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適応障害と診断されたクライアントへのAdvancedシリーズ

“数年前にRolfing 10シリーズを受診し、長年苦しんでいた腰痛は完治したものの、昨年適応障害を患い数ヶ月休職した頃から、首周辺の流れが悪く頭が働かず、疲れやすくなっておりました。頭脳労働に偏った仕事をしており、頭が働かないと差し支えがあるため、Advanced5を受診することにいたしました。
治療中も身体が少しずつ緩んでいくのがわかりましたが、治療を受けた後に、治療前の写真と比較していただくと明らかにバランスが変わり、腰の反りが治って身体の負担が減っているのがわかりました。また、来院の際は重く感じて肩に掛けられなかったトートバッグを、帰りには肩に掛けて歩くことができるようになっており、バランスが修正されたのを感じました。
治療から4日経ちました、頭がすっきりとし、以前のように働き始めたのを感じています。”

2回目以降の続きは、

Yieldは、『ひたすら平和な感覚を伝授する儀式』

イールド(The Art of Yield)を学んでいる方から、セッションを受けた方が、興味深い体験をnoteに綴っています。

Rolfingの素晴らしいところは、10レシピと呼ばれる型があるので、それを各ロルファーがくり返し実践することで、体験から学び、スキルを向上させていくことができる点です。

技法が本質的であるためには、様々な解釈が成り立つ隙間があって、型はありつつも、そこから個々に発展させることが可能でなければいけないと常に思っています。

技法が細かいテクニックの伝授に偏ってしまうと、弟子はいつまでたっても師匠を超えられず、マウンティングされ続け、不動のヒエラルキーが形成されます。

そうした組織の構造はいずれ機能不全を起こし、自然な学びのぷろせすである、守破離からも程遠いものです。

そう考えると、イールドを学び、独自にセッションの機会を設けて実践しているMさんの姿勢は、本質的な学びのプロセスにあり、イールドの技法自体も中心にあるように思わせてくれる体験記です。

https://note.com/tadokublog/n/n647987f0f8c5?fbclid=IwAR3kl8ljjzsWgD5mq5DobFjHrtg9K0Y9kYtx8qPfvciZUn7GHoAK8_1XJHg

身体の境界

現在セッションをお受け頂いている方から、「どこまでが身体か?」という疑問がでてきた興味深い体験をシェアして頂きました。

以下シリーズ7回目のセッションのレポートです。

今回はとても細かい部位の調整ではありましたが、いつもの様に身体の中のつながりを感じながら、心地よく受けられました。

今回、面白かったのはセッションが終わって目をあける時、あれ、どこまで身体なのかな…という感覚が強かった事でした。実際の身体の境界線がかなり薄くて、その身体よりもひとまわりか、もう少し大きなサイズ感で、あれ?身体なのかな?という感覚がリアルにありました。ちなみに厳密なここまでが身体という区切りがなくて、ぼんやり暗くて見えないけど、もう少し先にも続いている様な不思議な体感でした。

松果体とかにも関係してるのかもしれない…などとも思ってはみたのですが、今まで感じた事がない感覚でしたので、とても興味深く、これは田畑さんに伺うしかないと思い、帰り際に、身体がどこまでか?という質問をさせて頂いた次第でした。その時、田畑さんから、胎児が胎盤の中にいる時のお話が出たので、なるほど・・・確かに胎児の頃、自分と地続きで母親の体があり、その母の血肉というか、その身体の一部が、かつて自分の身体でもあったという事が、この時の不思議な追体験とすっとつながり、より理解できた気がしました。よく精神的なトラウマを解放するのに使われるヒプノセラピーなどの胎児体験とは少し違い、自分の実際の身体に対する意識がこの時、多分、かなり変化しました。

セッション後は、仕事面で色々と大きな変化を迎えていて心身ともに落ち着かない日々だったからなのか、なんとなく歯の噛み締めに意識が向く事が増えていますが、気になることはそれくらいでしょうか…。ここ2ヶ月あまり、田畑さんのセッションで調整して貰うたびに身体の気の流れが軽くなり、本当に嘘みたいに軽く、楽に感じられてきたので、最近は、逆に気の重さに対しても敏感になってきた様にも感じます。どうしていけば、もっと日々の中で流れが良くなるのか…考えてみたいと思います。

