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身体をポジティブなエネルギーで満たす

渡航に関して制限が生じる直前に、サイキックカウンセラーのウィリアム・レーネンさんが来日された。こういう時期だからこそ、自分ができることをしたいという思いで、一ヶ月先の来日予定を変更しての渡航。ご高齢にも関わらず、松葉杖と車椅子を使っての移動はかなりハードなはず。時差ボケもないパワフルさにいつも驚きと感動する。

セッションはいつものように絶妙な伊藤さんの通訳と共に、整理され明確なメッセージに形作られていくが、今回最初に私を観て、「非常にポジティブなエネルギー」で満たされているとのこと。それによって、ウイルスが入ってくることができず、健康体であるとのことだった。多くの方が気づいているように、今は状況が目まぐるしく変化しているので、今日決めたことが明日には全く別の選択を余儀なくされる時期なのだという。

今月の頭には、バイ・ディジタルO-リングテスト(BDORT)の下津浦先生にビデオ診断して頂き、新型コロナウイルスは陰性とのことで、非常にいい状態であるとの診断結果をもらった。BDORTは、生体の電磁波共鳴を用いた高感度かつ非侵襲的で迅速な診断ができるので、こうした方法が日本でも「求める人が」かんたんにアクセスできることを願うばかりである。さて、今ウイルス診断にPCR法が用いられているが、PCR自体は特異性があって、一つの特定遺伝子がたった一個でも検体に含まれていれば、高感度に検出される。原理的には高感度で特異的なのだが、サンプリングする時の実際の操作で、擬陽性となる可能性は否定できない。測定までの過程で他の検体や衣類や微小なゴミが混入する可能性や、測定の処理の規模が大きくなると操作が雑になってしまうヒューマンエラーも生じる。疑いだせばきりがないが、一個の遺伝子だけでも増幅操作によって、全く関係のないものを拾ってしまう可能性がある。

ただ、今回の新型ウイルスの特徴で強調されている、全く自覚のない感染者が、どんどん感染を広げる、という特徴についてだが、そんなことはあるだろうか?? 未知のものとはいえ、健康で全く何の違和感もなく、ウイルスの侵入に気づかないというほど、身体は愚かなのか?という点である。むしろ、それを小さいながらも違和感として気づかないような生き方をしてきたとしたら、それを見直すべきだと思う。そしてその、違和感をキャッチできる程度の免疫があれば、自然免疫も当然ながら維持されていることになるはずである。

今年93歳になる私の父は、こうしたウイルス騒ぎにも影響されず、「くたばる時にはくたばるからなあ」といっているが、よくわからないことにビビって、自然免疫を下げて生活するより、お迎えが来るときには来るし、そうでなければ、もう少し生きていていいと、大きな存在がいってくれているぐらい、適当に暮らすのがいいのではないかと思う。

人間の寿命は、感染はきっかけになるかもしれないが、大きな枠が左右されるようなことはないという気がする。

外出自粛が公表されてからその直前の平日にいろんなところが混んでいた。ただ、前倒しになっただけで、この段階で、政治的に何かをやってますというパフォーマンスになっているだけで、人の本質的な動きに大きな影響を与えるだけの効果があるとは到底思えない。拡散をほんの少しゆっくりにできるかもしれないが、ある週末だけ唐突に自宅にいることが、「ウイルスの封じ込め」になっていると洗脳されて、同調している思考停止の方が恐ろしい。

しかしながら、そうした不安の中にいるところからいろんな考えを出そうとしても、所詮不安を誤魔化すための発想になっているので、他の意見を聴く耳は持たない。そこをベースにしている限り、米国で銃が売れているような行動パターンとさほど代わりは無い。

主要メディアからのニュースで毒されるより、ポジティブなエネルギーで自分を満たす、そのために、自分が今できることを身体を使って行動する、それが結果的に免疫力を維持することにもつながるはずだ。80代の身体にハンディを持つレーネンさんの行動力にはいつも感動する。

私も今できることは、このまま自分の体調をしっかりモニターしながらも、わたしのセッションを今求める方々に、いつも通り提供していくことだと思っている。

PS.レーネンさんには来日ごとに僭越ながら交換セッションをさせて頂いている。エネルギーに敏感なレーネンさんから、大切なお身体に触れる許可を頂くのは誠に光栄なことである。ちなみに今回の私のワークの感想は、”different new” だった。うまく表現できないけど、あえていうとそういうことらしい。

