介入はより精妙な方へ

「ロルフィングを受けるということは,車を大衆車フォードから高級車ジャグワに身体を乗り換えるようなものです。ジャグワの乗り心地を知ってしまえば,乗り換えてからの時間の長さに関わらす,誰もフォードにまた乗リ変えようとは思わないものです。」 – 創始者アイダロルフ博士の言葉

この例えは、「乗り心地」が劇的に変わることをいいたいので、大衆車と高級車を引き合いに出していますが、実際のセッションは、全く別の車に乗り換えるわけではないので、材料はそのままで腕利きの整備士にチューンアップしてもらって、結果として乗り心地がガラッと変わるということだと思います。

いい乗り心地を体験すれば後戻りしない、それが持続性につながります。ただし、ここで問題なのは、どんなセッションでもそうなる保証はないということです。グレードアップしたつもりが、チューンアップを担当した整備士がポンコツってこともあります。当然ですが、その仕上がり具合によって、後戻りするかしないか決まります。

そこで、車をよく知り、状況を把握した上で、腕利きの整備士が担当したとします。すると車もドライバーも大満足するわけですが、次の整備の時に担当が変わって、雑な整備しかしてくれなかったとします。そうすると、当然不満が出るわけで、またあの腕のいい人を指名したくなるでしょう。それと同じで、車も身体も精度が高い調整がなされると、その先の整備・調整はより高い技能を持った整備士にお願いしたくなるものです。

身体はメカニックというより楽器とみることもできるので、車より別の例え、ピアノの方が当てはまるかもしれません。ピアノは、いい調律を受けた後に、さらに正確な調整をしようとした場合に、雑な調律ではかえって音が外れてしまいます。さらに調整を先に進めるためには、雑なやり方はもはやそぐわないことになります。

身体は、有機体なので、毎回同じような刺激には慣れてしまうし、先に進むためにはその都度でてくる課題を読みとり、さらに先に進化する手助けになるような介入を求めています。毎回固くなるところを毎回同じように揉む、毎回滞りが生じるところを解放する、のくり返しでは、一時凌ぎのパターンを強化しているに過ぎません。身体の統合が進めば、身体の応答性・反応性は高まり、自己組織化する力も向上してくるはずなので、介入はより繊細で少しの時間で済むようにシフトしていくはずです。

もし、その方向に進んでいないとしたら、受け手が本来のライフスタイルや人生の流れに逆らっているか、または、整備・調律する施術側が、受け手の身体の自力で調整する力を奪っていることになります。