「心の専門家はいらない」 〜 援助職が読むべき一冊

 

心を扱うセラピストにとっては,その立場を脅かす衝撃的なタイトルである。しかしながら,セラピーのみならず,教育など,他者に対して何かしらのサポートする援助職に携わる人間にとっては,自分がやっていることを再考察するきっかけとなる良書である。

よかれと思っていることが,或いは習ったことをそのまま実施することが本当にクライアントのためになっているのか? 形式上は,クライアントに主導権があるように見せかけているのに,実はセラピスト側が勝手に理想とする着地点に無理矢理誘導してないか? これがもし起きているとしたら,セラピー自体無駄でむしろ害になる危険性さえある。

「自ら自由に決めよ、ただし望まれるように」

すべてとはいえないものの多くの教育或いはセラピーの現場で一般に起こっていることをズバリ言い当てている。鋭い洞察である。

身体技法に関しても,施術者側がオープンな装いをしながらも,実は施術者が無意識あるいは知識として得たブループリントに当てはめようとすることはよくある。ワークがうまく進んでいると感じられない場合,クライアント側に責任を転嫁したり,施術者に苛立ちがでてくる。これは実際に私がクライアントとなって感じたこともあるハズレ施術の例である。

施術側とクライアントは,無意識のレベルでも,コントロールする・されるという関係性では何かがうまくいかない。人間と人間との関係であることを外さないようにしなければならない。少し前に私の同僚があるセラピーを受けにいったが,データを取るというニュアンスが前面にでていて,なんだかなあという感想を漏らしていた。セラピストは大学関係者だったので,学会発表ネタになると思ったのだろうか?対人間として好ましい態度とはいえないだろう。データとして記録する重要性は勿論否定しないが,つまりセラピーに対する集中や個人として尊重されるべきところが希薄だったが故に,上記のような感想が漏れたのだと推測する。その教官兼セラピストが,一体学生に何を伝えられるというのだろう??

 

心の専門家はいらない

 

本当のことは,言いづらい。だが,本当のことを知っているのは,その分野の一部の専門家に限られている。その事実の公開や問題提起は,それを言い出した人間の立場を危うくする,故にとりあえずは黙っておくという事なかれ主義が横行している中,小澤牧子氏は立派な方だと思った次第です。

私としては,小澤氏の批評に耐えうるセッションを心がけたいと思う。