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rolfinger について

米国Rolf Institute認定ロルファー&ロルフムーブメントプラクティショナー。

4年前に10シリーズロルフィングを終了された方からのお便り

わたしがロルフィングを受けたきっかけは、14〜15歳ごろに発症しずっと患ってきた顎関節症を改善したいという思いがあったからです。全10回のセッションを受け、回ごとに違った変化を感じながら、最終的にはきっかけとなった顎関節症の完治には至りませんでしたが、受けたことで身体との付き合い方が変わり、結果、現在は以前よりも心身ともに良好な状態で過ごせています。口腔外科医からも完治は難しいと言われていたので、体調が改善し安定してきたと実感できただけでも大変うれしく思います。

それまでも、顎関節症を治すために様々な療法を試してきましたが、ロルフィングの面白いところは、例えば整体や鍼灸などのように、”治したいところがあって、そこに具体的にアプローチして、わかりやすくシンプルに改善を感じられる”のとは異なり、毎回、自分の身体の感覚が繊細に研ぎ澄まされていくようで、「あっ、わたしの身体にはこういう感覚があって、それが整うとこういう感覚なんだ…」と抽象的だけれど確かな変化を感じられたことです。一度得た繊細な感覚は、セッションを受けてから4年が経過した今も薄れることはありません。

わたしがロルフィングを受けて得た最大の恩恵は、「身体が発する微細な声を受け止められるようになったこと」だと思います。例えば「お腹が空いた」や「眠い」という声は大きいのですぐに気付き対処できるけれど、「これはなんとなく良い気がする」や「これはなんとなく良くない気がする」などの理由はわからないけれど感じる身体の微細な声が、大きな声よりも大切だと気付きました。わたしの場合、微細な声を拾って丁寧に応えていくことで、身体を良い状態に保てるようです。


大きな声の多くは、ときに自分の本心とは関係なく、「こうでなきゃ」「こうあるべき」といった思い込みを含んでいて、その声に応えるために自分に無理強いして、結果的に心身を疲弊させていたように思います。今は思い込みからくる声に対して冷静に対応することができていて、思い込みよりも自分の本心(=微細な身体の声)を大切にし、心身ともに健康的に過ごすことができています。
まだ、”自分の身体と完ぺきに良好な関係を築けている”とは言い難いのですが、これからも身体の微細な声を丁寧に拾って、健康的な生活を維持していきたいと思います。

Yieldは、『ひたすら平和な感覚を伝授する儀式』

イールド(The Art of Yield)を学んでいる方から、セッションを受けた方が、興味深い体験をnoteに綴っています。

Rolfingの素晴らしいところは、10レシピと呼ばれる型があるので、それを各ロルファーがくり返し実践することで、体験から学び、スキルを向上させていくことができる点です。

技法が本質的であるためには、様々な解釈が成り立つ隙間があって、型はありつつも、そこから個々に発展させることが可能でなければいけないと常に思っています。

技法が細かいテクニックの伝授に偏ってしまうと、弟子はいつまでたっても師匠を超えられず、マウンティングされ続け、不動のヒエラルキーが形成されます。

そうした組織の構造はいずれ機能不全を起こし、自然な学びのぷろせすである、守破離からも程遠いものです。

そう考えると、イールドを学び、独自にセッションの機会を設けて実践しているMさんの姿勢は、本質的な学びのプロセスにあり、イールドの技法自体も中心にあるように思わせてくれる体験記です。

https://note.com/tadokublog/n/n647987f0f8c5?fbclid=IwAR3kl8ljjzsWgD5mq5DobFjHrtg9K0Y9kYtx8qPfvciZUn7GHoAK8_1XJHg

身体の境界

現在セッションをお受け頂いている方から、「どこまでが身体か?」という疑問がでてきた興味深い体験をシェアして頂きました。

以下シリーズ7回目のセッションのレポートです。

今回はとても細かい部位の調整ではありましたが、いつもの様に身体の中のつながりを感じながら、心地よく受けられました。

今回、面白かったのはセッションが終わって目をあける時、あれ、どこまで身体なのかな…という感覚が強かった事でした。実際の身体の境界線がかなり薄くて、その身体よりもひとまわりか、もう少し大きなサイズ感で、あれ?身体なのかな?という感覚がリアルにありました。ちなみに厳密なここまでが身体という区切りがなくて、ぼんやり暗くて見えないけど、もう少し先にも続いている様な不思議な体感でした。

