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嫌がらせやいじめを受けるということ

父は大動物を実験対象とした研究職についていたが、観察していると、新入りの牛は、元からいる牛たちに突かれたり、グイグイされたりして、いじめのようなことを必ず受けるらしい。本能的に群れの中で異質なものを見つけたときに、動物的にはそれまでのパワーバランスを維持するために、マウンティングしたり、いじめてみたりという行為は、ある意味自然に起こり得るということになる。

学校のいじめ問題も、いじめはない、と学校側が責任逃れのためにコメントしたりするが、そもそもいじめるような行為が起こる可能性を否定しては先に進まない。

それより、忘れてならないのは、異質なものに対して、まず群れは排除しようとしたり、何らかの力を示して、力関係の下位に位置づけようとすること。だから、その個人がユニークさを持っていたり、他より抜きん出て目立つような特質を持っている場合には、そうでない大多数は、本能的に存在に対して脅威に感じ、何とか叩こうとするのは、動物行動パターンとしては特別なことではないというこどになる。

個性的であったり、何らかの才能がある場合は、群れの中の一個では力がないため、群れをなして、嫌がらせやいじめを行使するのは、動物ではありがちなことといえる。そうした動物的行動的衝動は、人間としての知性や道徳感によって抑制されるべきであるが、本能的にはそのような行動パターンがあらわれやすいといえる。

であるから、不当に嫌がらせを受けたり、群れでいじめを体験したことがあるなら、裏を返せば、その個人には集団にはないユニークさや才能があるということになる。何の才能もユニークさがなければ、いじめの対象にもならない。

悪いことだと分かっていても、いじめに賛同したり嫌がらせした人間の心には、そうした行為の記憶が澱のように心の奥底に堆積して、必ず何か健康や人生に影を落とすに違いない。それがカルマというものだ。

要らない関係性からの悪影響を断つ

人間は、社会的な生きものであるが故に、どこかに属していたという本能は誰しも持っている。哺乳動物は特に生後、生き抜くためには母親などのケアしてくれる存在が必要なので、関係しながら生きていくことが運命づけられている。

しかしながら、必要な場所で必要な相手との関係性が永遠に続くわけではなく、ある段階に来たら別れがあり、新しい出会いが待っている。それは個人レベルだったり、集団だったりする。現代において、つながりや絆がキーワードになり、時にタッチの重要性も説かれたりする。だが、関係性は常に動的で、固定されていたり、固執していたら、健全とはいえない。

この帰属欲求をうまく利用すると、組織や団体で会員を管理してコントロールすることも可能だ。それは人間の弱みにつけ込んで、意図的にやってはいけないことだが。関係性を維持するために、弱みや不安を刺激する文言が使われているとしたら、或いはその団体に属していることに優位性があって、他を不当に批判して囲われそうになったら、勇気を持ってそこから離れるべきだ。

ところが、悪意までいかなくても故意に心理や本能を利用する意図がある輩というのは、巧妙に人をそこに属するように仕向けたり、サイキックな力を使って、つながりを保とうとする。だから、身体や名目上はその組織から離れたとしても、何か重い感じが伝わってきたり、流れが滞ったりする。

では、どうしたらいいのだろうか? そんな時にもう要らない関係性を清算したいときには、以下のワークが役立つ。

  1. その人物に対して、思っていることをプラスもマイナスのこともすべて紙に書き出す。
  2. その紙を破り捨てる。
  3. イメージでその人物とのつながっているコードを切る。
  4. 自分につながっていた部分を、その人物の子供(一部)として、イメージの中で当人に返す。
  5. その人物のことを思い出したり話したりすると、また無意識につながってしまうことに注意する。

自分は強いから大丈夫な場合がほとんどだと思いますが、ただ、本人はよいとしてもその周辺、家族や動物など弱いところにその悪影響がでたりすることがこの種の問題でいやらしいところで、そこからダメージを食らったりします。

イタリア人ロルファー・ニコルさんとのコラボワークショップ

ヨーロッパでロルフィングトレーニングを終えた串崎さんが、そこで習ったニコラさんというMovement講師と私がコラボのワークショップをしたら面白いんじゃないかと企画してくれたクラスが、今年9月にあります。

串崎さんは、元々土建関係で仕事をしていた方で拠点は福岡で、欧州トレーニングの卒業生というこれまでのロルファーとはひと味もふた味も違う経歴です。渡辺有子さんからロルフィングを受けてロルファーを目指すことになったようですが、その時に私のイールドワークを耳にして、認定後何度か私のRolf Movement認定クラスに参加してくれています。その彼の発案での企画なので、私自身ニコラさんと面識もなく、今から楽しみです。

