投稿者「rolfinger」のアーカイブ

rolfinger について

米国Rolf Institute認定ロルファー&ロルフムーブメントプラクティショナー。

介護に関して

介護というと、ただでさえ周囲が深刻で閉塞感が生まれやすい状況ではあるが、被介護者の回復力や自己組織力は、どの段階においても存在する。

介護される側の高齢者は、日々調子が揺らぐ中で、かつて難なくできた動作が困難になり、衰えが生じてくる。抗うことのできない自然なプロセスとしての自己解体(=死)の方向に向かっていく流れの中で、介助側には、「何ができるか、その日その時にできることは何なのか?」を見つけ出し、淡々と行っていくことが求められる。

本人にとって、そのサポートがどれだけ役立っているのか?どれ程の意味を持つのか?それがベストな選択なのか?は、実際のところわからない。

だからこそ、そこで、ヒモのようなワンクッション置いた存在の介在は、視野を広げる。介入に対してのわずかなレスポンスを見逃さず、次にどうつなげていくのか、地道に続けて行く以外に道はない。提供したことが、どう受け取られるのかはその時の状況によってそれぞれ異なる。いずれにしても、長期的な支援には、淡々と続けていく「忍耐強さ」に加え、あくなき「研究心」が、求められる。そのためにも、被介護・被養護者の、”今の状態”をそのまま観て判断する必要がある。

この姿勢と観察は、すべての援助職が求められる力である。

家族は関係が近い分、介護に関してはできるだけ、ケアマネージャーやヘルパーさんなどのサービスを多用して、プロフェッショナルな立場から多くの人材にサポートしてもらうことが望ましい。特に父は、身内以外の他の人が家に入ってくることに大きな拒否感を、もっていたが、実際にヘルパーの方に来てもらうようになったら、幸運にも誠実でいい方々に当たり、父もそおきびきびした仕事ぶりに感心して、快く受け容れるようになった。どんな人が来てくれるかによるが、あの頑固一徹親父でもサービスの利用を受け容れるようになったのだから、いいケアマネージャーさんの勘とタイミング、どのヘルパーさんに当たるかによって、介護はスムーズにいくのだろうと思う。

一連の介護サービスを利用するまでには、介護認定に一ヶ月ほど時間がかかるため、早めの手続きをお勧めしたい。サービスが軌道に乗るまでの期間は、ちょうどコロナ禍で超多忙な妻に時間的に多少ゆとりがあるというタイミングもあり、全面的に食事その他のサポートをしてもらい、本当に助かった。被介護者にとって、食事は命と直結している。引っ越し直後は自力で身体を起こすことも困難で、看護師さんから、施設の利用を勧められる程状態はよくなかったが、約3ヶ月に渡って、妻の愛情たっぷりの食事で、何とか持ちこたえた。両足に浮腫もあったが、2ヶ月後にはそれもなくなり、短い距離なら自立歩行も可能になった。また、シニア向け住居という高齢で一人暮らしが可能な物件がたまたま近くにできて、ラッキーだった。施設ではないため、面会が制限されることもないことは本当に有り難い。同時にCovid-19も指定感染症のレベルを落として、あまり時間が長くのこっていない高齢の親御さんとの面会の制限が一刻も早く解除されることを願う。

現在はまた状況も変わってきているが、えぼし巻など使えるものは利用しながら、父とのあまり残っていない時間を大切に過ごしているこの頃である。

介護も子育ても共通しているのは、人の助けを積極的に求めた方がいいことである。人選は吟味しないといけないが、狭い関係性で抱え込んでしまうとお互いにいい結果を生まない。疲労困憊してしまうと、いろんなことが苦痛になってしまい、それは最も避けたいことである。お互いいい時間を過ごし、お互いを好きでいられるためにも、自分にも負担を課さない工夫が必要だと思う。できるけど、それ程得意ではない分野のことは、他者の助けを得た方がいい。そうでないと、気がつかないうちに疲弊してしまう。その人の命綱を握るのは複数で分担しながら、多くの関係性の中でサポートするのが介護のポイントのような気がする。


ヒモトレ介護術(小関勲氏監修)を拝読

介護のみならず、人を援助・支援するとは、どういうことなのかを深く考えるきっかけになる書である。

実際の介護や養護の現場で目覚ましい成果が上がっているいくつかの実例に加え、脚注にリンクされた動画で確認できるのも画期的かつ説得力がある。

一方、この本のすばらしいところは、ポジティブな結果の紹介に終わらず、わかりやすい効果や変化が見えない場合について、丁寧に扱われ考察されている点である。多くの健康法では、ないものとして扱われがちな側面である。

