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肺癌をお持ちの方へのワーク

肺癌と診断された方がセッションにいらしています。治療ではなく,日々の暮らしの活動の質を高めるのが目的ですが,ご感想を拝見すると,痛みや違和感が主に気がつく主要な感覚でしたが,セッションが進むごとに,レポートの内容も変わってきていて,さまざまな感覚や在り方に変化が出てきているようです。

 

体験記の全文は,以下のページに掲載中です。

http://rolfing.asia/pg216.html

病気をきっかけにして,生活を見直し,全体性を回復するために,ロルフィングなどのソマティックなプラクティスを利用するのは,いい選択だと思います。ただでさえ,不安で大変な思いをしている中,その選択をして頂いた方々に対して,応えられるだけの質の高いものを提供しなければ,と思います。

 

レイ・マッコール先生のデモセッション

古くからロルフィングに従事しているレイ・マッコール先生のデモセッションをアドバンストトレーニングで間近に観るのははじめて。

人間とは,ラインの周りに形作られるもの,というロルフ博士の洞察をそのままセッションで見せてくれた。ラインとの関係性を知覚しながらワークをしたことはこれまで経験していなかったが,近くで観察していて,それがよく解った。

さらに,レイが,第3の手 つまり知覚を使って,そとからは明らかに触れていないけれども,リアルに仙骨に触れていることが解った。何となく感じているんだろうな,というレベルとは全く異なるリアリティにちょっと驚くと共に,彼のワークが効果的な裏付けがよく理解できた。

それ以外に,キネスフィアをバブルと呼んでいたが,普段通常は,知覚できないものをしっかり捉えていることがひしひしと感じられて,いってしまうと,百聞は一見にしかず,ということでしょうか。インスパイアされました。

クライアントの大切な気づき

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ロルフィングシリーズの第4回目のセッションを終えた後で,クライアントの方がご自分で気がついたことですが,

”ふと思ったのが「私は、悪いところにしか意識がいってないな」ということです。調子のよいところ、痛みがなくなったところもあるはずです。だけどいつも痛みや苦しみを感じるところばかりを探しているような気がします。それでは、自分を痛みで包み込んでしまうのではないかと。”

身体の違和感に注意が向かう傾向の強い方ですが,ソマティック・エクスペリエンスでよく行うように違和感以外のリソースに気がついてもらうような促しは一切行っていませんでした。クライアントの方が,ご自分でそれに気がついたことはとても大きなことだと思います。

違和感やトラウマを追跡している状態では,自己調整能とつながることは難しいですが,痛みをとことん感じる時間も全くムダとは言い切れない大切なプロセスだと思います。

違和感以外の感覚にも注意が向くようになれば,可能性が広がり,生きていく姿勢にも違いが出てくるはずです。

より詳細なレポートは,こちらにアップしてます。

よりよく在るために

ロルフィングは,Well-beingを追求するものです。よりよく在るということには,広い意味が含まれます。思いっきりQOLが低い状態から0を目指すものが,一般の医療的な介入とすると,0よりもさらに+に誘うのがロルフィングといえます。

低  ←    QOL →  高

-3  -2  -1  0  +1  +2  +3

<治療的介入>  < ロルフィング>

例えば,大怪我や大手術をするとQOLはかなり低いレベルまで下がりますが,傷が時間とともに癒えてくるとかなり持ち直してくるものの,以前と同等のレベルに病院に通うだけで回復するのは難しい。それは医療措置が不可欠だったにせよ,医療的介入がどうしても身体にダメージを与えてしまうものだからです。

患者側としては,元の状態に復帰したい,以前行っていた運動や活動をするまで回復したいと思っても,病院側で提供するものにそれらは含まれていません。しかも,困ったことに,命が助かっただけでも有り難いと思いなさいと言わんばかりのドクターも存在します。

非科学的で非論理的な他人の意見に耳を傾け,諦めてしまう前に,何か” できること “があります。人間が本来持っている自己調整する潜在力を使えば,QOLを低下させているものの多くの原因である,解放されていない余剰のエネルギーだったり,術後の結合組織の癒着などを手放すことができます。

全く,元通りと同じではなくとも,支障のないレベルに回復する可能性は手放さなくていい。

むしろ,それをきっかけにして,全体性を回復する旅に入ったと思えればしめたものです。

 

