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欧州Rolf Movement教員ニコラ・カロフィーリオとの対談

昨年秋に行われた日欧講師共演ロルフムーブメントワークショップの合間に行われたニコラ・カロフィーリオと田畑の対談の模様です。通訳・翻訳は、古川智美さん、カメラ、馬本久美さん、動画編集を含むプロデューサーに串崎昌彦さんのご尽力を頂きました。

Nicola: 初めまして、ニコラと申します。南イタリアのバーリという暖かいところから来ました。 私は元々ダンサーで、25 年間ダンスをしてきました。最初は型の決まったバレエから始めて、その後はコメディやミュージカル、コンテンポラリーダンス、舞台な様々 な身体を使った表現を学びました。 私は身体を見つめていくためにソマティックな考えを学んできました。バレエから始まってマーシャルアーツ、フェルデンクライス、色々なことを探求していく中でロルフィングに出会いました。 

最初のロルフィング体験についての質問に対して:

ニコラ:私はダンスをしていたこともあり、外側に向かって忙しかった。ずっと外に向かって表現することがメインだったが10シリーズを受けたことで自分の内側を見るというプロセス、内側の探求に変わったことが一番の発見でした。この探求は今も続いている長い旅であります。今まで私は大きい舞台で大きいスペースを探求していたが動きだったり表現をする中で見えていなかったところや、身体の色々な小さいスペース、内側の小さなスペースが健忘症みたいになっていたところを探求するように変わっていきました。外側の広いスペースから自分の内側に新しい舞台を発見したような感じです。

10シリーズを受けた後、7.8年はダンスを続けていたのですが、ダンスは辞めてもっと内側の探求をする旅を始めました。ステージを卒業してから12年経ち、その間踊っていないんですが、またこの先いつか表現するところに戻ってきたいとは思っています。この12年間多くの気づき・学びがあったので、それらを持ってもう一度ダンス・舞台という形で表現できればと思っています。

田畑: 今回日本に来て、教えようと思った動機を教えて頂けま すか? 

Nicola: まずは今回、串崎さんがこのワークショップを実現してくれたことに非常に感謝しています。 私は昔から東洋にものすごく魅了されていました。太極拳や指圧、合気道なども少し勉強して、東洋の伝統文化 という何千年も蓄積してきた重力との関係性に興味が ありました。私は、バレエ・ダンスなどの西洋的な伝統 の中に生きている人間ですが、東洋的なものから学ぶこ とが非常に多くあると感じていました。 

私はマーシャルアーツ・指圧・合気道などの経験を通して、

「重力とは静けさで満たされた空間である。」

と思っていました。 そういった背景で田畑さんの記事を読み、大変自分に響きました。ぜひ田畑さんにお会いしたいと思っていたところに串崎さんが私のワークショップを受けに来てくれ、「ニコラのやっていることは田畑さんのやっている ことに似ていて共通点があるので、ぜひ日本に来て教え てくれないか?」と声をかけてくれました。天にも昇るような気持ちでしたよ。 身体はただ単に筋肉や臓器などで構成されているのではなく、文化や歴史に影響されているので、我々西洋人 が東洋から学ぶことは非常に多いと思います。 今までは外から東洋を観ていましたが、日本に着いてから今日まで色々な物を見たり触れたりする機会があり、 刺激に満ち溢れています。例えば、料理人がどうやって調理しているか、どういう風に料理が出されるか、ということも含めてです。 

今、東京で自分が見ていることから言えるのは、

「日本には空間を尊重しているなぁ。」と感じる在り方がたくさんあるということです。それは自分自身にとって非常に大切なことです。今回前半のワークショップのタイトルは「東洋と西洋を Em-body する」で、西洋的な空間の扱い方、重力・スペース・静けさをどういう風に見ているか、東洋ではどういう風に見ているか、両方の視点から見ていくことに よってロルファーはたくさんのことを学べると思います。 

田畑: 今日までの4日間のクラスで、ニコラさんのデモストレーションを拝見する機会がありました。すべてが静けさの中にあって、動きの 一つ一つにEm-bodyを感じました。 それは一般的なエクサイズとは対極にあって、かといって自動運動に任せて原初的な動きをするということとも異なるクオリティで、洗練された動きの中にしっかりとEm-body があり、本当に素晴らしいとしか言いようありません。そういうものはどこから培われたのか、またそのことに関して何か役立ったトレーニングなどがあれば、シェアして頂けますか? 

