新しいURLは、https://rolfinger.com/blog/ です。
「セッションノート」カテゴリーアーカイブ
コア(芯となる内臓空間)の重要性
言うまでも無く、姿勢は骨格だけから成り立っているわけではない。内臓空間が萎んでいれば、身体は支えにくくなる。
その典型が以下のケースである。
セッション直後は、写真で示されるような前傾傾向が改善されるものの、10シリーズの4回目までは、再び前傾してしまう傾向が残った。しかし、5回目で内臓空間を広げる介入後、以下のように前傾する傾向はなくなり、それは一週間経過した後も継続していた。それ以降も、もはや前傾傾向を示すことはなくなり、ご本人曰く、50メートル歩くと息切れしていたが、100メートル歩いても息切れ無く歩けるようになったとのこと。 背骨はあくまでバックボーンであって、すべてを支えているわけではない。背骨の前の構造もまた「支え」に重要なのである。
内臓空間が広がるというのは正面から見るとこんな感じです。
ロルフィング体験
パートナーからのご紹介でいらしたカウンセラーの方のモニター10シリーズ中に頂いたコメントを抜粋してご紹介します。
”今まで意識をしていないレベルでの繊細なバランスを感じることが出来たので、より日常生活でその感覚を大事に出来そうです。”
”自分や世界を深く信頼出来ていないという不安を解消するために、思考での理解や知識を得ることで安心を得たいという感覚が、自分の存在をより繊細に意識することで、自分自身に愛情が巡り、より自分や世界への信頼が深まったといった感じです。”
”自分自身をより一層大切にしています。嫌なことは出来ない感じ、感情や感覚を受け入れて、パートナーや周囲にも伝えるようになりました。
ただ自分はこう感じているよと、自分や相手や世界をより一層信頼して、コミュニケーションしている感じです。合わないもの、エネルギーが漏れるものがより顕著に分かるので、無理なく手放しが進んでいます。”
松果体から観る
Rolfing (ロルフィング)の継続教育としてのロルフムーブメント認定トレーニングでは、クライアントをどう観るか? seeingについて扱うことがる。どう観るか?は、どこにどのように働きかけるか、と同様かそれ以上に重要です。
周辺視野と集中視野については論じられることがありますが、どちらかを行ったり来たりする見方だと安定しません。どちらかというと周辺視野を使いなさい、という結論になりがちなのだけれども、よくその部位を集中して観るためには、集中視野も必要です。
そのどちらでもなくて、どちらでもある観方が、松果体から観るという感覚です。松果体は、サーカディアンリズムにも深く関わっていて、それ自体に光受容のレセプターがあることが知られています。脳のほぼ中心部に位置しているため、実際の外部光を検知していると考えるのには無理があります。ですが、最近、生体から微弱な光が発せらているということが分かってきており、バイオフォトンの存在が報告されています。
クレニオのバイオダイナミクスの教師でもある恩師Carol Agneessens先生が、脳脊髄液が光を運ぶということを仰っていました。以上のようなことから、松果体は直接外部の光に反応しているというより、間接的に脳脊髄液や周辺の細胞などを介して、光を受け取っている可能性が予想されます。
実際のセッションで松果体にフォーカスしたケースでは、セッション後3日、就寝してから眠りにつくまでのまどろむ時間がなく、急に電源が落ちたように眠る経験をした方がいました。ということは、ワークによって何らかの影響が松果体に及んだかも?!しれないと感じさせるわけです。松果体は睡眠に大切なメラトニン産生に関わっているからです。
あるToneに合わせる
ロルフィングは、つないだり、通りをよくしたりと、要するに流れる滞りにくい身体の状態を目指している。重力も波だから、波が伝わりやすい状況を引き出す。
でもその時になんでもかんでも、どんな波長のものでも伝わればいいかというと勿論そんなことはない。身体に伝わる流れや動きは、いろんな波長のものがある。音波もそうだし、音として認識されないような低音もあるだろうし、ハイパーソニック効果を持つような高周波もあるだろう。で、音や振動は一過的かというと、一旦発生した音・振動は、減衰はするものの、それが消えるわけではないという事実。振動は形を変えながら、何かに伝導し続けてどこかで止まることはない。
とにかく、全く消失することはないということ。振動または波動は一つの情報だから、観察者効果が影響する。その音を聞こうと観察者が思った瞬間にその音が存在することになる。