 ニコラさんは、現役のダンサーで振付もされていて、ドイツ、イタリアで活動されていたとのことで20年以上のキャリアがあるそうです。そんな彼も私のイールドと間に関する機関誌の私の記事を読んで興味を示してくれてとのこと。まるで演劇のようなクラスと称される新進気鋭のムーブメント講師との共演が今から楽しみです。

ロルファー、SIプラクティショナー、ピラティス、ジャイロトニクスなどの講師業のみならず、ダンサーなどのパフォーマーにも開かれたクラスです。

そして、通訳は、ヨガ講師、NHKの語学講座のプロデューサーでもある才媛、古川智美ロルファーにお願いしています。

詳細お申込みは、以下参照。

Em-BodyOrient/Occident東洋と西洋の体現

越えてはいけない線

治療、カウンセリングなど人を援助する仕事はすばらしい。だけど、それに付け入る悪者もいる。食や医療、すべて命に関わることなので、需要は常にある。となるとそのサービスを受ける側になると、立場的に供給側より弱い立場になりやすい。治療などの援助職の人間に何らかの形で助けられた場合、当然恩義や感謝も感じるが、その治療の結果によって、施術者との関係が微妙に変化する。その効果だけではなく、一旦プライパシーに関わるような情報を施術者に託していることになるので、もし、万が一施術者にモラルがないとすると、その観点から弱みを握られていることになる。 治療を提供する側と受ける側の対等性は、あくまで、施術者に倫理感がその責任と共に備わっているということが前提になる。

悪人や詐欺師というのは、常に存在するもので、何か立場を利用して人の隙につけこんでくる。治療家として腕はいいが、クライアントをプライベートで誘ったり、次々に関係を結ぶようになったら、プロフェッショナルではない。アウトである。人格や品格がないとしても、難病をちょっと治したりするようなことは、ブラックマジックである程度可能だ。詐欺やブラックマジックは、普遍性のある癒しとは異なるので、何かその前後で問題が生じたり、治った人の周囲が何らかの犠牲を伴ったりと、全体としての統合ではなく、覚めてわかるのだが、周囲も取り込んでの集団催眠のようなもの。いずれにしても、自然の摂理に反しているので、後からボロがでてきて、矛盾点も浮き上がる。

病気を治すような力があるとしても、真の癒し手であれば、プロとしてのモラルが伴っている。成果が上がってきても、その力は受け手にあると理解していれば、自惚れることもないし、自分以外のやり方を排他的に吹聴する必要もない。

成果を上げているとしても、施術者自らの欲を見つめ、行為の動機をチェックする必要がある。


分けて考える

日本人の傾向として分けて考えるのが苦手だと思う。

先日の電気グルーブやその他音楽や芸術の作品と個人の行動は分けて考えることができれば、作品自体の販売を制限するようなことはしないだろう。政治をとっても例えばフランスの大統領が不倫をしたとしても、ゴシップ三流紙は別として個人的メディア攻撃もなく、政治を評価して失墜に追い込むようなことはしない。権力側が仕掛ける個人攻撃(例:前事務次官の前川氏への個人攻撃)や、不可解なタイミングと異常な割合で割かれるゴシップ報道によって、目を向けるべき問題や大切なことを考える時間が削がれていないかチェックする必要がある。

そこには、人間は完璧なわけではないので、いろいろ間違いや失敗はあるけれどもやることをやっていれば、それでいいじゃないか、というおおらかさが根底に在るような気がする。

その罪が凶悪な犯罪性を持っていれば別だが、世間をお騒がせしているのは、マスメディアであって、本人ではないのに、いちいち謝るのもおかしい。

例え、間違いを起こしたとしても、音楽を製作し、作品が優れていれば、誰が作っていようと芸術はそれでいい。肩書きが立派な御仁がつくり奏でる愚作にこそ意味がない。

もし、音楽作品と制作に関わる個人とを常に関連づけるのであれば、ジョンレノンのソロ作品はどうなるのだろう? ジョンのソロ作品に大きな彩りを添えたフィルスペクターという名プロデューサーは、殺人犯として逮捕されている。だからといって、海外で作品の発売には全く影響はない。

人にはいろいろ間違いがあるのだから、それを容認して、作品や仕事そのものを個人とは切り離して評価する見識が文化には必要不可欠だと思う。

でなければ、政治はいつも泥仕合で先に進まず、芸術や科学も新規性やオリジナリティのない面白くないものになってしまう。

空間を操る?!