介護に関して

介護というと、ただでさえ周囲が深刻で閉塞感が生まれやすい状況ではあるが、被介護者の回復力や自己組織力は、どの段階においても存在する。

介護される側の高齢者は、日々調子が揺らぐ中で、かつて難なくできた動作が困難になり、衰えが生じてくる。抗うことのできない自然なプロセスとしての自己解体(=死)の方向に向かっていく流れの中で、介助側には、「何ができるか、その日その時にできることは何なのか?」を見つけ出し、淡々と行っていくことが求められる。

本人にとって、そのサポートがどれだけ役立っているのか?どれ程の意味を持つのか?それがベストな選択なのか?は、実際のところわからない。

だからこそ、そこで、ヒモのようなワンクッション置いた存在の介在は、視野を広げる。介入に対してのわずかなレスポンスを見逃さず、次にどうつなげていくのか、地道に続けて行く以外に道はない。提供したことが、どう受け取られるのかはその時の状況によってそれぞれ異なる。いずれにしても、長期的な支援には、淡々と続けていく「忍耐強さ」に加え、あくなき「研究心」が、求められる。そのためにも、被介護・被養護者の、”今の状態”をそのまま観て判断する必要がある。

この姿勢と観察は、すべての援助職が求められる力である。

家族は関係が近い分、介護に関してはできるだけ、ケアマネージャーやヘルパーさんなどのサービスを多用して、プロフェッショナルな立場から多くの人材にサポートしてもらうことが望ましい。特に父は、身内以外の他の人が家に入ってくることに大きな拒否感を、もっていたが、実際にヘルパーの方に来てもらうようになったら、幸運にも誠実でいい方々に当たり、父もそおきびきびした仕事ぶりに感心して、快く受け容れるようになった。どんな人が来てくれるかによるが、あの頑固一徹親父でもサービスの利用を受け容れるようになったのだから、いいケアマネージャーさんの勘とタイミング、どのヘルパーさんに当たるかによって、介護はスムーズにいくのだろうと思う。

一連の介護サービスを利用するまでには、介護認定に一ヶ月ほど時間がかかるため、早めの手続きをお勧めしたい。サービスが軌道に乗るまでの期間は、ちょうどコロナ禍で超多忙な妻に時間的に多少ゆとりがあるというタイミングもあり、全面的に食事その他のサポートをしてもらい、本当に助かった。被介護者にとって、食事は命と直結している。引っ越し直後は自力で身体を起こすことも困難で、看護師さんから、施設の利用を勧められる程状態はよくなかったが、約3ヶ月に渡って、妻の愛情たっぷりの食事で、何とか持ちこたえた。両足に浮腫もあったが、2ヶ月後にはそれもなくなり、短い距離なら自立歩行も可能になった。また、シニア向け住居という高齢で一人暮らしが可能な物件がたまたま近くにできて、ラッキーだった。施設ではないため、面会が制限されることもないことは本当に有り難い。同時にCovid-19も指定感染症のレベルを落として、あまり時間が長くのこっていない高齢の親御さんとの面会の制限が一刻も早く解除されることを願う。

現在はまた状況も変わってきているが、えぼし巻など使えるものは利用しながら、父とのあまり残っていない時間を大切に過ごしているこの頃である。

介護も子育ても共通しているのは、人の助けを積極的に求めた方がいいことである。人選は吟味しないといけないが、狭い関係性で抱え込んでしまうとお互いにいい結果を生まない。疲労困憊してしまうと、いろんなことが苦痛になってしまい、それは最も避けたいことである。お互いいい時間を過ごし、お互いを好きでいられるためにも、自分にも負担を課さない工夫が必要だと思う。できるけど、それ程得意ではない分野のことは、他者の助けを得た方がいい。そうでないと、気がつかないうちに疲弊してしまう。その人の命綱を握るのは複数で分担しながら、多くの関係性の中でサポートするのが介護のポイントのような気がする。


科学のいいところ

科学者は通常、データを元に考察してディスカッションする。科学の前では、研究者は平等である。そこが科学の素晴らしいところです。NIHのギャロ博士の研究室に留学した古巣の研究所の先輩がいっていたが、ボスの言ったことに間違いがあるとためらいなく、ラボのメンバーがすかさず訂正していたという。ボスであるギャロも面子を気にすることなく、フラットに接していた様子が印象的だったという。