Nicola:どこから来ているかという問いの答えは、1つは私が芸術的なダンサーという職業だったからです。コンテンポラリーダンスのような身体表現で振付師がキーワードを出す際に、水のような液体的な 流動性のある動きを求められた時、氷になったり水になったり気体になったりするのはどういうことなんだろうという探求を、ダンスのバックグラウンドでしていました。振付師が出すキーワードの動きのクオリティを自分の中でどういうことなのか体現化していく過程が、とてもクリエイティヴなプロセスだったのです。 

それから、ロルフィングの教育を受けて、胎生学や幼年期の発達について学んだことも役立っています。 赤ちゃんが世界を発見し始めるプロセスも創造性に満ちたものです。が、大人になっていく過程や、学校に行 き始めて「はい、静かに座って」と言われたり勉強したりすることを求められる中で、失われてしまうものもあります。でも1つの細胞が 9 ヶ月かけて胎児に育っていくこともすごいプロセスで、子供が生まれてから立ち上がるまでのプロセスも、解剖学を分かっているわけでも、 自分の手足を認識しているわけでもなく、周りの大人と 同じことをやりたいという想いから、どんどん動きを獲得していきます。失敗してもいい環境と、ああなりたいという想いで習得していく過程は、とても喜びに満ちた クリエイティヴなものです。私はこの発達段階にとても可能性を感じています。でもそのような喜びや学び方を、 私たちは大人になると忘れてしまいます。身体の在り方や発達の仕方をカゴの中に閉じ込めて、忘れてしまって いる部分があるように見えます。 

大人の身体が忘れてしまった子供時代の性質を、教育の中に入れたいと思っています。子供が発達していく段階は魔法のようでもあり、サイエンスで説明できる部分も あり、でもすごく神秘的でもあります。 最初はそれをロルファーではなく一般的な人たちへ、子 供の在り方や学び方の喜びに満ちた部分を使って教えていました。のちにロルファー向けのクラスにも展開していきました。 子供が発達していく段階では、『分からなくても OK ! 』、『失敗しても大丈夫!』が前提にあるけれど、大人になるといつの間にか忘れてしまい、『失敗したくない』とか『分かっていないと…』とかがありますよね。『全部大丈夫 ! 』という環境を用意することで、安心安全な学びの場になります。失敗したり、分からないままやった りすることが学びの一部になります。それを大切にしています。子供の学び方は芸術的です。 

田畑さんのワークは「The Art of Yield」と言われていますが、ロルフィングも重力を通したコミュニケーション で アート だと思っています。 

田畑: ワークされている時は、かつて自分たちが子供だった時の無限に開かれていた可能性にフォーカスして、常にワークされているのでしょうか? 

それが、セッションの時の場を作って、安全な空間にもなり、その場がクライア ントをすごくサポートしているような気がします。 私も実際クラスでご一緒させて頂いて、ニコラさんがデモをすると、こちらもインスパイアされてインスピレーションが湧いてくるし、自分がそのインスパイアを実行することによって、どんどん可能性が広がってゆく、という循環が生まれている感じがして、すごく楽しいです。 

Nicola: それはもちろん私も同じです。同じようにインスピレ ーションを受けて、その流れを感じています。 

田畑: もし、個人セッション時に持つイメージや感覚、知覚状態、意識していること、何を大切にしてワークしているかなどがあれば、シェアして頂けますか? 

