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rolfinger について

米国Rolf Institute認定ロルファー&ロルフムーブメントプラクティショナー。

「心の専門家はいらない」 〜 援助職が読むべき一冊

 

心を扱うセラピストにとっては,その立場を脅かす衝撃的なタイトルである。しかしながら,セラピーのみならず,教育など,他者に対して何かしらのサポートする援助職に携わる人間にとっては,自分がやっていることを再考察するきっかけとなる良書である。

よかれと思っていることが,或いは習ったことをそのまま実施することが本当にクライアントのためになっているのか? 形式上は,クライアントに主導権があるように見せかけているのに,実はセラピスト側が勝手に理想とする着地点に無理矢理誘導してないか? これがもし起きているとしたら,セラピー自体無駄でむしろ害になる危険性さえある。

「自ら自由に決めよ、ただし望まれるように」

すべてとはいえないものの多くの教育或いはセラピーの現場で一般に起こっていることをズバリ言い当てている。鋭い洞察である。

身体技法に関しても,施術者側がオープンな装いをしながらも,実は施術者が無意識あるいは知識として得たブループリントに当てはめようとすることはよくある。ワークがうまく進んでいると感じられない場合,クライアント側に責任を転嫁したり,施術者に苛立ちがでてくる。これは実際に私がクライアントとなって感じたこともあるハズレ施術の例である。

施術側とクライアントは,無意識のレベルでも,コントロールする・されるという関係性では何かがうまくいかない。人間と人間との関係であることを外さないようにしなければならない。少し前に私の同僚があるセラピーを受けにいったが,データを取るというニュアンスが前面にでていて,なんだかなあという感想を漏らしていた。セラピストは大学関係者だったので,学会発表ネタになると思ったのだろうか?対人間として好ましい態度とはいえないだろう。データとして記録する重要性は勿論否定しないが,つまりセラピーに対する集中や個人として尊重されるべきところが希薄だったが故に,上記のような感想が漏れたのだと推測する。その教官兼セラピストが,一体学生に何を伝えられるというのだろう??

 

心の専門家はいらない

 

本当のことは,言いづらい。だが,本当のことを知っているのは,その分野の一部の専門家に限られている。その事実の公開や問題提起は,それを言い出した人間の立場を危うくする,故にとりあえずは黙っておくという事なかれ主義が横行している中,小澤牧子氏は立派な方だと思った次第です。

私としては,小澤氏の批評に耐えうるセッションを心がけたいと思う。

 

体力がない方には,陰を上げる必要がある

イールドのアプローチでセッションを受けた方が,どういう原理でバランスが変わるのですか?という質問を度々受けます。ロルフィングについて聞いていた印象と随分違う,軽すぎるタッチにも関わらず変わることに不思議だと感じるからです。

 

古典的ロルフィングの考え方は,過緊張の筋膜を弛めて,全体の張力バランスをとる。つまり強すぎる陽を減らす。そのことによって,今まで,あまり使われていなかった場所が自ずと動員されることによって,陰が立ちあがってくるのを促すやり方です。別の見方をすると,強烈な圧力を加えるストレスによって,身体がある種の危機的状況になることで,ホメオスタシスに喝をいれて,生命力にスイッチを入れるという荒技が功を奏する,という理屈ではないかと思います。

こうした,一見するとかなり乱暴な働きかけですが,統合への変化が促されることは確かにあります。全体のエネルギーが元々高くて,適応性がある場合には,陰が自ずと立ちあがってくる体力がある場合には,うまくいくでしょう。人間にとって,バランスがオフになって,転倒するということは生体にとってかなり危機的なことなので,それを回避するためには,全体でなんとかする力が無理矢理にでも発動する仕組みを応用していることになります。

一方,元々活力が低下している場合や,荒技的な働きかけに対してそれを受容できない,強い侵襲的介入によって,神経系や筋骨格系のバランスが崩れてしまうタイプもいます。私もこのタイプに属していますので,基本的に強く揉まれたり押されるとそれだけで,身体が悲鳴を上げます。実際に中医学的にも,外部からの強い圧力には適応性が低い傾向があると分類される,肺虚という証が存在するそうです。ということは,こういうタイプへの働きかけは,陽を下げようとする働きかけではなく,陰をまず上げてやるという戦略の方が適していることになります。