一方、科学的思考の前では、立場に関係なく、平等にディスカッションされるべきであるという理想とは別に、日本の会社の古い体質、取引先との関係性など、実際には様々な事情が存在する。

あるとき、前の会社の先輩Oさんが、某大学医学部の教授と研究開発会議の席で、教授の考えに異を唱え、「そんなことやっても無駄ですよ!」と正直に意見した。それを当時の研究所所長が慌てて、先輩に注意したことがあったそうである。けれども、科学的思考から、納得できないような意見を鵜呑みにして従ってしまうと、結局そのツケとして、彼の部下がしょうもない実験=無駄な時間と労力を強いられることになるわけで、そこはハーバード大学に留学して科学的思考をトレーニングされたOさんが、妥協できるわけがない。

立場に関係なく、平等にディスカッションする、それが科学のすばらしいところだと思う。

科学は思考停止を嫌う。権威がある科学者の意見だから、賞をもらった研究者だから、あるいは、インパクト指数が高い論文に掲載された内容だから、政府がそういっているから、NHKがそういっているから、などなど、それらは、科学的に正しいかどうか?ということとは、全く関係が無い。

科学は、まず疑う。陳腐なスピリチュアルやポジティブ思考は、疑わず腑に落ちてないのに鵜呑みにしてしまう。疑って、自分で検証する地道な作業から、定説を覆す発見が生まれる。そのためには、よく一つ一つデータを観察することだ。

感染者の数字を見るとき、母集団としてどんな集団を対象に、どのような特異性と感度を持ったどんな検査方法を用いて、どれだけの数を検査したのか? それによって、その数値の意味が違ってくる。それらを出さずに数字だけ示すと、意図した側に都合のいい印象を与えることができる。

ロックダウンは全く意味がなかったという結論に対する、十分な反論もないまま、何となく感染者数増大の数字だけ放送されて、何となく恐怖が煽られて、外出も控えたままだったり、びくついている受験生もいるという。

そんなとき、宮沢孝幸先生と武田邦彦先生の対談、ためになります。科学者、研究者はこうでないといけないと思います。

Be aware of Darkness

野村監督が言ってた。「人の悪口を言わないような人間は信用できない。」と。

できれば、ものごとそんなネガティブな捉え方はしたくない。でも、世の中には、悪意が存在し、それを認めた上で行動し考えなければならないこともある。

ビリオネアが、ワクチン産業ビジネスでもっと儲けようとしている。人はそんなことしないはず、という常識は通用しない。

今見ておくべき、ドキュメンタリー見つけました。

自然免疫のインフラを整える①

そのために私が実践していることです。個々の状況に応じる必要がありますが、参考になれば取り入れ、腑に落ちなければ、取り入れない、自分が選択する自由が最優先です。

基礎的なこと:

1.しっかり休息、よく眠る。そのために、日光に当たる、うっすら汗をかく程度に身体を動かすか、毎日湯船に浸かる。

2. 抗酸化物質を含むものを取る。私は、Bio-Chagaを愛用。

3.腸内菌叢を整える。そのために、ロイテリ菌ヨーグルトを種菌として低温殺菌の低脂肪牛乳でヨーグルトを作ってます。38℃で作ると、固まらないため扱い。近年、腸内菌叢が積極的に免疫に関わっていることが明らかになっています。腸内菌叢の栄養としてのオリゴワンも摂取しています。

4. 朝は、TVをつけない。不安が煽られる情報を見て一日を台無しにしない。生活の中にある静けさに耳を傾け、身体の内側でなっている音を聴いてみる。

5. 近所にいつもいっている食事処にいって、空いててくれることに感謝しながら、足を運ぶ。

基礎の上にゆとりがでてきたら:

1.時間があることで今までできなかった、今しかできないことに時間を使う。

2. 有益な情報を自分から取りに行く。

これを機に、免疫を勉強してみる。結局自分で判断して行動するためには、それに必要な知識が必要。理解しておくべきことは、薬やワクチンに頼らずとも本来、自然免疫と呼ばれる非特異的な免疫系がすでに備わっている、ということです。自然免疫と獲得免疫については、京都大学河本研のサイトの説明がわかりやすいです。