今、クライマーの方がセッションを受けにきています。10回シリーズを終えて、Advanced 5シリーズを開始中です。

腸腰筋を中心的に扱うセッションでしたが、大きな気づきがあったようで、セッション終盤、

“空間を操ることができれば、身体を自由に扱えるような気がした。”

とのコメント。自由の意味の幅はさておき、正に今自分が取り組んでいることでもあるので、

’その通りだと思います。’

とお応えしました。

空間に意識を向けるとそのやり方によって、身体に変化が還元されるということを実感されたのだと思います。

身体への定義や捉え方、つまりパラダイムがシフトしたのだと思います。セッションが益々面白くて仕方がない様子でした。

スーパーポジティブの危険性

様々な自然療法や代替医療の中には、インチキや怪しいものも多いが、その中にもその人にとっては有効な方法が少ないながらも存在する。

例えば薬の治験で、統計的な優位差があるから、薬として認可されているわけだけれども、優位差があるというだけで、有効とはならないパーセントもバカにならず高い。何割かは有効だからといって、それが自分に当てはまるわけではなく、全体の数字からは何パーセント有効かもしれないけど、個別にみると、効くか効かないかの2択になる。

であるから、統計的な優位差があるオーソドックスな医療もそれが確実性があるわけではなく、常に自分で判断するしかない。

では、非オーソドックスな治療法に出会ったときにそれを見極めるにはどうしたらいいのだろう?

たとえば、それが腫瘍だった場合には、実際にそれが退縮しているかどうかを、思い込みではなく、機器でチェックする以外には確かな評価はできない。

何か狂信的にその治療家を信じ切って、腫瘍マーカーやMRI、エコーによってその腫瘍が実際に縮小しているのを確認してはじめて、その方法が合っているのかどうか判断できる。

しかし、それを放棄して、診断方法によって被爆するからとの理由で、他の客観的な評価をしないことにするのは、とても危険な姿勢だ。

それが本当の治癒に向かっているのであれば、あらゆる方向からチェックしてそれを判断しなければならない。そうしないと、なんだかわからないまま、その怪しい治療家の思想を鵜呑みにして、思考停止のまま、後から後悔することになる。

バイデジタルOリングテストの医師達は、それが非侵襲的で正確な診断ができることを知りながらも、最新機器による診断を併せて行って、何重にもチェックを怠らない。そのおごらない姿勢こそが正しく、信頼できる。

診断方法によって、X線や、磁気の影響は多少あるとしても、診断を放棄するリスクの方が遙かに高い。

最悪の状況を想定して危機管理する一見ネガティブに見える冷静な視点を忘れてはならない。誰しも嫌なことを考えるのは避けたいが、その影の部分を本人もどこかで気になっているはずなのに、それを見ないようにして、スーパーポジティブになっている状態は、傍目からどこか違和感があり、危険である。

どんな生き方や死に方をしても人は自由だけれども、騙されたまま一生を終えるのは避けたいものである。

 

治療するマインドから、抜けてみる

治療、或いは治すという見方には、悪いところを探して、特定し、診断するという過程が含まれる。身体が本当に弱り切っている回復に手厚い看護が必要な場合は、いうまでもなく有効だが、ある程度回復が進んで、自分の自己調整能が高まった時点からは、悪いところを探すという見方を切り換える必要がある。

悪いところ探すという見方にはキリがない。トラウマ探し、第1制限探し。やればいくらでも時間とお金とエネルギーを使うことができる。

そこから脱するには、痛みや違和感などの一見プラスでない感覚を無くそうとするのではなく、全体としてはうまくまとまるための途中にあると捉えてみる。つまり、悪いことが起きているわけではなく、単にそれをサインとみて、何かを修正するための情報として受けとってみる。そうすると、様々な感覚を感じないように、あれこれ操作ことに関心がなくなるので、それだけで余裕ができて楽になる。

外からの情報で、何かにお金や時間をかけなければ、例えば筋力が衰えてしまう?など、脅されたまま鵜呑みにして、カモになっているケースをよく目にする。

例えば、頻繁に立ったり座ったりと日常の動作だけでも重力という負荷の下で筋力を使うので、それだけでも必要な筋肉への刺激は維持される。

問題なのは、身体が整っていない状態、痛めるような偏りのある動きのパターンが強ければ、筋力トレーニングやストレッチ、ある種のヨガはやり方によっては身体をかえって痛めてしまう。