イールドのアプローチで行うのは,まず全体のシステムの微細な動き=ゆらぎを全体に引き出し,細胞内部のダイナミクスを上げます。今まで陰として機能に参加していなかった場所にも広範囲に動きがでてくることで,低張性たっだ組織が適度な張力に向かうことになります。過低張で支えに参加できなかったパーツも全体と連携する方向づけがなされるのではないか,つまりは陰を上げるということなのではないかと考えています。

 

昔のホームページ

昔作ったホームページが読めることを発見。

昔も今もそんなに考えていることは変わりませんが,痛みについては随分こだわっていたことが分かります。

現在は,ロルファー仲間も増えたけど,成り立て当時は,ロルフィングの商標も国内で登録される前で,公式認定者も少なく,痛くてよくわからないワークをしてる人たちがロルフィングという言葉を使うことも多かったという背景もありました。

https://web.archive.org/web/20000612193942/http://plaza2.mbn.or.jp:80/~herolf/index.html

Post 10セッションとその後

理学療法士でピラティス講師有資格者の方の10シリーズ後のPost10セッションについての感想が届いています。


セッション中

久しぶりに伺って少し緊張したが、セッションが始まると落ち着く。いつものように自然と体が動きだす。少し動きをコントロールしながら自分の中にその動きが漂うのを感じる。あっというまに終わってしまったような感じがあるが、セッション中の問いや刺激が以前よりマイルドに体に馴染む感じがある。
終わった後に写真をとってもらってびっくり。10シリーズが終わったあと、また母が亡くなった時期前後から調子が崩れ始めて、元に戻っているような感じがあったが元には戻ってはいなく、更に変化が体に馴染んでいる感じがして驚いた。
10/29
セッションが終わって着替えようとした瞬間にふと今までの体の中に持続していた嫌な緊張感がすっと途切れたことを感じる。すっきりしていてお腹も軽くなり何かを食べたくなる。帰り道歩いているとふくらはぎが軽く痙攣して普段ここを使っていなかったことを実感。ご飯を食べると体がずんと重くなり我にかえるような感じがする。体が休みたがっていて横になりたかったが仕事があったためカフェでぼーっとする。
10/31
久しぶりにしっかりとした月経がある。母の命日の少し前から調子が崩れていたので一度リセットできて安心をする。セッション後に感じた緊張の糸がぱちんと切れて緩んだ感覚がとても影響していることを感じる。
11/3
久しぶりに祝日に休みを取った。秋晴れの気持ちが良い日。朝は眠くて寝坊ぎみ。出かけるも体はスイッチオフモード。やらなければいけないこともあるがまずは休息と思って帰宅後昼寝をする。自分が動きたいか、休みたいかがとても良くわかる。10シリーズのあともそれを実感したが、その感覚がより一層厚くなったような感じ。
セッション後意識してメモを取っていたのはここまで。
その後も続けてセッションを受けたいと思っていましたが、徐々に体を変化を追っていたらその変化が留まらず、心身ともに本当に良いタイミングで妊娠となり今に至ってしまいました。
妊娠後も安定期前、安定期後心身ともに振れ幅は大きくないですが、寧ろ色々な体の変化を内側からじわじわとした感じで今までにはない不思議な内向的な状態で過ごしていました。
思春期以降月経のリズムは崩れている状態が普通で、仕事をするようになってからそれは著明に表れており、自分で体の状態を意識する前から自然と体が守りに入ることは自覚していました。その不調の重要性を若い時はさほど認識していませんでしたが、30代前から体が思うように動かなくなるのを自覚して自分が子供を産めるかどうかは潜在的に常に不安に思っていたように思います。
今回色々な流れで10シリーズを受けることを決めて、その後またセッションを受けた後に体がリセットされたように感じてその後妊娠したのは、自分の中では決して偶然とは感じてはいないです。(10シリーズの開始時に自然と妊娠出来る体を作りたいとお伝えしてはいませんでしたが、体調や自分の感覚を整えた結果として暗に思っていたのは事実です。)
妊娠経過中はやはり未体験の日々の連続なので不安はありましたが、辛くてどうしようもないと思うような悪阻もなく過ごしました。8ヶ月になった今は後半に突入した安心感もあり、ようやく自分の今の状態での体の変化も比較的上手く受け止められるようになり、仕事量も減ったことで外向き内向きの感覚が良いバランスで生活が出来ている所です。
10シリーズを受ける前は歩くのが辛い、前に進まないと思っていましたが、体が重くなった今もお腹のちょっとした張り以外は辛いと思う事な動いて、歩いています。
セッション中に感じ取った体の置き場所を探すこと、身を預ける感覚を作る事は今でもちょっとした不調に役立っていて、いつもベットの上のイメージを引き出して使っています。ありがとうございます。
自分の内側から湧き出る動きに身を任せる、逆に抑制するスイッチの存在やオンオフも以前より身近にあることを感じています。
今までになく自分の感覚を疑わず、でも捕われず、素直に日々暮らしていると思います。