身体をつないだり、滞りがなくなった後で、その中を通ってほしいのは、特定の健全な調子-Toneを持った振動・波動。傷などダメージを受けた組織が再生するには、いつまでも病変としてのToneでいるのではなく、そこから元の健全なToneを取り戻す必要がある。
プラクティショナーがもし、その健全な波動をその身体の内側で聴こうとすれば、そこにその波動が戻って姿を現すのかもしれない、という仮定で最近ワークをしている。
ロルフィングは、病気に働きかけるのではなく、健全さに働きかけると言われている。どの調子に合わせようとするのか、ロルファーはどの波長・波動を見つけようとしてワークしているのか、それによってセッションの質が変わってくるはずだ。だとすると、ロルファーの描く、健全さとか、統合とは?という漠然としてはいるけれども、固有のToneがあって、さらにクライアント側にも固有のToneがあって、それが共鳴したり、干渉したりすることで相互作用が生まれ、反応が引き出されるのではないだろうか。
特定の脈動や固定されたToneだと、動的で意味のある共鳴は起きないような気がする。だから、用語は様々だが、いろんなTideや波動を利用するヒーリングアーツが多種あるけれども、プラクティショナーとクライアントにそれぞれ固有のToneに根ざした波動が見いだせないと、意味のある反応は起きないのではないか?という直観がある。
ボディワークでいうところの、LIsteningってかなり深い意味を持っているように感じます。
回を重ねて得られる体験
顧客を依存的に定期利用させる囲い込み的商法は、健全ではありませんが、クライアントが最終的に自力でバランスがとれるような手助けになるようなビジョンの下に、ある時期集中的にセッションを受ける必要性やタイミングはあると思います。
そして、回を重ねないと得られない深い体験も存在します。
以下、10回のロルフィングシリーズ終了後、月一回のペースでお越しになり、17回目にして、初めて感想をお寄せ頂いた内容です。ご本人も初めて素直に感想を伝える気になったので、随分心がゆるんできたとお感じになっているようです。
” 何となく意識が身体の中にようやく納まった感じがしています。
とても新鮮な感じでワクワクしています。
ひと昔前は肉体なんてなくて、意識だけだったら、もっと楽で楽しいのになぁって思っていたので、自分にとっては初めての感覚楽しんでます。”
いくらトレーニングしてもできないこと
身体系のプラクティショナーにセッションをお願いするときに大切になるのは、技法やスキル以外にその前提として、触れられても大丈夫な感じがするのかどうか、相性ともいえるが、理由がはっきりしているわけではない感覚。施術される場所に抵抗なく、気が向くのか、向かないか、そのプラクティショナーに自然に身体が向くのか、それとも向かないのかは、頭ではないあくまで肚の感覚である。それが一番確かなのだ。
触れられることに、敏感なタイプがいる。身体について感受性がある程度育っていると、プラクティショナーの思惑や圧迫感、こうあるべき、という意図が強すぎる場合、それを感知した身体は何かしら警戒モードにスイッチが入る。クライアントの方から耳にする少なくない声として、マッサージや治療院にいって雑に扱われたことが、いかに自分にダメージを与えていたか。ロルフィングのシリーズ途中でそのことに気づくクライアントもいる。雑だなあとどこかで分かっていても、さもそれが受け手側に問題があるかのように錯覚しがちだが、受ける側に問題があるのではなく、プラクティショナー側の声なき雑音やこうなって欲しい、こうあるべきという圧力・思い込みが強すぎるのである。
認定トレーニングをしていると、ロルファーの中にもかなりタッチに対して敏感なタイプが存在する(私も含めて)。実習中、交換セッションする際に、組合せがうまくいっていないと、稀に受け手として、タッチを含む介入を一切受け付けないシャットダウンした状況になることがある。欧州ではこれをCookingと呼んでいるそうだ。呼称が存在するということは、それ程珍しいということではないのだろう。セッションを成功させるには、Cookingはできれば経由せずに進みたいところであるが、このCookingを誘発しやすいか、誘発しにくいのかは、決して上級トレーニングを終えたかどうか?とか、ソマティック・エクスペリエンスを学んでいるかどうか?は実際のところ関係ないようだ。訓練では培えない部分なのだ。