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#田畑浩良 さんと #ウィリアムレーネン

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自分の感覚と考えで判断する

周りがどうであろうと、自分の肚の感覚ほど確かなものはない。結局は、そもそもそう感じていた、最初に感じたあの感覚は正しかったという、確認でしかないことが多い。

後々振り返ってみれば、震災の時の計画停電のように、本当にそれって必要だったのか疑わしいことって後からわかることが多い。大したことなかった一方で、結局、核発電所はメルトダウンしてたじゃん、ってこともあるので注意が必要ですが。。

ともあれ、今回のコロナ狂想曲も、ただの風邪と何が違ってたの?ってところでいつの間にか収まるはずである。なぜなら現象的には致死率がインフルエンザとさして変わらず、唯一違うのは、新しいってこと。その「新しさ」を利用して、クラスターなる新しい用語で煙に巻かれそうになり、それが、前WHO関係者だったりすると、専門家のいうこと、という権威で思考停止になりがちかもしれない。クラスターなんて言葉を使わなくても、小集団でよい。新しいウイルスだろうと既知のウイルスだろうが、それが流行る時は、その個体にとって新規に感染するわけだから、何の違いもない。ウイルスは常に突然変異しながら、生き残りをかけてるので、いわば感染のプロである。それに触れないことは不可能だし、大集団であろうと、小集団であろうと、感染者が一人いれば、伝染するのは当たり前である。ウイルスが未知のものであるということと、クラスターなる言葉を利用して、不安が煽られているように感じる。クラスターを介して伝染するのが、コロナウイルスの特徴であるような説明では、到底納得できない。

WHOが何と言おうと、マスクは内側で湿度を保ち、何割かは外からの侵入をカットできることと、空気感染する他の菌やウイルスの存在が常にあるわけだから、マスク着用が有効なことには変わりない。

本当に必要な政策なのか、それとも何かをしているように見せるためのパフォーマンスとしての政策なのか?不安につけ込んで、薬や何かを売って儲けようとしている輩に踊らされないように注意しなければいけない。

感染イコール発症ではない。ウイルスに触れても持ち前の自然免疫でそれを抑えて液性免疫を獲得すれば、それが重症化することはない。或いは、軽症でもそこから回復すれば、より免疫を獲得したといえるので、むしろ、備えができたことになる。

結局のところ、健康な人が、風邪で大騒ぎすることはない。

抵抗力が落ちているかどうかは、年齢で計れるものではない。若くても栄養と休息が足りてなければ、感染で重症化することもあるだろう。年配でも、元気バリバリの先輩はたくさんいる。つまり、本人がちょっと調子が悪ければ外出を控えて暖かくしておくのは、当たり前。それを判断するのは各人が自分の判断でするべきで、お上の要請ですることではない。身体を相談して、その感覚を元に行動すれば、一斉に自粛する必要もなく、普段通り生活していけるはずだと思う。

今回の狂想曲では、ゆっくり休めた人も多いようだが、それは上や他人からではなく、自分でそうした時間を確保すべきで、そのことをありがたがる程のおめでたさは要らないような気がする。

COVID-19感染についての考察

病原体に接しないと、抗体を介しての液性免疫は獲得できない。元々持っているマクロファージなどが活躍する先天的自然免疫が常に何とかしてくれてる。弱ってて免疫が落ちてて、そこにどっかりウイルスが入ってくれば、そりゃ自然免疫も太刀打ちできないが、通常の健康体なら、この自然免疫でまず押さえ込み、次に抗体を作って外敵がある程度の数やってきても、対抗できる体制ができる。だから、病原体あるいはその抗原に接しないことには、抗体だのみの液性免疫は獲得されない。

だから、はしかパーティみたいな乱暴な接し方は推奨されないとしても、お外は開放系でウイルスは何某かの形で接する機会は普通にあるので、自然免疫で発症を抑えられる程度の健康体で、きわめて微量のウイルス(できれば弱毒化した)に接するということが、ウイルスへの免疫を獲得する自然な流れだと思う。 
その積み重ねが、必ず疫病は収束するということにつながっている。

