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三叉神経(第五脳神経)への刺激による統合

1.三叉神経とは?

国語辞典:脳神経の中で最も太いもの。橋(きよう)の手前にある三叉神経節から出て,末梢に向かう方の突起が眼神経・上顎神経・下顎神経の三枝に分かれる。頭部および顔面の大部分の感覚と咀嚼(そしやく)運動を支配。第五脳神経。

2. ワークによる可能性

顔面麻痺とは、正しい表現ではなく、三叉神経麻痺が正しいとされるが、この神経伝達に何か滞りがあると、鼓膜、顔面の皮膚の感覚、表情筋や舌を含む咽頭、鼻粘膜の感受性に主に関与している。プロプリオセプションにも深く関わっていて、痛み或いは快の感覚を認識して、第3、4,12神経ともつながりがある。したがって、平衡感覚だけでなく、聴覚、音を介しての空間認識、咀嚼、嚥下の機能回復につながる可能性がある。また、顔の表情筋への影響を介して、腹側迷走神経系への活性化につながる可能性もある。

3. Tuning Fork (音叉)による刺激

神経学者らの研究によって、特定の周波数64Hzが三叉神経に刺激を与えることがわかっている。Tuning Forkという音叉を用いて、その周波数を振動として神経に刺激を与えることができる。タッチも物理刺激であり、ある周期を持つ波としての刺激となる。物理刺激をうまく使えば、滞りのある場所に効果的に動きをもたらすことができる。

4.実際のワーク

筆者は、Tuning Forkを入手し、Rolfingのワークに取り入れてみた。Tuning Forkを、頭蓋の動きの小さな制限領域に当てる。すると、より、振動が行き届くようになるまで、様々な場所からTitrationしながら、働きかける。結果的に、声の共鳴が高まり、首の可動性が向上し、空間認識にも違いがでてくることが多くのケースで観察された。

5.今後について

声楽は声を出すこと以上に、自分が出したサウンドを正確に聴くことができるかという能力にも依存している。さらに、頭蓋、咽頭全体に音が響くということが、身体を楽器とする声楽のパフォーマンスを左右する。サウンドのワークとして、声に関わるパフォーマンスの向上及び、嚥下や顔面麻痺といった生活の質に深く関わる神経だけに、それらに障害のある方の回復の手助けになればと思う。

ラーニングプロセスとしての守・破・離・傳

熟練の段階には、三つの守・破・離があることはよく知られている。型を忠実に守る段階から、それを独自に改変する段階、そして、型を自在に操り、型から離れる段階へと進むことが、自然な熟練の流れであるとされている。

その先人の深い洞察と普遍性に敬意を示しつつも、私なりの解釈では、それは当人の中での完結であって、循環する流れとして考えると、もう一つ足りないような気がしていた。どんな達人でも個人で帰結してしまうのではなく、大抵の場合、後に続く人々に伝承するというプロセスを通して、その手法なり芸術・芸能が保存されつつ、深化・進化していく。

つまり、全体をつないでいくための、「伝」が存在し、離に達した段階の先達が、原点に戻り、型にあるエッセンスを捉えながら、独自の解釈でその技法を教え伝えることで、先達もまた深くその技法を学ぶことができる。

実際に、「教うるは学ぶの半(なか)ば」:人に教え理解させることは,半分は自分にとっての勉強でもある、という言葉もある。どの段階であっても教えることは人を成長させる。

一旦、守から離れたことで、その技法に深みと立体的な解釈を背景を盛り込みながら、守から出発する後進に教えることができる。

「教」でもいいかもしれないが、教えるだと一方的で上下が意識されるので、ここは対等な学びということで、伝の方が相応しいかもしれない。

とすると、伝・・・傳、これはロルファー串崎昌彦氏がすでに屋号に用いていた漢字ではないか!? Rolfing傳、やられた! 