だが一方で、このCookingを誘発しにくいタッチを持つロルファーは何人か知っている。その一人は、福岡でプラクティスされている串崎昌彦さんである。彼はこれまでの日本のロルファーにあまり見ないタイプのユニークな人材である。受け手として触れさせてもいいロルファーがかなり限定される相手であっても、彼のタッチは、Cookingを誘発しないことを、数回の認定クラスで観察してきた。
彼はロルフィングのキャリアとして経験年数が長いわけでもないが、彼のタッチは特A級に安全なのだ。それがどこに起因するのか、不思議であるが、考えてみれば触れるという動作は、トレーニングが終わってから始めたわけではなく、それまで、どう手を通して、世界を感じてきたのか、という長いスパンで培われてきたものであるから、ロルファーとしてのキャリア以前の生き様が関係しているに違いない。これが不思議なことに長年ソマティック・エクスペリエンスを実践してきたセラピストの方や、10年以上のロルフィングのキャリアがあっても、Cookingを誘発してしまった例を何度か目にしたり耳にした。我々が、セッションする時のコミュニケーションは、表面のやり取りからは見えない意識下のところで進行しているというが、それは一見したところではわからないようだ。
なので、受け手として、そのプラクティショナーの華々しい経歴や資格とは関係なく、タッチや間合いを身体が安全でないと感じたのであれば、そこは無理をせず、苦手克服の視点ではなく、思い切ってプラクティショナーを代える選択をした方がいい、ということになる。
こういう私もかなりタッチの安全さには自信があるのだが、今まで一人だけ、Cookingを誘発してしまったクライアントがいる。ロルフィングの10シリーズの時には問題なかったのだが、Somatic Experiencingのセッションで頭をタッチしている時にそれが起きた。セッションの性質によるものか、触れた場所に対して、タイトレーションができていなかったのかもしれない。このCooking現象に関しては、欧州の講師らとも交流することでより学んでいきたいと思う。
最近、10シリーズを別のところで終えた後、すぐ10シリーズを受け直したいという方がいらしているので、ロルファー田畑浩良の私見と主観から、相性問題、安全なタッチを考察してみました。
追記:今年の春のロルフムーブメント認定ワークショップに参加頂いた、大坂でプラクティスされている佐藤正治さん、名古屋の茂利尚子さん、東京の楠美奈生さん、大久保圭祐さんもかなりいい安全なタッチを持っています。
ココロのバランスボード
ヒモトレ発案者小関勲さんのところで開発されたココロのバランスボードを最近使い始めた。クライアントの方で、立位や歩行が困難な体幹性のジストニアと診断された方に、セッションの後このボードに乗ってもらった。すると、理由はわからないが、安定感が得られるという。普段立つことに支障がない人間にとっては、すごく大きな差としては感じにくいかもしれないが、こうした体幹を支えるのが困難な方にとってはその差も大きく感じられるのだろう。
自分がこのボードに乗ってみると、足元・床に対しての信頼感が増す。この感じは、例えば即効的にどこかの緊張や痛みがすぐさま消えるというような急激な変化ではない。今ある状態でそこそこうまくいっているとさらにちょっとだけその質が変わることに、ヒトはその変化を感じ取りにくい。しかし、身体感覚がある程度育っている人間なら、その違いを感じ取れるだろう。
身体感覚がまだ育っていない場合でも、それを毎日ちょっとづつ継続してボードにのってみる。すると、小さな変化が積み重なって、やがて自覚できるレベルまで違いがでてくるに違いない。
理由はともあれ、なんだかココロのバランスボードにのると安心する。地面に対してより親和性が増すということである。それは、ロルフィングが目指していること、重力との調和に向かうことに他ならない。シンプルにのるという動作だけで、安心するという感覚につながれるということには大きな意味がある。
セッションの後に、何か気をつけることとか、した方がいいことはあるか?とよくクライアントの方に尋ねられる。注意しなげればならないのは、役に立たないアドバイス – 身体にとって決してプラスになっていない情報で、頭が一杯になっている例は少なくない。そういう場合は、あえて、何かこれまで課してきたこと、腑に落ちたわけではないけど鵜呑みにしてどこかで仕入れたことをとりあえず、「やめてみる」ことにむしろ意味がある。ジャンクなアプリをスマホから削除するように。 一方、このバランスボードにのるという行為は、実のところ本人の身体に役立っていない”何か”を過剰にやり過ぎて混乱している状況から、一旦離れる手助けをしてくれる。
