吹上奇譚第二話

幻冬舎から出版された、吹上奇譚第二話どんぶりについて。

随所に哲学的な内容が鏤められ、ホラーを通して描かれているが、最近身の回りで起きたことのホラー性?ホラーぶりを思い起こすと、現実の方がよっぽどぞっとすることの連続なのかもしれないなあ、などと思いつつ、第一話の続編である。

本書を読んで強く意識したのは、「自然の摂理」。

それには結局のところ、どうあがいても、抗うことはできないということ。逆にその摂理に沿うようにしかならないのだから、仮に人の思惑とか支配とか余計な力が一時的に働き作用することはあっても、それが自然の摂理に反していれば、自ずと最終的には外れることはないということ。

だから、現実にどんなことが起こったとても、そう慌てる必要もなく、どの位置に居ても所詮、大きな道の中にあって、経過していくことを気づいていればいいのか、と思った。

それぞれのめり込みそうになる傾向や、考えや嗜好に偏りがある。そうすると生活する上で、ムラや濃淡が出過ぎて、結果隙が生じる。その隙間にはつけ込まれる時間と空間があるということ。純粋な好奇心は、隙間を埋めるような動機には由来しない。足りていないものを幻想的に満たそうとする心の動きではない。そんなとき、どこか身体は浮き足立っている。

理由はわからなくても、内側から湧き出た欲求や好奇心に従って打ち込んでみる、そうすると、一見厳しい状況だったとしても、自然の摂理に従って、状況が一転する。まずい事態にはそれとほぼ同じタイミングで、味方になってくれる人材やモノがやってくる。つまりは、捨てる神があると、拾う神も必ず一緒にやってくるような感じ。

教育システムや出来事を編集された形でつたえられる情報に洗脳されている部分が多いが、せき立てられているような錯覚、今のままではダメで、新しい何かに乗り遅れるとサバイバルできないような幻想にどこか毒されている。でも、自然の摂理はそんなこととは関係なく独自の流れを持っている。

そんなことを思い出させてくれる本書だった。

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