月別アーカイブ: 2017年6月

Post 10セッションとその後

理学療法士でピラティス講師有資格者の方の10シリーズ後のPost10セッションについての感想が届いています。


セッション中

久しぶりに伺って少し緊張したが、セッションが始まると落ち着く。いつものように自然と体が動きだす。少し動きをコントロールしながら自分の中にその動きが漂うのを感じる。あっというまに終わってしまったような感じがあるが、セッション中の問いや刺激が以前よりマイルドに体に馴染む感じがある。
終わった後に写真をとってもらってびっくり。10シリーズが終わったあと、また母が亡くなった時期前後から調子が崩れ始めて、元に戻っているような感じがあったが元には戻ってはいなく、更に変化が体に馴染んでいる感じがして驚いた。
10/29
セッションが終わって着替えようとした瞬間にふと今までの体の中に持続していた嫌な緊張感がすっと途切れたことを感じる。すっきりしていてお腹も軽くなり何かを食べたくなる。帰り道歩いているとふくらはぎが軽く痙攣して普段ここを使っていなかったことを実感。ご飯を食べると体がずんと重くなり我にかえるような感じがする。体が休みたがっていて横になりたかったが仕事があったためカフェでぼーっとする。
10/31
久しぶりにしっかりとした月経がある。母の命日の少し前から調子が崩れていたので一度リセットできて安心をする。セッション後に感じた緊張の糸がぱちんと切れて緩んだ感覚がとても影響していることを感じる。
11/3
久しぶりに祝日に休みを取った。秋晴れの気持ちが良い日。朝は眠くて寝坊ぎみ。出かけるも体はスイッチオフモード。やらなければいけないこともあるがまずは休息と思って帰宅後昼寝をする。自分が動きたいか、休みたいかがとても良くわかる。10シリーズのあともそれを実感したが、その感覚がより一層厚くなったような感じ。
セッション後意識してメモを取っていたのはここまで。
その後も続けてセッションを受けたいと思っていましたが、徐々に体を変化を追っていたらその変化が留まらず、心身ともに本当に良いタイミングで妊娠となり今に至ってしまいました。
妊娠後も安定期前、安定期後心身ともに振れ幅は大きくないですが、寧ろ色々な体の変化を内側からじわじわとした感じで今までにはない不思議な内向的な状態で過ごしていました。
思春期以降月経のリズムは崩れている状態が普通で、仕事をするようになってからそれは著明に表れており、自分で体の状態を意識する前から自然と体が守りに入ることは自覚していました。その不調の重要性を若い時はさほど認識していませんでしたが、30代前から体が思うように動かなくなるのを自覚して自分が子供を産めるかどうかは潜在的に常に不安に思っていたように思います。
今回色々な流れで10シリーズを受けることを決めて、その後またセッションを受けた後に体がリセットされたように感じてその後妊娠したのは、自分の中では決して偶然とは感じてはいないです。(10シリーズの開始時に自然と妊娠出来る体を作りたいとお伝えしてはいませんでしたが、体調や自分の感覚を整えた結果として暗に思っていたのは事実です。)
妊娠経過中はやはり未体験の日々の連続なので不安はありましたが、辛くてどうしようもないと思うような悪阻もなく過ごしました。8ヶ月になった今は後半に突入した安心感もあり、ようやく自分の今の状態での体の変化も比較的上手く受け止められるようになり、仕事量も減ったことで外向き内向きの感覚が良いバランスで生活が出来ている所です。
10シリーズを受ける前は歩くのが辛い、前に進まないと思っていましたが、体が重くなった今もお腹のちょっとした張り以外は辛いと思う事な動いて、歩いています。
セッション中に感じ取った体の置き場所を探すこと、身を預ける感覚を作る事は今でもちょっとした不調に役立っていて、いつもベットの上のイメージを引き出して使っています。ありがとうございます。
自分の内側から湧き出る動きに身を任せる、逆に抑制するスイッチの存在やオンオフも以前より身近にあることを感じています。
今までになく自分の感覚を疑わず、でも捕われず、素直に日々暮らしていると思います。