華々しいホームランのような成果は、絶え間ない地味なエラーを含む安打や凡打のような変化の積み重ねの上に成り立っている。長期的支援が必要とされる介護や養護教育の現場で、地道に忍耐強く活動され、しかもヒモを通じて成果を上げられている著者の先生方には、貴重な症例をシェアして頂いたことに感謝の意を表したい。

高齢者介護に関しては、全部の要素が下り坂に直線的に衰えていくわけではない。日々揺らぎの中で刻々と変わっていく。しかし、どの段階でどんな状況だろうと、可能性や希望がなくなるわけではない。

被介護者との関係性が濃ければ濃いほど、過去の状態の残像や、他のケースとの比較、過剰な期待に囚われてしまいがちである。ヒモは、その隙間に無邪気にすっと入りこみ、遊び心と軽さと共にいつの間にか全体性を刺激する可能性を秘めているようだ。

援助者にできることは、健康寿命を少しでも長くし、人間的幸福度を維持する手助けである。

高齢であること、持病があることは、しばし可能性に目を向けない言い訳にされがちである。

しかし、この本で紹介されているいくつかの症例は、人間には、例え高齢であっても障害があろうとも、個々に人間的幸福度を向上させる可能性が常に開かれていることを示唆している。

本書で紹介されている、えぼし巻の実施例は、人間らしさや生の質について考えさせられる。人間的幸福度とリスク回避のバランスが問われる。ちょうど、92歳の父がタイムリー?に食事の度に咳き込むようになってきた。筋力も衰え、姿勢も前傾になって胸郭上腔も構造上狭まり緊張しやすくなっている。すかさず、えぼし巻を試したところ、咳き込みなく食べることができた。わかりやすく効果的だった。その巻き方からヒモが微細に刺激するであろう舌骨や甲状軟骨付近に優しく触れてみた。呼吸は明らかに深くなり、その後の食事がヒモなしでもスムーズになった。

どの段階であっても、サポートできる余地があることをヒモとこの本が教えてくれた。

ヒモトレ介護術

電磁波対策

生命活動には、常に電子のやり取りがあることを考えると、外部からの電磁波が、活動に影響することは容易に予想されます。CS60も余剰電流を抜くというのが、主な目的で、つまり電気を貯めないこと、貯めにくい状態にすることが健康と直結しているのかもしれません。

ただ、体外の環境にあまり神経質になると、それはそれで本質を見誤ることになりかねないけど、生活を快適にしてくれるものであれば、採用する価値はあります。

エルマクリーンIIという製品を愛用してますが、これは意味がありました。実際に購入した検電器で測定すると確かに電磁波が除去されるのを自分でチェックできます。買い足ししたいと思ってみたものの、現在在庫がどこにもない状況です。

そこで、それに代わる代用品はないかと検索したところ、電磁波除去カードαなるグッズを発見。

https://www.denjiha-honpo.com/?pid=26003026

手持ちの検電器で測定したところ、確かに電磁波除去能があることを確認。こんな薄っぺらいのに能力高いです。

枕カバーの下にカードを入れて眠ると、確かに眠りが深くなるのを感じます。

ベッドのシーツやカバーを誘電性のものに変えて、アースとつないだり、エルマクリーンIIを接続するというのも有効ですが、それだとやや大袈裟になります。このカードだと簡便に代用できるので、

なかなか寝ても疲れた取れないという方、

騙されたと思って試してみてはいかがでしょうか?  30日間返品保証もあります。

実際に測定に用いた検電器ですが、低周波域の電場の測定が可能ということで、それ以外の領域に関しては、別の測定機器でないと計れないということになります。携帯電話からの電場、無線LAN、Blutoothなどの電波については、別のプロテクトが必要になるでしょう。

感染したとしても、重症化するかどうかが、問題だ

政治的には、ロックダウンした意味が全くなかったことを曖昧にしたいのか、「夜の街」を標的にして、測定数を上げることで、感染者数を稼ぎたいようにみえる。

東大の児玉教授による研究結果:ノイズを拾わない精密度の高い抗体検査だと、市販のキットより感染自体が少なく、東アジア地域では広範囲に既知のコロナウイルスに既に罹っている可能性が高い、という知見から、日本人は、仮に新型コロナウイルスに感染しても、重症化率や死亡率は低いので、欧米で取られているような過剰な自粛や政策は必要ない、という結論にいくのではないかと、推測していた。しかしながら、児玉教授の最近の国会答弁や意見を見ると、その方向性ではなく、警戒を一層高める必要有りと考えているようだ。