現代の豊富な栄養供給や、オーソドックスな薬やワクチンに頼らずとも、疫病は必ず収束してきたこと。麻疹に一度かかると二度と罹らない一方で、ヘルペスウイルスが元になっている帯状疱疹は、全体の免疫が落ちてくると、ぶり返すことがある、一部の生物は、自然免疫だけで成り立っている。

基本免疫と獲得免疫については、参考になります。症状が急激に悪化する原因として、サイトカインストームという現象がありますが、それを起こさないためにも、元々備わっている基本免疫系が獲得免疫系をコントロールできる状態を作る必要があります。

James Hildreth医師 (ジョンスホプキンス大)は、
 “the virus is fully an exosome in every sense of the word.” 「ウイルスは、あらゆる意味において完全に細胞外小胞-エクソソームである。」

https://rupress.org/jcb/article/162/6/960/33690/When-is-a-virus-an-exosome

といっています。細胞間のコミュニケーションのために、エクソソームを介して伝達し合う性質が元々あるなら、ウイルスというものに対する認識を変える必要があります。

感染リスクを下げるためにどうしたらいいかのヒントになる、京都大学大学院レジリアンス実践ユニットの提案

Rolfing及び、The Art of Yieldには、癌、心臓病、認知症などの生活習慣病を遠ざける可能性がある

COVID-19感染拡大の影響で、中止となった2020年のBi-Digital O-Ring Test国際学会で発表予定だった抄録です。

Title: ロルフィングによって身体構造が重力への適応性を向上させることは、バ イ・ディジタルO-リングテスト上どんな意味を持つのか?

1.田畑浩良 Certified Advanced RolferTM, International Rolf Movement faculty of Dr.Ida Rolf Institute.
2.下津浦康裕 M.D.,F.I.C.A.E., Cert. ORT-MD (7 Dan) (日本 BDORT 協会会長;下津浦内科医院院長)

はじめに
Rolfing® Structural Integration(以下ロルフィング®)は、軟部組織のマニピュレーション と動きの教育を用いて身体構造を統合するための教育プロセスである。この技法は、身体 が重力への適応性を上げることで、生活の質を向上させ、身体パフォーマンスを上げるこ とが知られている。ロルフィングは、症状の改善を目的としたいわゆる治療ではないが、 身体のバランスが整うにしたがって、何らかの症状が改善することが例が報告されてい る。重力への適応能を向上させることが、どのようにして症状改善につながるのか、その メカニズムについてはよくわかっていない。
一方、大村と下津浦は、彼等がFoot Gravitation Center(FGC)と呼ぶ、足の甲の特定の ポイントを刺激することが治療効果を有し、いくつかの生活習慣病の指標となる検査用物 質を減少させることを報告している。FGCへの刺激は、足のアーチを強化すると考えら れ、ロルフィング同様、身体の重力への適応能を上げると考えられる。我々は、ロルフィ ングのセッションの前後で、酸化ストレスマーカーの一つ、8-OHdGのレベルがどのよう に変化するのかを、高感度かつ非侵襲的に評価可能なバイ・ディジタルO-リングテスト を用いて測定した。

方法
ロルフィング10シリーズは、Ida P. Rolfの10回のプロトコールに従って進められた。その 際、田畑とAgneessensが発展させたThe Art of Yieldを導入して、セッションを提供し た。何らかの既往歴があり、写真データの使用許可が得られているケースを対象とし、8-OHdGのレベルは、ロルフィング前後の写真から、下津浦ORT-MD (7 Dan)が測定した。 +25 ~ -100の間での測定値で、値が低い程、疾病から遠い状態にあると判断される。

表1. ロルフィングの酸化ストレスマーカー, 8-OHdGのレベルに与える影響

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結果 : ロルフィング10セッションによって、2ケース以外の10ケースにおいて、8-OHdGの値が 減少していた。ケースJにおいては、8-OHdGが10シリーズ後+5から-70にまで減少 し、さらにメンテナンスのセッションをうけることにより、最終的に-90まで減少してい た。ケースKにおいても継続的にセッションを受けることにより、最初の+25から最終的 に-20まで下がっていた。一方、ケースLに関しては、10セッション前後で数値が+25 と変わらず、乳癌除去後-20にまで減少し、さらにセッションすることで、-30まで減少 するという反応性に違いが認められた。このケースに関しては、その後化学療法を行って いるが、それに対応して8-OHdGの値も上昇していた。

