月別アーカイブ: 2020年5月

暖かくなれば

気候が暖かくなれば、風邪も引きにくくなる。自粛してたから、感染が抑えられた調になっているけど、実際のところ、単に暖かくなってきたから、免疫が上がってきた可能性は大いにあると思うが、governmentの自粛要請が功を奏したようにしたいのかもしれないが、本当のところは曖昧なままである。

献血等でサンプリングされていた抗体検査結果がやっとでた。5月1日で公表される予定だったのに2週間も遅れた背景には、データが想定されたような結果ではなかったことが予想される。

0.4%程度の抗体陽性率で、昨年(新型コロナウイルス感染報告前)の血液サンプルもほぼ同じ%の抗体が検出されたという。これは海外で報じられた結果よりかなり低い。しきりに、検査キットに問題があって、データが信頼性に欠けるといっていたが、まず検査キットはかなりコストが高いので、何の解釈もできないような検査だったとすると、とんでもない損出である。責任者だったら、降格少なくとも始末書もんの大失態だ。でも、そんな信頼性の低いものをこのような状況下で製品化して世に送り出すだろうか?企業としては信用問題なので、正式なコメントをしてほしいと思う。

一方、得られた結果が試薬キットや操作、サンプリングに問題がなく、信頼できる結果だったと仮定すると、

  1. 今年と昨年の抗体陽性率が、同等でだったということから、”covid-19は今年から広まったわけではなく、つまり新型ではなく少なくとも昨年にはすでに広まっていた。”という可能性。
  2. 0.4%の抗体陽性率という低い値であることから、”PCR検査や報道された感染者数より遙かに下回る感染しかおきておらず、covid-19は感染拡大してなかった”という可能性。
  3. 仮に感染拡大は起きていたが、”covid-19に対する抗体ができにくいという性質があるなら、ワクチンを作ったとしてもムダ”という可能性。(生のウイルスは最も優れたワクチンである。通常、感染力を下げるために、弱毒化したり不活性化したり、一部の抗原を使ったりして作製するのが人工のワクチン)

が考えられる。

ワクチン産業の人達にとって都合がいいのは、多くの人が感染の証である抗体を持っていたが、追跡すると抗体が維持できないので、ワクチンでたまにブーストする必要ありとしたいところが、そもそもの抗体陽性率が想定より大幅に低くかったために、公表を2週間も遅らせてどういう見解にするかを検討したのではないかと勘ぐってしまう。次に規模を大きくして抗体検査したとして、どんな結果がほしいのだろうか?

BCG接種や海藻や発酵食品を多く摂る日本人にとって、ひょっとすると抗体に頼るような免疫を獲得する必要もなく、自然免疫だけで、covid-19に対応しているという可能性はないだろうか?

結果はどうあれ、私にはワクチンは不要で、自然免疫でなんとかできると信じているし、それを信じられる状態でいられるようにすることにエネルギーを使いたい、と考えています。

これから暖かくなっていけば、特定のウイルスとは関係なく体調はよくなり、緊急事態が解かれれば、全体が回復に向かっていくと思います。

ただ、問題はこうした緊急事態宣言によって、自由が奪われる可能性がこれからも起こり得ます。少なくとも、夏を越え、気温が下がって風邪を引きやすい気候になってきた時に、二次パンデミックに備えたいところです。

ハダカデバネズミの生き方に学ぶ

自然の知恵を学び、生かそうとするなら、すでに生物が行っている智慧に倣うことが手っ取り早く、生体模倣-バイオミミックリーの考え方があります。その中でも、強欲な人間にとってはなんとしても手に入れたい能力の多くをハダカデバネズミは持っています。

