広げるということ

援助職業界や健康産業でいうと、たくさんの人が助かった方がいい、というのは通説だと思う。チェーン店や支店を増やすというのも、何らかの益を被る人は、できるだけ多い方がいいという発想。治療院も大きくなると、助手を雇って、人数をこなせるようにする。よく見かけるケースだ。だが、特定の施術者との相性に敏感な場合は、ええっ研修中の実験台になるの?という残念な気持ちになる。

起こりがちなのは、多数派に分類される人達は、その大きな流れにうまく乗って適合するけど、少数派がないがしろにされやすい。大抵の人が大丈夫そうなことでも、特定の人にとっては、過剰に感たり、とてもやり過ごせないこともある。不幸なことに理性が働かない集団の中にいたりすると、多数派にとっては組織の運営上や手間が増える面倒さもあってか、そうした少数派は、悪い意味で特別視され、煙たがられるか、がまんを強いられたりする。

自然に広がっていくのは当然のことだ。いいものは広がり、そうでないものは淘汰される。だが、大勢がいいと感じることが、万人には当てはまらないということを常に意識すべきだ。この治療者によるこの治療法がうまくいくこともある。でも同じ治療法なのに別の施術者との組合せだと成功しないこともある。そして、受け手が別になると、そのやり方自体全く合わないかもしれない。その可能性は常にあるわけだから、万人に効く魔法の術や万能薬は存在しないことになる。

例えば、中医学でいうところの、肺虚に分類される人間は、皮膚への圧力に敏感とされる。全体でいうところの25%の比率で存在する。また、トラウマの種類によっては、触れられることに過敏になっているケースもある。一方で、いくら強く押されてもいいし、できればなるべく強く押してもらった方が、”効く”感じがする人々もいる。有名な施術方法で、かなり圧力を用いる方法で確かにそれによって成果も出ていて実績がある方法もある。だが、どんなにオーソライズされた方法でも、先の肺虚のグループにとっては、ちょっとした圧力でもそれが本人にとっては過剰な刺激になってしまい、別のグループでの反応とは当然異なってくる。

可能な限りの集客を目指す立場にいると、効かない例というのは排除したい心理が働くだろうから、それらを特別なところ、或いはおかしな人達として分類して、別のグループでうまくいった実績のみを持ち出してアピールするかもしれない。薬の臨床試験で75%の治癒効果があるとなると、さも効きそうな印象があるが、25%には効かないので、そのグループに属すると、その薬は無駄かむしろ害になる。その個人にとって、7割5分治るということはないのだ。その薬が合うか合わないかは、常に100か0である。

それと同じ原理で、何かを広げようとしたときに、少数派は無視される傾向にある。

だが、少数であっても、自分に合わないやり方に出会った時、他人がどうであっっても、そのような反応に無理に合わせようとしたり、うまくいかないことを自分の何かが間違っていると考えること自体間違いだ。あたり前だが、感じ方や反応もそれぞれ異なり、人は違うということを忘れてはいけない。小さいものが長いものに巻かれたら、息苦しいだけ。それより、そのメソッドが素晴らしいものであるのなら、より改良される点を残しているということで、それを網羅できれば、全体としても発展する機会を提供することになる。また、創始者や講師が、そのような少数派の反応を無視するとしたら、そのメソッド自体或いは教えるものとしての人格を問う必要がある。

何かいいものが、いい形で広がっていくためには、大きな流れに乗らない、乗れない少数の反応を無視したり取りこぼさないように、それを伝えたり運営する人間は、聞く耳を持って、柔軟に対応していってほしいと切に思う。

私はというと、常に少数派に属しているためか、広げるという方向性に対して、常にうがった見方をしがちである。