守・破・離・傳

敢えて、傳を持ち出したのは、守・傳→破→傳というように離に至る前にも傳を行うことが熟練を深めることにつながるからである。巷を眺めると、中途半端な段階で、独自の理論を展開して、新しい手法の名称をつけて、商売を展開するというのはよく目にする。企画力やプレゼン力が伴っていれば、集客もうまくいくだろう。

しかし、ここで曲がりなりにも、サイエンスに関わってきた人間としては、独自の名前をつけてもいいのだでれど、後から学ぶ人がより深く学ぶための情報をしっかり伝えることを怠けたり、意図的に隠していないか?ということにどうしても注意がいく。

オリジナルはクセも強いし理解が難しかったりする。だが、本気で深く学びたいという人間にとっては、希釈されたあたりのいい情報より、できるだけ元ネタに遡る方が、より本質に迫ることができる。だから、独自の理論を展開するのは自由だが、さもそれを最初から創造したような態度は如何なモノかと思ってしまう。他人のした仕事には敬意をもってきちんと引用しつつ、後継が深く学ぶための土壌を正直に提供するのか?それとも自分を越えないためにコアとなる元ネタを隠して、オリジナリティを装うのか?そこには、その講師の倫理感や人間性、何のためにその仕事をしているのか?ということが直結している。

サウンドの探求 (1)

ブログを更新していない時期というのは、言語化できないプロセスが深いところで進行していることが多い。欧州講師ニコラとのコラボレーションワークショップの後の余波が大きくて、なかなかレポートできないでいたが、ソトコトに記事掲載をお願いするあたりから、〆切りが決まり、そこから何とか記事にしてみた。

それ以外に、ロルファーの同僚Anne Hoffから受けたDiamond Approachの個人セッションもとてもいい体験だったが、これも余韻が続いていて、どこかでレポートしようと考えている。そのセッションでは、マントラのような声の響きを用いて、プロセスを進めるのに役立っていた。

成田で開催された伝統医学と民間療法研究の国際学会での発表やそこでの交流も有益だった。今にも正統なシャーマンになりそうなメキシコ人との出会いもよかった。そこで、ドイツ人の演者で、音叉を利用したセラピーを行っている発表が、短い時間ながらデモンストレーションでそのワークの有効性を示していた。三叉神経に特異的に刺激を与え、神経伝達を促すヘルツがあって、それを発生させる音叉を使うワークだった。早速、それと同じものを購入して、今振動覚を刺激しつつ、脳のパターンを変えるためのワークとして、ケーススタディを重ねているところである。

12/4には、声のパフォーマーである山崎阿弥さんとコラボレーションワークショップ。声というものの認識をガラッと変えてくれた山崎さんの知覚や考えに迫りたいと思う。

ソマティック・エクスペリエンスでは、wuuというサウンドを使って、トラウマのエネルギーを手放すやり方が存在する。それが効果的に使える時とそうでない時があって、それを解明する一つのヒントが、山崎さんとのコラボで深まるのではないかと期待している。

サウンドは、マントラやお経、お祓いなどでも伝統的に使用されているが、それを深める時期なのかもしれない。

伝統医療と民間医療研究の国際学会(2)

遺伝子解析を含むアカデミックな内容の発表から、テスラ波動医療まで、すごいバリエーションに富んだ国際学会だった。たまたま日本開催だったので参加してみたが、とても面白かった。ちょっと役立つプチ情報を以下に、

フランス人研究者の発表:世界各地の蜂蜜の抗菌活性を調べたところ、コルシカ島の蜂蜜がいい値を示していた。 → どこに売ってるの〜?

ドイツ人セラピストの発表:聴覚を司る第5脳神経に刺激を与える、特定の周波数を発する音叉と、筋肉反射を利用したワークのデモで、被験者となった女性の首の可動域が速効で改善。このデモはすごかった。脳のパターンを変え、神経伝達の円滑化を図れるらしい。 → 神経学者が開発した、音叉を利用した療法があるらしい。その音叉を現在注文中。これは試してみたい!

