回復にはいろんな道筋があるはず

本来は,治癒や回復を促すための医療や援助の仕事が,その目的に反して,かえって被害にあってしまうこともあります。

ある技法でうまくいかなかったとしても,その技法で受けた被害は,その技法を通してしか回復できないと助言するような浅はかで経験値の足りない輩の言葉が頭から離れず影響を受けてしまうこともあるようです。

ある技法で受けた被害は,その技法を通してしか解放できないというのは何の根拠もない戯言です。
受けた苦痛は同種の苦痛を通してしか解決できないというような身体技法もあるようですが,害ある思い違いです。

人は観たいものしか観ないということの反映だったりして,でたらめな考え方は多く存在します。じゃあ,強烈な整体で骨折した怪我は,同じ技法でしか治せないといっているのと変わらないです。

なぜなら,治る主体はあくまで受け手にあるので,そのきっかけはどんな方法でも構わないのです。

トラウマについて,一見全く関係のないことをしていて,例えばあるマンガを読んだことによって,嘘のように深刻なトラウマの事件への捉え方が変わってしまったというクライアントの方もいました。ただ,3ヶ月して理由なく泣いたら,痛みがなくなった方,2年かかって気がついたら変化していた方もいます。

回復の過程には様々な角度からの可能性や時間の介在があるのだと思います。

ですから,それがまともなアドバイスであれば,腑に落ちる感覚があるのと,それを打開しようとする行為自体に周りもサポートしてくれる自然な流れがあるはず。それがないようでしたら,とりあえず,一息ついて,他人のいうことは他人事の戯言として聞き捨てることも時には必要です。

あくまで,あなたの生き方や考えは誰に支配される必要もなく,主体はあなた自身にあって,決定権はあなたにあるのです。