一週前には大和郡山を訪れ,次の日曜6月4日(日)は 福島県郡山市でワークショップ。
ロルファー仲間5人と共に郡山駅近くの会場に向かう。今回は,避難解除によって福島に戻ってくる方々もこの春増えるというお話を昨年11月に伺っていた。そのせいか,いつになく申込みは早い段階で埋まった。
今回の同行メンバーロルファー仲間
一週前には大和郡山を訪れ,次の日曜6月4日(日)は 福島県郡山市でワークショップ。
ロルファー仲間5人と共に郡山駅近くの会場に向かう。今回は,避難解除によって福島に戻ってくる方々もこの春増えるというお話を昨年11月に伺っていた。そのせいか,いつになく申込みは早い段階で埋まった。
今回の同行メンバーロルファー仲間
山陰から通ってくれているクライアントがどんどんいろんなことに気づいてきて,それをシェアしてくれた。音楽教師でピアノ演奏家でもある彼女は,練習のし過ぎで身体を痛めてしまったことをきっかけとして,セッションに来ている。
彼女は,身体が整ってくるにしたがって,感覚も回復してきて,嫌な場所にいると我慢できないし,何か不自然なことに対して,より敏感になったという。それによって,方向性にズレがあると,身体が教えてくれるようになったという。
ロルフィングは,身体の不具合が調整されたり,パフォーマンスが向上することも勿論大切だが,仮にピアノが急に前のようなパフォーマンスで弾けるようになったとしても,身体を痛めるような使い方や演奏や練習に対する考え方や姿勢が変わらなければ,意味はないだろう。付け焼き刃でパフォーマンスを維持するより,せっかく身体から痛みというサインが出たのだから,生き方そのものを修正しているという見方ができなければ同じことのくり返しになってしまう。
どこにフォーカスして生きるかは人それぞれだが,それぞれの人生の方向性や流れがあるとすれば,それに乗っているときに,人間にとって身体はむしろ気にならない存在となる。何かの不自然さを身体が教えてくれるという認識があれば,すぐに軌道修正することができる。
身体がセンサーとなり,送られてくるサインを無視しなければ,人はよくわからない占い漬けやセミナー中毒になったり,人からだまされたり,できるけどしたくないことにやっきになったり,身体を痛めることをわかっていながら,ついやってしまうようなパターンに陥ることもないだろう。
ロルフィングの私が引き出したい最も大切な変化は,この身体のセンサーの感度を上げ,身体と一致することで,その人自身の人生の流れに乗る手助けになればいいなと思う。
違和感がなくなることが目的ではない。それを細かく感じ取ることができるように手助けする。つまり,治療ではないということだ。
クライアントの中には,過去のトラウマを何とかしたいために,様々な療法を試みた方がいらっしゃいます。でもセラピストから言われたことがそのままトラウマになっているケースも多いようです。
Aさんは,虐待経験のある方であるトラウマ療法に何度も通ったらしいのですが,
(1)セラピストが治療中寝てしまうことが多発。
(2)希望しているセラピー以外のことをしたがる。
(3)トラウマ体験を話したくないという意向を聞いてもらえない。
(4)中止を申し出ると「今中断すると今までやってきたことがすべて無駄になってしまうので止めてはいけない。」という対応。
ここで,(1)に関しては,ボディ中心のワークですと,クライアントと共鳴しつつ,深く入っていく過程で覚醒度が下がって,意識が落ちたように度々なることは起こりえるので,一概に”よくない”態度と決めつけることはできません。ただ,セラピストが寝不足だったり,実際にセッションへの集中度が下がっている場合,それ以外に双方に麻酔のトラウマを持っている場合にもそうしたことが起こり得る可能性があります。いずれにしても,セラピスト側の問題はできるだけクリアして臨む努力は必須と考えられます。
(2)と(3)に関しては,クライアントの意向は聞くべきで,セラピストの充足感のためのセラピーになっていないかチェックする必要があります。
(4)については,ロルフィングのようにシリーズで受けて初めて意味が出てくる場合もありますが,あくまで原則であって,仮に中断したとしても全くそれまでのワークが意味のないものになってしまうということはないはずです。また,クライアントがどうしても中断したいという意志は尊重されるべきです。
(4)のような対応を受けたAさんは,結局セラピストを変えたものの,言われた言葉がずっと気になってしまい,夜眠れなくなる,寝てもビクビクしながらすぐ目が覚めてしまう日々が続いたということです。つまり,セラピストの言葉がトラウマになってしまったケースです。セラピーを開始するよりさらに後退する結果となっているのは深刻な事態で,このケースでは,明らかにそのセラピストの言動に問題があったといえます。