私としては、さして重症化しないような「風邪」を敢えて、指定感染症に設定できるのか?そこから甚だ疑問を感じている。早急に感染症の指定を解除して、インフルエンザや他の肺炎と同様の医療処置に戻すことが、医療現場や社会経済を復帰させるためのシンプルな解決策だと思っている。

検査を増やせば、当然感染者数は上がる。武田邦彦先生のブログでは、重症化数は7月に入って、より減少傾向にあるという。

結局のところ、検査を受けたりワクチンに幻想を抱くのではなく、大切なことは、自前の自然免疫を維持することしかない。

国際医療福祉大学の高橋泰教授が、とても参考にすべき記事を書かれています。

https://toyokeizai.net/articles/-/363402?page=3

科学のいいところ

科学者は通常、データを元に考察してディスカッションする。科学の前では、研究者は平等である。そこが科学の素晴らしいところです。NIHのギャロ博士の研究室に留学した古巣の研究所の先輩がいっていたが、ボスの言ったことに間違いがあるとためらいなく、ラボのメンバーがすかさず訂正していたという。ボスであるギャロも面子を気にすることなく、フラットに接していた様子が印象的だったという。

一方、科学的思考の前では、立場に関係なく、平等にディスカッションされるべきであるという理想とは別に、日本の会社の古い体質、取引先との関係性など、実際には様々な事情が存在する。

あるとき、前の会社の先輩Oさんが、某大学医学部の教授と研究開発会議の席で、教授の考えに異を唱え、「そんなことやっても無駄ですよ!」と正直に意見した。それを当時の研究所所長が慌てて、先輩に注意したことがあったそうである。けれども、科学的思考から、納得できないような意見を鵜呑みにして従ってしまうと、結局そのツケとして、彼の部下がしょうもない実験=無駄な時間と労力を強いられることになるわけで、そこはハーバード大学に留学して科学的思考をトレーニングされたOさんが、妥協できるわけがない。

立場に関係なく、平等にディスカッションする、それが科学のすばらしいところだと思う。

科学は思考停止を嫌う。権威がある科学者の意見だから、賞をもらった研究者だから、あるいは、インパクト指数が高い論文に掲載された内容だから、政府がそういっているから、NHKがそういっているから、などなど、それらは、科学的に正しいかどうか?ということとは、全く関係が無い。

科学は、まず疑う。陳腐なスピリチュアルやポジティブ思考は、疑わず腑に落ちてないのに鵜呑みにしてしまう。疑って、自分で検証する地道な作業から、定説を覆す発見が生まれる。そのためには、よく一つ一つデータを観察することだ。

感染者の数字を見るとき、母集団としてどんな集団を対象に、どのような特異性と感度を持ったどんな検査方法を用いて、どれだけの数を検査したのか? それによって、その数値の意味が違ってくる。それらを出さずに数字だけ示すと、意図した側に都合のいい印象を与えることができる。

ロックダウンは全く意味がなかったという結論に対する、十分な反論もないまま、何となく感染者数増大の数字だけ放送されて、何となく恐怖が煽られて、外出も控えたままだったり、びくついている受験生もいるという。

そんなとき、宮沢孝幸先生と武田邦彦先生の対談、ためになります。科学者、研究者はこうでないといけないと思います。

ダライラマ法王14世講演会(2013)を今 聞き直す

父と日曜の昼下がりに、この講演を見た。東日本大震災を経て、武漢肺炎による困難に直面している現在、とてもしみる内容です。

震災があって、日本人はどうすればいいのか?という問いに対して、法王は、

どんな難題でも必ず克服できる。日本は第二次世界大戦で大きな破壊にあった、あなた方は、戦争の灰から国を再建した。すでに、あなた方には、大きな自信(self-confidence)ととhard work (勤勉さ)があるので、その精神を続けて行けばいい。

と仰っていたのが印象的でした。

これは、バリの丸尾兄貴がよく口にする言葉、必死のパッチでがんばる、と共通しています。

恥ずかしながら、その場にいたのですが、当時より、言葉がたくさん自分に入ってくるのを感じます。

日本を含む東アジアは、コロナウイルスにすでに免疫がある可能性

精密定量型抗体検査法を確立された、東京大学の児玉龍彦教授の報告によると、日本、韓国、台湾、中国沿岸部の東アジアに住む人々が、欧州に比べ、新型コロナウイルス感染に対して、人口百万人当たりの死亡率が少ないという事実が明らかになっている。