Nicola: 日本に来て皆さんと一緒に仕事をするまではっきり言葉に表せませんでしたが、日本に来たことで明確になりました。自分がセッションをするときに大事にしている のは、クライアントにとって安心・安全をどれだけ作り出せるか、です。自分自身である状態でワークできるよう準備をして、そのために毎日瞑想したり自分の内側を感じたりするようにしています。 

私は自分自身であること、自分と共にロルフィングして いる状態を大事にしていて、自分が重力と共にあるの忘 れずにいると、大脳皮質レベルではない自分の内側からクライアントと接することができると感じています。 それによりクライアントが安心・安全を感じられること で、クライアント側から自ずと立ち上がってくるものが 現れて、「ここに触れてほしいんだな」とか「こういう 問題があるんだな」とか、自分が yielding していること でクライアントから出てくるものを受け入れるのを大切にしています。 

 今日クラスで田畑さんがデモで行ったボディリーディングをする時の在り方と同じように、ただ単にボディリーディングから介入という流れではなく、ボディリーディングから既に介入が始まっている。ボディリーディングの時点から既にクライアントとの関係や変化が起きていますよね。クラスの中で行ったエクササイズで「気配を感じる」・「スペースで振動が起きている」といった、身体と身体、クライアントと出会うことから、すごく繊細なことが生じています。

今回日本に来て、私がワークしている際はやはり安心・ 安全なスペース作りを大切にしていることが明確にな りました。 それは子供も同じで、お父さんお母さんが傍にいると分 かっていると安心・リラックスして遊ぶことができますよね。子供が安心した状況にいられると、身体が自分か ら表現してくる。犬や動物も同じで、大好きな人が傍にいてくれたらリラックスし、寄りかかってきて、「ここ 撫で撫でしてよ」と身体が表現してきますよね。 人間も動物と同じで、そういった性質を持っています。 安心できる時間と空間をクライアントに用意してあげ ることで、10 シリーズの中のどこかのタイミングで、 クライアントの身体が「ここはもう少し繋がりが要るよ」 とか「ここがもう一度思い出したい場所」など表現して くるようになります。 

田畑: ポリヴェーガル理論(※)では、安全(を感じること) が強調されてはいますが私自身は embody されたうえでの、安全ということが大事になると思っています。 色々な段階の安全がありますが、それが本当に embody されるとしたら、しっかり重力に対してどれだけ誘導されているかどうかが鍵になっていると思うので、この辺りのことはもう少し強調されてもいいのかなと考えて います。 

※田畑さんからの補足:ポリヴェーガル理論では、安全であると感じることは生理学的な状態に依存していて、安全であるという合図は自律神経を穏やかにすると論じています。それを促すものとして、社会的交流の重要性が強調されています。一方、今回のクラスで得られた感覚は、上記理論とは別の観点で、安全・安心の感覚を深める可能性があると感じました。

Nicola: この3日間で思い出したことがあります。ある人の詩の引用で、“静けさというのは重力の音である”という一節です。 静けさには色々な静けさがあって、月と地球では重力の 程度が異なるので月の静けさと地球の静けさは全く別のもので、地球の方がもしかしたら同じ静けさでも音が大きいかもしれない。 安心を感じるというのは、自分がどれだけの静けさを持 つことができるか ? だと思っています。それは、例えば言葉と言葉の「間」であったりします。一つの音が終わ り新しい音が始まる「間」に新しい知覚が開いてきたり する。何が歌・音楽を作っているかというと、実は音階ではなくその「間」によってできているのです。 日常の色々な忙しい動きやノイズから、クライアントに どれだけ静けさを提供できるか、が安心なスペースを作 ることに繋がると思います。それにより色々開いてくる ことで、そこにアクセスできる。 身体に緊張があるということもノイズだと思っていて、 そこにどれだけスペースをもたらすことができるか? そこにロルファーがどれだけ静けさをもたらすことが できるか?それはただ単に話さないということではなくて、会話の「間」を作ることで生じる静けさがクライアントの「間」を感じさせたり、静けさ・スペースが増えていくことで、関節や組織にスペースができたりする と思います。 

田畑: 重力の音、という表現は印象的でした。 重力の音が「静けさ」に繋がるとしたら、そこにロルファーはチューニングするといいのではないかと感じま した。 その「静けさ」はクレニオセイクラル・バイオダイナミクスでいうところのスティルネスとも違うと思うし、別のクオリティーを持つ「静けさ」で、そこにフォーカスすれば相互に安心・安全というものが得られ、結果的に クライアントに安全な場を提供できて必要なプロセス を起こすことを誘うことができるのかなという気がし ました。 

