月別アーカイブ: 2018年2月

回復にはいろんな道筋があるはず

本来は,治癒や回復を促すための医療や援助の仕事が,その目的に反して,かえって被害にあってしまうこともあります。

ある技法でうまくいかなかったとしても,その技法で受けた被害は,その技法を通してしか回復できないと助言するような浅はかで経験値の足りない輩の言葉が頭から離れず影響を受けてしまうこともあるようです。

ある技法で受けた被害は,その技法を通してしか解放できないというのは何の根拠もない戯言です。
受けた苦痛は同種の苦痛を通してしか解決できないというような身体技法もあるようですが,害ある思い違いです。

人は観たいものしか観ないということの反映だったりして,でたらめな考え方は多く存在します。じゃあ,強烈な整体で骨折した怪我は,同じ技法でしか治せないといっているのと変わらないです。

なぜなら,治る主体はあくまで受け手にあるので,そのきっかけはどんな方法でも構わないのです。

トラウマについて,一見全く関係のないことをしていて,例えばあるマンガを読んだことによって,嘘のように深刻なトラウマの事件への捉え方が変わってしまったというクライアントの方もいました。ただ,3ヶ月して理由なく泣いたら,痛みがなくなった方,2年かかって気がついたら変化していた方もいます。

回復の過程には様々な角度からの可能性や時間の介在があるのだと思います。

ですから,それがまともなアドバイスであれば,腑に落ちる感覚があるのと,それを打開しようとする行為自体に周りもサポートしてくれる自然な流れがあるはず。それがないようでしたら,とりあえず,一息ついて,他人のいうことは他人事の戯言として聞き捨てることも時には必要です。

あくまで,あなたの生き方や考えは誰に支配される必要もなく,主体はあなた自身にあって,決定権はあなたにあるのです。

10シリーズ終了4ヶ月後に頂いた,心に響く感想

 

月一のペースで遠方から通って頂いた方が,10月にロルフィングシリーズを終了。それから4ヶ月経って,その後について感想を送ってくれました。

ロルファーとして感じていたのは,セッションをすごく大切に,そして感謝と共に受けて頂いていたことです。私もそのことに対して,敬意を覚えたことを記憶しています。 頂いた体験記を拝読して,提供する側として受け手がどうそれを捉えようとも,一つ一つ大切にセッションをしなければいけないと改めて感じたい次第です。

ともすると,施術者側からすると,複数のクライアントの中の一人ですが,受け手からすれば,ロルフィングを受ける私という人間は,複数とは関係のない,たった一人の自分であることを忘れてはいけないのです。

長年不具合を感じていた方のその後

仕事

仕事に関して,英語ではいろんな単語がある。

work,business, labor, profession 。。。

businessとして割り切り,お金メインで忙しく詰め込むセッションには隙間がない。余裕や一つ一つのセッションへの丁寧さや,受けに来てくれることへの感謝が薄らいでしまう。

研修で習ったことを鵜呑みに忠実にするあまり,task化してしまうと飽きがきていたり,身体に負担があるのにそれを推して行うと,きつい労働Laborになる。

援助職の本来目指す意味での仕事は,workだろう。いろんな側面があって,結果的にお金に結びついたりしているが,バランスをとるためのお金の交換であって,お金優先でクライアントのサポートが二の次になってしまうとしたら,方向性が間違っていることになる。

さらにお金だとわかりやすいのだが,援助職というその立場を悪用して,クライアントよりも高い位置に自分を置く欲求を満たそうとする行為,つまりマウンティングのためにその職業を選んでいるんじゃないのか?と疑いたくなるおうな輩もいる。

立ち直ろうとする受け手は,元々元気いっぱいではなく弱っている場合が多いので,容易に無神経な言葉の投げかけで傷つきやすい。さらには個人情報も握られているのでつけ込まれやすい。

その人の仕事の姿勢,マウンティングや営利優先なのか?チェックする必要がある。悲しいかな,そういう輩は少なくないので注意が必要だ。

そこで本当に必要なことを終えるまでは,通うことに意味があるが,健全な関係性とは,いつでも止めることができるけど,そこでまだワークする価値がある,好奇心があるからセッションするという関係性であって,永続的に通い続けるように囲い込もうとする縛りに念や重さはないはず。

人格が伴わない中途半端に勘がある輩は,巧みに方向づけしたり,今とりあえず扱う必要のない,あるいは元々ない問題を作って,気になるように仕向けたりする。そうした行為は,もほや,workではない。ワクチンを売る業者が,そのウイルスも製造してばらまいて儲けるような行為とおなじである。

 

 

 

 

 

動的で健全な関係性とは?