その並外れた特徴は

1)低酸素耐性 息を止めててもすぐ死なない

2)疼痛耐性 -痛みに強い

3)長寿 

4)老化しない

5)がんにならない

6)接触阻害に高感受性。 密集することに敏感

正常な細胞には、適切な組織の増殖の調節に役立つ「接触阻害」という現象があります。 隣接する細胞とのコンタクトにより、増殖を停止する(秩序を維持)タイミングを知っ ています。癌細胞は、本来の接触阻害の性質を失っていることが、よく知られています。 隣接する細胞同士が互いに接触しても、単層培養で分裂し続けます。Seluanovら (2009)は、ハダカデバネズミの線維芽細胞が、非常に低い細胞密度にもかかわらず、 接触阻害 になることを報告しています。したがって、この長寿命のハダカデバネズミの線維芽細胞 は、他の短命の齧歯類の線維芽細胞よりも、周囲により多くの空間を必要とし、隣の細胞を離れたところから知覚し、密集または過密になる前に成長を停止します。空間身体学的にいうと、ハダカデバネズミの線維芽細胞はいい「間合い」を知っているように見えます。

接触阻害という性質は、栄養分を奪い合うことなく効率良く秩序を保つために隣同士の細胞とうまく共存することを意味します。これは、「接触」に対する感受性が生命の秩序に関係していることを示唆しているのかもしれません。また、正常細胞には「足場依存性」という性質があり、生存し増殖するためには、拠り所となる足場に接地することが必要です。足場とコンタクトする、関係性を持つことが正常細胞の生育に必須なのです。また、細胞には、それぞれ一つずつ「一次繊毛」と呼ばれる物理刺激を感知するセンサーがありますが、癌細胞は一次繊毛が消失していることがわかっています。これらの関係を 以下の表にまとめています。

ハダカデバネズミ正常細胞がん細胞
(1)足場依存性++
(2)接触阻害+++
(3)一次繊毛++

Table1:正常細胞、癌細胞、およびハダカデバネズミ

 1)足場依存性 は、細胞と細胞外マトリックスとの関係を示します。 

2)接触阻害は、隣接する細胞同士の関係を示します。 

3)一次繊毛は環境に対する反応性を示唆しています。

癌細胞は周囲との関係性を失った無秩序な暴走状態にあります。このことから、周囲との相互作用が低下した細胞が、もし周囲の細胞外マトリクス或いは近くの細胞との関係を再構築できれば、再び生命の秩序の中に参加し直すことが可能なのではないかと想像します。

相互の関係性 = 秩序、正常化 

 様々なセラピーや身体技法が、身体と重力・空間との関係性や、他者との関係性を扱いますが、関係性の改善によってクライアントが回復する手助けになります。

さて、コロナパニックによって、人と人との距離がソーシャル・ディスタンスなる言葉で、遠ざけられ、言葉や表情から読み取るコミュニケーションもマスクされ、スキンシップも憚れるようになり、本来働くべき場所ではない処に止まるように強制され、思い切り働くことすら制限されている状況が今起きています。

この自粛ストレス下では、ハダカデバネズミとは真逆の生活を強いられ、実際、クライアントの中には、自粛ストレスで心身のバランスを崩す方も少なく有りません。

ハダカデバネズミは、真社会性の社会構造で生活することが知られています。それぞれに振り分けられた役割をこなしながら、コロニーを形成し、巣の中で互いに密に接触しながら生活する。草食で、繁殖をめぐっての争いもなく、平和的な生活を営むことが知られています。

1)コミュニティの中で、自分の役割をやり遂げる。

2) 人との適当な距離間と必要なスキンシップを保つ。

こうした生活様式が、長寿や癌にならないことにつながっていることが推測されますが、興味深いことに、飼育されたハダカデバネズミにはがんが見つかったという報告があります(😿)。人工的な環境で自然のコロニーから離した形で飼育してしまうと、本来の真社会性のコロニーでの暮らしとは異なり、自分の仕事の役割もなく生き方も変わってしまうのかもしれません。適所で働けないストレスなのか?或いは、本来の社会で働く自由を奪われることが、がん化を招いてしまうということなのでしょうか? 