Fig.1 Case J Fig.2 Case K Fig.3 Case G Fig.4 Case E

結論: 一部のケースを除き、ロルフィングのプロセスによって、酸化ストレスマーカーで ある8-OHdGのレベルが減少する可能性が示唆された。8-OHdGが低レベルで抑えられ ることは、がんや心臓病、認知症などの生活習慣病になり難い、つまり健康レベルが高い ことを意味する。ロルフィングによって身体構造が重力への適応性を向上させることは、 身体のパフォーマンスだけでなく、健康のレベルをより高め、病気の予後の再発防止にも 役立つ可能性があると推測される。

参考文献:

Agneessens, C. and H. Tahata 2012 Jun. “Yielding: Engaging Touch, Presence, and the Physiology of Wholeness.” Structural Integration: The Journal of the Rolf Institute® 40(1):10–16.

Tahata, H. 2018 Mar. “Working with Ma: Further Refinement of the Yielding Approach through Time, Space, and Intersubjectivity.” Structural Integration: The Journal of the Rolf Institute® 46(1):44–51.

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リモートセッションのご案内

リクエストがあれば、10年くらい前からSkypeで、Somatic Experiencing®のセッションを提供していたのですが、コロナウイルス渦でリモートセッションのリクエストも増えてきました。

最近用いられるようになってきたZoomは、接続も良好で音声やビデオも優秀で、双方向のやり取りにもストレスが無くなってきたと思います。(いちいち聞き直したり、声のトーンが伝わらないとクオリティが下がりますから)

ウイルス渦で外出制限や自粛モードの中、身体に動きや広がりが少なくなり、全体が固まりやすかったり、気分が重くなりやすいです。そんなときは、いろんなリセットの仕方がありますけど、こちらのリモートセッションも一つのオプションとしてご活用ください。

Zoomによるリモートセッション : 12500円 / 50分

YieldとMaと身体共鳴を元にMovement、Somatic Experiencingを用います。

お申込みフォーム

https://rolfinger.com/script/mailform/remote/

以下、リモートセッションを最近受けたクライアントの方からの感想です。この方は、化学療法中なので、そもそも外出を控える必要があったケースでしたが、違和感の解消につながったり、空間への捉え方を含む知覚に変化を与えることができたので、リモートセッションの可能性を実感しました。

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田畑さんのzoomセッションに。  セッションルームで受けるのも楽しいけど、やっぱりオンラインだと全く別物としての面白さがあります。今日の調子として、鳩尾のつかえと右目の痙攣とイライラどんよりした気分をお伝えしてスタート。まずは田畑さんに手伝っていただきながら、椅子に座ってのポジション探し。座り方によって鳩尾のつかえが少し楽になることを見つけてから、楽な身体の向きを探しました。後ろを向くと圧迫感があり、左右に向きすぎると鳩尾の重さがシャープに、痛みに近い感じに感じられました。まずは少しだけ右を向いた位置で様子を見ました。身体の中心の軸が通る感覚が出てきた。今度は少し左を向いてみました。右と比べて中心の軸ではなくて周りにふわんと広がっていくような感じ。どっちも悪くはない気がするとお伝えしたら「どっちで進めてみたいですか?」と尋ねられたので「馴染みがある感覚は左で、割と新しいのが右です」という事で、新しい感じの方で進めてみることにしました。やや右でしばらく待つと下から上に向かう軸の流れとともに鳩尾以外の上半身の力が抜けて、身体の内側のスペースが出てきた感じ。でもまだ鳩尾の重さがある。次に田畑さんの提案で立ってみたら、座っている時よりも頭上の空間や地面を感じ取りやすくていい感じでした。身体の向きも、やや左寄りの後ろ向きの時に空間が軽くなる感覚があって、しばらくその向きで様子を見てみました。施術台でyield受けてる時と同じくらいの感じでお腹がポカポカ暖かくなってきて、自分の中でいつもこの暖かさと横たえた身体が施術台にぺたんとくっついていく感覚がセットになっていたので「コレ立っててもなるんだ…」と面白かった。田畑さんに「私は身体の共鳴としてお腹と腿の前側を感じますが、どうですか?」と尋ねられ、「お腹はポカポカするけど、前腿はわかりません」とお答えしたら「では、前腿が感じ取れるくらいの小さな動きで足踏みしてみてください」と言われました。やってみたら足の裏が暖かくなってきました。猫が前足で毛布とか踏み踏みしてるみたいな感じだなあ…と思いながら踏み踏みしてたら、踏み込む感じが強くなってきて、饂飩の生地を足で踏んで捏ねてるみたいな感覚になってきた。これは…!超楽しい!しかも、踏み込む足と連動して肩甲骨あたりが動いている感じ。身体に纏まりが出てきて、捏ねてる私と捏ねられてる私が一体化してるみたいな…これはまさにパントマイム