ただ,その時大切なのは,すべてを見直すことです。都合よく一部だけをよくすることはできません。それらは関連性の中に存在し,その背景にあるものが変わることが大切だったりします。

 

 

 

 

 

癌をお持ちの方へのワーク

癌を切除せずに温存する立場の方が,最近数名セッションを受けにいらしています。病気になられたことをきっかけに,生活を見直し,化学療法や侵襲的な処置を避ける選択です。  QOLを向上させ,一日一日を大切に快適に過ごすためには,セッションは大きな手助けになります。

まず,神経系の安定化や調整は,免疫を高める可能性がありますし,身体の血液循環が改善すれば,体温や免疫細胞がより活動しやすくなることにもつながるはずです。病気がある無しに関わらず,私達には,どんな段階であっても,健やかに快適に生活するポテンシャルとそれを追求する権利があるはずです。

イールドやムーブメントで組み立てられたワークは,非常に繊細なタッチで行うので,腫瘍を機械的に強い圧力で直接刺激することはありません。ロルフィングの主旨をよく理解された上で,セッションを希望される方には喜んでワークを提供しています。

医療診断データを提供頂ける,モニターも募集しています。

 

 

 

 

 

雀鬼会にお邪魔して

10日ほど前に町田の雀鬼会にお邪魔した。ここにくると,いつも背筋がピンとなるが,ほどよい緊張で気持ちがいい。温かく迎えてくれる会長や会のみなさんにいつも感謝である。今回はベーゴマで遊んでもらう。ベーゴマは男の遊びなんですね。

僭越ながら,桜井会長にロルフィング・セッションさせて頂く。レーネンさんやうちのwifeもそうだが,確かな感性に基づく感覚がありながら,決して体裁で物をいわず真っ直ぐなフィードバックをくれる方々にセッションする機会は貴重だ。

自分のロルフィングには絶対の自信があるが,狭い業界のお山の大将や天狗にならないためには,本当のことしかいわない人々に機会があるごとにセッションして,自分のワークを客観的に観て貰うことは続けていこうと思う。

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網膜剥離のレーザー手術

長期通ってきてくれるクライアントの方が,突然網膜剥離を起こしてしまったために,レーザー手術をお受けになったそうです。 その影響で,顔の凹凸が著しく左右で異なる感覚となり,違和感で一杯とのことでした。

そこで,顔面を中心に手で優しく覆って,広がるための足場を提供することを入念に行いましした。広がり初めたところで手を離すとさらに反応が進み,頭部や顔面以外の場所にも様々な不随性の反応が観察されました。

3週間後にいらした時には,すっかりその左右差のある違和感がほとんど気にならない程度に解消したらしく,本当に感謝しています,というフィードバックを頂きました。

眼球に直接レーザーを当てる訳ですから,知覚的に相当偏りが生まれても不思議ではないですが,必要とはいえ,手術など医療処置の後のケアは重要だと再認識しました。

 

冷えの解消

Somatic experiencing®のセッションを受けにいらしている方が,3回終わったあたりから,手足の冷えが改善したことを教えてくれました。

漢方薬を飲むなど様々なことを試しても効き目を実感することがなかったらしいのですが,このセッションが助けになったようです。

冷えないように衣服で工夫しても,限界があります。

ロルフィングでも冷えが改善する方はいらっしゃるので,何かしら統合が進めばそういうことが起こるのも不思議ではありません。

注)ロルフィングやSEが冷えを改善する,と謳うつもりはありませんが,冷えでお悩みの方は少なくないようなので,一つの可能性として捉えて頂ければと思います。

 

体験レポート – セッション 2

セッション直後よりさらにバランスが変化していています。これは振り出しに”戻る”変化ではないことがお分かり頂けると思います。確実に首の支え方にも違いが出てきており,首の後ろにもスペースが生まれています。

 

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さて,前回の続きのレポートをご紹介します。

 

【セッション㈪前日】
・美容院に行きました
この美容院という場所は、わたしにとっていい練習の場です。
それは、足場に身を委ねることの練習です。
髪を切ってもらっている間、シャンプーしてもらっている間、いつもイスに安心して沈むことができません。
今回も施術中ずっと身を固くしたままでした。
2ヶ月後くらいにはまたいくと思うので、セッションを経たことで変化があるか観察してみます。

