介護に関して

介護というと、ただでさえ周囲が深刻で閉塞感が生まれやすい状況ではあるが、被介護者の回復力や自己組織力は、どの段階においても存在する。

介護される側の高齢者は、日々調子が揺らぐ中で、かつて難なくできた動作が困難になり、衰えが生じてくる。抗うことのできない自然なプロセスとしての自己解体(=死)の方向に向かっていく流れの中で、介助側には、「何ができるか、その日その時にできることは何なのか?」を見つけ出し、淡々と行っていくことが求められる。

本人にとって、そのサポートがどれだけ役立っているのか?どれ程の意味を持つのか?それがベストな選択なのか?は、実際のところわからない。

だからこそ、そこで、ヒモのようなワンクッション置いた存在の介在は、視野を広げる。介入に対してのわずかなレスポンスを見逃さず、次にどうつなげていくのか、地道に続けて行く以外に道はない。提供したことが、どう受け取られるのかはその時の状況によってそれぞれ異なる。いずれにしても、長期的な支援には、淡々と続けていく「忍耐強さ」に加え、あくなき「研究心」が、求められる。そのためにも、被介護・被養護者の、”今の状態”をそのまま観て判断する必要がある。

この姿勢と観察は、すべての援助職が求められる力である。

家族は関係が近い分、介護に関してはできるだけ、ケアマネージャーやヘルパーさんなどのサービスを多用して、プロフェッショナルな立場から多くの人材にサポートしてもらうことが望ましい。特に父は、身内以外の他の人が家に入ってくることに大きな拒否感を、もっていたが、実際にヘルパーの方に来てもらうようになったら、幸運にも誠実でいい方々に当たり、父もそおきびきびした仕事ぶりに感心して、快く受け容れるようになった。どんな人が来てくれるかによるが、あの頑固一徹親父でもサービスの利用を受け容れるようになったのだから、いいケアマネージャーさんの勘とタイミング、どのヘルパーさんに当たるかによって、介護はスムーズにいくのだろうと思う。

一連の介護サービスを利用するまでには、介護認定に一ヶ月ほど時間がかかるため、早めの手続きをお勧めしたい。サービスが軌道に乗るまでの期間は、ちょうどコロナ禍で超多忙な妻に時間的に多少ゆとりがあるというタイミングもあり、全面的に食事その他のサポートをしてもらい、本当に助かった。被介護者にとって、食事は命と直結している。引っ越し直後は自力で身体を起こすことも困難で、看護師さんから、施設の利用を勧められる程状態はよくなかったが、約3ヶ月に渡って、妻の愛情たっぷりの食事で、何とか持ちこたえた。両足に浮腫もあったが、2ヶ月後にはそれもなくなり、短い距離なら自立歩行も可能になった。また、シニア向け住居という高齢で一人暮らしが可能な物件がたまたま近くにできて、ラッキーだった。施設ではないため、面会が制限されることもないことは本当に有り難い。同時にCovid-19も指定感染症のレベルを落として、あまり時間が長くのこっていない高齢の親御さんとの面会の制限が一刻も早く解除されることを願う。

現在はまた状況も変わってきているが、えぼし巻など使えるものは利用しながら、父とのあまり残っていない時間を大切に過ごしているこの頃である。

介護も子育ても共通しているのは、人の助けを積極的に求めた方がいいことである。人選は吟味しないといけないが、狭い関係性で抱え込んでしまうとお互いにいい結果を生まない。疲労困憊してしまうと、いろんなことが苦痛になってしまい、それは最も避けたいことである。お互いいい時間を過ごし、お互いを好きでいられるためにも、自分にも負担を課さない工夫が必要だと思う。できるけど、それ程得意ではない分野のことは、他者の助けを得た方がいい。そうでないと、気がつかないうちに疲弊してしまう。その人の命綱を握るのは複数で分担しながら、多くの関係性の中でサポートするのが介護のポイントのような気がする。