投稿者「rolfinger」のアーカイブ

rolfinger について

米国Rolf Institute認定ロルファー&ロルフムーブメントプラクティショナー。

藤井聡先生の提言 – 半自粛のすすめ

自宅で、家族と2メートル離れて生活できますか?

政府専門家委員会の提言によると、家の中でもマスクして家族と離れて暮らせるか〜っつうの! 専門家会議は今すぐ、京都大学大学院レジリアンス実践ユニットと交替してほしい。人間の暮らしや生活の営み、文化を破壊する提言の由来は、専門家委員で、元WHO事務局長の尾身茂氏らしい。  

そもそも、WHO;世界保健機構としてご立派な独立国際機関とおもっていたが、先日マダガスカルの大統領が、WHOから賄賂と共にコロナ治療薬に毒をいれるよう指示されたと曝露して、アフリカ全体にWHO脱退を呼びかけているという。そりゃそうだ。そんな機関に属して毒入れたら、犯罪者の仲間入りになってしまうじゃないか。

https://aobrempongnana.wordpress.com/2020/05/15/who-offered-me-20million-dollars-to-put-a-little-toxic-in-my-covid-19-remedy-madagascar-president-exposes-who/amp/?fbclid=IwAR3ui2K7YkGMUMqD_AqUhgWuBfBRbrXTqTLdv2MFMm_mHo82e-d_V8eLqVw&__twitter_impression=true

WHOって思ってた印象とは真逆の組織ってことになる。WHO出身の政府専門家会議からの提言、どこまで真に受けて、愛のない、コロナに伝染らなきゃいいロボットとして生きるのか?それとも、半自粛しながら人間的に暮らすのか? 結局自分次第だ。

万病の元、酸化ストレスのレベルを下げる – (1)

酸化ストレスマーカーの一つ、8-OHdGが低レベルで抑えられることは、がんや心臓病、認知症などの生活習慣病になり難い、つまり健康レベルが高いことを意味する。酸化ストレスを抑えることができれば、万病の原因とされる慢性炎症も抑えられ、昨今、Covid-19感染による重症化で問題となるサイトカインストームのリスクも低くなることが期待できる。

大雑把なイメージでいうと、体内がサビ難い、酸化していない状況をつくるということである。健康体であれば、活性酸素の消去系酵素が十分な働きをしてくれるため、速やかにO2ラジカルを消去してくれる。一方、エイジングと共にこの消去系もやや働きが悪くなり、消去されないO2ラジカルが細胞に傷害を与える。これが老化である。傷害によって、至るところで炎症が長期化し、慢性炎症となる。この慢性炎症が様々な疾患と関連していることが近年明らかになっている。

各種ビタミンやポリフェノール類など抗酸化物質を摂取することが、酸化ストレスを低下させることにつながるが、それ以外に、水素が豊富に溶存している電界水素水を飲用するという手段がある。サプリメント由来の抗酸化物質は、比較的分子構造が大きな分子であるため、作用部位が限定される。一方、水に溶存しているとその制限がない。

父の新居に浄水器を導入しようとして、いくつか検討していたが、日本トリム社の電解水素水整水器を選んだ。理由は、様々な研究機関との共同研究が進めれていることと、この水一本で勝負していることにも好感がもてたことによる。

https://www.nihon-trim.co.jp/research/collaboration/

初期投資はコストがかかるが、ボトルの水を買い続けるよりは低コストである。早速数日前から飲み始めてみたが、悪くない。 農業に用いている例もあるそうで、メロンが倍の大きさになるという収量増加が見込まれたり、養鶏所の給水に応用すると臭いが減るという応用例があるとのこと。

飲用ではなく、もっと直接的に点滴する療法を行っている施設もある。

点滴までしなくとも、飲用で同様の効果は期待できると考えられる。

水の重要性は誰しも認識していると思うが、長い目で見ると、悪くない投資ではないかと思う。

電解水素水整水を利用する際の注意点としては、水に溶存している水素は保存がむづかしい。長期保存できない。容器内ですぐ揮発してしまうので、きちんとした整水器でフレッシュな状態で使い切ることが大切である。他社の製品も検討したが、データの数値として示されていないことが多いので注意が必要である。

soothing music

朝起きて、TVはつけない、Radioもつけない。頭を忙しくするSNSも、朝は控えめにして。

朝から警戒情報満載のNHKの画面は見ないようにしている。

瞑想もいいんだろうけど、動かずじっとしているのは性に合わないので、最近Amazon Music のハイレゾ音源でこれを聞いている。デスクワーク作業中にもお勧めです。