台湾の生化学者:ゴーヤは身体にいい。そのことをゴーヤ抽出液が、炎症性タンパクの産生を抑え、接着因子の産生も抑えるという作用機作を遺伝子解析で証明。→ とにかくゴーヤを食べるべし!

テスラ波動医学:これはぶっ飛んでいた。なにせ、ニコラ・テスラをチャネリングして自動筆記したという演者だったが、なぜチャネルした相手がテスラだとわかったのか?という質問に明確な答えは出てなかった。チャネリングあるある。

伝統医療と民間医療研究の国際学会(1)

International Conference on Traditional Medicine and Ethnomedical Research (ICTM 2019)

先日の国際学会で口頭発表してきました。その抄録は以下の通りです。

分類:Alternative Medicine

Title: Working with Ma through Rolfing Structural Integration – New perspectives of Manual Intervention

Introduction :  To apply for the people who is a pressure sensitive of touch, Agneessens and Tahata developed the Art of Yield, which can facilitate drastic structural change. This approach is a derivation of ‘yield’ touch being taught in some Rolf Movement trainings. A key difference is that integral in Tahata’s approach is the ongoing inclusion of the practitioner ’s perception, which creates the field the work occurs in. To further refinement, Tahata focused attention to positioning in-between the practitioner and the client before intervention. It was shown that when the practitioner  could find a suitable position, it could facilitate the client’s  body to fit and spread on the massage table without touch, followed by decompression of joints and core space.  This positioning might have potential to enhance responsiveness of the body.

Methods:

The Ten Series of RSI  incorporated with the Art of Yield was given to the client according to the sequence of Ida P. Rolf’s protocol through gentle touch and the somatic resonance of the Hara(center of gravity) to guide us in our particular position in the room to set up for the order of intervention. In some case studies, the session was involved a conscious use of positioning by the practitioner.

Result:  The photo data shows that suitable positioning between the practitioner and the client could facilitate postural change without touch. Rolfing incorporated with the Art of Yield and positioning  facilitated drastic structural change as shown in some case studies.

Conclusion:  Positioning of the practitioner in the session room, may underlie the basic therapeutic relationship in-between the client and the practitioner, which might convey the essence of safe, which can be applicable to any kinds of therapies and somatic practices.which is called Ma, Japanese concept about space and time. Ma might be the key factor to provide the safe environment for the client. 

Keywords: Posture, Rolfing, Structural Integration, The Art of Yield, Ma

Biography :

Hiroyoshi Tahata has worked as a Rolfing practitioner since 1998. He joined the Rolf Institute faculty in 2009. As a Rolf Movement Instructor he brings to this work a depth of creativity and understanding that integrates the principles of structure and function through a gentle and non-invasive approach to transformation. His background in biochemistry clearly bridges the inquiry between science and art. Hiro’s work is grounded through experience and enriched by a thriving practice. His unique approach called as the Art of Yield, promotes profound experience and physical geometric balance.  He offers workshops on yielding and ma in Japan, which provide credits toward Rolf Movement certification and continuing credits for IASI (International Association of Structural Integration). 

Presentation in progress by Hiroyoshi Tahata

ワークショップ参加者の感想

空間と身体シリーズのワークショップを熱心に受けて頂いている方から、感想が届きました。以下ご本人の許可を得て転載させて頂きます。

先日は「頭の中心から観ることで、空間認識を変える」のWSありがとうございました。

私は近視+乱視+老眼で遠距離、中距離の単焦点レンズの眼鏡、中近両用の累進レンズの眼鏡3つを常に携帯して生活しています(コンタクトレンズで右眼の角膜を傷めると盲目になってしまい、「今日は盲人なので出勤できません」などとは言えないため)。

会議室でミーティング中に遠距離の眼鏡を利用すると、メモを取る手元は当然ボケて良く見えないのですが、松果体を意識すると手元のノートにも焦点が合わせやすいです。

今までは30分位手元を凝視していると焦点が合うことを体感していたのですが、時間を短縮できるようになりました。そしてJuicyな骨、私の左膝に効果ありと期待しています。