【セッション㈪当日】
・行きの電車内
どの場所や場面においてもわたしはいつも安心できず、ずっと続く緊張感で心身が疲れます。この日の移動中もそうでした。
以前ヒプノセラピー(退行催眠)を受けた際、鎧がイメージに浮かんだことがあったのですが、それは「戦国時代のごとく、常に身の危険を感じている」ような強い思い込みを表していたのかもしれません。
その根源は探ってみてもなかなかつかめないのですが、セッションを重ねていく中で見つけたいと思います。

電車のイスに座りながら、前回セッションの最後に味わった座り方のここちよさをまた感じられるか確かめてみたのですが、わからなくなっていました。
そのせいか、肩甲骨より10cmほど下あたりの背中に痛みを感じました。
(気持ちのいい座り方・気持ちのいい重心のポイントが見つからない時はかならずどこかに痛みを感じます。)

そのあともう少しポイントを探っていたら、ふと「統合」というワードが頭に浮かびました。
その言葉を思い浮かべながら座っていたら、すこしラクに座れるようになりました。
このセッションにおいては、言葉よりも身体で覚えたことを優先させたいと思っているのですが(アタマを使いたくない)、この時「やっぱり言葉も有効なのかな」と思いました。

【セッション中】
・「預ける」という言葉は、身体も心も動かすんだと感じました。
(田畑さんがその言葉をおっしゃると、身体が台に沈んでいくのがわかります。)

・視覚を閉じるか、開けるか
前回はどちらでもほとんど同じ感覚でしたが、この日は閉じた方が落ち着いていられました。
普段視覚を使いすぎている感があるのでセッション中は他の感覚器も働くようにと目を閉じているのですが、あまりそう思い込まずに今後も閉じたり開いたりして視覚の有無がどう作用するかの観察をしていこうと思います。

【セッション㈪直後】
・1回目直後同様、身体のあちこちの感覚を確かめてみました。
前回との違いを感じたのは首です。
1回目セッション直後に感じたクリアさ(痛みや引っ掛かるところがない)がありませんでした。
「こうじゃなきゃいけない」という思い込みの意識が、首の角度を固定していたからではないかと自分では感じています。
痛みとかコリは、自分にとって本当に心地よいと感じる場所と、いま現在の体勢とのギャップによって生じるものなのかなと思います。

【セッション㈪後2時間経過】
・呼吸:クリアではない。腹壁にぶつかる感じです。

・身体全体の感覚:前回レポートに“身体の中心に、透明でしなるプラスチック板があるような感覚”と書きましたが、それは今回のセッション後にはありませんでした。
代わって今度は“身体の中に振り子がある”ような感じです。
(揺らぎながら、気持ちのいいポイントへ収まっていく)
この「揺らぎながら中心を見つける」という感覚はけっこう心地がよいです。
中心を探っていくことで自分の足場や居場所をも確保できるような、安心につながっていく感じを受けました。

・精神面:変化を感じませんでした。わたしが持っている心の問題(実父に恐怖がある)にも変化はありませんでした。
ただ、「変わることへの恐れを手放そう」という気持ちが浮かびました。
変えたいからセッションをお願いしているのに、どこかに「変わりたくない、怖い、変わってもらっちゃ困る」と、服の裾をぎゅっとひっぱって引き留めようとする自分もいるのです。
だから、「でもさ、変わることは楽しみなことだよ?」と自分に話しかけました。
どんなに素晴らしい施術をしていただいても最後は自分の意識次第だと思うので、いつも開いた状態・恐れからフリーな状態でいようと思います。

・帰りの電車内:いつもは景色を眺めたり車内広告を読んだりするのですが、この日は何もせずひたすら、自分が何か発してくるのを待つ・それをキャッチすることをしていました。
呼吸以外はクリアな状態に感じられ、身体の中は白い空間のようでした。

・食欲:この日の夕飯は、ちょっと食べ過ぎたけどいつもよりは少ない、といった量でした。

・身体全体的にはわりと気持ちがいいと感じていましたが、足裏に痛みとまではいかない違和感がありました。「どう接地したらよいのかと迷いがある」ような。

【セッション㈪の翌朝】
・首:昨日のセッション直後と変わらない感覚でした。
(セッションを受ける前よりは痛みが少ないけれど、付け根のあたりが痛い)

・精神面:気分は悪くないけれど、いつもと変わらないといった状態でした。
ここ数年、毎朝起床直後に下腹部卵巣付近に鈍痛を感じるのですが(嫌なことを思い浮かべると胃が痛むというケースはけっこうあると思うのですが、わたしの場合それが胃ではなく卵巣なのです)、この日も痛みました。