クラウドファンディングに参加してみて

音楽家やパフォーマーにとって、オーディエンスが多く集まる場所での講演ができなくなるのは、死活問題である。そんな中、何度も会場として使用させて頂いている代官山ライブハウスの「晴れたら空に豆まいて」がクラウドファンディングを立ち上げた。

私自身、存続を応援したい気持ちから、僭越ながら、応援メッセージを送ったのだが、ほとんどの方は、当然、晴れ豆を熱く応援する内容になっていたが、菊地成孔さんのメッセージはひと味違っていた。以下、勝手に引用:

日常的に数多くの店に世話になっており、特定の店だけを応援しているように誤解されない事を願います。あくまで僕個人は、基金によって、救われる店と救われない店が明確になるようなシステムへの寄与は避けたいです。今、全てのライブハウスがクローズの危機にさらされています。僕の願いは、全ての店がサヴァイヴすることに他なりません。「晴れたら空に豆まいて」さんには、実に様々なイベントでお世話になっておりますので、単にそのリージョンのみによって、エールを送ります。他店には出来ない、イマジナリーなイベントを開催してくれている場所です。頑張ってください。

菊地成孔(音楽家/文筆家)

これを読んでガツンとなった。一つの贔屓にしているライブハウスだけでも生き残ってほしい、と思うのは当然の願望だが、ふと気がついたのは、緊急事態下という圧がかかっている条件では、生き残るところは生き残るけれども、そうでないところは、閉店しても仕方が無いと心のどこかで思っていたことに、菊地さんのコメントを読んで気がついた。

そう生き残るべきは、全部のライブハウスなのだ。趣味や方向性も違うし、行かないけれども素敵なお店はたくさんある。素敵でないお店もあるが、じゃあ優れた(と自分が勝手に認識している)お店だけが残ればそれでいいのかというと、実はその考えは間違っている。自分と一見無関係に見えるお店や他人も、見えないだけで循環の中で関係し合っている。

たくさんの種類のお店があることで、それぞれのお客がお好みの店にいき、棲み分けされているので、お店としてもいろいろ絞りこんでライブすることができる。自分の興味の対象以外の世界が回っていることを無視していいはずがない。

自分の業界にもいえる。いろんな療法やアプローチがあって、必要とする技法に必要なタイミングで会うべきセラピスト/プラクティショナーがいるから全体が回っているのであって、そのためには、様々な療法と個性ある人材が豊富に存在する必要がある。

救われる店と救われない店が明確になるようなシステム” には疑いを持つ必要がある。状況がどうあれ、圧力が加わったことで、適者生存のような考えは間違っている。 こんな状況だから、救われないお店やプラクティショナーがいても仕方ないなんて諦めてはいけない。

不要不急とされることが人生を豊かにしてくれる。神経系が興奮する「急で必要なこと」がないようにゆっくり生きることが健康につながる。適者生存の考えではなく、棲み分けること – 潰れていいお店や仕事を続けられない人達がいていいはずはない。少なくともそういうヴィジョンを持っておこうと思う。

クラウドファンディングを利用せざるを得ない業種もあるが、日常の中で、いつもいくお店に足を運ぶことが、間違いなく応援になる。

暖かくなれば

気候が暖かくなれば、風邪も引きにくくなる。自粛してたから、感染が抑えられた調になっているけど、実際のところ、単に暖かくなってきたから、免疫が上がってきた可能性は大いにあると思うが、governmentの自粛要請が功を奏したようにしたいのかもしれないが、本当のところは曖昧なままである。

献血等でサンプリングされていた抗体検査結果がやっとでた。5月1日で公表される予定だったのに2週間も遅れた背景には、データが想定されたような結果ではなかったことが予想される。