違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなもの

遠方から通って頂いた,ピアノ演奏家の方から,体験記が届きました。ご本人の許可を得て,以下ご紹介します。


初めてロルフィングを受けたとき、まず一番に感じたのは、こんなふうに繊細に、感覚を大事にしてほしい、という身体の声でした。
いろんなものがこみ上げてきて、泣きそうになったのを覚えています。

外側のことはきっかけにすぎず、自分を縛っていたのは、だれでもなく自分だったんだな、と思います。

最初は、痛みで日常生活もつらく、しっかり寝ることもできない状態でした。田畑さんが、繊細に誠実に身体に接してくださる度に、身体が安心していくようでした。
そしていろんな違和感もゆっくり聞こえるようになり、子供の頃に感じていたことをたくさん思い出すようになりました。

締め付けが嫌で、パンツを履くのが嫌いでよく怒られていたこと。
集団の中で同じ動きをするのが苦手だったこと。
ひとりで何かに向かう時間が好きだったこと。
山でいろんなものを見つけては、感動していたこと。
ピアノを弾くことや、土を触ること、自分が好きなことをするのは、ただシンプルな身体の欲求だったこと。

そんな小さないろんなことが、ふっと出てくるようになって、ゆっくり自分の感覚が戻ってきたように感じています。
大人になるにつれて、少しずついろんなことを我慢したり、周りに合わせなきゃと思いすぎていたり、自分とは違う方向に、気づかないうちにずれていっていたんだなと思います。

痛みが出ることに対しても、自分の身体を無意識に責めてしまっていたんだなと気づきました。その痛みは身体を守って、そっちは違うよーと知らせてくれていたのにな、と。

今は、痛みもだいぶ和らいできていますが、痛みが出ているときも、あ、何を言おうとしてるのかな?とそれを感じながら受けとめて、心地よい感覚を探りながら、今どうしたい?と、ゆっくり身体を見守れるようになってきたように思います。
ときどき不安になったり、イライラしてしまうときも、まぁそんなときもあるよね~と、焦らず気持ちを感じていけるようにもなってきています。
こんなふうに自分のいろんな面に対して大丈夫だよ、と言ってあげられるようになったのは、とても大きな変化でした。
違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなものとして感じるようにもなってきました。
そして心地よい方に意識を向けていくことが本当に大事なんだなと。

自分のことも人のことも、弱い存在として心配の目で見るのではなく、自分で良くなる力を持っている存在として信頼の目で見ていくほうが、どんなに心強いことかと感じています。

ロルフィング中、田畑さんに、今はどんなかんじですか?と聞かれたとき、最初は言葉にしていくのを難しく感じたこともあったのですが、途中から(日常生活でも)すぐに言葉にしようとするのではなくて、自分の感覚をゆっくり見てあげて、それを自分なりの言葉になるまで待ってから、ゆっくり出してあげようと思うようになりました。自分の言葉も、拙くてもいいから大事にしてあげようと。

そうしているうちに、自分はこう思う、と言うこと(嫌なことを断ることや、私は違いますと言うこと)も、身体が一緒に手伝ってくれて、前よりも自然に外に出せるようになってきたように思います。

自分の心地いいペースは、自分が思っていたよりも本当にゆっくり、ちょっとずつだったんだなぁということにも気づきました。
やってみて、なんか違うなと思ったら、いったん止まってまた身体に聞いてみる。やめたいと言ってきたらやめる。嫌な場所からは離れる。そんなふうに、生活の中でだんだんと身体の声を尊重していけるようになってきました。それも、ゆっくりちょっとずつです。

また、周りにいる人たちがそれぞれに心地よくいるかんじが、なんかゆるむし嬉しくなるな~と、こんなふうに心地よさは自然と伝わっていくんだな~と、いろんな場面であらためて感じています。
その度に、自分にできることは、やっぱり自分の感覚を大切にすること、どんなときでも、心地よい方に意識を向けていくことなんだということも。