オリエンテーションを失って非常に気弱になっているクライアントが,半ば強引に主導権をもっている指導者なりセラピストに引っ張ってもらってなんとかなるケースもあるにはありますが,最終的にクライアントが自分の感覚で様々な判断や選択ができるようにencourageまたは,enpowerすることがプラクティショナーの役割だとすれば,それを感じられない場合は,できるだけ早めに,思い切って,そのセラピストと縁を切って別のチョイスに目を向けることです。
感じとる力が蘇ってくれば,最初からそのセラピストには何か不自然なものをもう少しはっきり感じ取って,そこにすら行かない状態になれるはず,それが目指すところ。ただ,人間弱くなっていると肚の感覚より情報を優先して判断してしまいがちなので,セラピーを提供する側は,クライアントを”囲いこまない”,”自由意志を尊重する”,”セッション中の言動には十分過ぎる程注意する”こと肝に銘じるべきでしょう。
『人との間合い、身体の間合い』
出演:甲野善紀(古武術)X 田畑浩良(ロルフィング)ゲスト:吉本ばなな(作家)
ロルフィングシリーズを終えた後,娘さんにも3回セッションを受けさせた高知の方から,また娘さん自身がセッションを希望しているとの連絡がありました。
前回から既に4年経過していますが,肩や首の緊張をなんとかしたいということでした。小学生だった彼女が,セッションのことを覚えていてくれて,自分から受けたいと意思表示されたことに驚きと嬉しさを感じました。
写真データを比較すると,1回目のセッション直後より,そこから次のセッションまでの変化の方がよりバランスされていることがわかります。(写真をclickすると大きく見やすくなります)
3回目後では,特に身体のパーツがうまく並んでいることがわかります。
さて,その後どうなったのか?
3回目までで得られた変化が,4年という歳月を経てもなお引き継がれているように見えます。これは明らかに1日目前の状態に戻るような方向性ではありません。
4回目のセッションで,コアサポートが生きるようにワークしましたが,肩甲帯も土台である骨盤帯の支えが充実したことによって,肩・首が楽になったとの感想を頂きました。
遠方からですが,また寄ってもらってシリーズを完結したいですね。
写真データ提供のための整理をしています。
•体調が良いとき、悪く感じるときの差がはっきりしてきた。
•以前とは違う感覚で自分の感覚(感性?体質?)を理解出来るようになってきた。
•自分を観れる自分がいる。
•以前より自分の個(孤)がはっきりしてきた。
•休む時間が増えた。
ロルフィング10シリーズを終えて半年経過した後のご報告。健康についての深い洞察です。
ロルフィングの感想
ロルフィングを受けて、月日が経ち、一番役に立ったと思われるのは、その考え方に接し、学べたことだったように思う。
自分の身体は、大地も同じように自分を支えてくれていることを味わったり、それを通じて、安心感を得たり、いろいろなことに目を見開かれ、大地が与えてくれる慈愛を感じ、味わうようになったというか、、、。
もっと、自分が大きなものに抱かれているような感覚を持つようになったことだろう。
このことには、とても感謝している。
身体のある部分に痛みがあり、それだけを治そうとしていても、また治そうと期待しても、人生は思い通りにはいかない。
誰かにやってもらえば治るのではないかと、医者を探し、お金をかけ、人によっては治療費のお金を稼ぐのに翻弄され、いつの間にか、お金を稼ぐ人生と、いろいろな医院を探す人生に明け暮れる人生に転落し、お金=生き延びる、みたいな、本当の人生の意味がわからなくなってしまうこともある。
人生は喜びを味わうために生きているのに、そして人生もどのくらいあるかわからないのに、その時間を犠牲にして、インターネットで情報を探すのに人生の貴重な時間を費やし、治療費を稼ぐのに睡眠時間を削ったり、生活が荒れたり、不規則になったり、医院を探し回り、通うのに疲れ、良くなるかどうか一喜一憂するので1日が終わってしまうことの連続で、いつの間にか、それで一生を終えてしまう人もいるだろう、
世の中には、難病もあるし、癌に至っては、高額の、保険が適用されていない治療もあるし、世の中、お金、お金、老後はこれだけ入りますと、宣伝するし、不安もかきたてられる。でも、それを追いかけてもキリがない。
完璧な健康を求め、完璧な健康でいることが、そのまま幸せなのだろうか。だとしたら、その幸せのために、残りすくない人生を家族との会話や、自分が大好きなことを犠牲にして、治療費を稼ぐのに明け暮れるのも意味はあるかもしれない。
治療に明け暮れるのも人それぞれだが、収入や自分の幸せとのバランスを考えながらするのがいいのではないかと思う。
私にとって本当の幸せは、人との愛や、自然への愛や、美や調和に接し、愛を感じ、生きていてよかったと心から思える瞬間であり、それは、自分の体がどのような状況であろうと、心が健康であれば、感じられるものである。
私は、ロルフィングで、自分の身体の重さを感じたり、力を抜いたりして、自分の体を観察することにより、自分をいたわり、味わい、愛していくことを学んだように思う。
大地からの反発というか、支えを感じたりすることで、自然の慈愛を感じた。