松果体とかにも関係してるのかもしれない…などとも思ってはみたのですが、今まで感じた事がない感覚でしたので、とても興味深く、これは田畑さんに伺うしかないと思い、帰り際に、身体がどこまでか?という質問をさせて頂いた次第でした。その時、田畑さんから、胎児が胎盤の中にいる時のお話が出たので、なるほど・・・確かに胎児の頃、自分と地続きで母親の体があり、その母の血肉というか、その身体の一部が、かつて自分の身体でもあったという事が、この時の不思議な追体験とすっとつながり、より理解できた気がしました。よく精神的なトラウマを解放するのに使われるヒプノセラピーなどの胎児体験とは少し違い、自分の実際の身体に対する意識がこの時、多分、かなり変化しました。

セッション後は、仕事面で色々と大きな変化を迎えていて心身ともに落ち着かない日々だったからなのか、なんとなく歯の噛み締めに意識が向く事が増えていますが、気になることはそれくらいでしょうか…。ここ2ヶ月あまり、田畑さんのセッションで調整して貰うたびに身体の気の流れが軽くなり、本当に嘘みたいに軽く、楽に感じられてきたので、最近は、逆に気の重さに対しても敏感になってきた様にも感じます。どうしていけば、もっと日々の中で流れが良くなるのか…考えてみたいと思います。

コア(芯となる内臓空間)の重要性 〜 続き

前の投稿のケースだが、8回目のセッション中に、お腹のところが主張していて、もっとワークしてくれと言わんばかりだったので、入念に消化器系を中心にCS60を使ったり、流動性を引き出すワークをした。セッション開始前に提出してもらった質問表には特に記載がなかったが、ひょっとして盲腸とか何か開腹手術をしたことはないか気になって伺ってみたところ、

「実は昨年大腸癌のポリープを内視鏡で取った」

という事実が判明。4つ内視鏡術で除去したもののうち、一個が悪性だったという。それが、コアが萎んでいた原因の一つだったのか!と納得した。病理的な要因、医療介入による影響などが絡み合っていると思うが、この方にとっては、大病を患ったという感じではなく、敢えて尋ねられるまでは気にしていないほど、大きな問題ではないというのが興味深い。身体は確かにしんどいけれども、そのことが精神的に影響していなかったということなので、気にしないで生きてきて、必要な時に必要なことに出会うという、策を弄しない素朴さに強さを感じた。

TVのCMは、気がつけば閉店セール一年まだやってるのか〜いのジャニーズタレントが、がん保険をくどくどしく宣伝している。TVは基本録画してCM飛ばしで観るのがよい。時間節約と無駄に嫌な気持ちになるのを避けるために。

コア(芯となる内臓空間)の重要性

言うまでも無く、姿勢は骨格だけから成り立っているわけではない。内臓空間が萎んでいれば、身体は支えにくくなる。

その典型が以下のケースである。

These Rolfing sessions helped his A-P balance temporarily.

Rolphoto Galleryさんの投稿 2020年8月26日水曜日

セッション直後は、写真で示されるような前傾傾向が改善されるものの、10シリーズの4回目までは、再び前傾してしまう傾向が残った。しかし、5回目で内臓空間を広げる介入後、以下のように前傾する傾向はなくなり、それは一週間経過した後も継続していた。それ以降も、もはや前傾傾向を示すことはなくなり、ご本人曰く、50メートル歩くと息切れしていたが、100メートル歩いても息切れ無く歩けるようになったとのこと。 背骨はあくまでバックボーンであって、すべてを支えているわけではない。背骨の前の構造もまた「支え」に重要なのである。

The client got core stability after the 5th hr of Rolfing session.It is sustainable on his A-P balance.

Rolphoto Galleryさんの投稿 2020年8月28日金曜日

内臓空間が広がるというのは正面から見るとこんな感じです。

See his core space.

Rolphoto Galleryさんの投稿 2020年9月12日土曜日

ロルフィング体験

パートナーからのご紹介でいらしたカウンセラーの方のモニター10シリーズ中に頂いたコメントを抜粋してご紹介します。

”今まで意識をしていないレベルでの繊細なバランスを感じることが出来たので、より日常生活でその感覚を大事に出来そうです。”

”自分や世界を深く信頼出来ていないという不安を解消するために、思考での理解や知識を得ることで安心を得たいという感覚が、自分の存在をより繊細に意識することで、自分自身に愛情が巡り、より自分や世界への信頼が深まったといった感じです。”

”自分自身をより一層大切にしています。嫌なことは出来ない感じ、感情や感覚を受け入れて、パートナーや周囲にも伝えるようになりました。

ただ自分はこう感じているよと、自分や相手や世界をより一層信頼して、コミュニケーションしている感じです。合わないもの、エネルギーが漏れるものがより顕著に分かるので、無理なく手放しが進んでいます。”