セッションではいつも、その方向に自然と向かえるような、静かなきっかけをいただいたように感じています。
自分の感覚に気づいて、それをちゃんと自分で信じてあげること。そして自分で進んでいけるように、感覚を通して、身体の深くに届けてもらっているような感じでした。

ゆっくり感じていった自分の感覚は、本当はこんなふうに生きたい、と内側で少しずつ広がっていっている気がしています。
ただじんわりあったかくなるような感覚で生きていきたい。それだけなんだな~と。

これからは、身体の声と自然な流れにまかせつつ、ゆっくりたんたんと、心地よくいることに心を置いて過ごしていきたいなと思っています。
小さく楽しみながら。

たくさんの気づきのきっかけや、あたたかいサポートをいただき、本当に感謝しています。

ありがとうございました。


Rolfer’s note:  主体を自分に戻すということは,パフォーマンスを上げるより大切なことだと最近強く思います。小関さんのヒモトレはそれを目指したものとのことです。

 

呼吸と休息のためのワークショップ in 郡山・福島

一週前には大和郡山を訪れ,次の日曜6月4日(日)は 福島県郡山市でワークショップ。

ロルファー仲間5人と共に郡山駅近くの会場に向かう。今回は,避難解除によって福島に戻ってくる方々もこの春増えるというお話を昨年11月に伺っていた。そのせいか,いつになく申込みは早い段階で埋まった。

午前のワークショップは15名,個人セッションは,25名の方々にロルフィング体験して頂いた。遠くは岩手,栃木,いわき市,福島市,会津若松,三春町,そして現地から集まって頂いた。
時間枠や場所など,通常のセッションと設定が異なる状況で,どれだけ早い決断とセッションに集中できるか,ロルファーにとってその力量が問われる貴重な機会となっている。 震災の影響がある土地でワークをするということだけで,何かの支援という意味合いはもはやない。
ソマティックワークは,エンターテインメント性が必要だ。身体が心地よくなる,気分が変わる,これはワークに意味がなければ起こりえない変化だ。
その変化の体感があれば,それに対して投げ銭してもらう。ストリートで芸や演奏するアーティストと同じ感覚である。 面白ければそれに応じてお金という形で交換しバランスを取る。
初回は無料ではじめたが,参加者のお一人が,無料だと参加しづらいし遠慮してしまうので,お金をとって下さいという申し出があった。確かに気兼ねなく参加してもらうにはその方が正解かもと思って,今のところ,投げ銭方式をとっている。
結果としてだが,ワークショップ,そして個人セッションも,お決まりのスクーリング形式のトレーニングでは得られない,ワークの幅を広げる貴重な学びの場となっている。 通常の個人セッションと異なる設定で,あれこれ考える間も与えられない状況でセッションに集中すると,今まで使っていなかった力を使いはじめる自分を感じる。そしてその体験がまた,通常のセッションにも何か発見をもたらすいい循環になっているようだ。
会の終わりには,頂いたお金を持って,打ち上げ。とても不思議なことに,会計をすると,頂いたお金と会食代金がほとんど同じ額になる。偶然とはいえ,どこか上の方で会計してくれている気持ちになります。

 

Demonstration in pregress

歩きを観る

交換ワーク中

同行ロルファーズ at June 6th in 2017

今回の同行メンバーロルファー仲間

 

人生の流れに乗る

山陰から通ってくれているクライアントがどんどんいろんなことに気づいてきて,それをシェアしてくれた。音楽教師でピアノ演奏家でもある彼女は,練習のし過ぎで身体を痛めてしまったことをきっかけとして,セッションに来ている。

彼女は,身体が整ってくるにしたがって,感覚も回復してきて,嫌な場所にいると我慢できないし,何か不自然なことに対して,より敏感になったという。それによって,方向性にズレがあると,身体が教えてくれるようになったという。

ロルフィングは,身体の不具合が調整されたり,パフォーマンスが向上することも勿論大切だが,仮にピアノが急に前のようなパフォーマンスで弾けるようになったとしても,身体を痛めるような使い方や演奏や練習に対する考え方や姿勢が変わらなければ,意味はないだろう。付け焼き刃でパフォーマンスを維持するより,せっかく身体から痛みというサインが出たのだから,生き方そのものを修正しているという見方ができなければ同じことのくり返しになってしまう。

