恒常性とは、環境が変化しても内部環境を一定に保つための機能である。急激に大きな負荷がかからない限り、容量の範囲内であれば、生体は外部からのストレスに適応している。免疫も一つの恒常性のための機能である。細菌やウイルスが少量侵入してきても、非特異的な自然免疫によって、感染を免れる。生体が健全であれば、最初の遭遇によって、次回の侵入により備えることができる。それが、抗体や細胞障害性キラー細胞を擁する獲得免疫である。通常の生活をしていれば、様々な種類の細菌やウイルスに接することによって、免疫が適度に賦活化され、恒常性はより強化される。健康体のうちに適度な免疫刺激を受ける経験が、免疫システムを確かなものに進化させるのだ。 この段階を経ないで、生体にとって未知の病原菌が大量に侵入してくると、爆弾テロが起こったような惨事になるため、予め病原体の抗原を生体に認識させて免疫記憶させるやり方が、ワクチンの戦略である。したがって、問題となる病原体が真新しいものではなく、生体にとって、全く未知でない旧知の抗原であれば、わざわざワクチンに頼らずとも既に免疫記憶ができているため、余計な医療介入は必要ない。
ワクチンが唯一の集団免疫に至る道ではない。最も安全で自然に免疫記憶を得るには、免疫が低下していない時に、わずかの病原体と接することである。抗原によっては、抗体依存性の獲得免疫ではなく、細胞性の獲得免疫もあるため、血中の抗体が検出されないからといって、免疫記憶や獲得免疫がないということは言えない。キラーT細胞の病原体の抗原に対する反応性があるかどうかを調べれば判定することができる。ただここで、問題なのは、自然免疫や細胞性免疫が機能している、という結論は、薬を売りたい輩には、非常に都合が悪い。食べるものを食べて、しっかり睡眠とっていれば、身体を支えてくれるホメオスタシスや内在性の免疫があるから、何の医療介入も要らない、という結論はお薬や検査薬を売るのには、営業の妨げになる。何も足すことなく、その状態で完全に機能している恒常性がある、そのことをどれだけ信頼できるのか? それは自分のシステムのみならず、他の人の身体の知性をどれだけ信じられるのか?というにつながる。
そこが信頼できないとするなら、他者への介入や手助けの方法も全く変わっている。その生体システムを手を加えなければ機能できない不完全なものと捉えるのか?、それともその状態を成り立たせる潜在的な力に満ちた完全なシステムとして捉えるのか? 生体に対する捉え方、認識の仕方は、「どう観るか?」「どう介入するか?」と対になっている。
坂上 仁志さんのyoutubeから得た情報だが、一昨年の11月に武漢でパンデミックが始まり、昨年3月に入国制限するまでの3ヶ月間、武漢を含む中国からの観光客が、約20万人日本の主要都市をPCR等の検査なしに、自由に往来していたという事実。すでに日本では集団免疫が成立しているという京大の上久保教授の主張に矛盾はない。すでに生体が、正常にウイルスに適応している平衡状態のところに、過剰な抗原が生体の至るところで産生される状況は、爆弾テロが身体の中で起こるような状況で、生体がADE(抗原依存性免疫増強)というパニックを起こしても不思議ではないと思う。集団免疫が成立しているかどうかの定義は別としても、昨年から今年にかけて、自分の生体システムは、異種抗原を体内で強制産生させる医療介入を必要としなくても十分機能している。