違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなもの

遠方から通って頂いた,ピアノ演奏家の方から,体験記が届きました。ご本人の許可を得て,以下ご紹介します。


初めてロルフィングを受けたとき、まず一番に感じたのは、こんなふうに繊細に、感覚を大事にしてほしい、という身体の声でした。
いろんなものがこみ上げてきて、泣きそうになったのを覚えています。

外側のことはきっかけにすぎず、自分を縛っていたのは、だれでもなく自分だったんだな、と思います。

最初は、痛みで日常生活もつらく、しっかり寝ることもできない状態でした。田畑さんが、繊細に誠実に身体に接してくださる度に、身体が安心していくようでした。
そしていろんな違和感もゆっくり聞こえるようになり、子供の頃に感じていたことをたくさん思い出すようになりました。

締め付けが嫌で、パンツを履くのが嫌いでよく怒られていたこと。
集団の中で同じ動きをするのが苦手だったこと。
ひとりで何かに向かう時間が好きだったこと。
山でいろんなものを見つけては、感動していたこと。
ピアノを弾くことや、土を触ること、自分が好きなことをするのは、ただシンプルな身体の欲求だったこと。

そんな小さないろんなことが、ふっと出てくるようになって、ゆっくり自分の感覚が戻ってきたように感じています。
大人になるにつれて、少しずついろんなことを我慢したり、周りに合わせなきゃと思いすぎていたり、自分とは違う方向に、気づかないうちにずれていっていたんだなと思います。

痛みが出ることに対しても、自分の身体を無意識に責めてしまっていたんだなと気づきました。その痛みは身体を守って、そっちは違うよーと知らせてくれていたのにな、と。

今は、痛みもだいぶ和らいできていますが、痛みが出ているときも、あ、何を言おうとしてるのかな?とそれを感じながら受けとめて、心地よい感覚を探りながら、今どうしたい?と、ゆっくり身体を見守れるようになってきたように思います。
ときどき不安になったり、イライラしてしまうときも、まぁそんなときもあるよね~と、焦らず気持ちを感じていけるようにもなってきています。
こんなふうに自分のいろんな面に対して大丈夫だよ、と言ってあげられるようになったのは、とても大きな変化でした。
違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなものとして感じるようにもなってきました。
そして心地よい方に意識を向けていくことが本当に大事なんだなと。

自分のことも人のことも、弱い存在として心配の目で見るのではなく、自分で良くなる力を持っている存在として信頼の目で見ていくほうが、どんなに心強いことかと感じています。

ロルフィング中、田畑さんに、今はどんなかんじですか?と聞かれたとき、最初は言葉にしていくのを難しく感じたこともあったのですが、途中から(日常生活でも)すぐに言葉にしようとするのではなくて、自分の感覚をゆっくり見てあげて、それを自分なりの言葉になるまで待ってから、ゆっくり出してあげようと思うようになりました。自分の言葉も、拙くてもいいから大事にしてあげようと。

そうしているうちに、自分はこう思う、と言うこと(嫌なことを断ることや、私は違いますと言うこと)も、身体が一緒に手伝ってくれて、前よりも自然に外に出せるようになってきたように思います。

自分の心地いいペースは、自分が思っていたよりも本当にゆっくり、ちょっとずつだったんだなぁということにも気づきました。
やってみて、なんか違うなと思ったら、いったん止まってまた身体に聞いてみる。やめたいと言ってきたらやめる。嫌な場所からは離れる。そんなふうに、生活の中でだんだんと身体の声を尊重していけるようになってきました。それも、ゆっくりちょっとずつです。

