偏向報道を知覚のトレーニング材料にする

欧米より一般病床数は多く、感染率も1/50程度と低い日本であるにも関わらず、やれ緊急事態だ医療崩壊だと報道されているようであるが、ニューヨーク州ですら、飲食店が感染源ではないことを認め、営業時間は深夜0時まで延長されているし、スペインやオランダではコンサートで感染拡大がないデータも出始めている。

そもそも、Sarsウイルスが接触感染であることがわかって感染防止に成功している実績もあるわけだから、その親戚のウイルスが急に別の挙動を示すわけはない。

その流れに逆行する日本の行政の愚策が横行しているが、気味が悪いのは、上記のような恐怖を煽れないまともな情報が、表に出てこず、なかなか目に触れないのである。

TVでは、スポンサーにいいなりのCM芸人や誤用感染学者に事実やデータを元に考察できない輩がコメンテーターになって、お薬ビジネスの営業促進に回っている。

感覚のシステムは、何か動きのあるものや、危険を察知しそうになると、知覚がそちらに奪われそうになる。それは反射的な反応になるので、止めるのはむずかしい。だから、CMの前や番宣には、次どうなるか気になるような仕掛けが盛り込んである。それが正しい情報でないと肌ではわかっていても、つい見てしまうのはこのためだ。こうした手法は、放送法に抵触するものもあるが、木偶坊メディアは自分たちに都合が悪いことはしないのと、誤りを正さない。学術的にも厚生省の指針にもPCR陽性が感染イコールでないと分かっているのに、繰り返すこととごり押しでごまかそうとしている。事実かどうか?正しいかどうか?ではなく、繰り返しプレイすることによって、それを信じ込む多数派が周囲や情報を占めるようになると、感覚がそちらに馴れてしまい、思考の情報元として誤認してしまう。プロパガンダとはそういうやり口である。

そこで、自分でできることは、その誤った情報を目にしたときに、意識的に見ないようにしたり、そこと自分との間に距離を取るようにする。それを繰り返していると、それらの一連の操作される手口に対して、抵抗力を持ち、自分の頭で考え、肌に合う、腑に落ちる感覚を養うことができる。 

これもまた、正しく観ることや、肚を養ういいトレーニングになる。