東アジアの地域では、すでに過去において、既知の風邪コロナウイルスに罹っており、免疫がある可能性が高いということである。それを裏付けるデータとして、

通常の感染が起こると、まず、血中に病原体の抗原分子が増えてきて、炎症が起こり、それに伴って、初期防御のために、IgMという抗体が産生され、炎症が治まり、回復に向かうと、IgMから、IgGという種類の抗体が作られる。さらに、身体の中ではより、病原体の抗原と特異性の高い中和抗体がつくられるという過程を経て、この段階になると、もはや感染することはなく、免疫が確立する。これは、生体が、新しくウイルスや細菌などの病原体と出会った時に起こる順当な過程である。

一方、新型コロナウイルスの場合、上の順番とは異なり、IgMが立ちあがる前に、IgGが出現するという。

つまり、このパターンから、新型コロナウイルスと共通の抗原性を持つ、既知のコロナウイルスにすでに罹ったことがある可能性が高いということである。一方、欧米では、ウイルスに対して初遭遇であると、全くの未知の敵ということになり、免疫系の反応も当然異なってくる。

つまり、多くの日本人は、すでに必要な免疫を新型コロナウイルスに対しての免疫を持っているので、欧州と同じ捉え方をする必要はなく、脅威に感じることはないということになる。

加えて、日本小児学医会は、2歳児未満は、マスク使用は危険として公式に発表している。

2歳までの乳幼児は、抗体による獲得免疫が確立しておらず、ほとんど、自然免疫によって、感染を防いでいる。その乳幼児が、新型コロナウイルス感染によって重症化する例は極めて少ない、ということがわかってきた。つまり、新型コロナウイルスに対して、乳幼児のような抗体による免疫系が確立していない存在であっても、自然免疫でこと足りているということになる。つまりは、抗体産生を促す目的の”ワクチンは要らない”ということに他ならない。ワクチン開発を待つ必要もなく、自然免疫が落ちている方々は引き続き注意をするとしても、そうではない、働き盛りの人材は、自然免疫を落とさないように、普通に生活すればよいということなのだ。

「新型コロナウイルス、恐るるに足らず!」 (東アジア地域の人達はね)

※ 児玉龍彦先生のご報告を勝手に引用させて頂き、解説させて頂きました。元情報は、以下の通りです。


児玉先生のご報告で、重要なコメントがあった。それは、ある福島の病院で、簡易抗体キットで680人の患者さんを測定したところ、58人が陽性だったとのこと。しかし、児玉先生らが確立した精密定量型抗体検査法で測定すると、6名のみが、真の陽性として測定されたという。つまり、52名も擬陽性だったことになり、ノイズが多いことになる。政府が今大規模に抗体検査をしようと考えているのは、この簡易キットを用いて測定しようとしている。つまり、擬陽性が7.64%もでてしまい、ノイズが大きすぎる。単純計算すると、1万人測定すると実際には感染していない、764人が感染扱いされてしまう。

感染がさも拡大しているように見せかける意図があれば、その格好の材料になるが、すべて嘘のデータということになる。児玉先生の主張通り、大規模に測定するなら、精密な測定方法で行わなければ、お金のムダと自粛死を誘導する有害政策となる。

抗体検査は、決して安くない。一検査8千円程度とすると、検査キットを販売する製薬会社は莫大な売上げとなる。そのことも忘れてはいけない。恐怖を煽れば、検査キットが売れ、擬陽性で感染者が多く見積もられれば、ワクチンを求める声も大きくなるだろう。

けれども、そもそも、風邪なら2,3日寝ていればよいし、ワクチンなどなくとも、免疫確立途中の乳幼児でさえ、自前の自然免疫で重症化リスクも小さい。そんなウイルスに、これ以上大袈裟で過剰な反応と、科学的根拠より、一度口にしたことを修正しない見栄を重んずる感染症専門家会議や、 行動自粛しても食いぶちに困らないお立場の行政の戯れ言自粛に付き合う必要があるわけがない。 

自粛はあくまで”要請”であることを忘れてはいけない。

まともな情報

コロナ脳から、まともな心身を取り戻すには、プロパガンダーラのサブリミナル効果から頭を洗い直し、まともな情報を仕入れて、筋が通った科学的に自分の頭で考えることだと思います。

政府発表の抗体検査結果は、ノイズに隠れて擬陽性を拾っているゴミデータ。これでは考察も何もできないので、S/N比の高い精密測定結果から、検討すべきということが、よく理解できます。

児玉先生すばらしい解説! 