介護に関して

介護というと、ただでさえ周囲が深刻で閉塞感が生まれやすい状況ではあるが、被介護者の回復力や自己組織力は、どの段階においても存在する。

介護される側の高齢者は、日々調子が揺らぐ中で、かつて難なくできた動作が困難になり、衰えが生じてくる。抗うことのできない自然なプロセスとしての自己解体(=死)の方向に向かっていく流れの中で、介助側には、「何ができるか、その日その時にできることは何なのか?」を見つけ出し、淡々と行っていくことが求められる。

本人にとって、そのサポートがどれだけ役立っているのか?どれ程の意味を持つのか?それがベストな選択なのか?は、実際のところわからない。

だからこそ、そこで、ヒモのようなワンクッション置いた存在の介在は、視野を広げる。介入に対してのわずかなレスポンスを見逃さず、次にどうつなげていくのか、地道に続けて行く以外に道はない。提供したことが、どう受け取られるのかはその時の状況によってそれぞれ異なる。いずれにしても、長期的な支援には、淡々と続けていく「忍耐強さ」に加え、あくなき「研究心」が、求められる。そのためにも、被介護・被養護者の、”今の状態”をそのまま観て判断する必要がある。

この姿勢と観察は、すべての援助職が求められる力である。

家族は関係が近い分、介護に関してはできるだけ、ケアマネージャーやヘルパーさんなどのサービスを多用して、プロフェッショナルな立場から多くの人材にサポートしてもらうことが望ましい。特に父は、身内以外の他の人が家に入ってくることに大きな拒否感を、もっていたが、実際にヘルパーの方に来てもらうようになったら、幸運にも誠実でいい方々に当たり、父もそおきびきびした仕事ぶりに感心して、快く受け容れるようになった。どんな人が来てくれるかによるが、あの頑固一徹親父でもサービスの利用を受け容れるようになったのだから、いいケアマネージャーさんの勘とタイミング、どのヘルパーさんに当たるかによって、介護はスムーズにいくのだろうと思う。

一連の介護サービスを利用するまでには、介護認定に一ヶ月ほど時間がかかるため、早めの手続きをお勧めしたい。サービスが軌道に乗るまでの期間は、ちょうどコロナ禍で超多忙な妻に時間的に多少ゆとりがあるというタイミングもあり、全面的に食事その他のサポートをしてもらい、本当に助かった。被介護者にとって、食事は命と直結している。引っ越し直後は自力で身体を起こすことも困難で、看護師さんから、施設の利用を勧められる程状態はよくなかったが、約3ヶ月に渡って、妻の愛情たっぷりの食事で、何とか持ちこたえた。両足に浮腫もあったが、2ヶ月後にはそれもなくなり、短い距離なら自立歩行も可能になった。また、シニア向け住居という高齢で一人暮らしが可能な物件がたまたま近くにできて、ラッキーだった。施設ではないため、面会が制限されることもないことは本当に有り難い。同時にCovid-19も指定感染症のレベルを落として、あまり時間が長くのこっていない高齢の親御さんとの面会の制限が一刻も早く解除されることを願う。

現在はまた状況も変わってきているが、えぼし巻など使えるものは利用しながら、父とのあまり残っていない時間を大切に過ごしているこの頃である。

介護も子育ても共通しているのは、人の助けを積極的に求めた方がいいことである。人選は吟味しないといけないが、狭い関係性で抱え込んでしまうとお互いにいい結果を生まない。疲労困憊してしまうと、いろんなことが苦痛になってしまい、それは最も避けたいことである。お互いいい時間を過ごし、お互いを好きでいられるためにも、自分にも負担を課さない工夫が必要だと思う。できるけど、それ程得意ではない分野のことは、他者の助けを得た方がいい。そうでないと、気がつかないうちに疲弊してしまう。その人の命綱を握るのは複数で分担しながら、多くの関係性の中でサポートするのが介護のポイントのような気がする。


ヒモトレ介護術(小関勲氏監修)を拝読

介護のみならず、人を援助・支援するとは、どういうことなのかを深く考えるきっかけになる書である。

実際の介護や養護の現場で目覚ましい成果が上がっているいくつかの実例に加え、脚注にリンクされた動画で確認できるのも画期的かつ説得力がある。

一方、この本のすばらしいところは、ポジティブな結果の紹介に終わらず、わかりやすい効果や変化が見えない場合について、丁寧に扱われ考察されている点である。多くの健康法では、ないものとして扱われがちな側面である。

華々しいホームランのような成果は、絶え間ない地味なエラーを含む安打や凡打のような変化の積み重ねの上に成り立っている。長期的支援が必要とされる介護や養護教育の現場で、地道に忍耐強く活動され、しかもヒモを通じて成果を上げられている著者の先生方には、貴重な症例をシェアして頂いたことに感謝の意を表したい。

高齢者介護に関しては、全部の要素が下り坂に直線的に衰えていくわけではない。日々揺らぎの中で刻々と変わっていく。しかし、どの段階でどんな状況だろうと、可能性や希望がなくなるわけではない。