ボードの説明を読むと、なでしこジャパンなど一流の選手がこのボードを利用しているという。彼等は、インスタントで意味のないものに時間を割くヒマはないので、本当に意味のあることであれば、地道にそれを採用する。そうしたスタンスの人々に支持されていることにはきちんとした理由がある。
ロルフィングのセッション後、家で何かできることの一つに、「ココロのバランスボードに毎日乗ってみる。」ことをお勧めしたい。
介入はより精妙な方へ
「ロルフィングを受けるということは,車を大衆車フォードから高級車ジャグワに身体を乗り換えるようなものです。ジャグワの乗り心地を知ってしまえば,乗り換えてからの時間の長さに関わらす,誰もフォードにまた乗リ変えようとは思わないものです。」 – 創始者アイダロルフ博士の言葉
この例えは、「乗り心地」が劇的に変わることをいいたいので、大衆車と高級車を引き合いに出していますが、実際のセッションは、全く別の車に乗り換えるわけではないので、材料はそのままで腕利きの整備士にチューンアップしてもらって、結果として乗り心地がガラッと変わるということだと思います。
いい乗り心地を体験すれば後戻りしない、それが持続性につながります。ただし、ここで問題なのは、どんなセッションでもそうなる保証はないということです。グレードアップしたつもりが、チューンアップを担当した整備士がポンコツってこともあります。当然ですが、その仕上がり具合によって、後戻りするかしないか決まります。
そこで、車をよく知り、状況を把握した上で、腕利きの整備士が担当したとします。すると車もドライバーも大満足するわけですが、次の整備の時に担当が変わって、雑な整備しかしてくれなかったとします。そうすると、当然不満が出るわけで、またあの腕のいい人を指名したくなるでしょう。それと同じで、車も身体も精度が高い調整がなされると、その先の整備・調整はより高い技能を持った整備士にお願いしたくなるものです。
身体はメカニックというより楽器とみることもできるので、車より別の例え、ピアノの方が当てはまるかもしれません。ピアノは、いい調律を受けた後に、さらに正確な調整をしようとした場合に、雑な調律ではかえって音が外れてしまいます。さらに調整を先に進めるためには、雑なやり方はもはやそぐわないことになります。
身体は、有機体なので、毎回同じような刺激には慣れてしまうし、先に進むためにはその都度でてくる課題を読みとり、さらに先に進化する手助けになるような介入を求めています。毎回固くなるところを毎回同じように揉む、毎回滞りが生じるところを解放する、のくり返しでは、一時凌ぎのパターンを強化しているに過ぎません。身体の統合が進めば、身体の応答性・反応性は高まり、自己組織化する力も向上してくるはずなので、介入はより繊細で少しの時間で済むようにシフトしていくはずです。
もし、その方向に進んでいないとしたら、受け手が本来のライフスタイルや人生の流れに逆らっているか、または、整備・調律する施術側が、受け手の身体の自力で調整する力を奪っていることになります。
変化を引き出すということ
セッションの介入は、やり過ぎはよくないのは何となくわかる。薬は合っていても、過剰になると、かえって害になるのと同じ理屈だ。かといって、「手を抜く」というのも適切とはいえない。もうちょっとだけ一手間かけていれば、味がしまる、ということもあるだろう。
一方、からだは生きもので、常に応答する力があるとするなら、詰めすぎる、完璧に仕上げるような意図だと、からだが自力でなんとか最後の調整する機会と空間を奪ってしまうリスクがある。
なので、手を抜いているわけではないけれども、からだに変化してもらう部分を尊重しているのが、イールドワークともいえる。Rolf Instituteの機関誌のインタビュー記事でKathyが書いてくれたことを、別のクライアントの方が同じことをいっている。
→
“初めて受けた田畑さんのセッションはある意味、驚きました。というのは、本当に、触れたかどうかの距離感というか、触れ方が何か物足りなさを感じるんだけれども、それを充足させようと、今度は自分の内側からそれを補おうというものが引き出されているものを感じたからです。”
“私のパートナーも外国人でロルフィング をアメリカで受けているのですが、今回、私がロルフィング を受けてから、さらに、何か間合いが以前より取りやすくなっているように思いました。”
“体の内側だけでなく、外の世界でも、不思議となにか、気づくようになったからなのか、自分が欲しい情報を心の中で思っているとそれに関したことが、いろいろと起きたり、出会いがあったり、シンクロが起きやすい状況になっています。”
間合い;空間との関係性をワークの中で扱っていることが反映しているのかもしれない。