ノリノリで捏ねていたら、腕が置いてきぼりになっているのが気になってきました。肩が前に入って繋がりが途切れ、二の腕近辺がめっちゃ違和感。「手が動きたがっている動きを探してみたらどうですか」と提案して頂いて探してみて、手首くらいのとこを参加させてみたけれどイマイチ。次に「肘を使ってみたら」と提案して頂いてそのようにしてみたら、かなりいい感じになりました。首も動き出した感じ。でもまだ途切れがちなインターネットみたい。特に「捏ねるぞ」という意識が強くなると、身体の中に滞り?力み?ポイントが出てきて、流れを妨げてギクシャクしてくる感じ。そうなってくるとイメージを見失い、連動も途切れてしまう。自分が何してるのか分からなくなってきて、動きの目的とか正解とかを問いたくなってくる。でも今私うどん捏ねるパントマイムしてる訳じゃないし、そこを問うのも違う気がする。けど「問わないぞ!」っていうとこに意識やりすぎると「正解を問わないという形の正解を追求する」という謎ループに入りそうで、このややこしい感じちょっと笑えるなあと思いました。更に掌の感覚を使ってみる事を提案していただいてやってみたら、非常に良い感じになりました。足の裏で踏み込む感覚が地面から押し上げられる感覚になり、手で飴細工の飴を上下に引っ張り伸ばすような感覚とリンクして軸を中心に引き上げるような感覚が出てきた。気がついたら鳩尾も目も気にならなくなり、意識もクリアになりました。視界が左右に広く、背中側の空間が広くなって壁までの距離感が出てきた感じ。今回も子供がちょいちょい乱入してきたのですが、何で末っ子は若尾さんのセッションの時には乱入してこないのに田畑さんのセッションの時だけ乱入してくるのだろうか。色々と面白かったです!整った身体に助けて貰って、今週末の最後の投薬を乗り切ろう。

上記はZoomセッション2回目で、1回目の感想は、以下の通りです。(ZoomでつながらずFacetimeで接続)

田畑さんのzoomセッションへ。オンラインでどうやるんだろう?と興味津々だったのですが、感覚やイメージ、意識の向け方などを指示してもらいつつ画面で身体の変化を観てもらい、行き先を誘導してもらう感じでした。タッチがない分自分でやる事が多く、対面のセッションと比べると変化がゆっくりだったり地味だったりはするけれど、その分自分の意識と身体との連動が見つけやすいなと思いました。対面よりも稽古っぽいところが面白かった。しかし、情報量が多すぎて覚え切れずちょっと順番が曖昧…。誘導と変化との組み合わせがもしかしたら違うとこがあるかも