0.4%程度の抗体陽性率で、昨年(新型コロナウイルス感染報告前)の血液サンプルもほぼ同じ%の抗体が検出されたという。これは海外で報じられた結果よりかなり低い。しきりに、検査キットに問題があって、データが信頼性に欠けるといっていたが、まず検査キットはかなりコストが高いので、何の解釈もできないような検査だったとすると、とんでもない損出である。責任者だったら、降格少なくとも始末書もんの大失態だ。でも、そんな信頼性の低いものをこのような状況下で製品化して世に送り出すだろうか?企業としては信用問題なので、正式なコメントをしてほしいと思う。

一方、得られた結果が試薬キットや操作、サンプリングに問題がなく、信頼できる結果だったと仮定すると、

  1. 今年と昨年の抗体陽性率が、同等でだったということから、”covid-19は今年から広まったわけではなく、つまり新型ではなく少なくとも昨年にはすでに広まっていた。”という可能性。
  2. 0.4%の抗体陽性率という低い値であることから、”PCR検査や報道された感染者数より遙かに下回る感染しかおきておらず、covid-19は感染拡大してなかった”という可能性。
  3. 仮に感染拡大は起きていたが、”covid-19に対する抗体ができにくいという性質があるなら、ワクチンを作ったとしてもムダ”という可能性。(生のウイルスは最も優れたワクチンである。通常、感染力を下げるために、弱毒化したり不活性化したり、一部の抗原を使ったりして作製するのが人工のワクチン)

が考えられる。

ワクチン産業の人達にとって都合がいいのは、多くの人が感染の証である抗体を持っていたが、追跡すると抗体が維持できないので、ワクチンでたまにブーストする必要ありとしたいところが、そもそもの抗体陽性率が想定より大幅に低くかったために、公表を2週間も遅らせてどういう見解にするかを検討したのではないかと勘ぐってしまう。次に規模を大きくして抗体検査したとして、どんな結果がほしいのだろうか?

BCG接種や海藻や発酵食品を多く摂る日本人にとって、ひょっとすると抗体に頼るような免疫を獲得する必要もなく、自然免疫だけで、covid-19に対応しているという可能性はないだろうか?

結果はどうあれ、私にはワクチンは不要で、自然免疫でなんとかできると信じているし、それを信じられる状態でいられるようにすることにエネルギーを使いたい、と考えています。

これから暖かくなっていけば、特定のウイルスとは関係なく体調はよくなり、緊急事態が解かれれば、全体が回復に向かっていくと思います。

ただ、問題はこうした緊急事態宣言によって、自由が奪われる可能性がこれからも起こり得ます。少なくとも、夏を越え、気温が下がって風邪を引きやすい気候になってきた時に、二次パンデミックに備えたいところです。

ハダカデバネズミの生き方に学ぶ

自然の知恵を学び、生かそうとするなら、すでに生物が行っている智慧に倣うことが手っ取り早く、生体模倣-バイオミミックリーの考え方があります。その中でも、強欲な人間にとってはなんとしても手に入れたい能力の多くをハダカデバネズミは持っています。

その並外れた特徴は

1)低酸素耐性 息を止めててもすぐ死なない

2)疼痛耐性 -痛みに強い

3)長寿 

4)老化しない

5)がんにならない

6)接触阻害に高感受性。 密集することに敏感

正常な細胞には、適切な組織の増殖の調節に役立つ「接触阻害」という現象があります。 隣接する細胞とのコンタクトにより、増殖を停止する(秩序を維持)タイミングを知っ ています。癌細胞は、本来の接触阻害の性質を失っていることが、よく知られています。 隣接する細胞同士が互いに接触しても、単層培養で分裂し続けます。Seluanovら (2009)は、ハダカデバネズミの線維芽細胞が、非常に低い細胞密度にもかかわらず、 接触阻害 になることを報告しています。したがって、この長寿命のハダカデバネズミの線維芽細胞 は、他の短命の齧歯類の線維芽細胞よりも、周囲により多くの空間を必要とし、隣の細胞を離れたところから知覚し、密集または過密になる前に成長を停止します。空間身体学的にいうと、ハダカデバネズミの線維芽細胞はいい「間合い」を知っているように見えます。