Rolfer’s Note: このクラスで松果体を本当に扱っているのか?と懐疑的なご意見もきこえてきそうですが、大切なのは意識の向け方によって、目の使い方や空間認識が変わること。そしてそれが役立つことがあるということです。

イールドワークにおける「いい間合い」

“いい間合い” – good Maをどう説明したらいいのかを、Anne 編集主幹は、intersubjectivityという言葉を使って説明の助けにしてくれた。


interoception -内的感覚は個々の固有の感覚で、それを頼りに間合いを見つけるのだけれど、プラクティショナーもクライアントも「相互の」主観の中から見つけることが、間とイールドのワークの鍵になっている。


施術側だけ、いい気分で、受け手はなんらかの圧迫を感じている場合は、マウンティングが起きている。その反対は、クライアント様は神様です!のいいなりのしもべ状態。

セラピーの現場や様々な状況でそのどちらかの関係性は起こりがちだが、そのどちらでもない関係性、つまりお互いが心地よく感じられるコンステレーション、それが「いい間合い」ということになる。イールドワークでは、このいい間合いによって誘導される場と感覚を重視している。それが、プロセスを安全に進める、意味のある定着する変化につながる。


さらにいうとそのコンステレーションも、いくつか選択肢があって、常に揺らいでいる。いくつも層が重なり合って、それを一つ一つ降りていくと、深い安全・安心を伴う「静寂」にアクセスすることができて、重力の音を聴くことができるのではないかと思っている。

交通事故の体験

歩行中よそ見運転の車に追突され、身体からちょっと出たことがある。今から42年前、中学3年の7月31日だった。
追突され宙にに舞ったらしいが、その時できすぎなくらいよくできた画面のスクリーンメモリーもちょっとだけ見た。走馬灯を生まれるまで眺めたら、多分戻って来られないのだろう。

身体と自分が完全に分離して、遠くで身体が口を通して実際に「痛いよ〜、痛いよ〜」と叫んでいたのだが、自分の意識は別のところからそれを聞いていた。

“自分の意識”が身体の中にふと戻ると、全く痛みは感じず、強打した大腿部は麻痺して動かなかった。右手に二カ所かすり傷があって、出血していたけど、その痛みは不思議なくらい感じなかった。

なんで身体は痛がっていたのに、離れていた”自分”は痛くないのか気味が悪かった。次の日出場予定の卓球の県大会に行けそうなくらい気持ちはケロッとしていたけど、左脚は全く動かなかった。身体の自分と意識の自分はどちらも自分だけど、それぞれ完全に別だった。

そこから、身体のバランスを意識するようになった。ロルファーになる最初の大きなきっかけになった出来事だった。

オリジナリティ

斬新なアイディア、先駆的な発明、本当の意味で新しい曲、唯一無二な独創的なものであればあるほど、人気は出にくい。理由の一つに、まずその意味を理解する受け手がそのタイミングではいないこと。そして、そのような斬新なものを生み出す芸術家や研究者は、どちらかというと、広めたりうまく伝ようというエネルギーを使うことにはあまり関心がない。巷で売れたり流行するためには、この多数に「わかりやすい」という性質が不可欠になる。わかりやすいとは、どういうことかというと、 どこか馴染みのある、持ち合わせの知識や情報で何となく、その印象をつかみ易いということになる。その対象が、オリジナルであればあるほど、取っつきにくくなるので、最初にでた斬新なものより、何となく耳にしたような旋律が含まれるようにアレンジされていたり、ちょっと知っている感じが微妙に混ざっているものが、耳辺りがいいし、親近感が湧きやすい。

