自分の感覚と考えで判断する

周りがどうであろうと、自分の肚の感覚ほど確かなものはない。結局は、そもそもそう感じていた、最初に感じたあの感覚は正しかったという、確認でしかないことが多い。

後々振り返ってみれば、震災の時の計画停電のように、本当にそれって必要だったのか疑わしいことって後からわかることが多い。大したことなかった一方で、結局、核発電所はメルトダウンしてたじゃん、ってこともあるので注意が必要ですが。。

ともあれ、今回のコロナ狂想曲も、ただの風邪と何が違ってたの?ってところでいつの間にか収まるはずである。なぜなら現象的には致死率がインフルエンザとさして変わらず、唯一違うのは、新しいってこと。その「新しさ」を利用して、クラスターなる新しい用語で煙に巻かれそうになり、それが、前WHO関係者だったりすると、専門家のいうこと、という権威で思考停止になりがちかもしれない。クラスターなんて言葉を使わなくても、小集団でよい。新しいウイルスだろうと既知のウイルスだろうが、それが流行る時は、その個体にとって新規に感染するわけだから、何の違いもない。ウイルスは常に突然変異しながら、生き残りをかけてるので、いわば感染のプロである。それに触れないことは不可能だし、大集団であろうと、小集団であろうと、感染者が一人いれば、伝染するのは当たり前である。ウイルスが未知のものであるということと、クラスターなる言葉を利用して、不安が煽られているように感じる。クラスターを介して伝染するのが、コロナウイルスの特徴であるような説明では、到底納得できない。

WHOが何と言おうと、マスクは内側で湿度を保ち、何割かは外からの侵入をカットできることと、空気感染する他の菌やウイルスの存在が常にあるわけだから、マスク着用が有効なことには変わりない。

本当に必要な政策なのか、それとも何かをしているように見せるためのパフォーマンスとしての政策なのか?不安につけ込んで、薬や何かを売って儲けようとしている輩に踊らされないように注意しなければいけない。

感染イコール発症ではない。ウイルスに触れても持ち前の自然免疫でそれを抑えて液性免疫を獲得すれば、それが重症化することはない。或いは、軽症でもそこから回復すれば、より免疫を獲得したといえるので、むしろ、備えができたことになる。

結局のところ、健康な人が、風邪で大騒ぎすることはない。

抵抗力が落ちているかどうかは、年齢で計れるものではない。若くても栄養と休息が足りてなければ、感染で重症化することもあるだろう。年配でも、元気バリバリの先輩はたくさんいる。つまり、本人がちょっと調子が悪ければ外出を控えて暖かくしておくのは、当たり前。それを判断するのは各人が自分の判断でするべきで、お上の要請ですることではない。身体を相談して、その感覚を元に行動すれば、一斉に自粛する必要もなく、普段通り生活していけるはずだと思う。

今回の狂想曲では、ゆっくり休めた人も多いようだが、それは上や他人からではなく、自分でそうした時間を確保すべきで、そのことをありがたがる程のおめでたさは要らないような気がする。