だから、健康な人は普通に暮らせばそれでちょうどいいことになると思う。

感染イコール発症ではないので、元々持っている自然免疫をもっと信じていいと思っています。

インフルエンザとCOVID-19の検査方法の違い

インフルエンザ検査は、抗原抗体反応を利用した測定で、一方COVID-19は、PCR法で測定されている。

PCR法は、ノーベル賞を受賞したマリス博士が開発した画期的な方法で、原理的には、一個のウイルス遺伝子が検体に含まれていれば、陽性として検知することができる。ノイズを拾い難く特異性が高く、高感度。遺伝子増幅に時間がかかるので、その日のうちには結果がでない。
一方、一般の病院で実施されているインフルエンザ検査は、数十分で簡易判定可能で、ウイルスに対する抗体(動物由来の大抵モノクローナル抗体)を使って、それが結合するかどうかで判定する。ウイルスとの結合に特異性はあるけど、PCRのように増幅する工程がないため、ある程度のまとまった数のウイルスがないと、検出できない。つまり、ウイルスがあっても微量が故に、陰性になる可能性がPCR法よりも高い。

インフルエンザの検査も同じPCR法でもし行っていたら、感染してるけど、発症しない健康な人結構いますねってことになるはず。だから、インフルエンザより、COVID-19の方が感度よく検出されている分、広まりや危険性が強い印象に一見なっているけど、結局感染率や致死率は、同程度ということに代わりは無い。

COVID-19について未知でわからないことがあることや、検査用の抗体作成が未だなので、しかたなくPCR法で測定せざるを得ない状況で、そこにメディアの伝え方にも問題があるため、必要以上に「怖れ」が煽られているように思います。

重症の人が原因特定のための診断として用いる必要性はあるとしてもPCR陽性者がたくさんいることをことさら強調してもあまり意味がありません。

感染は液性免疫を獲得するために必要と考えれば、恐れることはない。そして、あくまで感染イコール発症ではない。

発症までいかないようにするには自然免疫の維持しかない。

自然免疫を維持するには、日頃からの食生活や十分な休息がベースにありますが、免疫を計る一つの指標、ナチュラルキラー細胞の活性(NK活性)、これを上げるには、高周波成分を含む、いい音を全身で浴びるといいことが、ハイパーソニック効果の研究結果からわかっています。自然音、和楽器やガムランの響きにはその成分がリッチに含まれているそうです。

かたや、自宅に籠もって、不安を煽るようなニュースばかり見ていると、NK活性は自ずと下がることになります。

外から言われて、内向きに何かを控えたりするより、
心を明るくしたり、自分を上げてくれる活動やアートに触れる場所に足を運んだ方が、免疫にはプラスになります。

自粛モードは、小規模のいいお店や大切な企画を潰すきっかけになり、社会機能を低下させ、結果個人にも悪影響をもたらします。すでに多くの方が、震災時の自粛で経験しているばずです。それを意味なく助長させてはいけないと思います。

ウイルスに対する消毒作業の限界

手洗いやうがいの励行が叫ばれていますが、それはほどほどでいいと思います。アルコール消毒をやり過ぎれば、手や指先の皮膚の表皮の油脂が除かれて、荒れやすくなり、皮膚のバリアとしての機能が低下します。殺菌用アルコール類は、買い占めの影響で売り切れ続出ですが、他に逆性せっけんなどの薬剤も殺菌に役立ちます。過去病院にいくと白い琺瑯の洗面器に医師が手をつけていた光景があると思いますが、それは塩化ベンザルコニウム、商品名オスバンで、それは3月1日現在、薬局で見かけます。ただ、オスバンは、指先が荒れやすいので、それより皮膚に優しい、クロルヘキシジングルコン酸塩液(商品名ヒビテン)がお勧めですが、入手が以前より困難のようです。喉のうがいには、イソジンが有効です。これらを使用することで、かなりの殺菌効果を得ることができます。ただ、外からできるだけ病原体を入れないことも大切とはいえ、それには限界があります。

免疫を上げる補助として

からだに侵入してきて闘う実行部隊としての免疫系を維持するために、栄養と休息を取ることが基本です。その補助として、医学実験データがあるものは、

〇 チャーガ:C型肝炎ウイルスを10分で1/100に <https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22462058>

プロポリス、乳果オリゴ糖(商品名オリゴワン)、ロイテリ菌などです。