ではそろそろ最後になりますが、今後のニコラさんの活動予定、日本のロルファー、ヨーロッパ以外のロルファーに何かメッセージがあればよろしくお願いします。

Nicola: 今後のプランについては、すごく自分の中にあってカオスになっているので、秩序立てないといけないと思っ ています。 

ロルファーへのメッセージとしては、「究極的にロルフィングはロルファーのものである」というアイダ・ロルフからの引用です。この言葉を見た時に、自分の中でロルフィングに対する理解がガラッと変わりました。それまで、ロルフィングはクライアントに触れて何かするものだと思っていましたが、そこだけ見ていても、自分が自分でいるということを軽視してクライアントの身体だけ見ていても、安心安全ではない。でも、このアイダ・ロルフの言葉に触れたことは、私にとても広い世界を開いてくれました。何かをするのではなく、自分が自分である努力が非常に大事で、ロルフィングというのは自分自身の変容のプロセスでもある。自分が自分でいられるために、私は毎朝瞑想など静かな時間をとるようにしています。それによって、色々なことに秩序をもたらせるための準備や時間をとっています。ロルフィングが自分の変容のプロセスだという気づきは、自分の人生・出会い・すべてのことが成長や発展に繋がっていくと思います。

今回皆さんと一緒に仕事をすることで日本から多くを 学んだので、これからももっと一緒に学び、育っていきたいです。 例えば、「間」に“スペース”だけでなく“静けさ”という 意味があることや、日本での空間の扱い方などは、クライアントにロルフィングを施す前に準備すべきこととして大切だと思うので、こういったことをこれから更に探求していきたいと思っています。 

田畑: ありがとうございました。 

声のパフォーマンス

身体を楽器に例えると、全体がよく響く方がいい。ロルフムーブメントの観点からは、身体にはいくつかの振動板〜ダイアフラム※構造がある。骨盤底や横隔膜もそれらの一つである。足底も含めて、ダイアフラム同士がよく響き合う状態をロルフムーブメントでは引き出す。それによって声のパフォーマンスが変わることはよく観察される。一方、水平面の共振はしばし注目されるが、垂直面の構造にも当然のことながら重要である。立位での位置関係になるが、上肢と下肢の骨間膜、胸郭内の縦隔、頭部の大脳鎌などの垂直面の振動板として捉えることができるので、これらの共鳴を引き出すと、さらに声のパフォーマンスが変化する。

しかしながら、実際に声を出す段階になると、さまざまな緊張のパターンが邪魔してパフォーマンスを上げる障害になる。たとえば、声を出そうとするあまり、喉や胸郭上腔をぎゅっと狭めてしまうパターンがあると、どんどん声帯に負担がかかってしまう。いかに空間を狭めず空気の通りを妨げないように響かせるかがポイントになってくる。

からだの内側での共鳴だけでは、実は足りない。周囲の空間に響かせる必要がある。そうなると、空間との関係性が鍵になってくる。スピーカー自体の性能がよくても、部屋の構造とその配置が大切なのと同じである。

声といっても、様々な音域があるので、響かせやすい音域がそれぞれ異なる。声というと声の出し方に注意がいきやすいが、声帯を通して、身体のどのダイアフラムと共振させて、空間にそれを響かせていくか、といういくつかの段階がある。「声を出す」と聞くと、出力の一方向性が強調されるが、響くためには、振動板間、からだと空間との間の双方向の共振が含まれることにきがついていると、それだけで声についての捉え方、響かせ方が変わってくる。

声のパフォーマンスを上げようとするとき、どの段階がネックになっているのか、どの振動板の共振がイマイチなのか?その制限のパターンがどこから生じるのか?見極める必要がある。

※ダイアフラム:ロルフムーブメントでは、身体内の空間を仕切る水平膜として機能する構造を指す。口腔底、骨盤底、足底などが含まれる。音響学では、振動板と訳されている。