・足裏:昨日同様、違和感がありました。
朝のうちは右足小指下の出っ張りがあるあたりに痛みを感じ、朝10時頃にはそれが全体に広がりました。

・座り方:この日は座ることに関していろいろと試してみました。
わたしは原付に乗るのですが、普通にイスに座るのと違ってハンドルを握るので上半身がやや前傾します。こんな時の心地いいポイントはどこだろうと、いろいろ重心を変えて探っていきました。
その後、普通にイスに座る時の重心・ラクに座れるポイントを探す中で思ったことは
「人から“これがいいんだよ”と言われた姿勢だと、背中が痛くなる」ということです。

セッション㈪の終わり、「ヨガの先生に言われた座り方」を再現してみせた時、
田畑さんは「でもそれって座りづらくないですか?」とおっしゃいましたが、
その言葉がすごく響いて残ったのです。
「ですよね、実際座りづらいと思ってたんです!」と、うれしくなってしまって。
自分の気持ちいいと感じるところがいいんだ、という旨のことを言ってくださって、
その時の一連の言葉が自分にとってはとても大きかったです。
先述しましたが、アタマを使ってしまう気がしてなるべく言葉には頼らないと思っているけれど、でもやはり言葉を活用することも大事だなと思いました。

それと、人に言われた“姿勢”と書いて思いましたが、いま自分が探しているのは
姿勢ではなく、“ポイント(中心のような・重心のような)”です。
形でいうと、軸・線ではなく、点・球体。
これはけっこう大きな差なのではないかと思います。
姿勢は型で、揺れられない。ポイントは自由度があって、心地よい揺らぎがある。
ようなイメージです。

【セッション㈪翌日の午後】
・歩きながら「自分の気持ちいいポイント」を見つけるのがちょっと楽しみになってきました。

・「身体は言葉では話しかけてこない」というフレーズが急に浮かびました。
このところ「言葉はアタマだからあまり使いたくない」ということをよく思うからでしょうか。それはさておき、身体が伝えてくれることを無視しないでその場ですぐ受け取るようにしたいと思っています。

・この日はイスに座っていることが多い1日でした。
なるべくダラリとせずに上半身を立てて…などと思っていたのですが、
「そうすると気持ちいいから」というより「そうしなければ」という意識でした。
そのせいか、身体が固まってしまったように思えました。

でも、疲れたら猫背になってもいい・そうなったとしても自分のポイントがあってそれがラクならば、バランスが取れていたらいいのでは?と思ったり。
そんな考え方も出てきて、そうしたら背中の痛みがすこし取れた気がしました。

・昨日のセッション終了後の写真撮影で、アゴの角度をいろいろ変えながら気持ちのよいところを探していたのですが、この日も昨日とはまた違うポイントでした。
(昨日は上向き、今日は下向き)

・食欲:夕食すごく食べ過ぎ。

【セッション㈪から2日後の朝】
・座り方も歩き方も気持ちのよいポイントが見つからず、背中が痛かったです。

・足裏:全体的に痛かったです。

【セッション㈪から2日後の午後】
・歩きながら気持ちのよいポイントを探し続けるけれど、朝同様見つからない。
でも座っている時・立って静止している時はわりと心地いいポイントを見つけているし、背中も痛くない。

・今日は1日雨。でも天候の影響を受けている自覚はなかったです。

・精神面:変化感じず。

・食欲:空腹を強く感じたので、そこにあったエナジードリンクを飲んだらおさまった。
その時、「すぐに空腹を消そうとせずに、味わってみてもいいのでは?」と思いました。
またアタマが身体を黙らせてねじ伏せたように感じたからです。
空腹感じた→苦痛
ととらえずに、空腹を感じたならただ「ああ、空腹だね」と感じることに専念して、
その先の判断をしなくていいのでは?

