幹を支えるのが困難な方にとってはその差も大きく感じられるのだろう。

自分がこのボードに乗ってみると、足元・床に対しての信頼感が増す。この感じは、例えば即効的にどこかの緊張や痛みがすぐさま消えるというような急激な変化ではない。今ある状態でそこそこうまくいっているとさらにちょっとだけその質が変わることに、ヒトはその変化を感じ取りにくい。しかし、身体感覚がある程度育っている人間なら、その違いを感じ取れるだろう。

身体感覚がまだ育っていない場合でも、それを毎日ちょっとづつ継続してボードにのってみる。すると、小さな変化が積み重なって、やがて自覚できるレベルまで違いがでてくるに違いない。

理由はともあれ、なんだかココロのバランスボードにのると安心する。地面に対してより親和性が増すということである。それは、ロルフィングが目指していること、重力との調和に向かうことに他ならない。シンプルにのるという動作だけで、安心するという感覚につながれるということには大きな意味がある。

セッションの後に、何か気をつけることとか、した方がいいことはあるか?とよくクライアントの方に尋ねられる。注意しなげればならないのは、役に立たないアドバイス – 身体にとって決してプラスになっていない情報で、頭が一杯になっている例は少なくない。そういう場合は、あえて、何かこれまで課してきたこと、腑に落ちたわけではないけど鵜呑みにしてどこかで仕入れたことをとりあえず、「やめてみる」ことにむしろ意味がある。ジャンクなアプリをスマホから削除するように。 一方、このバランスボードにのるという行為は、実のところ本人の身体に役立っていない”何か”を過剰にやり過ぎて混乱している状況から、一旦離れる手助けをしてくれる。

ボードの説明を読むと、なでしこジャパンなど一流の選手がこのボードを利用しているという。彼等は、インスタントで意味のないものに時間を割くヒマはないので、本当に意味のあることであれば、地道にそれを採用する。そうしたスタンスの人々に支持されていることにはきちんとした理由がある。

ロルフィングのセッション後、家で何かできることの一つに、「ココロのバランスボードに毎日乗ってみる。」ことをお勧めしたい。


介入はより精妙な方へ

「ロルフィングを受けるということは,車を大衆車フォードから高級車ジャグワに身体を乗り換えるようなものです。ジャグワの乗り心地を知ってしまえば,乗り換えてからの時間の長さに関わらす,誰もフォードにまた乗リ変えようとは思わないものです。」 – 創始者アイダロルフ博士の言葉

この例えは、「乗り心地」が劇的に変わることをいいたいので、大衆車と高級車を引き合いに出していますが、実際のセッションは、全く別の車に乗り換えるわけではないので、材料はそのままで腕利きの整備士にチューンアップしてもらって、結果として乗り心地がガラッと変わるということだと思います。

いい乗り心地を体験すれば後戻りしない、それが持続性につながります。ただし、ここで問題なのは、どんなセッションでもそうなる保証はないということです。グレードアップしたつもりが、チューンアップを担当した整備士がポンコツってこともあります。当然ですが、その仕上がり具合によって、後戻りするかしないか決まります。

そこで、車をよく知り、状況を把握した上で、腕利きの整備士が担当したとします。すると車もドライバーも大満足するわけですが、次の整備の時に担当が変わって、雑な整備しかしてくれなかったとします。そうすると、当然不満が出るわけで、またあの腕のいい人を指名したくなるでしょう。それと同じで、車も身体も精度が高い調整がなされると、その先の整備・調整はより高い技能を持った整備士にお願いしたくなるものです。

身体はメカニックというより楽器とみることもできるので、車より別の例え、ピアノの方が当てはまるかもしれません。ピアノは、いい調律を受けた後に、さらに正確な調整をしようとした場合に、雑な調律ではかえって音が外れてしまいます。さらに調整を先に進めるためには、雑なやり方はもはやそぐわないことになります。

身体は、有機体なので、毎回同じような刺激には慣れてしまうし、先に進むためにはその都度でてくる課題を読みとり、さらに先に進化する手助けになるような介入を求めています。毎回固くなるところを毎回同じように揉む、毎回滞りが生じるところを解放する、のくり返しでは、一時凌ぎのパターンを強化しているに過ぎません。身体の統合が進めば、身体の応答性・反応性は高まり、自己組織化する力も向上してくるはずなので、介入はより繊細で少しの時間で済むようにシフトしていくはずです。

もし、その方向に進んでいないとしたら、受け手が本来のライフスタイルや人生の流れに逆らっているか、または、整備・調律する施術側が、受け手の身体の自力で調整する力を奪っていることになります。



変化を引き出すということ

セッションの介入は、やり過ぎはよくないのは何となくわかる。薬は合っていても、過剰になると、かえって害になるのと同じ理屈だ。かといって、「手を抜く」というのも適切とはいえない。もうちょっとだけ一手間かけていれば、味がしまる、ということもあるだろう。

一方、からだは生きもので、常に応答する力があるとするなら、詰めすぎる、完璧に仕上げるような意図だと、からだが自力でなんとか最後の調整する機会と空間を奪ってしまうリスクがある。