その、一見、小さく見える経験が、実は大きな幸せだということをこの数ヶ月、とても感じた。
私がこのように思ったのは、手術を受け、入院していて、いろいろな病気を抱えた患者を観察する機会もあったからだ。
病院なので、死んでいく人もいるだろう。親戚、家族と思われる人たちが、廊下で言い争い、いがみ合っているのを目の当たりにしたり、中には、看護婦さんにあたる人や、付き添いの人に暴力的な言葉を吐いて、病のストレスを発散している人もいた。
その人たちは、自分たちの感情しか見えないけれど、他の患者さんがいて、他の患者さんは、今、自分の病や痛みと闘っていて、穏やかな気持ちでいたいということに気がまわらない。さらに、余命、いくばくかの人にとっては、見ず知らずの他人の怒鳴り声や、相続争いの前哨戦の会話で、貴重な生きている時間を無駄にするは辛いことだ。人生の最後くらいは、美しい愛に満ちた思い出で終えたいものだ。
自分が病で辛い、かわいそうだという気持ちでいっぱいで、他人に暴力的な言葉を吐いたり、悪態をついたり、不愉快な気持ちにさせていることに気づかない。
また、中には自己憐憫に陥り、看護婦さんにべったりで、看護婦さんが他の患者さんを見るのにも障害になるような、依存症の人もいそうな感じもした。
病気や身体が動かなかったり、痛みがあることはもちろん、不安だし、辛いことではあるが、だからと言って、苦しんでいるのは自分だけではないわけだし、思いやりや、日々の小さな幸せを感じながら生きるのが良いのではないかと思った。
私が入院中、ベットでしていたのは、ロルフィングで習った、身体の重さを感じ、味わい、大地からの反発を感じることだ。病院では孤独だという人もいるが、私は自分の身体の重さを感じるようにしていたので、そういう風には感じなかった。自分を支えてくれる大地というものがあり、それから深い慈愛を感じる。それを落ち着きに変えていけるのは素晴らしいことだった。生きてここにいることが、それだけでも美しく思えた。
体を健康体に治すという気持ちに集中すると、人生はうまくいかないこともある。
お金をかけて、高い治療を受け、健康にはなったが、家族や親戚との間には愛がなかったり、権力関係であったりするのは悲しいことでもあろう。
自分が、どのように生きたいかとことをはっきりさせ、それがぶれない上で、いろいろな治療を試みたりするのがいいのではないかと思った。
そういう意味で、ロルフィングを受けるのも、治してもらうという受動的態度で常にいるのではなく、自分がそこから何が学べるかというのをよく考えながら、受けるのが良いと思った。
セッションを重ねていくにつれ,ロルファーと受け手との共鳴が深まります。いわゆる打てば響くようなやりとりが円滑になってきます。
前半は,間合いを慎重にとったりして,お互いに無理のないところを探りながら,居心地よくいられる状態を見つける作業,これが無意識に行われていると思います。
やりとりは,即興要素の強い掛け合いという感じだと思います。
ロルフィングで,この関係性が深まり円滑になってくると,ロルファーが触れなくても,その場所に意識を向けるだけで,変化するというフェイズに入っていきます。
実際に先週のセッションにおいては,かなり統合がうまく進んだケースで,一切触れることなく,意図を向けるだけでプロセスが進んでいきました。
そんなセッションが一つの目標でしたが,一つの山頂にきた感じがしました。
クライアントの方の中に,今受けている治療と併行してシリーズを受けてもいいですか?という質問を受けることがあります。
治療だけでなく,ジムで運動の後トリートメントとしてのマッサージを受ける,というサイクルを続けてきた方にとっては,それを休止するということに抵抗があるようです。
ロルファーとしては,今まで受けてきた治療なりエクササイズは有効だったことは否定しなけど,さらに先に進みたいわけですよね?と思うわけです。何かに通わなければ,自分が維持できないとすれば,健全な関係とはいえないはず。もちろん楽しみや好奇心で受け続けるのはアリだと思います。そこには健全な距離のある関係性だからです。
10シリーズを受けている間とその後約半年は,できるだけプロセスを干渉する可能性のある介入は避けて身体と向き合う,というのが望ましい姿勢です。
受けている治療等が一段落ついて準備ができたところで,シリーズを開始することをおすすめします。
ロルファーは,もう何かに強く依存しながらバランスしなくてもいい状態に移行してほしくてワークしています。そういう姿勢でワークすべきだと私は思っています。
でも,ひょっとして,何度もリピートして来てくれるようにビジネスとして施術を提供しているとしたら,果たしてその提供者は,本当に受け手の健康を思ってワークしているのか,チェックしたほうがいいかもしれません。
信頼関係を築いていて,いつでもwelcomeで,且つ来ない自由も許している関係性なら,何度も訪れる価値のある場所だと思いますが,そうでないとしたら,一度再考した方がいいかもしれません。