治すということの落とし穴

ロルファーとしては、症状がある場合もない場合も関係なく受け付けているが、本来は健常の方を対象にしていて、いわゆる治療者としてのスタンスで仕事はしていない。

ゴールを症状の改善としてしまうと、主訴が改善したところで治療は終了するが、根本的に症状がでないような高い適応力がある状態をロルフィングでは目指している。

人を治療する、治って喜ばれ、自己有用性が高まる。そのサイクルは循環していて、自己評価も高まる。ただ、そのサイクルにどっぷりつかってしまうと何が起こるか? その仕事のお得意さまが、調子の悪い患者となり、その存在が生きる上で必要になってしまうのだ。無意識にだが、患者が根本的に治ってしまうことを心から願えなくなる、危険性が常にあるということだ。実際に腕のいい治療家が、ある治療院に勤めて、患者を治したら、オーナーにいい気になるなと諫められたという話を聞いたことがある。

信じられないような話が実はあるが、本当にクライアントの回復や何にも依存しない状態に移行することをコミットすることと、クライアントを囲って通い続けるように仕向けることは全く違う動機に基づいた仕事への姿勢だが、外からは見えにくい。だからクライアントや患者としてどこかに診てもらう時には、盲目的に従ってしまうのではなく、常に対等性をチェックする必要がある。

何か違和感を感じたら、担当のプラクティショナーを代えていいのだ。それが自分を大切にすることにもつながり、ダメな医療従事者や施術者をそれ以上応援しないことになり、全体をよくすることにもつながると思う。