なので、手を抜いているわけではないけれども、からだに変化してもらう部分を尊重しているのが、イールドワークともいえる。Rolf Instituteの機関誌のインタビュー記事でKathyが書いてくれたことを、別のクライアントの方が同じことをいっている。

初めて受けた田畑さんのセッションはある意味、驚きました。というのは、本当に、触れたかどうかの距離感というか、触れ方が何か物足りなさを感じるんだけれども、それを充足させようと、今度は自分の内側からそれを補おうというものが引き出されているものを感じたからです。”

私のパートナーも外国人でロルフィング をアメリカで受けているのですが、今回、私がロルフィング を受けてから、さらに、何か間合いが以前より取りやすくなっているように思いました。”

“体の内側だけでなく、外の世界でも、不思議となにか、気づくようになったからなのか、自分が欲しい情報を心の中で思っているとそれに関したことが、いろいろと起きたり、出会いがあったり、シンクロが起きやすい状況になっています。”

間合い;空間との関係性をワークの中で扱っていることが反映しているのかもしれない。

痛みに対して敏感でいたい

安田登さんの新刊「すごい論語」を読んで、痛みに対しては鈍感にならずにいたい、と改めて思った。痛みを無視しようと、ないものにしたいという考えの先には、痛みの感覚を遮断する、神経ブロックあるいは鎮痛剤の服用という方法。あまりに痛みが大きい場合には一時回避は時と場合により必要かもしれないが、適切な量と服用のタイミング、そして、薬剤に依存しないための、自覚的な使い方が大切だと思う。

痛みを感じないようにするやり方は、大きく分けて、1)痛みを感じないように感覚を麻痺させる、2) 痛みに対して、寛容になるように条件付けする、 3)痛みを生じさせている要因に働きかける、の3つである。

1)はあくまで一時凌ぎか、レスキュー的に。2)の寛容は、ある感覚に慣れさせてしまう脱感作のやり方。鼻がある匂いに慣れて、匂わなくなるのに似ている。1)、2)に対して、3)のやり方は、痛みという感覚はそのまま、感度も落とさずに、痛みというサイン、つまりその負担が減るように働きかけるやり方。

例えば、家の中が臭う。が、臭いの元がどこにあるかわからない。探すのが面倒なので、とりあえず手もとにあったマスクをしてみる、それでも臭いから鼻栓をしてみる。これが1)の方法。次に、だんだん鼻が慣れてきて、それ程気にならなくなるから、まあいいっかという気持ちでそのまま過ごす。これが2)の方法。でもこの2つのやり方だと、部屋に誰か来たら一発で不味いことが起きているってわかるっす。そこで、何が臭っているのか、どこにあるのか探して、それを部屋から外に出す。すると当然の結果として、部屋は本当の意味で臭くなくなります。これが、3)のやり方になります。だから、2)のそれに慣れてしまって「寛容」になるっていうのは、その部屋の主として自分だけの世界ならごまかせるんだけど、そもそもの臭いの元がなくなたわけではないので、客観的に観ると、決していい状態ではないわけです。

寛容になったところで、腐った本体はあるわけだから、部屋の主が気にならないとしても、腐敗したガスが肺に入ってきたり、菌が繁殖することで、感染のリスクが高まってかもしれない。だから、あるものをないように感じているだけで、根本の状況は変わっていないことになります。

痛みに例えると、痛みをサインとして、その要因を探し出して、根本を変えない限り、からだは納得できない。よりよい状態に移りたいがためのサインとして捉えない限り、痛みは面倒な感覚で邪魔者扱いされるかもしれません。それでは、痛みが浮かばれないし、サインを出している本来の意味が汲み取られないことになります。

だから痛みに関しては、その感度を落とさずに尊重して、それを生み出している要因を変えるような働きかけ、大抵の場合、痛みの箇所とは別のところに位置していることが多いですが、痛みを押さえ込んだり、その感じ方を鈍感にするような働きかけは、根本解決とはいえず、注意が必要なことは間違いないと思います。

※そうやって考えると、寛容とか馴化というのは、それ以上変わらない環境に対する生物の適応力を利用しているだけで、何か他に打開策はあるのかも?という気がしてきました。

目指すところ

セッションで最終的に目指しているのはどのような状態でしょうか?

常に何処かの治療院やマッサージに週末駆け込むような生活を送っている方がいるとすると、とりあえず、通わなくてもやっていける自律的なバランス。

依存あるいは習慣的に通うのではなく、必要と感じた時には、他者の助けを借りて、微調整によってリセットできる状態が健全と考えています。ストレスや負荷がかかったとしても、一晩でリセットできる状態で、別の見方をすれば、トラウマのエネルギーや迷走電流が溜まりにくい、流れのいい身体です。

どんな優れた治療方法であれ、その治療体系に一旦はまってしまうと、頻繁に通ってバランスするという”習慣”ができてしまい、そのパターンでの平衡が保たれると、身体もそれに甘んじてしまい、本来自力で排出できる能力を怠けさせて、その力を奪うことになります。