接触阻害という性質は、栄養分を奪い合うことなく効率良く秩序を保つために隣同士の細胞とうまく共存することを意味します。これは、「接触」に対する感受性が生命の秩序に関係していることを示唆しているのかもしれません。また、正常細胞には「足場依存性」という性質があり、生存し増殖するためには、拠り所となる足場に接地することが必要です。足場とコンタクトする、関係性を持つことが正常細胞の生育に必須なのです。また、細胞には、それぞれ一つずつ「一次繊毛」と呼ばれる物理刺激を感知するセンサーがありますが、癌細胞は一次繊毛が消失していることがわかっています。これらの関係を 以下の表にまとめています。

ハダカデバネズミ正常細胞がん細胞
(1)足場依存性++
(2)接触阻害+++
(3)一次繊毛++

Table1:正常細胞、癌細胞、およびハダカデバネズミ

 1)足場依存性 は、細胞と細胞外マトリックスとの関係を示します。 

2)接触阻害は、隣接する細胞同士の関係を示します。 

3)一次繊毛は環境に対する反応性を示唆しています。

癌細胞は周囲との関係性を失った無秩序な暴走状態にあります。このことから、周囲との相互作用が低下した細胞が、もし周囲の細胞外マトリクス或いは近くの細胞との関係を再構築できれば、再び生命の秩序の中に参加し直すことが可能なのではないかと想像します。

相互の関係性 = 秩序、正常化 

 様々なセラピーや身体技法が、身体と重力・空間との関係性や、他者との関係性を扱いますが、関係性の改善によってクライアントが回復する手助けになります。

さて、コロナパニックによって、人と人との距離がソーシャル・ディスタンスなる言葉で、遠ざけられ、言葉や表情から読み取るコミュニケーションもマスクされ、スキンシップも憚れるようになり、本来働くべき場所ではない処に止まるように強制され、思い切り働くことすら制限されている状況が今起きています。

この自粛ストレス下では、ハダカデバネズミとは真逆の生活を強いられ、実際、クライアントの中には、自粛ストレスで心身のバランスを崩す方も少なく有りません。

ハダカデバネズミは、真社会性の社会構造で生活することが知られています。それぞれに振り分けられた役割をこなしながら、コロニーを形成し、巣の中で互いに密に接触しながら生活する。草食で、繁殖をめぐっての争いもなく、平和的な生活を営むことが知られています。

1)コミュニティの中で、自分の役割をやり遂げる。

2) 人との適当な距離間と必要なスキンシップを保つ。

こうした生活様式が、長寿や癌にならないことにつながっていることが推測されますが、興味深いことに、飼育されたハダカデバネズミにはがんが見つかったという報告があります(😿)。人工的な環境で自然のコロニーから離した形で飼育してしまうと、本来の真社会性のコロニーでの暮らしとは異なり、自分の仕事の役割もなく生き方も変わってしまうのかもしれません。適所で働けないストレスなのか?或いは、本来の社会で働く自由を奪われることが、がん化を招いてしまうということなのでしょうか? 

いずれにしても、他者との相互の関係性は、長寿や健康に大きく関わっているようです。また、社会における自分の役割を果たすこと、他者とのスキンシップや適度な間合いも大切ということもいえそうです。

ハダカデバネズミの生活様式は、私達に多くのヒントを与えてくれているように思います。

ポイントは、薬いらず医者いらず

緊急事態宣言で自粛が必要な理由は、ウイルス感染後発症〜重篤下して入院者が増えると、受け容れ容量を超えてしまい、本当に医療を必要とする患者さんが適切な医療を受けられないという点にある。パワープレイしますが、自粛行為は、ウイルス撲滅でも感染防止とも無関係である。

(私はむしろ、自粛ストレスによって、本来の免疫系が下がって、感染後重篤化するリスクが上がることを懸念している。)

要するに、医療体制というコップの水が溢れなければ、ムダな感染防止キャンペーンはやめて、免疫のためにも、感染しておくことが、必要な備えになる。麻疹やおたふく風邪が、成人になって罹ると、かなり重症になることは知られているが、それと同じ原理である。

仮にウイルスが変異しても、変異に関わらず共通の抗原はあるだろうから、決して無駄にはならない。風邪は冬に大流行することを考えると、それまでに罹っておくことがいい準備になる。だから、もうマスクをしたり、過剰な殺菌・抗菌行為はやめて、普通の暮らしをすることが、1番いいと思う。免疫が維持されている状態で僅かな量の病原菌に接することが、免疫を獲得するのにベストである。

(最近スーパーにしてもマスクなしだと入店できないこともあるので、仕方なく装着してますが、人混みじゃなければ、お散歩はマスクなんてしてませんよーだ!)