まず身体が緩む向き、位置を田畑さんに手伝って貰いながら探して、そこに留まり身体を見る。昨晩お腹が痛くて夜中に目が覚めてしまい、今朝もお腹が重痛くて呼吸がしづらい。加えて、静寂はあるけど何となくどんよりしてる。空間の広がりに意識を向けていると少し呼吸が入りやすくなったり、身体に緊張がある場所に気づいてそこを抜いたり。私の中では空間の広がりに意識を向ける感覚=静寂に意識向ける感覚なような気がするんだけど、広がりを強めようとすると身体が緊張してるような気がしました。田畑さんに質問してみたら「少し広がりをコンパクトにしてみたら」と提案してくださったのでそのようにしてみました。少し背中が丸くなって椅子の座面に身体を預け易くなった感じ。肩の前側の力も抜けた。視界が左右に広がった感じ。田畑さんから目を閉じて、耳で聴くようにして左右のスペースを感じてみるように言われてそうしてみました。そこでまた少し呼吸の入り方が変化して、胃、それから腸が動き始めたような感覚がありました。そこから、お腹の痛みの感覚がどんな感じ(色とか、形とか、質感とか)かを質問され、その逆のイメージを感じてみるように言われました。「灰色で、球体もしくは卵型で、密度の濃いガスみたいなもの」がお腹に入っている感じ。それが食道伝って頭の方まで来ていて、それがどんより感に繋がっているような…。真逆のイメージと言われてちょっと困ったのだけれど、田畑さんに相談して「白くて、球体の表面から外向きに発散していて、薄い」でトライしてみました。しばらくそれをしていると、胸に呼吸が入るようになってきて、ボワンとしていた痛みが、密度が濃くなってコンパクトになった。どこが痛むのかわかりやすくなった。イメージする前より表面で上の方だなあと思いました。食道から頭に繋がっていたラインは鎖骨の合わせ目くらいのところで外に抜けていくような感じ。途中何度か末っ子が乱入してきたのもあってこの辺から記憶があんまりない。身体の変化から言うとお腹がだいぶ楽になり、呼吸や声も深くなったり、頭の側面と目の奥が緩んだ感じ。外の空間や静寂に意識向けるときにやりすぎない方がいい(自分が楽で快適な範囲でやる方が緩む)というのは目から鱗だったし、その他にも身体の共鳴と肚の感覚を使って遊ぶためのヒントとか、座禅の時の感覚についてとか、色々と感覚で遊ぶためのヒントを頂いたりして楽しかったです。逆ベクトルの方向性があると身体が安定するというお話は、思い起こせばJIDAIさんに習っていたパントマイムの中に沢山あって、モノを押すときには必ずモノに押される力が働くのとか、カウンターなんとか(テクニック名。忘れた)とか、そういう相反する力を同時に作るからモノの重さや質感を身ひとつで見せられるんだよなあと思ってセッション後にエア船漕ぎやエア粘土こねをしてみました。逆ベクトルという目線で動くとまたいつもと違う感じで面白いな。オンラインでも感覚についての発見ができるし、身体を整える事もできるのがわかってとても有意義でした。楽しかった〜!

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個別に観る

今年93歳になる親父に、シニア向け住居に引っ越してもらった。保険証には、後期高齢者というなんとも失礼なラベリングがなされ、巷のコロナウイルス騒ぎでは、感染が重症化するリスクが高いと、建前上、命を大切にされているような位置付けになっている。

確かに感染後65歳以上であれば、重症化のリスクは高まるけれども、持病を持っているか?もともとの免疫力が高いかどうかが問題で、状況はそれぞれである。その年齢だから、一律に重症化リスクが高いという見方は間違いである。個々に状況が違うという見方をしない限り、救える命も救えず、必要のない医療介入で病棟を埋めてしまう事態になりかねない。

親父、一人暮らし後半の数ヶ月間、コロナ騒ぎの中、つい先日までいつも通り焼き肉屋さんや鰻屋さんやカフェで過ごしたりもした。家でじっとしてるより、スタミナをつけた方がいい場合だってある。

話に聞くと、老人介護施設は、家族の面会も許されず、訪問ヘルパーなどのサービスも停止しているらしい。障害がある方々にも大変な負荷がかかっているとのこと。十分配慮すれば、家族くらい面会させてあげたいし、サポートによって人間らしい暮らしがなりたっている人々にサービスが行き渡らなくなるのは、間違いなく弊害を生むし、弱者は元々声を上げずらい立場にある。生きることの意味は、生きていればそれでいいわけはない。日々をどう生きるか、どう過ごすか、その質を低下させてまで、何かを我慢する理由に十分な説得力と整合性はあるのか?