また、周りにいる人たちがそれぞれに心地よくいるかんじが、なんかゆるむし嬉しくなるな~と、こんなふうに心地よさは自然と伝わっていくんだな~と、いろんな場面であらためて感じています。
その度に、自分にできることは、やっぱり自分の感覚を大切にすること、どんなときでも、心地よい方に意識を向けていくことなんだということも。

セッションではいつも、その方向に自然と向かえるような、静かなきっかけをいただいたように感じています。
自分の感覚に気づいて、それをちゃんと自分で信じてあげること。そして自分で進んでいけるように、感覚を通して、身体の深くに届けてもらっているような感じでした。

ゆっくり感じていった自分の感覚は、本当はこんなふうに生きたい、と内側で少しずつ広がっていっている気がしています。
ただじんわりあったかくなるような感覚で生きていきたい。それだけなんだな~と。

これからは、身体の声と自然な流れにまかせつつ、ゆっくりたんたんと、心地よくいることに心を置いて過ごしていきたいなと思っています。
小さく楽しみながら。

たくさんの気づきのきっかけや、あたたかいサポートをいただき、本当に感謝しています。

ありがとうございました。


Rolfer’s note:  主体を自分に戻すということは,パフォーマンスを上げるより大切なことだと最近強く思います。小関さんのヒモトレはそれを目指したものとのことです。

 

呼吸と休息のためのワークショップ in 郡山・福島

一週前には大和郡山を訪れ,次の日曜6月4日(日)は 福島県郡山市でワークショップ。

ロルファー仲間5人と共に郡山駅近くの会場に向かう。今回は,避難解除によって福島に戻ってくる方々もこの春増えるというお話を昨年11月に伺っていた。そのせいか,いつになく申込みは早い段階で埋まった。

午前のワークショップは15名,個人セッションは,25名の方々にロルフィング体験して頂いた。遠くは岩手,栃木,いわき市,福島市,会津若松,三春町,そして現地から集まって頂いた。
時間枠や場所など,通常のセッションと設定が異なる状況で,どれだけ早い決断とセッションに集中できるか,ロルファーにとってその力量が問われる貴重な機会となっている。 震災の影響がある土地でワークをするということだけで,何かの支援という意味合いはもはやない。
ソマティックワークは,エンターテインメント性が必要だ。身体が心地よくなる,気分が変わる,これはワークに意味がなければ起こりえない変化だ。
その変化の体感があれば,それに対して投げ銭してもらう。ストリートで芸や演奏するアーティストと同じ感覚である。 面白ければそれに応じてお金という形で交換しバランスを取る。
初回は無料ではじめたが,参加者のお一人が,無料だと参加しづらいし遠慮してしまうので,お金をとって下さいという申し出があった。確かに気兼ねなく参加してもらうにはその方が正解かもと思って,今のところ,投げ銭方式をとっている。
結果としてだが,ワークショップ,そして個人セッションも,お決まりのスクーリング形式のトレーニングでは得られない,ワークの幅を広げる貴重な学びの場となっている。 通常の個人セッションと異なる設定で,あれこれ考える間も与えられない状況でセッションに集中すると,今まで使っていなかった力を使いはじめる自分を感じる。そしてその体験がまた,通常のセッションにも何か発見をもたらすいい循環になっているようだ。
会の終わりには,頂いたお金を持って,打ち上げ。とても不思議なことに,会計をすると,頂いたお金と会食代金がほとんど同じ額になる。偶然とはいえ,どこか上の方で会計してくれている気持ちになります。

 

Demonstration in pregress

歩きを観る

交換ワーク中

同行ロルファーズ at June 6th in 2017

今回の同行メンバーロルファー仲間

 

人生の流れに乗る

山陰から通ってくれているクライアントがどんどんいろんなことに気づいてきて,それをシェアしてくれた。音楽教師でピアノ演奏家でもある彼女は,練習のし過ぎで身体を痛めてしまったことをきっかけとして,セッションに来ている。

彼女は,身体が整ってくるにしたがって,感覚も回復してきて,嫌な場所にいると我慢できないし,何か不自然なことに対して,より敏感になったという。それによって,方向性にズレがあると,身体が教えてくれるようになったという。

ロルフィングは,身体の不具合が調整されたり,パフォーマンスが向上することも勿論大切だが,仮にピアノが急に前のようなパフォーマンスで弾けるようになったとしても,身体を痛めるような使い方や演奏や練習に対する考え方や姿勢が変わらなければ,意味はないだろう。付け焼き刃でパフォーマンスを維持するより,せっかく身体から痛みというサインが出たのだから,生き方そのものを修正しているという見方ができなければ同じことのくり返しになってしまう。