脅しが入った商業的な謳い文句に乗せられてしまうのは、そもそも、自分が身体の治癒力や自己組織力を信頼していないことに起因する。何かが間違っているから、悪いから外から治さなければならない、という見方を止めて、起こっていることが過程にすぎず、そのまま見守ってみると、意外と過ぎていくだけだったりする。一時的に痛みが増しても、そこだけ切り取らず、長い目で見てみる。長い目で見てみようとするだけで、隙間ができて、厳しい状況や強い感覚に打ちのめされることなく、その間でできることの可能性が見えてくる。

がむしゃらにストレスを溜め込んでどこかに駆け込むサイクルから、痛みの手前の感覚を捉えて修正したり、はっきりとではないにしても身体から発せられるサインを見逃さず、それを役立てるようにできれば、高価なセミナーに行ったり、必要のないタイミングで意味のない占いに行くようなこともなくなるだろう。もし、それが必要な学びであれば、身体も腑に落ちた感覚で、自然な流れの中で参加する流れになるはず。

治癒の主体は常に自分の中にあり、外圧から選んだり行うべきではない。

本来自分の身体は治さなければいけない存在ではない。どの状況にいてもそこに完全性がある。そこから離れてしまうと、外からコントロールされてしまうことになる。

 

 

コンストラクタル法則

コンストラクタル法則※を身体技法的に解釈すると

“流動系である身体が時の流れの中で存続するには,身体の配置は,コアを通過する重力波の流れを良くするように進化しなくてはならない。”

となりますが、究極的にはすべての流れがよくなるようにワークできればいいのだけれど、優先的には、筒の構造物であれば、その芯に当たるラインの流れがまずあれば、それに伴って周囲にも流れが生まれるはずなので、まずは、身体でいえば正中線が通っている状態がデフォルトとしてあることには意味があるはずです。

「すべては,より良く流れるかたちに進化する」

ロルフィングの術は,それを促すことなんだと思います。

※ コンストラクタル法則: ”有限大の流動系が時の流れの中で存続するには,その系の配置は,中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない。”

最近受けた質問に対して

お問合せにお答えしました。

“こちらのサイトに経験年数もアドバンスである事も当てにならないと書かれていました。そうなると、何を基準にして選べばいいのか迷っている状態です。”

1、ロルファーはどのように選べばいいでしょうか?

もう,これはご自分の勘や感性でとりあえず決めてみるしかないかと思います。HPの印象も,業者に頼んでいる場合は見栄えがいいですし,いっそ電話か或いはメールで相談してみて,その声のトーンや文面から判断して,ご自分に合うかどうか,確かめてもいいかもしれません。

2、10回受けた後に、別のロルファーのロルフィングを受けたい場合は、その前の10回の効果は引き継がれ、回数は10回より少なくなりますか?

ロルファーによって考え方は異なりますが,
ベーシック10シリーズで進めるなら,引き継ぎは可能だと思います。
1-3, 4-7,8-10が区切りのいいところになります。
ただ,10回行ってみないと分からないのが10シリーズなので,特に嫌な思いをしたり,よほどのことがない限りは,10回通してみるのも,それが縁と捉えて完結するのも一つの考えだと思います。

3、ロルフ・ムーブメントとロルフィングは別々のロルファーに受けてもいいのでしょうか?

はい,10シリーズ後,むしろ別の方がいいかもしれません。

4、平均すると90分くらいが多いのですが、
施術時間の60分というのは短いのでしょうか?
施術時間と効果はある程度比例しますか?

比例はしません。時間の感覚はどの都度変わるので,90分が長すぎると感じる方もいるし,60分が短いと感じる方もいます。
トレーニングでは,60分でまとめるように指導されています。

5、筋膜以外に筋肉の柔軟性も上げたいのですが、田畑様はストレッチの指導は出来ますか?

ストレッチの指導はしません。パーソナルトレーナーもされている方ならそのような指導も受けられるかもしれません。

6、ロルフィング、フェルデンクライス、SE、アレキサンダーテクニックなどいろんなワークがありますが、違いも素人にはなんとなくしか分かりません。
まず始めに何を受けるのがいいのでしょうか?

私は,すべてに精通しているわけではないのと,ご自身の状態もわからないのでコメントできませんが,とりあえず惹かれるものから始めるやり方でいいと思います。タッチについて,過敏な場合や大事故の経験があって,少しづつ慎重に変わりたいという場合は,SEからがいいかもしれません。そうでなければ,私はロルファーなので,ロルフィングをお勧めします。