いずれにしても、他者との相互の関係性は、長寿や健康に大きく関わっているようです。また、社会における自分の役割を果たすこと、他者とのスキンシップや適度な間合いも大切ということもいえそうです。

ハダカデバネズミの生活様式は、私達に多くのヒントを与えてくれているように思います。

ポイントは、薬いらず医者いらず

緊急事態宣言で自粛が必要な理由は、ウイルス感染後発症〜重篤下して入院者が増えると、受け容れ容量を超えてしまい、本当に医療を必要とする患者さんが適切な医療を受けられないという点にある。パワープレイしますが、自粛行為は、ウイルス撲滅でも感染防止とも無関係である。

(私はむしろ、自粛ストレスによって、本来の免疫系が下がって、感染後重篤化するリスクが上がることを懸念している。)

要するに、医療体制というコップの水が溢れなければ、ムダな感染防止キャンペーンはやめて、免疫のためにも、感染しておくことが、必要な備えになる。麻疹やおたふく風邪が、成人になって罹ると、かなり重症になることは知られているが、それと同じ原理である。

仮にウイルスが変異しても、変異に関わらず共通の抗原はあるだろうから、決して無駄にはならない。風邪は冬に大流行することを考えると、それまでに罹っておくことがいい準備になる。だから、もうマスクをしたり、過剰な殺菌・抗菌行為はやめて、普通の暮らしをすることが、1番いいと思う。免疫が維持されている状態で僅かな量の病原菌に接することが、免疫を獲得するのにベストである。

(最近スーパーにしてもマスクなしだと入店できないこともあるので、仕方なく装着してますが、人混みじゃなければ、お散歩はマスクなんてしてませんよーだ!)

とにかく、1番大切なのは、病院にいかなくていい身体でいることで、そうであれば、医療体制を圧迫することもない。本当に調子が悪ければ話は別だが、検査結果を知ろうとするエネルギーを自分の免疫が信じられるように保つためにできることに向けた方がいい。

とにかく、漠然とした恐れに対して、それを誤魔化そうとして、常に何か外のものに頼ろうとする、そのパターンから抜け出すことが、自由な生き方につながる。

今日来てくれたクライアントは、自粛で動かない生活にしてしまったことが、調子を崩す原因になったとのことに気がついた。どこかが悪いから、調子を崩すのではなくて、問題をつくるような生活パターンが、その修正のために身体に違和感を創るようなケースは、珍しくないと思う。

身体の声に耳を傾け、外の雑音をシャットダウンして、小さく反逆することが、自由と健康を手にする秘訣だと思う。

Hey Hey Hey, I was born a rebel, down in Dixie on a Sunday mornin’

Yeah with one foot in the grave and one foot on the pedal

I was born in a reble.

風邪の効能

を英訳した野口晴哉先生の本を坂本龍一さんから頂いたことがある(プチ自慢)。野口整体の考え方だと、風邪をひくというプロセスには、からだのバランスを整えるという効能があるらしい。その考えは、オーソドックスな医学の常識からは逸脱している。

病原体としての感染には悪い意味しかないように捉える立ち位置から、まるで罹ることがバランスに寄与する「利点」があるとは、実に面白い考えである。

ということは、ああ、風邪をひいたといって落ち込んだり、失敗した感じになるのではなく、何かそこから回復することで、レベルアップが見込めるということになる。

現在の非常事態宣言による自粛要請下では、おちおち風邪もひけない。お店に入った客が体調を崩し、PCR検査して陽性と出れば、そのお店にとって致命的なダメージを食らう。来店前後で、満員電車や他の密集エリアで感染した可能性があったとしても、恐らくほれみたことかとやり玉に挙がられるようなリスクがつきまとう。(しかもRT-PCR法だと擬陽性も拾う確率が大きいらしいし)

風邪に対して、これまで過敏になっていることも珍しい。だが、すでに致死率が低いことや感染したほとんどの方も後遺症なく復帰していることを考え合わせれば、危険レベルはかなりひくいわけだから、重症化リスクが高い人は別として、もういい加減自粛やめたらいいのにと心底思う。

私はというと、遠方からの客足は遠のいてますが、お越し頂くクライアントを拒まず、普通にワークしています。完全予約制で公共交通機関も使わず、そもそも月に合う人数も限られているのに、これ以上減らしたら、仙人になっちまうからね。(すでに仙人扱いされてますが)腕も鈍らせたくないし。