どこにフォーカスして生きるかは人それぞれだが,それぞれの人生の方向性や流れがあるとすれば,それに乗っているときに,人間にとって身体はむしろ気にならない存在となる。何かの不自然さを身体が教えてくれるという認識があれば,すぐに軌道修正することができる。

身体がセンサーとなり,送られてくるサインを無視しなければ,人はよくわからない占い漬けやセミナー中毒になったり,人からだまされたり,できるけどしたくないことにやっきになったり,身体を痛めることをわかっていながら,ついやってしまうようなパターンに陥ることもないだろう。

ロルフィングの私が引き出したい最も大切な変化は,この身体のセンサーの感度を上げ,身体と一致することで,その人自身の人生の流れに乗る手助けになればいいなと思う。

 

違和感がなくなることが目的ではない。それを細かく感じ取ることができるように手助けする。つまり,治療ではないということだ。

そのセッションを続けるか,中止するか?  

クライアントの中には,過去のトラウマを何とかしたいために,様々な療法を試みた方がいらっしゃいます。でもセラピストから言われたことがそのままトラウマになっているケースも多いようです。

Aさんは,虐待経験のある方であるトラウマ療法に何度も通ったらしいのですが,

(1)セラピストが治療中寝てしまうことが多発。

(2)希望しているセラピー以外のことをしたがる。

(3)トラウマ体験を話したくないという意向を聞いてもらえない。

(4)中止を申し出ると「今中断すると今までやってきたことがすべて無駄になってしまうので止めてはいけない。」という対応。

ここで,(1)に関しては,ボディ中心のワークですと,クライアントと共鳴しつつ,深く入っていく過程で覚醒度が下がって,意識が落ちたように度々なることは起こりえるので,一概に”よくない”態度と決めつけることはできません。ただ,セラピストが寝不足だったり,実際にセッションへの集中度が下がっている場合,それ以外に双方に麻酔のトラウマを持っている場合にもそうしたことが起こり得る可能性があります。いずれにしても,セラピスト側の問題はできるだけクリアして臨む努力は必須と考えられます。

(2)と(3)に関しては,クライアントの意向は聞くべきで,セラピストの充足感のためのセラピーになっていないかチェックする必要があります。

(4)については,ロルフィングのようにシリーズで受けて初めて意味が出てくる場合もありますが,あくまで原則であって,仮に中断したとしても全くそれまでのワークが意味のないものになってしまうということはないはずです。また,クライアントがどうしても中断したいという意志は尊重されるべきです。

(4)のような対応を受けたAさんは,結局セラピストを変えたものの,言われた言葉がずっと気になってしまい,夜眠れなくなる,寝てもビクビクしながらすぐ目が覚めてしまう日々が続いたということです。つまり,セラピストの言葉がトラウマになってしまったケースです。セラピーを開始するよりさらに後退する結果となっているのは深刻な事態で,このケースでは,明らかにそのセラピストの言動に問題があったといえます。

オリエンテーションを失って非常に気弱になっているクライアントが,半ば強引に主導権をもっている指導者なりセラピストに引っ張ってもらってなんとかなるケースもあるにはありますが,最終的にクライアントが自分の感覚で様々な判断や選択ができるようにencourageまたは,enpowerすることがプラクティショナーの役割だとすれば,それを感じられない場合は,できるだけ早めに,思い切って,そのセラピストと縁を切って別のチョイスに目を向けることです。

感じとる力が蘇ってくれば,最初からそのセラピストには何か不自然なものをもう少しはっきり感じ取って,そこにすら行かない状態になれるはず,それが目指すところ。ただ,人間弱くなっていると肚の感覚より情報を優先して判断してしまいがちなので,セラピーを提供する側は,クライアントを”囲いこまない”,”自由意志を尊重する”,”セッション中の言動には十分過ぎる程注意する”こと肝に銘じるべきでしょう。

 

 

 

 

 

 

5月11日代官山のライブハウス”晴れたら空に豆まいて”でトークショー

 『人との間合い、身体の間合い』
出演:甲野善紀(古武術)X 田畑浩良(ロルフィング)ゲスト:吉本ばなな(作家)

