月別アーカイブ: 2019年1月

イメディス

昨年のスロベニアでの学会でロシアをはじめとする東欧の医療の着眼点と先進性には目を見張るものがある。今回、妻の誘いもあって、ロシアの波動医療器具、IMEDISによる診断を受けてきた。

結果は、寄生虫による感染があるとのこと。その由来は、有機野菜等を生で食することが原因になるらしい。オーガニック、Raw Juice、とても身体にいいイメージがあるけれども、生野菜を食べるようになったのは、戦後からで、それ以前は常に加熱して(そりゃそうですよね、肥えを使ってたわけですから)食べていた。実際ビタミンは壊れるけど、その反面、吸収率は上がるから、トータル的には有効利用できるとのこと。基本的にはビタミンは果物から取るべし!とのアドバイスがあったが、納得できる。

理屈はどうあれ、何かが改善しなければ、それを裏付ける信憑性につながらない。診断の後処方される、ホメオパシーのレメディのような砂糖玉、ここでは、シャーリックと呼ばれる波動転写物を服用することになる。ただ、本格治療となると、ネガティブな波動を一新する照射装置がその処置になるという。

とりあえずは、そのシャーリックを服用してみたところ、すぐさま慢性的に疲れやすかった背中が楽になるのを感じた。ちなみに感染していたのは、肝蛭と呼ばれる寄生虫で胆管に寄生するらしい。そこに感染があると、その周辺や真後ろの背中に違和感がでるらしい。とにかく、効くことは間違いない。寄生虫が砂糖玉で改善するというのは、オーソドックス医療からは理解されないだろうけど、権威的医学解釈の正当性より、実効性の方が大切だ。

その流れで、波動照射治療も計12時間のうち4時間分受けてみた。受けている最中は、後半みぞおちの奥が何となく違和感が出始めて、意味のある内臓マニピュレーションを受けたときに似ている。数時間経つと、その違和感が頭に移って、胸は爽快になった。翌日になると、頭の違和感もなくなり、スッキリしていた。確かに意味がある。

肝蛭以外には、頭の脳下垂体の下にある蝶形骨の空洞が、人の念を受けてダメージを受けていて、それが注意力を散漫にしたり、鼻や喉・耳、それから頸椎にまで悪影響を及ぼしているとのことだった。この辺りのことについてもスッキリしてきている。

恐るべし、ロシア波動医療。健康に対する人の念についても研究されているとは。

それにしても、念の出所は分かっている。そんな念を送らないでほしいけど、欲深い人特有の寂しい性なんだろう。

IMEDISのクリニックは、いくつかありますが、私は桜木町にいってみました。

 

吹上奇譚第二話

幻冬舎から出版された、吹上奇譚第二話どんぶりについて。

随所に哲学的な内容が鏤められ、ホラーを通して描かれているが、最近身の回りで起きたことのホラー性?ホラーぶりを思い起こすと、現実の方がよっぽどぞっとすることの連続なのかもしれないなあ、などと思いつつ、第一話の続編である。

本書を読んで強く意識したのは、「自然の摂理」。

それには結局のところ、どうあがいても、抗うことはできないということ。逆にその摂理に沿うようにしかならないのだから、仮に人の思惑とか支配とか余計な力が一時的に働き作用することはあっても、それが自然の摂理に反していれば、自ずと最終的には外れることはないということ。

だから、現実にどんなことが起こったとても、そう慌てる必要もなく、どの位置に居ても所詮、大きな道の中にあって、経過していくことを気づいていればいいのか、と思った。

それぞれのめり込みそうになる傾向や、考えや嗜好に偏りがある。そうすると生活する上で、ムラや濃淡が出過ぎて、結果隙が生じる。その隙間にはつけ込まれる時間と空間があるということ。純粋な好奇心は、隙間を埋めるような動機には由来しない。足りていないものを幻想的に満たそうとする心の動きではない。そんなとき、どこか身体は浮き足立っている。

理由はわからなくても、内側から湧き出た欲求や好奇心に従って打ち込んでみる、そうすると、一見厳しい状況だったとしても、自然の摂理に従って、状況が一転する。まずい事態にはそれとほぼ同じタイミングで、味方になってくれる人材やモノがやってくる。つまりは、捨てる神があると、拾う神も必ず一緒にやってくるような感じ。

教育システムや出来事を編集された形でつたえられる情報に洗脳されている部分が多いが、せき立てられているような錯覚、今のままではダメで、新しい何かに乗り遅れるとサバイバルできないような幻想にどこか毒されている。でも、自然の摂理はそんなこととは関係なく独自の流れを持っている。

そんなことを思い出させてくれる本書だった。

吹上奇譚-第二話-どんぶり-吉本-ばなな

 

2019 年を迎えて

年末、投稿記事の〆切りに間に合わず、とうとう喪中以外に年賀状出さなかったのは、今年が初めてという、世間的にはダメダメスタートです。

とはいえ、なんとなく、新年始まったと感じるのは、いつも旧暦が合っているなのか? こじつけなのか、毎年2月に入ってからです。

今年は、ロルフ研究所の教員になって10年目を迎え、ロルファーとしては、21年目になります。昨年までの数年は、実験的にいろんなものを試して、ロルフィングに役立つものはないか、探索してきましたが、何度もこれまで確認してきましたが、ロルフ博士が仰っていたように、

ロルフィングは、ヒーリングではない。

ということ。いくら何かに有効なアプローチがあったとしても、受け手が自分のバランスに責任をとり始めるのを助けるなら、何か外から注入するような考えは、結局クロージャーが見えないし、力を奪うことになりかねない、ということになるので、ヒーリングは自分の性に合わないんです。

どんなことがあっても、誰かの言葉を神格化してはいけないし、盲信してはいけない。その都度、まともな批評力を持って、よく観る必要があることを痛感した年末でした。

それがまともなものかどうかを判断する基準として、

お金の動きを観察する。→ 不自然な額になってないか?

排他的かつ優越性が高まっていないか? →他の人ややり方に陰で否定的になる。

秘密が多くなる → ここだけのことや話が多くなって、外向きにいっていたことと矛盾↑

境界が曖昧になる → 言うまでもなく。

というところでしょうか。