・首:付け根がかなり痛かったです。
でもセッションを受ける前に頻繁に感じていた左後頭部の痛みはこのところありません。
不思議だったのが、痛いと感じているところを指圧してみたら痛くなかったことです。
いつもならイタ気持ちいいと感じるのに。

・呼吸:食べ過ぎたわりには、わりとどこにもぶつからずに吸えました。

・足裏:どこが特に痛いというわけではなく、全体が疲れていて老廃物が溜まっている感じでした。滞っている感じ。

【セッション㈪から3日後の朝】
・午前2時頃に目が覚めました。
脚だけなぜか軽く感じました。足裏もです。
おなかは重いし、首も痛いし、ちょっと風邪気味、でも脚だけが軽い。
正座からうしろに反って前腿を伸ばしてみようとしたものの、足首がすごく痛くて出来ませんでした。
でも、しゃがんだ状態から立ち上がるという動作はすごく軽い。

・歩くときの気持ちのいいポイントが見つけられて、背中が痛くない。
でも、座るときのポイントは見つからない。

・朝食の食欲:食べ過ぎ

・足裏:外側を使うことが多いなと思って(だけど靴のソールは内側が減っている。写真添付します)、土踏まず側を意識して使うようにしてみました。
すると身体を天地に貫く透明な柱のようなものが、身体の真ん中に感じられました。
いつも浮かぶのは柱状ではなく、ポイント(ゴルフボールより一回り大きいくらいの球体)だったのに。

・肩の付け根が痛いせいか、頭痛がしました。

【セッション㈪から4日後】
・日帰り旅行に行きました
新幹線に往復7時間ほど乗ったので同じ体勢が続いたのですが、そんなに疲れなかったです。

・食欲:旅行だと食べ過ぎてしまうのが常なのですが、今回はそうでもありませんでした。

【セッション㈪から5日後と6日後】
・両膝が朝から痛みました。
雨が降ると痛い、ということがありますが両日とも晴れ。
昨日は旅行でたくさん歩いたからなのか、同じ体制でずっと座っていたからか?

・身体が伝えてきてくれること(痛みや疲れ)に、聞こえないふりをせずすぐに受け止めるようになってきたと思います。

・4日後〜6日後にかけて、深く息が吸えないと感じました。
身体のことというより、精神的なことに起因しているのではと思います。
(このころ、先述した父への恐怖が強まっていたので)

・6日後に、久しぶりに左後頭部の痛みがありました。
また、「気持ちいいポイント」を感じようとすると腰に違和感が生じました。

・痛い、とかざっくりした感想が多くて、微細な感覚を掬いとる余裕がないのかなと感じます。
ものさしの目盛りが粗いというか…

【セッション㈪から7日後】
・朝食の食欲:食べ過ぎ

・移動の電車内でいつもよりストレスを多く感じて、肩が痛くなりました。
隣に座った方が寄りかかってきたりとか、脚を開いてきたりとかということがあったからです。
こんな時、感情と身体のつながりを感じます。
右側に自分にとってイヤだと感じる人が座っていたら、右の肩だけ痛くなるからです。

・座る時の気持ちいいポイントを、今日も探しました。
前回セッションの終わりに「ヨガの先生にいいと言われた座り方」を再現してお見せしましたが、その時感じた“三角形のイメージ”が浮かびました。
ヨガの先生のおっしゃる座り方は、坐骨の上に垂直に座るというもので、横から見ると直角三角形のイメージです。
対して自分の気持ちいい座り方はそれよりも上体がやや前傾して、同じく横から見ると頭頂部・お尻・両膝を結んで二等辺三角形になるイメージです。
直角三角形よりも二等辺三角形のほうが、横から力がかかった時に倒れにくいと思うのですが、だからラクだと感じるのかなあと、あくまで自分の中の感覚ですがそんな風に感じています。(イラスト写真添付します)

以上です。

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最後は自分の感覚なんだけど

 

何かの療法や治療によって,すごく助けられると,そこから上を目指そうとしたときに,逆にそこで習うことや指導されたことが,むしろ足かせになることがあります。

著しくバランスを崩した状態からスタートすると,多少粗っぽい調整でも,大まかには中心に向かっているので,調子がよくなって行きますが,あるところまでいくと,ヒットしていない感じだったり,届いてない感じになり,進まなくなります。

それから先の統合状態や楽な感覚を得るには,別のレベルの異なる視点が必要になってきます。

ですが,大抵の場合,それまで受けてきた場所との関係性に囚われたり,昔の杵柄がまた使えるような錯覚がありますが,それらを手放せるか,勇気が要ります。

でも身体だけは正直にできているので,それが,”今”フィットしているのかどうか?そのプラクティショナーと”今”取り組むことがあるのかどうか?はわかっています。

別の可能性に目を背けていないかどうか? それまで使えた情報が,”今”有効なのかどうか?検証してみる必要があります。