どこにフォーカスして生きるかは人それぞれだが,それぞれの人生の方向性や流れがあるとすれば,それに乗っているときに,人間にとって身体はむしろ気にならない存在となる。何かの不自然さを身体が教えてくれるという認識があれば,すぐに軌道修正することができる。

身体がセンサーとなり,送られてくるサインを無視しなければ,人はよくわからない占い漬けやセミナー中毒になったり,人からだまされたり,できるけどしたくないことにやっきになったり,身体を痛めることをわかっていながら,ついやってしまうようなパターンに陥ることもないだろう。

ロルフィングの私が引き出したい最も大切な変化は,この身体のセンサーの感度を上げ,身体と一致することで,その人自身の人生の流れに乗る手助けになればいいなと思う。

 

違和感がなくなることが目的ではない。それを細かく感じ取ることができるように手助けする。つまり,治療ではないということだ。

そのセッションを続けるか,中止するか?  

クライアントの中には,過去のトラウマを何とかしたいために,様々な療法を試みた方がいらっしゃいます。でもセラピストから言われたことがそのままトラウマになっているケースも多いようです。

Aさんは,虐待経験のある方であるトラウマ療法に何度も通ったらしいのですが,

(1)セラピストが治療中寝てしまうことが多発。

(2)希望しているセラピー以外のことをしたがる。

(3)トラウマ体験を話したくないという意向を聞いてもらえない。

(4)中止を申し出ると「今中断すると今までやってきたことがすべて無駄になってしまうので止めてはいけない。」という対応。

ここで,(1)に関しては,ボディ中心のワークですと,クライアントと共鳴しつつ,深く入っていく過程で覚醒度が下がって,意識が落ちたように度々なることは起こりえるので,一概に”よくない”態度と決めつけることはできません。ただ,セラピストが寝不足だったり,実際にセッションへの集中度が下がっている場合,それ以外に双方に麻酔のトラウマを持っている場合にもそうしたことが起こり得る可能性があります。いずれにしても,セラピスト側の問題はできるだけクリアして臨む努力は必須と考えられます。

(2)と(3)に関しては,クライアントの意向は聞くべきで,セラピストの充足感のためのセラピーになっていないかチェックする必要があります。

(4)については,ロルフィングのようにシリーズで受けて初めて意味が出てくる場合もありますが,あくまで原則であって,仮に中断したとしても全くそれまでのワークが意味のないものになってしまうということはないはずです。また,クライアントがどうしても中断したいという意志は尊重されるべきです。

(4)のような対応を受けたAさんは,結局セラピストを変えたものの,言われた言葉がずっと気になってしまい,夜眠れなくなる,寝てもビクビクしながらすぐ目が覚めてしまう日々が続いたということです。つまり,セラピストの言葉がトラウマになってしまったケースです。セラピーを開始するよりさらに後退する結果となっているのは深刻な事態で,このケースでは,明らかにそのセラピストの言動に問題があったといえます。

オリエンテーションを失って非常に気弱になっているクライアントが,半ば強引に主導権をもっている指導者なりセラピストに引っ張ってもらってなんとかなるケースもあるにはありますが,最終的にクライアントが自分の感覚で様々な判断や選択ができるようにencourageまたは,enpowerすることがプラクティショナーの役割だとすれば,それを感じられない場合は,できるだけ早めに,思い切って,そのセラピストと縁を切って別のチョイスに目を向けることです。

感じとる力が蘇ってくれば,最初からそのセラピストには何か不自然なものをもう少しはっきり感じ取って,そこにすら行かない状態になれるはず,それが目指すところ。ただ,人間弱くなっていると肚の感覚より情報を優先して判断してしまいがちなので,セラピーを提供する側は,クライアントを”囲いこまない”,”自由意志を尊重する”,”セッション中の言動には十分過ぎる程注意する”こと肝に銘じるべきでしょう。