とにかく、1番大切なのは、病院にいかなくていい身体でいることで、そうであれば、医療体制を圧迫することもない。本当に調子が悪ければ話は別だが、検査結果を知ろうとするエネルギーを自分の免疫が信じられるように保つためにできることに向けた方がいい。

とにかく、漠然とした恐れに対して、それを誤魔化そうとして、常に何か外のものに頼ろうとする、そのパターンから抜け出すことが、自由な生き方につながる。

今日来てくれたクライアントは、自粛で動かない生活にしてしまったことが、調子を崩す原因になったとのことに気がついた。どこかが悪いから、調子を崩すのではなくて、問題をつくるような生活パターンが、その修正のために身体に違和感を創るようなケースは、珍しくないと思う。

身体の声に耳を傾け、外の雑音をシャットダウンして、小さく反逆することが、自由と健康を手にする秘訣だと思う。

Hey Hey Hey, I was born a rebel, down in Dixie on a Sunday mornin’

Yeah with one foot in the grave and one foot on the pedal

I was born in a reble.

風邪の効能

を英訳した野口晴哉先生の本を坂本龍一さんから頂いたことがある(プチ自慢)。野口整体の考え方だと、風邪をひくというプロセスには、からだのバランスを整えるという効能があるらしい。その考えは、オーソドックスな医学の常識からは逸脱している。

病原体としての感染には悪い意味しかないように捉える立ち位置から、まるで罹ることがバランスに寄与する「利点」があるとは、実に面白い考えである。

ということは、ああ、風邪をひいたといって落ち込んだり、失敗した感じになるのではなく、何かそこから回復することで、レベルアップが見込めるということになる。

現在の非常事態宣言による自粛要請下では、おちおち風邪もひけない。お店に入った客が体調を崩し、PCR検査して陽性と出れば、そのお店にとって致命的なダメージを食らう。来店前後で、満員電車や他の密集エリアで感染した可能性があったとしても、恐らくほれみたことかとやり玉に挙がられるようなリスクがつきまとう。(しかもRT-PCR法だと擬陽性も拾う確率が大きいらしいし)

風邪に対して、これまで過敏になっていることも珍しい。だが、すでに致死率が低いことや感染したほとんどの方も後遺症なく復帰していることを考え合わせれば、危険レベルはかなりひくいわけだから、重症化リスクが高い人は別として、もういい加減自粛やめたらいいのにと心底思う。

私はというと、遠方からの客足は遠のいてますが、お越し頂くクライアントを拒まず、普通にワークしています。完全予約制で公共交通機関も使わず、そもそも月に合う人数も限られているのに、これ以上減らしたら、仙人になっちまうからね。(すでに仙人扱いされてますが)腕も鈍らせたくないし。

自粛ストレスで心身のバランスを崩す人が増えているこんなときだからこそ、どんどんセッションでストレスを放電してほしいと願っている。

毎日3時間程一緒に過ごす92歳の親父は武漢カゼとは無縁のようだ。先日血液検査したら、ヘモグロビンが標準の3分の1に低下して、一人高山で暮らしているような親父だが、何ら彼の健康状態に異常はない。1月から3月までは毎週焼き肉食べたり外食してたけど、関係なかったみたい。むしろ、感染を恐れて肉食べない方が基礎体力低下につながっていたと思う。まあ個々に状況みないといけないけど、高齢だからといって、過剰隔離するのも如何なものかと思う。命が命がって神経質になるより、人と人とが会えることがもっと大切だったりするじゃないですか。

