月別アーカイブ: 2018年7月

お臍をワークする

例えば、お臍周辺のお腹が何か脱けているような感じだと、背骨だけが支えすぎて、身体の前の支えが充実していないことがあります。そのような場合、大腰筋・腹横筋・脊柱起立筋の張力バランスのような筋骨格的な観点も大切ですが、それだけでは、うまくバランスされないことがあります。

出生時にいろんなストレスがかかった可能性があるとすると、臍帯は身体の全養分を供給してもらう入り口なので、そこへの負荷は命に関わることなので、機能している間にそこが遮断されるような介入は大きな出来事になることが容易に想像できます。そこが未だにショックを受けたまま時間が止まっていると、当然腹部全体は、偏りのある張力でのバランスのままということになります。

臍帯から全身の血管系とのつながりを捉えて、放射状に連携を引き出すようなワークを行うと腹部全体の状態が変化します。お腹が安全を感じるということは、お腹の内側の組織の張りが落ち着いていて丁度いいということと関係しています。

従って、お臍と全身の血管系との連携を意識したワークにはかなりのインパクトがあります。

血管系、肚、内臓全体にも大きな影響を与える可能性があり、血液の供給先である、様々な臓器も影響を受けることになります。

ただ、どのようなストレスが過去にかかったとしても、身体に元々ある柔軟な適応力が、なんとかしてきた完全性がそこには存在しています。その健全な力とアクセスすることが大切で、医療処置全般を敵視したり、トラウマ追跡モードに入ってしまうと、セラピストとクライアント共々袋小路に入ってしまうので注意が必要です。

共鳴現象を使う

最近ようやく施術者の立ち位置、望ましい状態がはっきりしてきた。

施術者がどこに自分の波長・波動を合わせて、どこからワークしているか?ということが本質で、テクニカル的なことはあとからついてくる。

トラウマあるいは不具合とワークするのか?

それともその人の健全な部分とワークするのか?

自分の健全なところに波長を合わせているのか?

マニピュレート(一方向的に操作)するのか?

それとも共鳴を使うのか?

これらの問いかけをしていくと、自分が何を目指しているのか明確になるかもしれない。

他者に何かを与えて(自分が与えたような気になることで)、何かをやった感や優越感を満たしていないだろうか?

自分はトラウマや病気の波動に合わせることで、それによって得るものがあるのではないか?

共鳴を使うということはそれらを手放すこと。自分が健全なところにアクセスしながら、そこに同調してくるのを待つ。

或いは相手の中にある健全な波長にフォーカスをずらさずに、そこを観続け、広がってくるのを待つ。

受け手が、受け手のつながりの甘いところや感覚が行き届いていないところが、健全なところに共鳴してくるのをひたすら待つ。

統合のための本質はそこで、それぞれの施術者の入り口や切り口が違うだけなのかもしれないと思う。

出来事をトラウマではなく体験として捉える

Somatic Experiencing(SE)は,文字どおり,”身体を通して体験する”こと”です。

プラクティショナーが,ある出来事を体験として捉えるのか?それとも,セラピストが出来事をトラウマとして捉えるのか?には,深くて埋められないほどの大きな溝が存在します。

出来事は出来事であって,そこに余計な意味づけや勝手なイメージをセラピストが持っているとしたら,スタートの時点で,セッションの文脈が方向付けられてしまいます。

クライアントである本人が,そうでもないことを,大袈裟に大変なこと,その診断名に打ちのめされてしまうようなラベリングをされると事態はややこしくなります。

出来事をただの出来事として,捉えることができないなら,セラピストはそのことを扱ってはいけないと思います。なぜなら,問題はクライアントではなく,セラピスト側にあるから。当事者そっちのけで,クライアントをだしに使って,自分の問題をなんとかしようと試みたり,(〜これだと見当違いなのでご本人の回復にはなんの貢献もありません)。或いは,何か習いたてのテクニックを練習したいあまり,目の前で起こっていることより,練習台にしたくてしょうがない幼稚な欲求を満たす遊び相手になってしまうかもしれません。

例えば,あなたの健康な腎臓,でもちょっと疲れているから少し弱って本来の動きが足りない時もあるでしょう。でもそれを,家族に問題があって,愛着がどうのこうので,トラウマがある(そもそも,完璧な親なんているわけないし),な〜んて見方をされてトラウマタッチをされたら,どうなりますか?

たまったもんじゃない。悪くもない腎臓さんが,”問題のある臓器として”見立てられて,必要のない余計でお節介なことをされちまいます。

なぜこんなことを書いているかというと,身体へのタッチについて初級レベルのセラピストが,注意を要するケースにも関わらず,安易にセラピーしたことにより,日常生活が送れなくなってしまい,心療内科〜疼痛専門医と転々としつつ,長期に渡って引きこもりになったという重篤なセラピートラウマに陥ったケースが複数実際にあるからです。

SEというのは,受け手の様子をつぶさに観察する能力が必要ですが,それなしに無防備な状態に過剰な入力を行うと,タッチの圧力とは関係なく,悪影響を受けてしまうリスクがあるということです。

受け手として,敏感な方は特にセッションを受ける場合は,決定的なダメージをうける前に,ちょっと??と思ったら,我慢して受け続ける忍耐は必要ありません。身体がそこに居心地良く落ち着けるか? 肚はどう感じているか?常にそれを大切に自分を守る必要があります。

そのセラピストに,出来事を出来事としてニュートラルに捉える観点があるのか?何が起きているのか説明はできなくてもそれを感じ取ってもらえるだけの追跡と観察能力があるのか? あなたを使ってセラピスト自身の問題を解決するための道具になっていないのかどうか?

セッションを受けているときに何かがおかしいと思った時にチェックしてみてください。お金と時間を払って,心身を悪くするボランティアをする必要はないのです。

とかく弱っていると,判断能力が低下しがちなので,必要であれば,大丈夫な家族に付き添ってもらってもいいかもしれません。

戦争を体験した先達は,トラウマ療法を受けて回復したわけではない。

セッションや治療はあくまで補助として使うもの。セラピストに支配されないように気をつけましょう。適当な距離感といつでも自分が選択して主導権が常に自分にあることを思い出しつつ,それでも,自分をエンパワーしてくれそうな機会になりそうだったら,試してみよう!というくらいのいい加減さがいいのでは。

一番大切なのは,その選択に,狭いところに閉じ込められるような感覚ではなく,広がるような感じと,「希望」が感じられるかどうか? それが鍵だと思います。

消し去りたいような酷い体験でも,捉え方が変わるタイミングがくると,そのこと自体が自分を支える出来事になるかもしれない可能性があります。