だがそもそも既存のものと混ぜている時点で、オリジナルではなく、結局はコピーの寄せ集めミックスなのだ。実際は、その原点のいいところをうまく取り入れて、わかりやすく加工したものが、広まりやすく、いつの間にか主流のようになっていることがある。それがいいものであれば、いいじゃないか、という乱暴な声も聞こえてきそうだが、問題は、その出典が明らかになっているかどうかである。モノは確かにいいけど、じゃあ元ネタはなんなのか? それを最初に生み出したのは誰で、それを学ぶにはどうしたらいいのかが、明確に示されていれば問題ない。後から、そのことに深く学びたいと思った人が、きちんと元を辿れるからである。その元にはどうしても言葉では伝わらないエッセンスが存在する。それを最初に採用する場合は模倣-真似から入るので、スタイルや外見は「〜風」でよく似ている。オリジナルとその開発者をリスペクトする形で引用を忘れずに、純粋に広めようとする人達は確かに存在する。そして、それらをレビューすることも立派な仕事である。けれども、良識がない多数派は言ったもん勝ち、売れたもん勝ち、つまり、勝てば官軍の発想で、結局モラルがないから、当人が出典を明らかにせずにむしろ隠すことによって、さも自分が創り出したように繕ってしまい、後から学ぼうとする人達が、それについて源流に辿ることや深く学ぶことができなくなってしまう。しかもそういった輩は、嫉妬深い性質も相まって、益々隠蔽や策を弄することをやりがちなのだ。

研究する上で、遡れない、深く学べないという弊害だけではなく、そのオリジナルではない後発模倣品の方が主流で売れてしまうとなると、一流のオリジナルの作品やアートに対して、きちんと敬意を払って、それに見合うお金を支払うという当たり前の姿勢がなくなり、結果いいもの、一流のものを残し育てる文化がなくなってしまう。何かを深く学ぼうというときに、創始者でなくとも、本質を理解し、源流を学べる場かどうかを嗅ぎ分ける鼻を持っていたい。

日本を含むアジア圏は、欧米に比べ、オリジナリティに敬意を払う価値観が育っていない。さらに日本独自の優れたものより、未だ舶来主義が残っていることが、ますます拍車をかけているように感じる。オリジナリティに敬意を払うということは、個人のユニークさを尊重するということとペアになっていることのように思う。

身体の捉え方・認識を変える

骨は固い、筋肉も常に固い、固い身体は変わらない、ずっと変わらない、という思い込みからしか身体を捉えられないと、当然それが動きや在り方に影響する。ロルフ博士は、その”身体は変わらない”と考えられていた概念を、Body is plastic ! 身体は変わり得るもの、と言葉にして、それをロルフィングのワークによって体現した。

なんとなく大多数が思っているところには必ず盲点がある。

音は振動であるから、皮膚もまたその振動を感じている。ということは皮膚も聴いているという表現も成り立つ。”音”として認識しているかは別として、振動は細胞全体に届いている。細胞に一本づつある繊毛の揺れとして受け止めたり、細胞の中にある細胞骨格の揺れもあるだろう。細胞はたえず内側の動的なダイナミクス、つまり”動いている”必要がある。そのために細胞外マトリックスや隣接の細胞と相互作用することで動きを生み出し、その物理刺激が生存と成長にとって必須となる。

だから、すべての組織や器官は、物理的な動きとしての振動を受け容れ、そして外側に伝えたり双方向にやり取りをしていることになる。この全体の振動板・振動子としてより響きあうことができれば、それがつながりや連携を生む。

恐らく、ある種のサウンドが癒しをもたらすという原理は、音波を使って、身体の組織が固まってフリーズしているところに振動が伝わることで、動きが生まれると共に活性化されることが、回復へのプロセスを進めることになるのではないと推測する。

耳だけが聴いているのではなく、身体の皮膚も聴いていると思うだけで、音に対しての認識や皮膚で聴こうとするだけで、身体の音への反応も変わり、そうすると空間認識も変わってくる。

その器官が習った通りの機能しかしていないという狭い捉え方をしている限り、可能性は広がらない。だが、様々な可能性と共に身体を捉えるてみると、知覚が変わり、世界も違った感じに見えてくる。