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治療するマインドから、抜けてみる

治療、或いは治すという見方には、悪いところを探して、特定し、診断するという過程が含まれる。身体が本当に弱り切っている回復に手厚い看護が必要な場合は、いうまでもなく有効だが、ある程度回復が進んで、自分の自己調整能が高まった時点からは、悪いところを探すという見方を切り換える必要がある。

悪いところ探すという見方にはキリがない。トラウマ探し、第1制限探し。やればいくらでも時間とお金とエネルギーを使うことができる。

そこから脱するには、痛みや違和感などの一見プラスでない感覚を無くそうとするのではなく、全体としてはうまくまとまるための途中にあると捉えてみる。つまり、悪いことが起きているわけではなく、単にそれをサインとみて、何かを修正するための情報として受けとってみる。そうすると、様々な感覚を感じないように、あれこれ操作ことに関心がなくなるので、それだけで余裕ができて楽になる。

外からの情報で、何かにお金や時間をかけなければ、例えば筋力が衰えてしまう?など、脅されたまま鵜呑みにして、カモになっているケースをよく目にする。

例えば、頻繁に立ったり座ったりと日常の動作だけでも重力という負荷の下で筋力を使うので、それだけでも必要な筋肉への刺激は維持される。

問題なのは、身体が整っていない状態、痛めるような偏りのある動きのパターンが強ければ、筋力トレーニングやストレッチ、ある種のヨガはやり方によっては身体をかえって痛めてしまう。

脅しが入った商業的な謳い文句に乗せられてしまうのは、そもそも、自分が身体の治癒力や自己組織力を信頼していないことに起因する。何かが間違っているから、悪いから外から治さなければならない、という見方を止めて、起こっていることが過程にすぎず、そのまま見守ってみると、意外と過ぎていくだけだったりする。一時的に痛みが増しても、そこだけ切り取らず、長い目で見てみる。長い目で見てみようとするだけで、隙間ができて、厳しい状況や強い感覚に打ちのめされることなく、その間でできることの可能性が見えてくる。

がむしゃらにストレスを溜め込んでどこかに駆け込むサイクルから、痛みの手前の感覚を捉えて修正したり、はっきりとではないにしても身体から発せられるサインを見逃さず、それを役立てるようにできれば、高価なセミナーに行ったり、必要のないタイミングで意味のない占いに行くようなこともなくなるだろう。もし、それが必要な学びであれば、身体も腑に落ちた感覚で、自然な流れの中で参加する流れになるはず。

治癒の主体は常に自分の中にあり、外圧から選んだり行うべきではない。

本来自分の身体は治さなければいけない存在ではない。どの状況にいてもそこに完全性がある。そこから離れてしまうと、外からコントロールされてしまうことになる。