お年寄りだって自由や人権は保証されなきゃいけないから、個々の状況判断で動けるようにした方がいい。でなきゃ、いろいろ後悔します。特に高齢の方との時間は限られているので、一律に面会できなりような体制は悲しい結果を生む。

ええっと、元に戻しますが、風邪や感染を忌み嫌ったりするのではなく、むしろバランスを回復するいいタイミングがきたといって歓迎できるような価値観があると、少なくとも、感染者や医療受持者への偏見・差別はなくなるでしょうね。

治すということの落とし穴

ロルファーとしては、症状がある場合もない場合も関係なく受け付けているが、本来は健常の方を対象にしていて、いわゆる治療者としてのスタンスで仕事はしていない。

ゴールを症状の改善としてしまうと、主訴が改善したところで治療は終了するが、根本的に症状がでないような高い適応力がある状態をロルフィングでは目指している。

人を治療する、治って喜ばれ、自己有用性が高まる。そのサイクルは循環していて、自己評価も高まる。ただ、そのサイクルにどっぷりつかってしまうと何が起こるか? その仕事のお得意さまが、調子の悪い患者となり、その存在が生きる上で必要になってしまうのだ。無意識にだが、患者が根本的に治ってしまうことを心から願えなくなる、危険性が常にあるということだ。実際に腕のいい治療家が、ある治療院に勤めて、患者を治したら、オーナーにいい気になるなと諫められたという話を聞いたことがある。

信じられないような話が実はあるが、本当にクライアントの回復や何にも依存しない状態に移行することをコミットすることと、クライアントを囲って通い続けるように仕向けることは全く違う動機に基づいた仕事への姿勢だが、外からは見えにくい。だからクライアントや患者としてどこかに診てもらう時には、盲目的に従ってしまうのではなく、常に対等性をチェックする必要がある。

何か違和感を感じたら、担当のプラクティショナーを代えていいのだ。それが自分を大切にすることにもつながり、ダメな医療従事者や施術者をそれ以上応援しないことになり、全体をよくすることにもつながると思う。

Power to the people ♫

今日はジョンレノンのPower to the people”民衆に力を” を貼っておきます。

さすが、ジョン、パワーがあります。

緊迫感の中「生きるか死ぬか」の生活態度とは対極に、自分にとって必要だと感じることをゆっくり楽しんでいる姿勢が、「人生を豊かに暮らす」ということのはずです。「生きるか死ぬか」に直接関係ないような行動は「後回しにしろ!」といわれているような雰囲気を感じます。

音楽、美術、パフォーマンスから、人を笑顔にするお料理や職人技などなど、人生を豊かにしてくれる仕事が、二の次三の次にされています。TVでパワープレイされる医療従事者を応援するメッセージもいいけど、患者が目の前にいれば仕事をするのはある意味当たり前です。

それよりも、目を向けるべきは、人権を含め様々な権利が奪われていること。子供は学校で学ぶ機会を奪われ、研究者は実験する機会を奪われ、学生は調べものをする場所を奪われ、お店は働く時間を制限され、宿泊施設はお客さんを思うように呼べず、一方、自粛を強制する側は、自粛によって大した影響も受けない人達です。通常の8割自粛を呼びかけるなら、自分達は各種手当てと8割給与を返上した上で、自宅待機してリモートワークに切り換えるなら、説得力は多少あるかもしれません。民衆の力を奪うような流れに違和感を感じます。

お年寄りの命をたてにとってますが、致死率、抗体検査結果、基本再生算数からしても、発症・重症化リスクが高い人だけ注意すればいいだけの話です。

生きるか死ぬか、というのは、神経系でいうと、逃げるか闘うか、の反応と同じなので交感神経優位で、休息したり消化するという副交感神経の働きが阻害されてしまい、人生を豊かに生きる姿勢から遠い状態です。

そんな緊急事態?が続いて、結局、甚大な被害を被って犠牲になるのは、メインストリームにはいない、小さく暮らしている人々です。

しかし、世の中に面白みを与え、多様性をもたらしているのは紛れもなく、小市民です。負けるな小市民!自分のやっていること、やってきたことを小さくみたり恥じることはない!!

♬ Power to the people. ♫ Power to the people ♪

♬Power to the people. ♫ Power to the people, right on ♪