PCR検査の意味についての考察。確かに検査すれば何かデータはでるけれども、検査の精度と特異性が高くなければ、検査の意味がない。PCR検査にはそれなりの費用がかかり、それによって収益を得ることも忘れてはいけない。

https://www.yushoukai.org/blog/pcr

スウェーデン方式に対するマスメディアの報道はやはり偏向。マスコミは筋書きと違う事実だと取り上げないようです。

日本の報道についての特徴だが、物事を曖昧にしたり、特別な印象を与えるには、元々ある日本語を敢えて使わず、横文字、カタカナ英語を使用する。

例)ローン;昔は月賦(げっぷ) といって、その響きから、人々が敬遠しそれをできればしないような生活を送っていた。が、カード会社も、ローンをいうなんとも素敵な響きで仕切りに借金を勧めている。TVCMも昔は、その手の広告は、深夜にしか放映されなかった。

クラスター ;本来は、集まり、集団という意味しかない。感染という意味は元々ないので、含めるなら、infective cluster とする必要有り。以前、吸収がいいということでクラスターが小さい水がいいというような宣伝を目にしたことがある。低分子クラスター水は、低分子感染者集団水となるのか?危なくて飲めやしないぞ!

ステイホーム、ステップ1,ステップ2, ロードマップ;(大衆は大人しく)家にいろ、手順1、手順2, 工程表でいいではないか・・

アジェンダ;行動計画 。

肺内の菌叢

腸内細菌叢が、免疫と深く関わっていることは最近知られてきた。腸内の菌によって、腸管免疫が適度に刺激され、免疫系がうまく機能することになる。したがって、抗生物質は服用することは、腸内の菌叢のバランスを崩すことになり、むやみに使用すべきでないことは自明の理である。自明の理である。

パンデミックにより、除菌、殺菌、消毒などが過度に行われるなら、当然菌との関係性が変わり、バランスも変わる。常在する菌が皮膚には存在し、菌や表皮の細胞が分泌するDNAやRNA分解酵素が、バリアとして防御に関わっている。

さて、最近店舗で目にするのが、次亜塩素酸水による空中除菌である。この次亜塩素酸水にもいろんなグレードのものが存在し、すでに病院や歯科医院で使用されているものから、安価にネット販売され水に食塩を入れて電気分解して手頃に作れるレベルのものもある。塩素はハロゲン、つまり酸化力が極めて強いことが知られている。市販のものに急性毒性はなく、食品添加物としても使用されているとあるが、さて、慢性毒性については記述がない。

長期的に次亜塩素酸水を、加湿器で噴霧するのは、元々感染リスクの高い人々が集団として存在するので、病院等では利用するメリットは高いと考えられるが、そこまでのリスクがない場合に、長期に渡って、それを吸引した場合どうなるのか?

直接肺組織に害がないとしても、肺内には常在する菌が存在することを考えると、肺内の菌叢のバランスが崩れることは予想される。

https://www.yukoji.com/IntestinalFlora/News/copd.html

Covid-19による肺炎リスクを下げるために、空中除菌を実施するのは理解できるが、肺内の菌自体の量が減少してしまうのは、それはそれでリスクがある。肺組織には、多くの単球が存在し、単球は分化するとマクロファージになり、非特異的な免疫に深く関わっている。

そう考えると、むやみに次亜塩素酸水を過剰に使用することには、注意が必要だと考えられる。

そのような観点から、私のセッションルームでは、フルボ酸を主成分とするMK水(海洋性珪藻土抽出液)というpH2.8の酸性水をセッションとセッションとの間に噴霧して、常時噴霧はしない方針です。

要は高品質のワークを提供できるか、にかかっている

身体の状況によってオフィスに来てもらうということに、何らかのリスクが伴う場合もある。しかし、そうしたリスクを上回るような、その人自身が、セッションに価値を見出してくれている場合には、何はともあれ、受けに来てくれる。

「自粛警察」なる暇な人種がいることを知ったが、県によっては、ウイルス感染ゼロ(それは喜ばしいことだと思うが)で、なぜか、感染者が既に存在する東京などの地域に移動することを躊躇する傾向があるという。私には理解できないが、移動したことで万が一感染したら、白い目で見られるらしい。

しかし、どんな状況、どんな理由があったとしても、セッションを受けに来る人は来る。気持ちだけではなく、実際に来てくれる人は、それだけ、セッションを受けることに価値を置いている、というシンプルなことだ。

あるクライアントは、医療処置により免疫が低下している状況にも関わらず、実際に足を運んでくれた。彼女にとっては、感染リスクより、実際にセッションを受けることに価値を置いているということなのだ。

様々な事情があったとしても、こちらで提供する中身が、それらを上回る価値をしっかり持っているなら、クライアントは必ずやってくる。丁度いいタイミングで。

外部がどんな状況であろうとも、本当は関係ない。要は、こちらが価値あるものを提供しているかどうかなのだ。