ぶっちゃけ、人間の寿命とは、外的要因に左右されることはあっても、それが必要十分条件ではなく、もっと何か大きな運命といったものに支配されているように思う。それが、単なるウイルスごときで大きく変更されることはないと思う。

そもそも、自粛を要請したり、戦争を始める側の人間は、それを発したとしても、何のリスクも負わない。自粛させられた側や戦地に趣く人々にだけ負荷とリスクが伴う。従って、よほど説得力を持った筋の通った政策でなければ、他者にそれを強要してはいけない。過剰自粛による間接的な国民被害:自殺者の増加のリスクも十分考慮する必要がある。これについては、京都大学大学院レジリアンス実践ユニットの提案が参考になる。

満員電車やテレビ局のロケバスは問題がなく、カラオケや小規模のライブイベントがだめで、プロ野球の無観客試合の選手がベンチでぎっしりしているのはOKで、屋形船がだめな理由はどこにあるのか? 政治献金したり、TVのスポンサーになっている企業に不利な報道ができず、それが政策にも反映しているとしたら、到底納得できない。TVがいっているからとか、専門家や権威がある人間が言っているかどうかではなく、まず信頼できるデータを観て、個々に自分で考える必要がある。この辺りは、武田邦彦先生の考えに同意する。

感染による死亡者や重症者をクローズアップして、患者数ではなく感染者数をカウントして、不安を煽るようなニュースばかり見ていると、気分のみならず免疫も下がってくるはず。数字のトリックとして、仮に薬の有効率が7割だったとしたら、人々は喜んでその薬を服用するだろう。一方、ウイルス感染により2割が重症化するとしても、実際には8割の人は回復していることにちゃんと目を向ければ、そんなにテンパることもないんじゃないのか? 高齢者の命ぐわっ! と目くじら立てる人ほど、お年寄りに普段優しく接していますか?と問いたい。それを名目に利用しているだけなんじゃないだろうか?

ちなみに、現在父と毎日3,4時間は接する機会があるが、自分の衛生管理がそのまま父の命に直結しているので、自分の外における行動には責任とリスクが常にある。年齢的には、重症化リスクグループに属しているかもしれないが、2月と3月結構外出しても、ウイルス関連の症状も関係なく普通に過ごしている。

若年層であっても、持病があったり元々の健康状態には大きなばらつきがある。年齢や体重で薬の量を一律決めてしまうような設定ではなく、高齢であっても免疫が高い人もいる。若くても何らかの原因で自然免疫が低い人もいる。とにかく、一律ではないのだ。

感染が急激に広まろうとも、ゆっくり広まろうとも、個別にみれば、伝染るか伝染らないかの二択である。そもそもウイルスは、調べられることなく、自然感染して、自然に押さえ込まれながら、広まっていくものである。ウイルスとコンタクトした、その時にできるだけ健康体で自然免疫が機能する状態にあるかないかにかかっている。

権威ある賞や機関に所属している学者の意見が常に正しいわけではない。先日、権威ある学者が、コロナウイルスは、人類が初めて出会った新しいウイルスだから、全く免疫を持っていないため云々、、とコメントしていたが、それは誤りである。抗体を利用する液性免疫を獲得まで至らないことはあっても、そもそも常に自然免疫は働いていて、押さえ込むことができる。その証拠として、特定の薬やワクチンがない現時点であっても、現に感染後回復する人の方が圧倒的に多い事実がそれを裏付けている。元WHOの専門家委員に至っては、名指しでカラオケに行くなといっていたが、カラオケやさんに潰れろといっているようなものである。感染対策のプロであるなら、いくらでも助言ややり方はあるはず。例えば、家族や共同生活者間での利用に限定したり、客の入れ換え時にエアコンや座席の消毒や換気を徹底して、空気清浄器を導入するとか等々。自分は何のリスクも負わない無責任な発言の中に、人間らしい共感や想像力のかけらもない。そのような輩の言うことを鵜呑みにして従って、小規模経営のお店がお店を畳むようなことがあってはいけない。

生きるとは、不安に怯え、周りの目を気にして死なないように死んだ生活をすることではない。

冷静に何が起きているかを観ていくためには、判断するためのデータを入手して、専門家などの意見を鵜呑みにして思考停止になるのではなく、自分で考え、腑に落ちるかどうかをチェックして行動する必要がある。イラク戦争の時の大量破壊兵器のように、政府は常に嘘をつくことを忘れてはいけない。