冒頭のwifeによるじーんとくる朗読に続いて,甲野先生のヒモを緩く巻くことが身体の驚くべき能力を引き出すお話。下着のゴムの締め付けは,身体に過剰なノイズとなって,弊害をもたらすなどなど,興味深い情報満載でした。
私自身身体にかなり敏感を通り越して過敏ですが,ゴムがそこまでの影響を身体に与える可能性があると知り,ちょっとほっとしました。なぜかキツい下着はなぜかすぐ脱いでしまうことなどが腑に落ちたからです。
なにより感動したのは,甲野先生が身体の反応に対して真摯に正直に接していることが伝わってきたからです。僭越ながら甲野先生相手にセッションのさわりをステージ上で実践しました。台上でワークが終わった後,中々起き上がろうとしない先生。なんと身体の起こし方がわからないとのでした。触れることなくただ見守るだけのワークでしたが,身体全体の筋緊張がリセットするレベルにまで深くプロセスが進むような感受性にも感動しました。
初めてお目にかかったのは,2011年の震災直前に雀鬼会の桜井会長のところです。もっと男男していて理論家なのかと勝手に想像していましたが,実際にワークさせて頂き,そのオープンさと繊細な入力に対する豊かな感受性に印象が全く変わりました。もちろん,よい方にです。あれだけ,感度が高いとさぞかし生きてこられた上で大変なことも多かったのではないかと想像します。
この企画はそもそも,晴れ豆で昨年の1月にwifeとロバートハリスさんがトークショーされた時にロルフィングの話になって,居合わせた私が呼ばれ,ハリスさんのボディリーディングをしたことがきっかけで,晴れ豆の桃江さんの発案でお声かけ頂いたという経緯でした。トークショーの達人達に混ざり,チャレンジな経験でしたが,終わってみると楽しかった〜。
終演後,甲野先生の刀当てによるびっくり治療や,私もお礼がてら,ひとワークさせて頂き,番外編も盛り沢山で楽しかったです。
また,何かご縁があれば呼んで貰えるように,日々精進してセッションを積み重ねたいと思います。
桃江さんをはじめ,観客としてきてくれたロルファーズの見守り,wifeの日頃からの惜しみないサポートに感謝しつつ,無事終えられてよかったです。
晴れ豆トークショー with 甲野善紀,ゲスト吉本ばなな

開演前に

晴れ豆トークショー with 甲野善紀,ゲスト吉本ばなな

興味深い甲野先生のお話にただ聞くばかり

晴れ豆トークショー with 甲野善紀,ゲスト吉本ばなな

持参したマッサージテーブルも活躍

晴れ豆トークショー with 甲野善紀,ゲスト吉本ばなな

甲野先生にロルフィングセッションのさわりを

10シリーズ終了,9ヶ月経過したところで

 

心臓手術を経験されたオペラ歌手でハープ奏者でもあるクライアントの方から,9ヶ月が経過したところでの感想を頂きました。
ロルフィング10回シリーズを終えて、9ヶ月が経ちました。その後の様子を報告いたします。
セッションを終えて
・身体がとても元気になった。
・たくさん動けるようになった。
・行動的&活動的になった。
・ハープや歌の練習ができるようになった。
・疲れている、休みたいと言う身体の声に従えるようになった。
・身体がNOと言っていることをすると、すぐに反応が出るようになった。
1番大きな変化は、身体の声に従えるようになったことです。
身体がNOと言うことをすると、熱が出たり、起きれなくなりました。身体にすぐ反応が出るようになったのです。
身体が嫌がる事はせず、身体を優先しようと思うようになりました。
ロルフィングを受けたことで、どういう状態がゼロであるかを知れたのが良かったです。脱力して、無理のない時、身体はどんな状態なのか。身体の基本が分かりました。
また、人や物との距離の取り方を感じとれるようになったことは、非常に良かったです。人や物がいる又はある位置によって、身体が感じる圧迫感や不快感が変わってきます。身体が楽なところにいられるように心がけようと思っています。
胸骨の痛みは、まだありますけれども、痛む時の対処法をセッションの中で教わりましたので、生活の中に取り入れています。(胸骨と背中の間を感じる、など)
まだ時々身体に無理をさせて熱を出したりしていますが(実は昨日も)、もっと身体を大切にしたいと思います。
これからも、時々通わせていただきます。ありがとうございました。