自粛ストレスで心身のバランスを崩す人が増えているこんなときだからこそ、どんどんセッションでストレスを放電してほしいと願っている。

毎日3時間程一緒に過ごす92歳の親父は武漢カゼとは無縁のようだ。先日血液検査したら、ヘモグロビンが標準の3分の1に低下して、一人高山で暮らしているような親父だが、何ら彼の健康状態に異常はない。1月から3月までは毎週焼き肉食べたり外食してたけど、関係なかったみたい。むしろ、感染を恐れて肉食べない方が基礎体力低下につながっていたと思う。まあ個々に状況みないといけないけど、高齢だからといって、過剰隔離するのも如何なものかと思う。命が命がって神経質になるより、人と人とが会えることがもっと大切だったりするじゃないですか。

お年寄りだって自由や人権は保証されなきゃいけないから、個々の状況判断で動けるようにした方がいい。でなきゃ、いろいろ後悔します。特に高齢の方との時間は限られているので、一律に面会できなりような体制は悲しい結果を生む。

ええっと、元に戻しますが、風邪や感染を忌み嫌ったりするのではなく、むしろバランスを回復するいいタイミングがきたといって歓迎できるような価値観があると、少なくとも、感染者や医療受持者への偏見・差別はなくなるでしょうね。

治すということの落とし穴

ロルファーとしては、症状がある場合もない場合も関係なく受け付けているが、本来は健常の方を対象にしていて、いわゆる治療者としてのスタンスで仕事はしていない。

ゴールを症状の改善としてしまうと、主訴が改善したところで治療は終了するが、根本的に症状がでないような高い適応力がある状態をロルフィングでは目指している。

人を治療する、治って喜ばれ、自己有用性が高まる。そのサイクルは循環していて、自己評価も高まる。ただ、そのサイクルにどっぷりつかってしまうと何が起こるか? その仕事のお得意さまが、調子の悪い患者となり、その存在が生きる上で必要になってしまうのだ。無意識にだが、患者が根本的に治ってしまうことを心から願えなくなる、危険性が常にあるということだ。実際に腕のいい治療家が、ある治療院に勤めて、患者を治したら、オーナーにいい気になるなと諫められたという話を聞いたことがある。

信じられないような話が実はあるが、本当にクライアントの回復や何にも依存しない状態に移行することをコミットすることと、クライアントを囲って通い続けるように仕向けることは全く違う動機に基づいた仕事への姿勢だが、外からは見えにくい。だからクライアントや患者としてどこかに診てもらう時には、盲目的に従ってしまうのではなく、常に対等性をチェックする必要がある。

何か違和感を感じたら、担当のプラクティショナーを代えていいのだ。それが自分を大切にすることにもつながり、ダメな医療従事者や施術者をそれ以上応援しないことになり、全体をよくすることにもつながると思う。

Power to the people ♫

今日はジョンレノンのPower to the people”民衆に力を” を貼っておきます。

さすが、ジョン、パワーがあります。

緊迫感の中「生きるか死ぬか」の生活態度とは対極に、自分にとって必要だと感じることをゆっくり楽しんでいる姿勢が、「人生を豊かに暮らす」ということのはずです。「生きるか死ぬか」に直接関係ないような行動は「後回しにしろ!」といわれているような雰囲気を感じます。

音楽、美術、パフォーマンスから、人を笑顔にするお料理や職人技などなど、人生を豊かにしてくれる仕事が、二の次三の次にされています。TVでパワープレイされる医療従事者を応援するメッセージもいいけど、患者が目の前にいれば仕事をするのはある意味当たり前です。

それよりも、目を向けるべきは、人権を含め様々な権利が奪われていること。子供は学校で学ぶ機会を奪われ、研究者は実験する機会を奪われ、学生は調べものをする場所を奪われ、お店は働く時間を制限され、宿泊施設はお客さんを思うように呼べず、一方、自粛を強制する側は、自粛によって大した影響も受けない人達です。通常の8割自粛を呼びかけるなら、自分達は各種手当てと8割給与を返上した上で、自宅待機してリモートワークに切り換えるなら、説得力は多少あるかもしれません。民衆の力を奪うような流れに違和感を感じます。

お年寄りの命をたてにとってますが、致死率、抗体検査結果、基本再生算数からしても、発症・重症化リスクが高い人だけ注意すればいいだけの話です。

生きるか死ぬか、というのは、神経系でいうと、逃げるか闘うか、の反応と同じなので交感神経優位で、休息したり消化するという副交感神経の働きが阻害されてしまい、人生を豊かに生きる姿勢から遠い状態です。

そんな緊急事態?が続いて、結局、甚大な被害を被って犠牲になるのは、メインストリームにはいない、小さく暮らしている人々です。

しかし、世の中に面白みを与え、多様性をもたらしているのは紛れもなく、小市民です。負けるな小市民!自分のやっていること、やってきたことを小さくみたり恥じることはない!!