被介護者との関係性が濃ければ濃いほど、過去の状態の残像や、他のケースとの比較、過剰な期待に囚われてしまいがちである。ヒモは、その隙間に無邪気にすっと入りこみ、遊び心と軽さと共にいつの間にか全体性を刺激する可能性を秘めているようだ。

援助者にできることは、健康寿命を少しでも長くし、人間的幸福度を維持する手助けである。

高齢であること、持病があることは、しばし可能性に目を向けない言い訳にされがちである。

しかし、この本で紹介されているいくつかの症例は、人間には、例え高齢であっても障害があろうとも、個々に人間的幸福度を向上させる可能性が常に開かれていることを示唆している。

本書で紹介されている、えぼし巻の実施例は、人間らしさや生の質について考えさせられる。人間的幸福度とリスク回避のバランスが問われる。ちょうど、92歳の父がタイムリー?に食事の度に咳き込むようになってきた。筋力も衰え、姿勢も前傾になって胸郭上腔も構造上狭まり緊張しやすくなっている。すかさず、えぼし巻を試したところ、咳き込みなく食べることができた。わかりやすく効果的だった。その巻き方からヒモが微細に刺激するであろう舌骨や甲状軟骨付近に優しく触れてみた。呼吸は明らかに深くなり、その後の食事がヒモなしでもスムーズになった。

どの段階であっても、サポートできる余地があることをヒモとこの本が教えてくれた。

ヒモトレ介護術

電磁波対策

生命活動には、常に電子のやり取りがあることを考えると、外部からの電磁波が、活動に影響することは容易に予想されます。CS60も余剰電流を抜くというのが、主な目的で、つまり電気を貯めないこと、貯めにくい状態にすることが健康と直結しているのかもしれません。

ただ、体外の環境にあまり神経質になると、それはそれで本質を見誤ることになりかねないけど、生活を快適にしてくれるものであれば、採用する価値はあります。

エルマクリーンIIという製品を愛用してますが、これは意味がありました。実際に購入した検電器で測定すると確かに電磁波が除去されるのを自分でチェックできます。買い足ししたいと思ってみたものの、現在在庫がどこにもない状況です。

そこで、それに代わる代用品はないかと検索したところ、電磁波除去カードαなるグッズを発見。

https://www.denjiha-honpo.com/?pid=26003026

手持ちの検電器で測定したところ、確かに電磁波除去能があることを確認。こんな薄っぺらいのに能力高いです。

枕カバーの下にカードを入れて眠ると、確かに眠りが深くなるのを感じます。

ベッドのシーツやカバーを誘電性のものに変えて、アースとつないだり、エルマクリーンIIを接続するというのも有効ですが、それだとやや大袈裟になります。このカードだと簡便に代用できるので、

なかなか寝ても疲れた取れないという方、

騙されたと思って試してみてはいかがでしょうか?  30日間返品保証もあります。

実際に測定に用いた検電器ですが、低周波域の電場の測定が可能ということで、それ以外の領域に関しては、別の測定機器でないと計れないということになります。携帯電話からの電場、無線LAN、Blutoothなどの電波については、別のプロテクトが必要になるでしょう。

感染したとしても、重症化するかどうかが、問題だ

政治的には、ロックダウンした意味が全くなかったことを曖昧にしたいのか、「夜の街」を標的にして、測定数を上げることで、感染者数を稼ぎたいようにみえる。

東大の児玉教授による研究結果:ノイズを拾わない精密度の高い抗体検査だと、市販のキットより感染自体が少なく、東アジア地域では広範囲に既知のコロナウイルスに既に罹っている可能性が高い、という知見から、日本人は、仮に新型コロナウイルスに感染しても、重症化率や死亡率は低いので、欧米で取られているような過剰な自粛や政策は必要ない、という結論にいくのではないかと、推測していた。しかしながら、児玉教授の最近の国会答弁や意見を見ると、その方向性ではなく、警戒を一層高める必要有りと考えているようだ。

私としては、さして重症化しないような「風邪」を敢えて、指定感染症に設定できるのか?そこから甚だ疑問を感じている。早急に感染症の指定を解除して、インフルエンザや他の肺炎と同様の医療処置に戻すことが、医療現場や社会経済を復帰させるためのシンプルな解決策だと思っている。

検査を増やせば、当然感染者数は上がる。武田邦彦先生のブログでは、重症化数は7月に入って、より減少傾向にあるという。

結局のところ、検査を受けたりワクチンに幻想を抱くのではなく、大切なことは、自前の自然免疫を維持することしかない。

国際医療福祉大学の高橋泰教授が、とても参考にすべき記事を書かれています。

https://toyokeizai.net/articles/-/363402?page=3