つながり,の大切さを強調されすぎると,今度は一度つながった関係性から離れるのが難しくなる。そうなるとしがらみや囚われの中での関係性となり,結果として,次に出会うべき人や行くべき場所にアクセスするチャンスを逃してしまうことになる。

例えば,分子と分子にしても,一旦結合したらもはや離れない,共有結合もあるが,結合力は強固ではないけれども,その代わり,離れたり,またくっつくことが動的にできる,水素結合のようなつながり方もある。

人と人,人と場所も,必要なときにつながり,そうでないときには離れることができるような,ゆるい遊びのある関係性が健全だ。

固定化されていない,動的な状態,いったりきたりできる自由な関係性をつねに築きたいもの。

ネットでつながったり,いろんなつながり方があるけれども,つながりを強調しておけば,離れることに罪悪感を持たせたり,本能的な帰属欲求を刺激することで,グループやコミュニティから離れる動きを抑え込むことができる。

会社を辞めるときに加入していた生命保険を辞めようとしたときに,保険の担当のおばさんが,いつもニコニコ対応していた顔から一変して鬼のような形相と対応になったことを覚えている。

うちの親父は90才で一人暮らしだが,孤立して孤独なわけではなく,独りを楽しんでいる。そのような状態をloneiness ではなく,solitudeというらしい。人によっては誰かと群れていたい人もいれば,ほっておいてほしい人もいる。ほっておいてもらう自由があるはずなのだ。

しがらみの中でのネットワークやグループに籍をおくことで,漠然とした不安を誤魔化しているとしたら,とりあえず距離を置いてみる。会合を休んでみる。行くのを延期してみる。そのコミュニティが健全であれば,その自由を認めてくれるはずだ。
そうでないとしたら,その関係性は健全ではない。そこから離れようとした瞬間,搾取する側は供給されるモノが絶たれてしまうため,あるいはその脱退の連鎖がおこるのを押さえるために,別の顔を現す。

あなたをケアしているはずのセラピストや所属しているグループから,そこでできることを完了して,次のレベルに移行する時にその人達はそれを心から喜んでくれるだろうか?

それとも,何か理由をつけて囲いこもうとするだろうか?

必要な時に出会い,つながることも大切だが,離れるタイミングがきたら,離れる自由を確保していたい。なぜなら次に出会うべき人や機会が遠ざかってしまう。それでもそこに留まったり通い続ける場合,自分が何を得ようとしてそこにいっているのかが明確で自覚できていればいいと思う。

移行期,大きくシフトするタイミングが人生には何度か訪れるが,今までのパターンを捨てて慣れないやり方になるので,不安になったり,混乱を感じたり,という時期が必ずある。

そこは焦らず,長い目でみて,躍動する時期もあれば充電期もあるとして,じっくり進むしかないのだろう。

統合するということは,一貫性をもっていろんなレベルを一致させて行くということ。身体の整合性や内側の関係性が変わっていくと,身体の外との関係性にも影響が及んでくる。

SE同期の高田美和子さんを偲ぶ

一番右が高田美和子さん

高田美和子さんが1月13日に亡くなられたそうです。

同じSomatic Experiencing(SE)トレーニングの東京1期生として,ご一緒させて頂きました。

美和子さんとの思い出は,東日本大震災の2ヶ月後に,一緒に宮城県七ヶ浜を訪れた時のことです。SE第一人者藤原千枝子さんの呼びかけで,Ale Duateを団長とする震災支援チームが結成されました。

震災の影響からフェリーで仙台入りすると,驚いたことに現地を牛耳るとんでもない教育マフィアのおっさんがいて,にわかには信じられないかもしれませんが,こちらの活動に対して露骨な妨害をしてきたのです。チームが機能しないように二分しようとしたり,現地の方々に提供しようと考えていたワークショップを自分のグループ向けに変更しようとしたり,会場に届くように手配した書籍はほったらかし,空きスペースを利用して会場の方々に提供し始めたSEセッションに横槍をいれてきたりと,やりたい放題 – 想像以上のワルでした。

妨害やら様々なストレスの中,チーム全体がダウンしかけたときに,そんな状況に左右されず,キラキラとしたエネルギーを維持したまま,一番活躍したのが,紛れもなく美和子さんだったのです。

美和子さんの辛抱強い電話交渉の末,行方のわからなかった書籍も回収できて間に合い,横槍が入る前にチームメンバーが現地の方々に提供し始めたSEセッションの受付も待ちがないように滞りなく段取りよく振り分けてくれたのも美和子さんでした。

普段研修中で自分が知ってたはずの美和子さんから想像もできないほどの活躍ぶりに,

“美和子さん,すごいですね,”

というと,

”毎日の暮らしの方がいろんなことを感じすぎて,大変だから,この状況は特別ではなく,むしろ大丈夫なんです,”

と。

”そうか!ってことは美和子さんは平時より,”有事に強い”ってことですね,”

というと,ニコニコ笑っていました。

チームメンバーがセッションを進める中,完全に裏方に回ってもらったので,そのことに対して申し訳ない気持ちを伝えると,またもやキラキラと,

“私が信頼する最高のプラクティショナー達からワークを受けてもらうお手伝いができるのは本当にうれしい。”

と心から仰っていました。

美和子さんはその空間の隅々まで細かく感じて受けとっていて,私達が想像できないくらい密度の濃い体験の毎日だったのかと思うと胸が痛みます。

生の笑顔をもう拝見できないのはとても寂しいですが,精一杯生きられた美和子さんのご冥福をせめてお祈りしたいと思います。

合掌