♬ Power to the people. ♫ Power to the people ♪

♬Power to the people. ♫ Power to the people, right on ♪

自粛の罠

はたと気がついたのだが、このムダな自粛、何かに似ている気がすると気づいた。「減反政策」である。どう考えても可笑しな考えだが、お金を渡す代わりに田んぼを減らしましょう!という農業政策によって、農家はどんどん作付け面積を減らしてしまった。労働力を減らしてお金がもらえるので、ある意味楽になった。怠けて収入が得られる味を占めてしまった。

その結果、農業自給率はどんどん低下して、日本は食料自給率が下がり、他国に食料の輸入を頼り、依存度が上がることになった。これは国力が低下したことを意味する。

お米に余剰が生じたなら、輸出したり、何らかの形で貯蔵して備えに回すとかいくらでもやり方はあったように思う。その矛楯に気がついてもすでに農地自体が開発という名の下に別の住宅や道路に変えられ、復帰することができない。

すべて、お上のいうままに従った「結果」で、日本の国力を低下させようとする「策略」に乗っかってしまったといえる。

スポーツや技巧を必要とする職人ならわかると思うが、一旦鈍らせた技術というのは、復帰させるのに相当なエネルギーを要する。中学時代に卓球をやっていたが、一日練習を休んだだけで、次の日のラケットへの球の吸い付きや細かい感覚が鈍ることを知っている。団体競技などは、リモートではフォローできない部分が大きいに違いない。

自粛でスズメの涙のお金をもらって慎ましく行動を狭めることで、実は失っているものが大きい。そのことに気づいておいた方がいいだろう。

だから、クライアントがオフィスに来られないのは仕方がないが、私自身がオフィスを閉めてセッションの機会を少なくすることは絶対にしない。怠けることに慣れてしまう程、怖いことはない。それを恐れるべきである。

Go your own way

フリートウッドマックの、”Go your own way”を車に乗っている時に、ガンガン歌うとすっきりします。特にサビのところ:

♫ You can go your own way ♫〜 Go your own way ♩ いいなあ♪

病原体の挙動や致死率がよく見えない状況では、様子を観ながらデータを集める時期が必要だったかもしれませんが、今はもう違います。致死率が低いことも明らかになっていますし、医療機関の受け容れ容量も余裕が出てきている段階にも関わらず、根拠や納得のいく説明がなされないまま、自粛要請は垂れ流しのように出たままです。

日本赤十字社の抗体検査結果は5月1日にも公表と報道されたにも関わらず、未だ発表はありません。恐らくですが、予想より多くの検体でウイルス感染の足跡を示す結果が出たのではないかと推測します。だとすると、感染拡大防止を銘打った政策に意味がなかったことを露呈することになるのと、ワクチンや様々なお薬を必要としなくても、感染後健康でいられることが、明らかになります。 これは、ワクチン産業としては不都合な真実ですが、一般市民にとっては朗報です。何も必要としなくても、ウイルスを恐れることなく、生活を再開して問題なしということになります。

私自身、政治や武漢ガセワクチンにも興味はないのですが、遠方からのクライアントが多いので、その方々の移動が不当に邪魔されると、セッションに支障があるわけです。頼むから、セッションの邪魔をしないでほしいという願いしかないです。付け加えるなら、governmentと偏向報道のタッグで作り出された、実体のない恐怖で、心身のバランスを崩す人も多いという犯罪的要素があるので、そりゃだめだろってことで、珍しくブログってる次第であります。

しかも、ウイルスが新しくなる度に、いちいち緊急事態宣言出されちゃ、たまったもんじゃないですが、それを後押しする法律改正も目論まれているとか。嘘のような嫌な話です。

低致死率のウイルスに、”恐ろしい”という病原性を根拠なく与えてしまうと、さまざまな実害があります。会いたい人に会いたいタイミングで会える自由、集いたい仲間と集いたいタイミングで集う自由が奪われます。