どんな形であっても、パターン化、習慣化するということは、施術側のビジネス的囲い込みは成功しても、主体は自由を制限されることになります。

身体は、高度に統合がされればされるほど、強い圧力や痛みは過度の刺激となってしまい、身体はより繊細で精妙な刺激を求めるようになります。いい施術を受けたら、以前の雑な施術には戻りたくないし、より乗り心地のいい車を求めるのと同じです。必要最小限の介入に十分に反応して自己組織化を発揮できる状態、それが目指すところです。このレベルになると、むしろ過度の介入は害となり、かえって統合感が薄れ、バランスが悪くなりように感じますが、それは正常な反応といえます。

適切で繊細な介入によって、肉体を越えた深いレベルでの変容や気づき、解放もしばし起こるようになるため、セッションがより特別な意味を持つようになります。

臍帯の重要性

お腹がポコンと出ていて、背中が反っている身体のパターンをたまに見かけます。背中が反っていると腰椎を圧迫するため、慢性的な緊張を生じやすい。背中を反らせるように習い事や教育的指導をうけているケースもありますし、自分の真っ直ぐというズレた思い込みが影響している場合もあります。

それ以外に、出産時に臍帯を通して衝撃をうけたかも?しれないケースがあります。衝撃を受けると何かしら、フリーズしてあるパターンをホールドするようになります。これを恩師のCarol Agneessensは、umbilical shockと呼んでいました。

胎児は、臍帯を通して、栄養や酸素、老廃物の排出など生命維持に関して母胎の助けを受けとりながら生き延びているわけで、それを子宮から出た途端に何の準備もなく、すべて自分でやらなければならないわけですから、それは一大事です。酸素呼吸を開始しても、排出や代謝系もすべて一変に移行するのは、あまりに一度にやり過ぎかもしれません。自然指向の分娩だと、臍の緒を切るタイミングもゆっくり時間がとれて、それなりにある程度は準備ができるかもしれません。

それができないとなると、想像ですが、臍帯とつながりの深い場所にショックが残る可能性は十分考えられます。影響を受ける場所として、消化器系、腎臓、泌尿器・生殖器系も含まれます。

それぞれの重要性は割愛するとして、腎臓は特に老廃物の濾過という生理学的機能、赤血球造血因子の産生以外にも東洋医学でとても重要視されます。アタッチメント(愛着)と深い関わりがあるという身体心理学的な解釈もあるようです。

じゃあ、どう扱うのかということになりますが、安全に扱うには、まずその周辺の空間を与えることです。それには、ロルフィングで重要視されるQL-腰方形筋が十分な長さがあること、12番目の肋骨が自由であることが上げられます。

十分な空間が確保されていない段階で、腎臓自体の動きを急に活性化させられると、狭い空間で平衡状態を保っていた均衡が突然崩れることになります。内臓にワークするときに注意しなければならないのは、その動きがでてきたときに対応できるスペースがあるかどうか、です。

タッチするというのは予想以上に相当な情報量を伴う介入なので、何の準備もなくエントリーレベルで腎臓を扱われて、相当ダメージを食らってしまう深刻なケースも実際にあります。その場合はセッションによるトラウマ化で問題作りにお金と時間を浪費したようなものです。

そもそもを辿って、臍帯を通して受けたショックが制限の上流にあるとするなら、臍帯を通して、安全な感覚を取り戻す必要があります。

臍帯を扱うワークは相当繊細なので、まず内臓のコンテイナー(器)を支える身体構造がしっかり整っていることが前提で、それによって身体の適応性が確保され、その上で、臍帯や腎臓を扱う準備がやっとできるわけです。

それにはある程度、胎生学的なアプローチの経験と実績が必要だと思います。

そもそも股関節が得意なのかも

幼い時に股関節の固定具を装着した経験のある方が、最近いらしている。大人になって、かなり自覚的な記憶がないとしても、身体は覚えているもので、生育の初期に起きた装具による影響はかなり大きいようである。

股関節は、正にKing of jointで、身体の支えだけでなく、骨盤の水平性、内臓空間にも大きな役割を果たしている。大腿骨の大転子からDeep6と呼ばれる深層の筋肉は、閉鎖膜とつながっていて、骨盤底筋群と共に、真骨盤の空間に直接的に関わっている。それ程、重要な関節なので、ここが発達段階の初期に制限されるというのは、身体としては無視できない大事なのだ。

先日のセッションでは、股関節を解放する自発的な動きが内側からでてきて、それが完結し、身体が納得したことによって、劇的な解放感が心身に広がった

私自身、生まれてすぐに、最初に診てもらった医師からは、大腿骨頭を切断する股関節の手術が勧められたが、両親がセカンドオピニオンを求めた別の医師が、問題ない、といってくれたお陰で手術を免れた経緯がある。多少O脚だった程度に過ぎないはずが、その時期、医学会にはその手術が流行していて、最初の医師は、多分腕を試したかったのだろう。というようなこともあって、股関節には何か特別な思いがある。そのようなことも関係してか、股関節に纏わることについては、何か得意なのかもしれない。