もう二度と会えないかもしれないのにハグすら躊躇う風潮、相手の顔も見られない状態でのマスク越しの会話、繁盛できるのにやっかみと監視の目を気にして控えめにしか営業できないお店、などなど。人権以外にも基本的で大切なものがずっと踏みにじられています。

何かをするしないは関係なく、何かをしようと思えばできる状態、或いはしたくないときにはしない選択が、自分でできる状態、つまり、「自由」があれば、それだけで健康は取り戻せます。

他人がどうあれ、主体はあくまでも自分にあって、自由な感覚があれば、自ずと生きているという実感が湧くのだと思います。その実感があれば、心配や恐れから遠ざかり、健康は自ずとついてくるものだと思います。

You can go your own way !

注意を注ぐべきは、感染<<予防 (=自然免疫維持 )

くり返しが多くて恐縮だが、TVなどのマスメディアの偏向報道の量に対抗するには、読み手側のみなさんへの一人パワープレイも役立つに違いない。

自粛の意味は、人と人との交流を減らし、感染拡大の速度を落とすことで、ウイルス撲滅とか、封じ込めという言葉は不適切である。ウイルスは、伝染するエキスパートであるから、P3レベルの隔離施設にでも滞在しない限り、伝播を止めることは不可能である。

いつの間にか伝染っていて、何事もなかったように、備わっている免疫系が抑えつつも、ウイルス自体は潜伏するのが通常起こっている。帯状疱疹の原因となるヘルペスウイルスや、HTMLV-1ウイルスなど、知らない間に罹っていることがあるが、敢えて症状がでてもいない段階でPCR検査したりはしてこなかったので、発症しない限り、これからも必要性はない。

いきなり、PCR測定し出したものだから、しかもそれを追跡する期間もにわかに開始しているので、ひょっとすると数年前から感染していた可能性もあるのに調べられてはいない。対照群がないため、比較がしっかりできていない。これは条件を統一させて、対照を設定する実験とは異なり、断定的なことはいえない。

自粛の意味は、患者の数が、病院の受け容れ容量を超えないようにすることだが、それはすでにGW明けに達成されているのだから、自粛延長に説得力はない。

だから、感染しないようにするための、マスク着用、手洗いというのは、ウイルスを遠ざけるための手段であって、すでに感染が広がっている段階に移行しているので、健康で免疫がしっかりあるうちに、免疫が押さえ込める量の僅かなウイルスに感染しておくことが、むしろ好ましい。集団で免疫されるわけではなく、個々にみると、感染するかしないかの2択しかない。

ワクチンや薬剤がない段階で、うまくコントロールできているスエーデンや台湾があるという事実は、裏を返せば、自然免疫の力でコロナウイルスはほとんどのケースで対処できて、免疫を獲得できることを意味している。ワクチンができるまで待つ必要も、また、ワクチン自体も要らないもの、ということができる。

(ワクチンの考え自体は否定しないものの、アジュバントと呼ばれる免疫をブーストする余計なもの、アルミや水銀を混入させる必要はない。そうした製品を、製造側の人間が好んで何ショットも打っているなら説得力はあるかもしれないが。)

参考となる番組プログラム

人間の内側にある癒しの力を確認するために :Netflix HEAL

冷やされて癒される: グープ・ラボ

ウイルスは、伝染るのが仕事で、それが活発化しないように、自然免疫が下がらないように、普通に暮らす、よく食べて、よく休息して、魂が喜ぶようによく動くこと。

不本意に自由な感覚や動きを奪われてしまうと、自然免疫は下がってしまう。自分に主体を戻し、自由な感覚と共に、自発的に動くこと。それが、生きるということだと思います。

 

Be aware of Darkness

野村監督が言ってた。「人の悪口を言わないような人間は信用できない。」と。

できれば、ものごとそんなネガティブな捉え方はしたくない。でも、世の中には、悪意が存在し、それを認めた上で行動し考えなければならないこともある。

ビリオネアが、ワクチン産業ビジネスでもっと儲けようとしている。人はそんなことしないはず、という常識は通用しない。

今見ておくべき、ドキュメンタリー見つけました。